Namuraya Thinking Space

― 日々、考え続ける ― シンプルで、しなやかに ― 

正月は英語の勉強にかこつけて、久しぶりにたくさん映画を見た。読書を封印したのは英語学習のためなのだが、溜め込んでいた映画も見たい。やはりどうしても、二番目に大切なものを優先してしまう。私の悪い癖。映画は正月限りにしておき、今度こそ英語学習を始めないと。

そうは言っても、英語のセリフを聞くのは多少のトレーニング効果もあるのであはなかろうか。本作のような映画は特に、ITの専門用語も使用されており、ところどころ英語のセリフで理解するように努めてみた。ただし、スラングなどはまったく頭に入って来ず、やはり字幕頼り。映画を英語で楽しむのはなかなかハードルが高い。

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さて、肝心の作品の方だが、監視社会というのは現実的にあり得る世界であり(現に中国では実行されている)、気持ちの悪い怖さを感じさせられるものだった。気軽に使っているグーグルやフェイスブックのメッセージなども、誰か第三者が読んでいるとしてもおかしくはないのだ。

アメリカやイギリスが、何らかの一定の線を保ちつつも、重要人物をITで監視しているとしてもおかしくないであろうし、中国やロシアであれば、むしろほぼ公然の事実として監視を行っているであろう。この映画を見ていると、堂々と監視していることを公言している中国の方が、すっきりしているのではないかとすら感じてしまう。監視されているとは思わずに、きわどい内容をメールするよりも、監視されていることを前提に、気を付けながらメールする方がよほどいい、かもしれない。

スノーデン氏の行動については、告発なのか暴露なのか、賛否両論あるようだ。私自身としては、少なくとも本作品を見る限りは、スノーデン氏の肩を持ちたいと感じた。また、このような作品を作るアメリカの気質、そしてその公開を許す度量なども、アメリカの懐の深さを感じさせられる。

一方で、映画の中に出てきた「プライバシーよりも安全」という言葉も、今の世の中だからこそ重みを持つ。自分のメールが監視されているかもしれないが、そのことによってテロの回避など、安全が守られるのであれば、それも受け入れるべきかもしれない。プライバシーと安全、二律背反する難しい問題だが、テロ行為のみならず、ITを使った金銭犯罪も増加している中、どこまで規制してどこまでを許すかという線引きが非常に重要だと思う。ゼロか100かの世界ではなく、ギリギリのバランスを考えた線引きが。。。

(と書きつつ、自宅のノートパソコンのカメラに目隠しのシールを貼ってしまった。やはり覗かれている感がするのは気持ちが悪いものだ)

積読本が10冊程度になり(封印している150冊は除く)、精神衛生上は非常によい状態をキープしている。積読本が多いと、なぜか追い立てられる気分になってしまうのだ。あまりにも大量だと諦めもついて、気にならなくなるのかもしれないが。(ちなみに、メールの受信ボックスも10件程度残っているのが心地よい。たくさんの未返信メールがあると、追い立てられている気がしてしまう)

2019年は、禁読宣言した通り、読書のペースはあえて落としていくつもりである。にもかかわらず、従来と同じペースで本を買っていたら、積読本があっという間に増えてしまうだろう。そう考えると、本を買うという行為に対して、慎重になってしまう。

茨城に来て書店に行く機会がめっきり減ってしまったのだが(従来は最寄り駅隣接の比較的規模の大きな書店があったので、週2〜3回は立ち寄っていた)、本を買わないという意味では、これも功を奏していると言えようか。

書店に行くのは、週末に車で茨城の大型書店に行くか、東京出張時に東京駅や上野駅の書店に立ち寄る程度。少ないときは2週間に1回程度と、頻度はかなり落ちてしまった。ただ、最近の書店で平積みされている本を見ても、食指が動かないのも事実。特に新刊は、どこかで読んだことがある話を、別の切り口で書き直しているだけと感じてしまうものも多く、そういった書籍を買うのはお金よりも時間がもったいないと感じるようになった。

本を簡単に取り寄せることが出来てしまうAmazonなどのネット書店の誘惑も曲者。こちらは「ほしいものリスト」を2つに分けて、必ず読みたいものと、時間があればその内読むものに区別することで、衝動買いを防ぐようにしている。

そもそも、Kindleなどの電子書籍がかなり普及してきており、新刊であればほとんどの書籍を、まさにその場で手に入れることができる。少し前までは「本との出会いは一期一会」などと言われており、気になった時に買っておかないと、すぐに書店の店頭から消えてしまうことも多々あったのだが、今や、Webサイトをクリックしてほしいものリストに入れておくだけで、いつでも購入することができる。

そうすると、紙の書籍であれば、まずはいったん購入して手元に置いておくという行為が発生していたが、電子書籍の場合は、いつでもダウンロードできるので、本当に読みたくなった時に購入すればよい。わざわざお金を出して電子書籍の積読本を増やす必要はないのだ。

そんなこんなで、本を買うことに対して慎重になってしまった私。いたずらに新刊を買い求めるのではなく、定評のある古典的な書籍をじっくり読むことの方が重要だと思うようになった。また、既読の良書を再読することも重要。大事な本は、何度も繰り返し読むべきと思いつつ、なかなか実行できないでいるのだし。

『松下電器の経営改革』 >伊丹敬之/有斐閣

本書は、初読時に非常に感銘を受け、自分の中の名著10選に入れていたもの。最近、『日本電産流V字回復経営の教科書』や『ザ・会社改造』など、会社改革ものの本を何冊か再読しているが、その流れで本書も再読。本当は、一番最初に読もうかと思っていたのだが、なぜか最後まで取っておいてしまった。

読み返してみて、やはりすごいなぁと思う一方で、本書が書かれた後の松下電器(現パナソニック)はプラズマテレビへの積極投資が裏目にでてしまい低迷を続け、今や自動車や住宅向けのB2Cへ舵を切りつつある。そんな状況を知っているだけに、本書の魅力も、初読当時と比べると、少しだけ色あせて感じてしまうのだ。

本書の中村社長と、ソニーの出井元社長の2人は、業績が付いてこなかったがゆえに、世間一般の評価が低いが、個人的に経営者としては一流だと思っている。方針やコンセプトを明確・明快に発信し、新しい発想や考えを積極的に取り入れ、会社そのものを変えていくんだという意気込みに富んでいた。しかしながら、やはり経営者たるもの、業績が上向かないと正当な評価を受けないというのも、これまた現実であろう。

そんな複雑な思いを抱えながら、本書を再読したわけであるが、やはり心に響くのは松下幸之助翁が残した経営理念だろうか。「経営理念以外はすべて変えるというのは、裏返して言うと経営理念は絶対に変えないということ」と本書の筆者の一人である伊丹先生は解説しているが、それほどまでに経営理念というのは大事なものだということであろう。

初読当初は、どちらかというとテクニック的なところに目が行きがちであったが、私自身が少し年を重ね、少し経験値を積んだ今、改めて本書のような書籍を読むと、理念的なところに目が行ってしまう。

もちろん「日々是新た」などという幸之助翁の言葉も胸に刺さるが、時代を経て若者には伝わりにくいと感じたのであろうか、中村社長は意図的にそれらの言葉を分かりやすく言い換えている。例えば、「日々是新た」「一人ひとりが創業者」となり、「理を優先して情を添える」「合理性の追求集団」となる。

最後に伊丹先生が整理した経営者の3つの機能的役割が印象的だったので、引用しておきたい。

・リーダーの条件:人格的魅力、ぶれない決断
・代表者の条件:総合判断の結果責任、社会への倫理観
・設計者の条件:戦略眼、組織観


最後にと書きつつ、もう1つ。伊丹先生が残した中で私が一番好きな言葉を。

・歴史は跳ばない、しかし加速できる。

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◇1783 『デジタルの未来−事業の存続をかけた変革戦略』 >ユルゲン・メフェルト/日本経済新聞出版社

デジタル・トランスフォーメーションに関わる書籍だと思い、書店で目にして購入したのだが。。。内容的には恐らく素晴らしいのだと思う。自動車、電力、スマートホーム、ヘルスケア、金融、製造、サプライチェーンなどのデジタル化に触れており、最新のデジタル経営のトレンドを、ほぼ網羅しているといってもよい内容。

しかしながら、私自身が経理系の仕事をしている関係からか、このようなクリエイティブな本を読んでも、なかなか仕事に活かすことができないというジレンマがある。経理という存在は、会社において数字には強いが、所詮数字だけの存在。そこまで言うと悲観的に過ぎるだろうか。しかしながら、新しいビジネスの可能性を模索するのはやはり営業や開発設計者など。

経理の仕事が決して嫌いなわけではなく、コストセンターであり利益は稼いでいないと自覚しつつも、裏方・縁の下の力持ちといった役割分担を楽しんでおり、誇りも持っている。しかしながら、さまざまな戦略の本を読んだり、ビジネスモデルの本を読んだりしても、活かす機会が少なく、何を勉強すればよいのか迷っている状態と言えようか。

そんな時に、密度の濃い本書を読んでしまったため、このような愚痴めいた書評になってしまった。ちょっと反省。デジタルの未来を案じる前に自分の未来を案じなければ。。。上述の内容は削除しようかとも思ったが、このブログは自分の気持ちの部分も少しは吐露して記録しておこうと思っているものなので、まぁあえて残しておこうか。

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さて、そんな状態で読み進めたので、残念ながら流し読みのような形になってしまった。しかしながら、触れられている内容は新聞記事などを追いかけていれば、ある程度は耳に入ってくるもの。本書が素晴らしいのは、それらを網羅的かつ体系的(といってもある程度だが)にまとめているところではなかろうか。また、WHY、WHAT、HOWという3つの切り口で、自社の状況を冷静に観察するためのツールを提供してくれているところも素晴らしい。

このまま筆を置くのも忍びないので、本書のポイントだと感じたWHY、WHAT、HOWに関する記述を引用しておこう。

■WHY:マネジメントへの重要な問い

<緊迫感>
1.デジタル化の脅威と潜在力を特定できているか?
2.客観的に棚卸に取り組んでいるか?
3.デジタル化を直に体験しているか?

<変化のタイプ>
4.現在の事業はデジタル世界で生き延びられるか?
5.一部だけに的を絞ったデジタル化で十分なのか?
6.デジタル化のための新しい人材は確保しているか?

<変化を阻む壁>
7.オーナー、従業員、マネージャーは極度のストレスに晒されていないか?
8.最も有能で実績のあるマネージャーは変化を支持しているか?
9.業務の縦割り体制は変化の邪魔になっていないか?

<関連するアセット>
10.事業のカギを握るアセットは何か、顧客、商品、技術?
11.デジタル時代にも引き続き重要なアセットは?
12.デジタル時代に合わせてどのようにアセットを上手く変えていくのか?

<熱意>
13.CEOは変化を推進しているか?
14.どれだけ高みを目指し、どれだけのスピードで行動すべきか?
15.従業員はやる気になっているか?

■WHAT:マネジメントへの重要な問い

<新しいエコシステムを築く>
1.ライバルは新しい技術で私たちのビジネスモデルを攻撃しているか?
2.私たちはデジタル技術の可能性を活用して改革しているか?
3.従来の業界の境目で新しいプロフィット・プールは現れているか?

<ビジネス・アーキテクチャーを開発する>
4.カスタマー・エクスペリエンスを根本から改善するためにデジタル化を十分に活用できているか?
5.新しい製品を迅速かつ急進的に開発してライバルに先んじているか?
6.デジタル化とアドバンスト・アナリティクスを十分に活用して最大限の効率化を進めているか?

