2007年02月
2007年02月26日 00:17
2007年02月22日 21:17
2007年02月18日 23:42
2007/1/29
試合も終わり、この日は終日観光となった。あいにくの雨のため、ロカ岬観光を止め、ひにょみさんの案内でシントラへ。
地下鉄に乗って移動し、地上を走る電車に乗り換え。
これがその電車である。地下鉄と明らかに客層が違い、緊張する。電車に乗るとなぜか窓ガラスがマジックミラーになっており、外から中の様子はわからないようになっている。
車内から外を眺めると、外の光景はグラフティアートばかりであった。一見して荒んでいる。ここら一帯は治安も良くないだろうな。草食動物である私は、こういう雰囲気には敏感である。
こっちをジッと見ている黒人に意識を配りつつ、チラリとおかももさんを見ると、首から一眼レフデジカメとデジタルハンディカムをぶら下げつつ寝ていた。
なんていうか、おかももさんにはライオンの余裕を感じた。食物連鎖の頂点にたつものはあらゆることにも動じないのであろう。
「お前、この程度でビビってんじゃねーよ。万が一襲われて盗られたらまた買えばいいんだよ」
おかももさんの寝顔は暗に語りかけてくるようであった。ただ単に疲れが溜まっていて眠っただけかもしれない。ビクビクしててもなにも始まらない。何にせよおかももさんは大物なのである。
終点のシントラの駅に到着。
今までの道中とはまた雰囲気がガラッと変わる。別荘地然とした雰囲気である。おかももさんの動きもあわただしくなる。突然駆け出しカメラを構える。疲れが溜まるのもわかります。2倍以上は確実に動いていますから。でもそのおかげで、このブログがあるのです。ありがとうございますおかももさん。
写真は無事に下車し、ほっと一安心の一行。
おかももさんの動きが凄すぎて自然に笑みがこぼれる。
とにかくとりまくるので
「あれ?僕たちって…有名なのかな?」
などととてつもない勘違いに陥る。そんな感じで某レースクィーンも喜ばせているんですねおかももさん。
山沿いの道を10分ほど歩くと、シントラの観光スポットへ。栃木県出身である私は歩いている最中、日光近辺でも歩いているんではなかろうかという錯覚を覚えた。海あり山あり街あり。凝縮されている。
シントラ……シントラーのリスト、フランク・シントラ、タイガー・ジェット・シントラ、信長様一向宗の信徒らが反乱を起こしております!…
というぐらいの発想しかありませんが、ここの王宮には天正遣欧少年使節が1584年に訪れているんですね。
日本と無縁ということではありません。400年以上前にこの地に日本人少年一行が訪れていたなんて、非常に感慨深いものがあります。使節は行って帰るまで8年間という長期間でした。
当時、この地を訪れた一行はどんな気持ちでどんな様相だったんでしょうね。400年前。その頃僕の先祖達は栃木で田んぼ耕してたでしょうね。
「今年は豊作だっぺよぉ〜」
などと言いながら。時の流れに気が遠くなりますね。このように過去に想いを馳せるというのは結構たのしいものです。人類の歴史を感じますね。自分も人類の歴史のほんの一部分でしかないことに気付かされますね。
過去の歴史を紐解く傍観者から、そのうち時がたてばその時代を生きていた人になり、さらに時がたてばまったく忘れ去られますね。
ロマンがあるな。
シントラのレストランにて食事後。
食事中にかなり雨が降り始めていましたが、食事後には青空が広がり始めていました。レストランに入る前の写真がポルトガル その11の写真なのですが、この黒い犬は、先頭を歩くナオ先生、次を歩く僕には興味を示さず、ケーシー君に反応し、最後のオカモモさんには飛び掛らんばかりの勢いでした。
漫画ホムンクルスよろしく、犬にもなにか見えるのでしょうか。
ナオ先生といえば、犬は犬鍋に、猫は猫鍋に、狸は狸汁に、蛇は食べる。いきとしいけるものを命をつなぐ為の食糧であると考える非常に気骨のある肝の据わった男ですので、犬も自分がイヌ鍋にされるところが見えてしまって危険を感じたのかもしれません。
僕は幼少の頃、野良犬が多くて4,5回追いかけまわされていたので警戒します。警戒心がないのは実家の猫に対してだけです。あいつは良い猫です。猫が飼い主を引っかくなんて信じられませんね。ヘソ曲げて文句を言いながらどこかに行ってしまうというのはよくありますが。
犬はオカモモさんには尻尾を振ってよっていったので、やはりなにかあるんでしょうね。レースクィーンにも好かれるなにかが。
オカモモさんは別にレースクイーンと付き合っているわけではないです。
いわゆるパトロン。パトロンなんて言葉は久々に聞きますね。なかなか一般人では聞かない言葉です。
パトロンなんていうとイメージ悪いですが、アリストテレスに対するアレキサンダー大王、ミケランジェロに対するメディチ家というように、権力者にしかできませんからうらやましいものです。
これからもパトロン道を歩み続けてください。
見返りを求めず与え続ける男。おかももさんの人気の秘密がわかりました。
王宮よりムーアの城跡を望む。
オカモモさんにカメラを向けられると笑顔になってしまう。それがオカモモマジック。
こちらが王宮。外観は拍子抜けする感じですが、中には天井画の部屋が数多くあります。部屋は年代ものなので修繕されて、古くなった机や椅子がちょこんと置かれているといった感じ。二つの煙突は厨房の煙突です。
