ただのサラリーマンの雑記

日々の生活の中から、思うことをただ思うままに語るブログ。読書や社会情勢など一般的な内容から、地球惑星科学や天文学のやや専門的な話までを語ります。

労働時間と生産量

イーロンマスク 未来を創る男を読んでの感想。見た目の分厚さと比較して随分中身は少ないという最近の本。

共感できる部分は色々ある中で、印象的だったのは「世の中には財務や法務に詳しい人間が多すぎる」という件と週末に働いている社員を見て「週末に出勤してくる人がだいぶ減ってしまった」という件。


前者は以前書いた法律と技術の進歩のギャップというエントリの内容に近い(というかもう4年も前の記事か…)が、ビジネス・技術面の進歩に対して、あるいはそれのメリットや開発のスピード感に対して制度面のスピード感が全く追いついていないし、「牽制」が効きすぎているという経営者としての苛立ちを感じさせるコメントだった。

後者についてはイーロンマスクがどこかの大学の卒様式で語ったという「週に100時間働け」という話につながる。週100時間というと、週休1日として1日16時間程度なので、7:00~23:00を週6日やるか、休み0で7:00~21:00で働くか、というイメージになろうかと思う。少なくとも日本の労基法上のベースは週40時間、月160時間なので、ざっとその2.5倍になるわけだ。月間80時間の残業をやっていたとすると週60時間労働になるので、1.6倍にはなる。
TeslaやSpaceXが凄い成果を上げている、というのはビジョンに共感した素晴らしいエンジニアを採用できているというのはもちろんあるが、それに加えて上記の労働時間を考えると、一般人との生産性の比較をすると凄いことになることが容易に計算できる。

例えばとても優秀なエンジニアが一般的な大企業の優秀なエンジニアと比較して1.5倍の生産性を持っていると仮定して、上記の通り、月80時間残業する人と比較した1.6倍の労働時間で働いたとして、長時間労働による生産性の低下で常人の80%程度の時間あたりの生産性だとすると、月80時間残業していた人と比較して
1.5 x 1.6 x 0.8 = 1.92
ということで、だいたいアウトプット量が2倍になる。
これが例えば5年続いたとすると向こうは10年先を行っているということで、これをひっくり返すのはとても困難だよね、という単純なお話。本書を読んでいるとイーロンマスク本人はほとんど休みなく働いているだろうことが読み取れ、そういう人のケースとして祝日の影響を先の試算に加えると、さらに1.4倍くらいになる。

会社としては上記に加えてチームの人数とお金の問題に落ちてくるのだが、天才エンジニアが努力をするとヤバイ、というのがよくわかる。
もちろんこんな働き方を強要すればブラック企業という誹りは免れ得ないのだが、一方でそういうことを自主的にやっちゃう人たちと勝負しなければならない世界ということもまた事実である。
一面としてはそういう人がいない業界でまったりやれるといいね、というのは個人的な感想である一方、自分がそういう人間になれるとまた良いのかなぁ、と思うのもまた一面。

個人的に難しいなぁと思うのは、この手の「限界まで働いてみて」云々のものはある程度やらないと伸びない割に、限界を超えたら壊れて色々な意味で壊れてしまう点。あんまりやれば効率が落ちるのもその通りだし、その辺りの好い加減というのがよーわからん、というのが正直なところ。
労務のルールも相応に守らないといけないし。

もうちょっとルールなく自由にやらせてよね、というのも本音として理解できるものの、自分にとって適した働き方は一体なんだろうか、という点がやたら印象に残った本だった。

貧困の終焉とその担い手

ずいぶん前から読もう読もうと思っていたジェフリー・サックスの貧困の終焉を最近ようやく読み終わった。平たく言えば世界のGNPの0.7%を援助に回すことによって、再貧困層を救うことができる、という種の内容。