<基盤を強化する>
7.最新の技術とITを活用しているか?
8.機敏でフラットな組織で起業家的精神を育んでいるか?
9.新たな人材を惹き付ける企業であるか、的確な相手とパートナーシップを築いているか?

■HOW:マネジメントへの重要な問い

<計画作成>
1.会社全体のデジタル化のためのプランはあるか?
2.変革の中心にどのように顧客を据えるのか?
3.どんな構造で目指す変化を実現するのか?

<デジタル企業として稼働する>
4.デジタル・ネイティブは年単位ではなく週単位で考える。わが社はどれだけ機敏か?
5.市場でのデジタル化の成果を正確に測れるか?
6.デジタルの経験と業界の知見を備えたチームをどう結成し、どう運営していくか?

<強力に拡大する>
7.組織ぐるみで迅速に強力に拡大するにはどうすればいいか?
8.わが社のITでどのようにビジネスのスピードをアップさせるのか?
9.組織を巻き込んで実行する方法はあるのか、どんなコンセプトで懸念事項に対処するのか?




【目次】

第1章 デジタルは世界を急速に、不可逆的に変えている
第2章 全社を挙げて、基礎から作りかえよ―大規模なデジタル化
第3章 WHY 残された時間はわずか
第4章 WHAT やるべきことをデジタルで
第5章 WHAT ビジネス・アーキテクチャを開発する
第6章 WHAT 事業基盤を強化する
第7章 HOW 全社にスピーディに導入する
第8章 HOW デジタル企業を成長させる
第9章 “最も大事なこと”全社を挙げたデジタル化
第10章 デジタル・トランスフォーメーションに取り組む準備は整っているか?

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ふと考えたのだが、チームのポジションによって、5W1Hの使い分けが生じるのではないだろうか。

まず、リーダーはどこへ向かうのか(Where)と、なぜ行うのか(Why)という方向性や大義名分を示さなければならない。

次にミドルクラスの担当者は、誰が(Who)、いつまでに(When)、何を(What)やるのかを、明確にしなければならない。

最後に、実務を支える担当者が、どのように(How)実行するかを決め、タスクをこなしていく。

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仕事をしていると、よく5W1Hが大切だと言われるのだが、Whereだけは、どこでやってもいいではないかと、今まであまり重視してこなかった。しかしながら、よくよく考えると「どこで」ではなく、「どこへ」という方向性を示すのはとても大事なこと。

そんな当たり前のことを、ふと考えたのであった。

◇1782 『対立の世紀−グローバリズムの破綻(US VS. THEM)』 >イアン・ブレマー/日本経済新聞出版社

本書は東京の書店で購入。人間の記憶とは不思議なもので、『対立の世紀』というタイトルではなく「US VS. THEM」という原題の方に目が留まったのだ。あれっどこかで見た記憶がある、と表紙を眺めていて、「確か御立さんが薦めていた本ではなかったか」と手にしてみる。訳者は奥村準さんという方で存じ上げない。記憶違いかなと、目次を見ていると、解説を御立さんが書いていらっしゃる。やはり思い違いではなかったと、即購入。

記憶をたどると、御立尚資の帰ってきた「経営レンズ箱」というコラムで読んだ記事だと思い至った。そこでも、「US VS. THEM」のことを、「俺たち 対 あいつら」と表現していたと思う。その意味は、ポピュリズムに走る国々の中心にあるものが、仲間対よそ者、例えばアメリカであれば「自国民対移民」、中国であれば「一般市民対富裕層」、といった構図だということ。

ある団体を二分して論じることは、すべての団体に有効である。ある国では上述の通り、自国民対移民や、一般市民(あるいは貧困層)対富裕層になる。またある国では、宗教で対立する2つの団体になるし、人種で対立する2つの団体という構図もあり得る。こういった「対立関係」がさまざまな摩擦を生むというのが、本書に核となる論拠のひとつ。

もうひとつの主張は、急速に進む自動化やAI化である。従来であれば、発展途上国では、工場の建設による労働者の需要や、オフィスの単純作業での求人が、農村部から都会へと人々を引き寄せていた。人々はそこで賃金を稼いで、貧困層から中間層への脱却する、というストーリーを描くことができたのだ。もちろん、制度やインフラをきちんと整えることができず、中間層を生み出すことができない国もあったが、まだ可能性は残されていた。

しかしながら、工場の自動化やオフィス業務のAI化が進むと、貧困層の人々は機械に仕事を奪われてしまい、それはイコール、中間層への足掛かりを失うということを意味するようになってきた。巷では、AIによって無くなる仕事はたくさんあるが、一方では新たな仕事も生み出すため、失業者が急増することはない、という理論を述べる人もいるが、そういった高度な仕事に就くためには教育や訓練が必要であり、農村部の人々が簡単につける職種ではなくなる、ということが忘れられている。

そう考えると、インターネットが普及し、ネットを活用することで先進国の仕事を発展途上国の安い労働力が奪っていく構図、見方を変えれば、発展途上国の人々が中間層へ移行するための足掛かりを得ることができる構図というのは、10〜15年程度しか続かなかったということになろうか。このわずかなチャンスを利用して、うまくのし上がった人々は(もちろん当人たちの努力はあっただろうが)機会に恵まれたと言えるかもしれない。筆者の論が正しいとすれば、今後は貧困層が自らの力で中間層へ移行することはかなり難しくなりそうだ。

そうすると、貧困層対富裕層という対立は、ますます激化し、一人ひとりが力を持たない人々は、数にものをいわせたり(デモや反乱)、テロ行為などに走るかもしれない。そんな、少し暗い未来を予見させるような内容だと感じられてしまった。

筆者は冷静に現状を分析しているだけであり、警鐘を鳴らすことによって、この「対立の世紀」を「融和の世紀」に変えたいと願っているのかもしれないが、残念ながら私の力量では、本書から警鐘を読み取ることはできても、明るい未来に向けての施策を読み取ることはできなかった。



【目次】

第1章 「勝ち組」と「負け組」
第2章 危険信号
第3章 12の断層線
第4章 分断の壁
第5章 ニュー・ディール

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机の上や枕元には、メモとペンを置いておき、思い浮かんだアイデアなどを書き留めるようにしている。人によっては、メモなど取らなくても、大事なアイデアは必ず覚えているものだ、などと言うが、私には無理。せっかくよいアイデアを思い付いたのに、メモしておかずに忘れてしまい、悔しい思いをしたことが何度もある。

例えば、夢のメモなどは寝起きに書いておかないとすぐに忘れてしまう。簡単に忘れてしまうことなのに、ちょっとしたキーワードを書き留めておくだけで、鮮明に思い出せるのが夢の面白いところであろうか。仕事のことについても、明日は忘れずにあれをやらなければ、といったタスクを書き留めたり、新しい仕事に関するアイデアが浮かんでそれを記録しておいたりと、結構、枕元のメモが役に立っているのだ。

しかしながら、メモはあくまでもメモで、寝起きの時など、キーワードだけを書いておくことも多いので、時々ではあるが詳細が思い出せないことも。例えば「思考のパターン」と書かれたメモ。果たして何を考えていたのだろうか。ずっと気になっていて、このタイトルでブログを書かなければという強迫観念にまで襲われてしまっていた。

仕事のことではないので、忘れてしまったのであれば、別にこんなメモなど捨ててしまえばよいのであろうが、そうできないのが私の凝り性なところ。当時考えていたこととは違うかもしれないが、何とかアイデアをひねり出してみたい。

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前置きが長くなってしまったが、私が持っている思考のパターンは、次のようなもの。仕事の上での考え方が中心になってしまっているなぁ。。。自分の頭の中に染みついているので、あまり意識することはないのだが、改めて書き出してみよう。

・シンプルでしなやかに。省くことを考える。柔軟に考える。日々考え続ける。

・目の前の仕事を一生懸命やる。過去に起こってしまったことを悔やんでも、まだ来てもいない将来について思い悩んでも、詮無いこと。目の前の仕事に集中することで、新しい道が開けてくる。

・悩むときは自分でコントロールできる範囲のことで悩むようにする。自分でコントロールできない部分については、悩んでもどうしようもないので諦める。

・何事も前向きに考える。否定的な意見を言う時は、きちんと代替案を準備する。そのうえで、賛成したことに対しては全力で取り組む。

・イチかゼロか、の両極端で考えた後、その中間点に解決策が隠れていないかを考える。イチゼロの世界で終わらせない。

・他人と接する時は、自分と100%同じ考えはあり得ないと認識する。だから摩擦が起こるのは当然である。その上で、他人の意見をきちんと尊重する。反論すべきは反論し、相手の意見が正しいと思えば受け入れる。お互い腹落ちしないのが一番よくない。人間は面従腹背できる動物であると心得る。

・迷ったときは困難な道を選ぶ方が正解である場合が多い。安易な方向に逃げない。困難は自分を磨いてくれる砂だと心得る。

ここまで書いてみて、ふと思い立ったのが、「言葉」というカテゴリーを作ったときのこと。本などから得た好きな言葉を、自分なりに解釈して記録しているものだ。読書好きが高じて、言葉をとても大事に考えているのだが、そんな思いから新たにカテゴリーまで設けたのに、9エントリーで終わっている。今回のエントリーも、「言葉」カテゴリーに入りそうだと思い出したのだ。

(三日坊主ではないにせよ、なぜか長続きしなった。まぁ、このくらいの緩さがないと、10年以上もこのブログを続けてこられなかったであろう)

取り合えず「思考のパターン」というキーワードをもとに、思いつくまま書き連ねたのが上記の7項目。あまり考えずに、これらの項目が出てきたということは、いつも意識しているということだろうか。現時点では、こんな感じだが、歳を重ねると、内容は変化しそうだ。これも一つの定点観測として、残しておこう。

◇1781 『明治維新とは何だったのか−世界史から考える』 >半藤一利・出口治明/祥伝社

半藤さんと出口さんの対談であるから、面白くないはずがない。タイトル通り、明治維新という日本の変節点を世界史という観点から考えている興味深い対談である。

日本の近代化の幕開けとして象徴的なのがペリー来航であろう。日本史だけを見ていると、黒船来航という大きな事件として扱われるだけだが、後ろにある世界の情勢を眺めてみると新しい事実が見えてくる。お二人が語っているのは、当時の大英帝国とアメリカの力関係。当時はまだ英国がNo1であり、中国のみならず、インドやシンガポールといった主要拠点を我が物としていた。アメリカはこれに対抗すべく、太平洋から極東への航路が必要であり、その補給線として日本が選ばれたのである。

これに対して、当時の幕府・老中の阿部正弘が開国を決意し、「開国」「富国」「強兵」という3本を柱としたグランドデザインを描く。私としては、今まであまり意識したことのなかった名前だが、お二人が絶賛しているのを知って、がぜん興味が湧いてきた。確かに、長年続いた海禁政策(鎖国)から開国へ舵を切るというのは相当なパワーが必要だっただろう。

そのグランドデザインに肉付けをしたのが大久保利通である。幕末というと西郷隆盛や坂本龍馬に目が行きがちだが、実務的に官僚制度を構築していったのは大久保の功績だとのこと。半藤さん・出口さんのお二人に言わせると、西南戦争然とに大久保・西郷・木戸孝允という維新の三傑が相次いで亡くなってしまい、政府に残った伊藤博文や山縣有朋といった幹部たちは小粒になってしまったとのこと。

この山縣が権力争いから考え出したのが「統帥権」だが、これが無謀な太平洋戦争へ突き進む遠因となり、後々の日本に禍根を残すことになる。韓国併合の際に、統帥権を排し、文民統制に戻すチャンスがあったのだが、伊藤と山縣の個人的な人間関係のもつれのような取り上げ方をされてしまい、一回限りとなってしまった。

