2019年12月21日

『日本建国の謎に迫る』四国上陸

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※四国(しこく)は、日本列島を構成する島の一つである。 北海道・本州・九州とともに主要4島の一つでもあり[5]、この中では最も小さい。最高標高は石鎚山の1,982mで、福井・石川・岐阜県境の両白山地三ノ峰 (2128m) 以西の西日本では最も高い。面積は18,297.78km2で[1]、世界の島の中では、バナナル島(ブラジル)に次ぐ第50位の大きさである。四国には、徳島県、香川県、愛媛県、高知県の4つの地方公共団体(県)があり、4県総人口は約372万人であり、概ね横浜市人口に匹敵する。


『日本建国の謎に迫る』

四国上陸

 淡路島を平定して小さな王国を創った徐福は、四国に向かう前、念入りな事前調査をしたことでしょう。
 徐福が日本にやって来る前、弥生人たちがすでに四国に入り込んでいました。それを恐れた縄文人たちは、山に逃げ込んでいきました。山の上に集団疎開したのです。その時に、山上に古代の道路が拓かれました。そして、多くの人々の生活が成り立っていたのです。
 この道路は、時代とともにさらに拡大し、山の頂上をつなぐメインの道路から各尾根を走るように整備されています。現在の様子は、NHKで放映された『坂の上の雲』のエンディングにも登場していたので、覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。
 それを徐福は、事前調査で知っていました。徐福たちは土木工事の名人ですから、山の上で得意のため池工事を行い、いくつもいくつも現地の人のために掘ってあげたのです。のちに、それは弘法大師伝説にすりかわっていますが、最初に造ったのは徐福たちだったのです。
 飲料水がないと山上生活は大変です。雨水を貯めたり、山を降りて水を汲みにいったりしないといけません。そういう苦労をなくすためにあちこちにため池を掘ったのですから、徐福は尊敬され、みなが慕ってきたことでしょう。そして、山の下の方に水田を造るようにと農業技術の指導にもあたり、武力を使わずとも、たちまちにして四国の王となったのです。山上に暮す人々は、縄文時代以来の焼き畑農業を行っており、明治の中頃まで、四国では焼畑農業が続いていました。徐福の造ったため池のおかげなのです。
 ところで、歴史家の大杉博氏は邪馬台国四国山上説を唱えています。
 「さて、私が唱えている邪馬台国(四国山上説)の範囲は図の通りであるが、邪馬台国は、四国の山上の至るところに存在していた、高地性集落の集合体の国だったのである。四国の山地には現在も高地性集落が多数残っているが、それらの集落の畑の中を注意深く探してみると、弥生土器の破片や石器を見つけることができる。また、四国は山を焼く習慣が明治十二年頃まで続いていて、四国全体の山上はほぼ全部草山だったのである。そして山並みの稜線には全部、細い道路が通っていて、その道路から少し下った所に高地性集落があり、稜線沿いの道は古代の幹線道路だったというわけである。また、山上生活者にとっては飲料水の確保が重要であるが、四国の山上には大小無数の溜め池(または、池跡)が残っている。全部人造の池であり、池の周辺から弥生土器の破片が出土したり(徳島県)、池の中から弥生土器の完全な壷が回収されている(愛媛県)ことなどから、これらの池はほぼ全部、弥生時代以前に造られたものと推測できる」(『邪馬台国はまちがいなく四国にあった』たま出版)
 ところで、徐福は四国のどこに上陸したのでしょうか。私は、現在の金刀比羅神社(香川県)があるところに上陸したと思います。上陸した地点を記念して、のちに神社を建てたのです。金毘羅神社は、主祭神である大物主(ルビ おおものぬし)神を祀る神社です。神の名前は、後から作られたものでしょう。四国にある神社を調べると、何年に造って何年から始まったという記録がないのです。いつから始まったかわからないのです。そのような神社がほとんどです。それは、文献ではさかのぼれないほど創建が古いことを示しています。


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この記事へのコメント

1. Posted by シルバークロス   2019年12月21日 00:31
外部執筆者の原稿を受け取り、1日10本程度の記事を更新している。契約前に取材や記事執筆の経験がなくとも執筆でき、編集部ではニュースの真偽についてチェックしない、いわゆるコタツ記事である。
2. Posted by 長年の読者   2019年12月21日 02:32
>1

中杉博士は全てご自分で執筆されていることは周知の事実です。

ウソつきは○○人の民族性であり、博士をウソで陥れようとした者は、皆神罰、仏罰が下っています。
3. Posted by 行合84   2019年12月21日 06:54
中杉先生ブログ拝見いたしました。徐福が、淡路島に最初に入ったのは大正解です。彼らは、土木工事の専門家にとどまらずに、地政学的にも優れていたのです。神譲りの精神は、今でも日本国に八百万の神々様がいらっしゃるのが何よりもの証拠です。中国人のように、人肉食主義者ではなくユダヤ民族だったのです。モーゼの十戒の神様を信じる民族であり、人間として曲がった事は大嫌いな民族だったのです。自然の流れで大和朝廷が出来たのです。2800年の天皇陛下の歴史は、神武東征が、一つ一つを大切に積み重ねていった証であり、結果であったと思います。虚構の憲法を即時撤廃して、今こそ、神武天皇(徐福)の原点に帰ろうではありませんか!中杉先生講義ありがとうございました。
4. Posted by 青い雲の上から   2019年12月21日 21:57
神武天皇(徐福)なんですね。

ここが明快になれば
頭の中がクリアになれるように感じています。

誰かが どこかで歴史を
書き換えたのでしょうね。きっと・・・・・


少しずつ クリアになれると
信じて います。


5. Posted by 青山   2019年12月23日 12:58
5 御講義有難うございます

何年に造って何年から始まったといういつから始まったかわからないそのような神社が多く文献ではさかのぼれないというのは2800年もつづく日本の歴史をあらわしているのではと思いました。

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