ここは撮影禁止なのですが、オカモモさんは「血がさわぐぅ〜」と係員のスキを見計らってバシバシ写真を撮っていました。モラルハザードですね。
しかしカメラ愛好家たるもの、撮影禁止ぐらいでへこむようではやってられないでしょうね。
なんかスカしてます。
タクシーにのってムーアの城跡入り口へ。8世紀にムーア人が作ったものだとか。ポルトガル建国前の話ですね。ムーア人というのは北西アフリカのイスラム教徒。
現在は石垣だけが残る廃墟となっております。
城跡入り口の案内所にいたネコ。鼻周りが微妙に日本のネコと違う気が…気のせいか…
試合も終わり、この日は終日観光となった。あいにくの雨のため、ロカ岬観光を止め、ひにょみさんの案内でシントラへ。
地下鉄に乗って移動し、地上を走る電車に乗り換え。
これがその電車である。地下鉄と明らかに客層が違い、緊張する。電車に乗るとなぜか窓ガラスがマジックミラーになっており、外から中の様子はわからないようになっている。
車内から外を眺めると、外の光景はグラフティアートばかりであった。一見して荒んでいる。ここら一帯は治安も良くないだろうな。草食動物である私は、こういう雰囲気には敏感である。
こっちをジッと見ている黒人に意識を配りつつ、チラリとおかももさんを見ると、首から一眼レフデジカメとデジタルハンディカムをぶら下げつつ寝ていた。
なんていうか、おかももさんにはライオンの余裕を感じた。食物連鎖の頂点にたつものはあらゆることにも動じないのであろう。
「お前、この程度でビビってんじゃねーよ。万が一襲われて盗られたらまた買えばいいんだよ」
おかももさんの寝顔は暗に語りかけてくるようであった。ただ単に疲れが溜まっていて眠っただけかもしれない。ビクビクしててもなにも始まらない。何にせよおかももさんは大物なのである。
終点のシントラの駅に到着。
今までの道中とはまた雰囲気がガラッと変わる。別荘地然とした雰囲気である。おかももさんの動きもあわただしくなる。突然駆け出しカメラを構える。疲れが溜まるのもわかります。2倍以上は確実に動いていますから。でもそのおかげで、このブログがあるのです。ありがとうございますおかももさん。
写真は無事に下車し、ほっと一安心の一行。
おかももさんの動きが凄すぎて自然に笑みがこぼれる。
とにかくとりまくるので
「あれ?僕たちって…有名なのかな?」
などととてつもない勘違いに陥る。そんな感じで某レースクィーンも喜ばせているんですねおかももさん。
山沿いの道を10分ほど歩くと、シントラの観光スポットへ。栃木県出身である私は歩いている最中、日光近辺でも歩いているんではなかろうかという錯覚を覚えた。海あり山あり街あり。凝縮されている。
シントラ……シントラーのリスト、フランク・シントラ、タイガー・ジェット・シントラ、信長様一向宗の信徒らが反乱を起こしております!…
というぐらいの発想しかありませんが、ここの王宮には天正遣欧少年使節が1584年に訪れているんですね。
日本と無縁ということではありません。400年以上前にこの地に日本人少年一行が訪れていたなんて、非常に感慨深いものがあります。使節は行って帰るまで8年間という長期間でした。
当時、この地を訪れた一行はどんな気持ちでどんな様相だったんでしょうね。400年前。その頃僕の先祖達は栃木で田んぼ耕してたでしょうね。
「今年は豊作だっぺよぉ〜」
などと言いながら。時の流れに気が遠くなりますね。このように過去に想いを馳せるというのは結構たのしいものです。人類の歴史を感じますね。自分も人類の歴史のほんの一部分でしかないことに気付かされますね。
過去の歴史を紐解く傍観者から、そのうち時がたてばその時代を生きていた人になり、さらに時がたてばまったく忘れ去られますね。
ロマンがあるな。
シントラのレストランにて食事後。
食事中にかなり雨が降り始めていましたが、食事後には青空が広がり始めていました。レストランに入る前の写真がポルトガル その11の写真なのですが、この黒い犬は、先頭を歩くナオ先生、次を歩く僕には興味を示さず、ケーシー君に反応し、最後のオカモモさんには飛び掛らんばかりの勢いでした。
漫画ホムンクルスよろしく、犬にもなにか見えるのでしょうか。
ナオ先生といえば、犬は犬鍋に、猫は猫鍋に、狸は狸汁に、蛇は食べる。いきとしいけるものを命をつなぐ為の食糧であると考える非常に気骨のある肝の据わった男ですので、犬も自分がイヌ鍋にされるところが見えてしまって危険を感じたのかもしれません。
僕は幼少の頃、野良犬が多くて4,5回追いかけまわされていたので警戒します。警戒心がないのは実家の猫に対してだけです。あいつは良い猫です。猫が飼い主を引っかくなんて信じられませんね。ヘソ曲げて文句を言いながらどこかに行ってしまうというのはよくありますが。
犬はオカモモさんには尻尾を振ってよっていったので、やはりなにかあるんでしょうね。レースクィーンにも好かれるなにかが。
オカモモさんは別にレースクイーンと付き合っているわけではないです。
いわゆるパトロン。パトロンなんて言葉は久々に聞きますね。なかなか一般人では聞かない言葉です。
パトロンなんていうとイメージ悪いですが、アリストテレスに対するアレキサンダー大王、ミケランジェロに対するメディチ家というように、権力者にしかできませんからうらやましいものです。
