2020年10月29日

人類を救う 100万人の法華経入門 『無量義経十功徳品第三』について 

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※無分別法で見ると、「一寸の虫にも五分の魂」です。どんな小さな虫でも、アリンコでもみんな命の現れたものですから、自分と同じものなのです。「私と同じものなのだな」とわかって、命の全体が少しずつ見えてくるのです。

人類を救う 100万人の法華経入門 『無量義経十功徳品第三』について 

「上地(じょうじ)に至ることを得て、諸の菩薩と以って眷属と為りて、速(すみや)かに能く衆生を成就し、仏国土を浄め、久しからずして無上菩提を成ずることを得ん。」
 「上地(じょうじ)」とは、上品という意味です。上品のことを上地というのです。上品は善い人しかいないのです。その人の根性も生まれながらにしてよいのです。仏法的な身分があって、上地というのです。言葉を変えていうと、上品ということです。
 人間には三種類の人間がいます。上品・中品・下品です。その上品・中品・下品の中にも、上・中・下があります。下品の中にも上・中・下があります。中品の中にも上・中・下があります。上品の中にも上・中・下があります。
 少しくらい仏法がわかった人は、上品に入るのですが、仏様は上品の上です。貴方が「仏法がわかった」というのは、上品の下なのです。そのように解釈するのです。
 「私は何十年も修行しています」と言うならば、上品の中です。上品の上だけにはなれないのです。それが修行上の分け方です。「このように目指していきなさい」ということです。
 ここまでくると、菩薩様と同じ眷属になるというのです。このような心掛けを持って修行すると、一応少しは偉い者になるのですが、さらに精進を重ねていくと菩薩と同じ無上菩提を得て、最後には成仏するのです。
 「善男子、是れを是の経の第八の功徳不思議の力と名く。」
 善男子よ、これを第八の功徳というのです。
「善男子、第九に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、是の経を得ることあって歓喜踊躍(かんきゆやく)し、未曾有(みぞうう)なることを得て、受持し読誦し書写し供養し、」
善男子よ、第九の不思議功徳力を教えましょう。この経典を受持して、「歓喜して」と書いてあります。大喜びして、「うわー、この経典は素晴らしいな。俺の求めていたものはこれだったのだ。仏様とはこうだったのか。本当に素晴らしいことだな」と、「歓喜踊躍(かんきゆやく)」して、心が躍るように喜んで、そしてこの経に接して、さらに修行を勧めていくならば、受持し、読誦して、書き写して供養するのです。
「広く衆人(しゅにん)の為に是の経の義を分別し解説(げせつ)せん者は、」
ここで、「分別」ということが大事です。仏法は無分別法から成り立っています。我々が学校で習うこと、新聞を読んで知っていることは全て分別法です。仏法というものは、分別法の反対にあるものです。無量義からでてきた、たった一法のことを説いているのが仏法です。
仏法を知ったからと言って、変な知識が身に着くことはありません。習っていることは無量義です。世間法は無量義です。無量義のことを智恵といいます。仏法は無量義を説いたものではありません。その正反対にある無分別法を説いているのです。「何故、無分別法なのか?」というと、分別できないからです。
「無分別法を見せてくれ」と言われても見せることはできません。「無分別法はどんなものですか?」と聞いて、仏が言葉で説明しても衆生は理解できません。無分別は衆生には理解できないのです。分別した言葉をもって、無分別のことを考えて人に「教えてあげましょう。仏法は有難いのです」と説くのです。すると衆生は「どうして有難いのですか?」と聞きます。「仏法は分別法です。この分別を教えているから有難い」と反対になってしまうのです。
仏法は無分別法を説いているのです。ここまでの分別法を習う人は、レベルが低いのです。知識人には、この無分別法が全く見えません。この世界だけで生きているのです。その奥にある分別できない無分別法が仏法です。
では、どうしたらよいのでしょうか? 仏法は、境涯でしかつかめません。解剖学者が虫を見て「虫を解剖するぞ」と言っても、それは分別法ですから、無分別法はわかりません。
無分別法で見ると、「一寸の虫にも五分の魂」です。どんな小さな虫でも、アリンコでもみんな命の現れたものですから、自分と同じものなのです。「私と同じものなのだな」とわかって、命の全体が少しずつ見えてくるのです。
普通の人は分別法しか見えていません。すると、「それは先ほどの言葉と比べると違うのではないか? それは詳しく論証しないと正しいかどうかわからない」というのです。評論家はみんなそのような言い方をするのですから反省などできません。
「どのような反省なのか?」というと、「私は分別して世の中を生きてきたけれども、根本の一法は分別法で見ることはできない。では、どうするのか?」というと、この経を読誦し、書写し、解説するのです。そのように経典には書いてあるのです。貴方はわかっていませんが、経典ではもう答えが全て出ているのです。
それがわかると、「私が偉くなって、法華経の極意を体得して世界を救う」という思想は間違っているのです。「何故、間違っているのか?」というと、無分別法はもう法華経で説かれているのです。ただ、自分がわからないだけです。法華経が世界を救うのです。私が世界を救うのではありません。池田大作が世界を救うのではありません。
顕正会の浅井昭衛が世界を救うのではありません。浅井は「自分が世界を救う」と思っているのです。だから、信者に「伏せ拝」をさせるのです。「会長先生のおなり〜。しばらく5分間の黙祷〜。地面に頭をつけて顔をあげないように、会長先生のおなり〜」とやっているのです。
自分が無分別法を説こうと思っても、無分別法など説けません。無分別法が説いているのは、法華経だけなのです。人間と法華経を比べると、はるかに法華経のほうが大事です。それを教えていかなければいけません。世界の人々に法華経を教えるのです。「貴方も法華経を保ちなさい。無量義一法の一法を修行できる人間になっていきなさい」ということを教えていくのです。
女のケツばかり追いかけていないで、真面目に法華経を修行するのです。政治家もそうです。無量義一法を追いかけるのです。そのような話です。(に続く)


