Namuraya Thinking Space

― 日々、考え続ける ― シンプルで、しなやかに ― 

そういえば、メキシコ出張の帰りに、ちょっとしたトラブル(というより、自分で引き起こしたミス)に遭遇した。

メキシコから無事シカゴに帰りつき、イミグレーションを抜けて少し息をつく。メキシコシティは安全とは言われているものの、やはりアメリカ国内の出張に比べると少し気疲れする。安心して気が抜けていたせいか、ミスをしてしまった。

最近シカゴの国際線ターミナル(第5ターミナル)ではUberが呼べないので、空港内の電車を使ってターミナル2まで移動する必要がある。そこでUberを読んだところ、最初は10分かかると表示されていたのが、急に1分となり、到着という表示に切り替わった。

早すぎるなぁとちょっと違和感を感じつつも、車体の色は同じだし、ナンバーの頭3桁も同じ(いつも全桁の確認はしていなかった)だったので、安心して荷物を預けて車に乗り込んだ。

しばらく走っていると運転手が、キャンセルしたか?と聞いてくる。いやしていない、と答えるが、どうにも話が噛み合わない。いろいろ話をしているうちに、どうやら間違えて別の車に乗ってしまったことが判明。しかもUberではなく、Lyftという別の乗車アプリ。。。

運転手に間違えた旨を話すと、仕方がないと、自宅まで送り届けてくれることになった。その場でLyftアプリを起動させ、今乗っている運転手の車を探してみるがうまくいかない。それなら現金でも構わないとのことだったので、その場で値段交渉し、40ドルで交渉成立。

その後、Uberのキャンセルを実施。無事に自宅まで帰り着くことができた。運転手が話のわかる人でよかった。チップ込みで50ドルを現金で支払い、これで出張が本当に終わった。

と一息ついていたら、見知らぬ携帯番号から電話が。どうやら車中で起動したLyftアプリで別の運転手を呼んでしまっていたらしい。慌ててこちらもキャンセル。幸いなことに、UberもLyftもキャンセル料は掛からなかった。

キャッシュで支払った50ドルは領収書がもらえなかったので自腹だ。まぁこれも勉強代だと思おう。次回からはナンバープレートはきちんと全桁確認しなければ。。。

出張の最終日、打ち合わせ後に少しだけ時間ができたので近くの教会を見学。キリスト教国であるヨーロッパの国々が進出した結果とはいえ、北米大陸の全く異なる文化に、キリスト教という同じ宗教が根付いていることに、改めて歴史の不思議さと深さを感じた。

大聖堂は最近建てられたものだが、天井を飾る装飾ライトが厳かで素敵だった。

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メキシコでは11月1日と2日が「死者の日」というお祭りの日。死者の日はメキシコの伝統文化、風習である。死者を偲びそして感謝し、生きる喜びを分かち合うことを目的としている、とのこと。日本でいうお盆のようなものだ。

この日には死者のメイクをし、亡くなった方々の魂が帰ってくるのをお迎えするのだそうだ。日本のお盆では、厳かとまでは言わないものの、どこかひっそりした空気を感じるが、メキシコはラテンの血のせいであろうか、とにかく陽気。

私が出張したのは10月だが、前夜祭ということで盛り上がっていた。パレードが企画され、それを見物する人たちも、思い思いのメイクをしている。亡くなった方も陽気に迎えてもらった方が嬉しいのだろう。

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メキシコへ出張。到着が日曜の昼過ぎだったので、休日を活用してダウンタウンへ観光に連れていっていただいた。

旅行記というのは自分で準備してこそ、いろいろ書きたいことが出てくるもの。他の方にアレンジしていただいた観光は、なぜか感想が書きづらい。よって、ブログの方も写真を中心に。

それにしても、アメリカからは少ししか距離が離れていないのに、これほど歴史や文明に差があるのは今もって不思議。

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○2464 『犬がいた季節』 >伊吹有喜/双葉文庫

癒しの小説。ほっこりさせられるととともに、ジーンときた。

三重県のとある高校に迷い込んだ白い犬。コーシローと名づけられたその犬を取り巻く、高校生たちの青春群像。連作小説の構成で、昭和の終わりから令和までを一気に駆け抜ける。

最初の物語の主人公である優花と光司郎は昭和63年の時点で高校三年生。私よりも少しだけ先輩だがほぼ同世代だ。筆者の伊吹有喜さんが1969年生まれとのことなので、彼女の青春時代なのであろう。途中途中で、懐かしい音楽やドラマの話題も登場し、平成という時代の年表をめくっているような感覚も覚えた。

私は、といえば高校時代にはあまり鮮烈な思い出がない。むしろ中学生や大学生の頃の方が色濃い思い出が残っている。高校時代は勉強と部活と、そして長時間の通学時間という日々だった。

小説の中では、さまざまな青春が炸裂する。恋愛あり、友情あり。中でもやはり冒頭の物語から生まれる淡い恋が、30年越しの令和の時代に身を結びそうになるところが物語のクライマックスであろう。両者の思いを知る読者としては、もどかしい思いがずっと続いていたのだが、最後はハッピーエンドを匂わせる終わり方。心憎い演出である。

それとは別に印象的だったのが、第3話の『明日の行方』だ。他の物語とは少しトーンが異なる。というのも阪神大震災や地下鉄サリン事件といった平成7年に発生した2つの大きな事件のことを取り扱っているからだ。まさに私が大学を卒業し、社会人になろうかというその年。自分自身の記憶も蘇ってきて、思わず落涙。

恋愛や友情などの青春というテーマが基調にありながらも、地方都市の厳しさが窺える一面もある。親が貧しくて私立には行けないという現実、自分の境遇から抜け出したくて東京へと憧れる若者、バブルが崩壊し、一億総中流から格差社会が始まりつつある現実が垣間見える。

本書を読んでもう1つ共感を覚えたのが、地方都市の若者が抱く東京への憧れと、地元への思いの間で揺れ動く心の葛藤の部分。私も地方都市から(大学は更に別の地方都市に行ってしまったが)東京を目指した者の一人だ。誰一人知り合いがいない大都会に一人で乗り込んだ時の心細さ。そんな東京にも馴染んでしまい、恐らくこの地で人生を終えるのだろう。本書ではUターンして地元で就職する人たちの姿も描かれているが、私の未来にそんな絵は存在するのだろうか。



あらすじ:夏の終わりのある日、高校に迷い込んだ一匹の白い子犬。生徒の名にちなんで「コーシロー」と名付けられ、その後、ともに学校生活を送ってゆく。初年度に卒業していった、ある優しい少女の面影をずっと胸に秘めながら…。昭和から平成、そして令和へと続く時代を背景に、コーシローが見つめ続けた18歳の友情や恋、逡巡や決意をみずみずしく描く。2021年本屋大賞第3位に輝いた、世代を超えて普遍的な共感を呼ぶ青春小説。

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アメリカにいる間に、少しでもゴルフが上手くなれればと思いつつ、そもそも苦手意識が強いので、ついつい言い訳を作ってはサボりがち。久しぶりに同僚たちとラウンドしたところ、最近始めたばかりの後輩がとても上手になっていた。うまくなった秘訣を聞いたところ、Youtube動画で独学しながら、週2〜3回、時間を見つけて練習しているとのこと。やはり練習しないとうまくならないのだろうが、やみくもに練習してもまずいフォームが身につくだけ。

他の同僚曰く、Youtubeも有効かもしれないが、いろんな理論や説があるので、独学するなら自分に合う先生を見つけて、その人の動画だけを見た方がよいとのこと。あれもこれもと手を出すと、一貫性が損なわれむしろ害になりうるそうだ。

そもそも上達する気があまりないため、ゴルフ動画などたまに見る程度だったのだが、その中でもDaichiゴルフTVの大地さんのフォームが綺麗で真似したいと思っていたところ。しかしながら、私にとっては理論が難しく、今ひとつしっくりこない。

そこで初心者向けのゴルフ動画を検索してみたところ、Tera-You-Golfが複数のサイトでお勧めされている。試しに「超基本スイング」という動画を見てみたところ、とても分かりやすいし、理にかなっていて腹落ちする説明だった。以前、目から鱗だと感じた足を固定させずに打つという点にも触れられている。

私のような初心者がたくさんの動画を見ても仕方がないので、これはというものを3つ取り上げてみたい。当面はここで紹介されていることを意識してみたい。ちなみに、「超基本スイング」で紹介されている片手打ちの練習をした後で、両手でクラブを握ってみると、びっくりするくらい球がまっすぐ飛んでいってびっくりした。基本が大事、幹の部分を練習してほしいというのが、てらゆーさんの言葉。何事も基本が大事。今更だが。。。

ヘソを意識して打つ


片手打ちの練習


片足打ちの練習

◇2463 『わたしのいないテーブルで−デフ・ヴォイス4』 >丸山正樹/東京創元社

障がい者の方への向き合い方を深く考えさせられる一冊。

筆者は長編の方が向いているのではなかろうか。本シリーズは1作目と本作(4作目)が長編、2・3作目は連作短編集である。本作も複数の事件が絡み合うように発生しており、連作短編集のように思えなくもないが、物語の中心に一つの事件があり、その周りを複数の事件が取り巻くという構成。

弁護士ドラマの『SUITS』で取られていたのだが、1つの事件が終わりそうになると、それが完結する前にもう1つの事件が発生し視聴者を飽きさせない(ドラマを途中で見終わらせない)巧みな構成。本作にもそのような筆者の構成力の進化が見て取れた。

今回は日本では2020年から猛威を振い始めた新型コロナウイルスがテーマに取り上げられている。まさに数年前の出来事であり、長い時間をかけて書かれてきた本書もクライマックスを迎えつつあると感じた。コロナ禍で書かれた小説には大きく2種類あると感じている。1つは新型コロナウイルスの発生状況を可能な限り描写し、それが特異な状況であるように描かれた小説。もう1つは、コロナ禍であることが日常になり、マスクを着用したり外出を控えたりするのが当然のように描かれた小説。どちらも小説の技法としては自然なのだろうが、少し時間が経って新型コロナウイルスのことを知らない世代になった場合、長く読み継がれるのは前者であろう。

本書も前者の手法を色濃く取り入れた作品だ。特に、マスク着用が義務付けられると聾者にとってはコミュニケーションが更に難しくなる。その一方で、さまざまなアプリの発展により(本書では特にラインの利便性が取り上げられている)、手話をビデオにとって送信するなど、新たなコミュニケーション手段が紹介されている。

荒井の生活にも変化があった。「聴こえない」娘が生まれ、その娘との接し方、教育方針で悩み抜く。聴こえる人と同じような生活をさせる方が幸せなのか、聴こえない者として日本手話を母語として生きる方がよいのか。

そんな本書を貫くテーマは「ディナーテーブル症候群」。聴者の中に一人だけ聾者がいる場合、例えば夕食の団欒時であっても、聾者にとっては複数の人がそれぞれ話を始めると唇の動きを読み取ることもできず、会話についていけない。団欒の中でひとりぼっちであるかのような孤独を覚えるのだそうだ。レベルは全く異なるが、外国人の中に日本人1人という状態で食事に出かけると、途中で英語についていけなくなる。そのもっと酷い状態であろう。

娘の教育を通じて、あるいは事件の被害者家族との接触を通じて、荒井はディナーテーブル症候群の難しさを実感する。さらには聴者である自分が、聾者である父母や兄たちを見下していたのではないかという自己反省にまで至る。その心の奥底に隠された真実の吐露には、胸が痛くなり熱くなった。

遅筆の筆者の作品が楽しめるのは果たしていつになるであろうか。願わくば、テクノロジーが更に発展し、聾者の方とのコミュニケーションが活発になっている世の中であればよいのだが。



あらすじ:コロナ禍の2020年春、手話通訳士の荒井尚人の家庭も様々な影響を被っていた。刑事である妻・みゆきは感染の危険にさらされながら勤務せざるを得ず、一方の荒井は休校、休園となった二人の娘の面倒を見るため手話通訳の仕事もできない。そんな中、旧知のNPOから、ある事件の被告人の支援チームへの協力依頼が来る。女性ろう者が、口論の末に実母を包丁で刺した傷害事件。聴者である母親との間にいったい何が?“家庭でのろう者の孤独”をテーマに描く、“デフ・ヴォイス”シリーズ最新作。

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ブログを始めて約20年。よくもまぁ続いたものである。記事数は、いつの間にか5000件に達していた。本日時点で書評が2462件、覚書が2538件。合計5000件である。(要項は過去の記事をまとめただけのものなので除外)。

一度、すべてのブログ記事を読み返してみたいと思っていたのだが、さすがにこの量になるとそれも難しい。特に若い頃に書いた記事は、読んでいて恥ずかしくもあり耐えられそうにない。作家が過去の作品を読みたくないというのはこのような心境なのだろうか。

もし機会があるとすれば定年後の余暇としての再読だが、ブログの中心が仕事のことであり、引退した後でわざわざ読み返すものでもないのかもしれない。

今は便利なデータベースとして活用している。キーワードで検索すると、過去に読んだ書籍の要約や、自分なりに考えたことを読み返すことができる。中には思わぬセレンディピティを感じることもあり、面白い。

今後、AIが発達すれば、ブログに書き溜めた5000の記事をすべてAIに投入して、さまざまな解が得られるようになるのかもしれない。ただし、そこには今感じているようなセレンディピティは損なわれているのかもしれないが。

◇2462 『嘘』 >北國浩二/PHP文芸文庫

評判のよい作品のようだが、個人的にはもう一歩踏み込んで欲しかったという感じ。

痴呆症を患ってしまった父、事故で息子を亡くしてしまった主人公、親から虐待を受けていた少年。それぞれが悩みや葛藤を抱える者たちが、一つ屋根の下で暮らしていく。そこで巻き起こる、小さな事件と小さな感動。

残念ながら最初の設定の部分を非現実的だと感じてしまった。車で轢いてしまった少年を助けてそのまま家に連れ帰り、一緒に生活を始める。そんなことあり得るだろうかと違和感を覚えたのだ。そういえば『流浪の月』は青年が少女を連れ帰ってしまう物語だが、さほど違和感は感じなかった。この違いは何なんだろう。

冒頭から違和感を感じてしまったので、最後まで物語に入り込むことができなかった。また筆者が気鋭のミステリー作家と説明があったため、本書もミステリーなのかと勘違いをしていた側面もあり。ラストのどんでん返しも途中から想定できるもの。『かくしごと』というタイトルで映画化もされているらしいが、果たして見るかな?



