陸奥の旅の二日目。まずは、県立郷土資料館に向かいます。青森周辺はたくさんの遺跡があり、その出土品をまとめてくれている資料館です。

 月曜日でしたが、ホームページでは、月曜日もやっていて、年末年始とお盆休み以外には、特に休みの予定はないという。という訳で、行ってみたのですが・・・、何と!本日休館なのです。あまりにも悔しいので、電話をして確かめたら、『たまたま今日だけ予定外のお休み』なんだとか。それはあんまりだ〜〜〜。遠路はるばる来たのみ・・・「大変申し訳ありません』とは言ってくれるが、言葉なんて何の意味も無い。地の底まで落ち込んで、その場を立ち去る生禿ではありました。

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 し方なく、女房の提案で青森港をお散歩。昨日とは違って、岬の先まで青森港を海の方から眺めるというコンセプトです。行きと帰りで、空模様がガラッと変わりました。天は我を見放してはいないようです。

H280705x4 329善知鳥神社s H280705x4 337s

 善知鳥(うとう)神社は、「善知鳥中納言安方が此の北国の夷人山海の悪鬼を誅罰平定して此の地を治め、その神願霊現あらたかな神々を祭った事に由来している。また、坂上田村麻呂の東北遠征の大同二年(807)に再建された」という、残虐非道の倭人が縄文人を大量虐殺したことを記念して建てられた社です。

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 善知鳥が鳴いていたという伝説が残るうとう沼の水源が、龍神の泉です。記念に龍の水を一杯飲んでおきました。

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 摂社には龍神社もあります。本来の祭神は水の神だったのかも知れませんネ。

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 青い森公園を抜けてバス停へ。カラスさんが水浴び?首都圏に多い嘴太ではありません。この方が憎々しさが減るような気がしませんか?

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 バス停は、古川3.子供の頃、古川三丁目に住んでいた生禿としては、懐かしい文字です。

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 バス停を降りて資料館へ。廃校になった野沢小学校が、小牧野遺跡保護センター(小牧野館)になっています。元教室の展示室には、埋葬と墳墓に関する、丁寧な展示と明解な解説がありました。

H280705x4 388深鉢形土器s H280705x4 399s

 深鉢形土器と墓標。サンキとアイヌの墓標が目を惹きます。サンキは「青森市の一部では、土葬した盛土に3本の棒を錘状に立て、筵をかけます」。アイヌの墓標は「木製の墓標(アムラカムイ)男性は鏃、女性は縫い針がかたどってあります」。

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 土坑墓と石棺墓。再葬については、土を掘って骨を集め、甕に入れる。祖先の分散した墓の骨を一ヶ所に集めて葬ることができる。再葬墓の合理性を理解した『目から鱗』の展示でした。

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 元小学校だけあって、教室や人体模型もさりげなくあって、それも「遺物」を感じさせます。弥生人の営みの虚しさが伝わって来ます。

 この資料館から遺跡までは、山道を1.5km。資料館の方が『送ってあげましょう』と言って下さり、お言葉に甘えて車に乗せて頂きました。遺跡では、担当の方が、ガイドツアーをして下さいました。帰りも、車でバス停まで車で送って頂きました。東北の人って、とんでもなく親切なんですね。

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 小牧野遺跡は、日本最大の環状列石。小牧野式組石という、階段状に配した石組が特徴です。

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 小牧遺跡で印象に残ったのは、立地です。遥かに青森湾から下北半島を臨みます。天気が良ければ恐山や北海道も見えるそうです。この地に、小高い台地を削って、平らな面を造成して、環状列石は作られています。下には荒川など二筋の川が流れ、周辺の村落から人が集まるには適した場所です。この遺跡の環状列石は、住居を伴わない純粋に祭祀用のもの。住居は二つしか無く、墓守の住居か、祭祀用の煮炊きをするためのものと思われます。しかも、配石も墓石ではありません。墳墓は、環状列石の外側にまとめて墓地空間が用意されています。とても、「墓地」として合理性の高い設計です。

 係員の説明によれば、針葉樹は伐採し、落葉広葉樹を残しているといいますが、縄文時代とは気候が異なるので、どうしても不自然です。「保存」とは、何を保存することなのか?巨大な空調で、地域全体の気候を変えてしまえるなら、植生を変えることにもひょっとすると意味があるかも知れませんが・・・。

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 捨て場跡。祭祀の後に不要になった道具を廃棄したのでしょうか。

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 土坑墓と墓場。見渡しても墓の数は少ないようでした。発掘していないだけでしょうね。

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 江戸時代末期、小牧野は馬の放牧場でした。馬頭観世音碑があるのはその為です。

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 蝶はそんなことはテフ知らず、石の間を巡ります。

 驚いたことがあります。環状列石の周辺を歩いていたら、コンパス(方位磁石)が狂うのです。ということは、環状列石の下に、鉄などの磁気をもつ何かの大きな塊が存在するのではないかと疑われます。資料館の方にお聞きしたら『心当たりは無い』とのこと、何か解ったら教えて下さいと頼んでおきました。

 その後の連絡で、「環状列石の周辺には、鉄などの磁針に影響するようなものは、縄文時代にも、現代においても埋められておりません」。「なお、昨年、イギリスのダウジング協会の方が、ダウジングの調査をしておりますが、その際、強力なエネルギーライン?があるとか、言っていたような気がします」とのこと。生禿の時計に内蔵されたコンパスは、精度は高くはありませんが、狂うような代物ではありません。“何か”があることは確かです。解明されることを期待しましょう。

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 小牧野遺跡観察施設(小牧野の森 どんぐりの家)です。周囲には、チェーンソーアートがいくつも置いてあります。家族の遊び場としても、好い場所です。機会があったら是非遊びに行ってみて下さい。

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 青森駅に戻って、お土産を買って、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に入りました。シルエットの美女は、勿論!女房です。

 現在のねぶた祭りは、観光資源として新しく作られたもの。例えば、『ラッセラー』の掛け声は、東北三大祭りをセットにした旅行パックが始まった頃に始まります。

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 儲けのためだけのお祭りなのですが、さすがに、東北人(東夷)の宿敵である坂上田村麻呂を祭りの象徴としてしまったことに気づき、祭りから田村麻呂を外しました。因みに、ナマハゲは、田村麻呂に虐殺された東夷の怨霊です。現在では、平将門などの荒脛巾の武人が取り上げられることが増え、東北らしい祭りになった部分もあるようです。

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 外に出ると、ビアテラスの準備に忙しく働く方が。夜は、青森港の夜風が気持ちいいのでしょう。でも、まだちょっと涼しいかな?

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 夕食を食べる場所を探して街を歩いていたら見つけたもの、ホタテが名物ですから、貝だらけ。でも、蝶番になっている方が開いて水を噴いているのが不気味です。

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 探して入ったのがとんかつ屋。女房は肉食女子です。ホタテと鮭のフライと美味しそうな特上のロースを頼んで、分け合って食べました。写真は、女房に真ん中をあげて残ったカツです。

 縄文遺跡を女房と訪ねた陸奥の旅。これにて完結です。