一読してみての感想としては、マクロ的には言っていることは正しいんだろうな、ということとコロンビア・ポーランド・ロシアなどの事例に基づいた話が事例としては面白かった。ただロシアの失敗した事例に関して言えば、以前読んだ米原万里の本で散々な言われようだったことを思い返すと債務の帳消しのような政治的リスクの高い手段を取ることが政治的に正しいのか、というあたりは立場によって見方が変わってくるだろうし、結果論で語ってはいけないポイントではないかなぁという印象を受けた。

そして途上国のガバナンスに関するくだりで、必ずしもガバナンスが高い方が経済成長が高いわけでもない云々という話に関して言えば、全体的に腐敗云々という話が政権の中枢のみに偏っており、実務的には窓口になるべき担当者が優秀で信頼のおける(あるいは合理的で予測のできる)真面目な人かどうか、という点もとても重要だと思うが、その辺の話って結構大きいんじゃないかなぁと感じた。そしてそこの信頼構築のコストってすんごい高いよね、きっと。
もちろんどういうスキームを構築するか、というのも重要だけど、信頼できる人的ネットワークをどうやって構築するか、という観点が抜けているのは「お金をつければいい」という話に見えて非常に違和感があった。確かに村内・限定した地域内で成立する話かもしれないが、そこには政治・民族などを交えた困難もきっとあって、それは時間もかけて解決すべき問題なんだろう。

本書が語るように、世の中の多くのことはみんなの「ちょっとの負担」でその1つの問題自体は解決する話が多いのだろうけれども、その「ちょっとの負担」が本当にちょっとなのか、という問いはあるだろうし、解決すべき問題の解決する順番にも様々な政治的な課題があることに間違いはない。その上で本書でいう経済発展のはしごの一段目に足をかけられる状況まで持っていくことが必要であるということに異論はないし、その結果として別の混乱があるとしても、それは現状を許容する理由として使ってはいけないと思う。

あとはどの手段にしても一定程度の無駄はあろうが、それをどこまで許容できるか、どれくらいの時間軸、粒度で見た時の最適化を図れる手法・手段に対してお金を払えるのか、そういう点にかかってくるのだろう。まあこれは最貧困国に対する援助に限らず行政一般に言える話かもしれない。

自由と事実の間にある、もやもやする感じ

はじめに断っておくと特にオチも結論もない話。

水素水でもEM菌でも江戸しぐさでも水伝でもホメオパシーでもなんでも良いのだけど、科学的・歴史的に見て誤りが明らかであるようなもの(少なくとも十分な反論ができていないもの)がはびこっているのを見て、もうちょっと何とかならんのか、という気分になる。
少なくとも公的なところに入り込んでいるものについては、担当者はちゃんと調べて何とかしろ、という感じしかしない。


その一方で言ったことに対する責任を取るという前提の下であれば何を言おうが自由ではあるし、それを支持する人がいることそのものは批判される言われはないとも思う。悪質で有害な言質は滅びよ、と思うのも本音ではある一方、その「悪質で有害」という判断は誰がするのか、という論点が残ってしまうし、その議論は非常に筋が悪いと思う。
一義的には科学がその代弁となっても良いように感じもするが、訓練された人間を除けばあまり受けの良い方法ではないんだろうなぁという気もする。内田先生の「反知性主義」的な意味で。あの悪文が一定程度支持されていそうなことそのものを含めて。もうちょっと嘘を流布している責任を取るべき、と個人的には思うもののどう言う責任の取り方があるのか、というとあまり良いアイデアもない。


欠如モデルよろしく、人の知識が増えることによってこの種の問題が解決されるとは思えないが、現状では地道に啓発していくようなカウンター活動をやるしかない、というのが現状なんだろうな、という気がする。

身近なところで布教している人がいた時に、うまいこと広まらないような言い回しを持っておくことが必要なことなんだろうな。

テレビというモデルはいつまで続くのだろうか

リビングPCの整備とともにHulu, Netflix, U-Nextの無料体験を試してみているが、各社の色の違いが面白いなぁと思う以上に、このサービスが広がるとテレビって生きていけるんだっけ?という気分になる。

