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    251: 大人の名無しさん 04/01/08 21:38 ID:tojS4yth
    お母さんから今年も年賀状が届いた。
    「新しい年もいっぱいいい事があるといいね。
    ○○(子供)を優しさを持った子に育てて行って下さい。」

    そして赤字で「ガンバレ!」って書いてありました。

    涙が出てきた・・・。

    お母さんは末期がんで
    今年いっぱい生きれるかどうかなんです・・・。
    元気が無いのに、私にはたくさん元気をくれる。
    お母さん、来年も私にたくさん元気をください。
    何百倍にでもして返すから。
    私の前から消えないでください。

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    642: 大人の名無しさん 2008/02/23(土) 18:21:35 ID:O3wqCUUS
    一年前ほど前にガンになり、にこに書き込んだことのあるものです
    あれから、手術と治療をし、
    幸いに、本当に幸いにして転移もなく、有難いことに生きています

    しかし、この一年は結構な地獄でした
    「人間一度は地獄を見なきゃ」が身上で、
    数々の地獄を見てきたという自負がありましたが
    それらすべてが吹っ飛ぶ程の地獄絵図でした
    それらを乗り越えられたのも、家族の支えがあったから
    今はただ、支えてくれた家族に感謝しています

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    146: 大人の名無しさん 03/11/25 22:45 ID:bnLA8aYF
    お母さん絡みの話って多いんだね。113サンの話をみて、うちと似たような感じだと思って、
    私にもこれまで10年間心にためてた母のことを書くスペースをちょこっといただきたいと
    思います。(でも長くなっちゃうかな)

    私の母も私が中学に入った頃に甲状腺の癌と告げられそれからずっと長い間、12年位
    かな、入退院を繰り返してた。厳しいというか暴力的な(「しつけ」と称してね)
    父から私と弟をいつも庇ってくれてた。父に叩かれて家を飛び出して、公園で
    ブランコに座ってたら、探しに来た母が、「こんな事が続くなら、離婚してお母さんと
    弟と3人で暮らそう」と言ってくれて二人で泣いたこともあったな。
    いつも私のやりたいことを応援してくれてた。小学校の先生だったんだけど、凛としてて
    ホント尊敬できる母親だったな。

    でも私が大学を卒業する時期に急激に弱っていっちゃって、喉に放射線治療してたから、
    喉が痛いってほとんどご飯食べられなくなってしまった。そのころの父はどうもよその
    女性と会ってたらしく、肝心なときにはいっつも家にいなくて、母が病院にいくときは
    私がついていった。

    でも最後の病院に入院して、さらに弱っていく母をみるのはつらくて、あんまりお見舞いに
    行かなくなっちゃった。今思えばもっと、時間を割いて行くべきだったと思うんだけど・・・。
    それで夜、2時くらいに病院から「危篤です」って連絡もらって、すぐ飛んで行って、結局
    翌日の午前中に亡くなってしまった。すごく悲しいときって涙がでないって聞いたことあった
    けど、ホントに涙が出なかった。
    その後しばらくして、遺書みたいなものを見つけたんだけど、「家族3人で、けんかせずに
    なかよくやっていってください」みたいなことが書いてあって、それを見たときに大泣きした。

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    89: 大人の名無しさん 03/11/07 20:10 ID:p4E3Dnf6
    ばついちになり、娘と母と3人で生活をしてきて
    8年、こんな私と結婚してくれる相手ができた。
    式や新しい生活の準備を進めている頃、突然母が倒れた。
    狭心症、完全房室ブロックで心不全と腎不全をおこしていて
    危険な状態だった。
    私は一緒に住んでいたのに、母の不調に気付けず
    ただ病院で心臓が止まるたび、鳴り出す機械に怖かった。
    遠くにすんでいる兄や弟が駆けつけてくれ、それから交代で母を看病した。
    一緒には住んでいなかった父に連絡をとったが
    「金ならないから、足りないなら生活保護を受けろ」
    と言われた。お金の事など言っていないのに悔しくて涙か出た。
    仕事と病院を往復する私に気遣い、婚約者の彼と彼の母は
    私の娘を自分の家で面倒みてくれて、娘を毎日学校まで送り迎えを
    してくれた。
    それから、3度の手術を経て2ヶ月後、母は元気に退院することができた。

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    113: 大人の名無しさん 03/11/12 01:41 ID:APkYuHKn
    今夜母が入院した。
    初めに倒れたのは6年前。膵臓癌と診断され、余命5年と私達家族には知らされた。
    優しく気の弱い母は、我侭で自己中心的な父によく泣かされていた。
    自営をしていたので父を手伝い、家事・育児をし、庭の手入れから裁縫、日用大工まで
    めまぐるしく働いていた母。
    今では体重は32キロしかない。
    それでも「ね、きいてよ、先週は30キロしかなかったのよ。2キロ増えた。」と昨日嬉しそうに
    俺に言っていた。
    俺は勤め先を辞めた8月、この機会にと母を立山・黒四ダムに連れて行ってあげた。
    そのときは長時間のバス移動も難なくこなして立山の地を二人で歩きまわったのに、
    ここ3日で自力で立ち上がれなくなってしまった。
    肝機能の低下は著しく、黄疸で肌は黄色く目も黄色い。
    膝から下は像の足のようにむくみ、下肢だけでなく腕の関節まで痛むという。
    声もしわがれて力なく、そんな母を病院につれていった。

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