名もない救援隊

東北関東大震災に対して、加藤大吾をはじめ都留環境フォーラムを中心に有志の仲間が集った「名もない救援隊」の活動報告ブログです。

名もない救援隊

東日本大震災支援活動「名もない救援隊」は
2011年12月31日をもって、活動を終了いたしました。

公式な発表/ご連絡が遅れてしまったことをお詫び申し上げます。

震災発生後、全力をあげて支援を続けておりましたが、
6月中頃、加藤大吾が過労のため急性盲腸となり手術を余儀なくされ、
直接的支援から間接的支援に切り替えておりました。

その後の継続は個人では困難と判断し、皆様からお預かりしたものは
全て、復興支援チーム“リオグランデ”http://blog.canpan.info/riogrande/
に引き継がせていただきました。

ご支援いただきました皆様には心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。


アースコンシャス代表 加藤大吾

餅つき道具が現地で活躍!

持っていった餅つき道具が活躍している様子です。
ブログにアップしてくれました!!

その1
岩手県釜石市橋野地区の NPO法人ねおすの活動
「お花見」
http://blog.goo.ne.jp/neos_hokkaido/e/ecfe7ab842733c2c856fddfb4aa5ac9f

その2
宮城県登米市のRQの活動 
「笑顔の花咲くお餅つき」
http://www.rq-center.net/tome/5279

5/19-22餅つき文化/大工道具/バレーボール隊 21-22報告

名もない救援隊

5/19-22餅つき文化隊/大工道具隊/おだずバレーボール隊 報告

 

5/21

前日から大槌高校でひできと梅さんがバレー部の練習をコーチしている。

この日は釜石商工との合同練習日だ。

それに合わせて合同餅つきを決行!!

また、岩木山自然学校の高田さんとも合流し、ミルちゃん、いっちーは泥のかき出しへ。

餅つきは大盛り上がりで、がんがん突いて、タラフク食べて、大満足だった。

後で聞いた話だと、チームの中のコミュニケーションが変わったと。

泥のかき出しもスムースに進んだようで、返ってきた人たちの笑顔がいい。

 

上栗林公民館避難所は地域の人たちで運営している避難所だ。

代表をしている龍太郎さんと話していると、元部下だったおじさんが寄ってきて「こんなに支援してくれて、一生忘れねえ。何かしらの恩返しをしたい。俺が死んでも、子どもや孫に伝えていく。そういう地域にしたい」そう言ってる間に涙がほほを伝って落ちた。俺も熱くなる。

餅つき道具は奥様方に大好評!「仮説に入る人が出たら、お祝いに突きましょう」「子どもたちの誕生日に突きましょう」

また、奥さま方の日々の家事を休んでもらおうと透さんが明日の夕飯を全部作ることに!! 奥様方は上機嫌だった。

 

 

5/22

9:00 橋野発

このボランティアセンターは最高だ。雰囲気がいい。

また来たい。

18:00 都留市着




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5/19-22餅つき文化隊/大工道具隊/おだずバレーボール隊 報告

名もない救援隊

5/19-22餅つき文化隊/大工道具隊/おだずバレーボール隊 報告

 

5/20

9:00 くりこま高原駅にみるちゃんといっちーを迎え、合流。

昨日、現地の最新情報をもらった宮崎さんと一緒に避難所とボランティアセンターを回る。

南三陸町韮の浜の阿部さん宅へ、大きな壁の上に立って子どもを背中に背負って手を振っている奥さんを発見。以前に、ブログで紹介した手紙をくれた人だ。

大工道具一式を見て、早速手に取ったのはバンセンカッターだった。「船を引き上げようにも網とかワイヤーとかが絡んでて、これがないからとれなかったんだ」口数は少ないが、何回も開けたり閉めたりを繰り替えいているところを見ると大喜びのようだ。気仙沼のホームセンターまで行っても品薄でうってないとのことだった。

続いて、餅つき道具は見事な臼、材料の豊富さにびっくりした様子。餅もないのに突くまねをしていた。家のすぐ裏手の保育園に保管させてもらう事にした。

お茶に呼ばれて、お話をしてみた。最初はガレキの事や漁業を続けるか?売り物になるのか?後継ぎ?などの愚痴も出ていたが、「山梨から来たんならワインを持ってこねーと!」なんて話にもなってきた。俺たちの存在自体を受け入れてくれている感じが最高に嬉しい。自衛隊が運んできたであろう水を使っていれてくれたコーヒーをごちそうになって、次へむかう。名残惜しい。

 

泊浜。お気に入りの避難所だ。

こんちはーー。何回も来ているから気軽な感じだ。

知ってるおじさんが出てきた。

「また来たよー」

「今日は杵と臼と餅の材料と、それから、大工道具を持って来たよ。」

表情が変わって、「おーー!」仲間を連れて外に出てきた。

軽トラに乗せ変えていると、区長さんや親類の人たちもやって来た。

「この区長は東大一発合格なんだ」とか、「遊びにきた時は誰かの家に泊まれ」とか、冗談だかよくわからない感じの会話がなかなか楽しい。

「夏に家族で来たいんだけど、、」っと言ってみた。

「正直なところ、3年ぐらいしてから遊びにきてくれ。そしたら“貝っこ“だってわかめだって、なんでもうまいもんが食えるかんな!」

「餅つき」と聞いてみんな顔がほころぶ。使ってもらえそうだ。

 

この日は、一緒に配布してくれた宮崎さんに5つの餅つきセットを託し、岩手県釜石へと向かうことにする。餅つきの受け入れ先を探すのに苦労するかと想像していたが、意外にもあっという間に引き取られていった。

途中、釜石市内で銭湯に寄って、ねおす自然学校が運営するボランティアセンターに泊まる。大工道具2セットと餅つき道具2セットもこちらへ寄贈。




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5/19-22餅つき/大工道具/バレーボール隊 5/19報告

名もない救援隊 

5/19-22
餅つき文化隊/大工道具隊/おだずバレーボール隊 報告

 

5/19

8:30大量の杵と臼、大工道具を積み込んで都留市発 

9:30石川PAにて大工道具の寄付を受け取る

16:00 RQ登米現地本部 着

この日は移動の1日だったけど、移動中に大工道具を受け取ったり、

突然のかとしゅんの電話によって加藤しゅんじさんと佐々木豊志さんをつないでみた。石巻の拠点からスタッフの融通を受ける事が決まったり、何かと動きがあった。ちなみにかとしゅんは石巻を拠点とするNPOにボランティアで通ううちに、実績がかわれて社員になってしまったという。やっぱり使える男は違うな。光ってしまうんだよね。

先日、かとしゅんと電話で話した。

「今後は現場に常駐することになったんだって」

「そうなんだよ。運がいいことにね」

「こうなったら望まれているところに行くしかないよね」

「そう!できることをやるしかない」
登米市の郊外では丁度、田植えの時期だ。田植機や軽トラが遠くで走っている。
おじさんたちの活気とそれでも巡っていく季節が心地よかった。
 


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つなげる救援【NPO森は海の恋人×コスモ石油】

【NPO森は海の恋人×コスモ石油】

4/17 NPO法人森は海の恋人の畠山さんの実家に
コスモ石油さんをお連れしました。
その結果。
具体的に森は海の恋人を支援する事が決定しました。

6月5日(日)には植樹祭を、
夏には被災した子供たちへのサマーキャンプを

開催する予定にしています。 

詳細は http://cosmooil.info/?eid=46

お連れした甲斐がありました!!お力添えいただきました皆さんありがとうございます。 

つなげる救援【コーアクティブコーチング】

【ポジティブになる話の聞き方】

4/17 4/25 で榎本さんをRQ東北本部にお連れし、
被災地への物資配達と災害ボランティアコーディネーター研修に行ってきました。

そこで、コーアクティブコーチングの手法が
ボランティアスタッフのあり方に非常に有効だということになり、
コーチの皆さんが現地に赴き、ボランティアや被災者の方々と
関わることが検討されています。

近々、実現するようです。

バレーボールプロジェクト

第3便の「おだずチーム」が
大槌高校と交流を持ち、
日本バレーボールのVリーグ関係者の強力を得て、
5/20-5/25に大槌高校のバレー部と公式戦へ向けての
練習をすることになりました。

加藤大吾も餅文化復活の餅つきで5/22あたりで
餅つきに伺う予定です。


気仙沼からのはがき

名もない救援隊の皆さんにお礼のはがきが届きました!!

気仙沼からのはがき、
手間のかかった、心のこもったはがきが嬉しい!

隊員の皆さんと”物や気持ち”が行き来しているのがうれしいです。


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みんなで大工プロジェクト

【みんなで大工プロジェクト】

 現地から「近頃、大工をしたいが道具をかしてもらえないか?」と、
聞かれるとのこと。
また、各ボレンティアセンターの道具類も少ないらしい。
ということで、大工道具を6セット揃えました。

古くからの「結」の文化のように、現地で地域の方々が集まって作業をする。
そんな場面のきっかけを作れたら嬉しいと思っています。

5/20-23で宮城県河北地区〜岩手県大槌町 届ける予定です。 


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餅つき文化復活プロジェクト

1.餅つき文化復活プロジェクト
 東北は餅食文化です。月に2、3回餅をつく家もあるそうです。
また、子どもの誕生日を餅を背負わせて祝う
日本にある古くからの風習が色濃く残っている地域である事もあります。
近所で餅をついていると
「今日はどの子が誕生日か?」
「大きくなったなー」と、話が聞こえてくれば、
コミュニティーの復活のきっかけが掴めるのではないか?と思っています。
津波で寸断された地域の心をつなぐきっかけが
文化や風習の中にあると確信を持っています。

5/20-23 餅つき道具を宮城県 河北地区〜岩手県大槌町 に届ける予定です。

現在、杵、臼、蒸し器など、15セットです。


カラーズ西村さんの報告会in同志社

名もない救援隊 加藤大吾です
京都での報告会のお知らせです。
お近くの方、是非、足をお運びください。


━緊急開催「東日本大震災 津波被災地での支援活動報告会」

 今回の津波の大きな被害を受けた三陸地方において、
宮城県石巻市以北は「ボランティア過疎地」と呼ばれ、
支援の手が届きにくい地域だといわれています。
そこで、ゴールデンウィークの4月30日~5月6日の間、
宮城県の沿岸部の津波被災地である
南三陸町および気仙沼市唐桑半島を中心に
「RQ市民災害救援センター」 のスタッフとして支援活動を行いました。
この地域での被災地や避難住民の方々の
現状や被災地支援ボランテ ィアの現状等について報告します。
市民が手伝える作業もたくさんあり、
RQはそのための活動拠点を現地に 複数構築してきました。
これから現地ボランティアとして活動したい方はもちろん、
ご関心のある方々の来場 をお待ちしております。

日時:2011年5月12日(木)午後7時~8時30分(6時30分開場)
会場:同志社大学今出川キャンパス 至誠館1F  S3教室
   (地下鉄「今出川」、市バス「烏丸今出川」下車徒歩3分)
事前予約不要・入場無料
報告者:西村仁志・西村和代
主催:同志社大学ソーシャル・イノベーション研究センター
協力:RQ市民災害救援センター・環境共育事務所カラーズ
問い合わせ:西村仁志研究室 E-mail: whitewolf@mail.doshisha.ac.jp
案内のpdfファイルは以下からダウンロードできます。
http://www.colorsjapan.com/blog/tsunami-houkoku.pdf

文化風習から復興を勇気づける

現在の寄付の状況報告です
大きい物はかなり集まりました。
ご寄付いただいた皆さん!ありがとう!!