あらすじ:あの夏、私たちは「家族」だった―。息子を事故で亡くした絵本作家の千紗子。長年、絶縁状態にあった父・孝蔵が認知症を発症したため、田舎に戻って介護をすることに。そんな中、事故によって記憶を失った少年との出会いが、すべてを変えていく。「嘘」から始まった暮らしではあるものの、少年と千紗子、孝蔵の三人は歪ながらも幸せな時を過ごす。しかし、破局の足音が近づいてきて…。ミステリ作家が描く、感動の家族小説。

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人気のない廃ビルに迷い込んでしまった私。何とか外に出ようと必死である。気がつくと狼のようの大きな野犬がうろうろしている。時々目が合うと唸り声を発してくる。恐ろしい。。。ふと気がつくと、靴を履いていないことに気づいた。これでは外に出てから難儀する。野犬のいる中を恐る恐る靴を取りに戻る。

何とか廃ビルを抜け出して、通りを歩いていると、某大統領候補が暗殺されたというニュースが飛び込んでくる。しかもすぐ近くで。しばらくすると警察車両や救急車で道がいっぱいになり、野次馬たちが集まってきた。何かから逃れている私は、これ幸いと、その人混みを利用して逃げおおせる。

別のビルに忍び込み、どこからか調達してきたスーツに着替えて簡単な変装を行う。ビルから窓の外を見ると、階下に怪しげなマッサージ店がある。見ると覆面を被った女性が全裸でマッサージを受けている。顔は出さないが裸体を見られることでストレスが発散できるそうだ。

いつもながら脈絡のない夢。しかしながら、何となくストレスを抱えている自分を自覚してしまうような夢だった。

◇2461 『慟哭は聴こえない−デフ・ヴォイス3』 >丸山正樹/創元推理文庫

切ないながらも、最後に勇気をもらえる短編集。

今回も連作短編集。短編と短編を完成させる間にそれなりの年数がかかったとのことで、登場人物も年を重ねていく。特に顕著なのは子供たちで、あっという間に小学生、中学生と大きくなっていく。そんなミニ主人公たちの成長を垣間見るのも本シリーズの楽しさの一つだろうか。

とはいえ物語で描かれている現実は厳しい。緊急時に警察や消防に電話ができない(執筆当初の話。今現在はアプリなどの使用が可能になり改善されているとのこと)、聾者が有名になったらどうなるか、地方手話(手話の方言のようなもの)、障がい者採用の実態など、それぞれ重いテーマが描かれている。

救いは最後のエピローグだろうか。過去に登場した脇役たちが成長した姿を荒井の前に見せる。たわいもないエピソードなのに、それまでに蓄積してきた感情が一気に噴出し、思わず涙ぐんでしまった。

目が不自由な主人公を描いたドラマ『白杖ガール』を思い出した。スマホの機能を駆使して逞しく生活している様が描かれていた。本書でも時代が進み、メールやアプリが聾者の人々の助けになっている。今後AIの能力が向上すれば、手話を画像認識して音声に言い換えるような仕組みも登場するだろう。技術の進歩はよい面ばかりではないが、こういったサポーティブな発展なら大歓迎である。



あらすじ:ろう者の妖婦から医療通訳の依頼を受けた手話通訳士・荒井尚人。専門知識が必要で、しかも産婦人科であるために苦戦しながらも丁寧に対応したのだが、翌日、彼女からSOSが届き―。ろう者による緊急通報の困難を問題提起した表題作ほか、急死したろう者の素性を何森刑事と共に探る旅路を描く「静かな男」など、荒井が出合った四つの事件。“デフ・ヴォイス”シリーズ第三弾。

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アメリカの駐在も4年半が経過した。通常であれば駐在期間は5年程度。しかしながら念の為、VISAの更新を行ったので延長もあり得るかもしれない。未確定要素が多いながらも、愛犬の帰国に関しては準備をしておく必要がある。

日本は狂犬病が発生していない国であるため、アメリカのような狂犬病があり得る国からの犬の連れ込み(輸入)には検疫が必要となる。係留せずに即日解放してもらうためには、狂犬病の予防接種を行い、抗体があることが判明してから180日以上の待機期間を経なければならない。

しかも予防接種は2回行う必要があり、5月と7月に予防接種の注射をしてもらってきた。2回目である7月の予防接種と同時に、抗体の検査を依頼。結果が出るまでに2ヶ月程度かかると言われていたのだが、日本への一時帰国もあったため、結果を受領したのは9月の末になってしまった。

しかしながら検査機関からの回答は8月早々に出ている。2ヶ月もかかるのはおかしいなと思っていたのだが、確認しなかった自分が悪い。それにしても結果が出ているなら一報してくれてもよさそうなものだが、まぁこれがアメリカあるあるなのだろう。

検査結果を受領したが、この結果が本当に有効なのかちょっと心配。いざ輸入手続きに入った際にNGと言われたら困ってしまう。最悪、空港の検疫所で180日間の係留が課されるのだ。そのような事態を避けるため、事前に羽田空港の検疫所に確認のメールを送付した。

指定された申請書に必要事項を記入し、抗体検査の結果と予防接種のエビデンスを添付してメールを送信。1週間後、検疫所から返信が来た。実際の入国日が未定であっても申請書の受領は可能(後から日時の変更は可能)とのことなので、輸入日を「未定」と記載していた箇所を、仮日程を記入の上、再提出してほしいとのこと。

抗体検査そのものの結果はOKとのことで、4月に帰任することを想定すると180日経過しており、特段の問題はないとの回答だった。ひとまずはこれにて一安心。

万が一、帰任が26年の4月まで延長となった場合は、再度予防接種を受けて抗体検査を受けなければならない。現在の予防接種の有効期限が1年なので、来年の6月または7月に再度予防接種を受け、抗体検査を行う必要があるだろう。

忙しさにかまけて、初年度の予防接種の期限が切れてしまっていたのは過去のブログにも書いた通り。同じ轍を踏まないよう、早め早めに対策していきたい。なによりも大切な愛犬のためにも。

農林水産省・動物検疫所の解説ページはこちら

【抗体検査の結果】
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◇2460 『ドーン』 >平野啓一郎/講談社文庫

平野さんが描く近未来の世界。

前作『決壊』では、分人主義のコンセプトは登場するものの、「分人主義」という言葉が出てくることはなかったように思う。本書では、登場人物の会話の端々に「分人主義」という言葉が登場し、物語の根底を流れる大きなモチーフになっている。

舞台は2036年の近未来。火星への有人飛行が実行され、そのパイロットの一員である佐野明日人が主人公。一躍ヒーローになるも、その裏には秘密が隠されていた。近未来を描いたSFでもあり、隠された謎とは何かという謎解きミステリー的な要素もあり、そして分人を明確に意識している近未来人の心の葛藤を描いた人間物語でもある。

本作では「分人主義」が明文化されており、筆者としては人間物語を描きたかったのかもしれないが、個人的にはSF的な要素に面白さを感じてしまった。監視カメラと顔認証を組み合わせた「散影(さんえい)」(これは中国ではすでに実現されているといっても良いかもしれない。流石に一般には公開されていないが)。その顔認証システムから逃れるための顔を変える「可塑整形」。自動運転車を暴走させる「トラフィックウイルス」。銃規制のための「代替銃」など、作家としての創造性の逞しさが見て取れて興味深かった。

さらには「致死性のマラリア蚊」という生物兵器まで登場し、近未来の危うさも感じさせる。コロナのパンデミックで思い知ったことだが、ウイルスや生物兵器のような目に見えない脅威というのは、精神的な負荷が大きい。

ラストシーンは何となく想像できてしまったが、まぁハッピーエンドと言ってよいのではなかろうか。それにしても『決壊』からは大きく路線が異なる物語。出版社も前作は新潮社、今回は講談社のようだが、Audibleのよいところは異なる出版社のものであってもシリーズとして聴くことができる点。次作は『形だけの愛』である。楽しみだ。



あらすじ:人類で初めて火星に降り立ち、世界的ヒーローとなった佐野明日人。その航行中何が起きたのか? 人類初の火星探査に成功し、一躍英雄(ヒーロー)となった宇宙飛行士・佐野明日人(さのあすと)。しかし、闇に葬られたはずの火星での“出来事”がアメリカ大統領選挙を揺るがすスキャンダルに。さまざまな矛盾をかかえて突き進む世界に「分人(デイヴイジユアル)」という概念を提唱し、人間の真の希望を問う感動長編。Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。

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名作中の名作。宮崎駿作品の中でも一番好きかもしれない。

1986年、ナウシカから2年後の作品だ。こちらもテレビ放映されているのを見た記憶がある。2年経過後にテレビ放映と考えると見たのは高校生の頃だろうか。再放送も含めて複数回見た記憶がある。しかしながら覚えているのは冒頭のシーンでシータが飛行石に助けられて空から降りてくるシーンのみ。それ以外には天空の城でのロボットのことが微かに記憶にある程度だ。

宮崎駿さんは空や風が好きなのだろう。ナウシカでも大きな飛行船や、細かく動き回る小さな飛行機が登場したが、本作でも健在。というか、天空の城に行くのに飛行機や飛行船は欠かせない。こういった飛行機や天空の城をイチからデザインするのは、さぞ楽しいだろうな。

ナウシカほど社会風刺色を感じないところもよい。純粋な少年少女の冒険譚。しかしながら科学技術の過度な進歩は人類を滅ぼす危険があると、科学に対する警鐘を鳴らしているようにも感じる。ひと昔前であれば核兵器、今なら人工知能がその対象と言えようか。

映画の2時間というのは、難しい長さだ。ともすれば短すぎてストーリーを消化できないし、内容がつまらなければたとえ2時間でも長く感じる。本作は絶妙なストーリー展開で飽きさせないし、あっという間に時間が経過するにもかかわらず、構成は濃密だ。何度も構成を練り直したであろう宮崎駿さんの職人気質を感じさせられる。

◇2459 『龍の耳を君に−デフ・ヴォイス2』 >丸山正樹/創元推理文庫

聴覚障がい者の方の実態を、さらに深く理解することができた。

主人公は前作同様に荒井尚人である。本書もAudibleで聞いたのだが、感想を書こうとしてネットで調べたのだが、調べるまでは荒井ではなく、新井だと思っていた。耳で聴くだけでは人物名の漢字は分からず、荒井と新井では何だか印象まで変わってくるので不思議なものだ。前から書いている通り、AudibleにはPDFを追加する機能があるので、小説では登場人物一覧を載せてほしい。

さて、本書は何だか連作短編集のようだなと思いながら聴いていたのだが、やはり筆者の意図も短編集だったということを、あとがきで知った。前作から7年も経っているそうだが、いろんな思いもありそれだけの時間がかかってしまったとのこと。時間をかけてでも書くべき一冊だったと思う。

