947: 長文スマソ 03/02/11 01:31 ID:lc7KMwcW
実家のお袋から携帯電話に、久しぶりに兄貴が帰ってくると留守電が入っていた。
お袋は心なしか凄く嬉しそうだった。
もう兄貴が実家を出て行ってから8年近く経っている。
兄貴は中学生の頃から両親が宗教にはまっているのを見据えて、脱会させようと考えていたらしい。
そして兄貴が社会人になり、その意思を主張した。
そして、冬のある夜、何度目かの口論の末、大喧嘩になった。
押さえつけようとする親父と電気機器を投げつけるお袋・・・。
兄貴は投げつけられた電気ポットで頭から流血し顔半分が真っ赤に染まった。
それでも兄貴は持論を曲げようとしなかった。
兄貴はでかくて殴られても何ともないようだった、痛いという顔すら見せず、まるで空を見上げるような感じで立っていた。
まだガキだった俺も俺で「何で兄貴そんなことをゆうんだよ!」と兄貴のことをなじった。
兄貴はこっちを見て「いつか判る」といった、兄貴はそれを最後に、親父達を振り切り何も言わず荷物をまとめ出て行った。
お袋が「あの女がそそのかしたんだ」とノイローゼになり自殺未遂するまで追い込んだ、兄貴の元恋人の悪口を言った。
すぐに帰ってくると思った、でも、6年帰ってくることはなかった。
結局、俺達家族全員は兄貴が出て行ってから2年後に嫌がらせなどを受けながらも脱会した。
がしかし、兄貴は家に帰ってくることはなかった。
たまにお袋が電話をすると、あのときのことが嘘のような穏やかな口調で会話は続く・・・。
兄貴も失ったものが大き過ぎて、ここには戻ってこれないんだろうなと思った。
親父達は脱会した後、お布施やらなんやらで膨らんでいた借金に追われることになった。
当たり前のことも理解できないほど金銭感覚が麻痺させられていたようだ。
俺が高校を卒業するとき、親父達は進学させる金もなく途方にくれていた。
そんな時、兄貴から電話があり、CADの専門学校の入学金と授業料、年200万円を出してくれた。
その時、俺がお礼に会社の近くまで行ったのが、兄貴が出て行ってから始めての対面だった。
久しぶりに会った兄貴は相変わらずでかく感じた、浅草の尾張屋で食わせてもらった
特大の海老天せいろは今でも心に残っている。
お袋は心なしか凄く嬉しそうだった。
もう兄貴が実家を出て行ってから8年近く経っている。
兄貴は中学生の頃から両親が宗教にはまっているのを見据えて、脱会させようと考えていたらしい。
そして兄貴が社会人になり、その意思を主張した。
そして、冬のある夜、何度目かの口論の末、大喧嘩になった。
押さえつけようとする親父と電気機器を投げつけるお袋・・・。
兄貴は投げつけられた電気ポットで頭から流血し顔半分が真っ赤に染まった。
それでも兄貴は持論を曲げようとしなかった。
兄貴はでかくて殴られても何ともないようだった、痛いという顔すら見せず、まるで空を見上げるような感じで立っていた。
まだガキだった俺も俺で「何で兄貴そんなことをゆうんだよ!」と兄貴のことをなじった。
兄貴はこっちを見て「いつか判る」といった、兄貴はそれを最後に、親父達を振り切り何も言わず荷物をまとめ出て行った。
お袋が「あの女がそそのかしたんだ」とノイローゼになり自殺未遂するまで追い込んだ、兄貴の元恋人の悪口を言った。
すぐに帰ってくると思った、でも、6年帰ってくることはなかった。
結局、俺達家族全員は兄貴が出て行ってから2年後に嫌がらせなどを受けながらも脱会した。
がしかし、兄貴は家に帰ってくることはなかった。
たまにお袋が電話をすると、あのときのことが嘘のような穏やかな口調で会話は続く・・・。
兄貴も失ったものが大き過ぎて、ここには戻ってこれないんだろうなと思った。
親父達は脱会した後、お布施やらなんやらで膨らんでいた借金に追われることになった。
当たり前のことも理解できないほど金銭感覚が麻痺させられていたようだ。
俺が高校を卒業するとき、親父達は進学させる金もなく途方にくれていた。
そんな時、兄貴から電話があり、CADの専門学校の入学金と授業料、年200万円を出してくれた。
その時、俺がお礼に会社の近くまで行ったのが、兄貴が出て行ってから始めての対面だった。
久しぶりに会った兄貴は相変わらずでかく感じた、浅草の尾張屋で食わせてもらった
特大の海老天せいろは今でも心に残っている。