現地の餅食文化/風習を復活させること。
誕生日に餅を食べる風習が色濃く残っている地域だということが解った。
一月に2、3回餅をつく家はざらにあるという。
また、「うちの おばあは餅が嫌いな人は嫌い」なのだとか。
そのくらい餅が大好き。

一升餅:一升の餅を誕生日に背負って歩く行事
餅御膳:お餅を様々な食べ方で楽しむ

餅つきをしていたら、「誰の子どもの誕生日だ!」「おーーおっきくなったなー」
こんな声が聞こえてきそうだ。
分断したコミュニティーの再構築になるかもしれない。
”餅つき”が復興の動機になればいい。


【道具】
臼&杵 15セット
せいろ33cm以上 2段 10セット   ※5セット不足
くど(へっつい) 0個   ※15セット不足

【材料】
餅米 150kg   ※850kg不足
あんこ    ※圧倒的不足
きな粉/砂糖   ※圧倒的不足
醤油   ※圧倒的不足
のり   ※圧倒的不足

提供できる方がいらっしゃいましたら、
よろしくお願いします。

5/15-22あたりで4日間程度で
現地に届けようと日程などを調整しているところです。

5/13くらいには集めようと思っています。
転送など、ご協力お願いいたします。


震災ボランティアバスの運行

名もない救援隊 加藤大吾です

震災ボランティアのみなさん、ありがとうございます。

GWにはかなりの人数がRQ支援災害救援センター関係の
現地ボランティアセンターへ足を運んだと聞いています。
みなさんのご好意が現地で活きたのだと思います。

このGWが明けると「一気にボランティアの数が減ってしまう」と
現地のボランティアセンターから切実なメールがありました。

現地との信頼関係の中での活動では継続する事が非常に大事だと
個人的に今の暮らしを作ってくる中でも同じ事を感じてきました。

RQでは、ボランティアバスを運行する準備を始めているようですので、
そちらのご案内をしておきます。
決定次第、以下のWEBでご案内されると思います。

http://www.rq-center.net/rqsetumeikai

現地入りをご検討ください。
よろしくお願いいたします。

名もない救援隊での学びを共有します


名もない救援隊 加藤大吾です

先日、某企業さんの社員向けボランティア説明会と
相模原市藤野にて途中報告会に行ってきました。
カンパもいただき、
加藤大吾著「地球に暮らそう」も10冊チャリティー販売しました。
現地に更に10冊をお届けします。合計113冊
ありがとうございます!

そこで共有した学びをお伝えしておきたいと思います。
以下、スライドの抜粋です。


  【一次産業の底力】
    ・漁師町―廃材で家を建て始める
     ・新興住宅地ー物資を待ち続ける
     同じ境遇に中で
      「海があるから大丈夫だ!」
      「ぜってえ復興すっから!」
      「あっちが大変だから、先に行ってくれ」と言えるか。


  【震災ボランティアの立場】
    自衛隊:命を守る
    行政:平等に与える
    NPO/市民:????? 
    命を守るだけじゃない。豊かさ
     平等とは何か?


  【救援活動の変化】
   ・命を確保するための もの
        救命 → 生活
     ↓
   ・心の支援
        復興に向かう心、未来を作る心
     ↓      ↑
   ・文化、風習、心のよりどころの復活
        餅文化 学校 公民館 神社仏閣


  【今思えば、、、】 その1
    山梨県都留市のかとうさんちには、、、
    ・米、野菜、肉、水、がある
     ・電気は必要最低限=暗闇になれている
     ・仲間がいる
    生きていく事に余裕がある、心配なく家を出られる
    だから、家族を残して現地に赴くことができた


  【今思えば、、、】 その2
   既に現地にいた経験豊富な先輩との電話で
    「はじめてで、、不安で、、、」
    「俺だって現場に入る前はナイーブになるよ」

    誰でもナイーブになるんだ!
    誰もがそれを乗り越えていくんだ!
    それを超えることが必要とされている


  【今思えば、、、】 その3
   市民活動の可能性
      ・たった3人から
      ・メールだけで告知
      ・ヒトデ型組織
       ー 権力や上下が必要最低限
       ー 1人1人が主人公として
       ー 勝手にやってもらう やりたい事をやってもらう
       ー 成功にこだわらない 確証がない
       ー 人員構成が不明
   市民の想いが重なること(確信があること)が重要
   協力してくれる人から「ありがとう」が聞こえてくる。


  【ご寄付】

   物資提供:350件(1000名以上?)
   資金提供:221件
   労働提供:400名

  【資金】 5月2日現在

   入金:5,352,900円
   支出:3,994,810円 ※未払金50万円程度あり
   残金:1,358,090円


宮城県南三陸町からの手紙

南三陸町から手紙が来ました。
隊員の皆さんにも共有します。

名もない救援隊のみなさん

こんにちは
皆様に沢山の物資を運んで頂いた
南三陸町の○○浜の3児の母です。
==中略==
皆さんがはるばる沢山の物資を運んで頂き、
本当に嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいです。
お餅がつけないからと、わざわざ非常用のを
持ってきてくれたり、ランタンまで。。
今でも助かってます。
==中略==
実家で餅をついもらい
もらった餅と一緒に背負わた所
大泣きでした!!※一升餅という習わし

まだ、ライフラインは一つも復旧していません。
ここは僻地ですから。
==中略==
皆さんのお気持ちを支えにこれからも
ここでふんばっていこうと思います。


長女(小5)の手紙にはビーズで作ったキーホルダーが4つと鶴が入っていました。
==全略==
お礼がしたいので、そこで私は考えました。
そして、私が得意なビーズで何か作ろうと思いました。
キーホルダーですが、よかったら受け取ってください
お体に気をつけてお仕事がんばってください!!


加藤家の子どもたちは早速ビーズを送ることにしました。

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RQ災害ボランティアコーディネーター研修の様子

4/24-25 研修の様子

1枚目 歌津地区のボランティアセンターテント村立ち上げの様子
    後ろのでかいテントは世界食料機関WFPのテントこれも近日立ち上げたもの
2枚目 登米本部にて研修の概要説明
    コーアクティブコーチングのスキルをお伝えする時間を盛り込んでもらいました
    この後、被災者との関係性についてのレクチャーなどをしてもらいました。
    今後の研修や活動にこのスキルを有効に使わせてもらえそうだ。
3枚目 コーチのヒデさんとひらさん
    歌津駅前にて、衝撃を隠せない。

写真に撮るのを忘れてしまったけれど、
今回は”餅つき道具”をボランティアにお渡しし、
”餅つき隊”を作ることができました!!

===「只今、餅つき道具の寄付をお願いしています」===

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4/16-18 復興の様子

復興の様子

1枚目 仮設住宅?コンテナハウスが運ばれて行く。
    10台くらい連なっていたが、絶対的にふそくしているだろう。
2枚目 津波で消えた道路が復活していた。
    景色がかなり変わってきたので道に迷ってしまう
3枚目 自衛隊などによるガレキの撤去はすすみ、束ねられている様子
    ここから、細かいガレキの破片の処理などはボランティアのできる仕事になる
4枚目 ガレキの集積場
    かなりの量が集まっていた。


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NPO森は海の恋人に企業をお連れしました


4/16日 5便 の写真です。

NPO法人森は海の恋人の畠山さんのところに
某石油会社の社会貢献事業担当者をおつれした時の写真です。

1枚目 津波の高さまで漁具が森の中に点在している様子です。
2枚目 具体的な支援策について打ち合わせ中!経済的な支援を約束していただきました。
3枚目 牡蠣の養殖場の様子。なんにもなくなっていました。


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餅つき道具 寄付のお願い

名もない救援隊 加藤大吾です

餅文化を復活させることはコミュニティーの復活につながる。
文化風習が地域のつながりを再生する。
俺には確信があります。

またまた、お願いです。
現地でもちつき隊を結成しました。
これを10チーム作りたいと考えています。
以下、提供できる方をご紹介ください。
よろしくお願いします!!

杵&臼 10セット
蒸し器2段 10セット
鍋 10個
五徳orくど(へっつい)10個
餅米 1000kg
のり
醤油
あんこ
きなこ


ご協力いただける方以下にご連絡ください。
よろしくお願いいたします!!

homepage@earth-c.info 名もない救援隊 加藤大吾



名もない救援隊 第6便報告

名もない救援隊 加藤大吾です

予告する間もなく、急遽、4/24-26第6便で
登米市/南三陸町 RQ災害救援センターに行ってきました。

今回の目的は、
1つはRQにて「第一回災害ボランティアコーディネーター養成講座」を
実施するということで、この講座の中でにコーアクティブコーチングの
コミュニケーションスキル「ポジティブになる話の聞き方」
「被災者と対峙する際の自分のあり方」を紹介する。
そのために、榎本さんと平川さんに来てもらった。
1時間ばかりの時間をいただいてレクチャーを終えると
これは、「現場で使える!」と皆さんから共感いただきました。
今後、何かの形で導入されて行くと思います。

もう一つは、現地の餅食文化/風習を復活させること。
誕生日に餅を食べる風習が色濃く残っている地域だということが解った。
一月に2、3回餅をつく家はざらにあるという。
また、「うちの おばあは餅が嫌いな人は嫌い」なのだとか。
そのくらい餅が大好き。

一升餅:一升の餅を誕生日に背負って歩く行事
餅御膳:お餅を様々な食べ方で楽しむ

餅つきをしていたら、「誰の子どもの誕生日だ!」「おーーおっきくなったなー」
こんな声が聞こえてきそうだ。
分断したコミュニティーの再構築になるかもしれない。
”餅つき”が復興の動機になればいい。
杵、臼、蒸し器、鍋、五徳、餅米100k、調味料などをお届けしました。
その場でRQの中に”もちつき隊”を作ることが決まりました。

現地の様子はだいぶ変わってきました。
自衛隊のガレキの撤去はずいぶんと進み、
道路網の回復、電線の回復は目をみはります。
残念ながら、三陸鉄道気仙沼線は全く手が付けられていない状況。
ブログにて近日中に写真を公開します。

読んでくれてありがとう!
みなさんの応援で現地に行くことができています。
現地に皆さんの応援も一緒に届けます。
ありがとう!

「地球に暮らそう」をプレゼントしました。

加藤大吾です

4/9-11にかけて
途中報告会 in東京、関西、広島、京都
各会場で報告をさせていただきました。
 
その際に加藤大吾著「地球に暮らそう」をチャリティー販売しました。
http://www.amazon.co.jp/地球に暮らそう〜生態系の中に生きるという選択肢〜-加藤-大吾/dp/4990556305
1冊1000円のところ2冊1000円で購入いただき、1册は被災地へ。
202冊ご購入いただきましたので、101冊。
第5便で持って行きました。
この配布方法は非常に迷いました。
迷った結果。
RQ登米現地本部のボランティアスタッフに差し上げ、
読んでいただいた後、
仲良くなった被災者の方/差し上げたい被災者の方にあげてほしい。
あげられなかったら、もちろん次のボランテしアスタッフへ託す。
ということにしました。
101冊の元気が被災者の皆さんに届きます。
ご購入いただいた皆さん。ありがとう!!