これからもパトロン道を歩み続けてください。
見返りを求めず与え続ける男。おかももさんの人気の秘密がわかりました。
王宮よりムーアの城跡を望む。
オカモモさんにカメラを向けられると笑顔になってしまう。それがオカモモマジック。
こちらが王宮。外観は拍子抜けする感じですが、中には天井画の部屋が数多くあります。部屋は年代ものなので修繕されて、古くなった机や椅子がちょこんと置かれているといった感じ。二つの煙突は厨房の煙突です。
ここは撮影禁止なのですが、オカモモさんは「血がさわぐぅ〜」と係員のスキを見計らってバシバシ写真を撮っていました。モラルハザードですね。
しかしカメラ愛好家たるもの、撮影禁止ぐらいでへこむようではやってられないでしょうね。
なんかスカしてます。
タクシーにのってムーアの城跡入り口へ。8世紀にムーア人が作ったものだとか。ポルトガル建国前の話ですね。ムーア人というのは北西アフリカのイスラム教徒。
現在は石垣だけが残る廃墟となっております。
城跡入り口の案内所にいたネコ。鼻周りが微妙に日本のネコと違う気が…気のせいか…
2007年02月14日 17:12
2007/1/28
この日はナオ先生の試合とオカモモさんの試合、そして僕の試合が行われました。
ナオ先生は黒帯レーヴィ、オカモモさんは紫シニア1レービィ、僕は青マスターペナ。
日本で試合するより緊張しない感じでした。こちらに来るまでに飛行機や電車などで散々緊張しているからでしょうか。
こちらがナオ先生のトーナメント表。アダルト黒帯です。柔術は黒帯が頂点ですので、ここで試合をするだけでも凄いことですね。ペナ級ではヘイナルド・ヒベイロやメガトン・ディアス、メジオでは石川先生の友達アラン・ナシメントの名前も見えます。メガトンは相当年いっていると思うのですが、アダルトででるのは凄いですね。こうありたいものです。
ナオ先生の一回戦の相手、フィリペ君21歳と試合前の挨拶を交わすナオ先生。
ほんとうにナオ先生はナイスガイですね。
ミスターナイスガイです。
ナオ先生ピンチ!!いきなり攻め込まれて絞めをくらい、あわや一本負けの危機でした。応援していた僕もかなりあせりました。なんどか訪れる危機をしのぎましたが、結果は2-0で敗れてしまいました。黒帯はスゴイ世界です。
ただ、ナオ先生は持病のギックリケツなるものを試合10日前に発症し、足腰立たずに一時は渡欧すら危ぶまれた状況の中での試合出場だったので、これが万全だったらまた結果も違ったものになっていたと思います。
しかし、おかももさんはビデオを回しつつ、この写真を撮るなど人間離れしています。ほんとうにすごいんです。
有名柔術家の一人、マリオ・ヘイス。本来70kg以下のペナ級元世界王者なのですが、なぜか今回はもっとも重い階級ペサディシモ級にエントリー。
強さレベルでいうと触れたら死ぬぐらい巨強なマリオ・ヘイスですが、いくらなんでも、これは無理があり右側のでかい黒人に始終ハーフで押さえ込まれて、撃沈していました。試合後倒れこんでしばらく動けなかったようです。
問題は僕がオカモモさんに、
「あのでかい黒人がマリオヘイスですよ。」
とウソを言ってしまったために、写真がこの黒人だらけになってしまったことです。本当にごめんなさい。左側がマリオヘイスです。
僕の試合はスイープされて、スイープしかえしたところをさらにひっくりかえされて4-0で負けました。要所要所が上手かったです。攻めきれなかった。
このポルトガル紀行のブログが写真満載で充実したものになっているのも、これも一重にオカモモさんが海外で考えられる危険(スリ、引ったくり、強盗など)を顧みず、写真を沢山撮ってくれたからだと思っています。
ですのでやはりオカモモさんの試合は詳細をお伝えするのが礼儀でしょう。
写真は試合前にナオ先生とアップするオカモモさん。
昨日のケーシー君、本日のナオ先生、僕と全敗続きをここでストップできるのか。
多大な期待がかかります。
ちなみにオカモモさんの柔術の試合は3年ぶりということのようです。
総合はなんとオヤジバトル8勝1敗という脅威的な強さを持っています。
オカモモさん流、体操術で体をほぐすオカモモさん。奥の黒い道着が対戦相手。結構強そうな感じがします。しかしオカモモさんならやってくれるはず。
相対するオカモモさん。オカモモさん曰く
「相手はナェーとしたオヤヂ」
との事ですが、改めて写真でみるとめちゃくちゃ力強そうな感じがします…ちなみに審判の毛むくじゃらのワンワンみたいのは、黒メジオで準優勝したYan Cabral。かなりテクニックがありました。
なんと立ち技を挑むオカモモさん。正月に腰を痛めて入院、今回も始終腰を気にしていたとは思えません。鉄人ですね。普段はお腹がゴロッと出ているのですが、試合直前は完全になくなっていました。試合に臨む心意気が伝わってきます。
しかし、相手はかなり柔道強かった。場外際で投げを一閃!!鮮やかに投げられ宙を舞うオカモモさん。僕はこのとき「嗚呼」と頭を抱えました。セコンドでついていたナオ先生も悲鳴をあげたとか。
かなり絶望的な状況でしたが、場外際のために中央で再開。相手引き込む。いけ、オカモモさん!1パスで勝てる!いけ!
しかし、相手はやっぱり柔道強かったですね。アサノ返しで再び宙を舞うオカモモさん。そのまま固められて相手は腕十字の体勢へ!大ピンチ!
