2005年05月02日

私と脳死患者その2

今回のお話は、脳死ではありません。
これも私が救急に回っていた時主治医を担当した患者さんです。
確か、バイクで事故した若い大柄な男性でした。

脳の損傷に加え、あちこちの骨が痛んでいました。
全身ネジと釘とだらけで、毎日感染を起こさないよう、頑張っていました。
ただ、、、声をかけても処置をしても、彼からはなんの反応もないけれど。。。

1ヶ月ほどしたある日のこと、彼が突然に言葉を発したのです。ア、ウ、程度ではありますが。

そのすぐ後に、手が動きました。手が動いたんです。我々主治医は驚きと共に、頑張った甲斐があったと喜びました。
徐々に骨を固定している釘も抜けて、車椅子の上に座位になることも可能になりました。
少しなら水分も取れるようになりました。

日に日に良くなっていくのではないか?。私達は頑張りました。患者さんも何を思うかはわかりませんが、きっと頑張ってくれていたに違いありません。

しかし。

ある日を境に、改善が見られなくなりました。

声も出ます、手も少し動きます、目は稀に動きます。しかし、それ以上は。

それ以上、検査の上でも改善の見込みはあまりなく、治療継続終了の時期が来ました。
彼は今後どうやって生きていくのだろうか。どこで暮らすのだろうか。
家族にとっても、生きていてくれさえいればそれだけで幸せだと思いました。少なくとも命を取り留めた初めの日は。

家族は在宅では看れないとのことでした。滅多に病院にも来なくなっていました。退院の時には施設の人が来られました。

私達、彼を救って本当にそれは彼にとって幸せだったのかしら。
彼は、自分が生きていることを幸せだと感じているのかしら。
彼は、助けてしまった私達のことをどう思っているのかしら。

はっきりいって、運びこまれた時は、助かるなど、とても思えない状態でした。
でも、命は救われました。症状も奇跡的な回復を示しました。

しかし、彼は幸せなのだろうか。いっそ、死んでしまったほうが、その時は家族も悲しいけれど、、、。

と、考えながらも、救急の多忙さと、新しく来る患者の対応に追われ(というと綺麗ですが、要するに勉強しているわけですから、人間としてではなく、症例としてしか見ていなかったような気がする。助ければ終わりというところですから、救命救急は、、、あと、どうなるか知らない、少しでも安定したら他へ行ってねというのが救急。患者さんに情が湧くほど長く受け持ちませんから、というか救急に運び込まれる患者さんにいちいち同情していたら人間感覚として多分持たない。病気や怪我を治すだけ、後のことは自分で考えてと、、、)すぐに忘れてしまいました。

内科ではあまりないことですが、命を助けてそれがよかったのかと悩んでしまうということは実際に少しはあるのかなと。
自殺で運ばれてきた患者が、退院してすぐ自殺未遂するとか。
アルコールによって死に掛けていた人を必死に救ったのに、退院して1週間後には元の状態に戻っていたりとか。
自分勝手に死にたい人は、人に迷惑かからないように死ねよ。
救命という仕事をしながら、自分の命を粗末にするくせに、いざ死にそうになると助けろと、そして生きながらえるとまた死に近づく行為を平気でやっている、そしてまた死にかけて運ばれる。死にたいんか生きたいんか、どっちやねん!という人はいます。

内科でも急変して、全力で一命は取り留めたものの、、、という人も考えれば多いかもです。
全力で助けるということが医師の使命とはいえ、全力で救った結果がコレか、、、あの時頑張らずに死なせて挙げた方が幸せだったのかな、、、と、心が揺れることだって少なくない。毎日3,4時間しか眠らず、休みも取らず頑張って、助けられないのかよって。結局死んじゃうのかよって。頑張らなかったほうが、楽に死ねたんじゃないかって。無理に救って、これじゃ医者の自己満足のために患者は使われただけじゃんて。私は頑張ってこんなに延命させたって。私じゃなかったらもっと早く死んでたよって。

もちろん、医者やスタッフが懸命に頑張って、患者さんも頑張ってくれて、無理だろうという状態から奇跡的な回復を示す事がある。死にかけていた、まさに三途の川から無理やりに引きずり戻して、今も元気に挨拶を交わす患者さんもいる。
医者冥利に尽きる瞬間ではある。
それと同じくらい、いや、それ以上に救えなかった命がある。これは現実。
死んでしまった人は記憶から少しずつ消えていく、生きているひとは会うたびに記憶に鮮明に残る。
もちろん、いちいち患者さんが亡くなったからと落ち込んでいたら医者など務まらないと思う。
落ち込んでいても、やることはやらなくてはいけないし、他の患者さんの前では笑顔一杯で話さなくてはいけないし。

私も医者として成長した。
多分、今はそんなことは思わないと思う。全力を尽くしたから仕方ない。それしか思わないだろう。
その心の変化はなんだろう。
イヤな人間になったものだ。

こんなことを書くつもりじゃなかったのに。
ちょっと休ませてもらおう。。。
きつい話題は自分で書いているんだけど、もう、疲れたw。
コメントレス出来なかったら、許してね。

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この記事へのコメント

1. Posted by tamichin   2005年04月29日 02:13
nakomayu先生。
それは、どこにでもあるとおもいます。ひとつの限界です。医療だけでなく、教育現場であったり、会社勤めのサラリーマンの世界にも。
誰しも自分の信ずるところ、一生懸命に、自分なりに頑張っているのにと、ふと、むなしくなるときが必ずあります。自分が報われなく感じるときが。それは技術とか、知識とかの限界でなく、自分ではいかんともできない、どうしようもないやつ。
諦観ではありません。現実にあります。それでも一生懸命先生は仕事に生きる方なんでしょうね。
2. Posted by 奈菜   2005年04月29日 02:38
これはまた、過激なエントリを。。(汗
3. Posted by 医師もまず人間1   2005年04月29日 04:39
いろいろな感情がわいてくるというのは医師も、医師以前に一人の人間ですから、当然のことだと思います。もちろん、医師という職業上、患者さんにどう接するかということとは別の次元の話だとは思いますが。

もちろん、いろいろな場面を経験して、それぞれの感情に対処が上手にできるようになってくるのかもしれませんが、ある種なれ、磨耗という面もあるかも知れません。でも、ときには医師として仕事をはじめたときのこと、自分がいつもと違う感覚をもっていたことを思い出すというのは、精神衛生上大切なことのような気がします。

 
4. Posted by 医師もまず人間2   2005年04月29日 04:39
私の場合は、こういうとき、ありきたりな言葉ですが、「治してあげてる」んじゃなくて、私達は患者さんのもともともっている「治る過程」を「手助けしている」と言う言葉を思い出します。もちろん、その治る過程を最大限援助することが医師の仕事だとは思います。

 ちょっとお疲れのようですが、そんなときはぜひお休みにされることをお勧めします。では、
5. Posted by @むーむー   2005年04月29日 11:24
精一杯やってると疲れますが、後悔をすることはないのではないでしょうか。その時は、選択がそれが最良だと思ってやってるのだから、素晴らしい生き方だと思います。結果はあとからついてくるもので、全力を尽くしていれば、患者も回りの方も分ります。医師にとって一番大切な気持ちを持っておられるように、感じました。

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