名もない救援隊 第5便 報告

名もない救援隊 第5便 報告

4/16
15:00都留発
最近、家を開けることが多くなってしまって家族が恋しい気分だ
16:20新宿着 新宿合流
今回は石油会社、通信教育会社、コーチングの会社など、
現地で何か取り組みたいと思っている方々とご一緒する。
ひできと会って3便の現地の生状況を聞く。
携行缶を受け取り、元気をもらって出発だ

途中の高速道路は奇麗になおっている所ばかりで、
余震で壊れていると聞いていた所も全く問題ない。
対向車線には時々赤い灯火を光らせて緊急車両が通っていく。
時々ある段差にスピードを緩めながら真っ暗の高速道路を駆け抜ける。
ほとんどのパーキングエリア、ガソリンスタンドは通常通りの営業に戻っていた。
燃料事情はかなり良いようだ。

高速道路を降りることにはもう真っ暗だ。周囲の状況が解らないままに、
今日は未だ動いていない東北新幹線のくりこま高原駅前のビジネルホテルに泊まる。
明日、現地に入るのが待ち遠しい。


4/17
朝食をいただき、現地へ向かう
もう解っている道を快調に進む。
前回、落っこちていた途中の橋はまだ普及しないままだったが、
倒壊した家屋がちらほらとあった地域ではほとんど片付けられていた。
9:30 RQ登米現地本部に到着
挨拶する間もなく、「大吾、遅いぞ!もうでるぞ!」
全員、もとの車に乗り込んで、
広瀬敏道さん、佐々木豊志さんの車の後ろをついていく。
到着したのは唐桑半島のつけね。
そこでも、自己紹介はお預けのまま、
牡蠣の養殖場を通って山の上へ歩いていく。
大きな家の前ではチェーンソーで薪を作っていた。
未だ、電気、水道が不通のままだ。

家の裏手の手作りのベンチで
NPO法人森は海の恋人の代表の畠山さん http://www.mori-umi.org/
とお話しできた。
「地震の後、すぐに漁船を沖に走らせたけど、津波が高すぎてまきこまれちゃって。
操船不能でどこにいるやら解らなくなって、、、陸地が見えたから船を捨てて飛び込んで、泳ぎついて助かったんだよー。判断ミスだね。」って。普通に話していた。
なんと強い人なんだろう。

漁具もない。牡蠣の種もない。船もない。筏もない。どこから手を付けていいものか?と話していた。
海底の調査も始めたが、相当の量が海に沈んでいるため、筏のいかりをおろすこともできない。
ここで知ったのは、昨年も津波の被害があったということ。
地震の前日、前々日にも地震があり、その時の津波は数十センチ程度だったこと。

NPOへの支援の話がスムースに進み、担当者の方が環境教育プログラムと地域の生態系の回復への取り組みを約束してくれた。きっとこれから社内の調整などに多大なお手数をおかけするだろうと想像できる。ありがとうございます!

持ってきた豚肉と鶏肉を手渡し、出発する。
いくつかのボランティアセンターにたちより、
今後の支援の形を探りながら帰る。
ボランティアのあり方について佐々木さんにお話しする。
一緒に来てもらった榎本さんにコーチングの話をしてもらうと
「今、それが必要なんだ!」と、
夕食後、話が進む。まずはボランティア研修に入れそうだ。
ここから、その先のできることが広がっていくことは間違いないだろう。

この夜は特別だった。
佐々木豊志さんと島野さんの誕生日。
ケーキ、シャンパン、ワイン。
それぞれ量は少ないけれど、70名近いみんなで分け合って楽しんだ。
名もない救援隊からは焼き肉を食べてもらった。
焼き肉をテーブルに持っていくと拍手が沸いた。みんなニコニコしている。
自然と「ありがとう!」ってみんなが言っている。
ケーキも、シャンパンも全員が楽しみを分かち合った。
登米本部の雰囲気ががらっと変わったような気がした。
俺は前向きなボランティアが大好きだ。
ポジティブな流れが被災者の誰かを勇気づけると信じている。


4/18
泊浜生活エンターへ行くことにする。前回「塩漬けわかめ」をもらった所だ。
ここに行く特別な理由はない、泊浜が好きになってしまったからだと思う。
自衛隊による瓦礫の撤去は徐々に進んでいた。
海沿いの道が復旧し、景色が違うので、道に迷いながら進んでいった。
到着すると見たことのあるおじさんがいた。
「また来たよ!」「また来たのー!ありがとう!」
物資は行き渡っていた。安心した。
漁業への支援はできないか?立ち話が進む。
広島の牡蠣と三陸の牡蠣 何か共通項や役に立てることは?
漁業従事者どうしで何か協力ができるのではないかと。
ここでも、漁具のすべてを流されたと。
牡蠣の種はわずかながら残っている。
海に瓦礫が多くて自分の力ではどうにも片付けられない。
80CMの地盤沈下で港に船がつけられない。
どこから手を付けていいもんか?
「やりたいんだけど、、スタートラインにたてない。」
これだけ聞いても膨大な手間と費用がかかることは明白だ。
圧倒的な国の支援が必要だ。

お父さん方と話している横で、おばあちゃんが女性スタッフに何か話していた。
ちょっとそちらに注意を向ける。
「生活の用品がないの、毛布は家族に3枚だけ。家も車もすべて消えてなにもないの、孫がいるから、、、」
そこで、声がなくなり、目が赤くなった。
肩に手を当てて、「世界が全員が、応援しているから」

豚肉、鶏肉、タバコ、調味料を手渡し、
新たに開通した海沿いの道を帰った。
RQに生活関係の物資提供情報をお伝えした。
また来よう。

RQ登米本部で久しぶりに再会した片岡さんに大量のお餅を託した。
彼女は「子ども元気村」というRQのイベントを担当していた。
そこで、子どもたちにお餅を振る舞ってほしいとお願いしたのだ。
前回、地元の方に聞いたのだが、
この辺りの風習で、子どもの誕生日には
「焼き餅ぜんざい」という餅を食べる風習があるらしい。
沢山の子どもが集まっていれば、誕生日のこどももいるだろう。
餅を食べながら「大きくなったなー」「来年は小学生か?」
なんて話をする姿が想像できる。
文化や風習をつないでいくことが、
地域のつながりを復活させるのではないかと思う。


皆さんのご協力で「名もない救援隊」の活動をさせていただいています。
物資、資金、その他沢山のご支援をいただいてます。
ありがとうございます。 加藤大吾






震災現地ボランティアのお誘い

【ボランティアのお誘い】
==!転送お願い!==

名もない救援隊第5便が無事戻りました。現地で驚きました。
あまりにボランティアが少ない。
今回の被災地は今までのものに比べて圧倒的に広範囲。
そして、距離的に遠いこともありボランティアの滞在時間が短い。
膨大な作業量に対してボランティアの人足不足は必至。
現地の方から瓦礫撤去後の清掃作業などの依頼が
続々と来ているにも関わらず、
現地本部はそれに対応できていない。
それは圧倒的なボランティアの少なさから対応できないのです。



====ボランティアのお誘い====
RQでは一週間程度の滞在がのぞまれています。
→以下のRQセンターへ申し込み http://www.rq-center.net/

私の感覚では現地に3泊できるなら十分に活躍できます。
2人~のグループで乗り合わせて現地入りするのがいいでしょう。
→そのような方でご希望の方は個人的に homepage@earth-c.infoへ
→代表者氏名、人数、携帯電話、希望日をご連絡ください。

ー【至急】ボランティア【至急】ー
GWには大人数のボランティアを受け入れられるように準備したいけど、
日々のボランティアで精一杯という現状。
ボランティア300名を受け入れるためのテント村を作りに行きませんか?
テント初心者でも大丈夫!!グループを作って現地へ!!
→そのような方でご希望の方は個人的に homepage@earth-c.infoへ



====イベント/芸術などできる方へ====
昨日は避難所での落語の講演が決まっていました。
そのような被災者の皆さんを勇気づけるような何かができる方。
今が出番です!!
以下の情報を読んでメール rqtome@gmail.com



====宮城県登米現地本部の情報====
RQ市民災害救援センター:http://www.rq-center.net/
RQ宮城県登米現地本部連絡先:rqtome@gmail.com

【仕事内容】
ボランティアは男女ともに体力にあわせて仕事を選ぶことができます。
仕事の内容は瓦礫の撤去、現地の掃除、物資配達、炊事、送迎車の運転など。

【イベント】
仕事を立ち上げることもできます。
昨日も「子ども元気村」というイベントを立ち上げていました。
現地で落語を提供していただけるなどの声もいただいているようで、
避難所とのマッチングも行っています。実際に実施が決まっています。

【放射線量】
放射線量の心配がある方もいらっしゃると思いますが、
現地にあるガイガーカウンターは東京とほとんど一緒の数値を常に示していました。

【ライフライン】
登米現地本部には水道、電気、ガスなど、
最低限の生活に必要なライフラインは揃っています。

【食事や寝床】
食事は登米現地本部にて提供されます。
佃煮やふりかけなど、持って行ってもいいかもしれません。
差し入れ/名産品のお国自慢は大歓迎されること間違いなし!
寝床は体育館の中にテント村が作られていますので、
使用できるテントを割り振られます。
自分の寝袋/食器は用意した方がいいです。

【持ち物と服装】
特別な持ち物はいりません。
運動靴と動きやすい服装、防寒着は必要です。
作業に応じてスコップや長靴などの貸し出しもあります。

【交通】
基本的に自分で手配する必要があります。
現実として、車で現地に行くのがいいでしょう。
ガソリンは現地でも入れることができるようになりました。
金曜日東京出発で木曜日戻りの8人乗りが運行しています。
希望の方はRQ東京本部のボランティア受付に登録する必要があります。

【保険と責任】
ボランティア保険が各市町村の社会福祉協議会が扱っていますので、
加入することをお勧めいたします。
※怪我や事故などは全て自己責任となりますので、活動及びそれに関係する全ての行動には十分な注意が必要です。


========
ボランティアは断らない。
少なからず家を出る時に全ての調整をとりつけて、そこに向かう、
誰かの役に立ちたいと奮い立った気持ち。
これを断ることはない。
現場では、すばらしい共感と感動が次々とうまれる。
汗も流れるが時には涙も流れる。
ボランティア同士の出会いにも恵まれるだろう。
あげるものも多いがもらうものも多い。
ありがとう!
(EC加藤大吾)
========

4便/5便が出ます!

