バーチャン

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    783: 大人の名無しさん 03/01/12 02:40 ID:Lkg8+y00
     仕事で疲れきっちゃうと、どうしてもここに来ちゃうな。なんでかわからんけど。

     昨年、高円宮親王殿下が薨去された数時間前に、田舎の祖母が亡くなった。
    「おいおい、月末の糞忙しいときに…」とか思ったんだけど、
    連休に葬式だってんで渋々参列した。
    苦しむことなく、また、93歳の大往生だったもんだから、
    親族の悲しさってのは、内心はどうかわからんけど、見た目には大きくなかった。
    横たわっている物言わぬ祖母の顔を見たときはちょっとくるもんがあったが、
    頭の中では連休明けの仕事のことばっかり考えていた。
     俺の場合、子どものころに確かに世話にはなっていたけど、
    何年も会ってなかったから祖母が亡くなったからといって、
    今の自分の生活に何か影響があるということもない。
    だから、涙なんかいっこうに出てきやしない。
     田舎から戻って来て、仕事やって、正月迎えて、今も仕事中なんだけど、
    その間、祖母のことなんか全然思い出さなかった。
    でも、今、こうしてこのスレ来て書き込んでたりするんだけど、
    ちょっとだけ祖母のことを思い出した。で、思うことは、
    葬式、行ってよかった。行かなかったら一生後悔しただろう、って。
    行かなかったらこうして思い出すこともなかっただろう、って。

     あのとき泣けなかったけど、今、これ、書き込んでいたら涙が出てきた。
    おかしいな、泣くつもりで書き始めたわけじゃなかったのに。
    あのとき泣けなかった自分はおかしかったのか、と書くつもりだったのに。

     ともかく、俺の能書きを読んでくれた人、ありがとう。

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    811: 大人の名無しさん 03/01/20 20:35 ID:+NBmCprR
    小学校低学年の時に両親が離婚して、父方に引き取られたおいらにとって、
    おばあちゃんは母親みたいな存在だった。掃除、洗濯、それに弁当づくり。
    おいらを心の底から可愛がってくれた。

    大学には浪人して入ったけど、ちょっとグレていたオレは、高校生ぐらいの
    頃から、ちゃんとおばあちゃんに接することができなくなってきた。少し辛く
    当たったこともあった。高血圧が持病のおばあちゃんは、その頃ぐらいから入
    退院を繰り返すようになり、就職する頃には、老人医療施設に入りっぱなしに
    なっていた。

    親戚の政治家にお願いして、一応、立派な施設には入れてもらっていたが、
    そういった場所は長居が出来ず、施設を転々とわたり、だんだん場所も遠くな
    っていった。オヤジたちと一緒に見舞いに行くのはイヤだったから、ひとりで
    行って、しばらく話して、最後にひたいに手をあてて、帰るのが、いつもの見
    舞いのやり方だった。

    でも、しまいには1年に一遍ぐらいしか行けなくなり、最後の施設は行けず
    仕舞いで終わってしまった。

    就職して2年目の冬の日曜日、その日は映画でも見に出かけようとしたら、
    家から電話があって、おばあちゃんが危篤だという。急いで、そこに行こうと
    したら、今度は亡くなった、という知らせがあった。

    オヤジと再婚相手と3人でクルマで出かけた。地元の斎場になきがらを移す
    ためだ。2時間ぐらい走って、着いた山奥の施設は、奇麗にはしてあったが、
    やや寂しい印象を受けた。
    (続く)

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    520: 大人の名無しさん 2005/09/22(木) 13:32:56 ID:wvTOnnj7
    ばぁちゃんのことが嫌いだった。
    母のことあんなにいじめてさ、見栄もプライドも高くて
    振り回されて苦労してる母の姿見るたびに、憎たらしかったよ。

    そんなばぁちゃんが最近ボケてきたようだ。
    もう10年も前になるのに、私が結婚したこと忘れてた。
    正月にひ孫の顔見せたというのに、お盆に来たらひ孫見て
    「この子ら誰?」ときたもんだ。

