ただのサラリーマンの雑記

日々の生活の中から、思うことをただ思うままに語るブログ。読書や社会情勢など一般的な内容から、地球惑星科学や天文学のやや専門的な話までを語ります。

島旅

利尻・礼文に行って、そういえば旅行で結構いろんな島に行ったなぁと思い、その視点でちょっと書いてみる。自分の記憶がしっかりとあって、かつ船でしか行けない島という括りで見ると、行ったことがある国内の島は次の通り(のはず)。

北海道:利尻島、礼文島、天売島、(焼尻島)
東北:粟島
関東:母島、(父島)、三宅島
中四国:直島、小豆島(ちょっと記憶が怪しい)
九州:福江島
沖縄:宮古島・下地島(当時はまだフェリーだった)・石垣島・西表島・波照間島

まだ未踏の先として、与那国・奄美・屋久島・壱岐・対馬・隠岐・佐渡・八丈島・奥尻島なんかは行ってみたい。

上にあげた島はサイズも人口も観光資源も行った時期もかなりまちまちではあるものの、個人的に一番良かったのは天売島。ちょっと登りがしんどいけど自転車で軽く回れるサイズ、ウトウの飛来シーズンだったので、その見学と雲丹、そして格安の民宿というのはとても良かった。
体力面での問題がなければ礼文、次いで利尻かな。福江島も結構よかった。海水浴シーズンにまた行きたい。
沖縄は個人的には食の観点で北海道や五島と比較して劣ってしまうのが残念だが、自分が行った中では唯一リゾートがあるので、そう割り切っていくなら西表島は良かった。が、ここまで行くと海外の方が安いのでは・・?とちょっと思ってしまう。波照間島は宿に限りがあるので、のんびり安旅(といっても凄く安いわけでもないが)の方がしっくりくる。

直島はアートに凝るので、人を選ぶ。自分は好きだが。
粟島は本当に何もなくて、民宿に連泊したら田舎の親戚の家に行ったかのような感覚に陥れるのは良い。

全体的に(宿を別にして)ここは残念・・というのはないのだが、個人的には車が必要なくらいの大きさがあると色々回りたくなって、でもバスの本数は少なくて、と結構プランニングに頭を使わなきゃいけなくなるので、宿泊施設のある集落はここしかない!くらいの方が肌にあってるな、と思った。あとは天気。こればっかりは運だが。
同行者の体力を見る必要があるが、その辺の問題がなければトレッキングコースやサイクリングコースのある島、ダイビングができる島は良いなぁと思うものの、そっちはしばらくお休みなのがちょっと残念。以前は荷物をできるだけ軽くして、色々な場所を転々とするようなことが多かったけど、最近は最低でも2泊、というのを基本線にしようとしているので、アクティビティや観光地を目いっぱいというよりは、のんびりお散歩・街(集落)歩きが良いな、と目線もだいぶ変わってきたのは歳を取ったからか。

最後に島は島の特産品をアピールするお祭りはCPが高すぎてまず外れないのでは、と思っており、ちょっと注目している。行ったことあるのは焼尻島で行われたサフォーク祭り(現めん羊祭り)だけだが、興味を引いたのは、佐渡島の竜王えびかに祭り、天売島の天売ウニ祭り、礼文島の水産祭り、利尻島の北海島祭りなど。

・・まあこういうこと言っているからお金がたまらないとか、1年に2回近く北海道に行くわけですね。

何にでも使える=何にも使えない

「何にでも使える」というのは「何にも使えない」のが実態であるものがほとんどなのだと思うのだけど、成功事例を見るとやっぱり何にでも使えるように見える。当初汎用的に使えるようなアイデアであれば、使い方をユーザーが考えてくれるほど十分に世の中に広まれば、色々な人が使い道を真剣に考えてくれるので、汎用的に使えるように結果的になる。
だけれども、「面白そう」というレベルで汎用的に使えます、だと結果的に何にも使えないものになりがち。「汎用的に使える」という新サービス・新商品はユーザーの行動や意思決定プロセスに何らかの変化を与えなければ、使うこともできないという視点、いわゆるスイッチングコストが些細な・安価なものであってもスイッチングコストを支払えずにとん挫するということになりがち。
スイッチングコストを払うことが合理的であったとしても、「合理的である」と判断できるだけのコストを払ってくれない。
これを避けるためには「合理的である」と判断するところまでお付き合いする他ないのかなと感じる。コンサルティングサービスとして提供する、POCを共同研究としてお付き合いする、無料で試しに使ってもらう、「お金を払って」(広告・モニター)使ってもらうなど。その上でB向けやC向けでも変わってくるのだろうけれども、特にB向けにはいわゆるニッチに入り込んで、しっかりとシェアを取って、みたいなニッチ・ペネトレイト戦略が理想的になる。新しいものであればあるほど、ニッチな業界で話題になればなるほど、少なくとも新サービスの利用することが「合理的である」かどうかの判断のためのリソースを割いてくれるようになる。ここまでたどり着くことができれば。