【4便】
4/16-20
高田研さんを中心にあおぞら財団の皆さんと一緒に岩手県遠野ー釜石市に入ります。
今回は物資を現地近くで購入し、被災者とボランティアに向けての物資を届けます。また、今後、ボランティアバスを現地のNPOと連携して運行しようと、その可能性を探ります。


【5便】
4/16-18
燃料系企業、通信教育企業、コーチング会社、河野さん、腰桐さん、加藤大吾 で登米市ー南三陸町に入ります。
物資を届けることもありますが、支援したい企業の皆さんと現地をつなぎます。
現地の生態系の回復、子どもたちの学習支援、被災者且つボランティアへのフォローなど、できることを探ります。また、現地の漁協への支援の可能性も探る予定です。


【今後】
このような活動を継続的に続けていきたいと考えています。
今後とも資金のご提供をお願いいたします。

日本財団「支援活動助成」募集のご案内

報告会でもお伝えした、情報のご案内です。

日本財団ROADプロジェクト
「東北地方太平洋沖地震 災害にかかる支援活動助成」募集

第3便 おだずチーム 4月11日報告

第3便 おだずチーム 報告


Day 4

4月11日(月)

気仙沼⇒南三陸⇒登米⇒横浜

 

7:00出発。

「震災から1ヶ月。。」と、コンビニにあった新聞の見出しに書かれていた。給油を済ませて出発。通行止めの箇所は迂回路を回って回避。ダイゴが行ってみて、まだまだ物資が届いていなかったという半島の先、泊浜生活センターを目指したものの、半島の入り口がわからない。手元の地図上に表記されているコンビニや交差点が見つからない。何度かUターンし往復してわかった。コンビニは跡形もなくなっていて、交差点の標識も倒れた。交差点を曲がって半島方面に進んでみた、暫く進んで聞いてみると。「この道は行けない」という。再び戻って別の交差点からアプローチ。瓦礫のなかのクネクネ道を進むと、前から来た軽トラックとすれ違った。車越しに聞いてみる。「物資を届けている」と言ったら、「何か少しいただきたい」という。お餅とハムを手渡した。泊浜の避難所までの行き方を教えてくれた。 


8時半過ぎ、泊浜の避難所に到着。これもあれもと、おしるこ、おもち、カンヅメは箱単位で届けた。お父さん方は、タバコにウィスキーに大満足。元気なお母さん方には下着が大好評。ここから先にも、まだ避難所があると聞き泊浜を後にした。


瓦礫の平野をゆっくり進むと左手の小高い丘の上に、避難所をみつけた。トラックであがってみると、数人のお父さん方が焚き火にあたっていた。残り僅かになった荷台の物資をみて殆どのものが必要と言われ届けることに。食料、タバコ、お酒、カイロ。。。道路が寸断されていたために、物資は海から船で届けられたと言っていた。ここのリーダーに名前を聞いたらクラヨシさんと言っていた。手渡したタバコのカートンは、彼がその場でみんなに分けていた。クラヨシさんが、「できれば、無理しなくていいけれども、欲しいものがある」という。「何ですか」と聞けば、「お年寄り用のオムツと、1歳児用のオムツが必要」という。新生児用のオムツがあったが、それでは合わない。クラヨシさんは、何度も何度も同じこと言う。「お年寄り用のオムツと、1歳児以上のオムツが必要」。。。多分、10回以上は言っていた。「宅急便は届きますか」と聞いたら、「届くと思う。。。」と言われた。避難所の住所を聞いた。お母さん方は梅酒とワインに大満足。お父さん方はお酒とタバコ。嬉しそうな笑顔がいっぱい。みんなの写真を撮って非難所を後にした。携帯の電波が届くところまで、戻って横浜に電話。クラヨシさんから聞いた住所を伝え、お年寄り用のオムツと1歳児以上のオムツを宅急便で届けてもらうことにした。

 

これでOdaz (おだず)Yokohamaの任務完了、帰路についた。レンタカーしていた2tトラックを返却し横浜の自宅に到着したのは19:30。走行距離は1,570kmだった。

 

 

何が起こるか、何を起こせるか、どこに行くのか、現地にはいって現地の人と会って話してみないとわからない。そんななかで、たくさんの笑顔と出会い、たくさんの人とつながりができました。これから、何かまた始まりそうな予感がしています。

 

応援してくださったみなさん、どうも、ありがとうございました。

(ひでき)

第3便 おだずチーム 4月10日報告

第3便 おだずチーム 報告

Day 3:

4月10日(日)

栗林⇒大槌⇒大船渡⇒陸前高田⇒気仙沼

 

7:30出発

朝、部屋に差し込む太陽の光で目が覚めた。外に出てみると、気持ちのいい朝。空気が美味しい。遠くにはウグイスが鳴いている。昨晩の上栗林集会所で知り合ったみんなの笑顔を思い浮かべながら車を海に向かって走らせた。すぐ目に飛び込むすさまじい風景、川岸に打ち上げられた瓦礫、全壊した家、ペッシャンコになってひっくり返った数々の車。昨日、上栗林で会った親子の板金屋があったと思われる場所には何もない。ここに一つの町があったのだと思う。上栗林集会所に非難している人々が暮らしていた町が。いまは、その跡形もない。自然の驚異、壮絶なダメージ、「何でこんなになっちゃうのか」とやり場のないなんとも言えない気持ち。そんなかで、上栗林のみんなの笑顔が再び蘇る。「人間っていいな~、あたたかいな~」。昨晩の帰り際、三兄弟の末っ子、わたるさんが言ってくれた、「みんな応援してくれるから、俺たちがんばれる。本当にありがとうございます」と、「みなさんの頑張る姿に元気づけられるのは、僕たちのほうです。。。。」と言おうと思ったが、言葉にならなかった。ただ二人で目に涙を浮かべているだけだった。「上栗林のみんなが頑張っている。僕たちできる事をやっていこう」と思った。 靴を届けると約束したバレー部のある大槌高校にむかった。

 

大槌高校についたのは、7時30分過ぎ、校長先生と会って話すことができた。靴を届けて話しを聞いた。「体育館を避難所に使っているので、バレー部の練習をさせてあげられない。」 Vリーグが次のステップとして、青空バレーボール・コートを作ろうと、ネットとポールを届けることを考えているようですと話した。校長さんは、それが実現できれば、本当にありがたいと言った。「生徒が一生懸命にスポーツできる環境をつくってあげたい。一生懸命にスポーツに取り組む生徒の姿を見るのが、私たちの喜びです」と校長さんが目をうるませて言っていた。

 

大槌高校を後に、大船渡、陸前高田と南下した。半島を回り、昨日行った箱崎地区のように、まだまだ物資が届けていないところに届けたいと思っていた。 釜石と大船渡の境で海に突き出た小さな半島を回った。海岸沿いを時計周りに回った。海沿いの道がやがて上り始め山道となる。左側は海、路肩は地震の影響で崩れたり、亀裂が入っている。右側の山斜面から落ちた土砂や落石も目に付く。左も右もいやだ。そんな道を進み、集落がありそうな道を見つけて下ってみた。住居はあるが、あまり人の気配がしないと思っていたところに、下の方から、大きな袋を両手に持ってゆっくりゆっくりと坂道を登ってくるお母さんがいた。車をとめ、窓を降ろし話しかける「この辺に避難所ありますか」、「あるよ」、「どちらですか」、「バックバック」と、車をUターン。助手席にいたとおるに一旦荷台に行ってもらい、お母さんに乗ってもらい道案内をお願いした。くねくね入り込んだ道、自分達だけでは辿りつけない。 避難所について、自然発生的に青空フリーマーケットが始まる。トン汁セット、鶏肉セットをそれぞれ、まずリーダーに渡す。若い女性も集まる。下着類は男性には眩しいかから、隠れて選べとリーダーが配慮。笑いと元気が沸き起こる。途中からきたお母さんが、最初に会ったお母さんに尋ねる。「あんたの知り合いが来たの?」、「んん、さっき友達になったの。。。」と“おだず”な感じ。ついつい僕も、「僕はひでき、お母さんは」と聞いたら、「わたしは、あさこ」。二番目にきたお母さんがいってくれる「ホントありがたい。。、いつもだったら、ホタテとワカメをあげられるんだけど。。全部ながされた。。」と。次から次へとくるおじさんには、長靴も喜ばれる。もちろんタバコ、ウィスキーも。子供にはお菓子とVリーグを通じてもらったハンドボール。みんな喜んでくれた。「来てよかった~と」と、とおると握手。「あさこさんは、“おだず“だよな~」と、「俺たちのチーム名も”おだず“がいいんじゃないか」となりました。 この場所は、千歳(せんざい)という町。また訪れてみたいと思った。

 

千歳を後にして、南下しながら、引き続き半島を回ってみた。いくつかの避難所を尋ねてみて様子を聞いてみると「物資は足りてきてるな~」、「ここにいた避難者は、行き先が決まったみんな出ていかれた」というところもあった。場所によって、状況は全く異なる、行ってみないとわからないと、午後になっても半島めぐりを続けた。 大船渡をすぎ、陸前高田にきたときには、再び、おどろいた。海岸からひろがる平野地帯は全部やられている。津波はどこまで入っていったのか、ただ自然の猛威に驚き、その凄さを知らされるだけであった。

 

16:00過ぎ、陸前高田から気仙沼に入り東南に突き出した唐桑半島に行った。半島に入って直ぐ海岸沿いに出た。アスファルトが全て剥ぎ取られた後に復旧された砂利道を上る。どこに向かえばいいのか、ひたすら半島の先端まで車を走らせた。先端まで行き、車をU-ターンしたところで、若い男性にあった。そこから戻って海側に降りたところに避難所があるという。行ってみた。太陽はだいぶ傾いていた。避難所が見えてきた。お父さんとお母さんが非難所そとで何か作業をしている。お母さんに聞いてみる。「物資を届けに回ってます。豚肉や鶏肉とかありますよ」と、すぐに「ほしい~」と返事が返ってくる。「甘酒セットもある、カンヅメもある」と言うと、「それも欲しい~」といい、避難所のリーダーを呼びに言った。赤いセーターを着た元気なお母さんがきた。みんなから会長と呼ばれている。自己紹介した。「僕たちはひできととおる、お母さんは?」 「私はあさこ」と豪快な笑い声。青空マーケットが始まった。女性用の下着、ブラジャー、基礎化粧品、ゴム手袋と手にとって喜ぶ元気なお母さんたち。「ありがたい、ありがたい、飯を一緒に食っていけ」と勧めてくれる。一緒に食べて行きたい気持ちもやまやまだったが、日も暮れかかっていた。「また来ます」と避難所を後にした。 

港沿いの車一台分しか通れないような道、この道はホントに続いているのかと思いながら進んだ。半島の入り口まで戻ったときには、太陽は沈んでいた。翌日の訪問予定地、ダイゴ部隊が前回行った歌津町方面にできるだけ近づいていこうと国道45号を南下。「この先通行止め」という表示に車を止めどうするか考えた。日も暮れて暗いので、今日はここまで。近くにあったコンビニの駐車場に2tトラックを停め荷台に寝床をつくって眠ることにした。

第3便 おだずチーム 4月9日報告

第3便 おだずチーム 報告

Day 2:

4月9日(土)

前沢SA⇒花巻⇒釜石⇒栗林⇒大槌⇒箱崎⇒栗林

 

6:05 前沢SA 発

朝方、幌(ほろ)に叩きつける雨音で目を覚ました。今日は雨だ。いろんな考えが頭の中をぐるぐる回った。勝手に思い描いていたイメージでは、まだまだ物資が行き届いていない避難所を訪問し、そこで青空バザールをやる。バラエティに富んだ品物のなかから、必要としているものを選んでもらう。。。 雨だとどうなるのか。。どこでやれるのか? たくさんの友人から預かってきた温かい思いのこもった物資、これらを現地の方々に届けられなかったらどうしよう。。。?不安がよぎった。 出発前、妻の話しを思い出した。「現地に行けば、できる事が必ずあるよ。。」と。「そうだ、行ってみなきゃわからない、まずは、行ってみよう」とトラックのキーを回した。

 

