日本人・日本

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    462: 名無し三等兵 ID:fDw2gKrz
    私は見た。愛国心と死ぬこと!

     最近、勇ましい戦争論や愛国心を鼓舞する話が多く聞こえるようになった。しかしそんな戦争論や愛国心を語る前に、私が体験したある事実を聞いて頂きたい。私が国家と戦争、自分は何のために死ぬかと考える原点になった出来事である。

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    197: ヤマト
    コピペで申し訳無いが乃木将軍の話を・・・。

    ■1."Father Nogi"■

    1913(大正2)年2月、ニューヨークで "NOGI"と題する本が
    出版された。そのわずか5ヶ月前、明治天皇の崩御(ほうぎょ、
    亡くなること)とともに、自刃した乃木大将を描いた本である。
    自刃と共に、一気に書き上げ、急いで出版したものである。

    著者はスタンレー・ウォシュバン。日露戦争中、シカゴ・ニ
    ュースの記者として乃木大将の第3軍に付き添った人物である。
    乃木大将の参謀長を務めた一戸(いちのへ)少将は後にこの本
    の存在を知って、涙を流さんばかりに喜んで、こう語ったという。

    ウォシュバンという男は当時27,8歳の愉快な青年であった。
    非常に乃木さんを崇拝したばかりでない。Father Nogi と呼んで、
    父のごとくに思っていたようだが、果たしてこういうものを書いていてくれたか。

    後に軍神として祀られた乃木大将は、米国青年の眼にどう写ったのだろうか?

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    116: 名無し三等兵
    ■ 「バャ・コン・ディオス (神とともに行け) 」杉原千畝の言葉 ■
     
     1939年(昭和十四年)九月一日、ヨーロッパではヒットラー率いるナチス・ドイツがポーラン
    ドへ侵攻し、第二次世界大戦の火ぶたが切られた。
     同年十一月、リトアニアの首都カウナスの日本領事館に、領事代理としてソ連専門の外交官
    であった杉原千畝が赴任して来ました。 
      
     次の年には、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害は周辺諸国では周知の事実であったが、アメリカ
    は移民法に拘束されビザ発給には極めて消極的だった。また、イギリス・ソ連も含めヨーロッパ
    諸国がユダヤ人に冷たかったのである。

     日本政府としては昭和十三年十二月、五相会議が開かれた『猶太人対策要領』が決まっており、
    ユダヤ人に対しても他の外国人同様、基本的には差別しないということが決まっていた。
     これは「八紘一宇」の国是のもと、日本は一貫してユダヤ人に対して差別をしないことを明らか
    にしていた。

     リトアニアがソ連に併合されて以来、日本領事館の外にはユダヤ人難民から陳情を山ほど受け
    ており、ここ何日も難民が押しかけてきた。日本としては、領事館を八月末までに閉鎖することに
    なっているため杉原にできることは、時間的にも限られていることを知っていた。

     しかし、外務省からの訓令では無条件ビザ発行には「ノー」であり上層部の指示にそむいて行動
    するわけにいかなっかた。彼は、ビザ発給について悩み苦しんだ。
     
     たくさんの人間の生死がかかっていた。

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    166: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2010/03/31(水) 14:55:11.26 ID:RADu5IbC0
    あー、またコピペじゃないので申し訳ないです。
    だいぶ前の季節もののイベント期間中のことなのだけど
    某デパートに観光っぽい黒人の親子(父母+男の子+女の子)が来店してたのね
    で、物珍しそうにデコレーションされた内装とかを見ていたわけよ
    そしたら男の子がワインの飾ってあった台にけっ躓いてワイン落として割っちゃったの
    父親が血相変えて子供を叱ってた。男の子はガクブル状態
    少しして若い男の店員さんがサーッとやってくると泣きそうな男の子に代わり母親は我が子がワインを割ったことを凄く謝った
    でも店員さんが「お怪我はありませんか?」と母親に訊ね、「靴がワインで濡れちゃったね」
    とか男の子に言ってたのかな、布巾で男の子の濡れた靴(ほんの少し濡れた程度)を拭いてあげてた
    まあ、そんな感じの対応をしていたら両親含め遠巻きに心配そうに見ていた外国の旅行者が凄い笑顔で店員さんに拍手していた

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    27: 眠い人 ◆ikaJHtf2
    昭和30年代後半、まだ、日本が貧乏だった頃…。

    世界各地の防衛駐在官の実情を視察するため、防衛庁の事務次官が
    各国を回って歩いていた。

    彼は交際費も情報収集費も不十分で他国の武官のように胸に付ける
    勲章も略綬もなく、外務省の情報一元化の厳しいルールに縛られて
    本庁との直接連絡も禁じられている防衛駐在官たちの不遇な立場に
    痛く同情した。

    そのために規程に基づく次官の出張旅費から50ドルずつ寸志として置いて
    きた。
    しかも、その間、彼は各地の防衛産業のテイクケアは全て断っていた。

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