2019年12月09日

人間の探究 1428 念仏無間

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※日本の念仏は法然と親鸞が始めたのです。二人とも妻帯していたのです。法然は、何処かで女を見たのです。女がちらついて抜けないのです。「俺は修行しなければいけない」と思っても、「女が欲しい」という欲望が出てきてしまったのです。(絵は中国の念仏の開祖ー善導)

人間の探究 1428 念仏無間

「柳の木に登りて、自ら頚(くび)をくくりて身を投げ死し畢(おわ)んぬ。邪法のたたり踵(きびす)を回(めぐら)さず、冥罰爰(みょうばつここ)に見(あらわれ)たり」(念仏無間地獄抄)

 日本の念仏宗の開祖は中国の善導です。念仏思想は中国から日本に渡ってきたのです。法然や親鸞がつくったのではありません。ある程度、念仏思想は出来ていたのです。善導は気の毒な人です。
 有りもしない念仏を信じていたのです。そこが問題です。有りもしない念仏にお願いしてどうするのでしょうか? 「阿弥陀様、極楽浄土へ連れていってください」と言っても、有りもしない、存在しない架空のものを拝んでいるのです。
 信仰とはそのようなものではありません。「死んだら西方極楽浄土へ逝ける」と説いていた善導は、体中が痛くなってしまったのです。現代で言うと、リュウマチのようなものです。ちょっと歩いただけで体中が痛いのです。
 もう苦しくて、苦しくて仕方がないのです。善導は「早く阿弥陀様の下へ逝くぞ」と考えて、柳の枝に首をくくり、飛び降りたのです。すると、柳の木がブランブランと揺れて、縄がちぎれて土手に激しく腰を打ち付けて、7日7晩苦しみ抜いて、腰の骨を折り、まっ黒になって死んだのです。
 日蓮大聖人様は、「仏法は現証です」と言われています。「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(三三蔵祈雨事)と言われています。理証とは理屈です。証文とは文章に書いてあると言っても、現証のほうが大事なのです。
 邪教は必ず現証が出るのです。念仏をやっている人はだんだん無口になって、消極的になってしまうのです。これが仏法勝負のところです。東條英機さんは、陸軍大将だったのです。陸軍大将なのに、念仏の盲信者です。
 するとどうなるのでしょうか? この国は神国と言われて、神が創りなせた国です。神の国ということは、全ての人間を生かして使うということですから、どんなものにも霊魂があり、八百万の神なのですから、世界はバラ色です。
 その中で人間の目的は、修理固成(すりこせい)です。この国はクラゲのようにユラユラしていて固まっていません。その中で人間が修理固成していくのです。そのために神様は人間を創ったと言われているのです。
 念仏の思想では、全てが焼け野原になってしまうのです。東條英機の頭の中では、「うわー、大変なことになった。天皇にも申し訳ない」と思っています。東京が焼け野原になり、原爆を二回も落とされたと思えば思うほど地獄です。「大変なことをした」と思ってしまうのです。
 東條英機は、陸軍大将になった時に泣いたのです。「責任を全て押し付けられて、これで俺の命は終わる」ということは、戦争をやる前からわかっていたのです。「こんな無謀な戦争をして世界中を相手にして戦ったら、俺が悪人になって終わる」と未来が見えていたのです。だから、泣いたというのです。それは東條由布子さんがそのように言っていたのです。
 念仏の地獄絵図というものを東條英機は見てしまったのです。それを説いた善導は、西方極楽浄土へ逝くのが待ちきれなくて、早々と首を吊ったのです。柳の枝が折れてしまったので、すぐに死ぬことはできず、苦しみ抜いて死んだのです。だいたいこれが念仏の大きな図式です。
 念仏をやっていると、この世界を嫌うのです。現世厭離(げんせえんり)です。この世を穢土と嫌がって、「早く死にたい」という思想です。念仏思想をもっている人は無気力です。
 念仏の信者は、「我慢するともうじき阿弥陀様が迎えに来てくれるべ。そうしたら、俺は西方極楽浄土へ生まれるのだよ。この世は苦しいのだ、早く阿弥陀様の世界に逝きたいべ」と思っているのです。
 だから織田信長と戦った西山本願寺の信者は強かったのです。早く死にたいのです。「早くやってくれ。俺には阿弥陀様がついているぜ。こんなところで死んでも俺は西方極楽浄土へ逝くのだよ。みんなで極楽浄土へ逝こうじゃないか!」と言って、「うわー」と武士に向かっていくのです。そのような戦争は、念仏の信者は向いています。現実世界は嫌うのです。そのような思想です。
 宗教はみんなそうです。最近では池田大作を教祖と思って崇めてきた創価学会の信者は馬鹿になってしまいました。池田大作は道理がありません。何を見ても、何を聞いても、道理が全くありません。
