ただのサラリーマンの雑記

日々の生活の中から、思うことをただ思うままに語るブログ。読書や社会情勢など一般的な内容から、地球惑星科学や天文学のやや専門的な話までを語ります。

当事者の一次資料と研究者の調査

こんなの書いて良いのか、と話題になって勢いで買ってしまって、読んでしまった本。
住友銀行秘史
國重 惇史
講談社
2016-10-06



イトマン事件はほとんど知らなかったし、別に興味があったわけでもないのだが・・読んでしまった。
アマゾンのレビューにもあるが、本書の構成はかなり酷いものがある。メモを時系列に並べ、時折著者の回想が少し混じるというものだが、その回想が非常に主観的であり、ヒロイズムに酔っている感覚を覚えるのが大層気持ちが悪かった(著者はもう70歳になる)。
全てがわかるというものでもなく、当事者の1次資料という域は出ないものの、その分臨場感はあるのかな、という印象を受ける。
今で言えばコンプライアンスのコの字もないし、著者は一体何仕事をしていたのかとさえ聞きたくなってしまうのは時代の変遷なんだろうな。


書き方としてこれと非常に対照的だと思ったのが日米安保と沖縄返還で、あれは膨大な開示資料と関係者へのヒアリングを通じて、関係ややりとりを解きほぐし、それを丁寧にまとめたものと比べると、ただの一次資料のメモを出しっ放しというのは随分な違いだが、それぞれを読み比べられるということ自体、一読者としてはあまり経験しないことなので、その点では良いのかな、という気がした。

本書の内容に戻ると、著者はメモを通じて当時全ての事態を理解していたのは自分だけであるように書かれているが、本書を通して読んだ後でもこの著者が全てを把握していたとはとても思えず、また著者が意図的に残していない事項(本書でいうY氏ー山下彰則氏)も多々あろうと思うと、あまりこの本を信用していいもんなんだろうか、という気分にもなる。
書かれている内容がどうか、というよりもややこしい事態に直面し、状況を整理していると、自分の全能感というか「全てを判っている」感を持ってしまうのは理解はできるものの、外から見るとこういう風に見えるのね、とわかったのは良かったような、痛々しいような・・。

インサイダーも何もあったものではないが、メディアの使い方という点ではなるほど、こう使うのか、という感じもあり、その辺は参考にすることがないことを願いたいが、なるほどねぇ、という感じ。

昔話の一環、という以上のものはなかったような印象だった。

モデル化と哲学

人工知能のための哲学塾
三宅 陽一郎
ビー・エヌ・エヌ新社
2016-08-11



タイトルだけ見るとなんのことやら、と思うのだが、簡単に言えば「人工知能」をモデル化するにあたり、「人の知能」や「人の環境認識」はどのようになっているか、そのモデル化に哲学的な思考が役に立つという例を交えながら5種類のテーマから書かれている本。
これまで哲学には全く馴染みがなかったので、この議論はとても新鮮だったが、同時に哲学と科学の境目はどこにあるのだろうなぁという感じがした。

自分の思考の前提としてはデカルト的な、つまり生き物も機械として認識するようなロジックの組み立てが前提となっているのでそもそもデカルト的な考え方でないフッサールの現象学のような考え方はどうにも腹落ちしなかったのは、本書の消化不良な点の1つ。ただし人工知能の環境認識のような話をモデル化するのに現象学的な考え方の方が良い、という論はとてもしっくりきたのはちょっと面白かった。

複雑なものを考えるときに、それをどうモデル化するか・説明するか、という意味では哲学に一日の長があるという視点をそもそも持っていなかったので、深入りしない程度にもうちょっと触れても良いなぁと思った。


直接的には関係のない話ではあるが、生命のモデル化を考えるときに、少なくとも動物の命は不可逆反応による0/1であるが、植物の命は化学反応の停止からくる不可逆反応によって0/1というワンステップがあるようなないような、と思ったりもして、こういうモデルを考える上では自分の論拠がどこに立っているのか、そしてその論拠はどの程度固いものなのかetc...と考えていて、ああこれがデカルト的な考え方か、と1人納得してしまった。