そして十字極められて敗北…応援をしていただけに残念です。
これで全員が一回戦負け。
悄然とするオカモモさんにナオ先生が駆け寄らんとする図。
好きな絵ですね。
全員が敗北しましたが、各人学ぶところの大きい今回の試合だったと思います。
日本人どころか、アジア人がまったく見当たらないところで試合するのは非常に気持ちの良いものでした。
この後、妙にテンションのあがっているオカモモさんは、土下座したり、二階から飛び降りようとしたりして、隣にいた黒人集団の爆笑を誘っていました。
オカモモさんの笑いは国境を越えていました。
またいつか、海外で試合したいですね。
この日はナオ先生の試合とオカモモさんの試合、そして僕の試合が行われました。
ナオ先生は黒帯レーヴィ、オカモモさんは紫シニア1レービィ、僕は青マスターペナ。
日本で試合するより緊張しない感じでした。こちらに来るまでに飛行機や電車などで散々緊張しているからでしょうか。
こちらがナオ先生のトーナメント表。アダルト黒帯です。柔術は黒帯が頂点ですので、ここで試合をするだけでも凄いことですね。ペナ級ではヘイナルド・ヒベイロやメガトン・ディアス、メジオでは石川先生の友達アラン・ナシメントの名前も見えます。メガトンは相当年いっていると思うのですが、アダルトででるのは凄いですね。こうありたいものです。
ナオ先生の一回戦の相手、フィリペ君21歳と試合前の挨拶を交わすナオ先生。
ほんとうにナオ先生はナイスガイですね。
ミスターナイスガイです。
ナオ先生ピンチ!!いきなり攻め込まれて絞めをくらい、あわや一本負けの危機でした。応援していた僕もかなりあせりました。なんどか訪れる危機をしのぎましたが、結果は2-0で敗れてしまいました。黒帯はスゴイ世界です。
ただ、ナオ先生は持病のギックリケツなるものを試合10日前に発症し、足腰立たずに一時は渡欧すら危ぶまれた状況の中での試合出場だったので、これが万全だったらまた結果も違ったものになっていたと思います。
しかし、おかももさんはビデオを回しつつ、この写真を撮るなど人間離れしています。ほんとうにすごいんです。
有名柔術家の一人、マリオ・ヘイス。本来70kg以下のペナ級元世界王者なのですが、なぜか今回はもっとも重い階級ペサディシモ級にエントリー。
強さレベルでいうと触れたら死ぬぐらい巨強なマリオ・ヘイスですが、いくらなんでも、これは無理があり右側のでかい黒人に始終ハーフで押さえ込まれて、撃沈していました。試合後倒れこんでしばらく動けなかったようです。
問題は僕がオカモモさんに、
「あのでかい黒人がマリオヘイスですよ。」
とウソを言ってしまったために、写真がこの黒人だらけになってしまったことです。本当にごめんなさい。左側がマリオヘイスです。
僕の試合はスイープされて、スイープしかえしたところをさらにひっくりかえされて4-0で負けました。要所要所が上手かったです。攻めきれなかった。
このポルトガル紀行のブログが写真満載で充実したものになっているのも、これも一重にオカモモさんが海外で考えられる危険(スリ、引ったくり、強盗など)を顧みず、写真を沢山撮ってくれたからだと思っています。
ですのでやはりオカモモさんの試合は詳細をお伝えするのが礼儀でしょう。
写真は試合前にナオ先生とアップするオカモモさん。
昨日のケーシー君、本日のナオ先生、僕と全敗続きをここでストップできるのか。
多大な期待がかかります。
ちなみにオカモモさんの柔術の試合は3年ぶりということのようです。
総合はなんとオヤジバトル8勝1敗という脅威的な強さを持っています。
オカモモさん流、体操術で体をほぐすオカモモさん。奥の黒い道着が対戦相手。結構強そうな感じがします。しかしオカモモさんならやってくれるはず。
相対するオカモモさん。オカモモさん曰く
「相手はナェーとしたオヤヂ」
との事ですが、改めて写真でみるとめちゃくちゃ力強そうな感じがします…ちなみに審判の毛むくじゃらのワンワンみたいのは、黒メジオで準優勝したYan Cabral。かなりテクニックがありました。
なんと立ち技を挑むオカモモさん。正月に腰を痛めて入院、今回も始終腰を気にしていたとは思えません。鉄人ですね。普段はお腹がゴロッと出ているのですが、試合直前は完全になくなっていました。試合に臨む心意気が伝わってきます。
しかし、相手はかなり柔道強かった。場外際で投げを一閃!!鮮やかに投げられ宙を舞うオカモモさん。僕はこのとき「嗚呼」と頭を抱えました。セコンドでついていたナオ先生も悲鳴をあげたとか。
かなり絶望的な状況でしたが、場外際のために中央で再開。相手引き込む。いけ、オカモモさん!1パスで勝てる!いけ!
しかし、相手はやっぱり柔道強かったですね。アサノ返しで再び宙を舞うオカモモさん。そのまま固められて相手は腕十字の体勢へ!大ピンチ!
そして十字極められて敗北…応援をしていただけに残念です。
これで全員が一回戦負け。
悄然とするオカモモさんにナオ先生が駆け寄らんとする図。
好きな絵ですね。
全員が敗北しましたが、各人学ぶところの大きい今回の試合だったと思います。
日本人どころか、アジア人がまったく見当たらないところで試合するのは非常に気持ちの良いものでした。
この後、妙にテンションのあがっているオカモモさんは、土下座したり、二階から飛び降りようとしたりして、隣にいた黒人集団の爆笑を誘っていました。
オカモモさんの笑いは国境を越えていました。
またいつか、海外で試合したいですね。
2007年02月11日 18:36
日曜日にはコパJFTに出場しました。
アダルト青ペナで出場。結果は3位。無差別は2回戦負け。
疲れすぎてこの日一日で相当ハゲあがりました。
ビヨーンといって極めなければ僕に明日はないと思います。
今年はビヨーン力を高めます。
こちらはUFC戦士の弘中さんと柔術黒帯荒巻さん。
荒巻さんと石川先生の主催するファベイラに柔術着を送ろうというセミナーがありまして、18日にあるそうです。セミナーはもうすぐ締め切りのようですが、僕も柔術着を2枚ほど石川先生にお渡ししようと思っています。
詳細
http://blog.livedoor.jp/tfkojimachi/archives/51920469.html
アダルト青ペナで出場。結果は3位。無差別は2回戦負け。
疲れすぎてこの日一日で相当ハゲあがりました。
ビヨーンといって極めなければ僕に明日はないと思います。
今年はビヨーン力を高めます。
こちらはUFC戦士の弘中さんと柔術黒帯荒巻さん。
荒巻さんと石川先生の主催するファベイラに柔術着を送ろうというセミナーがありまして、18日にあるそうです。セミナーはもうすぐ締め切りのようですが、僕も柔術着を2枚ほど石川先生にお渡ししようと思っています。