維新三傑が早々に世を去り、生き残りの人物たちが政府を作り、そのときのルールが日本を戦争へと向かわせた。そう考えると、歴史というのは大きなところでつながっており、その深遠さを感じざるを得ない。もっと言うと、そもそも伊藤や山縣といった長州閥の人間が出世したのも、関ケ原の戦いで毛利が徳川に楯突き、外様大名に甘んじることになったのが遠因である。

巻末にはお二人のお薦めの書籍が紹介されている。ちょっと専門的過ぎて難しそうであり、私にとってはハードルの高い書籍が並んでいるが、お二人共通の推薦図書がアーネスト・サトウ著の『一外交官の見た明治維新』。本書については、早速取り寄せ。読むのは少し先になりそうだが。。。

さて、これ以外にも豊富なウンチクがたくさんあったので、その一部を記録しておきたい。

・林則徐はアヘン戦争の時に欽差大臣として西洋の研究をするが、弱腰の北京政府が彼を罷免してしまった。その時の資料を魏源に託し、魏源が『海国図史』という本にまとめ上げた。この『海国図史』を幕末の志士たちが読んで影響を受けたという。知識は間違いなく力になるという好例。

・社会が大きく動いている時は、狂信的な人によい仕事はできない。複雑な状況を収めていかなければならないので、リーダーは出来るだけ合理的な思考が出来る人がいい。

・漢字を活用した英語の日本語化が日本の近代化に大きく貢献した。西周は「芸術」「科学」「理性」「知識」「概念」「共和制」などを、森鴎外は「交響曲」「詩情」「空想」「民謡」「女優」「長編小説」「短編小説」など、夏目漱石が「不可能」「経済」「価値」「連想」「打算」「電力」「無意識」などの単語を生み出している。

・日露戦争の後、アメリカの助力があったからこそ、講和することが出来たにもかかわらず、日本国民にはその事実が知らされず、むしろ世論はアメリカに対する不満を募らせていった。振り返ると日本はこの時点で、アメリカの友情を失うことになったのではないか。

・「開国」「富国」「強兵」という近代化の3つのカードの内、「開国」を棄てて「富国」と「強兵」に走ってしまった結果が第二次世界大戦での敗戦だった。一方、戦後は吉田茂が「強兵」を棄てて、「開国」と「富国」に邁進した結果、戦後の目覚ましい復興が実現された。

・これらの歴史を通じて、あらためて広く世界を見ることの大切さを実感させられる。


最後に、余談だが半藤さんがオリンピックを目指すほどのボート選手だったとのこと。単純作業の繰り返しであるボートの魅力を知る人と聞いてより一層の親近感を抱いてしまった。隅田公園に半藤さんがサインした碑があるとのこと。一度見てみたいものである。



【目次】

まえがき 出口治明

第一章 幕末の動乱を生み出したもの
・ペリーの黒船はなぜ日本へ来たのか
・市民戦争(南北戦争)後に急成長したアメリカ経済
・いち早く開国を決意した阿部正弘の開明性
・徳川幕府が「海禁(鎖国)」を選んだ本当の理由
・勘定奉行は知っていながら止められなかった、金銀の交換比率
・軍隊の近代化を進めた薩摩と長州

第二章 「御一新」は革命か内乱か
・光格天皇が復活させた「天皇」の権威
・薩長が徳川への恨みを晴らした「暴力革命」
・錦の御旗に負けた徳川慶喜
・戊辰戦争は東北諸藩の反乱ではなく「防衛戦争」
・坂本龍馬と船中八策
・県名、軍隊、華族に見る賊軍差別
・岩倉使節団の留守中に西郷隆盛は何をしたか
・「維新の三傑」亡き後を引き継いだ伊藤博文と山縣有朋

第三章 幕末の志士たちは何を見ていたのか
・最初に「日本人」を自覚した勝海舟
・西郷隆盛は毛沢東か?
・幕府の権威を昔に戻そうとした井伊直弼
・グランド・デザイナーとしての大久保利通
・薩長同盟を実現させた桂小五郎の性格
・最大の陰謀家・岩倉具視
・伊藤博文と山縣有朋
・自由民権運動の志士・板垣退助
・西南戦争で薩摩が勝つと思っていたアーネスト・サトウ

第四章 「近代日本」とは何か
・「脱亜入欧」を可能にした日本語による高等教育
・西南戦争後にシビリアン・コントロールを外した山縣有朋
・軍国主義の下地をつくった統帥権の独立はここで登場した
・大日本帝国は薩長がつくって薩長が滅ぼした
・日露戦争の講和は何が問題だったのか
・「開国」というカードを捨てたのが近代日本の過ち
・薩長が始めた太平洋戦争を「賊軍」出身者が終わらせた
・明治維新の最大の功労者は誰か

半藤一利・出口治明選 明治維新 書籍ガイド
あとがき 半藤一利

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先日「本物の自信」についてエントリーしたが、似たような感覚の話に「原理原則と柔軟性」というものがあるように思う。仕事の話になってしまうが、会社生活をしていると、いろいろとイレギュラーな事案にぶつかることがある。初めての案件、外国で起こった特殊な案件、緊急対応しなければならないトラブルなどなど。

イレギュラーな事案というのは、応用力が問われるが、基本がないのに応用など利くわけがなく、普段からいかに基本的な部分を積み上げておくかが、重要になる。

また、考え方については、原理原則に立ち戻ることが重要であろう。イレギュラーな事案であっても、本質的なところまで掘り下げていくと、過去に経験した別の事案での対応が応用できるかもしれない。その上で、原理原則を考えれば、ある程度の答えは出すことができる。

この時、原理原則が身に付いていないと、規則がこうだから、前例がこうだからと、規則や過去に縛られてしまうことになる。結果として、初めて起こったような事象に対して適切な対応ができなくなるという罠に陥ることになってしまう。

原理原則というのは一本の真っ直ぐな「筋」のようなものだが、決して狭くて硬いものではない。柔軟で太いものである。原理原則があるからこそ、そこの則った上での応用を利かせることができるし、手段を柔軟に選ぶことができる。

本物の自信があるから、ゆったりと柔軟に構えることができるのと、原理原則を心得ているからこそ、柔軟に対応できることには、共通点があるように感じる。どちらもまだまだ身に付いてはいないが、意識しないと身に付かないものであることも、共通しているかもしれない。

◇1780 『一度読んだら絶対に忘れない・世界史の教科書』 >山崎圭一/SBクリエイティブ

私が欲しかったのはこれだ!と叫びたくなるような本。グローバルに世界中の人々ときちんと会話をするためには、そのバックグラウンドである歴史を知ることは必須であり、世界史は非常に重要だと最近になってようやく思えるようになった。(高校生のときにもっと勉強しておけばよかった) 一方で世界史は苦手分野であり、なかなか記憶に定着しない。いろいろな本を読んできたのだが、全体の流れがなかなか頭に入って来ず、自分の頭の悪さに辟易していたのだが。。。

私の頭も悪いかもしれないが、世界史の教科書の構成も今ひとつだということが、本書を読めば一目瞭然である。分断された断片を頭に詰め込むだけの世界史から、ストーリーを把握する世界史への転換。本書では、そんな当たり前と言えば当たり前(だって歴史は繋がっているから)のことを、地道に実現してくれている。

とはいえ、もともと自覚していたヨーロッパの中世あたりの歴史は、本書を読んでも一度では頭に入って来ない。「一度読んだら絶対に忘れない」というサブタイトルは、少し誇張的であろう。ただし、どこが苦手かも一目瞭然になるので、その部分を2〜3度繰り返して読めば、随分とこれからの学習が楽になるだろうと思われる。ちなみに、本書を読んで気づいたのが、中東の歴史もあやふやだということ。イスラームの歴史は宗教の面からも勉強したので大丈夫だと思っていたが、王朝の名前がコロコロ変わるので、きちんと頭に入れておく必要がありそうだ。

最後に、本書の最大の特徴ともいえる一気通貫の歴史の流れが一目瞭然になっているページを転記しておきたい。

<人類の出現>
<文明の発生>

<ヨーロッパ>
・エーゲ文明
・ギリシア
・ヘレニズム
・共和政ローマ
・帝政ローマ
・ゲルマン人の移動
・フランク王国
・カール大帝
・十字軍
・百年戦争

<中東>
・オリエント文明
・古バビロニア
・アケメネス朝
・パルティア
・ササン朝
・イスラームの成立
・ウマイヤ朝
・アッバース朝
・セルジューク朝
・イル=ハン国
・オスマン朝

<インド>
・インダス文明
・仏教の成立
・マウリヤ朝
・クシャーナ朝
・グプタ朝
・ヴァルダナ朝
・ガズナ朝
・ゴール朝
・デリー=スルタン朝
・ムガル帝国

<中国>
・黄河文明
・殷
・周
・秦
・前漢
・後漢
・三国
・五胡十六国
・隋
・唐
・宋
・南宋
・元
・明
・清

<世界の一体化(大航海時代・ヨーロッパ諸国の海外進出)>

<欧米>
・産業革命
・市民革命
・国民国家の発展
・帝国主義
・2つの世界大戦

<中東・インド>
・オスマン帝国の動揺
・インドの植民地化
・諸地域の民族運動

<中国>
・アヘン戦争
・列強の中国分割
・辛亥革命
・満州事変
・日中戦争

<冷戦構造の形成・現代世界>




【目次】

序章 人類の出現・文明の誕生
第1章 ヨーロッパの歴史
第2章 中東の歴史
第3章 インドの歴史
第4章 中国の歴史
第5章 一体化する世界の時代
第6章 革命の時代
第7章 帝国主義と世界大戦の時代
第8章 近代の中東・インド
第9章 近代の中国
第10章 現代の世界

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河合隼雄さんの本に書かれている「強いものだけが感謝することができる」という言葉。これを知るきっかけとなった、慎泰俊さんの「強いものだけが素直になることができる」という言葉。慎泰俊さんはこう続ける。

謙虚素直であることってすごく難しいことなんだな。相手に自らの誤りを指摘され、その結果自分の一部を否定しても、自分という存在が揺るがないという確信があってこそ、人は他人の批判を素直に受け止めることができる。言い換えると、かなり強固な心の基盤と自己変革をしてきた経験がある強いひとだけが素直になれる。そんな強い人はそうそういない。

ここで言う「強さ」とは「自信」のことではないかと思う。本物の自信があるからこそ、他の方の行いに対して心から感謝ができるし、本物の自信があるからこそ、他の方の指摘を素直に受け入れることができる。

「本物の自信」に関係することは、いろいろありそうだ。

何かのミスをしてしまった時、本物の自信を持っている人は素直に謝ることができる。それは、その程度のミスでは自分のポジション(地位?立場?いい言葉が思い浮かばないので、とりあえずポジションとしておく)が揺らがないことを知っているから、謝ることができるのではなかろうか。自信のない人になると、そのミスが致命的であるかのように感じてしまい、謝るよりもミスを隠そうという方向に走ってしまいがちになる。

他人が成功したとき、いい仕事をした時。本物の自信を持っている人は、それを素直に褒め称え、嬉しいと感じるであろう。そのうえで、自分も頑張らねばと自身を鼓舞するであろう。しかしながら、中途半端な自信しか持っていない人は、他人の成功をうらやみ嫉妬し、時には足を引っ張ろうとまでするかもしれない。

じゃあ、私自身が本物の自信を持てているかというと、そんなことはない。本物の自信を持つためには、自分の核になる部分、柱となる部分を磨き上げるべく、毎日深く考える習慣を持ちつつ、仕事などではきちんと実績を積むために、考えるだけでなくそれらを実行に移し、自分で納得できる実績を少しずつ少しずつ積み重ねていくしかないのではなかろうか。

