2019年10月09日

人間の探究 1385 煩悩(ぼんのう)

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※身近なものを材料にして、悟りを開いていくことが法華経の精神です。法華経の精神とは、煩悩や生死というものに対して、スポットライトを当てるのです。煩悩を照らすのです。どんどん煩悩の正体がわかってくると、「なんだ、こんなことだったのか。俺は心が小さいな」と心を開くと煩悩は消えるのです。

人間の探究 1385 煩悩(ぼんのう)

 「御義口伝に云く身意泰然とは煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)・生死即涅槃(しょうじそくねはん)なり、身とは生死即涅槃なり意とは煩悩即菩提なり」 (御義口伝巻上)

 一般の仏教書では、このように説きます。「煩悩は滅するものである。煩悩を滅してこそ、仏の悟りは得られるのだ。煩悩は悩みわずらいが多いので悪いことだ。この煩悩を滅却することが仏道修行の第一歩である」ということを言うのです。我々が日常生活をしていて、悩まされることは煩悩です。
 まず、子供の問題で悩みます。子供が親の言うことを聞きません。子供が思い通り成長しない。全て煩悩です。「もっとお金が欲しいのだけれども、お父さんの給料が安くて生活が不安定だ」これも煩悩です。
 神経痛で自分の体のあちこちが痛くなり、「なんとか治したい」これも煩悩です。「我が家にはお金がないのにお父さんが浮気をしていて、あっちの女、こっちの女に手を出している。何とかならないかしら」これも煩悩です。
 「年寄りを抱えて、年寄りの介護をしなければいけない」これも煩悩です。そのように、人生は煩悩から成り立っているのです。煩悩は数えきれないほど沢山あります。それに煩わされているから、幸せな気分になれないのです。仏教団体は、「煩悩を滅しなければいけない」と一般的には教えているのです。
 しかし、本当の仏教は、「煩悩を滅することなどできない」というのです。煩悩は次から次へと湧いてくるのです。「この煩悩を滅した」と思ったら、次から次へと煩悩が出てくるのです。煩悩には休みがありません。
 だから、「煩悩を滅する」ということはできません。本当の仏教は、そのように言うのです。では、煩悩という問題はどのようにしたらよいのでしょうか? 煩悩はその正体を明らかにすることによって消滅するのです。
 煩悩の正体とは何でしょう。ある人に恋をして、すごく好きになりました。悩んで・悩んで朝も夜も頭から消えません。こんなことはよくあることです。これは煩悩ですから、消すことはできません。
 しかし、「何故、こんなことで悩んでいるのか? 何故、あの女がよいと思ったのか? これは錯覚ではないのか?」と思えてくればよいのです。要するに煩悩の正体は、明らかにすることです。悩みの正体を明らかにするのです。
 これを煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)というのです。煩悩の正体を明らかにしていくのです。煩悩は消すことなどできません。次から次へと煩悩は、ふつふつと湧き上がってくるのです。「お金がなくて、美味しい物が食べられない」これも煩悩です。
「美味しいものが食べたい」と思のも煩悩です。この正体を明らかにすると、「美味しいものに執着をしているのだな。食べられるだけでいいじゃないか。食べられない人もいるのだから。美味しいものも、まずいものもないよ。僕は充分これで満足していこう」と思うならば、煩悩即菩提です。煩悩の正体が明らかになったということです。
 執着するものがあった時には、その正体を本当に明らかにすればよいのです。煩悩を持つことによって一歩でも二歩でも自分が成長すればよいのだから、煩悩即菩提です。煩悩というのは悩み、主に心の悩みのことを煩悩というのです。
 体について悩むことを生死といいます。何故かというと、生まれて死ぬのは肉体です。肉体が病気になると苦しいのです。だから、「苦しみから脱却したい」と普通は思います。これは生死です。生死は即涅槃というのです。生死即涅槃・煩悩即菩提です。
そのように知るだけでも、「そうか、煩悩は即菩提なのだな。生死は即涅槃なのだな」とわかるのです。何故かというと、生死という苦しみは、涅槃してみないと治りません。「あそこが痛い」「ここが痛い」ということが本当に消える時は、自分が死ぬ時です。
自分がニルバーナという悟りに入って、「肉体のことはどうでもよい」と思うか、或は本当に死んでしまう時に、生死は即涅槃です。涅槃しない限り、生死の苦しみは消えません。
煩悩即菩提と、生死即涅槃は、だいたい同じことを言っていますが、肉体の苦しみを言う時には、生死即涅槃です。心の悩みのことを言う時には煩悩即菩提です。そのようなことです。これは、法華経の教えです。相当高級な教えです。
普通は、菩提・菩提、苦しみ・苦しみで終わってしまうのです。それを瀬戸内寂聴のような坊さんがわかったようなことを言っているのです。「心に悩みがある時は、やってしまえばよいのだよ」と言うのです、「浮気したい」「あの人と駆け落ちしたい」と相談されると、瀬戸内寂聴は「やってしまえばよいのだよ」と言うのです、
悩みを肯定してしまえば、悩みは消えるのです。当たり前のことです。それでは、何の解決策にはなりません。本人が増長するだけです。僕の友達にもいました。早稲田大学の落研にいた友達が相談されると、「家出? してしまえよ」「彼氏と肉体関係をもった? もっとどんどんやればよいのだよ。スキにやればよいのだよ」と言うのです。「そうすれば煩悩は消えてしまうよ」と言うのです。
「好きだ」という煩悩は、やってしまうのですから消えますが、他の煩悩が待っているのです。瀬戸内寂聴もそうですが、そのままソックリ認めるのです。「浮気したい? してしまえばいいじゃないの。人生は一度しかないのよ。そうすれば、貴方の煩悩はなくなるのよ」と言うのです。
相談されると、そのまま認めるのです。だから、相談した人は「私のことをわかってくれたのだな。瀬戸内寂聴さんについていこうかな」と思うのです。悪人はみんなそうです。相手を認めてしまうのです。
本当の仏教は相手を認める部分と、認めない部分があるのです。人生には直さなければいけないこと、修行しなければいけないことがあるのです。そこから見たら、人間は直さなければいけないことばかりです。
材料は現実の生活です。「そんなことで貴方は悩んでいるの? 心が小さいわね。そんなことではダメよ。」と言われて、「心を広げようかな」と思うのです。「貴方は心が小さいからよいのよ」と認めていてはダメなのです。
このようにして、自分を変革させてくれるのが本当の仏教です。それにはただ、煩悩から脱却させてくれるのではなくて、煩悩を光と思い、「南無妙法蓮華経」という法の光を当てていくことによって、自分の煩悩は消えていくのです。
「こんなことで俺は悩んでいるのか。つまらないことで悩んでいるのだな。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、・・・」とお題目を唱えているうちに、悩みが消えていってしまうのです。「くだらないことで悩んでいたのだな」とわかるのです。これが煩悩即菩提です。
だから、お題目を唱えないと煩悩即菩提が実現されないのです。生死即涅槃、「死ぬのが怖いな、嫌だな。」と思っていた人間も「南無妙法蓮華経」と唱えることによって、「なんだ、実存の法は南無妙法蓮華経なのか。俺は死んでも生きても南無妙法蓮華経なのだから、何も変わらないのだな。少しでも良い方向に行けばよいと思うけれども、よろしくお願いします。南無妙法蓮華経」これで消えるのです。これが生死即涅槃です。
身近なものを材料にして、悟りを開いていくことが法華経の精神です。法華経の精神とは、煩悩や生死というものに対して、スポットライトを当てるのです。煩悩を照らすのです。どんどん煩悩の正体がわかってくると、「なんだ、こんなことだったのか。俺は心が小さいな」と心を開くと煩悩は消えるのです。
「生死即涅槃だ、死ぬのが怖い。でも、生死即涅槃? 生まれて死ぬことが涅槃なのだな。ああそうか、生きても死んでも変わらないのだな」と思った瞬間に生死の苦しみ、恐怖は消えるのです。それが法華経の精神であり、巷の教えとはちょっと違うのです。

