カーチャン

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    316: 大人の名無しさん 2007/08/06(月) 08:11:07 ID:DJApjV5h
    お母さんが亡くなって一週間ちょっとになりました。
    まだ現実を受け入れる事が出来ないでいます。

    お母さんが亡くなる5日前に私に言った言葉。
    「あんたを抱っこした記憶が無いよ。だから今、抱っこさせてよ」

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    6: 6 ID:gwACxe4w
    微妙に趣旨とは違う気もするけど自分の話でも
    私は自分が物心付かない頃から両親の離婚で母親の実家で
    暮らしていた。母親が父親代わりというか、働いてお金入れる。
    祖母が母親代わりに面倒見るという環境。
    兄の虐待のお陰で思いやりとか愛情とかとは無縁と思われた
    子供時代だった。心に芽生えたのは憎しみだけ。そして
    その憎しみはすべて母親に注いだ。
    自分だけのせいかはわからないが母親の心は壊れた。
    子供心に自分の限界を感じ父親の元へ逃げた。
    そして愛情のない父親からもまた逃げた。
    遠く離れた土地まで逃げてきた。

    私も大人になり、母親への憎しみは消えていた。
    手のひらを返したように急に優しくしたり電話をしたりはできないが
    これから自分が結婚して子供でもできたら相談がてら電話したり
    多分いい関係に持っていけるだろうと思っていた。

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    596: 大人の名無しさん 03/08/10 21:23 ID:QpX8K9iC
    卒業してすぐに就職したところの人間関係のせいでパニック障害と鬱になって
    私は走っている車から飛び降りようとしたり、自傷行為をしたり、
    彼氏の所に転がり込んでそのまま結婚してしまったり・・・と、
    ここには辛くて全部書けないけど、とにかく親にはたくさん心配させたし迷惑かけた。
    私なんていらない存在だ、死にたい、とずっと思っていた。

    それから何年かして、私はダンナや両親のおかげで随分元気になり、
    子供も授かった。
    でも妊娠の経過が良く無くて、「流産するかもしれません」と言われ
    ずつと横になっていて、すごく不安な毎日を過ごしていた。
    お腹の中のほんの数ミリの命が愛しくて愛しくて、失いたくなかった。
    どんな障害を持っていようと、この子を産みたい。
    そう思って気が付いた。
    親も、私のことをこんな風に大事に思っていたんだ。
    数ミリの胎児どころじゃない、20年も育ててきた私の事、
    もっと愛していたに違いない。
    そう思ったら、涙がポロポロどころじゃなくてまさに嗚咽だった。

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    591: 大人の名無しさん 03/08/09 11:41 ID:H/FVJpNz
    ある女の人が学生の頃に強姦されました。
    男性不信になった彼女はずっと男性を避けていましたが、会社勤めをしているうちにそんな彼女に
    熱烈にアタックしてくる人がいました。
    その男性の優しさや「こんな自分でも愛してくれるんだ」という気持ちから、彼女も彼と交際を始めました。
    そして交際を重ねて二年、ずっと清い交際を続けてきた彼が彼女をホテルに誘いました。
    彼女は「大好きな人とできるのだから怖くない」と自分に言い聞かせましたが、やはりベッドの上で
    パニックを起こしてしまったそうです。
    その時、彼は彼女が泣きながら切れ切れに語る辛かった過去を辛抱強く穏やかに聞き、最後に
    泣き伏してしまった彼女に「ずっと大変な事を一人で抱えてきたんだね」と頭を撫でたそうです。

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    587: 大人の名無しさん 03/08/09 01:02 ID:eD6Kumvs
     あとちょっとで30歳になりますので、許してください。


     私は22年前の1981年10月に、父を腸の癌でなくしました。6月30日
    に入院したときには、すでに末期。当時は入る病院すらなくて、ようや
    く人のつてで入ったようなものです。当時小学校2年生だった私は、
    あまり覚えていませんが(3つ下の弟はもっと記憶にない)、寝苦しか
    った簡易ベッドでの仮眠、数度の外泊をするもどんどん弱ってゆく父、
    そして、亡くなる数日前には「人」で無くなっていました。最期まで苦し
    んだうえに、機械につながれて生かされておりました。最後に父の声
    を聞いてから、1週間で意識がなくなり(今でいう脳死だったのでしょ
    う)、その後数日で旅立ちました。
     10月4日は、所々雲があるくらいで、とってもきれいな青空の日でし
    た。最期の時は、隣に住む人が連れ出してくれたので知りません。
    世間知らずを地でいっていたような母が、一生懸命働いて、今日ここ
    までなれました。

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