2019年12月25日

人間の探究 1440 妙とは法性なり

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※法で成り立っているわけではないから、美人だった朱里エイコもババアになって、生活保護を受けてブクブクに太り、最期は死んでしまったのです。そこまで生命は入っているのです。

人間の探究 1440 妙とは法性なり

 「妙とは法性(ほっしょう)なり。法とは無明(むみょう)なり。無明法性一体なるを妙法と云(い)うなり。蓮華とは因果の二法なり。是(これ)又因果一体なり。経とは一切衆生の言語音声を経と云うなり」(御義口伝)

 「妙とは法性(ほっしょう)なり。法とは無明(むみょう)なり。無明法性一体なるを妙法と云(い)うなり。」

 まず、2つのことがあります。妙と法です。世の中のことを見てみます。すると皆、法則に従って存在しているのです。そのような見方をすることを、「鹿法(そほう)」といいます。鹿法とは、粗っぽい見方、愚かな見方のことです。
 本当は混然一体となって法則に基づいているのです。法の奥を見ると妙なのです。この妙を見たのが仏様です。「整然とした法は何処から出て来るのか?」というと、妙から出てくるのです。
 我々は今、法に従って生きています。どのような法かというと、男は男、女は女、馬鹿は馬鹿、利口は利口というように、様々な法則があります。法に従って生きているのです。その法は何処から出ているのかというと、妙から出ているのです。
 妙が現れたものが法なのです。法と妙は別のものではありません。法は法なのですが、法は妙から出来ているのです。人間の存在というものを妙法として見ている人と、単なる法としか見ていない人は雲泥の差があるのです。これを教えていくことを信心といいます。
 人間の存在は妙法から出来ているのです。妙は目に見えません。法は目に見えるのです。ところがそれを創り出している基になる法則の妙は、区別もないし見えません。「無量義は一法より生じる」(無量義経)です。
 その一法のことを妙というのです。妙とは、どのように見るのかというと見えません。これは感じ取ることしかできません。「俺に妙は関係ない。戦車で踏みつぶしてやる!」と言っている人は、まさに法しか見ていない大馬鹿者です。
 妙という世界があり、そこから法の世界が出来てくるのです。我々の命というものは、妙法・妙法と生きているのです。「妙は死、法は生なり。生死の二法は一心の妙用」とは、そのことを言っているのです。
 我々が生と現れているのは、妙から現れたことを言うのです。法だけを見ていくことを無明(むみょう)といいます。無明は明かりがありません。何故、明かりがないのでしょうか? 「生じるべき初めもなければ、死すべき終わりもない」。だから、無明というのです。
 「我々は何処から生まれて、何処へ行くのか?」ということがわからないのですから、真っ暗闇の中にいるのです。無明は法なのです。この妙法というものは、奥に妙があり、妙から生まれてきているのです。
 「我々は何処へ行くのか?」というと、また妙に帰るのです。そのような見方をしていくと、世界が全然違ってくるのです。例えば、売れっ子の芸能人がいます。「素晴らしい人だな。カッコイイ人だな」というのは、法を見ているのです。
 法で成り立っているわけではないから、美人だった朱里エイコもババアになって、生活保護を受けてブクブクに太り、最期は死んでしまったのです。そこまで生命は入っているのです。若くて美しい芸能人でも年を取れば生活保護を受けて、ブクブクに太り死んでいくのです。そこまで入って一つの命です。
その命は何処から出てきたのかというと、妙から出てきているのです。妙から法の世界に入って、法の世界が終わりまた妙の世界に帰るのです。
 ところが本人がそれを知らないと法の世界しか人生はないと思っているから、「私は若くて人気があって幸せだわ」と言っていても、年を取り若くなくなると人生を恨むのです。「私の人生は不幸だ。私の不幸な人生を恨んで・恨んで・恨んでやる」という心境になってしまうのです。元々が妙法から出来ているということを知らないからそうなるのです。
 「無明法性一体なるを妙法と云(い)うなり。」
 無明とは「明かりが無い」法のことを言うのです。法は無明を生んでいく源になるのです。無明と法は、一緒です。「無明法性一体なるを妙法と云(い)うなり。」と言うのです。そのように知って生きれば、何の問題もありません。