本書から気づき以上の何かを得るのは難しいし、そういう本ではないと思うのだが、こういう中の人以外はほとんど気にもしないようなトピックのつながりを見て取れるのはなかなか貴重な機会だったと思う。

食糧と人類の歴史

食糧と人類 ―飢餓を克服した大増産の文明史
ルース・ドフリース
日本経済新聞出版社
2016-01-07



人類が農耕を始めてから現在に至るまでの歴史を振り返った本。

特に前半部の雰囲気が銃鉄病原菌を思い起こさせたが、全体としては歴史を振り返りつつ、何が成長の制約条件となり、どんな「発明」がエポックメイキングになってきたか、という点が非常に読みやすくまとまっている。
特に灌漑や塩害、窒素固定とリンの話は要点が歴史的経緯を踏まえてよくまとまっており、とても勉強になった。大航海時代とリン、産業革命とハーバー・ボッシュ法の関係などは非常に面白く、化学と世界史を絡めた話はこれまであまり触れる機会がなかったので、良い機会だった。

近年についてもDDTやGM作物、交雑(F1)種など、キーワードはしっかりと触れつつ、その功罪にもしっかりと触れている。特にメディアでは罪について目立ち、その功の恩恵に浴しつつもその実感がないことが多いため、この点はとても良いと思う。
経済発展と食の嗜好の変遷はもうちょっとページを割いても良かったかな、という印象があるのと、ナウルの話を出すかどうかは別にしてもリン鉱石の埋蔵量に関する話がもうちょっとあっても良かったと思う。

終わりの方に行くにつれ、人口90億人の世界に向けた食糧増産に関する話をどうしても意識してしまうが、それについては試行錯誤中であるものの、楽観的な見通しを著者が持っているのは個人的には同意。
ただ現状のコモディティ(小麦やトウモロコシ)を見ていて思うのは、増産の必要はある、ただし金はない、ということで結果として穀物の値段が需要の増加によって上がるということはなく、より金のある人たちに向けた食肉増産のための飼料に回った結果、値段は横ばいかむしろ下がるという展開を迎えているのは笑えないし、バイオ燃料に取られて食用のトウモロコシの値段が上がって社会不安というメキシコの事例はシャレにもなっていない。

本書の領域を超えてくる話ではあるが、衣食足りて礼節を知るという言葉の通り、また中国 グローバル化の深層にもあった通り、人口が増えてあるいは中産層が増えて摂取カロリーが増えることによって、食糧不安に起因する社会不安が起きないよう、食糧の増産・配分をどう行っていくかというのは世界経済・安全保障に直接的に関係する話になるんだろうという印象を強く持った。


議論の切り口としてあまり目にする話ではないが、環境規制が途上国の自由な発展を阻害しているという論と同じように、(特に生きるか死ぬかという人に取ってみれば)微小なリスクを嫌ってGM作物/農薬etc..を規制するのは途上国の生きる権利を奪っているという論はとても良いディベートのテーマだろう。もちろん答えがあるわけではないが、金儲けvs環境派みたいな対立構造でしか見てはいけないテーマであることを再確認できるし、これまでの農家の苦労を知る、という点で良い思考の切り口になる本でした。

中国グローバル化の深層

中国関連について、比較的最近の話をまとめた本。
サブタイトルにある「未完の大国」というフレーズが非常にしっくりくる。すなわち中国は世界全体を考えるわけではなく自国の利益を優先するし、いわゆる西洋的な価値観に対して中国共産党的な考え方が優先されるという意味では確かに「未完の大国」にふさわしい大国だと思われる。

一方で大国とは、と思うとそれはそれで定義が難しいものを感じつつも、定義としては理解できるものが多々ある。
日本は大国かどうか、という点は本質的ではないがこの手の本、特に軍事的な絡みに関しては海や大陸を隔てているアメリカやヨーロッパと比較するとその最前線にいるのが日本である、というのは否が応でも意識される。清濁含めて。

今は文化大革命や大躍進の時代ではないので、それ以上の社会実験が行われているというつもりはないが、ソ連なき今となっては一番大きな社会実験が行われてるという見方もあながち変な見方ではないだろう、という思いがあるものの、トランプだブレグジットだ、ISILだと言っている時代の中ではそういう見方そのものが時代遅れなのかもしれない。


