2020年03月24日

人間の探究 1499 境智冥合(きょうちみょうごう)

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※500年前に発見されたアフリカの喜望峰。探検家ヴァスコ・ダ・ガマの船が来た時に土人達は「船が見えない」と言うのです。「ほら、あそこに船があるでしょう」と言っても、土人「どこにあるのですか?」と言うのです。「ほらっ、あそこにあるでしょう」と言うと土人「何も見えません」と言うのです。

人間の探究 1499 境智冥合(きょうちみょうごう)

仏法から見ると境というものは、人間がおかれている環境です。もっと言うと、その人が見ている世界ということです。
その人が見て「これが境だ」と思うのが、その人の見ている世界です。何が見えているのかというと、その人の命が映っているのです。見ている世界の境と、そこに写っている自分と思われるものが実は一つだと教えてくれたのが境智冥合(きょうちみょうごう)です。
見ている世界はどんな世界かよくわかりません。一番単純な境がわかるのは動物です。「食べ物か、食べ物ではないのか、この水は飲めるのか?」ということです。動物には「水」という言葉もありません。「食べ物」という言葉もありません。目を開けて見ると何かが見えるのです。そこでゴクン・ゴクンと水を飲みます。そのような世界です。しかも動物は言葉がないから、自分と環境が混然一体としているのです。
 例えば、海に行って水平線が見えます。その上に空が見えるのです。その区別はありません。動物には「これは空というものだ」「これは海というものだ」という区別はありません。
 人間は「海と空の真ん中にあるのが水平線だ」と見ます。動物には、空も海も区別がありません。従って水平線もありません。古代の人間もそうです。「天(アマ)」というのは、天です。「海(アマ)」というのは、海ですから、区別がありません。
 空と同じ海があるのです。空から海が続いているのです。「これは海だ。これは空だ」という区別は古代人にはありません。動物もそのように見ているのです。
 アフリカ大陸には、喜望峰があります。探検家ヴァスコ・ダ・ガマの船が来た時に土人達は「船が見えない」と言うのです。「ほら、あそこに船があるでしょう」と言っても、土人「どこにあるのですか?」と言うのです。「ほらっ、あそこにあるでしょう」と言うと土人「何も見えません」と言うのです。
 土人には、言葉で切り取って「これは船。船に乗っている人間は、我々と違う人間だ」という認識はありません。船というものを見たことがないから、「あれは何ですか?」と聞かれて、いくら見ようと思ってもわからないのです。そのようなものです。
 それが境というものです。人間は境だけで存在しません。必ず誰かの境です。境だけがあることはありません。誰かが見て、見えている側が境です。見えている側が智なのです。本当は境智冥合と言い、境と智の区別はありません。
 見ているのは貴方です。回りに環境があって、「環境を貴方がこのように見ています」と言いますが、本当はそうではありません。よく見ると、「見ている」というのは、その人の智なのです。
 智と境が別々にあるわけではありませんが、人間は別々に見えるのです。「感じ取っているのが私というものでしょう」、これが智なのです。「私が見ている世界は私の世界ではない」とこのように考えているのです。それは違うのです。
 境智冥合しているのが、本当の姿なのです。これを境智冥合と教えられるのです。南無妙法蓮華経の修行をしていくと何が見えてくるのかというと、境智冥合が見えてくるのです。
 境智冥合ということは、本来は無分別です。「境智冥合した世界とは何ですか?」というと、無分別です。「境は境、智は智だ」と思うのは、「これは山」「これは川」「これは海」と教わるからそのように見えるのです。
 本当は境も智も混然一体となっているものですから、区別などできません。それが実は、境の正体です。境の正体とは貴方が見ている智なのです。境智冥合なることを極意と言うのです。
 自分を離れた境など絶対にありません。境があれば必ず智があるのです。智があるから境を見ているのです。そのようなことを考えていくと、人間原理主義宇宙論という考え方が出てくるのです。
 宇宙は人間が創ったのです。言われてみるとそうなのです。「宇宙は人間原理主義なのだ」と言っている人もいます。これは仏法ではありません。宇宙は全て人間が創ったものなのです。
 智がなければ境はありません。「宇宙の始めに何があったのか?」というと、智があったのです。智が境と智に分かれたのです。宇宙の始めにあったものは、智と境です。どちらが先にあったのかというと、やはり智が先にあったのです。
 智が境を生んだのです。生命がなければ、境など絶対に生まれません。どんな生命でもそうです。木という智があったら、木の境があるのです。いずれにしても、この智というものがなければ、何も生まれません。
 様々な無量の義があって、人間世界があるのです。全てこれは無量の義であって、一法より生じるのです。一つの法から生じているのです。「一法から生じるものは何ですか?」というと、境智冥合です。
 人間は様々な物を見て分別していますが、境智冥合です。境と智が分かれているはずがありません。ということは、全ての人間にとって境は、素晴らしいものであるはずです。「コロナウイルスに感染した」「難病に感染した」というのは、境がそぐわないのです。本来持っている智が、「明るく正しい」と思うと、境もそうなるのです。
 どんなに境がよくても、智が悪いと全てが地獄に見えてしまうのです。そうなるのです。地獄というものも、その人が創りだした境智冥合の世界です。反対に智が仏界だと境も仏界になってしまうのです。
 自分が仏界だと「聞くもの、見るもの、全てが素晴らしいな。まさにここは仏の世界だ」と思えてくるのです。それを境智冥合と言うのです。
 日蓮大聖人様の本因妙の仏法というものは、智の確認です。別の角度で言うと、因ということです。原因の因です。因があって、貴方はどのような世界を見るのでしょうか? 貴方は地獄の世界を見ているのでしょうか? 貴方は仏の世界を見ているのでしょうか?
 「この因は何処から出てきたのか?」というと、それも業行の因果と、修行の因果に別れてくるのです。仏道修行とは何かというと、見ているものが毎日変わっていかなければいけません。
 仏道修行が進めば、智が進んでいるのです。智がどんどん向上していくことが、仏道修行です。すると境も変わるのです。「チキショウ、世の中は面白くないや。俺ばかり貧乏くじを引いているじゃないか!」と思っている奴は、そのような因で世界を見ているのです。恨んでいるのだから、恨まれるような世界を見るのです。
 すると、「自分だけなぜこんなに不幸なのだ」という恨みの世界を見るのです。恨みの因をつくって、また恨みの因を生んで、どんどん恨みの因をつくるから、地獄へ向かってまっしぐらに進んでいくのです。(△紡海)

