2022年06月04日

開目抄講義(8) 二乗作仏

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※『摩訶般若波羅蜜経』(まかはんにゃはらみつきょう)は、般若経典の一つである『二万五千頌般若経』(にまんごせんじゅはんにゃきょう、梵: Pancaviṃśatisāhasrikā-prajnāpāramitā Sūtra, パンチャヴィムシャティサーハスリカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)の、鳩摩羅什による漢訳である。90品(高麗大藏再雕本は27巻、思溪資福藏、普寧藏等は30巻)の比較的規模の大きな経であり、通常『大品般若経』(大品)と呼ばれている。


開目抄講義(8) 二乗作仏

[本文]
大品般若経に云く「諸の天子今未だ三菩提心を発さずんば応に発すべし、若し声聞の正位に入れば是の人能く三菩提心を発さざるなり、何を以ての故に生死の為に障隔を作す故」等云云、文の心は二乗は菩提心を・をこさざれば我随喜せじ諸天は菩提心を・をこせば我随喜せん、首楞厳経に云く「五逆罪の人・是の首楞厳三昧を聞いて阿耨菩提心を発せば還つて仏と作るを得、世尊・漏尽の阿羅漢は猶破器の如く永く是の三昧を受くるに堪忍せず」等云云、浄名経に云く「其れ汝に施す者は福田と名けず、汝を供養する者は三悪道に堕す」等云云、文の心は迦葉・舎利弗等の聖僧を供養せん人天等は必ず三悪道に堕つべしとなり、此等の聖僧は仏陀を除きたてまつりては人天の眼目・一切衆生の導師とこそ・をもひしに幾許の人天・大会の中にして・かう度度・仰せられしは本意なかりし事なり只詮するところは我が御弟子を責めころさんとにや、此の外牛驢の二乳・瓦器・金器・螢火・日光等の無量の譬をとつて二乗を呵嘖せさせ給き、一言二言ならず一日二日ならず一月二月ならず一年二年ならず一経二経ならず、四十余年が間・無量・無辺の経経に無量の大会の諸人に対して一言もゆるし給う事もなく・そしり給いしかば世尊の不妄語なりと我もしる人もしる天もしる地もしる、一人二人ならず百千万人・三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四洲・六欲・色・無色・十方世界より雲集せる人天・二乗・大菩薩等皆これをしる又皆これをきく、各各国国へ還りて娑婆世界の釈尊の説法を彼れ彼れの国国にして一一にかたるに十方無辺の世界の一切衆生・一人もなく迦葉・舎利弗等は永不成仏の者・供養しては・あしかりぬべしと・しりぬ。

[講義]
大品般若経には「諸々の天子よ、未だに三菩提心(仏の悟りを目指すものをいう)を起さなければ起すようにしなさい。もし声聞の本当の位に入れば三菩提心を起こさなくなります。それは慢心のためなのです。自分が生死しなくなるからそれ以上の法を求めないのです」と書かれています。
諸天は、このことを喜びとしないのです。諸天が喜ぶことは、菩提心を持つものを喜ぶのです。首楞厳経(しゅうりょうごんきょう)には「五逆罪をおこした人間でも、この経を聞いて菩提心を持つならば仏になることができる。しかし、有漏(修行)を尽した阿羅漢は、壊れた容器の如く仏の三昧(教え)を受けません」。
浄名経には「其れ阿羅漢に施す者は福田とは言わなくて、阿羅漢を供養する者は、三悪道に堕す」とあります。
この心は、迦葉・舎利弗等の聖僧を供養する人天等は、必ず三悪道に堕つべしという意味です。此等の聖僧は、仏陀を除きては人天の眼目・一切衆生の導師とこそ思われています。幾許(いくばく)の人天・大会(仏の集会)の中にして・このように仏はたびたび注意されていますが、彼らをいじめるということが本意なのではなく只思うところは我が御弟子たちが二乗にはいるのをいさめようとするからです。
この外、牛驢(ごろ)の二乳(牛乳とロバの乳のこと見た目は同じでも牛乳は精製すれば甘露となるが、ロバ乳は糞となる:牛乳が仏法、ロバの乳が外道をあらわす)、瓦器(補修できない瓦を声聞にたとえる)、金器(壊れても補修できる菩薩のたとえ)、螢火・日光等の無量の譬をとつて二乗を呵嘖したのです。
一言二言ならず一日二日ならず一月二月ならず、一年二年ならず一経二経ならず、四十余年が間・無量・無辺の経経に無量の大会の諸人に対して一回も許すことはなかったのです。あまり激しく二乗を責めたので、世尊の不妄語なりと我も知る、人も知るし天も知る、地も知る、一人二人ならず百千万人・三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四洲・六欲・色・無色・十方世界より雲集せる人天・二乗・大菩薩等皆これを知る、又皆これを聞く、各各、国国へ還りて娑婆世界の釈尊の説法を彼れ彼れの国々にして一々に語るに、十方無辺の世界の一切衆生・一人もなく迦葉・舎利弗等は永不成仏の者を供養するのは良くないと教えたのです。

