2019年11月08日

人間の探究 1407 災難は灸治(やいと)のごとし

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※辛坊治郎さんはヨットで太平洋を横断しようとしたのです。すると嵐に遭い、自衛隊に助けられて九死に一生を得たのです。すると、今度は日本航空123便の墜落事故に遭遇したのです。そのようになってしまうのです。

人間の探究 1407 災難は灸治(やいと)のごとし

「我等現(げん)には此の大難に値(あ)うとも、後生(ごしょう)は仏になりなん、設えば灸治(やいと)のごとし。当時はいた(痛)けれども、後の薬なればいた(痛)くていたからず。」(聖人御難事)

 「我等現(げん)には此の大難に値(あ)うとも、後生(ごしょう)は仏になりなん」

 台風15号、台風19号が日本列島で猛威を振るい、ビックリするような天災が続いて、日本国中が水浸しです。関東・東北では、大変な大水害です。今、わかっているだけでも1千兆円くらいの損害に遭っています。家を失い逃げ惑う者、避難所で喧嘩する者、大変です。
 その中で自衛隊の諸君は、本来は国民の生命と財産を守る防衛が任務なのに、災害があるたびに土方までさせられているのです。名誉ある軍人が土方をするのでしょうか? 
 被災地では水道の水は出ない。お風呂も入れません。何故、このような災難が起きてくるのでしょうか?
 例え、このような水難や、火災に遭おうとも、法華経を信じる人は将来仏になるのです。これは、100%仏になるのです。この法華経を信じていく人は、様々な道程があるけれども、将来100%仏になるのだから、安心してよいのです。
 地震が起きて家が壊れようが、川が氾濫して家が水浸しになろうが、人が死のうと、法華経を信じる者は必ず将来仏になるのだから、慌てることはありません。
 「設えば灸治(やいと)のごとし。」
 例えば、灸治(やいと)のごとしです。お灸をすえた時には、「痛たた・・・」「あっちちち・・・」と言います。お灸が楽しいという人はまずいません。昔は体が悪いとお灸をすえたのです。お灸をすえられると、「痛たた・・・」と言うのですが、後はサラリと治ってしまうのです。
 災難というものは、ちょうどお灸のようなものなのです。その中で運が悪い人は命を落としたりするのですが、命を落とした人は仏にはなれません。生き残った人はどのような災難に遭おうとも、法華経を捨てないで頑張る者は必ず仏になるのです。
 将来、必ず仏になるのです。法華経を保つ人は、大変な偉い者になるのです。災害を乗り越えるごとに立派な仏になってしまうのです。ちょうど仏に向かっての一里塚みたいなものです。
「ここで、また越えた」と思うと、「仏になる道はこっちだよ」と言われて向かっていく先でまた災難があります。人生とはそうなのです。様々な災難が襲ってくるのです。それを乗り越えていくと仏になってしまうのです。
 法華経を保っているが故に、仏になってしまうのです。法華経を保っていない人は、同じ災難に遭っても、災難は災難で終わってしまうのです。ただ、災難から逃げ回るだけです。逃げ惑う人生です。それが人生になってしまい、業行の因果になってしまうのです。
 法華経を信じている人は、災難に遭うごとに仏界が強くなり、どんどん昇っていくのです。「また来たな。これを登っていこう!」と思うと、それぞれの災害はお灸のようなものになるのです。お灸をすえられて病気を治すようなものです。そのようになってしまうのです。
 それが法華経を信じる人と、信じない人では違うのです。一つは、そのように理解すればよいのです。本当に法華経を保つ人には、そのような災難は来ません。これは、前から僕は不思議だと思っていたのです。
 イエス・キリストや聖人と言われる人は、平気で難病の人に会って元気づけているのです。癩病患者にも愛の手を差し伸べているのです。癩病患者に触ったり、握手することは平気なのです。日蓮大聖人様も、正嘉の大地震や疫病の流行では何の被害も受けていません。病人に会って、元気づけていくのです。
 聖人は次元が違うのです。衆生のいる世界と違うのですそうなっていけばよいのです。「私は法華経を信じているから、どんな難でも乗り越えていきます」というのが信心です。それと同時に「私は災難には遭わない」と決めていくのです。
 その場合は、「人のことは知りません。私の場合は災難に遭いません」と決めていくのです。すると、本当に災難に遭わないのです。災難に遭う人は、何回でも災難に遭うのです。新潟地震で逃げたら、長岡地震に遭い、長岡地震で逃げたら、今度は阪神淡路大震災に遭うのです。そのような人は、災難に遭うべき方向に向かって引っ越しをしているのです。
 S君はそうです。地震でビルが大きく揺れて、迫ってきたのです。「これはもう終わりだ」と思って、地面に寝たのです。ビルが大きく揺れて迫ってきたと思ったら、また反対側に大きく揺れたのです。そんな災難に遭う人は、何回でも遭うのです。
 笑ってしまいますが、辛坊治郎さんはヨットで太平洋を横断しようとしたのです。すると嵐に遭い、自衛隊に助けられて九死に一生を得たのです。すると、今度は日本航空123便の墜落事故に遭遇したのです。そのようになってしまうのです。
 そのように難に遭う人は何回でも難に遭うのです。反対に災難に遭わない人は遭いません。だんだんと修行が進んでくるとわかってくるから、もう敵もいなくなってしまうのです。敵が出てくる間は、まだまだ未熟者です。修行が完成されてくると敵が味方になってしまうのです。そのような神通力が身に着いてしまうのです。
 昨日まで敵になって仇んでいた人が、修行が一段と進むと文句も言えなくなってしまうのです。正理会になど誰も文句を言ってきません。
 「当時はいた(痛)けれども、後の薬なればいた(痛)くていたからず。」
 大事な信心の心得です。皆さんも、このようになるように頑張ってください。