無数のWebサービスしかり、「クラウドサービス」しかり、昨今流行りの「機械学習/AI」しかり。
サービスを絞りたくない、でも軸ははっきりさせたい、そう思うのは人間の性なのかもしれないが、その境目をどこまで見極めることができるのか・大胆に決断できるのか、このあたりの発想・考え方は研ぎ澄まして行きたいもんである。

知の地図と自転車の乗り方

仕事柄、直接業務とは関係のなさそうな本を読んだり、知ったりする必要性に駆られることがままあるのだが、その際に感じること。

以前より言われる通り、日本は高等教育(概ね大学の教養レベルと呼んで差し支えないと感じている)まで日本語のテキスト/教科書があり、学ぶことが可能となっている。このため、その専門の門外漢であったとしても、適切な選書方法や目利きが出来さえすれば普通に授業で使われる教科書を探り当て、自分で学ぶことは可能となっている。その先を考えたときに、もう1段の和書があるのか、洋書の専門書になるのか、論文になるのか、実務の先端分野になるのかは分野によるのだろうと感じている。

こういう環境下では自分の趣味レベルの興味関心という点では、東大本郷の書籍や丸善の本棚を眺めていれば概ね満たされるものがある。
一方で仕事を考えた際には、世界の先端を触れざるを得ない以上、教養の教科書というものは「教養」すなわち「前提知識」に過ぎず、その先にあるものをどうやったら探り当てられるかという点の方が重要となる。とは言え、この点までしっかりと見ようと思った場合には、なかなか良いパスが思いつかない。体系的に学ぶものでもないと思うが、この辺りは自分が修士卒であり、博士まで言っていないが故という点でもあるのかな、と少し思ってしまう。


個人的に思うこととして、何か問題・課題・謎を思い浮かべたときに、その問題の最先端にたどり着くには、おそらく4~5段階程度の段階が存在しているものの、0~1段階目にいる素人が思い浮かべる課題と、最先端にいる人が語る課題は表面的には同じ単語になってしまう点が、学習しようとする人から見れば悩ましいポイントなんだろうと思う。

もう少し書いてみるのであれば、以下のような段階。
0段目:全くの素人が思い浮かべる問題点の理解・認識(池上彰もこの辺のイメージ)
1段目:0段目に対して素人が思い浮かべる「おれがかんがえるさいきょうの解決策」が無意味であるという認識(扇動的な単語を使う新書・ペーパーバックのイメージ)
2段目:1段目が問題となる物理的・制度的・金銭的な問題構造の理解(大学の教科書)
3段目:2段目に対して、構造的な理解だけではなく、個別の方程式や条文レベルの理解を含めたボトルネックに関する理解とそれが解決された後の将来の予測・想像(専門書)
4段目:3段目を解決するためのアプローチの理解、異分野のアナロジーの導入
5段目:4段目の演繹的な発想を超えたパラダイムシフト

大学の教養レベルでは精々2段目まで、研究段階で3~4段目という印象。5段目は天才のなす技。
この時に2段目の書籍にきちんと当たれるか、2段目の書籍の参考文献などから適切な3段目を見つけられるか、その上で4段目にたどり着けるか、という話なのだと思う。
概ねこのような話はレベルが上がるにつれ、必要な背景知識も、話の複雑さも指数関数的に増えていくので、中々大変ではあるのだが、とはいえ、自分が取り掛かっているのは何段目なのか、というのは現状の把握をする上で必要な事項ではなかろうかと感じる部分ではある。