[本文]
而るを後八年の法華経に忽に悔還して二乗作仏すべしと仏陀とかせ給はんに人天大会・信仰をなすべしや、用ゆべからざる上・先後の経経に疑網をなし五十余年の説教・皆虚妄の説となりなん、されば四十余年・未顕真実等の経文はあらませしか天魔の仏陀と現じて後八年の経をばとかせ給うかと疑網するところに・げにげに・しげに 劫国・名号と申して二乗成仏の国をさだめ劫をしるし所化の弟子なんどを定めさせ給へば教主釈尊の御語すでに二言になりぬ自語相違と申すはこれなり、外道が仏陀を大妄語の者と咲いしこと・これなり、人天大会けをさめて・ありし程に爾の時に東方・宝浄世界の多宝如来・高さ五百由旬・広さ二百五十由旬の大七宝塔に乗じて教主釈尊の人天・大会に自語相違をせめられて・とのべ・かうのべさまざまに宣べさせ給いしかども不審猶をはるべしとも・みへず・もてあつかいて・をはせし時・仏前に大地より涌現して虚空にのぼり給う、例せば暗夜に満月の東山より出づるがごとし七宝の塔・大虚にかからせ給いて大地にも・つかず大虚にも付かせ給はず・天中に懸りて宝塔の中より梵音声を出して証明して云く「爾の時に宝塔の中より大音声を出して歎めて云く、善哉善哉・釈迦牟尼世尊・能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたもう、是くの如し是くの如し、釈迦牟尼世尊の所説の如きは皆是れ真実なり」等云云、又云く「爾の時に世尊・文殊師利等の無量百千万億・旧住娑婆世界の菩薩・乃至人非人等一切の衆の前に於て大神力を現じたもう、広長舌を出し
て上み梵世に至らしめ一切の毛孔より乃至十方世界・衆の宝樹の下の師子の座の上の諸仏も亦復是くの如く広長舌を出し無量の光を放ちたもう」等云云、又云く「十方より来りたまえる諸の分身の仏をして各本土に還らしめ乃至多宝仏の塔も還つて故の如くし給うべし」等云云、大覚世尊・初成道の時・諸仏十方に現じて釈尊を慰諭し給う上・諸の大菩薩を遣しき、般若経の御時は釈尊・長舌を三千にをほひ千仏・十方に現じ給い・金光明経には四方の四仏現せり、阿弥陀経には六方の諸仏・舌を三千にををう、大集経には十方の諸仏・菩薩・大宝坊にあつまれり、此等を法華経に引き合せて・かんがうるに黄石と黄金と白雲と白山と白冰と銀鏡と黒色と青色とをば翳眼の者・眇目の者・一眼の者・邪眼の者は・みたがへつべし

[講義]
しかるに釈尊は法華経を説かれる真実の八年間までは、さんざん否定してきた二乗が成仏すると言い出したのです。これには皆おどろいて「釈尊を信用して信心を続けてよいものだろうか?」との疑いを持ったのです。いままでの釈尊の五十年の説法に疑問をもってしまったのです。
ならば法華経には、「四十余未顕真実」の文があらわれて、御自分の説法を否定されたので、「釈尊の言葉(説法)は本当なのか、嘘なのか、あるいは天魔が仏陀となって、そういうことを言うのではないか」、と疑問をもってしまいました。
二乗の作仏は、「法華経では、仏になった二乗の名前がこういう名前です」、とまで記されています。しかも、その弟子までも決めておられるのは、まことに不信きわまりありません。釈尊は二枚舌か、自語相違ではないかと言ったのです。
 ここを外道につかれて「釈尊は大嘘つきだ」と言わせたのです。そんな時、仏前に東方・宝浄世界の多宝如来が高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大七宝塔に乗ってあらわれて、釈尊の人天・大会(人と天界の衆生の集会)で自語相違を責められて多宝如来もいろいろと説明したが、不審がますます高まり、人天大会もこの不審をどうすればよいかと、もて悩んでしました。
そんな時、仏前に七宝塔が大地より涌現して虚空にのぼりました。これは例えば、暗夜に満月が東の山より出るようなもので、七宝の塔が大虚空中にかかって大地にも着かず、大虚にも非ず、天中に浮かんで宝塔の中より梵音声が聞こえて証明していうのには、「爾の時に宝塔の中より大音声を出して歎めて云く、善哉善哉・釈迦牟尼世尊・能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたもう、是くの如し是くの如し、釈迦牟尼世尊の所説の如きは皆是れ真実なり」といいました。
又云く「爾の時に世尊・文殊師利等の無量百千万億・旧住娑婆世界の菩薩・乃至人非人等一切の衆の前に於て大神力を現じたもう、広長舌を出し上(うえ)梵世に至らしめ一切の毛孔より乃至十方世界・衆の宝樹の下の師子の座の上の諸仏も亦復是くの如く広長舌を出し無量の光を放ちたもう」ともいいました。
又云く「十方より来りたまえる諸の分身の仏をして各本土に還らしめ、乃至多宝仏の塔も還つて、故の如くし給うべし」ともいいました。大覚世尊・初成道の時・諸仏十方に現じて釈尊を慰諭し給う上・諸の大菩薩を遣しき、般若経の御時は釈尊・長舌を三千にをほひ千仏・十方に現じ給い・金光明経には四方の四仏現せり、阿弥陀経には六方の諸仏・舌を三千にををう、大集経には十方の諸仏・菩薩・大宝坊にあつまれり、此等を法華経に引き合せて、考えるに黄石と黄金と白雲と白山と白冰と銀鏡と黒色と青色とをば翳眼(かすみめ)の者・眇目(かため)の者・一眼の者・邪眼は同じ物をみても違ってみえるのです。