 「蓮華とは因果の二法なり。是(これ)又因果一体なり。」
 「何故、私は有名歌手になったのか?」というと、因果の理法があるのです。有名歌手になるだけのことは前世でしてきたのです。蝶々のように踊り、歌って、金を稼ぎ、派手な生活ができるという因果倶時・蓮華の法を踏んだのです。
 妙から法は生まれるのです。そこには必ず理由があるのです。理由もないのにいきなり恐竜に生まれたり、豚に生まれることはありません。人間もそうです。人間として生まれて人間としての務めを果たさないで、ヤクザになったり、人殺しをしたり、そんなことをやって生きている奴は心が人間ではありません。
 それにふさわしい因果が与えられて、次の人生が続くのです。ヤクザの来世はヤクザです。詐欺師の来世は詐欺師です。何処まで行っても終わりません。無明法性因果一体だというのですから、これが怖いところです。
 今、貴方が生まれてきて幸福なのも、過去世にやった因果によって幸福なのです。貴方はどうして幸せな人生がおくれると思っているのでしょうか? それは、過去にやったことが原因です。きっと良いことをやってきたのでしょう。
 それは妙なることに気が付かないと、福運を使いきってしまいます。お金持ちになるということは、お金持ちになるという因を過去世で積んだから、今世でお金持ちになれたのです。それが、汚いことばかりやっていると福運が消えてしまうのです。
 そのお金が今度は自分を苦しめるものとして来世が待っているのです。「無明法性一体なるを妙法と云(い)うなり。」とは、そのようなことです。そのように見ていくのです。「あの人はこのような因果があるのだな」と見えるから、宿命が見えてくるのです。そこで毎日修行していくと、「この人はこうだな」と見えてくるのです。
 宿命はなかなか変えられません。それは「妙法から出来ている」とわかった人だけが変宿命を変えていくことができるのです。それが宿命転換です。宿命転換をしなければ、この世で何をやってもダメなのです。
 普通の人は、この世で財産を使ってしまうのです。あの世でお金をコツコツ貯めて、「今世は幸せな人生を送りますように」と財産を使いきってしまうのです。「お父さんが金持ちで家が豊かでやりたいことが何でもできる」という家庭に生まれたならば、財産を使ってしまうのです。
 大学は慶應義塾大学に入学して、大学を卒業すると、大会社に就職して、よい嫁さんが出来て、そこまでは順風満帆です。これは何処の福運かというと、過去につくった因なのです。それを使ってしまったのです。福運を使ってしまうと、突然にして幸せが終わってしまうのです。終わってしまうと今までの生活のカスだけが残って、「お金持ちで生まれた」というだけで、今はお金持ちではありません。
 どんどん不幸になってしまうのです。やることなすことみんな上手くいかなくなってしまうのです。ガタガタガタと人生が崩れて、遂にはお終いになってしまうのです。それは「自分がその因を使っているのか、育てているのか?」と考えなければいけません。
 育てることを因果倶時というのです。来世に向かって努力して「俺はよいことをしているのだ。折伏して相手の人を救ってあげた。俺は来世に生まれてくる時にはもっと幸せになれるぜ」そのようにどんどん因を積んでいくことが大事です。そのことを因果倶時というのです。
 南無妙法蓮華経という言葉を分解してみれば、「南無」とは何もわからない自分の命のことをいうのです。何がわからないのかというと、「何処から生まれて、何処に行くのか?」ということがわからないのです。だから、無明の命なのです。
 無明のことを「南無」というのです。修行が進んで、「無明のことを南無というのか。無明は何処から出てきているのか? ああ、妙法から出来ているのか」と気が付いた時に、人生が妙法に見えてくるのです。
 それまでは見えません。仏道修行が進むと「妙法だったのか」と見えてくるのです。妙法をさらによく見ると、因果倶時不思議の一法なのです。「因果倶時不思議の一法により出てくるのだ」と見えて、全部見えてくるのです。すると、「あの人はこのような運命」「この人はこのような運命」と全てわかるようになるのです。全てピタリと当たるのです。
 わかりましたか? そのような修行をしていくのです。南無妙法蓮華経で見ていくとは、そのようなことです。