短編集ということで本作には3つの物語が収められている。1つ目は聾の男性が強盗に入ったという嫌疑をかけられる話。「金を出せ」と発声した点がポイントとなり事件が解決に向かう。聾の方が「発声をする」ということに対して、どのような気持ちを抱いていらっしゃるのか。本書を読むまでは考えたこともなかった。

2つ目は聾の方を対象に犯罪行為を繰り返す、聾の青年の話。複雑な思いを抱える青年の心情を見事に描写している。彼は5歳くらいまでは耳が聴こえていたとのことで、「風の音」を覚えているのだそうだ。タイトルもまさに『風の記憶』。

3つ目は短編というよりも中編の長さで、本題ともなっている『龍の耳を君へ』。「聾」という文字は「龍」と「耳」から成り立っているが、これは龍には耳がなく角で音を感じるからだとのこと。発話ができなくなった少年が手話を覚えて、成長していく素敵な話だ。ミステリーとしても読み応えがある内容だった。

幸いなことに、2作目以降は筆者も順調に筆を重ねていらっしゃるようだ。手元にはあと2冊、本シリーズが積読になっている。楽しみな積読である。



あらすじ:荒井尚人は、ろう者の親から生まれた聴こえる子―コーダであることに悩みつつも、ろう者の日常生活のためのコミュニティ通訳や、法廷・警察での手話通訳に携わっている。場面緘黙症で話せない少年の手話が殺人事件の目撃証言として認められるかなど、荒井が関わる三つの事件を優しい眼差しで描いた連作集。『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』に連なる感涙のシリーズ第二弾。

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最近、コーヒーを飲んでも美味しいと感じなくなってしまった。

果たして原因は何だろうか。

先日受診した眼科で、コーヒーの飲み過ぎは良くないと言われてしまい、精神的に拒否反応を起こして美味しいと感じなくなってしまったのだろうか。

それとも、コーヒー豆の価格が高騰していることから、購入した豆の質が落ちているのだろうか。普段愛飲しているのはスターバックスのコーヒーで、KEURIGというカプセル式のコーヒーと、スタバでグラインドしてもらった袋詰めのコーヒー。どちらかというと、袋詰めの方が味が落ちている気がする。

眼にとってだけでなく、カフェインの過剰摂取もよろしくないので、これを機にコーヒーを飲む回数を減らしてもよいのかもしれない。老後に向けての趣味として、コーヒーを究めてみるのも良いかなと思っていたのだが、方向転換が必要だろうか。

仕事をしていると、ちょっとした気分転換に飲み物が欲しくなる。コーヒーの代わりになるものといえば、緑茶、紅茶などだが、何がよいだろうか。

候補の一つ目は緑茶(抹茶)。先日日本に帰った時に飲んだ、伊藤園の粉末の緑茶が思いのほか美味しかったので、アメリカでも買ってみた。以前は緑茶よりもコーヒー派だったのだが、味覚が変わったのか緑茶の方が美味しく感じる。

二つ目はプーアル茶。中国製のものは農薬などが怖いので、台湾製を取り寄せ。脂分を分解し痩せる効果もあるかもしれず、味も好みなので有力候補の一つだ。

三つ目はHTというロゴが有名なHARNET & SONS FINE TEA。こちらのデカフェ・ホットシナモンが美味しい。シナモンの刺激がちょっとキツめなのだが、自然な甘味もあり、甘いものが食べたい時にも有効。ニューヨークのブランドのようで、アメリカで買うと1缶5ドル程度なのだが、日本のアマゾンで買おうとすると2000円くらいしてしまう。こちらにいる間にまとめ買いをしておこうか。

番外編として、水を飲むという手もある。最近はPFASという化学物質の混入が問題視されており、これを除去できる唯一の簡易フィルターが三菱ケミカルのクリンスイ。アメリカでも入手できるが非常に高くなっているので、日本から取り寄せ。我が家では、クリンスイでフィルターした水を、さらにブリタで濾過し、沸騰させた湯冷しを飲んでいる。市販のペットボトルの水よりも美味しく感じる。

健康にも直結するし、毎日の生活に潤いを与えてくれるものだけに、慎重に選びたい。どれか一つに決める必要もなく、これらの候補を気分に応じて使い分けるのもありだろう。

◇2458 『虚人の星』 >島田雅彦/集英社文庫

今の日本が抱える課題、誰もが直視したくない課題を、鋭く抉り出した作品。

主人公は二人。祖父、父が総理大臣を務め、親子三代で総理の座についた松平。解離性障害を持ち、7つの人格を操るようになったスパイの星新一。政治家とスパイという視点を通じて、現代日本が抱える対米国、対中国との微妙な関係、あるべき日本の姿、戦争参画と憲法改正論などを、縦横無尽に語っている。

課題意識や着眼点はなるほどなと思わせるものも多く、興味深かった。先日読了した『暗殺』でも感じたことだが、こういった書籍がきちんと発刊され、一定量の販売数が確保できているのは、日本が世界各国と比べると相対的に言論の自由が担保されている証左だと言えようか。

物語としては、星新一に7つもの人格が必要だったのかという点にすこし疑問を感じてしまった。小説の長さを鑑みると、3人格程度でも良かったのではあるまいか。7つもの人格を生み出したにしては、彼らが活躍する場が少なかったように感じてしまった。また、ラストは「夢オチ」的な要素もあり、ちょっと納得がいかなかった。筆者としては、あくまでも本作がフィクションであることを強調したかったのかもしれないが。

島田雅彦氏の作品は初読。著名な作家なので、どこかで読んだような気がしていたのだが、錯覚だったようだ。他にも面白そうな作品を書かれているので、機会があれば他著にも手を伸ばしてみよう。



あらすじ:外交官から首相秘書に抜擢された新一は、七つの別人格に苦しむスパイでもあった。その新一が仕える世襲総理・松平定男は、凡庸な極右との前評判を覆し、米大統領も黙らせる名演説で世間の度肝を抜く。しかし、彼の内部にも奇妙な変化が現れて…。二重スパイと暴走総理は、日本の破壊を食い止められるのか?第70回毎日出版文化賞受賞作品。

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ミッション・インポッシブル フォール・アウト

過去のブログを遡ってみると、ミッション・インポッシブルは5作目までを見終えている。最近、ドラマよりも映画を見るようになり、こちらは出張時のフライト中に視聴したもの。

テロリストに奪われたプルトニウムを奪還するのが今回のミッション。ウォーカーという味方か敵か判然としないエージェントが登場したり、CIAだけでなくMI6も登場したりと、登場人物の相関関係がややこしくて、今ひとつ楽しめなかった。機内だから集中できなかったのであろうか。

相変わらずのド派手なアクションは健在。カーチェイス、ヘリコプターでの戦闘と、常にハラハラさせる展開と構成はさすがだが、前作を上回るほどの面白さを感じられなかったのは残念。

◇2457 『暗殺』 >柴田哲孝/幻冬舎

フィクションと謳いながらも、なかなかに説得力のある内容で面白かった。

本書は2022年に起こった安倍元首相の殺害事件をモチーフにした小説である。遺体から致命傷となった弾丸が消えてしまったというのは、筆者の作り話なのか事実なのか。そんなことすら知らなかったのだが、Webを検索すると弾丸一発が行方不明だという新聞記事がいとも簡単に出てきてしまった。事実だったのか。。。そうすると本書で語られているようなエアーライフルと水銀弾というスパイ小説のような話も現実味を帯びてきてしまう。

本書では実行犯のことを「オズワルト」と呼び、しかしながら彼はあくまでも囮であり、真の実行犯はプロのスナイパーであったという仮説。元首相を貫いた弾丸の弾道が、下からではなく上からだったというのも果たして事実なのだろうか。

筆者は元首相が殺された真因を新しい元号の「令和」にあるとしている。名前の響きは美しいが、この意味は「和」つまり日本人を「令」命令に従わせる、つまりは屈服・隷従させるというのだ。本書では統一教会との関係も詳しく描かれているが、筆者の辻褄合わせはなかなかのもの。非常に興味深く読み進めた。

このような本が出版できるというのは、日本はまだまだ民主主義国家で、言論の自由が確保されているということであろう。意図的なのであろうが、アメリカの政治家は実名、中国やロシアの政治家はフィクションの名前であった。またコロナ禍や延期となったオリンピックなどの描写も精緻であり、ノンフィクションを読んでいるような錯覚に陥る。

話題になった問題作だけあって読み応えがあった。まぁ陰謀説といえばそれまでなのだが、この手の話には何らかの闇があるというのが実態なのであろう。



あらすじ:奈良県で元内閣総理大臣が撃たれ、死亡した。その場で取り押さえられたのは41歳の男性。男は手製の銃で背後から被害者を強襲。犯行の動機として、元総理とある宗教団体との繋がりを主張した―。日本史上最長政権を築いた元総理の殺害という前代未聞の凶行。しかし、この事件では多くの疑問点が見逃されていた。致命傷を与えた銃弾が、未だに見つかっていない。被害者の体からは、容疑者が放ったのとは逆方向から撃たれた銃創が見つかった。そして、警察の現場検証は事件発生から5日後まで行われなかった。警察は何を隠しているのか?真犯人は誰だ?35年前に起きたある未解決事件との繋がりが見えた時、全ての陰謀は白日の下に晒される―。日本を震撼させた実際の事件をモチーフに膨大な取材で描く、傑作サスペンス。

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以前から一度行ってみたいと思いながら、車で1時間以内の距離であるため「いつでも行ける」となかなか行けなかった場所。同じ方面に行く所用があったので、帰り道に立ち寄ってみることにした。

駐車場に車を停めて、入場料を20ドル支払う。長い塀に囲まれた様子は刑務所そのもの(というか、元は本物の刑務所だ)。中に立ち入ると、刑務所映画でよく見かけるような広場と監視塔が目に入ってくる。それ以外にも、いかにも監獄といった建物が並んでおり、興味深い。

1858年に建設され、2002年に閉鎖されたとのことだが、その後『プリズン・ブレイク』のロケ地となったことで有名。ちなみに1980年の映画『ブルース・ブラザーズ』のロケ地でもあるらしい。1980年といえばまだ閉鎖前。運営中の刑務所でロケを行ったということなのであろう。

あまり他では経験できない興味深い見学であったが、さほど展示物があるわけでもなく、30分ほどで敷地内を見学し終えてしまった。20ドルの価値があるのかと言われれば難しいところだが、維持費などを考えると一部は寄付だと思うべきであろう。

これでシカゴ近郊の主な観光スポットは制覇することができた。次はどこへ行こうかな。

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◇2456 『天国の修羅たち』 >深町秋生/角川文庫

うーん、せっかくの3部作の後味が悪くなってしまった。

時間軸をずらした3部作という発想はよいし、面白い。1作目の『ヘルドッグス』は、ちょっと現実離れしてはいるものの抜群に面白かった。2作目はそこで登場したさまざまな色濃いキャラクターたちの若かりし頃を描いており、これまた面白かった。今回は1作目の未来を描いている。消えた兼高がどうなったのか。読者が知りたいのはそこであろう。

その答えは本書できちんと用意されている。しかしながら、本書の主人公はもはや兼高ではなく、女性刑事の神野真理亜だ。姉を殺されたトラウマからずっと刑事に憧れ、洞察力を磨いたりレスリングを特訓したりして刑事に上り詰めた努力家。警察上層部からの圧力を受けながらも、真実は何かを突き詰めていく。

長い小説は疲れると思っていたが、本書に関してはせっかくここまで世界観を作り上げてきたのに、随分あっさりと終わらせてしまうんだなという感想を抱いてしまった。神野が兼高(出月)に出会ってからが、あまりにも淡々と(とはいえ、とても凄惨なバイオレンスシーンが続出なのだが)進んでいくように感じてしまった。もっと兼高を活躍させても良かったのではなかろうか。

それにしても、いくら小説とはいえ、人が死んでいく描写というのには慣れない。しばらくヤクザものは読まなくてもいいかなと思ってしまった。ミステリーや警察小説は好きなので、そちらを漁っているとヤクザものにも巡り合ってしまうのかもしれないが。



あらすじ:暴力団にも物怖じしない怖れ知らずの老ジャーナリストが惨殺された。犯人を追う警視庁捜査一課の神野真里亜は、元同僚の鑑識係から驚きの人物が捜査線上に上がったことを知らされる。真実を明らかにするべく相棒のマル暴刑事・樺島と独自の捜査を始めた真里亜は、気づけば警視庁を揺るがす陰謀に巻き込まれていた。読む者すべてを圧倒するノンストップクライムサスペンス。映画原作『ヘルドッグス 地獄の犬たち』の完結編!