ここに時間軸を加えると、情報へのアクセスを考える上での適切な手段は更に問われるのだけど、それはまた別の機会の話となろうか。

食のシステムの過去と未来

こちらの本を枕に。食の終焉

食糧生産にまつわる複雑なシステムにおける問題を1つずつ解きほぐしつつ、問題の構図を見せていくという意味では良書。その先の絵姿を見せる・歴史的な経緯を知るという点ではもう一つといった本。
あとがきで訳者が書いているが、結論としては消費者が変わらない限り何ともならない、ということで、それ自体はこの辺で書いたものと問題意識としてはほとんど変わらない(というか書いたのもう3年半も前か・・・)。

病原菌が広まる可能性について、農畜産の集約化に関する話はあまり目新しいものではなかったが、個人的には農業向けの補助金と自由貿易まではイメージができても、そことIMFや金融危機とのつながりは想像もしたことがなかったので、いわゆる農業経済学に興味を持つという点では非常に良い端緒となった。今度読んでみよう。

この種の食に関するしっかりした本だけでもそろそろ片手では数えられないくらいになり、色々と血肉になってきている部分はあるが、読めば読むほど過去の事例に関する時代背景や同時期に何が発明・発見されていたのかという部分が重要になる。ただの例示としてのアナロジーであればよいが、文字通り類推するためのアナロジーで過去の例を使う場合には非常に重要になる。

「食糧と人類」では食糧増産のためのボトルネックとして、窒素/リンの肥料にフォーカスを当てており、その文脈で三圃制、グアノの発見、ハーバー・ボッシュ法の発見に触れていたが、「緑の革命」が貢献した人口増のフェイズにおいては育種が主ということで、これまでとはちょっと趣が異なっている。本書で色々と指摘される通り、現在の食のグローバル化と合わせて、今現在行き詰っている感があるところは、何がどうなれば変わるのか。その部分のヒントは遺伝子組み換え・消費者(の金払い)以外ではなかなか思い当たらないというのは本書でも触れている通り。
一方で欠乏しつつ、一方でモノが余るという不均衡な世界、そしてその不均衡は天候などの自然要因だけでなく、貿易関税などの人為的な障壁からくるものもあり、何か外的な「ショック」があったときには、おおよそ想定された通りの反応が起き、それによって「調整」されるのだと思う。その「ショック」や「調整」の中身が何であるのか、その結果としてどうなるのが理想なのか、このあたりの解はないのだろうが、何等か解決策を議論できるだけの広い視野が必要になっている時代であるということは、この種の本を読むだけでも透けて見える部分ではあった。

SF有名作と自分の好み

この何年かでSFの有名作を結構色々と読んだ気がする。順不同で並べてみると
・星を継ぐもの(3部作)
・アンドロイドは電気羊の夢を見るか
・1984
・鋼鉄都市
・われはロボット
・月は無慈悲な夜の女王
・夏への扉
・華氏451
・2001年宇宙の旅
・幼年期の終わり
・第四間氷期
・タイタンの妖女
・グランド・バンクスの幻影
・家畜人ヤプー
・ハイペリオン(4部作)
・虐殺器官
・揺籃の星
あたり。


有名作がほとんどなので、その意味では一定以上のはずれはほとんどなかったが、やっぱり好みはあるもので、基本的に「冒険っぽい」ものや「ハッピーエンドとは言い難いもの」が好みだなぁという印象。
面白かった3作を選べば星を継ぐもの(第1作)、ハイペリオン(第1作)、1984。次いで幼年期の終わり、第四間氷期、月は〜かな。虐殺器官も良かったけど、もう少し後半の設定に深みが欲しかった感。
ハイペリオンは設定が圧巻だし、幼年期の終わりや第四間氷期のラストの展開はこういうのもアリだよね、と思わせる。
逆にアシモフの作品は設定に捉われすぎているようであまり好きにはなれず、夏への扉もSFと言うよりももっと普通の大衆小説のような印象を持ってしまった。華氏451も設定は悪くないと思ったが、1984のようなどうしようもない暗さがない分、ディストピアとしてはイマイチだった。
理屈があるようなないようなSF作品というのは設定力=想像力という点で非常に刺激を受けるものの、ものによってはある種のファンタジー感が薄くなってしまうので、そうすると色々突っ込みたくなっていかんな、という感じはしてしまう。

小説を読む時間はそれほど長く取れているわけではないので、できるだけ自分の好みの作品をちょいちょい読めるようにしていきたいですな。
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