2020年03月26日

人間の探究 1501 猶多怨嫉(ゆたおんしつ)多し

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※福富太郎には猶多怨嫉がなかったのです。「この道で一生懸命、仕事をしよう」と思うと、オーナーが見ていてポンと偉くなれるのです。銀座ハリウッドは、新橋の結構大きな店でした。みんなそうです。お金持ちは後継車を探しているのです。


人間の探究 1501 猶多怨嫉(ゆたおんしつ)多し

 「夫れ以んみれば末法流布の時生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉の難甚しかるべしと見えて候なり」(如説修行抄)

 何しろ、仏道修行で一番大敵なことは、怨嫉(おんしつ)です。怨嫉(おんしつ)とは、どのような意味かというと、「羨(うらや)む」ということです。「あの人はいいな」と羨むだけならばよいのです。
 「私もあの人みたいになりたいな」と言っているかぎりはよいのですが、次に恨むのです。「なんで、あの人ばかりよいのだろうか? 私は貧乏なのに、あの人はお金をもっている。くそ〜〜〜!」ここから怨嫉が始まるのです。
 「なんとしても、あの野郎を引き摺り下ろしてやる!」と思うのです。特に猶多怨嫉は女性に多いのです。「あの人は素晴らしいわ。あの人のようになりたい」と思うまではよいのです。
 ところが、いつまで経っても自分はあの人のようになれません。誰かが出世して偉くなると、自分が貧乏のままだと「ぐやしい〜〜〜! なんで私ばかりこうなの? あの人を呪い殺してやる! 恨んでやる! これ以上の成功はさせないぞ!」と妬むのです。これが猶多怨嫉です。
 恨みが入ってくるのです。こんなことではダメです。仏道修行をやっていて、怨嫉をしている限り、その人は絶対に成仏しません。仏になっていくということは、テーマは「自分」です。
 人が帯を買おうと、着物を買おうと、そんなことはどうでもよい話です。自分の欲しいものが手に入ってくるのです。欲しくないから入ってこないのです。そうなのです。欲しかったら、何でも入ってくるのです。
 欲しくないから何も入ってきません。それが自体顕照(じたいけんしょう)という姿です。自分で自分の運命を感じ取っている姿は、自体顕照です。
 「自分はどのような運命をもっているのか? どのように境智の二法が見えるのか? 何故、そのように見えているのか?」ということです。本当は全ての原因は自分にあるのです。それなのに人を恨んでいるのです。人を恨むということは、自分を恨んでいるのです。
 本当は全て自分のものなのに、「あの人が羨ましい。私は恨んでやる。一生許さないぞ!」と人を怨んでいるのです。何を許さないのでしょうか? そのような人間を「猶多怨嫉多し」というのです。
 末法は猶多怨嫉の衆生が多いのです。根性が曲がっているのです。本来、自分の心を変えていかなければいけないのに、自分の心を変えないで人を恨んで、妬み、そねみ、邪悪な心が全て入っているのです。そのような人間は、悪口を超えているのです。
 お金持ちになったり、豊かになる方法はいくらでもあります。一番の良い方法は、お金をもっている人と仲良くすることです。すると、お金は入ってくるのです。「あの人は絵が上手いな。素晴らしいな」と思ったら、その人に弟子入りすればよいのです。
 その先生から学んでいけばよいのです。その先生の絵だけを見て「素晴らしい絵だな」と思っていても、そこに住みこんでみると、うるさい先生だったりするのです。内弟子になると、必ずそうなるのです。
 外部から絵を見て「素晴らしい先生だから尊敬します」というのではなく、本当に尊敬したならば、弟子入りしないと極意はつかめません。日常生活の24時間があって、一つの絵ができてくるのです。すると絵だけを学ぼうとしてもダメなのです。影に隠れて出てこない24時間の日常生活のほうが大事です。どのようなご飯の炊き方をして、どのような寝方をして、どのような新聞を読んで、どのような生活をしているのか?」ということが大事です。
 先生が「新聞を取ってくれ」と言われたら、「はい!」と新聞を出せるくらいの近い距離にいないと先生のことはわかりません。するとだんだん命が溶けてきて、弟子と師匠の命が似てくるのです。
 先生が「あれ」と言ったら、他の人にはわかりませんが、弟子にはわかるのです。先制に「あれをもってこいや」と言われて、「先生、あれって何ですか?」と言っているようではダメなのです。
 「あれ」と言われたら、「あれ」とわかるようにならないといけません。修行が進めばそうなるのです。そうなるために弟子入りしているのです。それを絵だけを見て「先生の絵は上手いですね」といくら言っても自分の絵は上手くなりません。
 落語家もそうです。何故、落語家の弟子になるのでしょうか? 弟子になるということは、そのようなことがわかっていくということです。剣術も、踊りもそうです。歌手もそうです。必ず作曲家に預けられて、2〜3年の修行をするのです。
 ヤクザもそうです。親分について修行をするのです。何年間もやらないと、本当の弟子にはなれません。危ない奴を組員にしたら大変です。あちこちで喧嘩をやれば、抗争になってしまいます。そのような奴ではないかを見極めるために、親分の家に住み込むのです。3年間雑巾がけをして、親分の背中を流して、表で親分として振る舞っている以外のことを学ぶのです。
 3年間くらい修行して、初めて一人前のヤクザになるのです。一人前のヤクザになり、親分から盃をもらうと、くだらない喧嘩などもうしません。喧嘩というのは、親分の許可を得て、「喧嘩をやりますけど、いいでしょうか?」とお伺いを立てないと、大変なことになります。
 勝手に出先機関が「コノヤロウ、ぶっ殺してやる!」と喧嘩を始めたら、すぐに抗争になってしまいます。そんな奴は、絶対に組員にはなれません。他の組織もみんなそうです。弟子入りして住み込んで修行しないと一人前にはなれません。
 先輩に素晴らしい人がいて、親分が可愛がっていると、それを恨むのです。最初は、「兄貴のようになりたいな」と思っていても、「なんであいつばっかり親分の目が向くのだろうか?」と、猶多怨嫉が始まるのです。それが進むと「チキショウ。よし、あの野郎を俺がぶっ殺してやる!」と考えるようになるのです。これが猶多怨嫉です。
 仏教でもそうです。「日蓮大聖人様は、素晴らしいと思ったけれども、俺は褒められない。憎たらしいな。よし、悪口を言ってやろう」と思っていて、それが進むと「殺してやろうか」となってくるのです。
 そうなると、もう仏道修行ではありません。全ての前進を阻むものは、猶多怨嫉です。お金持ちになりたかったら、お金持ちと仲良くするという話もそうです。そうすれば、お金持ちのものの考え方がわかるのです。
 「ああ、このような考え方をすればお金持ちになれるのだな」。或は、「お金持ちの考え方は貧乏人とは違うのだな」とわかればよいのです。お金持ちと仲良くしていれば、仕事をくれるかもしれません。お金持ちを敵に回して「この人ばかりお金をもっていて、変なことばかりやって贅沢な暮らしをしている。よし、呪い殺してやろう」と思えば、猶多怨嫉です。
 猶多怨嫉が始まってしまったら、もうその世界から逃れられません。地獄へまっしぐらです。本当にそのような奴ばかりです。僕と一緒に仕事をやれば、みんな得をするのです。それが嫉妬でわからなくなってしまうのです。「会長はいいな。もう何億円も貯めたらしい」などと思うのです。何を馬鹿なことを言っているのでしょうか? 僕は一銭もお金などもらっていません。しかも、何十年もです。そのような人と仲良くしないといけないのです。すると、自分もお金持ちになれるのです。
ところが、「あいつばかり羨ましいな。よし、引き摺り下ろしてやる!」と考えるのです。みんなそうなのです。それでかっぱらいを考えるのです。情けない連中です。これが猶多怨嫉です。
自分が前進して「お金持ちについて修行していこう」と思えば、自分もそうなってしまうのです。銀座のハリウッドの福冨太郎がそうです。18歳以上でないと、水商売をやってはいけません。福富太郎は、17歳の時に水商売に入ろうとして、18歳だと偽ってボーイになったのです。
それから、もの凄く働いたのです。休みの日も一人で行って、店の中を掃除して、トイレを掃除していたのです。それがオーナーに見つかったのです。「君、17歳なの? 休みの日も働いて凄いね。よし、わかった。今度、銀座にハリウッドというキャバレーをオープンするから、君が店長でやってみなさい」と言われたのです。福冨太郎には猶多怨嫉がなかったのです。
「この道で一生懸命、仕事をしよう」と思うと、オーナーが見ていてポンと偉くなれるのです。銀座ハリウッドは、新橋の結構大きな店でした。みんなそうです。お金持ちは後継車を探しているのです。
「俺は財産が出来たけれども、どうしようかな。子供はロクなものではないので、ちゃんとこの仕事を引き継いでくれる人がいるならば、全て任せたい」という目で見ているのです。
「Yは、どうだ?」「これはダメだ」「Tはどうだ?」「これもダメだよ」となってしまうので、後継者にはなれないのです。すると、その段階で「俺のことをダメだと思いやがったな。今度、引き摺り下ろしてやる!」と思うのです。これが猶多怨嫉です。
何事でも猶多怨嫉ということを頭に置いて、行動しないと成長しません。貴方が貧乏なのも猶多怨嫉してきたからです。先輩に対して、友達に対して猶多怨嫉をしてきたから貧乏なのであって、苦しいのです。仏道修行も全く同じです。