テレビを持たなくなって10年経つが、何年か前の某社の面接でテレビは将来どうなっているか、という問いがあり、その時の自分の答えは影響力は弱まっていくだろうがビジネスモデルとしてはまだ死んではいない、という回答だったが、Netflixなんかを見ているとビジネスモデルとしてもテレビは早晩成り立たなくなってしまうんでないか、という印象すら受けた。

ジャンル別にコンテンツが相応にあり、時間にもデバイスにも縛られず、見終わったら自動的に次が始まって、閲覧履歴からリコメンドも洗練されていく。繰り返し見るのも当然自由。こういうことをやられると、いわゆる多チャンネル式のテレビは軒並み駆逐されてしまいそう。ただ日本はまだ多チャンネルというよりキー局による寡占化が続いているので結構粘るだろうが、広告モデルがいつまで続くのか、という話と表裏一体かな、という印象を受ける。

視聴履歴と閲覧ジャンルを使って見せるCMを個々に変えて、広告費も成果報酬型やダイナミックプライシングを取り入れるとだいぶ面白そうだな、という気はする。ネット広告と変わらないけど、動画コンテンツという広告の「本丸」に舞台が移っているという意味で。


Hulu, Netflix, U-Nextを比較してみると個人的にはNetflixが一番好みかな、という感じがする。Huluは日本のバラエティの比重が高いので、それがいい人にはいいけど、そうでないとかなり微妙。U-Nextはコンテンツの量もあるのだが、元が高いことに加えて従量課金もあり、その辺がイマイチ。1000円分のポイントが付くと言っても、それでは「自由に見れる」という動画ストリーミングサービスの最大の利点が生かせていないと思う。Netflixはジャンルの分け方やラインナップの点でHuluよりいいなぁと思った。サービス開始からまだ半年程度と考えるとこれから作品数も増えるだろうし、画質もNetflixが一番いいというのもポイント高い。


最終的にどうするかなぁ・・・

あなたは何人支えられますか?

保育園だー介護だーというお話に関連して。

保育士や介護士の給与が安いということに対して、彼ら・彼女らは1人で1日に何人の面倒を見ることができるだろうか。そして自分はその人数に相当する人月の給与分のサービス料金を払っているだろうか、あるいはそれだけの稼ぎがあるだろうか。
これは完全に原価の話なので、民間だとしたら販管費+利益で額面給与の2倍くらいはもらっておかないと会社としてはやっていけないよね、ということで、ざっくり1人で1人をフルに面倒を見るのであれば40-50万/月かかるのが原価から積み上げた「適正サービス価格」かな、と思う。

一方でそんなお金を払っている人は多分きっといなくて、その差額に歪みは税金で補填されていたり、給与が安い/面倒を見る子供の人数が多いのが現実であるということは、この問題を考える上で絶対に忘れてはいけないことだと思う。それはつまり間違っても現状で受益者負担だーと言ってはいけない現実があるということでもある。

金がないのが全て悪い、と言ってしまうと身も蓋も解決策も見えないが、当座の問題としてはそこに帰着されてしまうのかな、という印象がある。これはこの問題に限った話ではないが。

介護士に関して言えば健康寿命の長寿命化を推進するともに不健康寿命をいかに健康寿命に近づけられるか、という点が問題になってくるのだろうが、これは色々と物議を呼ぶ話だからどうなろうだろう、と思う一方、リソース不足によって結果的にそうなってしまうかもなーと思ってしまうのがもう一方。


そうやって考えると両方とも税金である程度なんとかすべき問題という感じはするが、人口ピラミッドの構成に合わせて制度をいじるというのは理想ではあるけど、どこまで現実味をもってやれるんだろう。

どちらにしても、今のルールの中で、ある程度自分でなんとかするしかないのが現状なんだろうな、とあまり社会運動に積極的でない自分はそう思ってしまう。
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