2017年03月

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    17: どうだ?>>15これは泣けるか? 投稿日:2010/11/18(木) 21:51:23.95 ID:NmLT+r5Q0
    小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。
    当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、また母親が突然いなくなった
    寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、
    ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。
    翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。
    俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと
    持っていったお菓子のみで腹を満たした。弁当の中身は道に捨ててしまった。
    家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、親父は俺が全部食べたんだと思い
    涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」
    と本当に嬉しそうな声と顔で言った。俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。
    でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。
    親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。

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    35: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/09(土) 22:59:39.72 ID:2TGXsTh40
    723 名前:水先案名無い人  sage 投稿日:04/12/30(木) 14:00:48 ID:ZMJosVUx

    19 :名前:2:04/12/22 23:55:12
    三人兄弟の末っ子だったオレ。オレが消防だった時に兄貴が高3だった。
    車好きの兄貴は自動車会社に就職したくて大学に行きたかったみたいけど、
    頭は決してよく無かったので私立の大学にしかいける大学がなった。兄貴は親父に大学に行きたいと言ったが、
    親父は『家には金が無い。残りの兄弟もいるし、我慢してくれ。すまん。』と言った。
    影でその話を聞いていた俺は、それまで自分の家が貧乏だと思ってはなかったので驚いた。
    話を承知した兄貴は、肩を揺らして泣いていた。親父も自分が不甲斐無いのか泣いていた。
    その後、兄貴は高卒で就職した。数年後、同様に二番目の兄貴も高卒で就職した。
    そして、俺が高3になった時、俺も大学に行きたいと思っていた。
    自分でもいうのはなんだが、学校での成績はかなりいいほうだった。

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    33: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/09(土) 22:56:05.46 ID:2TGXsTh40
    15 名前:10  sage 投稿日:05/01/23(日) 21:21:45 ID:sghq72gI0
    それでは、感動して泣いた話をさせてもらいます。
    私も、このスレのファンです。
    でも、死んじゃって悲しいのが多いので・・・
    少し笑える、感動して泣いた話をと思いました。

    それは、私のかっこ悪い彼氏の話です。

    彼と私は、よく電車を利用してました。
    私たちの乗る駅は、始発なので比較的空いてたのですが、
    都心に近づくと、だんだん混むというのがいつものパターンでした。
    私の彼は、目の前に、お年よりや、疲れた人をみると必ず席を譲ってました。
    ときには、譲った人に、怒られたりもしました。
    ですから、彼は席を譲るときは、黙って席を立ってました。

    時には、彼が、席を譲ったおばあちゃんに、
    「若いのに優しいね。ありがとう。」っていわれて
    そのあと、少し話をしました。
    おばあちゃんの話は、孫がなかなかきてくれなくって・・・っていう
    ほんとうにささやかな話で、私たちはすぐに忘れていました。

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    7: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/11/18(木) 20:13:34.63 ID:avL2xVsr0
    小学校の頃、クラスの友人が手から血を流していたのでティッシュを渡してあげた。
    どうしたんだ?と聞いた所、ムカつく猫がいたので
    捕まえて水の入ったポリバケツに放り込んだ際に引っかかれた。との事。
    彼は捕まえたその状況をさも誇らしげに武勇伝の如くクラスの仲間に話し、
    仲間数人で猫がどうなったかを今から見に行こう。って事になった。
    現場に着くと、前日迄の雨で半分ほど水の入った業務用のポリバケツの中で、
    体の半分以上が水に浸かり、小刻みに震える弱々しい子猫が今にも死にそうにしてた。
    友人がバケツを足で蹴り倒し取り出した猫に「こいつ爆竹の刑にしない?」
    と笑いながら皆に言った瞬間、普段温厚な自分の中で何かがはじけ、
    気がつくと俺は落ちているポリバケツを拾い、思いっきりそいつの頭に投げつけてました。
    更に、そばの用水路にそいつを蹴り落とす暴挙までやってしまった。

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    1: 中年'sリフト(京都府)@\(^o^)/ 2014/08/12(火) 05:24:24.15 ID:yE1O86ae0.net BE:252675218-PLT(15000) ポイント特典
    sssp://img.2ch.sc/ico/samurai.gif
    驚くほど親日的なポーランド 日本人が知らない「94年前に結ばれた絆」

    2014年4月7日の「未来世紀ジパング」は、日本ではあまり知られていない中央ヨーロッパの国、ポーランドとの深い結びつきを紹介していた。

    1989年、旧共産圏から民主化し大きく変化したポーランドは、いま急激に経済成長している。GDPは21年連続プラス成長で、ヨーロッパで唯一、ユーロ危機やリーマンショック時にも成長を維持した。

    そんなポーランドは、実は驚くほど親日的だった。剣道など日本の武道がブームで、ポーランドきっての名門ワルシャワ大学の人気学科は、日本学科。その倍率は30倍を超える。

    大学生は日本語がペラペラ、日本人顔負けの俳句を詠んでいた。さらに学生の家を訪ねると、食事は白いご飯に冷凍餃子、スーパーでは日清や味の素の即席麺が大人気で、食品メーカーの進出ラッシュだという。

    1920年、孤児を助けた体験が語り継がれる 第一次世界大戦後、ロシア革命の内戦中、多くのポーランド人はシベリアに抑留されていた。
    極寒の地で次々と命を落とす中、ポーランドは両親を失った子どもたちだけでも救おうと、救命嘆願書をアメリカやイギリスへ助けを求める手紙を出した。

    しかし返事は来ず、唯一返事をしたのが日本だった。そして1920年から22年にかけて計5回、765人の孤児たちが船で日本へ運ばれ、想像もつかないほどの温かいもてなしを受けたのだという。

    到着直後のポーランド孤児たちはチフスを患い、頭にはシラミ、餓死寸前の子もいるという最悪の健康状態だったが、日本赤十字の看護師たちが懸命に看護した。
    全国から寄付も集まり、子どもたちは元気を取り戻す。
    2年後、1人も欠けることなくポーランドに戻った孤児たちは、終生その体験を語り継いだという。ワルシャワ在住のジャーナリスト・松本輝男氏は、元孤児からの日本への感謝をこう語る。

    「『日本は良い国、人道的、サムライ精神に溢れる国だ』と、こちらが気恥ずかしくなるような(絶賛した)表現をする。
    彼らはポーランド社会における親日感の語り部。それがいまだにずっと残っている」 後に大統領になる「連帯」のワレサ氏は、1981年に「ポーランドを第二の日本にしたい」と語り、ポーランドでは誰でも知っている名言になっているという。

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