◇1779 『戦略読書日記−本質を抉りだす思考のセンス』 >楠木建/プレジデント社

「禁読」を宣言しながら、早速、書評を書いてしまっているのだが、こちらは昨年までに読了したものの感想。書評を書いていない本が、まだ十数冊あるので、そちらについては忘れないうちにメモを残しておきたい。禁読が三日坊主で終わったわけではないので、名誉のため(笑)に断っておきたい。

さて、楠木先生の本は読んでいて楽しく面白く、気が付いたら勉強になっているという優れた代物。本書も例に漏れず、面白さに一気に読了した。そもそもの語り口調が面白い上に、対象が読書だというから、本好きの私にとってはたまらない内容である。

私自身、常日頃から物事の本質や原理原則を1つでも多く極めたい、などと不遜なことを考えているのだが、本書はまさにそんな私に大きな気づきを与えてくれる良書。書評を書きながら気づいたが、サブタイトルに「本質を抉りだす」とある。なるほど、本質論が多く含まれるのはその為であり、執筆のコンセプトが一気通貫でしっかりしている。さすがストーリーを大切にする楠木先生の本領発揮というところであろうか。

今日はたくさん引用したいので、感想はこれくらいに。いろいろと書き留めておきたいと思う内容がたくさんあったのだが、特に気になったところを原文のまま引用。

・議論の対象となっているのは、あくまでもファーストリテイリングという会社でのごく具体的な商売上の問題や案件だ。話が具体的な案件になると、具体のレベルで思考がひたすら横滑りする人が多いものだが、柳井さんにはそうしたことがない。どんなに具体的な問題であっても、柳井さんは必ず原理原則の抽象レベルにまで問題を引き上げ、ことの本質を突き詰める。そのうえでもう一度具体的な問題に降りてきて、意見や判断を述べる。急降下爆撃だ。柳井さんの思考は目の前で起こっている具体的な物事と抽象的な原理原則の体系と常時いったりきたりしている。この具体と抽象の振幅の幅がとんでもなく大きい。振幅の頻度が高く、脳内往復運動のスピードがきわめて速い。

戦略のストーリーを構築する経営者の能力は、どれだけ大きな幅で、どれだけ高頻度で、どれだけ速いスピードで具体と抽象を行き来できるかで決まる。具体的な問題や案件の表面を撫でているだけでは、優れた戦略ストーリーは生まれない。最終的な意思決定は常に具体的でなければならない。しかし、その一方で抽象度の高い原理原則がなければ、しかもそうした原理原則がきちんと言語化され、言葉で意識的に考え、伝えられるようになっていなければ、筋のよい戦略ストーリーはできない。

・石原という人が面白いのは、何かを考えるときに、必ずそれが「何ではないか」を考えているということだ。いつも頭の中に「A」と「Aでないもの」の二つの対立する概念があり、それが思考のエンジンになっている。石原の構想の中核には、戦争を「決戦戦争」と「持久戦争」という二つのタイプに分け、それを対比することによって戦略を考えるという思考様式があった。

決戦戦争の目的は敵の殲滅であり、統帥が第一になる。これに対して持久戦争は、文字どおりだらだらと長引く戦争で、その間の要所要所での政治の駆け引きがものをいう。このように、何かを考えるとき、それが「何ではないか」を合わせて考えると、一つひとつの思考がソリッドになり、物事の本質が見えてくる。何かを主張するときに、それが何ではないかがはっきりしている。なぜそうなのかという論理についても、必ず決戦戦争と持久戦争の違いに立ち戻って説明する。決戦戦争と持久戦争という二つの理念型の対比が、常に思考のバックボーンになっている。これが石原の戦略構想を強く太くしている。

・野中さんが典型例だが、本質論に行き着く人は、ある一つのことに対して四六時中「ようするに何なのか」を考え続けている。これくらいでなければガツンときて、グッとくる論理には到達できない。

・本来会社の仕事は単純で合理的なものです。おそらく90%の人が、与えられた課題に対して、正しい解を見つけることができるはずです。ところが、現実の世界では、90%の人が正しい解から外れてしまうのです。どうしてかと言えば、仕事の目的以外のことを考慮に入れるからです。つまり、上司がこの発想は嫌いだとか、この案は前回の会議で評判が悪かったとか、ついつい余計なことを考えてしまうからです。私は、可能な限り仕事本来の目的だけを考えようと努めました。それに、どんな小さな仕事であっても、純粋にその仕事の目的だけを考えて工夫すれば、達成感があり、とても楽しいということもわかりました。この頃から、食事と同じように、仕事の好き嫌いはほとんどなくなりました。

・僕が尊敬する経営学の先達、野中郁次郎さんが言う「賢慮のリーダー」とはまさにこういう人のことを意味していると直感した。「倫理の思慮分別をもって、その都度の文脈で最適な判断・行為ができる実践的知恵(高質の暗黙知)と物事の善悪の判断基準の軸を持って実践的知恵を駆使するリーダー」、これが野中さんの賢慮のリーダーの定義だ。賢慮を備えたリーダーは、「自らの哲学、歴史観、審美眼を総合したビジョンを志向しつつ、ダイナミックな状況の本質を察知して、その都度の文脈に最善の判断・行動を起こす。断片的な情報や知識というよりは、状況思考・行動ができる知恵を備えて」いなくてはならないと、野中さんは言う。そのまま出口さんという人物についての記述になっている。

・そこで僕は「世の中というのはそんなものだと言いながら、出口さんはわりと人間社会を信じていらっしゃいますね」と言った。これに対する出口さんの言葉が素晴らしかった。「株式市場に限らず、人の世というのはずいぶんいい加減で愚かなものですよ。でも、歴史をみてください。これだけ愚かな人間が、これだけの愚行を繰り返してきたにもかかわらず、今ここでこうやってわれわれは世の中で生きているんですよ。面白いと思いませんか。この絶対的な事実からして、人間社会は信頼に足ると思わざるをえない。私はそう思います」。これにはシビれた。知性とはこういうものか!僕は人間の知性の深淵を覗き込むような畏敬の念をもった。僕よりも小さな体の出口さんが何倍も大きく見えた。




【目次】

序章 時空間縦横無尽の疑似体験 『ストーリーとしての競争戦略』楠木建著
第 1章 疾走するセンス 『元祖テレビ屋大奮戦! 』井原高忠著
第 2章 「当然ですけど。当たり前ですけど」 『一勝九敗』柳井正著
第 3章 持続的競争優位の最強論理 『「バカな」と「なるほど」』吉原英樹著
第 4章 日本の「持ち味」を再考する 『日本の半導体40年』菊池誠著
第 5章 情報は少なめに、注意はたっぷりと 『スパークする思考』 内田和成著
第 6章 「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の戦略思考 『最終戦争論』 石原莞爾著
第 7章 経営人材を創る経営 『日本の経営を創る』三枝 匡、伊丹敬之著
第 8章 暴走するセンス 『おそめ』石井妙子著
第 9章 殿堂入りの戦略ストーリー 『Hot Pepper ミラクル・ストーリー』平尾勇司著
第10章 身も蓋もないがキレがある 『ストラテジストにさよならを』 広木隆著
第11章 並列から直列へ 『レコーディング・ダイエット決定版』岡田斗司夫著
第12章 俺の目を見ろ、何にも言うな 『プロフェッショナルマネジャー』ハロルド・ジェニーン著
第13章 過剰に強烈な経営者との脳内対話 『成功はゴミ箱の中に』レイ・クロック著
第14章 普遍にして不変の骨法 『映画はやくざなり』笠原和夫著
第15章 ハッとして、グッとくる 『市場と企業組織』O・E・ウィリアムソン著
第16章 日ごろの心構え 『生産システムの進化論』藤本隆宏著
第17章 花のお江戸のイノベーション 『日本永代蔵』井原西鶴著
第18章 メタファーの炸裂 『10宅論』隈 研吾著
第19章 「当たり前」大作戦 『直球勝負の会社』出口治明著
第20章 グローバル化とはどういうことか 『クアトロ・ラガッツィ』若桑みどり著
第21章 センスと芸風 『日本の喜劇人』小林信彦著
特別収録:ロング・インタビュー「僕の読書スタイル」 付録:読書録

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個人のやることリストに、ずっと残ったままになっており、だんだんストレスを感じるようになってきている項目がある。メモ帳には「A4まとめ」とのみ記載されている。何度も書き直しているので、これだけで分かるのだが、何かというと「今まで学習してきたことの要旨をA4一枚にまとめよう」というもの。

まとめたい内容はたくさんある。頑張って勉強してきた会計のキモや、最近、再度興味を持ち始めたファイナンス理論。また、継続的に定点観測している国際情勢やその歴史的背景など。

私は計画を立てるのが好きなので、準備だけは万端に整えてある。専用のファイルを買って、インデックスまで作って、、、でも進まない。手書きで書くのがよいかなと思っているのだが、きちんとまとめようとし過ぎているのだろうか、最初から完璧を目指し過ぎて、手を動かすことができないという典型的なダメなパターン。

これが仕事だったら、締切があったり、誰かが督促してくれたりするので、無理矢理にでも進むのだが。。。学習・勉強というよりも、個人的なこだわり、もっというと趣味の範疇かもしれない。だから進まないのだろうか。

よくよく考えてみると、会計にせよ歴史にせよ、まとめたい目的は知識を体系的に整理したいから。もっというと、必要なときにきちんと頭の引き出しから取り出せるようにしたいから。知識というのは体系立てて整理しておかないと、きちんと取り出せないという強迫観念があるのかもしれない。

しかしながら、人間の頭というのはよくできたもので、雑多な知識であっても長期記憶に保存されてしまえば、それなりに引き出しから出てくる。体系化にこだわるから、前に進まない。目的は必要な知識をきちんと記憶すること。だったら、体系化せず、必要な情報を、とにかく列挙していけばよいのではなかろうか。。。

ここまで考えて思いついたのは「まとめない」という手法。現在は、ブログの原稿はエバーノートで執筆し、完成後にブログへアップしている。ブログだけでなく、新聞記事のスクラップや、ちょっとしたメモなどもエバーノートを活用。だから、この「まとめない記録」もエバーノートに蓄積していけばよい。

しかしながら、ここが私のつまらないこだわりなのだが、せっかく今まで積み重ねてきたブログの中で、こういった情報や知識もきちんと蓄積しておきたい。そう考えて、「まとめない」という妙なカテゴリーを作ってみることにした。

ちなみに「まとめ」というカテゴリーが既にあるのだが、そちらの方は三日坊主で終わってしまっている。仕事ではまとめることは割合得意なのに、ブログではその長所がうまく発揮できない。そもそもブログというのは、まとめ作業には向いていないのかもしれない。

もしかしたら、また三日坊主で終わってしまうかもしれないが、まずは試してみよう。うまくいったら、「まとめ」のカテゴリーの方は、恥ずかしいので消去してしまおうか。。。まぁあくまでもブログは趣味の延長であり、個人的な記録と記憶の蓄積ツール。あまり固く考えなくてよいのだろうなぁ。。。

一年の計で、宣言した「食べない・飲まない」。これは身体に悪いものを極力食べない・飲まないという意味。12月に受けた健康診断で、結果はまずまずではあったものの、昨年に比べると体重が2キロほど増加しており、内臓脂肪も増えていたので、反省をしてのこと。

年齢とともに代謝が落ちてきているので、やはり一度体重が落ちたからと油断せずに、節制を続けなければすぐに太ってしまう。まだ2キロなので、ここで踏ん張らなければ、またぶくぶくと太ってしまうであろう。そう思って、昨年末から少しずつ節制を始めている。