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シカゴの朝晩は冷え込むようになってきており、場所によっては紅葉も見られるようになってきた。短い秋を楽しもうと、シカゴ近郊のNaperville Riverwalkというところに行ってきた。

ちょっとした公園なのだが、駐車場に車を停めると鐘の音が聞こえてくる。荘厳な音楽を奏でているのだが、何かと思いきや大きな塔が聳え立っており、そこから聞こえてくるようだ。

その塔の横を通り抜けていくと、川沿いの散歩道が見えてくる。川の左手にはアパートメントが立ち並んでおり、窓から見える景色はさぞ癒されるであろう。街中にこのように突然緑が広がっているのはアメリカならでは。少なくとも東京ではこのような借景はなかなか望めないであろう。

川の右手には大きな公園が広がっている。アスレチック設備などもあり、子どもたちの遊び場としてよさそうな場所。私は落ち着いた雰囲気の川の左手の方を散歩道に選んだ。

愛犬も一緒だったのだが、久しぶりの長距離の散歩に嬉しそう。川辺は木が生い茂っており、木陰に入ると涼しくてちょうどよい気候。鐘の音やせせらぎの音を聞き、緑を眺めながらの散歩で、とてもリフレッシュすることができた。週末の一コマ。

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◇2455 『決壊』 >平野啓一郎/新潮文庫

いろんな要素が詰め込まれていてお腹いっぱいになってしまった作品。

本書は分人主義小説の第一弾。先日読了した『私とは何か』を読んでいなかったら、本書の意図するところは理解できなかったかもしれない。

構成としては大きく2つに分かれている。1つ目は、周囲からは秀才と目されていながらも、どこか投げやりな兄と、その兄にコンプレックスを抱く真面目で優しい弟の物語。互いに少しでも本音で語り合おうと、二人きりであった直後、弟が行方不明になってしまう。もう1つの物語は心に鬱屈を抱えた中学生。自分が好きだった女の子のとある写真をネットにばら撒いてしまう。

どちらかというと前者の物語に力点が置かれており、兄こと沢野崇が筆者のいうところの「分人」を体現している存在である。会社における顔、女性と会う時の顔、弟と向き合う時の顔は、それぞれ異なって当然だというのだ。特に外向きの顔、女性向けの顔に関しては、自分は意図的に相手が気にいるような顔(顔と象徴的に書いているが、人格・性格など総合的なもの)を作ることができる、使い分けることができるそうだ。

私自身、相手や場の雰囲気によって、多少は自分の顔を使い分けているかもしれないが、それも無意識下のこと。これを意図的にコントロールしようとしたら、とても疲れてしまうのではなかろうか。だからこそ、兄は疲れていたのかもしれず、人生に投げやりだったのかもしれない。

弟がバラバラ死体で発見されてからは、ミステリー要素も加わってくる。果たして兄は殺人犯なのか。警察の執拗な尋問にも口を割らない兄。結末は意外とも言えるし、伏線通りとも言えよう。

上下2巻のかなり長い物語。長く語ることによって生まれるカタルシスもあるのだろうが、個人的に最近は長い小説はちょっとしんどい。それでも、やはり書き連ねてきた兄と弟の関係が、最後には母を通じて結実するところは感動的だった。ラストはショッキングだったが、さもありなんという結末。分人がどこか一つの人格に集中してしまうと、このような破滅的な衝動が生まれるのだと筆者は言いたかったのだろう。



あらすじ:【上巻】地方都市で妻子と平凡な暮らしを送るサラリーマン沢野良介は、東京に住むエリート公務員の兄・崇と、自分の人生への違和感をネットの匿名日記に残していた。一方、いじめに苦しむ中学生・北崎友哉は、殺人の夢想を孤独に膨らませていた。ある日、良介は忽然と姿を消した。無関係だった二つの人生に、何かが起こっている。許されぬ罪を巡り息づまる物語が幕を開く。衝撃の長編小説。

【下巻】戦慄のバラバラ殺人―汚れた言葉とともに全国で発見される沢野良介の四肢に、生きる者たちはあらゆる感情を奪われ立ちすくむ。悲劇はネットとマスコミ経由で人々に拡散し、一転兄の崇を被疑者にする。追い詰められる崇。そして、同時多発テロの爆音が東京を覆うなか、「悪魔」がその姿を現した!’00年代日本の罪と赦しを問う、平野文学の集大成。

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なかなかにバイオレンスな原作を読み、岡田准一さんが主演とのことで興味をもって視聴。特に後半のストーリーは映画用に大幅改変されており、原作とは別の物語として楽しむことができた。

主人公の兼高を岡田さん、相棒のサイコパス・室岡を坂口健太郎さんが演じている。その他、私が好きな俳優の北村一輝さんが仁義に厚い土岐を、ミュージシャンのMIYAVIさんが十朱会長を好演していた。

さすがに現役警察官の潜入捜査というのはまずかったのであろうか、兼高は元警察官という扱いになっている。前半こそ原作通りの展開だったが、前述の通り後半からは大きくストーリーが改変されており、原作を読んだことのある視聴者でも楽しめる内容になっていた。それぞれのキャラクターの個性は尊重しつつ、矛盾のないストーリーになっていた。

ここまで原作をいじるか、という点においては賛否両論があるであろう。原作に忠実で成功する映画もあれば、原作に忠実でも映像としては今ひとつな映画もある。一方で原作を改変してより輝く映画もあれば、改変が裏目に出てしまう駄作もある。結局、小説と映画はまったく別物だと思って楽しむのがよいのであろうな。

そもそもがバイオレンスな作品なので、映像も非常に刺激的。岡田さんのアクションは相変わらずキレキレだが、ご本人としてはもっと格闘シーンが欲しかったのではなかろうか。

◇2454 『経営中毒−社長はつらい、だから楽しい』 >徳谷智史/PHP研究所

経営者としての現場における悩みを吐露しつつ、解を模索しようとする意欲作。

もともとはPodcast(音声配信サービス)「経営中毒〜だれにも言えない社長の孤独〜」という番組から派生したものとのこと。筆者自身がコンサルとして、そして自身が社長として経験したことを、余さず書き留めたもの。こういった経験の言語化は貴重である。

私自身は、中国の現地法人で結構ベタな苦労をしたので、本書に描かれていることの半分程度は自らも経験し、そうだよなと思いながら読み進めた。残りの半分はスタートアップ特有の悩みであり、こちらも勉強になった。

私自身の海外経験で貴重な経験だと感じたのは財務(特に資金繰り)と人事(特にトラブルシューティング)。

資金繰りに関しては、当時の会社の方針が「無借金経営」であり、今思えばファイナンス理論的にはコスト高なのだが、子会社といえども借金は許されず、さまざまな工夫をして資金難を乗り切った。子会社として一番有効な資金対策は親会社への送金条件を緩和してもらうことだが、当時の中国では120日以内に輸入代金を決済しなければならないという良く分からないルールがあり、この裏技が使えなかったのだ。

人事に関しては、ここには書けないことをいろいろ経験した。最近は日本でも人材の流動性が高まっているが、中国では他の海外と同じく転職は当たり前。いかに優秀な人材を採用するか、採用面接の内容を工夫したり、素行不良だったり能力不足の人にいかに円満に退社してもらうかにも知恵を絞った。

こういった修羅場的体験を、30代半ばで経験できたのはとてもありがたかった。

それでは気になった箇所を要約して引用しておきたい。

・手元の資金を使い切るまでに残された時間を「ランウェイ」と言う。

・エクイティの調達は不可逆。持ち株の保有比率によっては代表取締役を解任できる。創業初期に必要以上に多くの株式を吐き出すと、再びエクイティで資金調達をする時に残っている株式が少なく追加調達できなくなる。

・ともに働くメンバーは「仲間」でもあり、他人でもある。創業時の経営メンバーは、会社の舵の取り方、つまり意思決定をめぐって揉めることが多い。

・ほとんどのスタートアップ社長は、価値基準の人を採用して失敗している。能力は後から伸ばすことができるので、能力よりも価値基準で人を選ぶべき。

・外から優秀な人材を採用すると、元からいる古参社員のモティベーションが下がる。本質的には就業年次ではなく、会社の価値基準にあった仕事をしているかで、評価することが組織運営の鉄則。

・会社の成長とともに自分をアップデートし続けることが社長や経営陣には求められる。一定規模になったあとは、社長が全てを見ることは諦めて「誰か」に組織化を図らせること。

・優秀なHRは経営視点の現場視点の「結節点」になる人。HRに関する調査やツールを入れたがる人は「仕事をしている感」を出そうとしているだけの場合があり注意が必要。

・スタートアップが開発した製品は「ないよりはあった方がいい」というレベルを超えて、「お金を出してでも使いたい」と思ってもらえるものになっているかどうか。

・特許を取れば権利は守られるが、技術の中身がわかってしまうため、うまく活用(悪用)されるリスクもある。

・経営がうまくいかなかった時に「撤退」の意思決定が一番難しい。撤退の判断は安易に先延ばしすると命取りになる。

・多くの困難にぶつかった社長は鈍感になっていく。これは悪い意味ではなく、「うろたえても、何も物事は良くならない」と気づくから。

・四六時中、仕事のことばかりを考えていると、目先のことにとらわれてしまいがち。あえて未来のことを考える時間を取ることが大切。




【目次】

はじめに 社長はつらい?それとも楽しい?
第1章 「資金繰り」は最初に直面する、社長共通の悩み
 ―人徳が問われる「カネのマネジメント」
第2章 会社は99.9%、「人の問題」で崩壊する
 ―会社の未来を左右する「ヒトのマネジメント」
第3章 営業VS.エンジニア、中途VS.古参…組織の崩壊は突然起きる
 ―文明の衝突を起こさない「組織のマネジメント」
第4章 最初に考えたプロダクトはなぜうまくいかないのか
 ―0→100を可能にする「事業のマネジメント」
第5章 「事業の売却」から新たな経営がスタートする
 ―失敗しない「スタートアップの出口戦略」
第6章 「24時間悩み、365日決断」難しいがクセになる経営判断
 ―会社の未来を左右する「社長の意思決定」
おわりに あなたは孤独な社長ではない

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出張者対応のためボストンに出張に行ってきた。日曜日到着だったので、夕方2時間ほどダウンタウンを散策。案内したのは定番のフリーダム・トレイル。前回の訪問時と同じところを巡ったわけだが、記念に写真だけアップしておきたい。

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◇2453 『煉獄の獅子たち』 >深町秋生/角川文庫

前作よりもさらに暴力が加熱している。

前作『地獄の犬たち』から時間を遡っている。これは『狐狼の血』の3作目である『暴虎の牙』でも使われたパターン。魅力的なキャラクターを生み出した筆者は、その人物の過去に遡りたくなるものなのだろうか。ドラマでも「エピソード0」と称して、主人公たちの過去が描かれたりする。

本書も1作目が生まれた背景が描かれており興味深い。読みながら、今回の主人公の一人とも言える氏家勝一のキャラクターが前作と随分異なるなぁと違和感を感じながら読み進めていた。前作では海外の軍人をも使って復讐に明け暮れる非道なキャラクターだったのだが、本作では仁義に厚い親分肌の好漢として描かれている。この違和感の正体はラストシーンで明かされるのだが、これには一本取られた。

十朱という化け物が生まれてしまう過程、警察側の阿内と木羽の関係など、前作を読んでいれば、なるほど過去はこうだったのかと、読者の興味を惹きつける構成になっている。再読するならば、本書『煉獄の獅子たち』を読んだ後に『地獄の犬たち』を読むと、伏線回収の楽しさも味わえるのではなかろうか。

しかしながら、とにかく暴力的なシーンが多くて辟易としてしまう。個人的には暴力シーンは好きではないので、なかなか辛い読書であった。シリーズとしてはもう1冊残っているので、ここまで来たら読了したいが、なかなか気が乗らないのである。



あらすじ:関東最大の暴力団・東鞘会を率いる大侠客・氏家必勝に死期が近づいていた。次なる覇王を目指す実子の勝一は、台頭著しい会長代理・神津太一に後継者の座を阻まれ、父との決別を誓う。新たに和鞘連合を結成した勝一は、子分の織内に神津暗殺を命令、両者の対立は血で血を洗う内部抗争へと発展していく。時を同じくして、警視庁の我妻は非合法をも厭わぬ捜査で東鞘会に迫っていた。映画原作『ヘルドッグス』の続編にして前日譚。

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習慣の大切さは多くの人が語るところ。では具体的にどうするかというとなかなか難しい。かく言う私もさほど習慣化が得意という訳ではないが、いろんなノウハウからこれは有効ではと思ったものを列挙しておきたい。