詳細
http://blog.livedoor.jp/tfkojimachi/archives/51920469.html
│格闘技
2007年02月09日 17:20
さて、今回は外国といえば異文化、異文化といえば食事。
ということで食事にスポットをあててみたいと思います。
到着日25日の昼食。皿に自分で取り分けて食べるというもの。大盛りとかももちろん可能な食べたもの勝ちな所。6ユーロで1000円ぐらい。一番手前は今回の旅の写真のほとんどを提供してくださったオカモモさんのもの。ほんとよく食べますね…学生みたいだ。
25日の夕食。カルニ・ジ・ヴァッカ。牛肉。ステーキです。熱くなっている石の上にのせて各々焼いて食べる。かなり美味しい。
ちなみにモンジバカ、手首固めはマォン・ジ・ヴァッカ。牛の手。
フィーゴは無花果、コスタは港、パイシャオンは情熱。レイチは牛乳。
サッカー選手のルイス・フィーゴは光・イチジクか。面白い。本名はなんだろう。
26日の昼食。皿によって値段が決まっており、主菜と副菜が選べる。7ユーロぐらいだった。いかにもヨーロッパ的な出来栄えである。金目鯛の煮付けっぽい魚が美味かった。オカモモさんは豆腐ステーキですね。しかし2,3品多い。よく食べますね本当に。
26日夕方、ベレンのパスティス・デ・ベレンにて。パステル・デ・ナタ。
これは本当に美味しいお菓子です。
外はパリっと中はふんわりといった感じで甘みが口に広がります。シナモンか砂糖をかけて食べる。
また写真が綺麗に撮れていますね。さすがはオカモモさんです。
26日夕食。かなりの歴史ある建物の中にレストランが…入り口はこのように狭いのですが、中は広大。フロアがいくつもあったり、バーがあったりレストランがあったり。トイレさえも歴史を感じることができるので、歴史好きな僕にとってはかなり琴線に触れました。
何品か頼んで適当にとりわけました。日本人の口に合いますね。僕が好き嫌いがないからということだけでしょうか。
27日、ナオ先生は試合に備えて減量&睡眠の為、一人ホテルに残り、オカモモさんとケーシー君と僕とで夕食に。
ホテルから程なくあるいたレストランへ。ポルトガル風ステーキを頼んだら、でっかい肉にポテトがゴロゴロというボリュームでびっくりした。実はこのレストランはライターの高島さんもお気に入りの場所らしいです。ここでもオカモモさんは追加でプリンを頼むなどの大食漢ぶりを発揮。
プリンが超濃厚で、いつもプッチンプリンに慣らされている僕にとってはこれはちょっと濃すぎた。デザート類はなぜか超濃厚なのである。濃縮果汁を固めた感じ。
28日。
試合後、かなり腹が減っていたのでポルトガル的なお店を探すのが面倒になり、近場にあったハードロックカフェへ。すみません僕が選んでしまいました。これはミステイクだった。
お店で落ち着いて食事処を探すと近場にもシュハスコ他けっこうあった。
後悔先にたたずだが、みなさんには黙っておいた。
写真はオカモモさんの頼んだ伝説の10オンス?ハンバーガー。
さすがの大食漢のオカモモさんも疲れがでたのか、なぜか周りのポテトだけで動きが止まって眠そうであった。「わたしは人間残飯処理機ですから」という言葉がむなしく響いた。
むりやり口に詰め込む様子が可笑しかった。
初日の大食いっぷりからするとあまりにも小食である。
きっと疲れがたまっていたのでしょう。
お疲れ様でした。
29日。
写真を提供してくださるオカモモさんは、われわれの写真だけでなく、リスボアの人たちも撮っていたようです。
この写真はシントラへ向かう電車のホーム。
これ大丈夫ですか?チョットやばくないですか?怒っているようにしか見えませんが…。
そんなオカモモさんを逆に盗撮。我ながら良く盗撮できました。
29日昼食。
撮ったり撮られたり犬に追いかけられたり。シントラのレストランでバカリャウを食べる。
バカリャウは干しダラ。この料理は干しダラを塩ゆでしたものと、ひよこ豆。酢とオリーブオイルをかけて食べる。日本人だと醤油がほしいところですが、酢とオリーブオイルもかなりいけました。僕は大好きです。
オカモモさんは味が薄いといっていたような…
29日。
ポートワイン協会のやっているお店で40年もののワインを飲み、自身の半生を語るオカモモさん。
今ひそかな話題の「つくば系」であります。
以下引用“研究学園都市・つくば市周辺に在住し、研究機関で働く博士やエンジニア、いわゆる「つくば系」と分類される独身男性たちだ。”以上
今年は奥さんを見つけて幸せになってください。
ポートワインが1ユーロからテイスティングできるお店で、リッチな気分に浸れます。一本は何十ユーロもするものですが、テイスティングなら高いワインも安く飲めます。
僕は10年ものを飲みました。かなり美味かった。
酒に弱い人間はこういうとき得。強い人は物足りないでしょうね。僕は満足。
29日夕食。
ワインテイスティング後、ベルを鳴らして入る小さなレストランで夕食。
カニ雑炊的なものが非常に美味しかった。
突然電気が落ち、となりのテーブルで誕生日を祝っていた。
オカモモさんは連日の疲れと、お酒により撃沈。
寝ていてお店のおばちゃんに心配されていた。食べながら寝る姿に、すべてを出し切った男の悲哀を感じた。
オカモモさん、本当お疲れさまでした。
写真ありがとうございました。
写真は思い出がよみがえるので旅を2倍楽しむことができますね。
写真は素晴らしいです。
ということで食事にスポットをあててみたいと思います。
到着日25日の昼食。皿に自分で取り分けて食べるというもの。大盛りとかももちろん可能な食べたもの勝ちな所。6ユーロで1000円ぐらい。一番手前は今回の旅の写真のほとんどを提供してくださったオカモモさんのもの。ほんとよく食べますね…学生みたいだ。
25日の夕食。カルニ・ジ・ヴァッカ。牛肉。ステーキです。熱くなっている石の上にのせて各々焼いて食べる。かなり美味しい。
ちなみにモンジバカ、手首固めはマォン・ジ・ヴァッカ。牛の手。
フィーゴは無花果、コスタは港、パイシャオンは情熱。レイチは牛乳。
サッカー選手のルイス・フィーゴは光・イチジクか。面白い。本名はなんだろう。
26日の昼食。皿によって値段が決まっており、主菜と副菜が選べる。7ユーロぐらいだった。いかにもヨーロッパ的な出来栄えである。金目鯛の煮付けっぽい魚が美味かった。オカモモさんは豆腐ステーキですね。しかし2,3品多い。よく食べますね本当に。
26日夕方、ベレンのパスティス・デ・ベレンにて。パステル・デ・ナタ。
これは本当に美味しいお菓子です。
外はパリっと中はふんわりといった感じで甘みが口に広がります。シナモンか砂糖をかけて食べる。
