2020年08月10日

人間の探究 1598 止舎利弗(やみねしゃりほつ)

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※ミリンダ王と、ナーガセーナ
『ミリンダ王の問い』(Milinda Panha, ミリンダ・パンハ)は、仏典として伝えられるものの一つであり、紀元前2世紀後半、アフガニスタン・インド北部を支配したギリシャ人であるインド・グリーク朝の王メナンドロス1世と、比丘ナーガセーナ(那先)の問答を記録したものである。

人間の探究 1598 止舎利弗(やみねしゃりほつ)

「爾時世尊。従三昧安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。一切声聞。辟支仏。所不能知。所以者何。仏曾親近。百千万億。無数諸仏。尽行諸仏。無量道法。勇猛精進。名称普聞。成就甚深。未曾有法。随宜所説。意趣難解。舎利弗。吾従成仏已来。種種因縁。種種譬喩。広演言教。無数方便。引導衆生。令離諸著。所以者何。如来方便。知見波羅蜜。皆已具足。舎利弗。如来知見。広大深遠。無量無碍。力。無所畏。禅定。解脱。三昧。深入無際。成就一切。未曾有法。舎利弗。如来能種種分別。巧説諸法。言辞柔軟。悦可衆心。舎利弗。取要言之。無量無辺。未曾有法。仏悉成就。止舎利弗。不須復説。所以者何。仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言」(妙法蓮華經方便品第二)

『ミリンダ王の問い』では、ミリンダ王が問いを出して「これはどうなのでしょうか?」と質問をするのです。例えばここにロウソクがあります。このロウソクの火を吹き消します。また、次のロウソクに火をつけます。すると、この炎は、最初の消した火と同じなのでしょうか?」という質問です。
それに対してナーガセーナが答えるのです。それは、生命のことなのです。「生命とは、どのようなものなのでしょうか?」ということなのです。「霊魂は存在するのか?」ということをロウソクの火の喩えを使って説いていくのです。
「霊魂はありますか?」と質問をされると、「そのような質問は良い質問ではない」と言うのです。さらに「霊魂はあるのでしょうか?」と聞くのです。結論は、「霊魂は有ると言えばある。無いといえばない」と言うのです。そこで火の話が出てくるのです。
「ロウソクの火を吹き消して、次のロウソクに火をつけます。すると、この火は同じ火なのでしょうか?」と聞くのです。
「霊魂の話は私がいくら話してもわからないだろう。それは有るか、無いかということは、貴方の成仏に何の関係もないことだ。霊魂が有ると思っても、無いと思ってもそれは貴方の修行に関係ありません。私はその問題は答えません」というようなことが書いてあるのです。
故・小室直樹先生のお勧めの仏教書が『ミリンダ王の問い』です。結局、仏教はそこなのです。「霊魂は有るのか、無いのか? 有るのであれば、どのような状態であるのか? 前の生命は、今の生命と続いているのか、どうなのか?」ということが最終的な問いです。この問題は悟った人でなければわかりません。
そのようなことを考えると仏道修行をする者にとっては、かえって害になります。「霊魂が有るのか、無いのかということに頭を悩ますよりも、日々の仏道修行をしていったほうがよいのだ」という考え方です。おそらく、舎利弗もそのような質問をお釈迦様にしたのです。
だから、お釈迦様は「舎利弗よ、止めなさい。お前にはもう説かない」とお釈迦様は言われたのです。多分にそのようなところがあるのです。舎利弗は、「インドで一番頭の良い人」と言われても、お釈迦様は「くだらない質問をするな」と言われて答えられなかったのです。
ということは、その上の質問があるのです。その上のものを理解しようと思うと、自分の頭で理解しようと思ってもわかりません。仏教は体験するものですから、頭で考えて理論整然と述べても、何もわかりません。
仏教は体得するものですから、「質問に対してすぐに答えを出す」というものではありません。もし、そのような質問をする者がいるならば、「不須復説(ふうしゅうぶうせつ)」です。それは、「また、説くべからず」という意味です。「そのような質問をする者がいたら、そのように言いなさい」という教えでもあります。
人間はどうしても頭で理解したいと思うのです。立正大学の学者、が頭の中でこねくり回してしても、仏教は何もわかりません。仏教は体験の世界です。いくら頭で考えても、自分で体験しなければわかりません。
では、この答えは何かというと、「森羅万象があり、お経を唱えることも仏教のうちですが、仏教の全てではありません。座禅を組むことも、仏教のうちであるけれども、仏教そのものではありません。
いろんな仏教の儀式があり、リンを鳴らしたり、木魚を叩いたりします。それも仏教のうちではありますが、仏教ではありません。「仏教はどこにあるのですか?」というと、日常生活の中に全ての仏教があるのです。
朝起きて、ご飯を食べるのも、散歩をするのも、経典を読むのも、みんな仏道修行です。何から何まで仏道修行です。だから、日常生活が出鱈目ではいけません。真剣にあらゆることを、「毎自作是念(まいじさぜねん)」していくのです。
毎日・毎日、怠ることなく日常の作務をやっていくことが仏道です。お寺でお小僧さんが庭をほうきで掃くのも仏道です。先輩たちのためにご飯をつくるのも仏道です。お掃除する、雑巾がけをする、それも仏道です。人に説法をする、それも仏道です。死んだ人に向かってお経を唱える、これも仏道です。
全て「仏道に非ざることなし」です。日常生活の朝起きてから、夜寝るまでの全てが仏道です。仏道を真剣に修行することによって、だんだんと命が見えてくるのです。真剣にやらない人には仏道など見えてきません。
仏道修行者が「仏教がわかりません」と言われたら、「もっと真剣にやりなさい!」と言われて終わりです。「お前は何を怠けているのだ、もっときちんとお経を唱えなさい。掃除をしなさい。毎日の作務をやりなさい。全て仏道につながっているのだぞ」このような指導が大事です。
江戸時代には石田梅岩という人がいて、石田教学をつくったのです。「お坊さんがお経を唱えているだけが仏道ではない。お経を唱えている時間がない人はどうするのだ? 日常の中に仏教があるのだ。武士は武士として戦うのが仏道だ。商人は一生懸命商売道に励んでいく中に仏道があるのだ」。このような考え方を石田教学というのです。
「石田先生のお話を聞くべ」と、石田梅岩の下に商人が大勢集まったのです。「そうだったのですか、毎日の中に仏道があるのですね」とわかったのです。挨拶の中に、説法の中に、ニコニコ笑って人と接する時、全て仏道の心を持って接するのです。
そのようにしていくと、だんだんと体得して悟りに向かって歩んでいくことになるのです。舎利弗のように頭だけで考えて「これはどうなっているのですか?」という中に仏道はありません。何気ない動作の中に仏道はあるのです。
仏壇にお榊を備えて、リンを鳴らして、「南無妙法蓮華経」と唱えることも立派な仏道です。朝1回「南無妙法蓮華経」と唱えることは、できるでしょう。創価学会のように「12時間お題目行」などとやっていたら、他のことは何もできません。朝から晩までお題目を唱えていたら、日常の仕事は何もできません。畳が腐るだけです。
頭がもうろくして、老化現象が進むだけです。仏道修行とは、そんなものではありません。これが大事なお釈迦様の「止舎利弗(ししゃりほつ)。不須復説(ふうしゅうぶうせつ)。」という教えです。