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この記事へのコメント

1. Posted by 大田   2020年03月26日 16:29
今日の講義拝読しました。

猶多怨嫉は恐ろしいです。ある日突然、苛めにあうのです。

妬み・嫉妬など、自身は全く身に覚えがないけれどそうなるのです。

苛められるのは一人、苛める方は複数人です。エスカレートして取り返しのつかない事になるのです。

何かを極めようと思う時、師に学んで極めるしかありません。
仏になりたいと思う時、博士に学び、指導を受け仏道修行をするしかないのです。

人を中傷したり誹謗したりする暇はありません。そう思います。

博士 ありがとうございます。
2. Posted by 主任教授 さえこ   2020年03月26日 19:06
5 今日の講義「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)多し」拝読しました。

>仏道修行をやっていて、怨嫉をしている限り、その人は絶対に成仏しません。仏になっていくということは、テーマは「自分」です

テーマは自分だということを忘れるから、人を恨んだりしてますます地獄因を積んでしまうのです。

正法を素直な心で信受していきましょう。

3. Posted by マリー   2020年03月26日 20:54
猶多怨嫉が強い人とは縁を結んではいけないと思いました。
4. Posted by 弥生   2020年03月27日 01:56
>何事でも猶多怨嫉ということを頭に置いて、行動しないと成長しません。貴方が貧乏なのも猶多怨嫉してきたからです。先輩に対して、友達に対して猶多怨嫉をしてきたから貧乏なのであって、苦しい

以前のご講義「貴方は今、何の一念に南無したのでしょう。それが貴方の結論であり出発点」と教えられたことを思い出しました。

猶多怨嫉ばかりしているとそれが「結論」であり出発点となるから貧乏、苦しい、となります。
5. Posted by 青山   2020年03月28日 02:39
5 御講義有難うございます

何事でも猶多怨嫉ということを頭に置いて、行動する事が大事であると思いました。

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