まずは甘いもの断ち。家でも会社でも頭が疲れるとチョコレートを食べていたのだが、これを出来るだけ止めたい。買うとついつい食べてしまうので、とにかく買わないこと。チョコ以外の甘いものは、無くても我慢ができるのだが、チョコだけは目がなくて、なかなか我慢を続けるのはしんどい。しかしながら、一度食べてしまうと、止まらなくなりそうなので、とにかく買わない。

「飲まない」の方は、ビールを極力飲まないようにしたい。体重もそうだが、尿酸値が少々高めなので、そちらの節制も兼ねて。とはいうものの、飲み会の最初の一杯はどうしても生ビールになりがち。内輪の小さな飲み会の時は最初からハイボールでもよいかもしれない。あと、家でもビールをついつい飲んでしまっていたのだが、これを他のお酒に切り替えよう。(まぁそもそも家で飲まなければよいのだが。。。)

本当は、体幹トレーニングや、スクワット・腹筋・腕立て伏せ、といった軽い筋トレもやりたいのだが、なかなか重い腰が上がらない。少しずつ初めて習慣化するのがよいのだが。理想は、チョコやビールを採りながら、運動で痩せたり身体づくりをしていくのがよいのだがなぁ。。。

現在の積読本の状況は、時間が出来たらゆっくり読もうと思っているものが約150冊。これ以外に、世界情勢・最新ビジネスの状況など旬のものや、仕事で必要なファイナンス関係のものなどが10冊程度。面白そうな本を見つけるとついつい手を出してしまうので、これ以上はなかなか減らない。

一方で、TOEICで900点を取ってから、英語の勉強をサボってしまっている。ある程度自信はついてきたものの、リスニング力と語彙力には、まだまだ不安がある。この点をきちんと強化しないといけない。時間の使い方はトレードオフなので、読書に時間を割けば割くほど、英語学習の時間が減るのは自明の理。睡眠時間を削るのは本末転倒なので、読書の時間を削るしかない。

今まであまり試したことはないのだが、一度、読書を禁ずる「禁読」をやってみようかと思い立った。私は、ついつい「二番目に大事なこと」に着手してしまう弱さがある。ある程度の努力はしているつもりだが、試験勉強が必要なときに、小説に夢中になってしまう高校生のように、一番大事なことを置いておいて、次に大事なものに手を出してしまうのだ。

もちろん読書は大事であり、最近であれば生き方や考え方を学ぶための古典を読んだり、仕事に活かせる知識を強化するための経営書やファイナンス関係の本も読んだりしたい。しかしながら、まだまだ使いこなせるとは言えないレベルの英語を強化することが、一番大事。英語が一番大事なステージなので、ついつい二番手の読書に手を出してしまい、おかげで読書ははかどるのだが、、、という悪循環に陥っている。まぁネットサーフィンにはまったり、テレビのバラエティ番組に時間を割いたりしている訳ではないので、まだよいのだが。

という訳で、あえて読書を封印するという強硬策に出てみたい、と言いたいところだが、まったく読まないというのも不安。よって、当面は平日の読書を禁止して、週末のみ解禁としてみたい。週末だけで読了できない本があると、月曜日に持ち越して、それがずるずると「平日だけど今日だけは」といった言い訳を生む可能性もあるが。。。

週末だけの読書だと、恐らく週1冊程度のペースになるだろうか。年間50冊で、現状の半分の読書量だ。まぁ妥当な目標だろうか。。。

また、英語の本を読むのは可とする。Kindleで買ったまま読んでいない英語の本が5冊あるので、これらを読み進めたい。後は、語彙とリスニングの教化。リスニングの方はYoutubeで某海外大学のファイナンス講座を無料で視聴できるものを見つけたので、そちらを完了できればと思っている。

とりあえず、3カ月。好きな読書を封印して英語に取り組んでみたい。さて、三日坊主で終わらず、継続できるだろうか?

早いもので去年の目標を立てたと思ったら、もう一年が過ぎてしまった。改めて振り返ってみると、去年はこんなことを書いている。

1.シンプルでしなやかな生活を送る
・「コトの断捨離」を進める。

2.健康に気を遣う
・運動、食事、睡眠に気を遣う。

3.学習を継続する
・実務に必要な会計・国際税務・原価計算(管理会計)・ファイナンスの復習。
・英語は語彙、文法、リスニング、スピーキングをバランスよく。中国語は1つの教材のみ。
・教養を深めるための歴史・宗教・経営哲学の勉強。
・今まで読んできた本などから好きな言葉を抜き出して、それに対する考え方を記載する。
・仕事に対する考え方、仕事の基本動作など、仕事を通じて考えたことを文書化する。
・世界情勢について、歴史的背景や今後の展望、それに対する自分の考えをまとめる。

1.については、まずまず実践できたであろうか。2.は去年も運動が継続できなかった。3.は比較的進めることができたが、文書化したりまとめたりする作業が進まなかった。

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さて、2019年は上記の反省を踏まえて、かつ、今までとは少し趣向を変えて「やらないこと」を明確にしてみようかと思う。ただし、基本コンセプトは変えずにおく。

1.シンプルでしなやかな生活を送る・・・本を読まない

2.健康に気を遣う・・・食べない・飲まない

3.学習を継続する・・・まとめない


この私が「本を読まない」などと、あり得るのだろうか。実際には「極力読まない」程度になるだろうが、一年の計なので、少し大胆な目標を立てないと、だんだん効果が薄れてしまう。

それぞれについて、もう少し詳しく書き残しておきたいが、今日は正月なので、この程度にしておこう。

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◇1778 『アルジャーノンに花束を』 >ダニエル・キイス/早川書房

背表紙あらすじ:32歳になっても、幼児の知能しかないチャーリイ・ゴードンの人生は、罵詈雑言と嘲笑に満ちていた。昼間はパン屋でこき使われ、夜は精薄者センターで頭の痛くなる勉強の毎日。そんなある日、彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の偉い先生が、頭をよくしてくれるというのだ。願ってもないこの申し出に飛びついたチャーリイを待っていた連日の苛酷な検査。検査の競争相手は、アルジャーノンと呼ばれる白ネズミだ。脳外科手術で超知能をもつようになったアルジャーノンに、チャーリイは奇妙な親近感を抱きはじめる。やがて、脳外科手術を受けたチャーリイに新しい世界が開かれた。だが、その世界は、何も知らなかった以前の状態より決してすばらしいとは言えなかった。今や超知能をもつ天才に変貌したチャーリイにも解決しがたいさまざまな問題が待ちうけていたのだ。友情と愛情、悲しみと憎しみ、性、科学とヒューマニズム、人生の哀歓を、繊細な感性で描きだす感動の1966年度ネビュラ賞長篇部門受賞作。

記録を見ると初読は1996.08.22。当時は私の読書傾向がSFからミステリーに移りつつあった頃。名作と名高い本書だが、当時は設定の面白さで読み切ったという記憶がある。翻訳が秀逸で、知能に障害を持つチャーリイ・ゴードンが、どんどん知能指数を高めている様が、絶妙な日本語で描かれている。もちろん、原文も同様の技巧を凝らしているのであろう。筒井康隆に嵌っていた私は、内容よりもその技巧の方に着目していたような気がする。

さて、20年近い時を経て、再読する気になったのは、なぜだろうか。書棚に眠っているのを見て、ふと手に取ったのだ。過去に読んだ小説の多くは処分してしまっているが、本書は、感想を書いていないこともあり、ずっと取ってあったもの。他に読む本がたくさんあるので、なかなか再読の機会に恵まれなかったのだ。

読み始めると、その世界観にぐいぐいと引き込まれてしまった。やはり圧巻は、一度高まった知能が低下していく様と、それをチャーリイ自身が自覚しているところであろう。本人が「エスカレーターを降りていく」と表現しているように、自分が退化していく様を見るのは、何とも恐ろしいことである。

印象的だったのは、アリスとの次のやりとり。チャーリイの知性が退化を始めた頃、今の知性を失いたくないと駄々をこね、アリスと口論になってしまうのだ。「でもあなたは以前もっていたものを失ってしまった。あなたは笑顔をもっていた・・・」「うつろな、愚鈍な笑顔をね」「いいえ、あったかい、心からの笑顔よ、あなたはみんなに好かれたいと思っていたから」

皮肉なことに、チャーリイは知性を失う一方で、元来持っていた優しさと温かさを取り戻していく。以前働いていたパン屋の仲間や、けんか別れしてしまったアリスなど、彼のことを見守る仲間たち。思わず涙腺が緩んでしまった。

仕事をしていると、知識や能力に目が行きがちであり、それらを最も大事なものだと錯覚しがちであるが、人間にとってやはり一番大事なのは温かさと優しさではないだろうか。忙しい毎日の中、いつの間にか人間らしさを失ってはいないかと、昔読んだ本が私に警鐘を鳴らしてくれたのかもしれない。

もう1つ、この年になったから感じたのかもしれないが、本書を読了後、別の角度からの感想を抱いてしまった。人類は、医療の飛躍的な発展により長寿化が進んでいる。以前であれば、肉体の衰えによって死がもたらされていたのが、医療の発展により肉体の治療方法が進歩し、脳の方が先に参ってしまうという事象がままある状態になっている。いわゆる認知症の進行などだ。(そういえば以前は認知症のことを痴呆症と呼んでいた。差別用語として使用されなくなったのであろうが、本書とのシンクロを感じさせる)

認知症の進行を本人がどこまで自覚しているのかは分からないが、認知症の進行は、まさに知性の退化であり、本書で描かれているチャーリイと同じことが、万人に起こる可能性があるということではなかろうか。(ダニエル・キイスがそこまで予見していたとは思えないが)だからこそ、知性や知識よりも、人間としてまっすぐな優しさや温かさをもって生きなければならないと考えさせられたのだった。

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◇1777 『世界史を変えた新素材』 >佐藤健太郎/新潮選書

本書のような本を読むことが、読書の醍醐味と言えるのではなかろうか。もちろん、楽しむための読書として、小説(フィクション)を読むのも大好きだが、本書のようなノンフィクションには知的好奇心をくすぐられ、小説以上の面白さを感じてしまう。これが、直截的に仕事に関わる本だと、このような楽しみを味わうことは少ないのだが、仕事に直結しない分野だからこそ感じる面白みと言えようか。

元々、自分では大して理解は出来ないものの、テクノロジーに興味を抱いており、中でもIT技術よりもむしろ、日本が得意な高機能材料などに着目している。例えば人工クモの糸を制作するスパイバーや、石から紙を作るTBMといったベンチャー企業も興味深い。

さて、本書ではタイトル通り歴史に影響を与えたであろう材料12種類が紹介されている。簡単に列挙してみると、金、陶磁器、コラーゲン、鉄、紙、炭酸カルシウム、絹、ゴム、磁石、アルミニウム、プラスチック、シリコンである。感想を書く前に、興味深かった箇所を要約して引用しておこう。

・歴史を変える材料には、その希少性ゆえ喜ばれ、誰もが欲しがった金のようなものと、安く大量に生産されて行き渡り、世の中を変えた鉄のようなものがある。

・鉄の生産高は国の力を表す最も優れた指標。これまで生産高世界一は、イギリス→アメリカ→ソ連→日本→中国と推移してきている。(現在は中国が世界のシェアの5割を占めている)

・イスラム圏ではコーランの書写が神への冒涜と考えられていたため紙の普及が大幅に遅れた。このため8〜13世紀にかけて世界の最高水準にあったイスラム圏の科学技術のレベルは、知識の普及が阻害されたことにより、ルネサンス以降ヨーロッパに大きく水をあけられることになった。