 何故、創価学会員が動いているのかというと、池田大作はパフォーマンスが上手いのです。「よっしゃー、先生がやってやるぞ。ヨイショ、ヨイショ!」というのは、すごく上手いのです。「よし、それでは今日は、先生が日本男児の歌を歌おう。やったるぜ!」「♪日本男児と生まれきて〜♪」と信者を乗せるのが上手いのです。池田大作は芸人なのです。中身は何もありません。
 宗教家というものは教える中身がなければいけません。池田大作には。中身がないのです。雰囲気で流れていくのですから、雰囲気を読み取ることが上手だったのです。それを称して石田次男先生は、「池田大作は信者の上に君臨しているのにすぎない」と言ったのです。
 新興宗教も歌を歌うのですが、念仏でも歌を歌うのです。御詠歌(ごえいか)と言います。「チンチンチン、ごくらくへ〜」という歌を歌い、オバアサンが5人くらいそろって家を周りお布施をもらうのです。その始まりは、歌が上手い坊主がいたのです。ハンサムで色が白くて、「御念仏の声が素晴らしい」と言われる坊主がいたのです。それに信者はついていくのです。
 信者は「あのお坊さんは御念仏の声がいい。ハンサムだ。この人がやるならば、私もついていく」というようなものです。大きくなった宗教団体には、そのようなスターがいたのです。芸能界もスターがいなければ、人気は出ません。ジャーニーズは、5人くらい並べておけば、誰か一人くらい好みのタイプがいるのです。一人だと、「好きか嫌いか」になってしまいますが、5人くらい並べていれば「あの人は嫌いだけれども、この人は好き」というのがいます。するとファンが増えてきて、武道館を満員にすることができるのです。
 念仏は芸能です。聖(ひじり)という念仏の坊主がいるのです。そいつらは、旅をして各地域を周り、盆踊りをしたのです。盆踊りというのは、念仏の坊主がつくりあげたのです。そこの地域でしかやらない踊りをやったのです。凄い秀才がいたのです。東北や新潟へ行くとみんな念仏です。
 それだけ念仏を広めたということです。まず、阿弥陀仏を信じればよいのですから、簡単な教えです。「何をやってもよいのです。貴方が善人になる必要はありません。悪人だからこそ、仏様が現れたのです。善人は自分で仏道修行して自分で救われます。良いことをしないのが悪人です。悪人は自分で救うことができません。だから阿弥陀様に救われるのです」という理屈になっているのです。
念仏の信者が、「そうか、悪人でも救われるのか。これはいいや、おらも極楽へ逝けるのか?」と聞くと念仏の坊主は「もちろん、極楽へ逝けますよ」と言うので、「よっしゃー、念仏を信仰するべ」ということになるのです。
 念仏の坊主は「何をやってもよいのです。貴方のような悪人のために阿弥陀様はいるのです」と言うのですから、「では、酒を飲むぜ、女も抱くぞ、博打もするぞ」となったのです。「どうぞ、どうぞ、何でもやってください。貴方こそ救われえるのです」と言ったのです。本当にそうなのです。
 念仏の集会に行くと、鳥をもっていくのです。鳥の首をチョンギって、血がたらたらと流れてくるので、それを飲むのです。「俺は悪人だぞ、こんなことができるぜ」と言って、生肉を食らうのです。「如何に自分が大物の悪人か」ということをみんなに見せたのです。
 「この俺は悪人だぜ。悪人の俺が救われるのか。本当だべか?」と聞くと「本当です。阿弥陀様に救われるのです」と坊主が言ったのです。
 入水念仏というものあります。「みんな、つまらないな。そろそろ極楽へ逝くか」と村長が言うのです。「それはなんだべ」と聞かれると「水に入って極楽へ逝くのだ。年貢の取り立てが厳しくて、もう疲れただろう。みんなで極楽へいくべ」と言うので、全ての村人が村長に続いて水の中に入っていったのです。
 「♪なむあみだーぼ、なむあみだーぼ、なみあみだーぼ♪」と念仏を唱えて水の中へジャップンと入っていくので、前の人から順番に死んでいくのです。それを入水念仏といいます。そのような念仏の信者で、そのようなことが起きてきたのです。念仏は悪いのです。
 だいたい、日本の念仏は法然と親鸞が始めたのです。二人とも妻帯していたのです。法然は、何処かで女を見たのです。女がちらついて抜けないのです。「俺は修行しなければいけない」と思っても、「女が欲しい」という欲望が出てきてしまったのです。
 遂に比叡山延暦寺の籠山行を辞めて、下山して還俗したのです。法然は「何ですか?」と聞かれると、「坊主にも非ず、そうかと言って仏教を勉強しているのだから、凡人でもない」、そのように言っていたのです。滅茶苦茶なのです。
 そのように人々をだます宗教ばかりです。創価学会に入れば、池田大作のように馬鹿で傲慢でウソつきになってしまいます。オウム真理教の麻原彰晃は処刑されました。よく宗教を見抜いていきましょう。本当の宗教は正理会にしかありません。そのことを確信して進んでください。


