2019年10月16日

人間の探究 1390 諸法無我(しょほうむが)

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※一番上の階級はバラモン僧です。バラモン・クシャトリア・バイシャ・スードラという階級の順番です。

人間の探究 1390 諸法無我(しょほうむが)

 仏典の初期の言葉で「諸法無我(しょほうむが)」という言葉があります。これは難しく考えると難しいのですが、易しく考えると簡単です。
 諸法無我とは、「あらゆるものの中には我(が)がない」ということを言っているのです。「あらゆるものの中」とは、どのようなことかというと、人間、犬、馬、猿、みんな「自分」というものを持っています。
 この「自分」が、我(が)だと思っているのです。「その我(が)が、永遠かどうか?」ということをめぐって、仏教とバラモン教は論争したのです。「個人・個人が持っている我(が)は、永遠の存在なのだ」「我があるのだから、死んでも我(が)は、なくならない」という考え方です。これがバラモン教の考え方です。死んでも我(が)は、なくならないのです。永遠にあらゆるものに我(が)があるかのように考えているのです。
 それに対してお釈迦様は、「我(が)はない」と言われたのです。これが仏教でいう無我(むが)の教えです。「我がないと言われても今、俺は生きているのだ。自分というものを感じている。この自分というものに我(が)はないという教えは理解できない」と衆生は考えているのです。
 「我(が)はある」という教えは、死んだ場合、どうなるのでしょうか? それは、「死んでも我(が)は残る」と言うのです。もっと哲学的に言うと、アートマンとブラーフマンということがわからないと、この問題はわかりません。
アートマンとは、草でも木でも動物でも人間でも、それぞれ主体としてアートマンというものがあるのだと言うのです。アートマンが自分の真実の姿です。バラモン教ではそのように説いていたのです。アートマンは死んでもなくなりません。アートマンは死んでも残るのです。そのアートマンが次の生を引き継いでいくという考え方です。
それに対してお釈迦様は、「アートマンはない」と言われたのです。アートマンというものはありません。貴方という対象のアートマンはありません。貴方が死んでしまうと、アートマンはなくなってしまうのです。
 これが、有我論と無我論の論争です。するとこのようなことになるのです。死んでもアートマンはなくならないと言うならば、奴隷で生まれた人間はアートマンが奴隷ですから、また奴隷として生まれてくるのです。
 犬で生まれたら、来世も犬です。アートマンは変わりません。男は来世も男で生まれて、女は来世も女に生まれるのです。白人は来世も白人で生まれ、黒人は来世も黒人で生まれるのです。黒い肌の黒人は来世も黒人です。
 奴隷で生まれた人間は、来世も奴隷です。これは苦痛の考え方だと思います。バラモン教の支配者の構造としてはよいのです。一番上の階級はバラモン僧です。バラモン・クシャトリア・バイシャ・スードラという階級の順番です。
 バラモン僧は一番上の階級ですから、何度生まれてもよいのです。ご主人様は「お前ら、働け」と言うのです。ところが、スードラという奴隷に生まれたら、「労働は勘弁してくれ。死んでしまいたい」と思うのです。ところが死んでもダメなのです。死んでも来世も奴隷です。
 それぞれの階級があって、逃げられないのです。奴隷は永遠に奴隷ですから、諦めて「私は奴隷である」と思いなさい。「私は永遠の奴隷だ」と思うことが救いになるのです。「私は永遠のクシャトリアだ」と思うのです。これではたまりません。
 「せめて今世は一生懸命奴隷をやるけれども、来世までは勘弁してくれないかな」と思うでしょう。女の子はブスに生まれてしまうと、あまりよい扱いをしてくれません。「なんで、私はブスに生まれたのかしら?」そこで言われるのです。「貴方は生まれながらにブスなのです。死んでもブスで生まれるのですから、覚悟を決めなさい」と言われるのです。「そうですか、私は来世もブスですか」となってしまいます。
 そこでお釈迦様は言われたのです。「アートマンはない。アートマンなど錯覚なのだ。我(が)はありません。私はそのように信じているし、そのように教えている。我(が)はない」と言うのです。我(が)はないのですから、奴隷をやっているアートマンは死んだら消えてしまうのです。何もなくなって御破算になってしまうのです。
 奴隷「本当ですか? 私は来世、奴隷をやらなくてよいのですか?」お釈迦様「そうだよ。今世は奴隷をやっていても、来世は奴隷ではないよ。一旦、無我になるのだよ」という教えを説いたのが、諸法無我ということです。何処にも我(が)はありません。
 どうして我(が)がないと言えるのでしょうか? 昨日の貴方と、今日の貴方を比べてみなさい。同じと言えるのでしょうか? 「全く同じです。引き続いています」と貴方は言うでしょう。
しかし、「君、引き続いていないじゃないか。昨日よりも髪の毛は伸びているし、細胞は生まれ変わっているし、体の調子も良い場合もあれば、悪い場合もあります。昨日と今日は違うのです。よく見て御覧なさい。1ヶ月前の自分と、今の自分は同じではないでしょう。全て変化しているのですから、無我なのです。一体、いつの我(が)があると言うのでしょうか? 今日の我(が)なのか? 明日の我(が)なのか? 我(が)というものはなくて、変化・変化をしているのだから、何処にも我(が)などありません」。そのようにお釈迦様は説いたのです。
 奴隷「そうですか。有難いですね。我はないのですか」お釈迦様「そうです」それから、お釈迦様の説法は続いていくのです。まず、大事なことは入り口論である「諸法無我か、有我か?」です。これを明確に教えた仏教の入り口論が、諸法無我です。
外道は「我(が)がある」といい、仏教は「我(が)はない」というのです。仏教は無我を説いた教えです。バラモン教を含めた外道は「我(が)はある」という教えです。「我(が)というものはない」と言われたのがお釈迦様なのです。