花巻南ICの待ち合わせ場所に到着したのは6時半を少し回っていた。ウメさんのワゴンは先に到着していた。彼らの部隊は総勢9名。元日本代表の有名プレーヤーもいるらしい。大船渡、陸前高田あたりは、バレーボール熱の高い「バレーボールの町」。 バレーボールを被災地に届け、バレーボール教室などやる予定だという。ここで、僕たちも公式試合球を50個受け取った。

 

ウメさん部隊とは行動か別々になるが思いは一緒。僕たちのところに集まった物資もたくさんの友人からだ。いる場所は別々だが思いは同じ。みんなが一緒に動いているような気がして、朝から元気が沸いてきた。

 

花巻からは順調に東へ進んだ。午前8時に遠野を通過、9時前には釜石市に入った。ここで、宮古ヤクルトの釜石営業所に立ち寄りヤクルト製品をトラックに積み込んだ。お茶、ジュース、健康飲料、基礎化粧品まで、ヤクルト関係の友人からのご好意でいただいた。やさしい顔の所長さんからは、ありがたいアドバイス。「海沿いの被災地は粉塵が凄いからマスクを忘れずに。道には、まだまだ、釘など落ちているからパンクに気を付けて下さい」と、さらに、道中気を付けてと、現地限定品のペットボトルのお茶を僕たちに持たせてくれた。

 

10:00 栗橋基幹集落センター着

栗林地区は前回ダイゴとともに訪問した。その時に会ったNPOのスタッフがまだ現地にいて、僕たちの到着前にいろいろとコーディネートしてくれていた。10:30からは、彼女たちのNPOが主催する「青空喫茶」で、甘酒をサービスしようと予定したが、雨のため残念ながらキャンセルとなった。この日の夕方18:00からは、上栗林集会所でトン汁サービスを予定していたので用意してきた野菜、豚肉、みそを集落センターに置き、僕たちは上栗林集会所に向かった。

 

上栗林集会所のリーダー、リュウタロウさんに再会した。彼の立ち居振る舞いには貫禄と人間味があふれている。会うのは2度目だが、ずっ~と前から知っていたような気になる。リュウタロウさんに聞いてみた。「僕たちは、まだまだ物資が届いていないところに届けたいと、いろいろな物資を運んできました」 ここの集会所は、約60人が集まっている。スペースも十分でないため、物資の置き場所にも配慮が必要。リュウタロウさんのアドバイスで、ヤクルトからいただいたお茶とジュースを届けた。こんなものもありますと、袋に入れていたスコッチ・ウィスキーを見せたところ、「ここでは、いまは、みんなで酒はガマンしようと決めているから」と。お酒の渡しかたは難しいと思った。バレーボールの話をしたところ、別の非難施設となっている栗林小学校のリーダーに任せるといいとアドバイスをいただいた。18:00にトン汁60人分を運んできますと打ち合わせをして、僕たちは、栗林小学校に向かった。

 

栗林小学校には約220人が集まっている。ここのリーダーにバレーボールの話をしたところ、地域のママさんバレーやバレーボールクラブが喜ぶでしょう~と、ボール20個を預けてきた。バレーボールは喜ばれるぞ、、という感触を持ち、前回訪問した大槌高校に行くことにした。高校にはバレー部があるはずだから。

 

12:00、最初に大槌町の多目的集会所を訪れることにした。前回訪問したときに、バザール開いてとても喜ばれた記憶があった。地図の上では、わかりづらく。ここにありそうだと思うところをぐるぐる回ってもなかなか見つからない。そんな時、臨時で作られたと思われる給油所にガソリンを入れに来ていた若い女性2人が目についた。道を聞いてみた。誘導してくれるという。ありがたい。彼女達の車について集会所へ。お礼に基礎化粧品を手渡したらとても喜んでくれた。一方、集会所の様子は前回と少し変わっていた。いくつかの支援団体の車もあった。きれいな白い自転車も数台並んでいた。集会所の入り口には、列ができており、何か行政サービスの手続きのために待っているようであった。中に入って事務所のリーダーと話したところ、必要とされる物資は入ってきているようだった。

 

大槌高校に向かった。災害対策本部で話したところ、職員室らしいところに通してもらい、若い先生と話すことができた。バレーボールはものすごくありがたい。体育館の扉をあけるから、そちらに回ってくださいと。前回来て物資を届けた同じ体育館脇へ移動。次から次へ、「これが欲しかった~、これはうれしい~」という声に物資を手渡した記憶が蘇る。今回届けにきたのはバレーボールだ。バレー好きのみんなの喜びに繋がればと、体育館の扉が開くのを待つ。開いた。バレーボール部員らしい生徒がいる。僕が手に持つボールを見た瞬間に、彼の目が輝く。すら~っと伸びたバレーボール体型。試合球を手渡したら、「やった~、めちゃくちゃうれいしいです。」という。さわやかな好青年だ。僕たちもうれしい。ついつい名前を聞いてしまう。ひかるだという。「僕は、ひでき、こちらはとおる」と自己紹介。この日の午後、Vリーグのウメさんと釜石で会い、アシックス製の新品シューズを300足受け取る約束を思い出した。「明日は、靴を持ってこれるかも」と言ったら、「お願いします」と返ってくる。

 

大槌高校で生徒達からもらった元気と共に、大槌湾南側の箱崎に向かうことにした。ダイゴからの情報があった。道路が寸断された半島には、まだまだ物資が届いていないところがあると。話では聞いていたが、イメージが沸いていなかった。瓦礫の片付け作業が進められるなか、この道が箱崎方面へ行けるのではと道をみつけ進む。海がどんどん近づく。防潮堤が無残に破壊されている。この高さを超えてきたのかと、自然の猛威に圧倒される。左手には海が見える、小さな波が静かに押し寄せている、おそるおそる車をすすめる。右手前方に木材の瓦礫が一面に広がる。全壊した家、ひっくり返った家、住宅地帯があったことがわかる。これ以上は進めないかというところまで進みUターン。先ほどの住宅地跡の奥のほうに煙が上がっている。火事ではない。煮炊きをしているように感じた。

「あっちへいってみよう」とゆっくりゆっくり進む。道を見つけ左に曲がったところで、お父さんがいた。おにぎりを片手にもって、全壊を逃れた自宅から何かを探しているようだった。目があった。話しかけてみた。「おにぎり以外食べてない、何かあるとありがたいと」言われた。ウィンナー・ソーセージのパック、ジュース、お茶を渡した。「ありがたい~」と言ってくれる。家の中から、お母さんも出てきた。L-サイズのオムツがあるとうれしいという。荷台にあったのを思い起こして探してみたが見つからない。「この上のほうに、まだ数10軒残っている。。」とお父さんから言われ、そちらへ、向かうことにした。道の両サイドにあふれる瓦礫、ガラスの破片に注意して坂道を登る。トラックを止め、最初に会って話したおばさんに「カサはないか」といわれ「あります」とわたした。だんだんと、人が集まってきた。自然発生的にフリーマーケットが始まった。ソーセージ、ジュース、下着、軍足、タオル、おでんセット、基礎化粧品、、、と次から次へと手にとっていた。中でも、さつまいもが喜ばれた。「いや~、久しぶりだ~、みんなでわけて、自分たちで料理するから頂戴~」とさつまいもひと箱、あっという間になくなった。一方、この地区ではまだ電気がきてなく、ろうそく、ランタン、乾電池があるとうれいしい。文房具もあるとうれしいと言っていた。 気づいたときには、空は青空、太陽の暖かい光が注がれていた。

自然発生的に始まったフリーマーケット、荷卸をしている最中にL-サイズのおむつが一パック見つかった。先ほどのお母さんに渡そうとキープした。来た道をもどり、先ほど夫婦の家まで戻ったが人影がない。トラックから降り、オムツをおいて行こうと歩き出したところで、お母さんが出てきた。思わず僕の声も弾んでしまう「ありましたよ」と、手渡したのは女の子用、お母さんはそれをみて、「ウチの孫も女の子、ちょうど良かった~、うれしい~」。 「まだ、何か他に必要なものはありますか?」と聞いてみたら、「これさえあれば、もう十分、本当にありがとう~」と言われた。思わず胸が熱くなってしまった。写真を一緒にとらせてもらった。

 

15:30

Vリーグ部隊と待ち合わせの場所、釜石市内にいったん戻る。ウメさんは大船渡方面で活動中。代わりの方が、新品シューズ300足を持ってきてくれた。かなりの容量。僕たちが持ってきた物資もある。積荷をもう一度積み直してスペースを作ったが、4箱(48足)載らなかった。トン汁のサービスを始めるのは午後6時。 60人分急いで準備しないと間に合わない、あわてて栗橋集落基幹センターに戻った。 その日の朝、三重から現地入りしたNPOのスタッフが、既にトン汁の準備を始めてくれていた。ありがたい。そこからは、温めて味付け。味付けはとおるに任せる。とおるも満足のトン汁60人分とスタッフの分もできあがった。 豚肉、野菜を届けてくれた友人へ感謝です。 


6時前、上栗林集会所。おばさん達と協力して配膳。うつわにトン汁をいれておばさんに手渡す。全員分そろったところで、みんなが席についた。リーダーのリュウタロウさんが食事開始の挨拶かと思ったら、横浜からきた二人が運んでくれた感謝しようと、そこで、席についていたみなさんからも拍手と「ありがとう~」という声。感動した。 誰かが手を上げていった。「一緒に食べられないか?」と、その声に続いて「一緒に食べたい」と誰かがいう。ありがたい、リュウタロウさんに促されて僕たち二人も食事に混ぜてもらった。胸が熱くなって、目頭がゆるんだ。


トン汁に同席にして、いろいろと話をきいた。ここのお母さん方作った漬物は最高と、大根とカブの酢漬けをいただいた。本当に美味しかった。 親子で自動車板金工場をやっていたが、津波で流されたという親父さんと兄弟3人と話した。「おだず」という聞きなれない言葉があった。調子に乗る(お調子者)という意味らしい。トン汁がうまくて、おかわりしようとして、「おだず」だった。三兄弟がわらいながら説明してくれる、俺たちみんな「おだず」だからと。。「おだず」という言葉がでると、なんだか場が明るくなり笑いが伴う。 「僕たちも、横浜からやってきた『おだず』です」といったら、「わっはは」とみんな笑った。食事のあとリュウタロウさんに、新品シューズのことを話した。「サイズもいろいろあって、数もあるからみなさんに渡せます」、「いいな~」と。 外に停めたトラックに戻って、あるサイズを確認して部屋に帰ったら、中では、既に誰が何センチかと書記担当のおじさんがみんなに聞いてメモしていた。一人ひとりに合ったサイズの靴を一人ひとりに渡すことができた。ウメさん、V-リーグさんありがとう。その後、ミーティングにも同席させてもらった、リュウタロウさんの見事なリーダーシップ。 最後に一言といわれ、とおると目を合わせて「また来ます、今度は娘を連れて家族できます」。三兄弟とその親父さんと一緒に写真を撮って、上栗林集会所を後にした。 この日は、NPOスタッフの拠点となっている栗橋基幹集落センターに宿泊させていただいた。

第3便 おだずチーム 4月8日報告

第3便 おだずチーム 報告

第3便は ひでき とおるの二人。
二人のチーム名は「おだず」。

二人から報告が届きました!

