2019年11月09日

『日本建国の謎に迫る』青銅と鉄

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※始皇帝を弔った兵馬俑の発掘から出土したものの展覧会です。その時の青銅の剣が忘れられません。細身の剣にクロムメッキがほどこされてあったのです。

『日本建国の謎に迫る』

青銅と鉄

 1章で、ヒッタイトの発明した製鉄技術がスキタイによって世界的に広まっていったことを述べました。地球上に、鉄は非常にたくさんがあります。地球が持っている成分のうち、一番大きいものは酸素(四六・六%)です。続いて、ケイ素(二七・七%)、アルミニウム(八・一%)、鉄(五・〇%)、カルシウム(三・六%)、その他(九・〇%)です。地球上の成分で鉄は、四番目に多く含まれます(クラーク数に基づく)。
 製鉄が発明されるまでは、金属器としては銅が主に使われていました。銅は融点が低く、約一〇八五度で溶けます。銅にスズを混ぜたものを青銅と呼びます。銅そのものだけでは柔らかすぎるので、スズを混ぜた合金にすることによって、かなりの強度に仕立てあげています。銅にスズを混ぜているので、これは黄金色に輝きます。銅は錆びると青くなってしまいます。緑青(ルビ ろくしょう)というものです。いくら、スズを入れても時代が経つと青くなってしまいます。そのため、現在出土するものは、すべて青くなっているので青銅と呼ばれることになったのですが、元々は光り輝いていたのです。光り輝いている銅鐸や銅鏡を想像すれば、そのイメージが大きく変わってくることでしょう。
 鉄は、一五三八度にならないと溶かすことはできません。鉄の製造法は、鉄分を含んだ真っ赤に錆びた鉄鉱石を掘ってきて、それを長時間一五三八度以上にさらしていると、ドロドロになって溶けていきます。それを型に入れ、固めて鉄器を造るのです。これは、現代でいうところの鋳物(ルビ いもの)です。南部鉄瓶とかと変わりません。そのままでは刃物にならないので、刃先を研いで刀にするのですが、もろいのです。青銅製の刀剣の強度と鉄とあまりかわりません。
 ちなみに、日本では鉄を鍛錬することにより、最高の強度に仕上げてきました。「黒金は、鍛え打てば剣になる」(日蓮聖人)といって、鉄を溶かして鋳型に流すのではなく、それを鍛錬して作るのです。鉄鉱石を溶かすと、鉄の塊が出てきます。それを打つ、またひっくり返して打つ。打つことによって不純物がどんどん抜けていって純粋なものになっていきます。ですから、本当に素晴らしい日本刀は錆びないのです。水の中に入れようが、火の中に入れようが錆びません。その逆に、保管しておいたら錆が浮かんでくるような日本刀は安物だということになります。
 ところが、中国では少し事情がちがっていたようです。春秋戦後時代には中国でも鉄の使用が一般化され始めたことは、すでに述べました。ところが、その戦国時代を統一した秦では、独自の青銅文化が発達していたのです。二〇〇四年九月、私は上野の森美術館で「大兵馬俑展」を見てきました。始皇帝を弔った兵馬俑の発掘から出土したものの展覧会です。その時の青銅の剣が忘れられません。細身の剣にクロムメッキがほどこされてあったのです。
 先ほど述べたように、青銅というのは金ピカになるのですが、その剣はクロムメッキによって銀のような輝きを放っていました。電気クロムメッキの技術が登場するのは、一九五〇年代です。ところが、二三〇〇年前の始皇帝は、クロムメッキを自由に操っていたのです。始皇帝はどうやってこの技術を開発したのか、まったく不明です。
 上野の森美術館では、その剣に注意書きをしていました。「この剣は非常に危険ですので、手袋をはめなければさわってはいけません」。それぐらい斬れるのです。いまでも新聞紙三十枚くらいなら、スパッと斬り裂く力を持っています。その青銅の剣は、いまでも燦然と光輝いているのです。
 こうして日本にも文明の波が押し寄せるのですが、日本ではいまから二千数百年前に、青銅器と鉄器が同時に入ってきたといわれています。そのため、実用的な道具としては鉄を使い、祭祀用の銅鐸や銅鏡は名称どおりに銅を使うという選別がなされています。出雲地方の加茂岩倉遺跡から、三九口の銅鐸が一カ所から出土したのは有名な話で、ご存知の人が多いことでしょう。
 ところが、ここに不思議なことがあります。現在出土する剣のほとんどが青銅製なのです。鉄剣はほとんど出土していません。石上(ルビ いそのかみ)神宮の七支刀が鉄剣としては有名ですが、時代がずっと下ってのことであり、しかもこれは中国製です。鉄は腐食しやすいので残存しにくいという説もあります。しかし、これほど出土しないことの説明にはなりません。これも後代のものですが、稲荷山古墳などからは、日本製の鉄剣が出土しています。
 この謎は、実は簡単に説明できるのです。大和朝廷を築いたのが、始皇帝の部下であった徐福であったからです。彼らは、秦の統一の基礎となる高度な精銅技術を持っていました。そのため、鉄剣に頼らなくても、銅剣で充分だったからです。銅剣でも鉄剣以上の威力を発揮したのでした。
 そこで、始皇帝が中国を統一するまでを押さえておきましょう。


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この記事へのコメント

1. Posted by 行合84   2019年11月09日 06:39
中杉先生ブログ拝見いたしました。「黒金は鍛え打てば剣となる」の御文は、日蓮大聖人様のお言葉です。青銅から今の日本刀に至るまでの歴史は、何を物語っているのかが今日の日本建国の謎のテーマです。僕は、日本刀のあの波紋がとても大好きです。見るとゾクゾクしてしまいます(笑)。何で青銅から芸術性の高い日本刀が出来たのか?と考えてみると、先生が仰っていますように、秦の始皇帝(本物のユダヤ人)の重臣であった、徐福が、軍団を率いて、日本国にやってきた、そして、大和朝廷を築いたとの歴史と符号致します。あの神譲りの精神で、今の日本国を築かれたのが徐福(神武天皇)たちだったのです。日本刀で、日本の歴史が、真実が、浮かび上がって来るのです。中杉先生講義ありがとうございました。
2. Posted by 愛子   2019年11月11日 00:46
>電気クロムメッキの技術が登場するのは、一九五〇年代です。ところが、二三〇〇年前の始皇帝は、クロムメッキを自由に操っていたのです。始皇帝はどうやってこの技術を開発したのか、まったく不明

やはり始皇帝はユダヤ人であったか、ヒストリーチャンネルで言われている「宇宙人から高度な技術を授けられた」どちらなのでしょうか。謎が深まります。
3. Posted by 愛子   2019年11月11日 00:53
>この謎は、実は簡単に説明できる

以前教えて頂いた「歴史常識論」を思い出しました。

>大和朝廷を築いたのが、始皇帝の部下であった徐福

と考えると、博士が教えられる通り、「秦の統一の基礎となる高度な精銅技術を持っており、そのため、鉄剣に頼らなくても、銅剣で充分であり、銅剣でも鉄剣以上の威力を発揮できた、と謎が解けます。日本の歴史学者は博士に学ぶべきです。

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