・古代ローマはセメントを駆使して道路整備を行い、広大な土地を素早く移動できる力を身につけたがゆえに、1000年以上国家を維持することに成功した。その道路は、2000年度の現在でも現役で使用されている。

・人類の発明の多くは自然界にあるものからその原理を学んだものだが、車輪の発明はまったくのオリジナルであり、人類の偉大な発明の一つと言われている。この車輪にゴムを用いることにより車両に革命をもたらした。

・第二次世界大戦中には、軽くて成形が自由で電気絶縁性に優れたポリエチレンの登場により、イギリス軍によるレーダーの開発が加速した。これによりドイツ軍の夜襲を防ぐなど、戦局が大きく転換した。


これらの記載に加えて、マイクロプラスチックの問題についてなど、最新の情報も詰め込まれており、読んでいて飽きない。世界の歴史に貢献した数々の材料だが、本文中には多くの日本人も登場している。しかしながら、日本の科学力がどんどん低下してきており、中国にお株を奪われつつあるという警鐘も本書ではなされている。歴史は未来を見据えるために学ぶもの。本書から日本人は何を学ぶべきだろうか。



【目次】

人類史を駆動した黄金の輝き―金
一万年を生きた材料―陶磁器
動物が生み出した最高傑作―コラーゲン
文明を作った材料の王―鉄
文化を伝播するメディアの王者―紙(セルロース)
多彩な顔を持つ千両役者―炭酸カルシウム
帝国を紡ぎ出した材料―絹(フィブロイン)
世界を縮めた物質―ゴム(ポリイソプレン)
イノベーションを加速させる材料―磁石
「軽い金属」の奇跡―アルミニウム
変幻自在の万能材料―プラスチック
無機世界の旗頭―シリコン
AIが左右する「材料科学」競争のゆくえ

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◇1776 『文字を作る仕事』 >鳥海修/晶文社

もともと文字には興味があり、書道などの美しい字を見ると、いいなと思ってしまう。そんな嗜好のせいもあるだろうか、パソコンのフォントについても、気に入ったものをついつい使ってしまう。

仕事の書類で、カチッとした文字を使用したいときはMSゴシック。一文字の大きさが全て同じであるため、文字が綺麗に揃って見えるのがいい。プレゼンテーション用に使用するのはメイリオや游ゴシック。ちょっと遊び心のある可愛らしい雰囲気が好きである。

そんな私だが、不覚にも紙の書籍のフォントについては、あまり意識をしてこなかった。電子書籍でKindleを使用しているが、自分でフォントが変更できるせいか、読み易い文字がよいと意識している。以前は慣れ親しんだ明朝体だったが、最近は老眼に優しいクッキリと読み易いゴシック体を愛用している。

さて、紙の書籍について、フォントを意識してこなかったのは自分でも不思議だが、本書を読めばその理由も分かる気がする。書籍の本文に使用されている書体を「本文書体」というらしい。これは「水のような、空気のような」存在であるという。在って当たり前の存在であり、文章そのものの邪魔にならない存在、とでも言えばよかろうか。そういった意味では、私が今まで意識してこなかったこと自体が、本文書体を作り続けてきた人たちに対する称賛だとも言える。

筆者のフォントに対する思いがよく分かる一文があるので、引用しておきたい。

こうした書体を作る手法としてはどうかというと、私は引き算だと考える。人間臭さを消して主張せず、昔からそこにあるような文字であるために、また100年の風雪に耐える文字であるためには、無駄を削って、削って、削って、最後に残った姿、それがすなわち個性であり、人格であって、そうなってはじめて「水のような、空気のような」書体に成りえる資格を持つのではないだろうか。誤解を恐れずに言えば、俳句や茶道や華道、さらに日本画や上代様仮名にも似たようなことが言えるような気がする。無駄を削り、洗練し、必要最小限の言葉や物や線で表現をし、それを見たり聞いたり体現した人は自然と背筋が伸び、心の中を涼しげな風が吹き抜ける。私にとっての「水のような、空気のような」書体とはそういう書体だ。

ちなみに、先ほど書いた好きなフォントの一つである游ゴシックは、筆者である鳥海修さんが代表を務める字游工房の作品である。他にもヒラギノシリーズが字游工房の作品(大日本スクリーンのフォント)で私好みである。

本書を読んでいて思い出したのが小学校5年生のこと。当時は、ガリ版印刷でクラス報のようなものを先生が作成していた。たまたま5年生の担任だった先生が、レタリングが趣味でクラス報をすべて手書きで書いていたのだ。その先生に刺激を受けて、私自身もレタリング関係の本を購入し、見よう見まねで明朝体などを真似していたことを鮮明に思い出した。

そのレタリングの本だが、黒い表紙で分厚くて、結構高かったような記憶がある。父親にねだって買ってもらったのだろう。Amazonで検索してみると、確かこんなイメージだったような。。。人間の記憶とは不思議なもの。すっかり失念していたことが鮮やかに蘇る。これも読書の醍醐味の一つであろうか。

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【目次】

1 書体を作るということ
2 書体作りのきっかけ
3 人がいて、文字がある
4 文字を伝える

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昨今の保護主義政策を見ていて、ふと思い出したのが「鎖国」。日本の江戸時代の鎖国のことである。そもそも、江戸時代の鎖国というのは、石高によって各藩の経済力を見える化し、かつ、経済力を持ち過ぎないよう参勤交代にて散財させ、徳川幕府以外の諸藩が力を持たないようコントロールするためのものである。各藩が勝手に貿易を始めてしまったら、幕府が付与した形になっている石高が意味をなさなくなるから。

これを今風に言うならば「幕府ファースト」であろうか。これは貿易によって経済力をつけることができるというロジックを幕府が知っていたからに他ならない。一方で、アメリカが取っているアメリカファーストの現代版鎖国は、諸外国からの安価な製品や労働力がアメリカの経済を破壊しているという理屈からきている。これはアメリカを守るためであり、江戸時代の鎖国とは180度異なる。

江戸時代と現在では、貿易の規模もスピードも異なるので、同じ土俵で比べることはできないが、どうも肌感覚では、きちんと貿易を実行した方が、経済的には優位に立てそうな気がする。行き過ぎた保護主義は、アメリカという国の体力を、徐々に蝕んでいくのではなかろうか。現に幕府は、密貿易によって力を蓄えた薩摩などの雄藩に倒されてしまった。

二大大国であるアメリカと中国が、このような一騎打ちにかまけている間に、日本と欧州とでEPA締結を予定しているとのこと。これはよいニュース。今のうちにしっかりと体力を蓄えておいてほしいものである。別に米中にケンカを売る必要はないが、軍事的に大規模な戦争が起こる可能性が低い現代社会において、やはりモノを言うのは経済力。平和裏な体力をしっかりつけておくことが、将来への備えにもつながると思うのだ。その体力が発言力にもつながり、日本が中立的に米中の間を取り持つようになれば、それこそ三方よしのトリプル・ウィンを演出することができるであろう。

◇1775 『アド・バード』 >椎名誠/集英社文庫

背表紙あらすじ:父を探してマサルと弟の菊丸がたどり着いたマザーK市。そこは、喋る鳥やヒゾムシ、ワナナキなど異常生物が徘徊する未来都市だった。痛快シーナ・ワールド。第11回日本SF大賞受賞作。

初読は1997.03.20。もう20年も前だ。時間の早さを改めて感じてしまう。当時は大興奮して読んだ椎名誠のSF大作だが、20年も経つと、すっかり内容は忘れてしまっている。唯一記憶にあるのが「地走り」という生き物のことであろうか。

古書店で見つけて懐かしくて思わず手にしたもの。読了した本自体は、ブログ仲間との書籍交換(好きな本を交換し合う会)で譲ってしまって手元になかったのだ。そんなエピソードも思い出してしまった。

さて、肝心の感想だが、若いころの感性が失われてしまったのであろうか。読書中はそれなりに楽しめたのだが、いざ感想を書こうとすると筆が進まない。

過度な科学の開発が、結果的に地球を汚染してしまい、人類が生きづらい世の中を作ってしまったという、現在の地球環境問題に疑問を投げかけるような作品とも読み解ける。広告が過当競争化し、何処へ行っても広告が追いかけてくる世界観は、形を変えてグーグルのような検索&広告ビジネスを予見したものと捉えることもできる。そんな深読みをせずとも、椎名誠が楽しんで書いただけの娯楽小説という見方もできる。

椎名誠の不思議な言語感覚は読んでいて楽しく、久しぶりに仕事から離れた読書を純粋に楽しむことができたのは、今の私にとってはとてもよかった。しかしながら、昔は名作だと感じた作品が、読み返してみて今ひとつと感じてしまう、一抹の寂しさ。これは何だろう。不思議な感覚である。

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◇1774 『昭和の怪物 七つの謎』 >保坂正康/講談社現代新書

駅の書店で購入。現代史に興味がある人にとっては面白いかもしれないが、少々マニアックかもしれないと感じた。少し予備知識がないと、面白さを感じないかもしれない内容。登場するのは、東條英機、石原莞爾、犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三、吉田茂の6人。第2章と第3章には、ともに石原莞爾が登場するため、章立ては第7章まであるのだが、登場人物は6人。タイトルが間違っているのではと思ったが、よく見るとタイトル自体は「七つの謎」となっており、7人とは書いていないので、間違いではなかった。

さて、どうでもよい前置きが長くなってしまったが、個人的に一番興味を抱いたのは石原莞爾が登場する第2・3章。現代史のノンフィクションなどを読んでいると必ず登場する石原莞爾だが、私の中ではいまだに謎の多い存在。本書では、石原像を比較的丁寧に描いているので、随分とイメージは固まったのだが、もう少し知ってみたいと思い、『地ひらく』という石原が主人公の歴史小説を買ってみた。また、石原自身の著書である『最終戦争論』も古本で購入。その内時間ができたら読んでみたい。

そんな謎の多い石原の一面がよくわかる描写があったので引用しておきたい。

石原は帝国軍人として生きたのだから、むろんその骨格は近代日本画軍人に託した倫理、発想、規範で成りたっている。ふつうの軍人はそれを受け身で身につけているから、すべてが判断停止状態にある。天皇陛下に忠誠を誓うことのみで模範的軍人たりうると考える。

ところが石原は違う。軍人に託された倫理などより、まず自分が19世紀から20世紀初頭を生きる日本人だと受け止めるのである。自分はたまたま軍人として生きる道を選んだ。自分には歴史や時代によって託された生き方があるはずだと、能動的に自らの生きる空間で動くのである。これが「日本的怪物」の特徴であり、石原には軍人の殻を破って軍事主導体制下の怪物的軍人たろうとの強い意志が読み取れるのだ。




【目次】

第1章 東條英機は何に脅えていたのか
第2章 石原莞爾は東條暗殺計画を知っていたのか
第3章 石原莞爾の「世界最終戦論」とは何だったのか
第4章 犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか
第5章 渡辺和子は死ぬまで誰を赦さなかったのか
第6章 瀬島龍三は史実をどう改竄したのか
第7章 吉田茂はなぜ護憲にこだわったのか

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WOWOWで視聴。まずは、ウィキペディアのあらすじを転載。