ひできととおるは、それぞれの娘が同じ幼稚園に通うパパ友、横浜の同じマンションに住んでいる。幼稚園のママ友ネットワーク、それぞれの友人からたくさんの物資が集まった。

出発前の仕分けと物資積み込みは、同じマンションのママ友が手伝ってくれた。

 

集まった物資はバラエティに富んでいる、ブラジャー、ショーツ、基礎化粧品セット、。。。コンビニに負けない品揃えと思わせるほど。 物資を送ってくれた友人、国内外から応援メッセージを送ってくれる友人、みんなに感謝。 友人の好意を2tトラックの荷台に載せて出発。

 

Day 1:

4月8日(金)

横浜⇒神保町⇒東北道前沢SA

 

横浜から一度神保町に寄り友人から集まった物資をピックアップ。午後6時半前に神保町を出発、一路東北へ。

前日にあった大きな余震で東北道の古川ICから水沢ICが通行止めとなっていた。この日の予定は東北道をできるだけ北上して日付が変わる頃には、トラックを止めて車中泊にしようと考えていた。一方、翌朝の6:30には、花巻南ICで、友人のVリーグのウメさんから、バレーボール50個を受けとる約束をしていた。東北道の通行止め区間は下道を行く覚悟はしていたものの、できるだけ早い時間に花巻南ICに近づき、しっかりと睡眠時間をとった上で翌日からの被災地入りに備えようと考えていた。

 

いけるところまで行こうと東北道を進む、福島に入ったあたりから、道路にできた凹凸で車がバウンドする。宮城に入り仙台を越えたあたりからは、さらに道が悪くなる。アスファルトの亀裂も目につく。前日の余震のせいだ。ダメージが凄い。ダイゴと共に、3月23日に通ったときはここまでひどくなっていなかった。午後10時過ぎ青森方面の通行止めは解除されていたが、東京方面に目をやると、路肩がガードレール毎崩れている箇所もあった。そんな中で、不道路復旧に黙々と取り組む作業員の姿に目がとまる。「みんなそれぞれできる事を一生懸命やっている。僕らもできる事をしっかりやろう。。」と改めて気合が入った。

 

前沢SAに到着したのは午前0時過ぎ。ここならウメさんと会う約束がある花巻南ICまでは35km。幌付のトラックの荷台に寝床をつくった。

4月11日報告会京都会場

CA3I0463正面が会を催していただいた西村さん。 このあとも続々と参加者が集まりました!。



Video streaming by Ustream 報告会に参加できなかった方へ京都会場の様子をご覧ください。

4月10日報告会広島会場

CA3I0461
ちょうど席を立っているときの写真しかなくて残念。 広島で参加してくれた方々は個人よりも団体の責任者が多かった印象が強い。

4月9日報告会大阪会場

CA3I0457
参加者の中には阪神淡路の震災経験者が多かった。 それだけに、現地に入りたい方の熱を強く感じました。

以下、関西会場のレポート

トラック手配、物資の購入などなど中心的に動いてくれた腰桐みずほさんがレポートしてくれました。

東日本大震災 【名もない救援隊】 救援活動報告会in関西『モモの家』

報告会が始まる数十分前、会場となる『モモの家』で、縁側の戸を開け放ち、庭を眺めていると、この後、この場所で始まることを予想させない、まったりとした心地良い空気。ここは人の気持ちを素直にさせる空間だ。ここで会う人達は自然と心が繋がるだろうと思う。

報告会開始の午後5時直前、東京で1回目の報告会を済ませ大阪まで移動してきた【名もない救援隊】の加藤大吾さんが到着。何やら大きな荷物を持っている。とにかく間に合ってよかった。



5時を20分程過ぎ、参加者も十数名揃ったので会をスタートさせる。加藤さんがスライドで現地の画像を映しながら活動の報告を始めた。始まってからも「参加申込していないのですが」等、受付にどんどん人がやってきた。いつの間にか和室2間続きの空間はいっぱいとなり、廊下まで人でいっぱいになっていた。これだけでも震災への人々の関心の高さを強烈に感じとれる。



加藤さんが報告する内容や被災地での画像はTVで報道されるものとは質感が違う。必要な人へ必要なものを届けるという彼らの信念が被災地と被災者の心に手を伸ばしていた。参加者の瞬きが少ない。メモを取る人も多い。開始前のまったりとした空間が確実に変化していた。

加藤さんの救援活動報告の中で印象深かったことをいくつか紹介したい。

まずは、彼らが持ち込んだ物資が雑多に満ちていたこと。ダンボールの大きさが全部違う。中身も混在している。現地ボランティアの方が「こういう集め方があるのか」と感心していたという。そして、同じ色、形の肌着をもらうよりも、違う色、形の肌着の中から選ぶことの方が被災者を元気にさせる。これぞ市民の力の結集が巻き起こす元気の基だと加藤さんは言う。



また、漁師のおじさんが「漁師は つえーから。必ず復興すっから。」と言って救援隊にわかめをたっぷりとくれた。加藤さんは「オレは物資をあげたい。漁師の方はわかめをあげたい」お互いが出せる物を出し合う。誰だって貰ったら返したい。そして、物と一緒にいろんなモノが受け渡される。同じ位置に立っていることを実感したと話す。加藤さんが『モモの家』に持ってきた大きな荷物にはわかめがどっさりと入っていた。休憩時間に漁師おじさんの気持ちを参加者で分けて頂いた。

そしてボランティアの条件については、必ず自立していること。「アゴ・アシ・マクラは自分で持込む」と何度も繰り返していた。現地に迷惑をかけないことが何よりもの条件だ。



救援隊の活動内容等が報告された後は、『1人ひとりが出来ること』というテーマで、3つのグループに分かれてディスカッションをした。①被災地へ行って活動、②自宅で活動、③その他の活動。

どのグループのディスカッションも白熱した。どのアイデアも深い想いから出てきている。そして自分の力を被災地のパワーとすることが、多様なニーズに合った救援活動となり得る。民間だからこそ、1人ひとりの気持ちが細部に行き渡る可能性を感じた。



今回の震災で、東日本では甚大な被害に見舞われ、本当に多くの尊い命が犠牲となった。この現実は確実に私達人間に何かを訴えている。報告会の中で自然からの訴えの一つが明らかになった。それは「今こそ自分の力を信じて行動すること」。自分の力は小さ過ぎて何も出来ないと思って動けなくなっていた場所から、自分の力を信じて1歩踏み出し、人と人、助け合って生きて行くことが新しい日本を創り出すことになる。



支援は続く。決して限られた人だけが支援に取り組むのではなく、支援の力をバトンして次の支援に繋ぐことが、長く強い支援に繋がる。加藤さんはその為に今後は支援活動をする方を応援する。

4月9日報告会東京会場

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東京近郊ではかなりの揺れを経験していることもあり。
本気度が高い。また、アイディアも様々だった印象が強い
話し合いの時間ではリアルな支援策が飛び交っていた。

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熱気で部屋が暑くなる

3便途中経過&報告会実施の報告

名もない救援隊 加藤大吾です

いつもご支援いただきありがとう!
物資だけでなく、いろいろなものが伝わってきます。

只今、3便が現地に入っています。
現場のひできさん、とおるさん。ありがとう!!
昨日は釜石の海岸線の物資が不足しているいくつかの所に物資を届けました。
本日は大船渡周辺をまわり、陸前高田付近にて活動しているようです。

さて、報告会の件です。
タイトルは「途中報告会」ですが、現在の状況をお伝えして、
今後、参加していただいた一人一人に何かができるのか?
といった、参加者同士が考える時間も設けました。
それを実現するための情報をお伝えしました。

4/9
【東京会場】
参加者数:90名(おおよそ)
今後にむけて:被災者や支援者へのコーチング/ヨガ教室/花を贈ろう
     /企業の方と一緒に現場でできることを模索する など。

【大阪会場】
参加者数:35名(おおよそ)
今後にむけて:現地でビジネスをおこす/集まっている資金を使って現地で買い出し
     /地元に避難してきた方への支援/マッサージ/カウンセリング など。

4/10
【広島会場】
参加者数:15名
今後にむけて:今ある支援体制を現場にあわせていこう/カキの養殖への支援で漁民がつながる など。

4/11
【京都会場】
参加者数:15名
今後にむけて:京都に避難してきた方へどのようなことができるのか?など。


【現地の方からいただいた”わかめ”を配布しました】
南三陸町の泊浜生活センターのみなさんからいただいた"わかめ"を
報告会に参加いただいた方々に少しずつお配りしました。
私たちから物資と気持ちをお届けして、現地の方からいただいた物です。
私たちもありがたくいただきました。


【加藤大吾著書「地球に暮らそう」をご購入いただきました】
http://www.amazon.co.jp/地球に暮らそう~生態系の中に生きるという選択肢~-加藤-大吾/dp/4990556305
1冊1000円のところ、2冊1000円としてご購入いただき、
1冊は、現地の避難所、支援団体などに届けることとしました。
4会場合計でちょうど100冊のご購入となりました。
今後、現地へ100冊の「暮らそう」をお届けします。


【今後の方向性】
関わりたいけれど、、様々な理由で関われないというもどかしさを耳にしています。
このようなボランティア希望者のご要望に応え、更に復興に寄与するために、
名もない救援隊は活動内容を少しづつ変えていきます。
直接、物資を届ける「直接的支援」から
被災者もしくは現地と関わりを持ちたい人へ情報などを提供し、
より多くの人が関わることへ「間接的支援」に変えていきます。
そのようにして復興に向かう輪を広げます。

みなさまからご提供いただいた資金は
直接的な支援活動に加えて、
上記のような関係するボランティア活動にも使わせていただきます。


今後ともよろしくお願いいたします。

活動写真(スライドショー)

「名もない救援隊」の活動写真。こちらからご覧頂けます。
001
 
 

 




【資金の提供をお願いしています】


小額でも大歓迎です。よろしくお願いします。

ゆうちょ銀行から振り込む場合
 →10330-56834371
他金融機関から振り込む場合
 →「ゆうちょ銀行」
   「支店名」〇三八 ゼロサンハチ
   「普通」
   「口座番号」5683437
   「受取人」コウノイタル 河野格

今後の方向性

名もない救援隊 加藤大吾です

今後の活動は?という
お問い合わせを沢山いただいております。
そんな中で既にお知らせしている報告会を実施します。
皆さんにもアイディアをいただきたいし、
一緒に考え、行動したいと思っています。

そんな中で、第一便で既に現地に入っている川田さんが
第三便として、現地に入ることになりました。
日程としては4/8-11のあたりで検討中です。

今回の目的は、まだ物資が十分出ない半島部への
物資供給と復興へ向けた調査が主な目的となります。
物資に関しては、既に川田さんの近所の市民の皆さんから
厳選して収集していると言うことで、今回は物資の収集は行いません。
復興へ向けた部分に関しては、
被災者の人々を勇気づけるようなイベントを開催できないか?
と言う方向で探りたいと考えています。

第四便に関しては、
4/15~18あたりで計画中です。
こちらは中長期的な支援を探ります。

とりあえず、お知らせでした。

【途中報告会】のご案内

【東京】 日時 4月9日 10:00~11:30
場所 港区赤坂4-18-13 赤坂区民センター 第一会議室

【関西】 日時 4月9日 17:00~18:30
場所 吹田市泉町5-1-18「モモの家」

【広島】 日時 4月10日 10:00~11:30
場所 調整中

それぞれの会場で仲間が開いてくれました。ありがとう!