本書を読みながら中央が末端を制御(指導)するのは困難であるが、適当なインセンティブ(賄賂も含まれる)があった上で個人や組織が努力できる素地があれば相応に勢力拡大できるんだろうな、という印象は受けた。特に軍事・ビジネス面での成功とソフトウェア面での失敗に関して。

特定の国を1枚岩で見ることがナンセンスであることは別にしても、各テーマの話題になっている当事者は誰か、という観点においてはもう一つ踏み込んで話があるとよかったかな、と思いつつ、全体観としてはよくまとまっており、とても良い本だったと思う。
そういう意味では中共中央や内政の力関係に関する副読本があったらよりよかったなぁという印象も受ける。だんだんマニアックなテーマになってきているが。


ちなみに宇宙関係についても少し触れられていたが、この点はChina in spaceの方がしっかりしている印象を持ったが、何れにしてもをちゃんと読まねば(まだ読みきっていない・・・

コーランには本当は何が書いてあるか

井筒訳の岩波文庫のコーラン(上中下)と合わせて読了。
ユダヤ教は小説聖書旧約版、ユダヤ人の歴史(ポール・ジョンソン上下)から、キリスト教は小説聖書新訳版、イエスキリストは実在したのか?、聖書考古学あたりが前知識という程度だったが、少なくとも旧約聖書の大筋は知っていて損はなかったし、コーランを読むのなら是非旧約聖書とコーラン成立当時の歴史をざっとおさらいした上でコーランを読むとよりイメージが湧きやすいのではないかと思う。


さて本題。コーランには本当は何が書いてあるか?はアクラム師の言葉をジャーナリストであり著者であるカーラ・パワー女史を通じて伝えられるというテイストになっている。著者が幼少期に各国を回る中でのそれぞれのエピソードは米原万里を思い起こさせたが、小さい頃なりの機微や無知を色々と感じさせてくれるエピソードであった。本書ではおそらく多くの人がイメージするイスラム教と比較すると随分とリベラルと感じられるし、随分と保守的(原文主義)であると感じられると思う。旧約聖書が歴史を書いた本であり、新約聖書が神秘を書いた本であるとすると、コーランは生活規範を説いた本であるため、その解釈について、解釈を行う当時の(主に男性アラブ人社会の)慣習が紛れ込むのは容易に想像がされ、その差異に関して色々と説かれているのは非常に面白かった。

合わせてコーランだけ読んだのでは重要なファトワーや周辺の時代背景などを知る由もなく、アーイシャにまつわる少児性愛に関する話は寡聞にして知らなかったがその諸々のエピソードは、日本人としては源氏の紫の君を思い出さざるを得なかった。

イスラム教は神に対する絶対的な帰依(イスラーム)がベースであることからも、それ以外の生活規範にまつわるルールは本質的ではない、という論は確かに成立しうるし、信者に求められるのは全てを決めるのは神であり、その神の決定に従って現世を生きるという意味においては様々な解釈が成立するというのも理解できる。その点はこれまで読んだどの宗教絡みの本よりも包括的であり、世界観が広いというのはその通りであった。

一方で終章で著者が述べている通り、では非イスラム教徒である自分が本書を通じて改宗するかと言われると多分それはしないし、その上で(イスラム教徒には)どういう態度が望まれるかと言う話に関しても非常に寛容的であることはとても印象的だった。

コーランは様々な解釈が可能であり、様々な解釈をされてきたが故、今に至る多くの不可解なルールや逸話があるのだろうし、それを出すウラマー(法学者)が尊敬されていたからこそ、ISILのバグダーディーにイスラム教に関する学があることの衝撃についても少し理解できたような気がする。


この本を読んで何かが変わった、ということはないにせよ、最近読んでいる色々な本との関連を思い出す、という意味では色々なトピックに対しての示唆に富む良い本だったと思っている。
贅沢を言えばイスラム対西洋という構図は9.11をベースにしており、近年のISILに対する見方はほぼ盛り込まれていないのはやや残念ではある。


ユダヤ、キリスト、イスラムと来たので、次は仏教の通史あたりから入ってみようかと思っている。
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結構適当な訪問者数。より正確を記するなら多分あと+2000ぐらい。