2008年、核兵器以上の威力を持つ「超磁力兵器」が用いられた最終戦争が勃発。五大陸は変形し地軸も曲がり、多くの都市が海中に没した。戦争から20年後、「のこされ島」と呼ばれる小さな島に墜落した宇宙船(ロケット小屋)で、コナン少年は「おじい」と二人で平穏に暮らしていた。ある日、海岸に少女ラナが漂着する。彼女はハイハーバーという島で暮らしていたが、科学都市インダストリアの者たちにさらわれ、隙を見て逃げ出したのだった。ラナを追って残され島にやってきた戦闘員達によって、ラナは再び連れ去られ、おじいは死んでしまう。コナンはおじいを埋葬し、ラナを救うため島から旅立つ。

放送は1978年4月からで、NHKが放映した最初のセルアニメーションシリーズとのこと。宮崎駿が初めて監督を担当した作品として知られている。当時からすると2008年というのは30年後の世界、そしてコナンの舞台である2028年は50年後の世界である。30年と言うと四半期以上であり、当時からすると近未来だったのであろうが、今現在2018年は、最終戦争とコナンの舞台のちょうど中間期。アニメに描かれた世界とはいえ、そんな近未来を現実に生きていることに不思議な感覚を覚える。

アニメーションの質は非常に高く、今でも通用するクオリティ。また、ストーリーも子供向けながら、大人でも楽しめる展開。舞台を、のこされ島→インダストリア→ハイハーバー→インダストリアと展開させることで、飽きさせない構成となっている。また、物語の要所要所で、コナンたちが危機に陥り、手に汗握らせる物語に仕上がっている。

放映当時は冷戦下であり、核戦争が現実的な危機感を以って世論が形成されていた時代。毎回冒頭で戦争の悲惨さが語られており、メッセージ性も強いのではなかろうか。翻って、40年後の2018年、ポピュリズムが台頭し、核戦争とまではいかないまでも、大きな戦争がまた起こるのではないかという危機と背中合わせの状況である。こういった中で、本作が再放送された意義は大きいと感じた。

自分さえよければいい、という思いが裏目に出て、海に沈んでいったレプカとその象徴であるギガント。果たして、今現在、レプカは誰を象徴し、ギガントはどこの国を暗喩しているのだろうか。

◇1773 『村上春樹・翻訳ほとんど全仕事』 >村上春樹/中央公論新社

村上春樹が手掛けた翻訳作品のクロニクルと、村上春樹の翻訳をサポートしている柴田元幸さんとの対談を収録したもの。村上さんが、どのような作品の翻訳を手掛けたのかを知りたくて購入。今なら、ネットで調べれば分かるのだが、この手の本は何となく手元に置いておきたくて。。。

2017年3月の発行のもので、この時点で約70冊の翻訳を手掛けている。もともと高校生の頃から、古本屋でペーパーバックを読み漁り、学校の授業も英文和訳ばかりをパズルのように楽しんでやっていたとのこと。作家になってからも、時間があると、一つの楽しみとして翻訳を手掛けてきたそうだ。

私など、翻訳などやったこともなく、何が楽しいのだろうかと不思議に思ってしまうのだが、ずっと我流で小説を書いてきた村上さんにとって、翻訳というのは小説を書くための一種のトレーニングのようなものだったのであろう。村上さん曰く、小説を書くための脳みそと翻訳をするための脳みそは別物であり、小説を書いていて疲れたら翻訳を楽しむというサイクルが、自分には合っていたとのこと。

恐らく、村上さんが翻訳しなければ、日本人の大半の人々が知ることのなかった作品もあるだろう。古典的名作から現代文学まで、もっというと絵本や詩まで、非常に幅広いジャンルをカバーしている。

個人的に読んでみたいと思ったのは、スコット・フィッツジェラルド、レイモンド・カーヴァー、レイモンド・チャンドラー、トルーマン・カポーティの作品群。村上さんも思い入れが深そうである。これ以外には、『熊を放つ』(ジョン・アーヴィング)、『ニュークリア・エイジ』(ティム・オブライエン)、『極北』(マーセル・セロー)、『ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン』(ダーグ・ソールスター)、といったところであろうか。

ちなみに、本書は翻訳された作品が写真入りで紹介されている。本の装丁とは不思議なもので、妙に記憶にひっかかっている。未読なので書店で見かけただけだと思うのだが、『ニュークリア・エイジ』と『心臓を貫かれて』(マイケル・ギルモア)は、タイトルを記憶している。人間の記憶というのは不思議なものである。

(ちなみに、この後、妙にひっかかるので気になって調べてみたところ、『ニュークリア・エイジ』は既読だった。読書の記録を正確に取り始めたのは社会人になってから。それ以前の本は、タイトルだけを記録にとどめてあるのだ。よって、いつ読了したのかは定かではないが、おそらく大学生の頃だろうか。村上さんが翻訳者だとはまったく意識せずに読んでいたと思う。そもそも大学生の頃まで私にとっては、「村上」といえば村上龍であり、村上春樹さんの作品は『羊をめぐる冒険』くらいしか、読んだことがなかったのだ。。。)



【目次】

翻訳作品クロニクル 一九八一‐二〇一七
対談 村上春樹×柴田元幸 翻訳について語るときに僕たちの語ること(前編)
サヴォイでストンプ(オーティス・ファーガソン、村上春樹訳)
翻訳について語るときに僕たちの語ること(後編)
寄稿 都甲幸治 教養主義の終りとハルキムラカミ・ワンダーランド 村上春樹の翻訳

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◇1772 『酔って候』 >司馬遼太郎/文春文庫

背表紙あらすじ:幕末の混迷期、なす術を知らない三百諸侯のなかで、自らの才質をたのみ、また世間の期待を集めた「賢侯」たち。かれら土佐の山内容堂、薩摩の島津久光、伊予宇和島の伊達宗城、肥前の鍋島閑叟は「藩主なるがゆえに歴史の風当りをもっともはげしく受け、それを受けることによって痛烈な喜劇を演じさせられた」。

こちらも再読だが、書評には書いていないので、新規の読書として取り扱う。初読は、1997.08.28。記録を見ると、この時期、本書に前後して『関ケ原』『城塞』『竜馬がゆく』などを読み込んでいる。司馬遼は高校生の時くらいに一時期はまったのだが、当時は歴史小説よりもSFにのめり込んでいたので、さほど多くの作品を読んでいた訳ではない。1996~1998年くらいにかけてが、私の第二次司馬遼ブームと言えようか。

昔読んだ本を再読すると、当時のことを思い出したりする。なぜこの時期に司馬遼作品をたくさん読んでいたかというと、上京したばかりで友人も少なく、週末などやることがなかったから。また、会社の寮の帰り道に小ぶりの古本屋が2軒あり、そこで司馬遼太郎の小説を格安でセット販売していたのだ。最近は、ブックオフなどの大型店舗や、ネット書店の台頭で、ああいった古本屋が随分と少なくなってしまった。『竜馬がゆく』の8巻セットが1600円とか、非常にリーズナブルだったのに。。。そうやって見つけてきた文庫本を、4畳半程度の寮(風呂・トイレはもちろん共用)で、読み漁っていたのだ。

さて、本書には幕末の4人の藩主たちが登場する。登場人物を列挙しておこう。
・酔って候:土佐藩の山内豊信(容堂)
・きつね馬:薩摩藩の島津久光
・伊達の黒船:宇和島藩の伊達宗城+蒸気船を開発した前原巧山(嘉蔵)
・肥前の妖怪:肥前藩の鍋島直正(閑叟)
自分の記憶違いだったが、本書は、四国4藩の大名を描いた物語だと思っていた。恐らく、土佐藩と宇和島藩が入っているからであろう。

4つの短編が織りなす幕末の物語であるが、個人的には「伊達の黒船」と「肥前の妖怪」が好み。「黒船」の方は、提灯の張替えを生業にしていた一平民が、手先が器用だということで見込まれて、技術で出世していく物語。当時は身分というものが絶対であったのだが、幕末の動乱で少し緩やかになっていたのであろうか。手に職を持つことの重要性は、今も昔も変わらない。

もう1編の「妖怪」の方は、洋式の技術が趣味のような鍋島閑叟が主役。言論だけで攘夷は出来ないと、様式の軍備を充実させていく。若干、道楽的ではあるが、理に適った論である。また、その武力を見込んで他藩から声をかけられても、断固と断っている様も心地よい。自分の信念を貫くというのは、難しいことであるが故に格好いい。

今の世の中も、明治維新の頃と同じくらい激動の時代ではないだろうか。技術と信念。どちらも、こんな時代には必要なもの。そう考えさせられる一冊であった。

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電車に乗っている私。夢の中なのに少し眠い。うつらうつらとしそうになりながら、何とか持ちこたえて目的地の駅で下車。そこからタクシーに乗り込む。何だか感じの悪い運転手。タクシーに乗って安心したのか、眠気が一気に襲ってきて寝入ってしまう。お客さん着きましたよ、という声に起こされてタクシーを降りる。

あれ、運転手が変わっている。おかしいと思って尋ねてみると、具合が悪くなったので途中で交代したとのこと。お客さんよく寝てましたから気づかないかったんでしょう、と。

到着したのは学校だろうか、あるいは低層階のマンションか。何時だろうと、ふと時計を見ると、グッチのブランド物の時計なのだが、私の時計ではない。おかしいと思い、カバンを見てみると表面のポケットのチャックが開いており、名刺入れがなくなっている。

さては、あの感じの悪い運転手に盗まれたかと思うが、今更どうしようもない。そうだ先ほどの運賃を支払ったときに領収書をもらったはずだと、取り出してタクシー会社に電話をかける。鳴り続ける呼び出し音。つながらない。もしかしたら、入れ替わった運転手もグルだったのかもしれない、、、などと考えていたら目が覚めた。

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時計を盗まれる夢を見た記憶があるなぁとブログを検索してみると、やはり過去にも盗まれている。人生で2番目に高い買い物故に、執着心が強いのだろうか。あんまりモノに執着するのも嫌だなぁと感じつつ、夢であることにほっとしている自分がいた。

◇1771 『祈り方が9割−願いが叶う神社参り入門』 >北川達也/コボル

本書はコボル様から献本いただいたもの。ありがとうございました。

恐らく、頂かなければ手に取らなかったであろう本。しかしながら、よくよく考えてみると世界の宗教に興味を持ちながら、まさに灯台下暗しで、日本が誇る宗教に目を向けていなかった自分に気づくことができた。本当に感謝、である。

本書を読んでいて蘇ってきたのが幼少期の記憶である。私の田舎には「百燈」という習慣があり、小学生の子供たちが月1回、夜の神社に集まって遊ぶ伝統があった。細かいことは忘れてしまったが、毎月の第3水曜日だとか、日付が決まっていたように記憶している。その日は、夕方から集落の家を一軒一軒回って、「百燈油銭もらいにきました」と100円程度のお金を集金していく。恐らく昔はそのお金で夜の集まりの際に使う燈籠の油を買っていたのだろう。私の幼少期には燈籠ではなく、電灯に変わっており、油銭はおやつを買うための代金に変わってしまっていたが。

もちろん、こういった催しがあるということは、神社が身近であった証左でもある。普段遊ぶ公園のすぐ隣が神社であり、公園と神社の両方が、子供たちの遊び場になっていた。だから、手水の取り方や二拝二拍手一拝などは、自然と身に付いていたように感じる。

さて前置きが長くなってしまったが、本書は「祈り方」のマニュアルという、ちょっと変わった本。難しいことをできるだけ簡単・簡潔にというこころみは面白いし素晴らしい。これは筆者がソフトウェア開発会社の社長をやっているからこその発想であろう。

マニュアルという名の通り、前半はお祈りの方法が詳細に説明されている。誰でも知っているであろう「二拝二拍手一拝」に始まり、手水を取る作法や、お賽銭の入れ方、参拝時の服装などが、分かりやすく書かれている。