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この記事へのコメント

1. Posted by 一国民   2020年08月10日 01:26
>「霊魂が有るのか、無いのかということに頭を悩ますよりも、日々の仏道修行をしていったほうがよい
全て「仏道に非ざることなし」です。日常生活の朝起きてから、夜寝るまでの全てが仏道
仏道を真剣に修行することによって、だんだんと命が見えてくる

このように教えられているのは博士だけです。
どの教団も御書など自分たちに都合良く解釈し、自己の正当性を主張しているだけです。
2. Posted by マリー   2020年08月10日 06:36
日々の仕事や生活全てが仏道修行に繋がる事が分かります。
3. Posted by ケイシ   2020年08月10日 08:40
生活全てが仏道であるとブログ主は言われていますが、真にその通りです。
座禅よりも作務の中にこそ仏道があると想います。勿論、座禅も大切でしょうが。私は毎朝、神棚のお榊と水玉のお水をお取り替えして、大祓詞を神棚に向かって唱えて神様に感謝を捧げて、その日の一日が始まります。その響き、祈りの中で仕事をして、生活するのが私にとって大切な事です。 
4. Posted by 会員   2020年08月10日 09:53
〉仏教は体験の世界
〉真剣にあらゆることを「毎自作念」していく

'修業'を'修行'に変えていかなければならない、という事を以前学びましたが、私自身この事はよく分かりません。とにかく「仏道を真剣に修行することによって段々と命が見えてくる」という事を肝に命じたいと思います。御講義ありがとうございます。
5. Posted by 会員   2020年08月10日 09:59
訂正

毎自作念→毎自作是念
6. Posted by ナキムシ。   2020年08月10日 10:53
今日の講義拝読しました。
霊魂は存在するのです、信じられないという人は、幽体離脱を体験して診るとよいでしようか?。若い頃体が非常に悪かった頃によく幽体離脱したものです、歳をとり今は昔よりはましですが健康体とは生きませんが、幽体離脱ができなくなっているのです、あまりお勧めできませんが幽体離脱の音楽が今はあるのです。
勿論の事ですが個人差があるのですから無責任な事は言えません?。但し幽体離脱が出来ても絶対に悪用しては生けません、鬼神が六天魔王が付いてしまうのです。
7. Posted by 大田   2020年08月10日 16:01
今日の講義拝読しました。

霊については私も気になりますが、成仏すれば分かります。成仏する為に「毎自作是念」修行をしていくのだと教えて頂いています。

簡単だと思っても、心の動きによって、毎日同じ事をやっていても内容が違うように思います。日々励んで行きます。

博士 ありがとうございます。
8. Posted by 青山   2020年08月10日 17:53
5 本日も御講義有難うござます

「霊魂が有るのか、無いのかということに頭を悩ますよりも、日々の仏道修行をしていったほうがよいのだ」という考え方、日々の生活も仏道であるからお釈迦様が舎利弗に「止舎利弗(ししゃりほつ)。不須復説(ふうしゅうぶうせつ)。」と説法したということがよく分かりました。中杉先生、ご質問に答えて頂き有難うございました
9. Posted by 弥生   2020年08月10日 18:14
>学会のように「12時間お題目行

これは、会員に「考えさせないように」課しているのではないでしょうか。
10. Posted by 愛子   2020年08月10日 20:52
中杉博士、本日もご講義ありがとうございます。

>9
そうですね。
学会は「法華経に帰れ」と言いながら、全く法華経、仏教の精神に反しています。

教団幹部の正体とは、宗教詐欺師であり、結婚詐欺師同様、真面目な良い人の振りをして、ウソで無知な人々を騙すのが仕事ですから、博士のように「毎日・毎日、怠ることなく日常の作務をやっていく」という正理、道理を教えていません。

>これが大事なお釈迦様の「止舎利弗(ししゃりほつ)
不須復説(ふうしゅうぶうせつ)」

本日、博士が教えられる通り、「毎日・毎日、怠ることなく日常の作務をやっていく」精進する中で各人が体得していくものであり、他教団の言う超能力獲得のための加持祈祷、高額なお布施要求、他力本願などでは得られないと知りましょう。

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