■お申込みはこちらからお願いします。
(http://kokucheese.com/event/index/9627/)

※上記は「東京用」申し込みフォームですが、「関西」及び「広島」会場に参加希望の方は、
申し込みフォーム末欄に、希望会場の記入を頂ければと思います。



一昨日深夜、山梨県都留市に戻りました。
準備をはじめて20日間。やり続けました。
物資、資金、気持ちなど、様々なご支援をいただきまして、
本当にありがとうございます。
先ほど山梨県都留市に帰ってきました。
スタッフは怪我、事故なく全員、無事に帰ってきました。
この活動はまだまだ途中ではありますが、
この機会に報告会を開き、支援していただいた皆さんに
現地の状況をお伝えしてしておくことが大事だと考えました。
お誘い合わせの上、お越しいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。


今回の途中報告会では、
現地の状況と体験したことを報告します。
また、「何かしたい!」と思っている方に向けて、
現地の支援状況、被災者のニーズ、報道との違い。
そのほか、現地入りするための情報を提供することで、
報告会に参加してくれた皆さんが、
主体的、自立的に現地と何らかの関わりを持つことを、
一人一人ができることを具体化するきっかけにしたいと考えています。
そして、最終的にはひとりひとりの暮らし方、生き方。を模索する。
そういった所にたどり着きたい。
始める前は不安。はじめてしまえばやるだけだ。
名もない救援隊の今後の方向性もお伝えしていこうと思います。

3月30日 報告

名もない救援隊 加藤大吾です

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30日報告

5:30起床
7:30出発 車中で朝食

昨日は夕食時、この体育館にいるすべて50名のスタッフに
ハンバーグを焼いて食べてもらった。
私たちはったったの7 名。
やっぱり救援するスタッフは笑顔で気持ちよく
そして、勇気づけられる状態で被災者の前に立ちたい。
間接的にでも少しでも貢献したい。
被災者へ届けるためのハンバーグでしたが、
スタッフ全員の元気のために使わせてもらいました。

今日は昨日、十分に物資を出せなかった泊浜生活センターへ。
お米も手に入らなかったと言っていたので、お米などの食料を中心に
生活用品なども配る。何もなかっただけに大喜びだ。
昨日の夜、し込んでおいた豚汁を鍋のまま渡して、昼ご飯に食べてもらうことにする。
あとは、暖めて味噌で味を付けるだけになっている。
これには「おおおーー!」歓声があがる。
昨日作っておいてよかった!!
「漁師はツエーからすぐふっこうすっから」
「また来い!」って
特産品のわかめを一箱、くれた。
すんごく嬉しい。遠慮なく受け取る。
俺も調子に乗って、、じゃあ!っと隠していた貴重なウイスキーを出す。
「おおおーーー!」ってみんな元気なる瞬間があった。
そういえば昨日はアワビをもらった。
落ち着いたら必ず訪れよう。

もう一カ所、平成の森避難所にも炊き出し鍋を届けて
大喜び!
良い笑顔が満載だ。

物資はすべてなくなってしまったので、ストックヤードに戻る。
十分に物資を積み込んで、昼ご飯を食べながら、
まだ手のついていない、物資が行き届かないであろう所を
地図上で読む。
口にかき込みながら出発。
予想された現地近くで、おじさんに声をかける
「物資がないところありますか?」
「ここんとこにあげたら良いよ」
「声をかけてあげるよ」
自宅避難がどこからともなくやってきて
フリーマーケットで本当に欲しい物を持っていってくれる。
自宅避難者は避難所にいないので、食事の提供もないし、
物資も配給されない。
なんと、彼らが欲しいのは水と米。食料がメインだった。
最もゆき渡っていない被災者とも言えるだろう。
知り合ったおじさんにお礼にタバコとガソリンを少々あげると
他にも回ってほしい所があると。
あと、二カ所。全く同じ状況だ。
子供がいる所もあった。
4ヶ月、2歳、小学生。
子供向けの物資は全部なくなった。
帰りがけにおばあちゃんに
「全国の人が送ってくれたものなんだ。
日本全部がおうえんしてます!!」っていうと
おばあちゃんが「ありがとう!」って泣いていた。
誰もが、親類をなくしたり、何かしらのショックを受けているんだな。
「俺もできることは何でもやるよ!」ってかえした。

道路事情は非常に悪い。
道が歪んでいたり、舗装されてないのは当たり前。
続いていない道もある。
そこでトラックを走らせるのはなかなか困難だ。
信号もつかないけど、事故もなく、
目で挨拶をしながら譲り合う。
自衛隊も機動隊も救援隊も市民もおんなじ。

鉄道のレールはどこにあったか解らない。
ただ、山にトンネルが掘られている。
そんな感じ。

数少なく立っているのは鉄筋の丈夫な建物。
4階まで水に浸かった後がある。
屋上に残骸が乗っかっている。

トラックの荷台が空になって帰る。
そろそろ薄暗い。
今日もスタッフに肉を振る舞いたい。
小さい肉だけど、
ここでの最後の夜に全スタッフに焼きだしをした。
ここ数日でスタッフの雰囲気が明るくなったと思う。
こうして少しでも全体としてボランティアの効果が上がれば良いと思う。

今日は3カ所の炊き出し
2カ所の炊き出し材料の配布
10カ所以上の物資配布ができた。

名もない救援隊の現地入りしたスタッフは元気。
12時間以上のハードな仕事。
だけど、笑いもあるし、気持ちいい。
1便もそうだった。2便も最高のスタッフに恵まれた。

被災地に入ると緊張し続けているから、
そのままだとお酒を飲まないとうまく寝付けない。
今、消灯した。
俺もねよっと。

明日は、午前中物資を届け、帰路につく。

3月29日 報告

名もない救援隊 加藤大吾です。

29日報告です

5:30起床
 今日は朝から地域の空気を吸いたいので外に出て散歩
 朝飯前に一仕事。昨日できなかった荷下ろしをしてしまう。
7:00朝食
7:30全体ミーティング
当方は2チームに分かれて南三陸町を回ることにした。
1チームは7つの避難所を回る。
大きな避難所1000人規模はほとんど私たちの支援物資を受け取ってもらえない。
倉庫が飽和状態のようだった。フリーマッケットも断られる始末だ。
ここではまだ信号も復活していない。停電だ。
更に水もないらしい。自衛隊が3日に一回回って給水するらしい。
前回の北の方では自衛隊、機動隊が沢山いたが、ここでは少ない。
現状は大体掴めた。

やっぱり小さい100名規模の避難所を回ることにする。
三陸海岸を走る鉄道の橋桁、レールは見るも無惨に流れ去っていた。
橋も流されているため、遠回りを強いられる
町は基礎だけになっているか、ガレキの下敷きだ。
時々家の主がとってもゆっくりとガレキを片付けている姿をみた。
ゆっくりとやっている姿が何か言いたげだった。

教えたもらった平成の森避難所へ行ってみると、
不足物資が欲しいと言うことだった。
20箱くらい要望を聞きながらおろしていった。
ここでは少し余裕を感じるくらい物資があった。
他の避難所の話を聞いてみると
馬場中山生活センター100名は大変だ!と言葉をそろえて言った。
車で先導してもらってまずは保育園へ行く。
ここでも、同じように言っていた。
更に進むと、道が崩落している。
ここ数日でこの道が開通したらしい。
路肩が崩れた細い道を2tロング車ですり抜けて
臨時にできた未舗装路を走っていく。
緊張する瞬間が沢山あった。
奥まで入り込んできたなーーと言った所で
崩壊した家でたき火をしながら大工仕事をしているところがあった。
馬場中山センター。小高い丘の上にあるちょっと大きな民家と言う感じ。
物資で欲しい物は?と聞くと特に出てこないが、
食料はー下着はーと聞くと いるいる!!
奥様方は本当に嬉しそうに騒いでいる。
車の半分をおろした。
「お礼にわかめをおくるよ」なんて言われたりもする
喜んでもらえて嬉しい!
中にないっている手紙を読み始める人もいる。
届いたなって思う瞬間だ。
明日はここで炊き出しをすることになった。

半紙をしているうちに更に奥地に泊浜生活センターというところがあるらしい。
またまた狭い道を慎重に進むと左右が海に続く崖のような所をすり抜ける。
そんなに大きくない建物に300名、そこをたよりに生活している人300名
合計600名の避難所があった。
話を聞くと数日前まで、自衛隊が空から投下する物資以外はなかったということ。
米と水だけだった。600名にバナナ20本だった。など、、。大変そうだった。
こういう人たちは目が違う。なんとか必要な物を届けたいと思う。
今頃、あの箱を開けて気持ちも受け取っている頃かな?
物資は飽和していると報道されたりしているけど、
地域によって全く違う。やっぱり物資不足は深刻なのだ。
そういう所に届けてこそ、その価値があると再認識。
それが俺の役割でもあるな。
物資は何でも良いからすべておろしてほしいと言われ、全部受け取ってもらう。
要望を聞くとどんどん出てくる。
すべてに対応できるか解らないけど、
明日は、ここにかなりの物資を搬入することにする。
そしてできれば炊き出しをしよう!

物資不足の所は、肉、野菜、タバコ これが 3大欲しい物だ。
これは予想通り、肉も野菜も沢山持ってきた。

様子も解ったし、明日はかなりのやるべきことができた。

3月28日 報告

名もない救援隊 加藤大吾です。

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本部に行く途中の登米で、津波だけでなく地震で倒壊した家もある。
まだ手を付けられていない。ガソリンは北の方よりも流通が遅いようで、
途中から全く給油できない状況だった。多分、北の方よりも深刻だな。



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スタッフが豊富で大量の荷物もあっという間に動かしてしまう
すごいマンパワーーー



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体育館の中にスタッフテント村がある。その奥はストックヤードだ。


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スタッフミーティングの様子。みんな真剣に聞いている。統制がとれいてる印象。

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3/28日報告

6:00 2便出発。
13:30 小川町有志の会合流
16:00 登米市の本部に到着

私たちが持ち込んだ物資は16t
現地のスタッフの力をお借りしてあっという間におろすことができた。
ここでは、60名ものスタッフが入れ替わり立ち代わりしている。
かなり、システムを構築してきて、すべてのやり方は管理されている。
すごいなーー。
ゲリラ的に展開している私たちとは少し違うスタンスだ。
セット物は解体すると言う。

皆さんから預かった子供セットは「その人に届けたい!」
そんな思いを感じる。
手紙も入っていて、最高のプレゼントになるはずだ。
物と一緒に気持ちが届く。
段ボールに詰め込んだ一人一人の気持ちが届く。
涙も流れるかもしれないし、
その人と交流が生まれるかもしれない。
先輩のodss北川さんから本部に電話が入ったようで、
セットをそのままにしてほしいと。
このプレゼントは守られて。
この形で届けられることになった。
渡し方も私たちの自由にしてくれた。やったーー!感謝!