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この記事へのコメント

1. Posted by Vega   2019年11月08日 01:44
>修行が完成されてくると敵が味方になってしまう
そのような神通力が身に着いてしまう

中杉博士がそうです。
2. Posted by 行合84   2019年11月08日 06:58
中杉先生ブログ拝見いたしました。「当時はいたけれども、後の薬ならば、いたからず」とは、日蓮大聖人様は次元が確かに違います。災いは灸とは、分かり易い譬えですね。僕らは、日蓮大聖人様の法華経即ち、南無妙法蓮華経でしか成仏出来ないのです!中杉先生に、しっかりと学んで参りましょう!中杉先生講義ありがとうございました。
3. Posted by 主任教授 さえこ   2019年11月08日 09:16
5 今日の講義「災難は灸治(やいと)のごとし」拝読しました。

>「我等現(げん)には此の大難に値(あ)うとも、後生(ごしょう)は仏になりなん」

これは大事な御書ですね。
台風が吹き荒れて、日本列島水浸しです。

千葉の立山では、屋根が飛んだまま、まだ修理もできない家ばかりです。
台風15号、台風19号の被害を受けて、まだかたずけられない家は沢山あると思います。

そのような災害が来ても、法華経を保つ人にとってはお灸のようなものだと、日蓮大聖人様は言われているのです。

日蓮大聖人様御在世の当時も、正嘉の大地震や飢饉・疫病が流行り、「天変地夭飢饉疫癘遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ 骸骨路に充てり死を招くの輩既に大半に超え悲まざるの族敢て一人も無し」と『立正安国論』で言われています。
災害の後、鎌倉では骸骨の死体が転がっていて、誰も片付ける人もいなかったのです。

聖人は疫病にならないのです。
それが凄いところです。
聖人は、災害に遭わないのです。

法華経を信じた人は災害に遭うけれども、それはお灸のようなものです。
もっと信心が進むと「私は災難には遭わない」と決めていくのです。すると、そのようになってきます。
事実、中杉博士のいるところは、台風被害もなく、大雪で移動できないことはありません。
いつも「吹く風、枝をならさず」です。

しかし、正法を保っていない人にとって災害は災難です。
この違いをわかり、しっかりと正法を信受して離さないようにしていきましょう。



4. Posted by マリー   2019年11月08日 16:04
法華経を保っている人は100%仏になるのですね。
難を受けてもお灸をしているようなものでより強くなってしまうのですね。法華経修業者は如何なる難を乗り越えて強くなるのですね。
5. Posted by 大田   2019年11月08日 16:18
今日の講義拝読しました。

>「私は法華経を信じているから、どんな難でも乗り越えていきます」というのが信心です。それと同時に「私は災難には遭わない」と決めていくのです。
その場合は、「人のことは知りません。私の場合は災難に遭いません」と決めていくのです。すると、本当に災難に遭わないのです。

これは願いを叶える方法ではないでしょうか。

信じて、自分で決めて、言い切る。そこに迷いはないから願いが叶うのだと思います。

博士 ありがとうございます。
6. Posted by 青山   2019年11月11日 11:16
5 御講義有難うございます

当時はいた(痛)けれども、後の薬なればいた(痛)くていたからず。」このような信心でなければならいと思いました

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