これはこれで非常に役立つのだが、個人的にはちょっと物足りない。そもそも神道とは何ぞやについても、きちんと知りたいな、と感じながらページをめくっていくと、中盤には神話や神道、その歴史などが簡潔に説明されていた。もう少し詳しくてもよいのにと感じたが、分かりやすいマニュアルを目指すのであれば、適度な分量であろうか。いずれにせよ、日本の神話である「古事記」については、ちゃんと学習しなければと感じさせられた。

最後に、一番印象的だった一文を引用しておきたい。

神道には、他宗教を受け入れる「寛容さ」と「おおらかさ」があります。「寛容さ」とは、心を広くもち、他人の欠点を責めずに受け入れることです。「おおらかさ」とは、心がゆったりとして、つまらないことに、こだわらないことをいいます。(中略)「寛容さ」と「おおらかさ」によって、神道は「他の宗教」と一つになって「共存共栄できる」という特徴があるのです。

少し下火になったとはいえ、まだまだ続くイスラームとキリスト世界の対立。そんな中、多神教国家である日本が、活躍できる場は沢山あるのではと考えさせられた本でもあった。



【目次】

序章
第1の扉 神社参りの入門 知識編
第2の扉 神社参りの入門 服装編
第3の扉 神社参りの基礎 参道編
第4の扉 神社参りの基礎 賽銭編
第5の扉 神社参りの基礎 祈祷編
第6の扉 神社参りの応用 神話編
第7の扉 神社参りの応用 神道編
第8の扉 神社参りの応用 歴史編
第9の扉 神社参りの実践 感謝編
第10の扉 神社参りの実践 愛情編

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◇1770 『指導力−「宋名臣言行録」の読み方』 >山本七平/日経ビジネス人文庫

先日、古典の名著『貞観政要』を読了したのだが、正直私にとっては原著よりも山本七平さんの解説書の方がしっくり来たように感じてしまう。これは私の読解力の無さが原因なのであろうが、一方で、七平さんの解説がそれだけ素晴らしいものだということもできよう。

原著の方はさまざまなエピソードが順不同で並んでおり、なかなか咀嚼するのに骨が折れるのだが、七平さんの著書では、歴史的背景なども交えながらの解説になっており、十年前の私でも難なく読み下すことができたのだ。(その解説書の『帝王学』は、再読してみたいと思っている一冊)

さて、その七平さんがもう1冊の名著とも呼ばれる『宋名臣言行録』の解説書を出されていたとは知らなかった。恐らく『貞観政要』の購入履歴からだろうか、Amazonのレコメンド機能にひっかかって、推薦図書として出てきたのだ。『帝王学』がよかったので、迷わずに本書『指導力』も購入。さっそく手に取ってみた。

しかしながら、期待が大きすぎたのであろうか、あるいは一度学習したはずの中国の歴史だが、しっかりと流れが頭に入っておらず、時代感覚がよく分からなかためだろうか、読みづらく感じてしまった。また、話がいろいろなところに飛んでおり、うまく付いていけなかったりもした。私の理解力不足から来るものかもしれないが、『帝王学』に比べると、しっくりこなかったというのが正直な感想。

それでは気になった箇所を要約して引用。古文調の文章は、後から読んでも分かるように、あえて私なりに現代語、口語風に直している。

・権力を組織に集中させつつも、組織内では複数の人物に分散する。

・規則は厳しすぎてもよくないし、緩すぎてもよくない。「中を得る」が重要。中を得るためには整然と静かに統治がいきわたるような仕組みをつくること。

・人物の才能を認めたらテイクノートしておき、機会を見て適材適所に登用する。

・一人に権力が集中すると、そこに取り入ろうとする者が現れる。これを防ぐには「公事を公言する」=オープンなマネジメントを心掛けることが重要。

・外交より内交の方が難しい。他人の功績にケチをつける人は必ず無能だが、巧みにこれをやられると、乗せられてしまう。

・官僚化が進むと、事務手続きが増える。そうすると書類を通すための賄賂など、不正がまかり通ることになる。官僚機構は形式ばった書類の大量生産に陥りがちになり、このような弊害が生じる。

・「君子は道を同じくするを以て朋と為し、小人は利を同じくするを以て朋と為す」

・保守的な政治倫理を固守しつつ、政策的には革新であるのが、政治の神髄。

・どんな制度にもプラス面とマイナス面がある。困ったことにこの表裏は一体化しており、マイナスだけを除去することはできない。強いて除去するためには、制度そのものを全部壊す以外にない。

・天下泰平はありがたいことだが、人でも国でも、多少ストレスがかかるような緊張がないと、すべてが弛緩してしまう。

・科挙のような試験は定型化された考え方の者しか及第しない。そうすると「人と趣を異にする」異質の発想や型破りの行き方が生まれなくなる。




【目次】

プロローグ いま、なぜ『宋名臣言行録』なのか
1 宋の創業時代
2 守成へと進む
3 守成から最盛期へ
4 衰亡のきざし
5 王安石とその改革
6 司馬光と旧法への復帰
エピローグ 宋の滅亡へ

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『MBA オペレーション戦略』 >遠藤功/ダイヤモンド社

現在携わっているプロジェクトに関係あるのではと思い、本棚から引っ張り出してきた。いつ頃読んだかなとブログを検索してみると、2010.01.28に読んでいる。ちょうど中国駐在中だが、感想を読むとちょっと情緒的。忙しい中でふと自分のキャリアを振り返っている私がそこにいる。当時の苦労が蘇ってくるなぁ。

普通であれば再読時には引用はほとんど行わないのだが、前回まったく引用をしていないので、エッセンスだけ要約して記録しておこう。

・オペレーション品質を測定する4つのモノサシ。(1)スピード:業務連鎖における対応スピードの向上や期間短縮。(2)正確性:業務連鎖におけるミスの防止や業務品質の向上。(3)コスト:トータルコスト管理による一連のオペレーションカストの最小化・最適化。(4)継続性:粘り強く、継続的にオペレーションを進化させ、高度なものにしているかどうかのチェック。

・オペレーションの5つのモジュール。(1)CRM、(2)SCM、(3)調達、(4)研究・開発、(5)管理・スタッフ。タコツボ的な部分最適に陥りがちなオペレーションを機能横断的にとらえて、どうしたら仕事の横の流れがスムーズかつ効率的になるのかを考えることが重要。

・CRM(Customer Relationship Management):「モノを売る仕組み」から「モノが売れる仕組み」への変革が重要。デザイン・インやコンセプト・インなど顧客の購買プロセスのより上流に入り込んでいくことが重要。強い営業を実現するためには、(1)顧客の見える化、(2)プロセスの見える化、(3)結果の見える化、(4)ナレッジの見える化、が必要。

・SCM:今後はプッシュ型からプル型モデルへ変わっていく。実需に対応してモノを作り、顧客に供給する仕組み。市場や顧客の動きを的確かつ迅速につかみ、極めて短いリードタイムで生産し、顧客へ配送する。そのためには受注、生産手配、資材、部品購入、生産、納品といった一連のサイクルを高速で回すとともに、徐陽変動に柔軟に対応できる仕組みが必要になる。

・調達:トータルコストマネジメントが重要。実際のトータルコストを把握し、価格・品質・安定供給のバランスを取りながら、最適調達を行う組織能力が必要になる。

・開発:動きの速いデジタル社会の変化に対応するには、研究から商品開発、市場投入までの開発リードタイムを短縮する必要がある。開発業務のスピードアップのためには、(1)開発プロセスのデジタル化、(2)図面の有効活用、(3)開発組織・体制の再構築、が必要。そのための手段として、コンカレントエンジニアリング(可能な限り同時並行で開発を行うこと。アジャイル開発的なもの)や技術のフロント化(研究・開発部門が自ら市場や顧客との接点となりビジネスの最前線に出ていくこと)を実施していく必要あり。

・管理・スタッフ部門のオペレーション:コア業務とノンコア業務の識別が不十分で、アウトソーシングの活用が徹底されておらず、その一方で本来ならば強化すべき戦略企画部門の体制が弱い。本社とは何か、本社が果たすべきミッション・役割は何かという基本的な命題から問い直す必要がある。

・管理・スタッフ業務自体は価値創出に直接関与するプロフィットセンターではない。業務品質の向上を目指す一方で、コストセンターとして徹底的な効率性を追求しなければならない。

・管理・スタッフ部門の業務は、(1)プランニング業務、(2)マネジメント業務、(3)ルーティン業務、の3つに大別される。

・ルーティン業務の効率化に当たっては、(1)廃止、(2)自動化、(3)簡素化、(4)標準化、(5)集約化、(6)移管、を検討する。


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◇1769 『世界No.1の利益を生みだす・トヨタの原価』 >堀切俊雄/かんき出版

原価低減の効果をどうカウントするかで悩んでいたところ、職場の同僚が貸してくれた本。原価計算そのものよりも、原価企画に重きを置いた本なので、私が欲する内容ではなかったが、それでもトヨタというムダを極限にまで省いた会社がどのような理念で原価計算を実施しているのかを知るのは有益。管理会計は、会社独自の思想が入っており、考え方が非常に重要なのだ。

本書を読んで驚いたのは、トヨタが原価をかなり細かなところまで把握しているということ。費用の配賦はどんぶり勘定だと言い、出来る限り直課すべく、それこそ手袋1枚をどの車種に使用したかまで把握しているとのこと。恐らく標準原価計算だからできるのであろうが、それにしても徹底している。

また、経理のもう一つの重要な仕事は「原価教育」だとのこと。現場を教育するのが経理の役割だ。さらには、原価低減の仕組みを各現場で作るのも経理の仕事。工場の経理の仕事の幅広さと重要性が語られている。

それでは気になった箇所を要約して引用。

・トヨタの経理部は本社と現場とに分かれている。

・売上は計画通りにいかないが、原価はコントロールできる。

・原価企画会議は副社長も出席する最高レベルの会議。

・販売価格は市場が決めるもの。トヨタでも決められない。

・管理会計上の減価償却費は実際の装置や金型の寿命に合わせる。税務と制度会計と管理会計は、それぞれ別の償却期間で計算している。

・原価のデータはオープンにしないと活動は始まらない。

・BEPは不況に対する強さ、抵抗力を示すもの。

・BEPを活用して値引き幅を決めている。値引きの限界を原価計算で見極める。

・トヨタの部品は70%外注、30%内製。

・チーフエンジニアは車種ごとの組織横断型プロジェクト・リーダー。マトリックス組織の横の方が権限が強い。

・総原価方式=最初に原価を決めて、どこにどれだけかけてよいかを割り振っていく方式。(積み上げ原価とは逆の方式)

・原価と性能・品質はトレードオフ。どうバランスさせるかが難しい。

・7つのムダ:(1)つくりすぎのムダ、(2)手持ちのムダ、(3)運搬のムダ、(4)加工そのもののムダ、(5)在庫のムダ、(6)動作のムダ、(7)不良品・手直し発生のムダ。

・工程を分解してみると、この工程はなくてもよいのではないかと、ムダが見えてくる。




【目次】

第1章 トヨタの仕事の基本―原価を意識して「付加価値」を生みだす
第2章 トヨタの原価低減の進め方―商品別の原価を洗いだして他社の原価を推定する
第3章 トヨタの設計開発チームのつくり方―自工程完結の仕組みとチーフエンジニアの役割
第4章 トヨタの原価企画の進め方―原価企画にトヨタの原価低減のすべてが凝縮
第5章 トヨタのムダ取り―工夫とカイゼンの徹底で「原価低減」の仕上げをする
第6章 トヨタの大部屋方式の効果と進め方―「見える化」すると人は「原価低減」を意識する

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