まず習慣化には、新たに習慣にするもの(例えば筋トレや英語学習を継続するといった内容)と、現在の悪習慣をやめるもの(夜食をやめる、甘いものをやめるなど)がある。

このうち、前者についてはすでに実行している習慣に紐づけると良いとのこと。つまり歯磨きの後に筋トレをする、お風呂に入った際に英語の音源を聴くなど。私自信、英語のリスニング強化は風呂に入りながら実現した。

悪習慣については代替を見つけると良いそうだ。単にやめるだけというのは強力な意志が要る。例えば夜食をやめられないのであれば、豆腐や蒟蒻のようなカロリーの低いものを食べる、甘いものがやめられない場合は菓子類ではなく果物で代替するなど。

私の場合、最大の難関が体のメンテナンス。筋トレやストレッチ、ウォーキングなどが、いつも3日坊主で続かない。

やめる方に関してはチョコレートなど甘いものを控えるようになった。秘訣はとにかく買わないこと。どうしても甘いものが欲しくなった時はフレーバーティーを飲んだり、カシューナッツを食べたりしている。

アメリカでは成り立っているが、日本に帰ったあとが心配。コンビニの誘惑に勝てるだろうか。

◇2452 『ヘルドッグス−地獄の犬たち』 >深町秋生/角川文庫

『孤狼の血』を更に過激にしたような物語。

Audibleで3作がシリーズで紹介されていたので、手にしてみた。岡田准一さんが主演で映画化されているが、こちらは未視聴。映画化されるということは、それなりに面白い作品なのだろうなと。

読み始めて、本書も警察とヤクザの任侠暴力モノだと知る。冒頭からいきなり暴力的で凄惨なシーン。本当はもう少し落ち着いた物語を欲していたのだが、読み始めたのだから仕方がない。

主人公は兼高というヤクザ組織に潜入している刑事。潜入モノはスパイ行為がいつバレるかと、ヒヤヒヤさせられる。それがスリリングで面白いということなのだろうが、私はちょっと苦手。

本書はその潜入者が二重構造になっているのが面白い。また暴力だけでなく、警察とヤクザの頭脳戦、心理戦も挿入されており、なかなか読み応えはある。

これまで読んできた『新宿鮫』や『孤狼の血』と比べると、時代が更に進み、暴対法と経済低迷で魅力が少なくなった日本を抜け出し、暴力団が海外で荒稼ぎするという構造が描かれている。犯罪や暴力は無くならないものなのだと思い知らされる。

それにしても、警察がここまでやるだろうかと、非現実的な設定に違和感を覚えたりもする。同じ潜入モノで韓国ドラマの『最悪の悪』では、潜入した刑事は武闘派としてのし上がっていくのだが、最後まで殺人は犯さなかったように記憶している。このようなギリギリの一線を守らせるかどうかも作者の腕の見せ所であろう。

最後はあまりにも人が死に過ぎて、辟易としてしまった。シリーズ3部作なのだが、読み続けようか少し迷っている。。。



あらすじ:「警察官の俺に、人が殺せるのか?」関東最大の暴力団・東鞘会の若頭補佐・兼高昭吾は、抗争相手を潜伏先の沖縄で殺害した。だが兼高はその夜、ホテルで懊悩する。彼は密命を帯びた警視庁組対部の潜入捜査官だったのだ。折しも東鞘会では後継をめぐる抗争の末、七代目会長に就任した十朱が台頭していた。警視庁を揺るがす“秘密”を握る十朱に、兼高は死と隣り合わせの接近を図るが…。規格外の警察小説にして注目の代表作。

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黄斑変性症の疑いがあったため、眼科を受診したのは以前のブログにも書いた通り。前回の受診で、黄斑変性症ではないと断定されたのだが、3ヶ月に1度の経過観察が必要とのことで再々受診してきた。

実は事前に眼医者から電話があり、担当していた医師が病院をやめてしまったので、新しい先生でアポイントを取り直すとのこと。結果として、さらに1ヶ月後の受診となってしまった。医師が変わることへの不安はありつつも、セカンド・オピニオン的に活用すればよいかと思い、まずは受診してみることにした。

いつも通り、視力を測り、瞳孔を開く目薬を注入して、眼の奥の写真を撮影する。前回と比べて症状は改善しているとのことで一安心。念の為、黄斑変性症ではないのかと聞くと、Noとの回答。前回はうまく聞き取れなかったのかもしれないが、今回は病名をちゃんと紙に書いて示してくれた。

次の受診はいつかと聞くと、症状が悪化しない限りもう来なくてよいとのこと。再受診と言われると不安になるが、来なくてよいというのも不安である。

家に帰って、いただいた病名を調べてみる。英語では「Central Serous Retinopathy」といい、和名は「中心性漿液性網脈絡膜症」。こちらのHPの説明がわかりやすかった。

HPから一部を引用すると「中心性漿液性網脈絡膜症とは、網膜と脈絡膜の境目に異常が起こり、網膜の中心部に漿液性の網膜剥離が生じる病気。一般的に自然治癒傾向が高い病気であり、内服薬等でしばらく経過をみているうちに、漿液性網膜剥離が自然吸収されてくる場合が多い」とのこと。

治癒傾向にあるため、もう来なくてよいとのことだったのだろう。一安心である。今回はストレスだけでなく、多量のコーヒーを飲むと症状が出る場合があると言われたので、コーヒーの過剰摂取を控えなければならない。確かに、多い日は7〜8杯程度飲むこともある。医師によると2〜3杯が適正とのこと。

一方、ストレスも大敵とのことなので、何らかの気分転換をしたいところなのだが、アメリカ在勤中はそれも難しいかもしれない。少しの時間でも音楽を聴いたり、映画やドラマを見たりして、気分転換を図ろう。運動は依然、三日坊主である。。。

◇2451 『私とは何か−「個人」から「分人」へ』 >平野啓一郎/講談社現代新書

個人とは分解できないIndividualではなく、分解可能なDividualだという面白い発想。

平野さんの作品はAudibleにて『ある男』という小説を手にしたことがあるだけ。『ある男』が分人シリーズというものの一冊だと知り、興味を持って本書も手にしてみたもの。

冒頭に記載した通りだが、個人には複数の顔がある。これは多重人格というものではなく、筆者の例でいうと高校時代の顔と大学時代の顔、そして作家としての顔などのこと。

人間は相手によって、または属するグループによって、これらの顔を使い分けることができる。このように複数の顔(というか性格)を分割して持っているというコンセプトが「分人主義」である。

普段は物静かな自分が、ある集団にいるときだけ陽気になったりする。この時の自分が仮面をかぶっているのか、真実ではないのかというと、そんなことはなく、時々陽気になるのも紛れもない自分だというのだ。

自分の顔を「表と裏」といったように考えるのではなく、数ある中の一つ、あえて言うなら「右と左」といったように使い分けるイメージだろうか。私は、相矛盾する二つのものを併せ持つのが卓越した人材だと考えていたが、このコンセプトにも通ずる概念である。

筆者はこの「分人主義」というコンセプトを活用して、意気投合、八方美人、引きこもり、自分探し、ストックホルム症候群、片思い、ストーカー、といった概念を説明していく。ちょっとこじつけの感がなきにしもあらずだが、なんとなく納得させられてしまう。

心身のバランスを保つためには、この分人が最適な割合で配されていることが大事だそうだ。いくつの文人を持つか、その構成比率がどのようなものかが、各人の分人としての個人を形づくっていく。

バランスや構成比率を変えたければ、付き合う相手を変える必要があるかもしれない。またある一面で思い悩み自殺まで考えるようなことがあったとしても、別の分人の視点で考えるとその悩みから抜け出すことができるかもしれない。

私にとっては面白い概念であり、平野さんの他の作品も読んでみようと思わせられた。



【目次】

第1章 「本当の自分」はどこにあるか
第2章 分人とは何か
第3章 自分と他者を見つめ直す
第4章 愛すること・死ぬこと
第5章 分断を超えて

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アメリカでは宮崎作品を映画館で放映することがあり『千と千尋の神隠し』を見に行ったのは過去のブログにも書いた通り。いつか他の作品も見てみたいと思っていたところ、VPNをヨーロッパの国(例えばドイツ)に設定すると、Netflixで宮崎作品が視聴できることを友人から聞いた。

これ幸いとVPNを切り替え、最初に見たいと思ったのはやはり『風の谷のナウシカ』である。

1984年の作品。映画館に行った記憶はないので、テレビ放映を見たのだろう。そうすると、恐らく1986年ごろ。私が中学生の頃である。

腐海と王蟲のことはよく覚えているが、全体のストーリーは綺麗さっぱり忘れてしまっている。忘却は人間の特権と言うが、まさにその通り。初めて見る作品のように楽しむことができた。

今から40年近く前の作品とは思えない。この時代において既に、人間と自然の在り方や、戦争の悲惨さと平和の尊さを説いている。今現在の社会に足りないもの、見習うべきものばかり。素晴らしいの一言に尽きる。

挿入歌のランランララランランランというメロディは今でも頭にこびりついている。映像・音楽・シナリオ・キャラクター。どれを取っても日本が誇る名作アニメであろう。

◇2450 『白亜紀往事−Of Ants and Dinosaurs』 >劉慈欣/早川書房

三体の著者、劉氏によるユーモア溢れる風刺小説。

少し短めの物語に触れたいと思い、Audibleを長さ順に並べ替えて選んだもの。聴き始めた途端に物語に引き込まれ、一気に聴き終えてしまった。

舞台は白亜紀。巨大な恐竜と小さな蟻が協力し合って文明を築いていくという突拍子もない話である。突拍子もないながらも、あり得るなぁと思わせるところが劉氏のうまいところ。発想、構成、文章とも素晴らしい。

恐竜と蟻は共存していたにもかかわらず、最初は宗教上の価値観の相違から、次は地球の環境問題に関する意見の相違から、全面戦争に突入してしまう。

まるで人類の歴史を早回しにするかのような物語は、ユーモラスながら奥が深い。

読み進めながら、恐竜はさながらアメリカ、ソ連、中国といった大国で、蟻は日本を象徴しているのだろうか、などと考えた。

そういえば先日イスラエルがヒズボラに対してポケベルを一斉に爆発させるという攻撃を実施した。本書では蟻たちが、恐竜の機械設備に爆弾を仕掛けて一気に爆破させるという攻撃を実施している。妙なシンクロにぞっとしてしまった。

抑止力としての核兵器の危険性,過度に技術に依存することの危険性、共存し合うもの同士であってもいとも簡単に反目してしまう脆弱性など、人類の在り方を痛烈に批判しているように感じた。よくもまぁ中国国内での出版が許されたものだ。



あらすじ:時は、今から6500万年ほど前、白亜紀末期のある日。一頭のティラノサウルス・レックスの歯にはさまった肉片を、蟻たちがたまたま掃除してあげたことから歴史は大きく動き始めた。恐竜と蟻という二つの種属は、お互いの長所―恐竜は柔軟な思考力、蟻は精確な技術力を活用し、それぞれの欠点を補完し合い、新たな文明を築くに至った。文字の活用、蒸気機関時代を経て、現代人類社会と変わらぬ高度な文明を発達させ、地球を支配していた。だが、永遠に続くと思われた、恐竜と蟻の二大文明は、歴史の必然か、深刻な対立に陥り…。代表作『三体』がドラマを始め複数のメディアで映像化され、映画「流転の地球」が世界で大ヒットを記録。世界のエンタメ界で注目を集める劉慈欣が、二つの種属の存亡を賭けた戦いを、壮大なスケールで描いた初期長篇。

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最近、読書が楽しくない。仕事に関する本については、過去に似たような内容の本を読んでおり、そろそろ飽きてきたことが原因であろうか。以前は、面白いと感じながら読み進めていた経営書などにも、マンネリを感じるようになってしまった。

経営以外のジャンルに関しては、歴史、哲学、宗教、美術、言語など、これまであまり手を出してこなかった分野に挑戦してみたいと思うのだが、未知の領域というのは最初がしんどい。少し道筋が分かってくると理解しやすくなるのだが、最初からハードルを上げすぎると挫折してしまう。

そもそも読書日記で年間に読んだ冊数を数えたり、購入して未読の書籍をリスト化して自分をフォローアップしたりと、仕事と同じような管理をしているのがよくないのかもしれない。

ある種の「強迫観念」のようなものが発生し、純粋に読書が楽しめていないのかもしれない。

何年も前から考えていたことだが、冊数を追うのではなく、質を追うことが重要。そのためには、あえてゆっくりと本に向かい合うことが大事なのかもしれない。

読書をする際には、机の上から余計なものを排除し、スマホも近くにおかず、コーヒー1杯だけを手にして集中するといった、環境づくりも必要かもしれない。

なんだか「かもしれない」という語尾ばかりの文章になってしまった。自分の迷いがよく分かる文章だ。そして、こんなことを書きつつ、日本に一時帰国した際には紙の本を13冊も買い込んでしまった。Kindle化されておらず、次のタイミングではいつ買えるか分からなかった本たち。