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この記事へのコメント

1. Posted by 大田   2022年06月04日 11:02
今日のご講義拝読しました。

方便品の舎利弗さんを思い出します。
舎利弗さんはインドいち頭の良い人です。お釈迦様の所で舎利弗さんは修行して、説法をしても声聞のままです。

これは私の想像です。舎利弗さんの説法を聞くために始めは多くの人が集まりましたが段々と聞く人がいなくなり舎利弗さんは山野で一人で修行をしています。お釈迦様の周りには沢山の人が集まります。

私が言うのもおこがましいのですが、舎利弗さんは心の中で高慢心を抱いて菩提心を無くしてしまったのではないでしょうか。
お釈迦様は言わず語らす「わかってくれよ、小乗を捨てよ」祈るような気持ちで舎利弗さんを見守っておられたのではないでしょうか?

そしてお釈迦様の下で更に修行をされて、小乗教を捨て切れていなかった自分に気付き更なる修行をされて、授記を受けることが出来たのだと思います。

法華経は命の教えです。私の命は南無妙法蓮華経ですと分かるのに時間がかかるのだと思います。時間は業の相続です。

博士や会長はお釈迦様と同じような思いで私達を見ていて下さっているのではないでしょうか。

博士 ありがとうございます。
さえ子先生 ありがとうございます。
2. Posted by ドバコくん   2022年06月04日 13:30
・「爾の時に宝塔の中より大音声を出して歎めて云く、善哉善哉・釈迦牟尼世尊・能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたもう、是くの如し是くの如し、釈迦牟尼世尊の所説の如きは皆是れ真実なり」

教菩薩法・仏所護念の妙法蓮華経を聞いた時、
歓喜して「一仏乗、本当の成仏を目指します」となるか、
頭がガチガチで不審が生じて「嘘つきだ」となるかで、
その後の境涯がまるで違うものになると思いました。
3. Posted by Vega   2022年06月04日 14:25
ご講義ありがとうございます。

本日も、繰り返し拝読しています。
4. Posted by M   2022年06月04日 14:27
>ここを外道につかれて「釈尊は大嘘つき

今も昔も、無知、邪教の者は、正しい教えを説くとこのように言うのだと思いました。
5. Posted by 愛子   2022年06月04日 14:39
中杉博士、本日もご講義ありがとうございます。

>外道につかれて「釈尊は大嘘つきだ」と言わせた
そんな時、仏前に七宝塔が大地より涌現して虚空にのぼりました

今も昔も、正法を説けば誹謗中傷されるものですが、何が正しいかは、このように現証があらわれるのであり、博士、本会を誹謗中傷してきた者どもも、必ず「どちらが正しいか」実感できる現証があらわれ、それでもわからない者は、故・小島茂のように若くして、何の前触れもなく突然死することになります。

>黄石と黄金と白雲と白山と白冰と銀鏡と黒色と青色とをば
翳眼(かすみめ)の者・眇目(かため)の者・一眼の者・邪眼は同じ物をみても違ってみえる

博士のご著書、これまでのご講義にも「境涯が違うと、全て違って見える」とあったことを思い出しました。

邪眼、邪教の者が見れば、博士の教えられる、「何が間違っていて、何が正しいのか」が分からないのであり、博士の教えられること、法華経に書いてあることは全て正しいと「信受」していくことが精進であると思いました。

6. Posted by うち   2022年06月04日 15:21
中杉博士、開目抄の御講義をありがとうございます。

法華経が真実の法であることの証しとして、多くの仏様が現れたことを知りました。壮大な光景を想像いたしました。

多くの人々が二乗で留まっている中で、成仏に導いてくださる中杉博士の御講義を拝聴できて、この上なく幸せでございます。誠に有り難うございます。私が妙法蓮華経であることを信受し、これからも仏道修行してまいります。
7. Posted by トワ   2022年06月04日 17:49
 講義していただきいつもありがとうございます。
 全てのものに陰陽があることを考えたときふしぎもないと想えます?。
8. Posted by believer   2022年06月04日 23:19
5 御講義ありがとうございます。

「迦葉・舎利弗等の聖僧を供養する人天等は、必ず三悪道に堕つべしという意味です。」

この部分について、繰り返し読みましたが、難しいです。

難解難入です。
9. Posted by 青山   2022年06月06日 09:20
5 御講義有難うございます

菩提心を磨いていくことは仏様もお喜びになるのたから、日々菩提心を輝かせていく事が大事であると思いました。

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