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即身仏って今でもなれるの?

 http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1442506487/l50

即身成仏(そくしんじょうぶつ)は、仏教で人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、仏になることである。即身成仏の思想は、主に真言密教の教義であり、真言宗において説かれる。空海の『即身成仏義』により確立される。また、天台宗・日蓮宗においても『法華経』に基づき説かれる。即身仏(修行者が瞑想を続けて絶命し、そのままミイラになること)と混同されがちであるが、即身成仏とは全く別物である。
厳しい修行
即身成仏を開くためには、日常生活の枠から逸する必要があり一定以上の修行が必要とされる。時には比叡山の千日回峰行のように限りなく死に近接することもある。これらの修行の面を重視したのが天台・真言など密教や山岳信仰の流れを汲む修験道である。修験道では修験者(山伏)が白装束(古来の日本では死装束でもあった)を纏って修行するなど死を前提とした点での即身仏と混同されやすい由縁もある。背景には擬死再生の思想があり、山伏の籠もる深山は山中他界と観念されていたのである。山伏は一種の他界から帰還する(=蘇る)ことによって超人的な力(法力)を獲得すると考えられ、平地民の間では天狗のイメージのように畏怖の対象ともなっていた。
禅宗の間でも只管打坐という修行が知られている。
即身成仏の別の解釈
仏教は、仏となること、すなわち成仏を最終目標とし、修行を重ね、さまざまな事象に関する悟りを開くことによって、仏への道を歩み続けて行く求道の宗教である。 精神の高揚を求めて荒行をする宗派もあるが、荒行は悟りを開く為の方法として、それぞれの宗派で考え出された修行法の一種で、必ずしも必要な行というわけではなく、それをやったからといって必ず悟りを開けるというものでもない。
修行をするにあたっては、通常、出家して修行に専念する。それは、通常の日常生活の中では、さまざまな邪念が存在したり、雑多なことに時間を取られたり、気に掛けなればならないことができたりする為、修行の妨げになるからである。しかし、たまに、高度な精神的志向性を持ち、日常の生活をしながら修行を積んでいる効果があって、それにより悟りを開き、そういったことを積み重ねているうちに、仏のレベルに達する人がいる。そういった、出家しないで普通の社会生活をしている中に居ながら、仏となったケースを「そのままの生活をしながらの成仏」、つまり即身成仏と表現する、という説もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E6%88%90%E4%BB%8F
2: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2015/09/18(金) 01:22:52.36 ID:oV2LVA9IO.net
現行法令では自発的に即身仏になるのは自殺の禁止に抵触、即身仏になる手伝いは自殺の幇助若しくは殺人の依託に、即身仏にした遺骸を掘り起こしても改葬で無かったら刑法に抵触するので
日本国内では不可能。
勿論、相手の意志に関わらず即身仏にしちゃったら殺人なんでアウト。

5: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2015/09/18(金) 02:04:34.24 ID:QwV+yMrq0.net
相棒であったよな
カルト教祖が即身仏になろうとするのを
右京達が阻止しようとする話
結局、阻止出来ず教祖が即身仏になっちやうんだが
その後、金色に光る教祖の霊が登場するという
相棒では珍しく心霊的な描写があった

7: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2015/09/18(金) 17:10:13.31 ID:9M1CxWiH0.net
即神仏は自殺であることに代わりはない
自殺そのものがあらゆる宗教で否定されているか、推奨されていない
生きて教えを説いたほうがずっと人のためになる

12: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2015/10/09(金) 03:37:17.05 ID:bWen2hjp0.net
飢餓。疫病。天災といった災いから民衆を救うため即身仏になったと
あるが、これ、神仏の視点からすればどうなわけ?
神々が人口調整のために飢餓や天災を起こしてた可能性もあるわけで。
即身仏になった僧侶の霊は、己の死後も人間界に災いがあることや
死後の世界に悪魔や邪神みたいなワルがいることにショックを受けた
かもね。
ただ、その一方で生前の苦行に耐えたことを神から褒めてもらい
嬉しいかったかも知れない。

15: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2015/10/15(木) 21:44:26.69 ID:PJ9jqiJlO.net
そもそも即神仏になった奴て当時の大量殺人犯とか極悪人の犯罪者じゃん
打ち首とか死刑になるより即神仏になる宣言すれば悪事の罰がすべてチャラになる上に
後世で大事に奉り上げてもらえて極楽にも逝ける至れり尽くせり
即神仏になるまでの過程は想像絶する苦痛かもしれんが被害者側からしたら
犯罪者が罰せられず寺やらに手厚く保護されるってなにそれふざけんな、って状況
人間のエゴの極まった超自己満思考の行き着いた結果だぞ

25: 一京無限@\(^o^)/ 2015/11/15(日) 16:41:28.30 ID:2NTqI7Ce0.net
             「即身成仏(即身仏)のあるべき姿について」

即身成仏を勘違いしている方もおられますが、私も若い頃に、即身成仏を自殺
して、餓鬼の苦しみで死んでゆく僧侶のようなイメージで、とてもできないと
思っていました。

でも、即身成仏(即身仏)は、断食して自殺することでも、難行苦行することで
もなかったことが、真理知識を得て理解できたことです。

即身成仏(即身仏)は、今世において悟りを開くことで、さまざまな障りから自由
自在の心境になることであったのです。

そして、仏の子の仏性を顕現することが、仏と一体となり、心に自灯明の光を灯
すことになり、光の心の器となり、利自即利他の仏の使命を果たして行くことで
あります。

または、如来となり、仏の御心に適うべく光の使命を果たすことであります。

即身成仏(即身仏)の方法は、精神統一をして、現在ただ今の今に意識を集中して、
我を忘れることで、過去の悔いからも自由になり、自分の自己保身欲からも自由
となり、恐怖の未来からも自由となる心境は、無の境地となります。

そして、他の人の幸せを祈ることで、他の人の幸せになる祈りで心は一杯になり、
自我の意識も消えています。

26: 一京無限@\(^o^)/ 2015/11/15(日) 16:45:09.25 ID:2NTqI7Ce0.net
>>25「続く」

そして、他の人の幸せになる祈りで心は一杯の時に、天上界の高次なる高級霊から
慈悲の光が下りてまいります。

そして、心は光に包まれ、他の人の幸せを祈った対象者も心は光で満たされます。

それが、悟りを開いたと解かる瞬間です。

ただ、悟りを開いても、時間や日数が経つと、俗世にまみれると光に満ちた悟りの
心とはならないことが多いので、悟りの維持継続が課題になります。

大概の人達は、阿羅漢果の菩薩の一年生の悟りを開くことが可能です。

27: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2015/11/15(日) 22:25:29.72 ID:iAp6vUuPO.net
>>25
やっと正しく理解された方が出てホッとしてますが一言だけ

一般的には即身仏=ミイラのイメージが定着してるので即身成仏は生きたままで悟りを開く事と定義して即身仏=ミイラとは分けて論じた方が良い様に思われますm(__)m