昔ほど読書体力が残っておらず、しかも老眼で目が疲れやすくなっている。読み方も意識したり工夫したりしないといけないのか。それもまた残念な話なのだが。

◇2449 『Hit Refresh(ヒット リフレッシュ)−マイクロソフト再興とテクノロジーの未来』 >サティア・ナデラ/日経BP

少し期待とは異なる内容であった。

マイクロソフト再建の立役者であるサティア・ナデラ氏の書籍。どのような再建手法を使ったのかと興味深く読み進めたのだが、経営論というよりも技術的な内容の方が多かった。

個人的には特にマイクロソフトの企業文化の変革に興味を抱いていたのだが,ごくごくオーソドックスな手法を取られていた。当たり前のことを当たり前にやることが重要だという、これまた当たり前のことを思い知らされた。

それでは気になった箇所を引用しておきたい。

・長い間にさまざまな経験を経るうちに、心から情熱を捧げられる哲学を築き上げた。それは、「新しいアイデア」を「他者への共感力の向上」に結びつけることである。というのも、アイデアは私の活力源であり、共感は私の基軸だからだ。

・1日中オフィスのパソコンに向かっているだけでは、共感できるリーダーにはなれない。共感能力の高いリーダーになるには、世の中に出て、実際の生活が営まれている場所で消費者に会い、私たちが生み出したテクノロジーが人々の日常生活にどう影響を及ぼしているのかを確かめる必要がある。

・チームを率いる際に、意見の一致を求めるべきか専横的に命令すべきかという選択は間違っている。どんな組織をつくるにしても、まずは、トップダウンでもボトムアップでも進歩や発展を推進していける明確なビジョンや文化を持つべきだ。

・スティーブは私に、本来の自分になれと励ましてくれた。つまりは、ビル・ゲイツら上層部の人間を喜ばせようとするな、ということだ。そして「勇敢であれ、正しくあれ」と言っ

・最初の一年でやろうと思ったこと。(1)わが社のミッション、世界観、ビジネスやイノベーションのアンビション(野心をもって注力する領域)について、定期的にはっきりと伝える。 (2)トップからボトムへ企業文化の変革を推進し、適切な場所に適切なチームを置く。 (3)パイを増やし、顧客を喜ばせられるような、意外性に富む新たなパートナーシップを築く。 (4)次に起こるイノベーションやプラットフォームの変化をいつでもとらえられるようにする。モバイルファースト、クラウドファーストの世界に向けてビジネスチャンスを見直し、切迫感を持って実行を推進する。 (5)時代を超えた価値を支持し、万人のために生産性と経済成長を取り戻す。

・私はCEOになる前からこう決めていた。私たちは、新たなテクノロジーや新たな市場に、積極的かつ集中的に投資を続ける必要がある、と。だがそのためには、三つのCを十分に考慮しなければならない。胸を躍らせるような「構想(concept)」、その実現に必要な「能力(capabilities)」、新たなアイデアやアプローチを受け入れる「文化(culture)」である。

・私が1992年にマイクロソフトに入社した頃は、会社中のエンジニアたちが2冊の未来小説を熱心に読んでいた。1冊は、ニール・スティーヴンスンの『スノウ・クラッシュ』(日暮雅通訳、早川書房、2001年)で、仮想空間や共有空間の集合体を指す「メタバース」という言葉を普及させた。もう1冊は、デイヴィッド・ガランターの『ミラーワールド コンピュータ社会の情報景観』(有沢誠訳、ジャストシステム、1996年)で、現実をデジタル化することでコンピューター処理に革命をもたらし、社会を変革するソフトウェアを予言している。こうしたアイデアは、今や手の届くところにある。




【目次】

1 ハイデラバードからレドモンドへ―マルクスを敬愛する父、サンスクリット学者の母、クリケットのスター選手に感化された少年時代
2 率いる方法を学ぶ―窓(ウィンドウズ)から雲(クラウド)を見る
3 新たなミッション、新たな機運―マイクロソフトの魂を再発見する
4 企業文化のルネサンス―「知ったかぶり」から「学びたがり」に変わろう
5 フレンドか、フレネミーか?―必要になる前にパートナーシップを築く
6 クラウドの先―複合現実、人工知能、量子コンピューター―三つの技術シフト
7 信頼の方程式―デジタル時代の不朽の価値―プライバシー、安全、言論の自由
8 人間とマシンの未来―AIデザインの倫理的フレームワークに向けて
9 万人のための経済成長を取り戻す―グローバル社会における企業の役割

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先に書いた通り、主にAudibleの読書が進んでブログに載せる記事が1日1件では追いつかなくなり、9月限定で1日2件の掲載としてきた。件数は増えたものの1件あたりの情報量が少なく、ややスカスカな状態になってしまっており、量よりも質を目指したいところ。一方で、小説に関しては感じたことを書き留めておくだけでも十分な記憶の補助になるので、感想を書くのにあまり時間をかけすぎないようにもしたい。

10月に入り現時点で書き溜めた記事は10件程度。平常運転に戻ったと言えよう。これから年末に向けては少し仕事が立て込んできそうで、ブログのエントリーが減ってしまうかもしれないが、それも実態。私の場合、ブログのエントリー数が忙しさのバロメーターになっている。

日本への一時帰国時に少しトラブルがあり、ホリデーシーズンに向けての計画があまりできていない。サンクスギビングやクリスマス、年末年始などせっかくの長い休みなので、アメリカ生活を満喫したいものだ。

◇2448 『深夜特急6−南ヨーロッパ・ロンドン』 >沢木耕太郎/新潮文庫

いよいよ旅の終わりが近づいてきた。

アメリカに住みながら日本に一時帰国すると、生まれ故郷なのにアウェイにいるような感じがして妙にふわふわした気分が続いていた。そんな中で、異国を旅する本書をAudibleで聞いていたので、ずっと不思議な感覚だった。

今回はイタリア、スペイン、ポルトガル、フランスと私がいつか行ってみたいと思っている国々を巡る旅路。しかしながら、アジアや中東を貧乏旅行で駆け抜けてきた筆者の感覚からすると、物価が高く人が多く、しかも市内バスしか走っておらず長距離バスが見当たらないという、ちょっと異常な事態。どちらが異常かというのはその人の見方によるのだと再認識した。

それでも人々の親切に助けられながら旅を続ける。印象的だったのはポルトガルの果ての岬サグレスで旅を終わらせようと決意を固めるシーン。1年以上に渡る長い旅路を経て、最後に筆者に残ったものは何だったのだろうか。

本書に出てくる「茶」の理屈が面白い。アジアの国々ではChaやChaiといったCで始める茶を飲む。これがヨーロッパに行くとTeaというTで始まる茶に変わる。この変わり目がアジアとヨーロッパの境目だという話が前巻で紹介されていた。ところが、筆者がたどり着いたポルトガルでは、不思議なことにCで始める茶に戻っているのだ。これはポルトガルが海洋国家で古くから貿易が盛んであった結果であろうか。こういった語源に興味がある私としては、強烈に興味をそそられるエピソードだった。

この歳で貧乏旅行はできないが、ヨーロッパは旅してみたい土地。若い頃はお金がなくてアジア旅行ばかりだったが、物欲も少なくなった今、旅行のような経験を買う趣味を続けていきたいものだ。



あらすじ:イタリアからスペインへと回った“私”は、ポルトガルの果ての岬サグレスで、ようやく「旅の終り」の汐どきを掴まえた。パリで数週間を過ごしたあとロンドンに向かい、日本への電報を打ちに中央郵便局へと出かけるのだが―。Begin on the road―ひとつの旅の終りは、新しい旅の始まりなのかもしれない。旅を愛するすべての人々に贈る、永遠の「旅のバイブル」全6巻、ここに堂々の完結!

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◇2447 『深夜特急5−トルコ・ギリシャ・地中海』 >沢木耕太郎/新潮文庫

トルコとギリシアという、いつかは行ってみたい国々の旅。

トルコとギリシアといえば、歴史と自然が混在する観光地、という印象がある。ギリシアはともかく、トルコについてはタイミングを図らないと治安が心配。旅行するとすれば、ガイド付きのツアーだろうな。

本書を読んでいて思い出したのが村上春樹さんの『雨天炎天』。確か、トルコとギリシアをめぐる旅行記だったと記憶している。本書で沢木さんが経験したのとはまったく趣が異なる旅行記だったが、旅行好きな私としては、一度行ってみたいという思いをさらに掻き立てられる内容だった。

私はヨーロッパにはほとんど行ったことがなく、国々の位置関係もきちんと頭に入っていないのだが、本書を読み、沢木さんがトルコからギリシアに向けて橋を歩いて渡るシーンを読み、そうか、両国は繋がっているんだと認識を新たにした。

今回印象的だったのは、ガイド役を務めてくれた青年に日本円の五円玉を渡すシーン。思い出のためにはコイン一つでよい、という青年の気持ちが素敵だと感じた。

もう1つ、ギリシアでパスポートの増補をしようかと悩むシーンも印象的だった。というのも、私は中国の深圳に駐在していた経験があり、毎週のように中国と香港を行き来していたため、パスポートの押印ページが足りなくなったのだ。

今はどうだか知らないが、当時は往来の都度、入出境のスタンプを押されていた。つまり、深圳と香港を一往復すると、深圳からの出境、香港への入境、香港からの出境、深圳への入境と、4つのスタンプが押されることになる。あっという間にパスポートのページが少なくなり、香港の領事館で増補してもらったことを覚えている。

という訳で、興味深い国々の旅ではあったのだが、筆者も語っている通り、アジアからヨーロッパに入り、貧乏旅行のテイストが薄くなっていく。安い宿と安い食事、安い移動手段を求めて彷徨き回る主人公に不思議な魅力を感じていたため、本来の面白さが薄まってしまったように感じたのだ。

次は最終章。果たしてヨーロッパの旅行記は私を満足させてくれるだろうか。



あらすじ:アンカラで“私”は一人のトルコ人女性を訪ね、東京から預かってきたものを渡すことができた。イスタンブールの街角では熊をけしかけられ、ギリシャの田舎町では路上ですれ違った男にパーティーに誘われて…。ふと気がつくと、あまたの出会いと別れを繰り返した旅も、いつのまにか「壮年期」にさしかかり、“私”はこの旅をいつ、どのように終えればよいのか、考えるようになっていた―。

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◇2446 『深夜特急4−シルクロード』 >沢木耕太郎/新潮文庫

私にとっての未知・未踏の世界ばかり。心踊る第4巻。

今回の旅はインドを出て、パキスタンのペシャワール、アフガニスタンのカブール、そしてイランのテヘランという今ではなかなか行きづらい国々。

旅行にはタイミングというものがあり、ミャンマーが軍事政権から解放された直後に、行ってみたいと思っていたのだが、時機を逸してしまった。今でも行けなくはないのだが、それなりのリスクを伴う地だ。

本書は前巻の終わり間際に、筆者が体調を壊したシーンから始まる。やはり旅にはリスクが伴うのだなと再認識。幸い私は旅行中に大きな病気や怪我にあったことはないが、これから歳を重ねるにつれ、そういったリスクも考慮しておく必要があると思った。

パキスタンでのチキンレースを挑むかのようなバス。アフガニスタンを国家ではなく部族の国、法律ではなく掟の国と喝破。イランでは日本の知人に知恵を絞って辿り着く。さまざまな国でのエピソードが瑞々しく語られている。果たして筆者は日記のようなものをつけていたのだろうか。

一番印象的だったのは旅先の日本人に出会った時に行う本の交換である。海外を旅していると活字に飢えてくるというのは非常に理解できる。今のように電子書籍もなく、バックパッカーとしては数冊を持ち歩くのが精一杯であろう。何度も繰り返し読んだ本を、旅ですれ違った人と交換する。同じ本がシルクロードを行ったり来たりする様を想像し、何だか楽しくなってしまった。



あらすじ:パキスタンの長距離バスは、凄まじかった。道の真ん中を猛スピードで突っ走り、対向車と肝試しのチキン・レースを展開する。そんなクレイジー・エクスプレスで、“私”はシルクロードを一路西へと向かった。カブールではヒッピー宿の客引きをしたり、テヘランではなつかしい人との再会を果たしたり。“私”は冬の訪れを怖れつつ、前へ前へと進むことに快感のようなものを覚えはじめていた―。

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◇2445 『深夜特急3−インド・ネパール』 >沢木耕太郎/新潮文庫

