このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    185: DEDE ◆k11Q30d.fk 2008/02/13(水) 23:19:17 ID:rkX1LJ8l0
    一年前、俺の親父が死んだ。

    という話で泣いたと言うのが良くあるが、俺は泣かなかった。

    俺は北海道で漁師をやってる。
    ガキの頃から親の手伝いをして骨の髄まで漁師仕事は叩き込まれた。
    すげー厳しい親父だった。
    どんくらい厳しいかってもう漫画の世界。
    ゲンコツなんて毎日のように食らってた。
    そのゲンコツのお陰で今も美味いメシ食わして貰ってる。

    続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    1: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2014/02/21(金) 10:19:07.46 ID:KUIn3pU30
    涙が止まらない・・・




    2: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2014/02/21(金) 10:23:21.41 ID:mlLBoKOs0
    .       ∧__∧
          ( ´・ω・)∧∧  泣いたらええねん
           /⌒ ,つ⌒ヽ)  
           (___  (  __)  
    "''"" "'゙''` '゙ ゙゚' ''' '' ''' ゚` 




    3: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2014/02/21(金) 10:25:09.29 ID:KUIn3pU30
    ちょっと語らせてもらってもいい?
    一回まとめて整理したい。

    ばあちゃんは難病を患って以来もう何年も寝たきりで、我儘が強い人だった。
    朝トイレで起こされたり、突然呼び出されたりで正直ウザいと思ってたんだ。

    続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    448: 22歳ですが 1/2 03/07/16 10:19 ID:f9HVyXOg
    今年、母が亡くなった。

    遅い反抗期だったと思う。
    中学生まで親に逆らわず良い子だった俺が、高校生になり急に親に反抗するようになった。
    母親には罵声を浴びせ、家に帰らない日々が続いた。
    高校卒業と同時に家出同然に実家を出た。
    最初のうちはそれでも住所くらいは伝えていたが、住所を何度か変えるうち
    いつの間にか両親との連絡は一切途絶えてしまっていた。

    唯一電話番号を教えていた(それでも一切連絡のなかった)弟から電話が来たのは、
    俺の彼女のお腹に子供がいることが判明した今年2月の事だった。
    母が倒れたと言う。

    両親に対する反抗心はもうなかったが、いまさら帰るのは正直億劫だった。
    母が深刻な状態などとは思ってもいなかった。
    それでも行く気になったのは、彼女を紹介しようと考えたからだ。

    母親が亡くなったのは、翌日俺たちが高速道路を走っている頃だったらしい。
    久しぶりに会った親父はひどく小さな背中をしていた。
    相変わらずの無骨な声で、「よう」だか「おう」だか一言発しただけだった。
    母は俺の記憶とは全く違う老いた顔で、それでも安らかな表情で眠っていた。
    涙は出なかった。

    続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    698: 軍曹さん 投稿日:2006/08/17(木) 02:24:40
    長文になりそうなので先に謝りたい。
    ごめん!感動の話で探してたらこの板にたどり着いたので感動じゃなく
    悲しかった話だがはなさせてもらいます。

    あれは今年の6月のことだったっけ・・・
    とある月曜日に学校にいった。
    一限目が数学だったのだが急に変更になって
    全校集会になった。友達みんな「なんでこんな暑いのに体育館なんかに
    あつまらなあかんねん!」とか言っていた。
    体育館に集まったみんなはうるさく騒いで話がなかなかはじまらなかった。
    いつもなら生徒指導の先生が「いつまでうるさくしとんのじゃこのボケ!」
    とマイクで大声でどなったり周りの先生も「静かにしろ!」とか言うのに
    今日はみんなだまってみんなが静かになるのを待っていた。

    続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    463: 名無し三等兵
    忘れ難い物の一つの中に、
    靖国神社の境内に据えられていた高射砲があります。
    この事は「今日われ生きてあり」の「第十話 雲ながれゆく」に
    浦和の秀才、平柳四兄弟の話として書きましたが、
    その次男の平柳三郎少尉は、地獄の戦場と言われた
    ニューギニアのウェワクで六門の高射砲がたった一門となるまで戦い、戦死。
    第十八軍野戦高射砲隊第六十二大隊 の生存者は、
    将校、下士、兵を含めて僅か三十二人。

    その生存者の一人で、横浜で呉服卸商を営んでいる
    Y元二等兵は、慰霊巡拝団の一員としてウェワクを訪れた時、
    今も木一本生えていないと言う高射砲陣地跡で、
    彼らが最後まで死守したあの 高射砲が一門、天を睨んでいたそうです。
    それを見た瞬間、Yさんは赤錆びた砲身に抱きついて
    「日本へ帰ろう!みんなのところへ、靖国神社へ行こう!」
    と声を叫げて哭いたといいます。

    続きを読む

    このページのトップヘ