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この記事へのコメント

1. Posted by あいこ   2019年12月09日 01:27
テスト投稿
2. Posted by 青い雲の上から   2019年12月09日 04:59
大阪市の平野区の国鉄駅前には
ものすごく でかい念仏寺がありました。

自転車で たまたま通り
うわーーーすごい でかいと驚きました。


博士から中身を知りまして
なーーーんだ・・・そうなんだと
きちんと 理解できました。


成仏
現当二世


この言葉の意味を
正理会の博士から学ぶことができまして
感謝しております。


また
次回の記事を たのしみにしております。









3. Posted by 主任教授 さえこ   2019年12月09日 09:34
5 今日の講義「念仏無間」拝読しました。

今日の善導の絵を見て誰かに似ていると思いませんか?
中曽根康弘にソックリです。
気持ち悪いくらい似ています。

101歳まで生きたからといって、成仏したとは限りません。
中曽根のホモ説は本当だったのです。
ジュリーとも、長嶋とも関係があったようです。
いい加減にしてもらいたいですね。

日蓮大聖人様を苛めた良観も86歳まで生きています。
長生きをしたからといって、地獄へ逝かないのかというそうでもありません。
地獄へ逝くと決まった人間は今世では現証が出ない人もいます。

中曽根康弘がやったことは、歯磨き粉に日本男児の精子を減らす薬をまぜたり、日航機事故も中曽根康弘の時に起こりました。
靖国神社参拝を辞めたのも中曽根康弘です。

これだけ見ても大悪人です。
地獄逝きは大決定です。

グアンタナモ刑務所に収容されたというウワサもあったので、そのショックで死んだ可能性もあります。
いずれにしても中曽根康弘はロクな人間ではありません。

>念仏は芸能です。

念仏の毛坊主にだまされないようにしていきましょう。
4. Posted by マリー   2019年12月09日 13:57
よくおばさんがあの人の念仏は声が良いとか言いますね。落語家志望だった念仏の坊主がいます。念仏は芸能ですね。ありもしない極楽浄土を説き信者を無間地獄に落とす念仏は最悪ですね。
5. Posted by 大田   2019年12月09日 14:56
今日の講義拝読しました。

善導さんに中曽根さんの浮腫んだような顔はそっくりで驚きました。

多くの人間は自分の都合の良い方に考えるのだ思います。

法然も親鸞も自分の欲望を満たすために妻帯をしたのです。戒律を守らなかったのです。

戒律を破ったという因を作り、それを無智な大衆に広めたのです。縁によって果が現れた時はどうなるのか、頭が完全に狂っています。

それを信じた大衆も狂っています。

だから宗教は中身が大事だと分かります。

博士 ありがとうございます。
6. Posted by 青山   2019年12月11日 11:32
5 御講義有難うございます

人々をだます宗教ばかりだなと思いました。本当の宗教は正理会にしかありません。

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