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この記事へのコメント

1. Posted by 行合84   2019年10月09日 06:41
中杉先生ブログ拝見いたしました。人間の輪廻転生には、身口意の三業が絡んで来ます。すなわち、悪い行い、悪い言葉、悪い考えです。僕ら正理会のメンバーは、皆、自灯明で自分自身を見つめております。成仏の入り口を目指して自他共に、何が正しくて何が間違っているのかをしっかりと、日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経という光で照らして、自分自身をしっかりと正していくことが大切になります。中杉先生の仰るように、煩悩とは、その正体を明らかにすることによって消え去るのです。今月の19日、20日の研修会で、中杉先生に直接に学んで参りましょう!各々の身口意の三業をしっかりと、正していこうではありませんか!中杉先生講義ありがとうございました。
4. Posted by 事務局より   2019年10月09日 10:48
お知らせ

朝鮮人のコメントは削除しました。
当会は、キチガイ・麻薬中毒者とはお話はしません。
そのような人が行く場所は、松沢病院です。

キチガイは、法に対して「間違っている」と言えないから、わけのわからない誹謗中傷をしてくるのです。
最初から、正理会を貶めることが目的です。

この朝鮮人は目の瞳孔が大きく開きます。

目の瞳孔が大きく開くのは麻薬中毒患者に多い症状です。
普通の人は目の瞳孔は開きません。

麻薬中毒者になると次の症状が表れます。
1.やたらと他人を攻撃したくなる。(攻撃性が強くなる)
2.情動行動を繰り返す
(人の話を聞かないで一方的に同じことを何度も繰り返し言う)
3.仕事が続かない
4.情緒不安定
5.本当のことを言われると大きく目の瞳孔が開く
6.人を攻撃する時も大きく瞳孔が開く

この朝鮮人はリンクを貼って、「会おう」と言ってきますので、注意してください。
会った場合は、目の瞳孔が大きく開くので、よく観察してください。
やがては攻撃の対象になるので、つるんだ相手も大きく怪我をします。
目の瞳孔が大きく開く時が獲物を狙っている時です。
よく注意してだまされないようにしていきましょう。