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この記事へのコメント

1. Posted by 行合84   2019年10月16日 06:44
中杉先生ブログ拝見いたしました。仏教バーサス、バラモン教も、実に面白いですね。無我なのか有我なのか、アートマンとブラフマンのお話は有名ですね。変なたとえですが、皆さんがお使いのパソコンもリセットして、初期設定に戻ります、人間も死ぬと、リセットされて、初期設定に戻ると思います。生命は、永遠に生死を繰り返して存在しています。無我とは、このリセットではないかと思います。これは、僕の勝手な推測です(笑)。但し、リセット出来ない部分が残ります、それが自分のして来た業であると思います。日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経は、この業までも、初期設定に戻して下さると思います。すなわち、因果具時具時なのです!何でも許されるの世界ではないのです!中杉先生にしっかりと学んで参りましょう!中杉先生講義ありがとうございました。
2. Posted by 主任教授 さえこ   2019年10月16日 09:46
5 今日の講義「諸法無我(しょほうむが)」拝読しました。

>諸法無我とは、「あらゆるものの中には我(が)がない」ということを言っているのです。

生命は瞬間しかありません。
我は存在しません。
貴方が思っている我はいつの我なのでしょうか?

我と思っている生命は刻々と変化をしています。
同じ凝り固まった我はないのです。
そんなものがもしあるとしたら、仏道修行は無意味になってしまいます。

我はないから、凡夫が仏になることができるのです。

人生は仏に出会い、仏様から学び、自分も仏になっていく旅です。

本物の仏様に出会えた人はラッキーです。
ほとんどが詐欺師です。

正理会の中杉博士に出会えた皆さんは本当にラッキーです。
真剣に仏道修行するものは、自分の命の正体がわかり、成仏することができるのです。

これこそ、世界平和の思想です。
中杉博士こそ、ノーベル平和賞にふさわしいのです。

変な高校生がわめいているだけで、受賞できるようなものではありません。

人々を正しい道に導いていく中杉博士こそ、ノーベル平和賞にふさわしいのです。

人類を平和にする思想を中杉博士より学んでいきましょう。
3. Posted by 大田   2019年10月16日 12:28
今日の講義拝読しました。

「我はない」とお釈迦様は言われています。大体の日本の仏教は「無我になれ、煩悩を無くせ、無欲になれ」と教えます。

「これでは人間は死んでしまいます」と博士に教えて頂いて日本の仏教は邪教だと知りました。

私達は一瞬一瞬、生きているのですから、我はありません。

あるのは一瞬一瞬の命と法華経の信仰の心だと思います。

博士 ご指導ありがとうございます。
4. Posted by マリー   2019年10月16日 14:28
バラモン教のアートマン思想は邪思想ですね。
アートマンに拘ると我がぱんぱんになると思います。
我がないから成仏することができます。
5. Posted by 古都   2019年10月20日 19:36
5 講義頂き有難うございます。

> まず、大事なことは入り口論である「諸法無我か、有我か?」です。これを明確に教えた仏教の入り口論が、諸法無我です。

ヴァルナ制度の図を見て感じましたが、インドで犯罪が多いのはバラモン教がおおいに関連しているのではないかと思いました。
仏教は諸法無我を説きます。自分の心は常に変化し、十界がその時その時で変わっていきます。仏教の無我の教えは、優れているとわかります。

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