2019年12月03日

人間の探究 1424 法華経を説く者に使われし

132
※ 無量義経徳行品第一には、怪獣が多く集まってきます。「是の如きを我聞きき。 一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆万二 千人と倶なりき。 菩薩摩訶薩八万人あり。 天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩・羅伽あ り。 」例え夜叉でも、鬼畜でも、法華経を説くならば仏のように敬うべし。


人間の探究 1424 法華経を説く者に使われし

「無智の者は此の経を説く者に使れて功徳をうべし、何(いか)なる鬼畜なりとも、法華経の一偈(げ)一句をも説かん者をば「当(まさ)に起(た)ちて遠く迎えて当(まさ)に仏を敬(うやま)うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし。」(松野殿御返事)

 「無智の者は此の経を説く者に使れて功徳をうべし」

 日蓮大聖人様は、「無智の者は、この経を説く者に使われて、功徳を受けなさい」と言われているのです。「無智の者とは何か?」というと、「仏教を知らない者」という意味です。
 「学問を知らないとか、歴史を知らない」とかではありません。この法華経の精神を知らぬ者は、無智なのです。何もわからないのです。少なくとも、「法華経を保っている人に使われて、仏教の功徳を受けなさい」という意味です。
 「何(いか)なる鬼畜なりとも、法華経の一偈(げ)一句をも説かん者をば」
 如何なる鬼畜とは、あまり評判の良くない者であっても、口から説いているのは法華経です。そうならば、「鬼畜でも口から法華経が出るならば、その鬼畜に仕えなさい」と言われているのです。
 悪い人間でも法華経を説いているということによって、その人に従ったほうがよいのです。そのほうが仏法の功徳は多いのです。「あの人は鬼畜だから言うことは聞かない」普段はそれで良いのです。
 しかし、「その鬼畜が法華経を説いているならば、鬼畜に使われて功徳を得なさい」と言われています。
 「何(いか)なる鬼畜なりとも、法華経の一偈(げ)一句をも説かん者をば「当(まさ)に起(た)ちて遠く迎えて当(まさ)に仏を敬(うやま)うが如くすべし」
 遠くから来た仏様を敬って「どうぞ、どうぞ」と自分の家に招き入れて、「どうぞ仏様、ご説法をお願いします」というように、「鬼畜であっても自分の家に来たならば、「どうぞ」と上座に座ってもらい、法華経の説法を聞きなさい」と言われているのです。その功徳も相当大きな功徳が得られるのです。
 「道理なれば仏の如く互に敬うべし」
 その鬼畜を仏のように敬いなさい。「法華経を説いてくださるのですか? 有難いですね。世間では貴方のことを鬼畜だと言っていますが、とんでもないですね。説かれている言葉は法華経の中の言葉であって、本当に有難いですね」と言うのです。
 日蓮大聖人様は、「遠く迎えて当(まさ)に仏を敬(うやま)うが如くすべし」と言われているのです。
 「例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし」
 例えば、それは宝塔品で釈迦と多宝の二仏が「善哉善哉(よきかな)、善哉善哉(よきかな)」と言って、空中に浮かび上がって、お互いにうなずき合うのです。「よかったですね」と二仏がうなずき合うのです。それを二仏並坐(にぶつびょうざ)といいます。
二仏が並んで空中に浮かび上がり、その前には大衆がいるのです。二仏が浮かび上がり多宝塔が出てくるのです。その中で釈迦と多宝の二仏がうなずき合って、「法華経ですか、よかったですね」とうなずき合っているのです。そのような気持ちをもって鬼畜を敬いなさい。
これは大事です。深く考えてみなければいけません。法華経の功徳が皆、わからないのです。法華経を説法しても大衆はわからないのです。今、僕が法華経の説法をしていますが、何人がわかっているのでしょうか?
法華経の功徳とは、何を言っているのでしょうか? わからないでしょう。日蓮大聖人様は、きちんとわかっていらっしゃるのです。「法華経の一字一字は金色の仏身だ」と言われているのです。法華経の中に説かれている一つの一つの文字は、そのままで金色の仏身です。法華経の一字一字は仏なのです。
法華経を読んだ場合、全てが仏なのです。信仰心がないと、そう見えないだけです。信仰心があると、法華経に書かれている字の全てが仏に変わるのです。僕が見るとそのように見えるのです。
二乗が法華経を見ると虚空と見て、仏界の人は法華経を仏と見るのです。二乗とは、声聞・縁覚です。これは、法華経を見ると「虚空(こくう)がある」と見えるのです。虚空とは、「空なる世界がある」と見えるのです。それではダメなのです。
もう一歩進んだ時に、法華経こそが実存だとわかるのです。「法華経は空を説いているのだ」と見たら、この世の中が虚しくなり、「この世は空なのだから意味がない」と思うと現世が消えてしまいます。二乗は法華経を虚空と見ているのです。
しかし、法華経は実存の法です。虚空を一歩超えてみると、その空なるものの中に実存(じつぞん)が浮いてくるのです。実存(じつぞん)が浮いてきたように見える人は、「仏身とは法華経だな」とわかってきます。
法華経は文字を書いたものではありません。仏のご境涯を現しているのですから、大変有難い仏身です。そのご境涯を鬼畜であろうとも説くならば、それを聞いた我等は功徳を受けるのです。そのような意味です。これは意味が深いのです。また、機会があったら講義したいと思います。