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この記事へのコメント

1. Posted by 行合84   2019年12月25日 06:40
中杉先生ブログ拝見いたしました。無量義は一法から生じていて、一法とは、妙法ですとはまさに、生命の実相ですね。生死の二法は、妙は死、法は生なりです。文章としましては非常に難しい言葉ではありますが、僕ら正理会の一人一人が、日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経の修業で成仏出来るのです!そのことを他者に伝えていく事が折伏であり、日蓮大聖人様の立正安国論の精神であると思います。中杉先生講義ありがとうございました。
2. Posted by 主任教授 さえこ   2019年12月25日 09:45
5 今日の講義「妙とは法性なり」拝読しました。

>妙が現れたものが法なのです。法と妙は別のものではありません。

ということは、生も死も同じことです。
死んでもなくらないとは、そのことを言っているのです。

共産主義の習近平が臓器狩りをして多くの人間を殺したように思いますが、何もなくなっていないのです。
ただ、自分がやった行いが残るのです。

ということは、殺して臓器を取った人間の数だけ習近平は同じ体験をするのです。
これが因果の理法であり、蓮華の法です。

日本に原爆を落としたエノラゲイの搭乗員も同じです。原爆で殺した数だけ同じ体験をするのです。
因果の理法は誰も免れることはできません。

今世で幸せな人も福運を使い果たしてしまえば、「昔は金持ちだった」というカスだけが残るのです。
あわれですね。

そうならないように良い因果を育てていきましょう。
今世で最高に良い因果を育てる方法は、中杉博士の『虚構の憲法』を自分も読み、人にも読ませていくことです。
折伏しない人は、自らの福運を使い果たして今世が終わるのです。
ですから、生まれた時から貧乏です。

そうならないように、『虚構の憲法』を多くの日本人に読ませて良い因を積んでいきましょう。
活動した分、それはソックリ貴方の良い因となり、来世にもっていけるのです。
さあ、貴方も『虚構の憲法』を日本国中の人に読ませて福運を積んでいきましょう。


3. Posted by 光明   2019年12月25日 15:44
裁き開始までの残り時間は、あと3年。

次のコンタクティ光明の動画を視聴して下さい。https://youtu.be/boC31YryDZQ
4. Posted by マリー   2019年12月25日 15:56
。「因果倶時不思議の一法により出てくるのだ」と見えて、全部見えてくるのです。

全ては妙法から出てくると分かり妙法とは因果倶時の一法によりでてくるのだなあと本当に分かれば宿命転換していくのですね。
5. Posted by 大田   2019年12月25日 16:00
今日の講義拝読しました。

「因果倶時不思議の一法により出てくるのだ」

だから私はこの姿でこの年齢になって、博士の指導を受けることが出来、正理会の皆さんに会う事が出来たのですね。

その縁を作ってくれたのが博士に会うまでの色々な出来事だったのだと思います。

不思議です。本当に不思議です。

博士 ありがとうございます。
6. Posted by 弥生   2019年12月25日 21:41
>法で成り立っているわけではないから、若くて美しい芸能人でも年を取れば生活保護を受けて、ブクブクに太り死んでいく

「そこまで入って一つの命」と、このように教えられているのは博士だけです
7. Posted by 青山   2019年12月26日 12:54
5 御講義有難うございます

自分がその因を使っているのか、育てているのか?」と考えていけるようにならなければならないと思いました
8. Posted by マリー   2019年12月27日 00:36
全ては妙から法に生まれてくるのですね。

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