また写真が綺麗に撮れていますね。さすがはオカモモさんです。
26日夕食。かなりの歴史ある建物の中にレストランが…入り口はこのように狭いのですが、中は広大。フロアがいくつもあったり、バーがあったりレストランがあったり。トイレさえも歴史を感じることができるので、歴史好きな僕にとってはかなり琴線に触れました。
何品か頼んで適当にとりわけました。日本人の口に合いますね。僕が好き嫌いがないからということだけでしょうか。
27日、ナオ先生は試合に備えて減量&睡眠の為、一人ホテルに残り、オカモモさんとケーシー君と僕とで夕食に。
ホテルから程なくあるいたレストランへ。ポルトガル風ステーキを頼んだら、でっかい肉にポテトがゴロゴロというボリュームでびっくりした。実はこのレストランはライターの高島さんもお気に入りの場所らしいです。ここでもオカモモさんは追加でプリンを頼むなどの大食漢ぶりを発揮。
プリンが超濃厚で、いつもプッチンプリンに慣らされている僕にとってはこれはちょっと濃すぎた。デザート類はなぜか超濃厚なのである。濃縮果汁を固めた感じ。
28日。
試合後、かなり腹が減っていたのでポルトガル的なお店を探すのが面倒になり、近場にあったハードロックカフェへ。すみません僕が選んでしまいました。これはミステイクだった。
お店で落ち着いて食事処を探すと近場にもシュハスコ他けっこうあった。
後悔先にたたずだが、みなさんには黙っておいた。
写真はオカモモさんの頼んだ伝説の10オンス?ハンバーガー。
さすがの大食漢のオカモモさんも疲れがでたのか、なぜか周りのポテトだけで動きが止まって眠そうであった。「わたしは人間残飯処理機ですから」という言葉がむなしく響いた。
むりやり口に詰め込む様子が可笑しかった。
初日の大食いっぷりからするとあまりにも小食である。
きっと疲れがたまっていたのでしょう。
お疲れ様でした。
29日。
写真を提供してくださるオカモモさんは、われわれの写真だけでなく、リスボアの人たちも撮っていたようです。
この写真はシントラへ向かう電車のホーム。
これ大丈夫ですか?チョットやばくないですか?怒っているようにしか見えませんが…。
そんなオカモモさんを逆に盗撮。我ながら良く盗撮できました。
29日昼食。
撮ったり撮られたり犬に追いかけられたり。シントラのレストランでバカリャウを食べる。
バカリャウは干しダラ。この料理は干しダラを塩ゆでしたものと、ひよこ豆。酢とオリーブオイルをかけて食べる。日本人だと醤油がほしいところですが、酢とオリーブオイルもかなりいけました。僕は大好きです。
オカモモさんは味が薄いといっていたような…
29日。
ポートワイン協会のやっているお店で40年もののワインを飲み、自身の半生を語るオカモモさん。
今ひそかな話題の「つくば系」であります。
以下引用“研究学園都市・つくば市周辺に在住し、研究機関で働く博士やエンジニア、いわゆる「つくば系」と分類される独身男性たちだ。”以上
今年は奥さんを見つけて幸せになってください。
ポートワインが1ユーロからテイスティングできるお店で、リッチな気分に浸れます。一本は何十ユーロもするものですが、テイスティングなら高いワインも安く飲めます。
僕は10年ものを飲みました。かなり美味かった。
酒に弱い人間はこういうとき得。強い人は物足りないでしょうね。僕は満足。
29日夕食。
ワインテイスティング後、ベルを鳴らして入る小さなレストランで夕食。
カニ雑炊的なものが非常に美味しかった。
突然電気が落ち、となりのテーブルで誕生日を祝っていた。
オカモモさんは連日の疲れと、お酒により撃沈。
寝ていてお店のおばちゃんに心配されていた。食べながら寝る姿に、すべてを出し切った男の悲哀を感じた。
オカモモさん、本当お疲れさまでした。
写真ありがとうございました。
写真は思い出がよみがえるので旅を2倍楽しむことができますね。
写真は素晴らしいです。
2007年02月07日 16:31
2007/1/27
この日はケーシー君の試合。
なんとグレイシー一族最強にして最後の砦、ホジャー・グレイシーも観戦。
というのも、本日は黒帯の無差別が開催されるからであった。
出場選手は世界大会無差別王者シャンジ・ヒベイロ、世界大会ぺサード級王者ブラウリオ・エスティーマ、アラン・ナシメント、ラファエル・ロバート・ジュニアなど。
右、ブラウリオ・エスティーマ。
上、シャンジ・ヒベイロ。
決勝は圧倒的強さで勝ち上がったこの二人の対決となった。
ブラウリオ・エスティーマがスイープを決めて、勝利。
そしてケーシー君は青アダルトGALO級で残念ながら敗退した。
明日はナオ先生とオカモモさんと僕の試合である。
この日はケーシー君の試合。
なんとグレイシー一族最強にして最後の砦、ホジャー・グレイシーも観戦。
というのも、本日は黒帯の無差別が開催されるからであった。
出場選手は世界大会無差別王者シャンジ・ヒベイロ、世界大会ぺサード級王者ブラウリオ・エスティーマ、アラン・ナシメント、ラファエル・ロバート・ジュニアなど。
右、ブラウリオ・エスティーマ。
上、シャンジ・ヒベイロ。
決勝は圧倒的強さで勝ち上がったこの二人の対決となった。
ブラウリオ・エスティーマがスイープを決めて、勝利。
そしてケーシー君は青アダルトGALO級で残念ながら敗退した。
明日はナオ先生とオカモモさんと僕の試合である。
2007年02月06日 02:41
オカモモさんから今回のポルトガル画像の入ったCDを頂戴した。
なんと枚数1550枚。
すさまじき量である。画像は自由に使ってよいとのこと。感謝してもしきれないものがあります。オカモモさんどうもありがとうございます。実家の両親も喜ぶことと思います。
2007/1/26
ケイシー君と僕。
ベレンの塔外観
ベレンの塔から10分ほどあるくと、発見のモニュメントとよばれる大きなモニュメントがある。1960年に大航海時代を記念して建造された建物である。中はミュージアムになっているようだ。先頭は大航海時代の先駆者であるエンリケ航海王子。
ゲームの大航海時代を嗜んだことのある人なら、ポルトガルといえばリスボンであるということはご存知のこととおもう。まさしくそれの出発点がこのあたり一帯である。
発見のモニュメント
モニュメント前の広場のタイルには世界地図が写されており、日本もある。年号は1541年
発見のモニュメントから内に向かってあるくと、ジェロニモス修道院がある。エンリケ航海王子とバスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して建てられた。その昔は海岸線にあったとか?
