ただのサラリーマンの雑記

日々の生活の中から、思うことをただ思うままに語るブログ。読書や社会情勢など一般的な内容から、地球惑星科学や天文学のやや専門的な話までを語ります。

中国グローバル化の深層

中国関連について、比較的最近の話をまとめた本。
サブタイトルにある「未完の大国」というフレーズが非常にしっくりくる。すなわち中国は世界全体を考えるわけではなく自国の利益を優先するし、いわゆる西洋的な価値観に対して中国共産党的な考え方が優先されるという意味では確かに「未完の大国」にふさわしい大国だと思われる。

一方で大国とは、と思うとそれはそれで定義が難しいものを感じつつも、定義としては理解できるものが多々ある。
日本は大国かどうか、という点は本質的ではないがこの手の本、特に軍事的な絡みに関しては海や大陸を隔てているアメリカやヨーロッパと比較するとその最前線にいるのが日本である、というのは否が応でも意識される。清濁含めて。

今は文化大革命や大躍進の時代ではないので、それ以上の社会実験が行われているというつもりはないが、ソ連なき今となっては一番大きな社会実験が行われてるという見方もあながち変な見方ではないだろう、という思いがあるものの、トランプだブレグジットだ、ISILだと言っている時代の中ではそういう見方そのものが時代遅れなのかもしれない。


本書を読みながら中央が末端を制御(指導)するのは困難であるが、適当なインセンティブ(賄賂も含まれる)があった上で個人や組織が努力できる素地があれば相応に勢力拡大できるんだろうな、という印象は受けた。特に軍事・ビジネス面での成功とソフトウェア面での失敗に関して。

特定の国を1枚岩で見ることがナンセンスであることは別にしても、各テーマの話題になっている当事者は誰か、という観点においてはもう一つ踏み込んで話があるとよかったかな、と思いつつ、全体観としてはよくまとまっており、とても良い本だったと思う。
そういう意味では中共中央や内政の力関係に関する副読本があったらよりよかったなぁという印象も受ける。だんだんマニアックなテーマになってきているが。


ちなみに宇宙関係についても少し触れられていたが、この点はChina in spaceの方がしっかりしている印象を持ったが、何れにしてもをちゃんと読まねば(まだ読みきっていない・・・

コーランには本当は何が書いてあるか

井筒訳の岩波文庫のコーラン(上中下)と合わせて読了。
ユダヤ教は小説聖書旧約版、ユダヤ人の歴史(ポール・ジョンソン上下)から、キリスト教は小説聖書新訳版、イエスキリストは実在したのか?、聖書考古学あたりが前知識という程度だったが、少なくとも旧約聖書の大筋は知っていて損はなかったし、コーランを読むのなら是非旧約聖書とコーラン成立当時の歴史をざっとおさらいした上でコーランを読むとよりイメージが湧きやすいのではないかと思う。


さて本題。コーランには本当は何が書いてあるか?はアクラム師の言葉をジャーナリストであり著者であるカーラ・パワー女史を通じて伝えられるというテイストになっている。著者が幼少期に各国を回る中でのそれぞれのエピソードは米原万里を思い起こさせたが、小さい頃なりの機微や無知を色々と感じさせてくれるエピソードであった。本書ではおそらく多くの人がイメージするイスラム教と比較すると随分とリベラルと感じられるし、随分と保守的(原文主義)であると感じられると思う。旧約聖書が歴史を書いた本であり、新約聖書が神秘を書いた本であるとすると、コーランは生活規範を説いた本であるため、その解釈について、解釈を行う当時の(主に男性アラブ人社会の)慣習が紛れ込むのは容易に想像がされ、その差異に関して色々と説かれているのは非常に面白かった。

合わせてコーランだけ読んだのでは重要なファトワーや周辺の時代背景などを知る由もなく、アーイシャにまつわる少児性愛に関する話は寡聞にして知らなかったがその諸々のエピソードは、日本人としては源氏の紫の君を思い出さざるを得なかった。

イスラム教は神に対する絶対的な帰依(イスラーム)がベースであることからも、それ以外の生活規範にまつわるルールは本質的ではない、という論は確かに成立しうるし、信者に求められるのは全てを決めるのは神であり、その神の決定に従って現世を生きるという意味においては様々な解釈が成立するというのも理解できる。その点はこれまで読んだどの宗教絡みの本よりも包括的であり、世界観が広いというのはその通りであった。