『無量義経十功徳品第三』
上地(じょうじ)に至ることを得て、諸の菩薩と以って眷属と為りて、速(すみや)かに能く衆生を成就し、仏国土を浄め、久しからずして無上菩提を成ずることを得ん。
善男子、是れを是の経の第八の功徳不思議の力と名く。
善男子、第九に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、是の経を得ることあって歓喜踊躍(かんきゆやく)し、未曾有(みぞうう)なることを得て、受持し読誦し書写し供養し、
広く衆人(しゅにん)の為に是の経の義を分別し解説(げせつ)せん者は、



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この記事へのコメント

1. Posted by 大田   2020年10月29日 10:17
今日の講義拝読しました。

私は境涯が低いので経典の内容が分からないのです。
「御義口伝付き妙法蓮華経」を4〜5回読んでやっと文字が読めるようになったのですが内容は分かりません。

博士の講義を拝読させて頂いていますが、分かっているように思えても、どのくらい理解ができたのか分かりません。何度も何度も講義を拝読し修行していきたいと思います。

博士 ありがとうございます。
4. Posted by マリー   2020年10月29日 15:30
私が世界を救うのではなく法華経が世界を救うのですね。池田や邪師は私が救うといって増上慢になっていったのですね。
無量義の一法を追い求めていくような人生がいいですね。学者である道門増上慢の方々は反省して一法を求めていくような探求をしたら学問にも幅がでてくるのではないでしょうか。
5. Posted by 事務局より   2020年10月29日 15:34
お知らせ

朝鮮人ドブネズミY子の書きこみは削除しました。
罵詈雑言は削除します。

6. Posted by 主任教授 さえこ   2020年10月29日 16:08
5 今日の講義「人類を救う 100万人の法華経入門 『無量義経十功徳品第三』について 」拝読しました。

朝鮮人の猶多怨嫉はすごいですね。
中杉博士のことを貶めようと怨念が凄いですね。

まさに法華経に書いてある通りです。

法華経を説くと衆魔・群道が現れて邪魔をするのです。
しかし、法華経の中身はまるでわからないので、罵詈雑言・悪口罵詈しかできません。

正法誹謗は地獄に行きます。法華経を広める中杉博士の悪口をいった者は、来世病気の野良犬になり人間に石でぶたれます。

本当に魔が競ってきます。
法華経の通りです。
日蓮正宗法華講の樋田昌志さんの弟子の木村さんからも正理会に電話がありました。
中杉博士に対して生意気なことを言う失礼な女坊主奴隷です。
親玉の樋田昌志さんを連れてきなさい!

仏は無分別法を説いています。
正理会では大事な法を説いているので魔が競ってきます。
それをもって正法とわかるのです。
7. Posted by まき   2020年10月29日 16:10
法華講は神道を否定する邪教です。
8. Posted by 青山   2020年10月29日 17:11
5 御講義有難うございます

上品を目指し日々の修行に励む事が大事で、反省心を忘れず前進していかなければならないと思いました。
9. Posted by 弥生   2020年10月29日 17:51
>6
日蓮正宗法華講の樋田昌志さんの弟子の木村さんからも正理会に電話

樋田さんは博士と法論すると負けるので、自分は行かず、女性を差し向けるとは二重に卑怯ではないでしょうか。
10. Posted by 愛子   2020年10月29日 19:38
中杉博士、本日もご講義ありがとうございます。

>浅井は「自分が世界を救う」と思っている
「伏せ拝」をさせる

大聖人様、博士がご自分を拝ませるでしょうか。
御書講義もできない自分を拝ませる浅井、大変に傲慢です。

板本尊を拝ませる大石寺、自分を拝ませる学会の池田、顕正会の浅井、幸福の科学の大川、国家の中心は天皇陛下・皇室であり、家庭の中心は家長、神社の中心は伊勢神宮、このように中心とは最初から決まっているのに、自らを正当化、自分が中心者になろうとウソをついていると、やがて自分が狂ってしまい、立憲の枝野は東北大卒の弁護士、共産党の志位も東大ですが、日本の政治家として日本の国益、正義と道理(正理)から考え、発言していないため、発言するたびに批判されています。

以前、博士が教えられた通り、ウソをつくとは、神の宿る言霊(ことだま)を傷つける行為であり、それが自分に返り、「ウソは身を滅ぼす」(博士ご著書「日本人に打ち込む100本の柱」)となるのであり、嘘つきは自分で自分の首をしめています。

博士より正しく学び、精進していきましょう!

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