修道院の中には教会といくつかのホールがあり、入場料は4ユーロなのだがなぜか無料だった。とおもったら閉館時間だったらしく少ししか見ることができなかった。
教会内部は比較的大きめで、やはり荘厳な雰囲気である。
当時あったであろうキリスト教の絶大な権力が垣間見れる。この教会内部で過去に権謀術数、因業渦巻く権力闘争があったのではないかと想像すると、なかなかである。
回廊
日本でもおなじみ、バスコ・ダ・ガマ。その棺である。
教科書でならった人物の棺の前に立つというのは、非常に感慨深い。
ジェロニモス修道院の中庭。建物の2階部分には閉館時間が来てしまったために入ることができなかった。
ジェロニモス修道院からほどちかいところで、ポルトガル一美味しいといわれるエッグタルトの店がある。その名もパスティス・デ・ベレン。エッグタルトは現地ではパステル・デ・ナタというようである。
お店は小さな喫茶店のような入り口であるが、内部は広大で大部屋がいくつもある。ポルトガルではこういった入り口が狭くて内部が広大という建物が多いように感じる。
勝手に席にすわるとウエイターが来てくれて注文する。
エスプレッソと食うのがいいらしい。メチャメチャ美味い。
写真は減量疲れか、立ちながら眠りそうなナオ先生。
こういうところでも、写真になりそうなところに突き進んでいくオカモモさんはやはり天才である。
明日は柔術の試合。
なんと枚数1550枚。
すさまじき量である。画像は自由に使ってよいとのこと。感謝してもしきれないものがあります。オカモモさんどうもありがとうございます。実家の両親も喜ぶことと思います。
2007/1/26
ケイシー君と僕。
ベレンの塔外観
ベレンの塔から10分ほどあるくと、発見のモニュメントとよばれる大きなモニュメントがある。1960年に大航海時代を記念して建造された建物である。中はミュージアムになっているようだ。先頭は大航海時代の先駆者であるエンリケ航海王子。
ゲームの大航海時代を嗜んだことのある人なら、ポルトガルといえばリスボンであるということはご存知のこととおもう。まさしくそれの出発点がこのあたり一帯である。
発見のモニュメント
モニュメント前の広場のタイルには世界地図が写されており、日本もある。年号は1541年
発見のモニュメントから内に向かってあるくと、ジェロニモス修道院がある。エンリケ航海王子とバスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して建てられた。その昔は海岸線にあったとか?
修道院の中には教会といくつかのホールがあり、入場料は4ユーロなのだがなぜか無料だった。とおもったら閉館時間だったらしく少ししか見ることができなかった。
教会内部は比較的大きめで、やはり荘厳な雰囲気である。
当時あったであろうキリスト教の絶大な権力が垣間見れる。この教会内部で過去に権謀術数、因業渦巻く権力闘争があったのではないかと想像すると、なかなかである。
回廊
日本でもおなじみ、バスコ・ダ・ガマ。その棺である。
教科書でならった人物の棺の前に立つというのは、非常に感慨深い。
ジェロニモス修道院の中庭。建物の2階部分には閉館時間が来てしまったために入ることができなかった。
ジェロニモス修道院からほどちかいところで、ポルトガル一美味しいといわれるエッグタルトの店がある。その名もパスティス・デ・ベレン。エッグタルトは現地ではパステル・デ・ナタというようである。
お店は小さな喫茶店のような入り口であるが、内部は広大で大部屋がいくつもある。ポルトガルではこういった入り口が狭くて内部が広大という建物が多いように感じる。
勝手に席にすわるとウエイターが来てくれて注文する。
エスプレッソと食うのがいいらしい。メチャメチャ美味い。
写真は減量疲れか、立ちながら眠りそうなナオ先生。
こういうところでも、写真になりそうなところに突き進んでいくオカモモさんはやはり天才である。
明日は柔術の試合。
2007年02月05日 06:03
2007/1/26
ケーシー君と待ち合わせ申し込みを済ませたわれわれは、ホテルにもどり、ふたたび観光へ。
フィゲイラ広場始発の市電15番で一路、ベレン地区へ。30分ほどの乗車時間。
最初に向かったのはテージョ川沿いにポツンと浮かぶ、ベレンの塔であった。
作られたのは16世紀初頭。
四階ぐらいの石造りの塔である。
内部の階段は人一人通れるぐらいの狭くて急なラセン階段で、スリが非常に多発しているらしく注意が必要だ。
入場料金は4ユーロ。
しかし、なぜか無料だった。
塔の内部もガラガラで人気がすくない。
こうまで人がすくなければスリはいないだろう。
一通りみたあとおかももさんはトイレを探す。しかしなぜか閉まっていた。
まあいいやとおかももさんと私は塔に登ってみることにした。
特に私は子供のころから城好き、城壁好き、石垣好きなのである。それは和洋中問わない。ただし浅い。
狭いラセン階段を延々と上っていくと、妙に方向感覚が狂い自分の場所がわからなくなるような感覚を覚えた。延々と続くラセンの階段は狂気への道のり。そんなことを思ったり思わなかったり。
頂上にでるとさすがに見晴らしが良い。前面には大きなテージョ川、背面には人々の生活が息づく丘、あとからケーシー君もきてオカモモさんと3人になった。ナオ先生やひにょみさんは写真のように下で電話などをしていた。
「うーさむいー」
先ほどからずっと尿意を我慢しているオカモモさんはつらそうであった。しかし写真はめちゃめちゃ撮っている。撮った画像はホテルに帰ってからPCに落とすので撮り放題らしい。