一方で終章で著者が述べている通り、では非イスラム教徒である自分が本書を通じて改宗するかと言われると多分それはしないし、その上で(イスラム教徒には)どういう態度が望まれるかと言う話に関しても非常に寛容的であることはとても印象的だった。

コーランは様々な解釈が可能であり、様々な解釈をされてきたが故、今に至る多くの不可解なルールや逸話があるのだろうし、それを出すウラマー(法学者)が尊敬されていたからこそ、ISILのバグダーディーにイスラム教に関する学があることの衝撃についても少し理解できたような気がする。


この本を読んで何かが変わった、ということはないにせよ、最近読んでいる色々な本との関連を思い出す、という意味では色々なトピックに対しての示唆に富む良い本だったと思っている。
贅沢を言えばイスラム対西洋という構図は9.11をベースにしており、近年のISILに対する見方はほぼ盛り込まれていないのはやや残念ではある。


ユダヤ、キリスト、イスラムと来たので、次は仏教の通史あたりから入ってみようかと思っている。

技術的にできることとビジネスとして成立させること

イーロンマスクのHyperloopプロジェクトの話や幾つかのベンチャー界隈の話を見ていて思うこと。

技術的にできること、やってやれないことは沢山あって、できると面白そうなこと・多少なりとも世界が変わりそうなことも多々有るなーというのは色々な業界を見て、色々な技術の組み合わせを考えると思うことはある。
一方でじゃあその技術の組み合わせで「稼げるのか?」と言われた時に「わかりませーん」という回答で止まってしまうケースがとても多いのだろうな、という印象がある。

Hyperloopなんかは何かの記事で一番の問題はビジネスモデルだ、と言っていて、確かに交通インフラ系の話は全般的にビジネスモデルとして成立しているか、という話になろうかと思われる。
スタートアップ界隈ではビジネスモデルがそれほど綺麗でなくても可能性を感じられれば投資を受け、時価総額を上げながら一定程度の成長をすることができるのだろうけど、持続的な成長ができなければ、どこかでそのツケを払うことになろう。

そういう意味では初めから「巨額の投資」が必要な領域に関して言えば、上記モデルにベットできるかどうかという話はその時の社会と創業者の懐(=景気)に左右されるんだろうと思う(もちろんそのビジネスモデルの完成度が一定以上であることを前提にして)。その意味で「巨額の投資」はどこから巨額なのかは時代によるんだろう。

前にITERなどの超大型科学に対して、どこまでの金額なら許容されるか、という記事を書いたが、構造としてはそのステークホルダーが税金を負担する国民か投資家かという違いでしかないのかもしれないな、という気もする。まあ年金のお金がVCを経由して入ったらその時点で国民と同じようなものではあるが。


夢物語が夢物語じゃなくなった結果なのかもしれないが、大航海時代とかを思うと時代の移り変わりというよりも、時代とテーマを超えて同じようなことをやり続けているだけなのかな、という印象もあり、あまり深く掘り下げるだけ無駄かもしれないと、つらつら書いてみて思った。
この辺は相応に普遍性のある話かもしれない。

労働時間と生産量

イーロンマスク 未来を創る男を読んでの感想。見た目の分厚さと比較して随分中身は少ないという最近の本。

共感できる部分は色々ある中で、印象的だったのは「世の中には財務や法務に詳しい人間が多すぎる」という件と週末に働いている社員を見て「週末に出勤してくる人がだいぶ減ってしまった」という件。


前者は以前書いた法律と技術の進歩のギャップというエントリの内容に近い(というかもう4年も前の記事か…)が、ビジネス・技術面の進歩に対して、あるいはそれのメリットや開発のスピード感に対して制度面のスピード感が全く追いついていないし、「牽制」が効きすぎているという経営者としての苛立ちを感じさせるコメントだった。

後者についてはイーロンマスクがどこかの大学の卒様式で語ったという「週に100時間働け」という話につながる。週100時間というと、週休1日として1日16時間程度なので、7:00~23:00を週6日やるか、休み0で7:00~21:00で働くか、というイメージになろうかと思う。少なくとも日本の労基法上のベースは週40時間、月160時間なので、ざっとその2.5倍になるわけだ。月間80時間の残業をやっていたとすると週60時間労働になるので、1.6倍にはなる。
TeslaやSpaceXが凄い成果を上げている、というのはビジョンに共感した素晴らしいエンジニアを採用できているというのはもちろんあるが、それに加えて上記の労働時間を考えると、一般人との生産性の比較をすると凄いことになることが容易に計算できる。

