2019年10月23日

人間の探究 1395 心の師とはなるとも、心を師とせざれ

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※日蓮大聖人様は、「心を師としてはいけない」と言われているのです。心を師とする人の人生は全て失敗するのです。心などというたよりない、フワフワでいい加減なものを頼りにしたらいけません。

人間の探究 1395 心の師とはなるとも、心を師とせざれ

「方便品の長行書進せ候先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし、此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり然れども我等は肉眼なれば文字と見るなり、例せば餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随つて別別なり、此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり即持仏身とは是なり、されども僻見の行者は加様に目出度く渡らせ給うを破し奉るなり、唯相構えて相構えて異念無く一心に霊山浄土を期せらるべし、心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文ぞかし、委細は見参の時を期し候、恐恐謹言。」(曾谷入道殿御返事)

 どこの本を見ても、何を読んでも「心は厄介なものだ」と書いてあります。しかし、大部分の人々は、この厄介な心を自分の師匠としているのです。
 「貴方は大きくなったら何になりたいのでしょうか?」と聞くと、「私は政治家になりたい」「弁護士になりたい」「医者になりたい」と言うのです。それは、心が思っていることです。
その心に従って行動すると、「あの人は嫌い」「この人は好き」というように感情で動いているのです。心を師とするとこのようなことになってしまいます。全てそうです。心を師としているのです。
 日蓮大聖人様は、「心を師としてはいけない」と言われているのです。心を師とする人の人生は全て失敗するのです。心などというたよりない、フワフワでいい加減なものを頼りにしたらいけません。
テレビの劇でも「貴方の心次第よ」とよくいいます。何が貴方の心次第なのでしょうか? 心などというものは、ありはしません。そのないものを師匠にして、どうやって人生を歩んでいくのでしょうか? 心を師とした人は、必ず人生は失敗してしまいます。
 何を師匠にするのかというと、日蓮大聖人様の教えを師とするのです。仏様の教えを師とするのです。「あの野郎は憎いから殺してやる」というのは、自分の心を師としているのです。
 「それはよくないよ」というのが仏様の教えです。「人を殺したら、貴方の人生も滅茶苦茶になってしまいますよ。だから、人を殺してはいけません」と言われて、「わかりました」と従っていくのが仏様の教えです。
 自分の心を師としていたら、女は「好きな男と一緒になりたい」と思います。まさに眞子ちゃんです。眞子ちゃんは、自分の心を師としているのです。眞子ちゃんは、心の師として日本国を思わなければいけません。
 「私がプー太郎と一緒になったら、国民はどう思うかしら? 許してくれないな。これはもう止めましょう」、と思うことが、心を師としない生き方です。「私が好きになったのだから、無職で乞食男のプー小室と一緒になりたい」など、お話にもなりません。
 結婚というものは、親の感情、兄弟の感情など、そのようなものを考えてやらなければいけません。それを無視して、「親は関係ない、兄妹も関係ない、私が好きな人と一緒になるのよ!」と言うので、人生を失敗してしまうのです。
 瀬戸内寂聴もそうです。何故、あんなババアに説法されて喜んでいるのでしょうか? 瀬戸内寂聴は、若い頃、男をつくって子供と夫を捨てて家を出たババアです。それが好きなことをやって、最後は坊主になって格好をつけているだけです。
 瀬戸内寂聴の人生など、何も幸せになってなどいません。自分が幸せになっていなければ、人を幸せにすることなどできません。結局、瀬戸内寂聴は仏教徒といっても、自分の心を師としているのです。
 長生きのババアです。90歳過ぎて、牛肉をたらふく食べているのです。「牛肉を食べたい」というのも、自分の心が欲しているのです。普通はいい年になって、朝から牛肉をバンバン食べているババアなどいません。
 年を取ったら、「殺生はよくない。あまり牛肉は食べないほうがいいよ。ほどほどにね」と言うものです。毎日朝からステーキなど、「いますぐステーキ」「いきなりステーキ」では、ありません。おかしな奴です。
 「大学へ行きたい」と目標を決めて、自分の心に従って遊んでいたならば、大学には入れません。また、自分の心以上のものをもたないと、大学教授などにはなれません。「どのような心を持ったらよいのか?」というと、「日本国」とか、「日本国のために」というのは自分の心ではありません。
 「日本のために頑張ろう」「ノーベル賞をとるぞ」という心は、自分の心を師としていません。或は、仏道修行をして、お釈迦様、日蓮大聖人様のご説法に耳を傾けて、自分の心を向上させていくのです。
 自分の心は向上させていくものです。心を師としている人は、向上しません。同じところで、心がグルグル回っているのです。ところが、自分以外に心を置いた人は、どんどん成長していくのです。
 「あれ、昔はこのような人だったけれども、今はまるっきり違って偉い人になってしまったな」、こうでなければいけません。心を師としていたら、同じところをグルグルと回っているのです。それでは心は向上しません。しっかりと、心を師としないで、人生を歩んでいくと決めましょう。

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この記事へのコメント

1. Posted by 行合84   2019年10月23日 06:40
中杉先生ブログ拝見いたしました。人間にとって大切なことは、自分の心は、自分で向上させていくものであると、僕もそう思います。それは、自己中心的な考え方では、とても出来ない問題です。僕らは、日蓮大聖人様の御書に有りますように、「心を師」としてはいけないのです!これは、自己中では出来ない問題で、いい加減は、駄目であると言うことです。自分の心もそうですが、日本国民として、歴史の流れを読むことも大切であると思います。中杉先生が、先日、出版されましたばかりの、「虚構の憲法」を是非ともお読みになってください。僕も読んでいて、何回も読み直していこうと思ってます。中杉先生講義ありがとうございました。
2. Posted by 大田   2019年10月23日 12:34
今日の講義拝読しました。

心の師とは南無妙法蓮華経です。絶対に変わらない宇宙の法則です。

この南無妙法蓮華経をわかる為に修行をしています。

心を師としたら自己中心の流転の生命になってしまいます。

より深く御教えを学び励んで行きたいです。

博士 ありがとうございます。
3. Posted by マリー   2019年10月23日 13:03
心を師として欲望を満たしているのが瀬戸内寂聴です。90越えているのにステーキを食べている姿は化け物もしくは破戒僧だと思いました。瀬戸内寂聴をありがたく信奉している人間は同じ道にいくのだなと思います。
4. Posted by 弥生   2019年10月24日 02:14
>心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文ぞかし、委細は見参の時を期し候、恐恐謹言。」(曾谷入道殿御返事)

学会、顕正会などでも言っていますが、あれだけの悪事、犯罪を行っている組織には、何らオーラも感じません。
5. Posted by 青山   2019年10月24日 10:49
5 御講義有難うございます

日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経を師とし、日蓮大聖人様の御説法(中杉弘博士の御説法)に耳を傾け、自分の心を向上させ仏道修行に励んでいかなければならないと思いました。
6. Posted by 古都   2019年10月25日 23:10
5 講義頂き有難うございます。
> 自分の心は向上させていくものです。心を師としている人は、向上しません。同じところで、心がグルグル回っているのです。ところが、自分以外に心を置いた人は、どんどん成長していくのです。

自分の心を師とすると、自分の好き勝手や好き嫌いで行動し、善悪の区別もつきません。邪教に犯罪が多いのは、自分の心を師とした結果であって、煩悩のままで動いた結果でもあります。そして益々、自分の命を汚している事に気づいていません。
私は、自分の心を向上させていきたいと思います。

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