明日29日から荷物満載で被災地に入る。
現地の情報、被害状況も道路事情もあんまり掴んでないけど。
すべては見方だ!
届けるよ。

30日は野菜と肉で炊き出し&焼き出しをやるかも??
そんな可能性も感じる。

3月26日 報告

7:00 朝食
8:00 備品の積み込み作業

ねおすチームは栗林地区の生活支援

1チームは昨日に引き続き大槌町周辺の避難所に
支援物資を配布

2チームは不要な備品を積み込んで山梨県都留市に戻る


印象に残ったのは、、、

テイクフリーマーケット
我々が持ていった支援物資は様々。
古着の中から、あれが良いとか、これが良いとか、言いながら探す。
そんなことを周囲の人たちとしているうちに生き生きとしてくる。
選択できる喜びの笑顔だったと思う。

立場の違い
役所は平等であることを重んじる
自衛隊は生きていけるということを重んじる
平等と安全では行き届かない所をNPOがやればいい。

自然の力は
ものすごい破壊力でもあり
穏やかでやさしくもあり
暖かく寒い。

人間は協力するもんだ。


今日は眠いので、この辺で終了。

3月25日 報告

7:00 朝食
8:30 大槌高等学校で荷下ろし
以降、3チームに分かれる
大槌町の町の崩壊は凄まじい。
ガレキすら残らず、基礎しかない地域もある。
家を失った人の割合はかなり高いのではないだろうか?

1チーム
安渡小学校380名
遠野のバックヤードに移動
グランドでたき火をしていて活気を感じる。
長靴などの購入
赤浜小学校180名 津波&火災
2階まで水に浸かった校舎を避難所にしている。
「こんなところに避難しているとは、、」
小学校の窓が割れていて寒く、風が通ってしまうので
何とかならないか?と、、
荷物を積むコンパネを使ってもらうことに
少しは風を防げるだろう。
それぞれの避難所から小さなところへ運んでいる。
その奥に2カ所計600名の避難所があるらしい。
険しい土地にも多く避難してる。
基本的に家が流されている人々
下着、靴下、長靴の要望が多い

2チーム
橋野地域の奥様方に必要物資搬入などの
生活支援活動
その後3チームに合流

3チーム
大槌高等学校避難所
正規受付にて避難所の受け渡す。
大きな避難所だけに事務的に受付。
荷下ろしの場所では非常に遠慮がちで、
「欲しい物はありますか?」と聞いてももうありますから。
でも、顔色はあまり良くない。
「うまい缶詰ありますよ!」と、こちらから進めれば、
「あ!欲しいです!」と言う。そうやって車の半分を差し上げた。
帰り際にスタッフが「がんばりましょう」と声をかけると
東北なまりの強面のおじさんが真っ赤な顔に変わり、
くしゃくしゃな顔に変わった。
スタッフに聞いて俺も目頭が熱くなる。
まだまだ、やるべきことは沢山あると感じた。

その後、栗林小学校避難所の炊き出し用食材
買い出し300食分。※支援金を使わせてもらいました。
そのまま遠野のバックヤードに移動
ピックアップトラックとハイエースを満載にする
宿泊している児童館に戻って炊き出し食材をおろし、
保存食料を積み込む。ここで、2チームと合流。
トラック2tも衣服、防寒着などを満載する

再度、大槌町方面へ
地図をみて避難所があるであろう所へ移動。
思った通り、寺野弓道場避難所を見つける。
受付では、倉庫がいっぱいだからと物資提供を断られる。
少し進むと自衛隊が風呂場を提供していた。
その恥じっこに数個のご自由にお持ちくださいという段ボールを発見。
そこにいた自衛官にテイクフリーマーケットをしてもいいか?と聞いてみる。
「どうかな?」と言っている間に
「これがーーーいいんだよなー」などと言いながら
防寒着をおろしてみると
「ほしい」「ほしい」と数人の方がよってきた。
どんどん人が増えて人だかりができた。
あれもこれも、、家を失っている人は何も持っていない。
今まで笑顔のなかった人が物を選んでいるうちに
笑顔に変わっていくのが印象的だった。
ここまでくると、「欲しいもの言ってー」と言えば、
「帽子!」「靴下!」と言ってくれるようになった。
自衛隊の隊長が奥から出てきて、ドキッとしたが、
話が良い方向に進んで、継続的に開かせてもらえそうだ。
自衛隊のお風呂には毎日、周辺の避難所がかわるがわるやってくる。
毎日、開いてもいつも初めて会う人々だ。多くの人に配れるかもしれない。
この時点で3台の車の半分以上を配布できた。
欲しいものを書くボードを設置させてもらうこともできた。

次の避難所を探す。
勘をたよりに隣の川に移動する。
二人で歩いている孫とおばあちゃんに声をかけて
避難所の場所を聞いてみる。
「物資を持ってきた、配布したい」と言ってみると
嬉しそうな顔に変わった。こっちも無条件に嬉しい
「じゃあ、とりあえず、乗ってください」といって見ると
意外にも、乗り込んできた。
相当物資に困っているんだろうな。
案内してもらい。大槌多目的集会場に到着
ここでは、最初から「テイクフリーマーケットを開かせてほしい」と
交渉してみた。
混乱が起こるかもしれない!といっていたが、、
自衛隊の例を話すと安心したようで、開かせてもらえた。
ここでも、同じように笑顔があふれた。
これがやりたかったんだ!!
必要な物を必要な所へ。

この配布形式での反省点もある。
少しでも多くの人に届けるために、緩い規制を作るべきだ。
一人当たりの点数規制や時間規制。
この辺りは今後の課題かもしれない。

真っ暗になって、児童館に帰着。

今日も大きな余震がつづいている。

3月24日 報告

7:00 朝ご飯
8:00 行動開始
まずは、一番近い栗林小学校避難所へ
地域の方と初めて話し、要望は何か?を聞き出す。
避難所の空気を吸う。何とも言えない空気。
食事表を見せてもらうと、
朝食はおにぎり1個、ビスケット1個、飴1個
昼食はパン1個、くだもの1個
だった。深刻な物資不足。
ここは300名。平等に300個ある物資がほしいと
300個ある物はここに回してすぐに配布してもらう。

前日は暗かったので景色を見ることはできなかった。
山と川の景色がきれいだった。
この景色からは被災しているとは思えない。

早朝から昨日持ち込んだ物資をひたすらおろす。
今日かえるスタッフを移送するだけではもったいないので、
遠野によって、大船渡に必要と思われる物資を積み込んで出発。

大船渡に入った瞬間に入ってきたのは”船”だった。
かなり内陸部まで船が来ていた。
市街に近づいていくと全壊している建物が次第に増え、
最終的には全くの更地に瓦礫が載っかっている状況になっていた。
大きな船が家に刺さっている。
どうしてこうなったのか?想像できない。
中心部の交差点は電気が復旧していないので
警察官が手信号で交通整理していた。
大船渡のい地形は山が近く、山にすんでいる人も多い。
「津波を見て、走って逃げた」
という人が多かったのが印象的だった。
業者の方が電気の復旧作業をいそいでいた。

必要なところにガソリンを届け、
最も近い避難所 大船渡中学校に立ち寄ってみる
何が欲しいか?たずねると
下着!だった。
既に被災から2週間、生活用品が不足している。
風呂に入れないために、
タオルなどを消耗品としてその代わりにしているのだろう
積んでいるもんを全部おろして、広げると
箱のほとんど、欲しいと声のあがる物はすべてもらってくれた。
高台の上を通りがかると市街地がすべて見渡せ、
更地のようになった街の中で重機が動いていた。
物資の残りはかえるスタッフに持たせて、配布するようにした。

帰り道では突然、すごい勢いで雪がふってきた。
慎重に運転して遠野に戻る。
バックヤードで明日の物資を積み込んで釜石に帰る。
もう真っ暗だ。

もう一つのチームは上栗林集会場の方に物資を提供し
バザールを開いてもらった。
全員集まってこなかったこともあり、明日も引き続き開くらしい。
こちらはずいぶんとファジーな運営だな。
この辺りでは被災者の親族が被災者を受け入れて
一緒に住んでいる人が多いとか。
みんな協力してるんだね

今、困っているのは、被災者のニーズに個性があって
掴みきれていないこと。

明日の作戦は、2つのチームに分かれて
”やきいもや”を展開する。
ゆっくりと車を走らせて人を呼び込み、
必要なものを手渡す。
本当に必要な人に必要な物をもらってもらおう。
翌日以降、臨時の炊き出し炊き出しを行う予定。

3月23日 報告

6:00都留発。 昨夜先発した10tを追いかける
7:30三芳パーキングエリアにて
小川町有機野菜生産組合さんと、有志の会のみなさんから
野菜などの物資提供を受ける。
ただでさえ満載なのに、その上にのせる。
半分は仙台南で現地のNPOに引き渡し、
半分は釜石まで持っていく。

東北道仙台に近づくと道がところどころうねりだす。
補修されているが、満載されているトラックでは慎重に運転したい。
途中、緊急車両しか通れなくなり、車の量が減る。
ふと見ると、隣には米軍の海兵隊がいた。
でかい車両の上に特殊車両が載っていた。

瓦が飛んでしまったのか?
屋根にはブルーシートが張ってある家も見える。
岩手に入っても高速道路沿いは同じような被害状況

遠野に入ってバックヤードに荷物を降ろす。
NPO法人遠野山・里・暮らしネットワークさんの協力で、
バックヤードをご提供いただきました。
キャンプ系のシュラフ、防寒着などは
ここでボランティアの方々に使われることになりそう。
物資は一般的に単一商品が山積みになるが、
この10tトラックは様々な物資が載っている。
「こういう集め方もできるんだ!」と言ったそうだ。
全国の名もない救援隊の隊員の気持ちが現れていると思った。

俺たちは遅れて遠野に到着した。
ねおすの荒井さんと合流。
日が暮れるないうちに釜石 栗林児童館を目指す。
行き違う車は自衛隊、機動隊、緊急車両ばかり
一般の車両は燃料がなくて動かしようがないのかもしれない
ガソリンスタンドには翌朝の給油を待つ長蛇の列があった。

夕暮れの中で釜石にたどりつくと、
静かな町模様。普通の風景でした。
ここが携帯の最後の場所!といわれて家族と事務局に電話。
ここから100m進むと突然、
車がひっくり返っていた。
店のシャッターもくしゃくしゃだ。
津波が押し寄せたラインが被災のレベルをつけていた。
身がしまった。そんな惨状を横目に先を目指す。

暗くなるころ栗林児童館に到着。
ねおす自然学校、岩木山自然学校、森の遊学舎のスタッフ
と顔合わせ。当方も会わせると総勢16名。
地元のスタッフもいる、地元とのつなぎ役として活躍していた。
彼女の存在は大切でどこにどんな属性の人が住んでいるのか?
解っているのは一人だ、彼女がいなければ必要な物がわからない。
気丈に振る舞っていたが、複雑だろう。
明日の作戦会議

明日3/24は2チームに分かれる。
チーム1は先入りスタッフ一緒にバックヤードの荷物を
橋野地区、片岸地区、鵜住居地区に運びつつ、同時に何が欲しいのか調査する。
地域の人々に配布する。
それぞれの地域の特徴がある。
年齢層などにあわせて配布物を検討。

このブログについて

東北関東大震災に対して、加藤大吾をはじめ有志の仲間が集った「名もなき救援隊」の活動報告ブログです。

加藤大吾のプロフィールはこちらをご覧ください

またブログの更新は、大吾さんから記事を受け取るカタチでYUKAFUMIが行っております。(大吾さん達は、現地での活動に専念するため)

この活動報告ブログが、みなさまの何かのお役に立てば幸いです。
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