「それじゃ、なまちゃんとケーシー、写真撮るからそこに二人ならんで」
僕とケーシー君を並ばせて写真を撮るオカモモさん。
そのときオカモモさんの股間にテニスボール大の何かが出来ているのに気がついた。
「オカモモさん、シミ出来てますよ。」
「あっ!!!これだから年取ると…もう!ひぃ〜」
悶絶するオカモモさん、そのコミカルな仕草に僕は笑ってはいけないと思いつつも笑ってしまった。ケーシー君は爆笑していた。
これが後に言うMANCHA伝説の始まりである。
2007/1/26、僕らはマンチャを忘れない。
(ご本人のご承諾を得ております。)
ケーシー君と待ち合わせ申し込みを済ませたわれわれは、ホテルにもどり、ふたたび観光へ。
フィゲイラ広場始発の市電15番で一路、ベレン地区へ。30分ほどの乗車時間。
最初に向かったのはテージョ川沿いにポツンと浮かぶ、ベレンの塔であった。
作られたのは16世紀初頭。
四階ぐらいの石造りの塔である。
内部の階段は人一人通れるぐらいの狭くて急なラセン階段で、スリが非常に多発しているらしく注意が必要だ。
入場料金は4ユーロ。
しかし、なぜか無料だった。
塔の内部もガラガラで人気がすくない。
こうまで人がすくなければスリはいないだろう。
一通りみたあとおかももさんはトイレを探す。しかしなぜか閉まっていた。
まあいいやとおかももさんと私は塔に登ってみることにした。
特に私は子供のころから城好き、城壁好き、石垣好きなのである。それは和洋中問わない。ただし浅い。
狭いラセン階段を延々と上っていくと、妙に方向感覚が狂い自分の場所がわからなくなるような感覚を覚えた。延々と続くラセンの階段は狂気への道のり。そんなことを思ったり思わなかったり。
頂上にでるとさすがに見晴らしが良い。前面には大きなテージョ川、背面には人々の生活が息づく丘、あとからケーシー君もきてオカモモさんと3人になった。ナオ先生やひにょみさんは写真のように下で電話などをしていた。
「うーさむいー」
先ほどからずっと尿意を我慢しているオカモモさんはつらそうであった。しかし写真はめちゃめちゃ撮っている。撮った画像はホテルに帰ってからPCに落とすので撮り放題らしい。
「それじゃ、なまちゃんとケーシー、写真撮るからそこに二人ならんで」
僕とケーシー君を並ばせて写真を撮るオカモモさん。
そのときオカモモさんの股間にテニスボール大の何かが出来ているのに気がついた。
「オカモモさん、シミ出来てますよ。」
「あっ!!!これだから年取ると…もう!ひぃ〜」
悶絶するオカモモさん、そのコミカルな仕草に僕は笑ってはいけないと思いつつも笑ってしまった。ケーシー君は爆笑していた。
これが後に言うMANCHA伝説の始まりである。
2007/1/26、僕らはマンチャを忘れない。
(ご本人のご承諾を得ております。)
帰国後体調を大幅に崩し、寝込んでいました。
寝込んでいるとさまざまな夢を見ます。
時には悪夢も…
私はクワガタを飼っていますが、ただいま幼虫の状態です。今の感じだと成虫になるのは今年の秋口くらいでしょうか。
クワガタが蛹になり、成虫になった夢を見ました。
本来クワガタが羽化すると1、2週間は体が固まるまでジッとしています。
それが、羽化したと思ったら菌糸ビンの中でガサゴソと激しく動き始めるのです。
しかもクワガタらしからぬ様相。
マイマイカブリをご存知でしょうか。
オサムシ科の昆虫で動きは非常にすばやく、その名の通り、カタツムリなどの肉を喰らいます。臭いもするので、かなり苦手な昆虫でした。
ちなみに手塚治虫先生がなんとなく苦手なのも、オサムシを連想させるからだということはいうまでもありません。ご本人はオサムシが大好きだったようですが。
さて、菌糸ビンから続々とオサムシの化け物が羽化し、ビンのなかをうごめいています。
「うわ・・・・気持ちわりぃ・・・俺が飼ってたのはクワガタじゃなかったのか」
とにかくビンの中に入れっぱなしにはしておけないので、飼育ケースに入れようとし、オサムシの化け物をつまむために割りばしを探す。
そんな夢でした。
夢に出てきて僕を悩ませた化け物はこれです。
多少加工してあります。
寝込んでいるとさまざまな夢を見ます。
時には悪夢も…
私はクワガタを飼っていますが、ただいま幼虫の状態です。今の感じだと成虫になるのは今年の秋口くらいでしょうか。
クワガタが蛹になり、成虫になった夢を見ました。
本来クワガタが羽化すると1、2週間は体が固まるまでジッとしています。
それが、羽化したと思ったら菌糸ビンの中でガサゴソと激しく動き始めるのです。
しかもクワガタらしからぬ様相。
マイマイカブリをご存知でしょうか。
オサムシ科の昆虫で動きは非常にすばやく、その名の通り、カタツムリなどの肉を喰らいます。臭いもするので、かなり苦手な昆虫でした。
ちなみに手塚治虫先生がなんとなく苦手なのも、オサムシを連想させるからだということはいうまでもありません。ご本人はオサムシが大好きだったようですが。
さて、菌糸ビンから続々とオサムシの化け物が羽化し、ビンのなかをうごめいています。
「うわ・・・・気持ちわりぃ・・・俺が飼ってたのはクワガタじゃなかったのか」
とにかくビンの中に入れっぱなしにはしておけないので、飼育ケースに入れようとし、オサムシの化け物をつまむために割りばしを探す。
そんな夢でした。
夢に出てきて僕を悩ませた化け物はこれです。
多少加工してあります。
│妄言