虐待

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    198: 大人の名無しさん 03/04/29 03:13 ID:ZK+0oFEJ
    スレ違いかもしれないけど。

    2年前、鬱病になったとき、カウンセラーに「あなたが受けていたのは立派な虐待です」って言われた。
    その病院通いが親にばれたとき、母は号泣しながら「ごめんなさい」と言って、「今、あなたのことを
    抱き締めたい」って言われた。当時の私はその腕を振り払ってしまった。
    あの時、母は「そうだよね。今さらそんなこと言われても抱き締められたくないよね」と言って、泣きながら
    帰っていったんだった(私が一人暮らしだったので)。

    その母が肺ガンになり、あっという間に脳に転移して脳梗塞をおこし、もう意識がなくなってしまった。

    母の肺ガンは、見つかったときすでに4期だった。
    ものすごく苦しかっただろうに、実家に帰った時、父は「3月3日にあわせて、お母さんが一生けんめい
    市松人形を引っ張り出してきて、桃の花を飾っていたよ」と言われて涙が止まらなかった。

    母の全てをいまさら美化するつもりはない。
    私が小さいときに受けた傷をなかったことにするつもりもない。
    だけど、だけど、ことあるごとに、病気の治った私と出かけたがっていた母を無下に扱い、母を傷つけていたのは
    私だったことは事実。
    悔やんでも悔やみ切れない。

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    828: 大人の名無しさん 03/01/22 08:24 ID:3VEU/+s3
    私が生まれた一週間後に、私を産んでくれた母は死んでしまった。
    父が再婚してから、家に居場所が無くなった。
    小さい窓が一つだけあるろくに日も差さない、
    テレビも暖房も冷房も無い部屋が与えられて、そこに居る事だけが許された。
    食事を家族と一緒に取った事が無かった。家族と言葉を交わす事も無かった。
    そもそも食事もまともなものじゃなかった。たまに忘れられた。
    記憶と体に残るのは、無数の生傷と火傷と、恐怖感だけだった。
    友達も学校の先生も、誰も助けてくれなかった。助けられなかったんだと思う。
    誰も恨んでいない。だってどうしようもない事だ。

    18歳の時に逃げ出した。
    お金は無かったけど、空が青いとか、好きなだけご飯を食べていいとか、
    ぶたれたり、蹴られたりしないとか、ものすごく嬉しかった。
    何か失敗しても、殴ったり蹴ったりする人がいなくて、嬉しかった。

    24歳の時、従兄が偶然私を見つけて会いに来た。
    親には居場所を黙っててくれた。
    ぶっきらぼうで、すぐにバカだののろまだの罵る従兄だったけど、
    不思議と嫌に感じなかった。
    私にパソコンを作ってくれた。病気になった時、大雪の中病院に連れて行ってくれた。
    お金が無くてひもじかった時、ご飯を奢ってくれた。
    誰より私を心配してくれてたのは、この口の悪い従兄だったのかもしれない。

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    278: 大人の名無し 02/09/28 21:50 ID:MUMtYKwC
    大してモテもしない俺が浮気を始めた。

    彼女は遠距離恋愛でとんとご無沙汰。
    愛してはいても、というやつだった。
    そんな倦怠期になんだかんだと相談に乗ってくれた人だった。

    部活の後輩で、それ以外にもなにかと一緒に仕事をした仲だった。
    カスミ(仮名)を後輩としてじゃなく女として意識を始めたのはこの夏から。
    四人の弟どもの面倒を見る五人姉弟の長女でしっかり者、けれども
    どこか張り詰めたような、でも確かな気丈さに惚れて口説き落とした。
    そのときカスミがこう言った。
    「何もかも受け止めてくれますか?」
    って。こう言われて引き下がったら男じゃ無いと思って
    「あぁ、もちろんだ」
    なんて軽く言った。
    あんまし深く考えてなかった。

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    703: 大人の名無しさん 05/02/02 03:18:03 ID:cnyRbOHj
    十代の頃、実兄に身体・精神・性的暴力を受けた。
    祖母は知っていて放置し、父も母も助けてくれなかった。


    両親は夫婦仲が悪かった。
    何でもズケズケ言う気の強い母が、婿養子の大人しい父をやりこめる。
    父は普段は我慢しているけど、時々けんかになる。
    また、憂さ晴らしで酒を飲んで、それでまた母とトラブルになる。
    私は母に父の愚痴、父には母の愚痴を聞かされて育った。
    「離婚したらどっちの子になろう」「お父さんの方に行ったら、苗字が変わる。どこに住むんだろう」って考えた。
    何でこの二人は結婚したのかと疑問にも思った。
    母は一緒に遊んでくれたこともあったが、十分じゃなかった。
    小学校時代、学期末の懇談会(先生が保護者に成績を渡して懇談するやつ)の日だけは母が昼から家にいる。
    それが嬉しくて、一緒にいたくてわざと居残ったりした。
    勉強を頑張ると母と祖母が褒めてくれるのが嬉しくて、頑張って勉強した。
    わがままを言って困らせることはしちゃいけないと思い、家族への要望や買って欲しい物があっても言えなかった。
    買ってほしいと言ったのは、高校時代の通学定期くらいではなかっただろうか。

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    394: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2010/10/10(日) 22:57:44.95 ID:87FHd7sw0
    そうだね、面倒見切れないなら残念だけど施設に行ったほうが幸せかもしれない。

    数年前、私の夫が99さんと同じくいきなり前妻の子供を引き取りたいって言ってきた。
    前妻さんが、再婚する時も言われたそうだけど、もう私と結婚していて
    「それは出来ない、お前が養育費出せ、子供を寄越せと言って来たんだから無理」
    と私が知らない間に断ってた。
    でも今回は再婚した前妻さんと前妻さんの現夫が子供を虐待してると聞いて
    私に相談してきた。
    私も、前妻さんの子供と仲良くやっていける自身はなかったけど、
    初顔合わせの時、子供の顔を見て前妻さんに「私が引き取ります!」と言った。
    面倒そうに連れられた前妻さんの子、長女は夏なのに長袖で、
    腕と足には古いのと新しいのと混ざった、やけど、タバコの跡、赤と青の打撲痕。
    暗い表情、汚れた服、虐待のオンパレードだった。

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