今度の舞台はインド。想像以上だった。

インドは私にとって未踏の国。インドといえば、世界観が変わりめちゃくちゃハマる人と、まったく受け入れられず二度と行きたくないという人に分かれてしまうほど極端な印象を持つ国だ。私は行ったことがないので、何とも言えないが、歳をとってからだと受容できる範囲も狭まっているだろうな。

1970年代の話だから、今よりもずっと貧しかった時代。特に目を覆いたくなったのは、12〜3の少女が今日を生き抜くためにと数ルピーで売春せざるを得ないという環境。現在1ルピーは約20円。10ルピーだと200円ということになる。貧困は諸悪の根源だということを思い知らされた。

筆者はネパールの首都であるカトマンズにも足を運ぶが、天候に恵まれなかったせいもあり、早々にインドに戻ってしまう。行ったことのない身からすると、それほど大きな差があるようには思えないのだが、筆者独特の好みがあるようだ。

今回の目玉は、筆者が病気にかかるシーン。これまでも不衛生な旅を続けてきており、下痢になったりしないのかなと心配していたのだが、本書のラストシーンで発熱するまで、風邪を引いたこともなく下痢に悩まされたこともないとのことだった。バックパッカーにとって健康は何物にも変え難い財産。病気になってしまえば、病院代で貧乏旅行どころではなくなるのだ。

幸いなことにホテルのボーイの好意によって何とか難を逃れたようだ。とはいえ、ちゃんと回復したのかもわからぬまま、第3巻は唐突に終わる。次章へ続くのだ。



あらすじ:風に吹かれ、水に流され、偶然に身をゆだねる旅。そうやって“私”はマレー半島を経て、やっとインドに辿り着いた。カルカッタでは路上で突然物乞いに足首をつかまれ、ブッダガヤでは最下層の子供たちとの共同生活を体験した。ベナレスでは街中で日々演じられる生と死のドラマを眺め続けた。そんな日々を過ごすうちに、“私”は自分の中の何かから一つ、また一つと自由になっていくのだった。

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◇2444 『深夜特急2−香港・マカオ』 >沢木耕太郎/新潮文庫

知識や情報というものは、人生を一変させる力を持っているのだろうと思う。

もし私が本書を高校生の頃に手にしていたなら、バックパッカーとしてアジアの国々などを巡っていたかもしれない。田舎の高校生には海外に出るなどという知識も発想もなく、もっと若いうちに本書を読み、海外を経験しておけばよかったと、ちょっとだけ後悔をしてみたり。

本書の舞台は1970年代初頭。今のようなスマホはおろかインターネットもなく、情報はすべて紙媒体や口コミから得るものであった。不安を抱きながらの恐る恐るの旅。そんな不安にもいつしか慣れていく。そんな筆者の成長ぶりが窺えるのも面白い。

本書を読んでいてふと思い出したのが、電波少年というテレビ番組で放送されていたヒッチハイクの旅。あれこそ、私の青春時代の「深夜特急」ではなかろうか。猿岩石やドロンズというお笑い二人組が、わずかなお金を持ってヒッチハイクで異国を旅する番組だ。毎週夢中になって見ていたのを思い出した。

そうするとだ、書籍とテレビ番組という違いはあれど、私にも海外を旅するという知識はあったことになる。一点異なるのは、テレビ番組の方がいわば罰ゲーム的に旅を強いられていたのに対し、深夜特急は自らが望んで旅立った点であろう。この背景の違いから、海外の旅が自分のものとは思えなかったのかもしれない。

前置きが長くなったが、第2巻ではタイ・バンコク、マレーシアのペナン、そしてシンガポールである。香港からストップオーバー(いわゆる途中下車)でタイに飛び、そこからは鉄道やバスなどの陸路でシンガポールまで向かう。国と国の間を陸路で旅するという発想が私にはなかったのだが、よく考えてみると、シルクロードなど昔は陸路が旅の手段だったのだ。

とにかく金がないため、安宿を探して寝泊まりする。安宿であるが故、そこは連れ込み宿のようなところが多く、現地の生活に密着した様子が描かれている。ペナンでは売春宿をねぐらにし、そこで働く女性やヒモたちと仲良くなる。私にはとてもできそうにない旅だが、筆者自身26歳という若さだからこそ、果敢に挑むことができた旅なのであろう。

そんな筆者はシンガポールのような完成された街を面白くないと感じてしまう。そしてインドへ向かう(次巻に続く)。



あらすじ:香港・マカオに別れを告げてバンコクへと飛んだものの、どこをどう歩いても、バンコクの街も人々も、なぜか自分の中に響いてこない。“私”は香港で感じたあの熱気を期待しながら、鉄道でマレー半島を南下し、一路シンガポールへと向かった。途中、ペナンで娼婦の館に滞在し、女たちの屈託のない陽気さに巻き込まれたり、シンガポールの街をぶらつくうちに“私”はやっと気がつくのだった―。

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【再読】 『深夜特急−香港・マカオ』 >沢木耕太郎/新潮文庫

沢木さんの深夜特急は中国に駐在した経験から、香港・マカオ編である第1巻のみを読んだことがある。今回、Audibleで全6巻がラインナップされているのを知り、聴いてみることに。最初は復習がてら香港・マカオ編。

私の記憶では、香港から国境を越えて深圳を訪問していたと思っていたのだが、どうやらこれは記憶違いであり、国境沿いまでしか行っていない。改めて過去のブログを読み返しても、国境までしか行っていないと書いてある。自分が深圳に住んでいたため、記憶が書き換えられてしまったのだろう。

今回のクライマックスはマカオでの博打であろうか。もともと筆者はギャンブルは全くやらないたちだったのだが、大小を当てるだけの単純な賭けにハマってしまい、大金を失いそうになる。その危うい感覚がヒヤヒヤとさせられ、最後に何とかイーブンに戻した時にはホッと一息ついてしまった。

個人的には香港の描写に懐かしさを覚えた。もう10年近く前のことだが、今でも香港の特に夜の街の一角は、目を閉じれば思い返すことができる。今の香港にあの当時の活気は残っているのだろうか。したたかな香港人のことだから、いくら中国政府の締め付けが厳しかろうとも、生活は大きく変わっていないのかもしれない。

2009年01月07日 0676 『深夜特急−香港・マカオ』

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◇2443 『知らないと恥をかく世界の大問題15−21世紀も「戦争の世紀」となるのか?』 >池上彰/角川新書

シリーズ15冊目。世界情勢のよい復習になる。

シリーズ15冊目といえども、本書を最初に手に取る方もいらっしゃるであろう。恐らく池上さんはそういった初読の方にも分かるよう、そして既刊本を読んだ方にも復習となるよう、基本的な知識を記載されている。

本シリーズは毎年買い足して読破してきた私にとっては、既知の内容も多いのだが、こうやって改めて基本部分を解説いただくと記憶に定着する。私個人として、毎年の終戦記念日に世界情勢のおさらいをしていたのだが、よく考えれば本書を読めばその目的は果たすのであり、今年からやめてしまった。

既知の内容はさておき、本書で改めて勉強になったのはイエメンのこと。今まであまり意識していなかった国であり、予備知識もなかった。重要ポイントを抜粋しておこう。

イエメンは、もともと南北に分かれていました。東西冷戦時代、朝鮮半島が北朝鮮と韓国に、ドイツが西ドイツと東ドイツに分かれていたのと同じです(朝鮮半島は分かれたままですが)。南北というより東西に近いのですが、地図で見ると、西側が北イエメン、東側が南イエメンです。

歴史を遡れば、北イエメンはオスマン帝国の支配下にあり、南イエメンはイギリスが植民地にしていました。南イエメンはイギリスから独立を果たしたとき、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)寄りの社会主義国になります。

結果的に、北はイスラム教の資本主義の国、南はソ連寄りの社会主義の国になるのです。ところがソ連が崩壊し、ドイツと同じように1990年に南北が統一します。

北イエメンのほうが、人口、経済ともに大きく、南イエメンは貧しい国だったのです。統一されたとき、北部はイスラム教ザイード派(シーア派系)に、南部はイスラム教シャーフィイー派(スンニ派系)になりました。シーア派とスンニ派が共存する国になったのです。

1900年代半ば、サウジアラビアで石油が見つかると、サウジアラビアが周りに影響力を広げようと、北イエメンのザイード派がいるところにスンニ派のモスクを建てました。これに対し、シーア派系のザイード派が反発するのです。

サウジアラビアはイスラム教スンニ派の大国です。サウジアラビアに抵抗し、「フーシ派」というのが誕生するのですね。ちなみに「フーシ」というのは不思議な名称ですが、この組織をつくった人の名前です。

サウジアラビアはアメリカと仲が良かったので、アメリカから大量に武器を買っていました。中東で、反米国家といえばイランです。結果的に北イエメンはイランの支援を受けるようになります。アメリカ対イランという図式になります。

最初は宗教的な対立でしたが、そのうちフーシ派は反政府組織になります。

きっかけは「アラブの春」。イエメンでは、2011年のアラブの春によって長期独裁政権が崩壊しました。その後、2015年から、サウジアラビアを後ろ盾にしたハディ政権と、イランの支援を受ける反政府勢力「フーシ派」の間で、内戦となります。イエメン内戦の構図が、スンニ派対シーア派になっていることから、外部の介入を招きます。

フーシ派が首都を制圧すると、サウジアラビア、UAE(アラブ首長国連邦)などが軍事介入し、内戦は泥沼化しました。

現政権の大統領はスンニ派です。同じスンニ派のサウジアラビアと手を組んで、フーシ派の地域を取り戻そうとしているのです。フーシ派は、イランと手を組んで武器を供与してもらう。イエメン内戦は、いわばイランとサウジアラビアの代理戦争です。


その他、本書では国際情勢を学ぶに最適な映画の紹介もされていた。最近、映画を見る機会も多いので、気になったタイトルを備忘のため記録しておきたい。

・映画『スペシャリスト・自覚なき殺戮者』 アイヒマン裁判

・映画『ミュンヘン』 ミュンヘン・オリンピック選手村襲撃事件

・『南海トラフ地震の真実』 >小沢慧一



【目次】

プロローグ 大衝突の時代、再び「戦争の世紀」へ
第1章 「赤いアメリカ」VS.「青いアメリカ」
第2章 終わらない戦争のゆくえ
第3章 ついに火を噴いた「パレスチナ問題」
第4章 中国の失速、習近平の迷走
第5章 地球沸騰化の時代に生きる
第6章 繰り返される「政治とカネ」の問題
エピローグ 2025年は「昭和100年」

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【再読】 『SLAM DUNK−スラムダンク』 >井上雄彦/集英社

懐かしい青春の思い出。

先日視たスラムダンクの映画版がなかなか面白く、久しぶりに読んでみたいと思っていたところ。

一時帰国の帰省時に実家の本棚を探ってみると、昔買い集めた全巻セットが出てきた。第1巻以外は初版本。時差ボケが抜けきっておらず、深夜3時に目が覚めてしまったこともあり、全31巻を一気に読了した。

作者の井上さんが書いていらっしゃるのだが,4ヶ月の出来事を6年かけて描いたそうだ。連載期間は1990年から96年にかけて。私の記憶では、自分が中学生から高校生の頃の連載だと思っていたのだが、これは記憶違いであり、高校生から社会人になった直後までの連載であった。

当時を振り返ると、山王戦終了後の、突然の連載中止にはとても驚いた。今後のライバルと思われる新キャラも登場しており、まだまだこれからだと思っていたのだ。

改めて、ウェブサイトなどで連載満了の記事を探してみると、山王戦以上のものが描けるとは思わなかったという井上さんのコメントが見つかった。当時の週刊ジャンプは、人気作品はダラダラと延命させる傾向にあり、クライマックスでスパッと幕引きしたのは良い判断だったのだろう。

何度も繰り返し読んだからであろう。名シーンの数々は今でも記憶に残っている。三井が「先生バスケがしたいです」と復帰するシーン、花道がリバウンドに開花するシーンやここぞという場面でフェイクを成功させるシーンなど。

映画版を視て流川が山王相手に一人で10点以上追い上げるシーンがあったのではと書いたが、これも私の記憶違いであり、流川の活躍は海南戦でのことであった。

大学生の頃の自分と、今の自分では、大きな違いが生じてしまっている。それを成長と言ってよいのか自信がないところもあるが、あの頃感じた熱量のようなものは、忘れずに持ち続けていたいものである。