    今年のお盆のことだった。
    私は意地でもひ孫の顔を覚えて欲しいって気持ちがあって、
    帰り際に子供らを指して「ばぁちゃん、あなたのひ孫なんだからね。
    すごいよね。ひぃばぁちゃんなんてさ」って言ったらばあちゃん、
    「おお、そうねそうね」って笑ってくれた。
    あんな笑顔久しぶりに見たよ。
    車に乗り込んでから、介護の知識が多少ある夫が言ったわ。
    「あんまり落ち込むこと言いたくないけど、痴呆っていうのは言い聞かせれば
    治るってものじゃないんだよ。次会った時はもう子供らのこと忘れてるかもしれない。
    でも、すぐ忘れても会った瞬間だけでも笑ってくれれば、それでいいんじゃないかな」
    って。

    ばぁちゃんのこと哀れだと思いつつも、内心は他人事だったし
    あんなにはなりたくないとさえ思っていた。

    数週間前、ばぁちゃんが家で足を骨折した。
    母から連絡があったときに、ICUに入ってるって聞いた。
    なんで足骨折ぐらいでICUなのさ、大げさなと思ってたんだけど
    母から改めて話を聞いた。なんでICUなのかって理由。

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    299: 大人の名無しさん 2005/07/23(土) 19:55:26 ID:avRt4w5C
    私が中学の頃に祖母が癌になった。
    その頃の私は少し感情の起伏が乏しい奴で、祖母が癌になって余命幾ばくもないと
    聞いても「そうなんだ」くらいにしか思わなかった。
    多分心のどこかで「今までもそう言う事あったし、きっと大丈夫」と考えてた。
    しかし春休みの頃に祖母の見舞いに行ってその考えは間違いだと気づく。

    福の神みたいに頬がぽってりしていて、いつも笑顔の祖母は死人のように頬がこけ
    腕は枯れ木のように痩せ細り、目は暗く窪んでいた。
    医学知識が全くない私でももう祖母は本当に駄目なのだとわかった。
    それでも私はまだ何とかなるのでは?と思い祖母に元気になってもらうため折り紙を
    折ってみた。
    鶴は勿論龍や鷹、七福神などのめでたい折り紙を作っては祖母に送った。

    折り紙を作っては送り作っては送る日々が1ヶ月続いた頃、とうとう祖母の訃報が届いた。
    それを聞いたとき、私はただぽかーんと呆けた。
    「え、マジで死んじゃったの?」とまだ信じられない様子だったと思う。
    訃報を聞いた私と兄は父に荷物をまとめるように指示され、荷物をまとめ祖母がいる
    母の実家に向かった。実家に着くと母が真っ赤な目で私達を迎えた。

    次の日には葬式が始まり午前中にお坊さんが訪れ、お経を始めた。
    私と兄以外みんな泣いた。多分、兄も私と同様まだ何が起きているのか理解して
    いなかったのだと思う。

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    422: 大人の名無しさん 02/10/18 21:47 ID:WjxIu1qn
    私には父方に曾祖母がいました。
    年をとり耳は遠くなっていましたが、よくそっくりだといわれる私たち
    姉妹のこともちゃんと見分けられるしっかりした人でした。
    曾祖母の家は娘(私から見て祖母)が婿養子をとっていたので
    年をとった曾祖母の面倒は娘である祖母がみていました。
    しかし、ある日祖母が癌にかかってしまいました。
    幸い早期の発見だったので、手術をすればきっと大丈夫だろうということでした。
    しかし祖母が入院することになってしまったため、祖母の妹のところに
    曾祖母は預けられる形になってしまいました。
    (その家の嫁が難しい人で、とても曾祖母の面倒などみてくれなかったので)
    すると年をとった曾祖母は、長年自分の面倒をみてきてくれた娘が
    いないことや、知らない土地での生活に不安を覚えたのかたちまち
    具合が悪くなってきてしまいました。
    本当に一ヶ月くらいのことでした。
    結局曾祖母の強い希望もあり、自分の家に曾祖母は戻ってはきましたが、
    そのころにはもうほとんど寝たきりの状態でこちらの話し掛けることも
    よくわからないようでした。
    祖母は癌にかかり、曾祖母はどんどん具合が悪くなってきてしまっている
    という状態の中で、父達兄弟は、本当のことを祖母に言うべきか
    ずいぶん悩んでいましたが、せっかく手術が終わったばかりの祖母を
    精神的に混乱させて、まずい状態にさせたくないという気持ちと、
    祖母の手術の経過がよかったことから、退院するまで曾祖母がもってくれれば
    という気持ちから、結局祖母には言い出せないままでした。

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