例えばとても優秀なエンジニアが一般的な大企業の優秀なエンジニアと比較して1.5倍の生産性を持っていると仮定して、上記の通り、月80時間残業する人と比較した1.6倍の労働時間で働いたとして、長時間労働による生産性の低下で常人の80%程度の時間あたりの生産性だとすると、月80時間残業していた人と比較して
1.5 x 1.6 x 0.8 = 1.92
ということで、だいたいアウトプット量が2倍になる。
これが例えば5年続いたとすると向こうは10年先を行っているということで、これをひっくり返すのはとても困難だよね、という単純なお話。本書を読んでいるとイーロンマスク本人はほとんど休みなく働いているだろうことが読み取れ、そういう人のケースとして祝日の影響を先の試算に加えると、さらに1.4倍くらいになる。

会社としては上記に加えてチームの人数とお金の問題に落ちてくるのだが、天才エンジニアが努力をするとヤバイ、というのがよくわかる。
もちろんこんな働き方を強要すればブラック企業という誹りは免れ得ないのだが、一方でそういうことを自主的にやっちゃう人たちと勝負しなければならない世界ということもまた事実である。
一面としてはそういう人がいない業界でまったりやれるといいね、というのは個人的な感想である一方、自分がそういう人間になれるとまた良いのかなぁ、と思うのもまた一面。

個人的に難しいなぁと思うのは、この手の「限界まで働いてみて」云々のものはある程度やらないと伸びない割に、限界を超えたら壊れて色々な意味で壊れてしまう点。あんまりやれば効率が落ちるのもその通りだし、その辺りの好い加減というのがよーわからん、というのが正直なところ。
労務のルールも相応に守らないといけないし。

もうちょっとルールなく自由にやらせてよね、というのも本音として理解できるものの、自分にとって適した働き方は一体なんだろうか、という点がやたら印象に残った本だった。

貧困の終焉とその担い手

ずいぶん前から読もう読もうと思っていたジェフリー・サックスの貧困の終焉を最近ようやく読み終わった。平たく言えば世界のGNPの0.7%を援助に回すことによって、再貧困層を救うことができる、という種の内容。

一読してみての感想としては、マクロ的には言っていることは正しいんだろうな、ということとコロンビア・ポーランド・ロシアなどの事例に基づいた話が事例としては面白かった。ただロシアの失敗した事例に関して言えば、以前読んだ米原万里の本で散々な言われようだったことを思い返すと債務の帳消しのような政治的リスクの高い手段を取ることが政治的に正しいのか、というあたりは立場によって見方が変わってくるだろうし、結果論で語ってはいけないポイントではないかなぁという印象を受けた。

そして途上国のガバナンスに関するくだりで、必ずしもガバナンスが高い方が経済成長が高いわけでもない云々という話に関して言えば、全体的に腐敗云々という話が政権の中枢のみに偏っており、実務的には窓口になるべき担当者が優秀で信頼のおける(あるいは合理的で予測のできる)真面目な人かどうか、という点もとても重要だと思うが、その辺の話って結構大きいんじゃないかなぁと感じた。そしてそこの信頼構築のコストってすんごい高いよね、きっと。
もちろんどういうスキームを構築するか、というのも重要だけど、信頼できる人的ネットワークをどうやって構築するか、という観点が抜けているのは「お金をつければいい」という話に見えて非常に違和感があった。確かに村内・限定した地域内で成立する話かもしれないが、そこには政治・民族などを交えた困難もきっとあって、それは時間もかけて解決すべき問題なんだろう。

本書が語るように、世の中の多くのことはみんなの「ちょっとの負担」でその1つの問題自体は解決する話が多いのだろうけれども、その「ちょっとの負担」が本当にちょっとなのか、という問いはあるだろうし、解決すべき問題の解決する順番にも様々な政治的な課題があることに間違いはない。その上で本書でいう経済発展のはしごの一段目に足をかけられる状況まで持っていくことが必要であるということに異論はないし、その結果として別の混乱があるとしても、それは現状を許容する理由として使ってはいけないと思う。

あとはどの手段にしても一定程度の無駄はあろうが、それをどこまで許容できるか、どれくらいの時間軸、粒度で見た時の最適化を図れる手法・手段に対してお金を払えるのか、そういう点にかかってくるのだろう。まあこれは最貧困国に対する援助に限らず行政一般に言える話かもしれない。
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