キチガイは法論をする相手ではありません。
キチガイの行くところは松沢病院です。


5. Posted by yamada   2019年10月09日 12:00
このチョウセンジンのリンクをみました。
ワルグチばかりで、気持ち悪くなります。
やはり、常習者でしたか・・・
目の瞳孔がひらく人間は、日常生活ではいません。
はやく松沢病院へ入院したほうがいいでしょう。
麻薬をやっていると攻撃性が強くなります。
その攻撃力が自分にむかうと自己破壊です。
手遅れにならないうちに入院したほうがいいでしょう。
6. Posted by 主任教授 さえこ   2019年10月09日 12:11
5 今日の講義「煩悩(ぼんのう)」拝読しました。

また、キチガイ朝鮮人が出てきましたが、キチガイは無反省です。
自分の不幸の原因は「全て人が悪い」のです。

自分が不幸なのは、自分が悪いからです。
仏道修行を真面目にして、自己を変革できない人は、気が狂ってキチガイになってしまうのです。

自分が悪いのに、人のせいにしていたら、キチガイになってしまうのです。

仏道修行は、自分の心を仏と変えていくのです。
決して、自分の不幸を他人のせいにしていくことではありません。

自分が不幸なのは自分のせいです。
それを認めたくないから、人のせいにするのです。
そのような幼稚な心では仏道修行は無理です。

仏道修行とは、幼稚な凡夫が仏(大人)になっていくことです。

煩悩即菩提・生死即涅槃と悟りましょう。

キチガイ朝鮮人がいくら私の誹謗中傷しても、不幸な生活は変わりません。
ますます泥沼に落ちるだけです。

正理会の皆さんは、中杉博士より本物の仏教を教わり、凡夫の殻を破り仏と開いていく修行をしていきましょう。



7. Posted by 正理会会員   2019年10月09日 12:17
キチガイ朝鮮人は、さえこ先生がうらやましくて仕方ないのでしょうね。自分は何の努力もしていないのに卑怯な朝鮮人ですね。
8. Posted by mamoru   2019年10月09日 12:19
さえこ先生の悪口を言う朝鮮人は、自分のリンクを貼り付けて、信者を取ろうとしているのかね。キタナイ奴だな。
9. Posted by 大田   2019年10月09日 12:35
今日の講義拝読しました。

悩みがある時、お題目を唱えると気持ちが落ち着き、解決の糸口が分かります。

本当に不思議を感じます。

私は業が深いので次から次へと悩みが湧出てきますが、お題目を唱える事により救われています。

最近は、今度は何が出てくるのかと思えるようになりました。

博士 ご指導ありがとうございます。
10. Posted by 愛読者   2019年10月09日 12:41
キチガイ朝鮮人はそうやって一生悪口を言って恨んで暮らせよ。どうせ、友達もいないんだろう? 正理会の大先生の悪口を言っているとますます、地獄因をつくって貧乏になるだけだ。業行の因果のところで習っただろう?
11. Posted by 八坂日慈   2019年10月09日 13:13
朝鮮人よ、正理会で正法を説く大先生の誹謗中傷は止めなさい。お前の言霊を解いてあげましょう。

片斬り妖怪の子供

これがお前の正体である。
正法を説く団体の悪口を言うと提婆達多のようになりますから、早く反省しなさい。

言霊は反省すれば変えられるのです。

12. Posted by 八坂日慈   2019年10月09日 13:53
朝鮮人を霊視しました。
心の中は妬みと嫉妬で一杯です。女人は自分が努力して仏になるよりも、人を妬んで貶めるほうが楽なのです。女人は妬み・嫉妬のエネルギーのほうが強いのです。これを貪瞋癡慢疑(とんじんちまんぎ)といいます。仏道修行は日常の中にあります。

「女人は物をそねむにかしこしとこそ経文にはあかされて候へ」(日妙聖人御書)

これを反省して仏になることが、正理会の仏道修行です。
13. Posted by マリー   2019年10月09日 18:58
煩悩即菩提、生死即涅槃は御題目によって煩悩に光を当てていくことに体感していくのですね。
14. Posted by 青山   2019年10月11日 13:12
5 御講義有難うございます

煩悩や生死というものに対して、スポットライトを当て、正体を明らかにしていくことが修行でもあると思いました
15. Posted by 古都   2019年10月13日 23:17
5 講義頂き有難うございます。

>自分を変革させてくれるのが本当の仏教です。
>煩悩を光と思い、「南無妙法蓮華経」という法の光を当てていくことによって、自分の煩悩は消えていくのです。
>身近なものを材料にして、悟りを開いていくことが法華経の精神です。法華経の精神とは、煩悩や生死というものに対して、スポットライトを当てるのです。

相手を認めるのは、邪教の手口を思い出します。
修行によって自分を変えていけるのが、南無妙法蓮華経です。
業行因との決別には、修行で自分を変えていくしかないのです。
煩悩に南無妙法蓮華経と光を当てて、煩悩の正体を知って早く消せるようにしたいと思います。

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