好きなものに対して一所懸命打ち込む。そんなシンプルだけど大事なことを思い出させてくれた思い出の作品。

2007年02月21日 0550 『SLAM DUNK−スラムダンク』

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◇2442 『Q』 >呉勝浩/小学館

前半が面白かっただけに、後半の失速が残念。

『爆弾』の何とも言えない気持ち悪さが印象的だったので、同じ筆者の作品を手に取ってみた。

それぞれ母親が違う3姉弟。常軌を逸した父親の元、異常な家庭環境で育った3人。その暗い過去と厳しい現在が行き来する。

前半は文句なしに面白かった。筆者はインタビュー記事で吉田修一さんの『悪人』と、韓国のBTSと大友克洋さんの『AKIRA』をミックスしたイメージを持って書いたそうだ。私の個人的な印象は、現代版の村上龍さんの『コインロッカー・ベイビーズ』だった。

身体能力に長けたキクと音楽の才能に溢れたハシ。今回は3人だが、喧嘩が強く身体能力に優れたハチ(亜八)と、超一級のダンスの才能を持つキュウ(侑九)の関係に似ている。そこに冷静沈着なロク(睦深)が加わり、物語に重厚さを加えている。

この手の物語を収束させるのは難しいのだろうか。前半の盛り上がりが大きければ大きいほど、広げた風呂敷をきちんと畳むのは難しくなるのであろう。

美の種類は一つじゃない。順位はないし、言語化も不可能。あるのは特別かそうじゃないか。



あらすじ:千葉県富津市の清掃会社に勤める町谷亜八(ハチ)は、過去に傷害事件を起こし執行猶予中の身だ。ようやく手に入れた「まっとうな暮らし」からはみ出さぬよう生きている。唯一の愉しみは、祖父の遺したアウディでアクアラインを走ることだった。ある日、血の繋がらない姉・ロクから数年ぶりに連絡が入る。二人の弟、キュウを脅す人物が現れたというのだ。キュウにはダンスの天賦の才があった。彼の未来を守るため、ハチとロクは、かつてある罪を犯していた。折しも、華々しいデビューを飾り、キュウは一気に注目を集め始めたところである。事件が明るみに出ればスキャンダルは避けられない。弟のため、ハチは平穏な日々から一歩を踏み出す。一方、キュウをプロデュースする百瀬は、その才能に惚れ込み、コロナ禍に閉塞する人々を変えるカリスマとして彼を売り出しはじめた。<Q>と名付けられたキュウは、SNSを通じ世界中で拡散され続ける。かつてない大規模ゲリラライブの準備が進む中、<Q>への殺害予告が届く――。抗いようのない現実と、圧倒的な「いま」を描く。世界をアップロードさせる著者渾身の一作。

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備忘のために、VISA更新の手続きを簡単に振り返っておこう。駐在開始時点では、右も左も分からないため、ほとんどが業者任せだったのだが、今回はかなりの部分を自分でこなした。

まず、日本のアメリカ大使館のウェブサイトにアクセスして、必要な情報を記入していく。自分の住所や職歴はもちろんのこと、両親の誕生日まで入力が必要。赴任時に作成した書類を手元に持ってきていたので、そちらのデータを活用することでいちいち調べなくても入力することができた。

入力が完了するとDS-160という書類が発行される。これを印刷して、左上に写真を貼り付ける。面接時に持参が必要だ。

また手続き費用として205ドルをカードで支払い。Payment Acceptance - Receiptが発行されるので、こちらも印刷して持参。

その後、面接の予約を取る。最初は画面の遷移や構成がよくわからず戸惑ったのだが、何度か失敗を繰り返して仕組みが理解できたあとはスムースだった。予約表も念の為印刷しておく。

これらの書類に加えて移民弁護士が作成してくれた申請書を準備。念の為、Job Discriptionを手元にもっておき、自分の職務を説明できるようにしておく。

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さて、面接を受けた話は先日のブログに書いた通りだが、思わず時間がかかってしまった。こちらのサイトで進捗状況が確認できるのだが、通常面接が無事終了すると「Approval」という状態になる。その後1週間ほどで、これが「Issued」に切り替わり、VISAを取りに行くか郵送してもらうという手続きになる。

しかしながら、1週間経ってもステータスが変わらないため、Webサイトの質問コーナーに状況を聞いてみると、通常は15日以内に完了するため、15日を経過しないと個別質問には回答できないとのこと。

まだかまだかと毎日ステータスを確認するも、ずっと「Approved」のまま。結局15日が経過してしまったので、改めて個別問い合わせを行うと、「on going」というそっけない回答。まぁRejectされていないだけましといえようか。

さらに数日経過したのち、ステータスが「Administrative Processing」という状況に変わってしまった。移民弁護士に問い合わせると、何らかの確認が行われているとのことで、a few days or several weeks、つまり数日から数週間かかるとの回答。いったいいつまで待てばよいのやら。

ちょっと不安になったので「Administrative Processing」についてWebで調べてみると、例えば過去に犯罪歴があった人などがひっかかるものらしい。犯罪などに関与していない限り、このステータスに変わってから1週間程度、犯罪歴がある人はまさに「数週間」かけて精査されるとのこと。

結果として、数日後には再度「Approved」に戻ったので一安心。ここまで来たら待つしかないと腹を括ったところ、ようやく「Issued」となった。

もともと郵送でお願いしていたのだが、受け取りに行った方が早いかもしれないとアドバイスを受けるも、受領するにもアポイントがいるとのこと。途中で方法を変更して、また余計な時間がかかるのも嫌だったので、おとなしく郵送を待つことにした。郵便の発送状況も逐一トラッキングし、VISAが貼付されたパスポートを無事にホテルに届けてもらった時は、思わず小さくガッツポーズ。

◇2441 『春の怖いもの』 >川上未映子/新潮社

コロナ禍の日常を切り取った短編集。

中には超短編もあり、感想が書きづらい。中編の3作だけを取り上げることにする。

『あなたの鼻がもう少し高ければ』は、整形のためのお金を稼ごうとオーディションに向かう女性の話。整形してから出直してこいと追い出されてしまうのだが、お金を稼ぐために綺麗な容姿を手に入れたいという女性と、綺麗な容姿でないと稼げないという現実。鶏が先か卵が先か。

ルッキズムを強烈に批判した作品であろうか。

『ブルーインク』は、あまり感情を表さない女友達(まだ彼女ではない)からもらった、ブルーの万年筆で書いた手紙(というより物語?)を少年が無くしてしまう話。

女の子のふわふわした感じが非日常的でちょっと背筋がぞくっとする物語。筆者自身がこんな女の子だったのだろうか?

『娘について』は、恵まれない家庭に育ち小説で身を立てようとする女性と、裕福な家庭に育ちハングリー精神もなく女優を目指そうというその友人の話。

なんの努力もしていない友人を、最初は受け入れつつも、徐々に腹立ちの対象となり、嫉妬の対象へと変わり、最後にはその彼女を陥れようとする。

主人公の心の変遷が怖い。誰もが持つであろう嫉妬という感情を、うまく表現している。その嫉妬に自分も気づいているが故に、取り繕ってしまう。

短編だけに登場人物の数は少ないのだが、短い物語ながら忘れ難い人物たちが紙面を闊歩する。それぞれの作品が人間の心理を抉っており、読んでいて爽快感はないのだが、なぜか川上未映子さんの作品は手に取ってしまうのだ。



あらすじ:ギャラ飲み志願の女性、深夜の学校へ忍び込む高校生、寝たきりのベッドで人生を振り返る老女、親友をひそかに裏切りつづけた作家…かれらの前で世界は冷たく変貌しはじめる。これがただの悪夢ならば、目をさませば済むことなのに。感染症が爆発的流行を起こす直前、東京で6人の男女が体験する、甘美きわまる地獄めぐり。

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浜離宮に続き、海外にいるからこそ足を運んでみようと思った場所が皇居である。

私個人は天皇陛下に対してはごく通常の尊敬の念を抱いており、過度に思い入れがある訳でもなく、かといってアンチでもない。よって皇居を訪れたのにも特段の意味はなく、東京に住んでた経験がありながら一度も足を運んだことがないというのは日本人として如何なものかと思い、行ってみたのだ。

観光客のほとんどは外国人。確かに、日本という国を感じるには格好の場所だし、無料というのもありがたい。当然ながら皇居の中では天皇陛下が居住されており、入り口は警官による警護がなされていた。

残暑が残る東京。夕方の少し涼しくなった時間帯を狙って散歩したのだが、思った以上に広く、ちょっと汗ばんでしまった。

最近、気持ちも少し疲れているのだろう、ちょっとしたことで、なんだか涙が出そうになることがある。かといって泣けないのが余計に辛いのだが。

この日も皇居を見ながら、自分は何をしているんだろうと目の奥が熱くなった。この思いは一体何なんだろうか。

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◇2440 『サムのこと・猿に会う』 >西加奈子/小学館文庫

日常の一面を切り取ったようでいて、ちょっと不思議な物語。

就職せず、実家暮らしの女子3人組。いわゆるパラサイト状態だが、それが気楽だと、変える気はないらしい。

3人で占い喫茶に行ったり、日光東照宮へ観光に行ったりと、気ままな日々。

そんな気ままな日々の中、西加奈子さんの視点は、普通であれば見過ごすであろう小さな出来事を、するどく掬い上げ物語に変えていく。

というのは私の想像で、これらの物語はフィクションだから、そもそもなんらかのきっかけでこの小説が生まれたとしても、事実とは関係ないであろう。

見ざる言わざる聞かざる、が3人のそれぞれの欠点を言い表している、という伏線の回収は絶妙。

すうーっと耳を流れていく物語が心地よかった。



あらすじ:そぼ降る雨のなか、様々なことが定まらない二十代男女5人が、突然の死を迎えた仲間の通夜に向かうところから始まる『サムのこと』。二十代半ばの、少し端っこを生きている仲良し女子3人組が温泉旅行で、「あるもの」に辿り着くまでを描いた『猿に会う』。小説家志望の野球部の友人と、なぜか太宰治の生家を訪ねることになった高校生男子が、そのまま足を伸ばした竜飛岬で、静かに佇む女性に出会う『泣く女』。人生の踊り場のようなふとした隙間に訪れる、「何かが動く」瞬間を捉えた初期3作を新たに編んだ短編集。

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今回の一時帰国ではVISA発給のタイミングの関係で、週末を跨いで日本に滞在。土曜日はホテルで溜まっていたメールを処理したり、溜まっていた衣類の洗濯をしたりで、時間が潰れたのだが、日曜日にはやることがなくなってしまった。

せっかく東京にいるのでと、浜松町にある浜離宮と旧芝離宮を訪れてみることにした。こういった地元の名所というのは、いつでも行けると思って行けていないことが多い。浜松町駅など、日本にいる時には何度も通過していたし、下車したことも十数回あったと思うが、これらの離宮は素通りしてしまっていた。

わざわざ帰国中に行かなくても、帰任してから行けば良いのではとも思ったのだが、帰任したらしたで、またいつでも行けるからと先延ばしにしそうであり、海外にいる今だからこそ日本の良いところを見ておこうと一念発起した次第。

まず訪れたのが、浜離宮の方。正確には浜離宮恩賜庭園というらしい。300円の入場料を支払って一歩足を踏み入れると、大都会の中に緑が佇む静謐で不思議な空間だった。

日本庭園の向こうにビル群が見えるという不思議な光景。中国の深圳に駐在していた頃、都心のゴルフ場からビル群が見えたことを思い出す。

中は意外と広く、歩き回っていると、9月に入ったとはいえまだまだ蒸し暑い日本の気候に少々バテてしまった。

それでも美しい緑と、あちこちに配置された池を見ていると心が和む。自分はやはり日本人なのだな、などと感傷に浸ってしまう。

それにしても、訪れている観光客の8割は外国人だった。日本人がわざわざ訪れる必要はない(現に私も以前はそうだった)と思うのかもしれないが、都心で300円という料金で気持ちをリフレッシュできるのだから、リーズナブルなスポットである。

その後、旧芝離宮まで足を伸ばす。こちらは浜松町駅に直結しているといってもよいくらいの一等地に所在している。浜離宮に比べるとこぢんまりとした庭園で、さほど時間をかけずにぐるりと回ることができた。

暑い中を歩き回って流石に疲れたので、園内のベンチで一休み。日陰に入り、そよ風を浴びていると、ほっと一息つきたくなる気持ちに浸ることができた。

喉が渇いたので、帰りに喫茶店にでも寄ろうかと思っていたのだが、混み合っていたり、今ひとつ好みの雰囲気ではなかったりして、結局ホテルまで辿り着いてしまった。

部屋に入り、昨夜、買い置きをしていたビールで喉を癒す。カラカラの喉には生ビールよりもうまく感じた。ほろ酔い加減で、休日の昼寝。至福の時間。

【浜離宮】
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【旧芝離宮】
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