★★★事務局よりお知らせ★★★

アメーバブログで、「中杉 弘の徒然日記」
好評連載中です!!
     ↓
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi


人気blogランキング、よろしくね!
  ↓↓↓


         コメントは、ここにお書きください↓↓↓

nakasugi_h at 00:00│Comments(6)clip!


この記事へのコメント

1. Posted by 青い雲の上から   2019年12月03日 02:47
もしかして

二乗の次の段階⇒菩薩ですね
折伏ですね

次回が楽しみです。
2. Posted by 行合84   2019年12月03日 05:45
中杉先生ブログ拝見いたしました。中杉先生は、今日のタイトルを、法華経は実存の法と仰いました。そして、法華経の一字一字が金色の仏身であると述べられました。成仏の法である法華経は途轍もない存在であるということになります。僕ら正理会の一人一人がこの事を知らない人達に伝えていく事が重要になってまいります。日蓮大聖人様の仏教、即ち、南無妙法蓮華経を、知らない人達に伝えていく事が大切であると思います。実存の法とは、言い換えると、成仏の法であると思います。一人でも多くの方々を、成仏に導くことが、僕らの使命であると思います。中杉先生講義ありがとうございました。
3. Posted by 大田   2019年12月03日 11:46
今日の講義拝読しました。

今の私の姿は過去世に願っていた姿です。心は未だに九界を巡っています。

けれど法華経を学んでいる時の私は声聞衆の一人です。そのように思っています。
法華経の説法をしてくださる方がいたならばどんな人でも法華経の御説法をしている時のその人は仏様なのだと思います。

無智では説法は出来ません。私ももっともっと学びたいと思います。

博士 ありがとうございます。
4. Posted by マリー   2019年12月03日 15:36
法華経は文字を書いたものではありません。仏のご境涯を現しているのですから、大変有難い仏身です。そのご境涯を鬼畜であろうとも説くならば、それを聞いた我等は功徳を受けるのです

法華経の説法は大変ありがたいものであるということが分かります。
5. Posted by 愛子   2019年12月03日 22:16
>法華経こそが実存

現代の政治家だけでなく、日本人は法華経どころか、「ウソをつかない」という道理、当然のことすら分からなくさせられています。

博士より、宗教、思想、政治、人生について「何が間違っていて何が正しいのか」を日々学ばなければならない、そこから真の意味での信仰、幸福、成功、その先に成仏があると思います。
10. Posted by 青山   2019年12月07日 11:30
5 御講義ありがとうございます

信仰心をみがき法華経の一字一字は仏であるということを体得していく事も修行であると思いました。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