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この記事へのコメント

1. Posted by 主任教授 さえこ   2020年03月24日 11:17
5 今日の講義「境智冥合(きょうちみょうごう) 彷卞匹靴泙靴拭

>見ている世界の境と、そこに写っている自分と思われるものが実は一つだと教えてくれたのが境智冥合(きょうちみょうごう)です。

境と智はもともと人間に備わっているのですが、仏教を学んでいない人は、「境は自分ではない」と思っています。

自分が創り出している世界ですから、境も智も自分が創り出しているのです。

>境智冥合しているのが、本当の姿なのです。これを境智冥合と教えられるのです。南無妙法蓮華経の修行をしていくと何が見えてくるのかというと、境智冥合が見えてくるのです。

これがわかると実は、不幸は自分が創り出しているとわかります。
「私が不幸なのは、あいつのせいだ」というのは、本当はありえません。

しかし、馬鹿とキチガイは反省ができません。
そのような人が人のせいにするのです。
自分が不幸なことを人のせいにしても、境は何も変わりません。
智が変わらないと境は変わらないのです。

邪悪な心を反省して、自分の智を変えれば境も変わるのです。
境智冥合です。

>仏道修行が進めば、智が進んでいるのです。智がどんどん向上していくことが、仏道修行です。すると境も変わるのです。

仏道修行をしている人は、自分の智を仏と変えていくことができるのです。
こんな有難いことはありません。
真剣に勇猛精進していきましょう。


2. Posted by 大田   2020年03月24日 13:50
今日の講義拝読しました。

上手く行った時は自分の力量、悪い時は人のせいと思いがちです。

でも良い時も悪い時も自分の一念がそうしているのだ、と分かった時から変わったような気がします。

博士 ありがとうございます。
3. Posted by マリー   2020年03月24日 14:51
境地冥合とは無分別の世界であることが分かりました。自らを反省していかなければならないと思います。
4. Posted by 事情通   2020年03月24日 19:52
>「コロナウイルスに感染した」「難病に感染した」というのは、境がそぐわない

日本人の感染者は、実は日本人ではなく、帰化日本人(実際は中・韓国人)らしく、
神の遺伝子と言われるYAP遺伝子を持つ日本人にはあまり感染しないようだ。
5. Posted by 愛子   2020年03月24日 20:25
中杉博士、本日もご講義ありがとうございます。

>仏道修行が進めば、智が進んでいる
智がどんどん向上していくことが、仏道修行
すると境も変わるのです。「チキショウ、世の中は面白くないや。俺ばかり貧乏くじを引いているじゃないか!」と思っている奴は、そのような因で世界を見ている
恨んでいるのだから、恨まれるような世界を見る

朝鮮人、中国人がそうです。

朝鮮は大恩ある日本に「日本が強制的に朝鮮を植民地にし全て奪った!」、中国は武漢肺炎を日本由来とウソをつき、日本からこれまで多大な援助を受けていながら、領空、領海侵犯を繰り返し、沖縄まで中国領とウソを主張、そのような智を向上させるどころか、日本を貶めるウソをつき続けていますが、何事もなく済むはずありません。

実際、朝鮮、中国ではデモや暴動が頻発、中国の軍閥はもう習近平のコントロール不能、武漢肺炎終息もウソ、ウソという虚構の上には何も成立するはずなく、両国とも本当に滅亡してしまうでしょう。

6. Posted by 青山   2020年03月28日 02:09
5 御講義有難うございます

智がどんどん向上していく仏道修行をしていかなければならないと思いました

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