中国共産党の習近平総書記は10月23日に新指導部を発足させた。23日の重要会議、中央委員会第1回全体会議(1中全会)で党高官の人事を決めた。22日閉幕した党大会で選出された約200人の中央委員が24人の政治局員(指導部)と7人の政治局常務委員(最高指導部)をそれぞれ選んだ。
習近平(Xi Jinping、69)党総書記
李強(Li Qiang、63)首相※
趙楽際(Zhao leji、65)全国人民代表大会常務委員長※
王滬寧氏(Wang Huning、67)全国政治協商会議主席※
蔡奇(Cai Qi、66)党中央書記処書記
丁薛祥(Ding Xuexiang、60)筆頭副首相※
李希(Li Xi、66)党中央規律検査委員会書記
※は候補・見通し
共産主義青年団(共青団)出身の胡春華副首相は政治局員から外れ、ただの中央委員になった。胡氏は首相候補だったが異例の「降格」といえる。個人的な予想では胡春華が最高指導部入りしてバランスを取るのかと思いきや、まさかの降格。結果として最高指導部は習派一色となった。
それにしても、前国家主席の胡錦濤(フー・ジンタオ)氏が退席を迫られたシーンには驚いた。外国のテレビカメラが入場を許されたタイミングで起こったとのことだが、これは胡錦濤氏のささやかな抵抗だったのだろうか。
ロシアではプーチンの独裁が進み、誰も暴走が止められない状態になっている。その結果がウクライナ侵攻である。習近平への権力一極集中は、台湾侵攻という同じ末路を辿りそうで非常に恐ろしい。
一方で、中国の経済に陰りが出てきており、先行きに不安も感じる。中国では易姓革命といって人民の心が離れると王朝を交代させてもよいという思想がある。天子の徳がなくなれば天命が別の姓の天子に改まり変わるという中国の政治思想だ。今の中国共産党を1つの王朝に見立てれば、あり得なくはない。歴史は韻を踏む。
経済の翳りに関しては、海外のマーケットも反応しているようだ。習氏はトップ24人までも取り巻きで構成し、経済政策や金融実務を取り仕切れる専門家を追いやった。これ伴い人民元安が加速したり、米国に上場しているアリババの株価が急落したりしている。
また、中国の景気減速は短期的には「ゼロコロナ政策」の影響を受けているが、長期では人口減のほうが強く作用する。一人っ子政策の反動で人口減が日本よりも加速するとの予想が出ているが、一人っ子政策を撤廃しても人口は簡単には増えない。
その一つの足枷が教育費の高騰だと言われており、これに対すべく塾の廃止など教育産業の過熱に歯止めをかけようとしている。しかしながら国が長期的発展をしていくにあたって、教育に金をかけないというのは時代に逆行しないだろうか。
小平が唱えた「先富論」から習近平の「共同富裕」に舵を切ったわけだが、学習塾の非営利化など教育産業への規制強化は「公平性の維持」にも繋がるという。教育格差が貧富の格差を生むという理屈であり、その側面だけを捉えれば間違っているとは言えないのだが。。。
同じような動きがIT業界でも起こっている。アリババのジャック・マー氏の拘束は有名な話だが、ここにも共同富裕の思想が透けて見える。もっと言うと、習近平よりも影響力を持つものが民間に現れてはいけないというシグナルでもある。
結果としてIT業界に対してかなりの規制がなされることになったわけだが、これによってこれまで富を得ることを一つの目的としていた中国の起業家たちの意欲は大きく削がれることになるだろう。
教育とITという、将来の経済に必要な牽引力を同時に規制して抑えつけてしまう。さらには人口減、高齢化による労働力の減が迫っており、中国は本当に国力を保っていけるのかという疑問が去来する。
現実問題として、大規模ロックダウンの影響もあり、中国の経済にはブレーキがかかっている。党大会前に発表されるはずだったGDPの実績は、発表が延期された。(それでもちゃんと延期したところはえらい、昔の中国だったら平気で数字を捏造しただろうという識者のコメントには笑ってしまった)
これまでの中国は、毛沢東時代の文化大革命の轍を踏まぬよう、集団指導体制を維持してきた。しかしながら習近平に権力が一極集中することで、誰も習に逆らえない、物申すことができない状況に陥ってしまう。
今回の規約改正の焦点となっていたのが、習氏の権威を高め党員に忠誠を事実上義務付ける「二つの確立」だ。習氏の党の核心としての地位と、習氏の政治思想の指導的地位を確固たるものにする意味が込められている。党規約に明記されることが有力視されていたが見送られた。
「二つの確立」と対をなすスローガン「二つの擁護」は明記された。習氏の党の核心としての地位と、習氏を中心とする党中央の権威を守るものだ。双方の意味は近いが、習氏の政治思想に触れていない点が異なる。
習氏の政治思想を示す「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」を「習近平思想」に縮めて「毛沢東思想」と同格にする案も取り沙汰されたが、実現しなかった。
毛沢東に使われた「領袖」の呼称や、毛が死去するまで手放さなかった当時の党の最高位のポスト「党主席」の復活も見送られた。共通するのは、個人崇拝の復活につながりかねないと党内で懸念がくすぶっていた点だ。
これらは前述の胡錦濤氏ほか、長老たちが反対した結果だとも言われている。個人崇拝の復活を阻止する代わりに、人事では習近平の意見を通したというのが一般的な見方だ。
若い人たちの間では「中国の西朝鮮化」という言葉が流行っているらしい。一党独裁ではなく、一人の個人による独裁。その弊害がいかに大きいかは歴史を見れば明らかである。
習近平(Xi Jinping、69)党総書記
李強(Li Qiang、63)首相※
趙楽際(Zhao leji、65)全国人民代表大会常務委員長※
王滬寧氏(Wang Huning、67)全国政治協商会議主席※
蔡奇(Cai Qi、66)党中央書記処書記
丁薛祥(Ding Xuexiang、60)筆頭副首相※
李希(Li Xi、66)党中央規律検査委員会書記
※は候補・見通し
共産主義青年団(共青団)出身の胡春華副首相は政治局員から外れ、ただの中央委員になった。胡氏は首相候補だったが異例の「降格」といえる。個人的な予想では胡春華が最高指導部入りしてバランスを取るのかと思いきや、まさかの降格。結果として最高指導部は習派一色となった。
それにしても、前国家主席の胡錦濤(フー・ジンタオ)氏が退席を迫られたシーンには驚いた。外国のテレビカメラが入場を許されたタイミングで起こったとのことだが、これは胡錦濤氏のささやかな抵抗だったのだろうか。
ロシアではプーチンの独裁が進み、誰も暴走が止められない状態になっている。その結果がウクライナ侵攻である。習近平への権力一極集中は、台湾侵攻という同じ末路を辿りそうで非常に恐ろしい。
一方で、中国の経済に陰りが出てきており、先行きに不安も感じる。中国では易姓革命といって人民の心が離れると王朝を交代させてもよいという思想がある。天子の徳がなくなれば天命が別の姓の天子に改まり変わるという中国の政治思想だ。今の中国共産党を1つの王朝に見立てれば、あり得なくはない。歴史は韻を踏む。
経済の翳りに関しては、海外のマーケットも反応しているようだ。習氏はトップ24人までも取り巻きで構成し、経済政策や金融実務を取り仕切れる専門家を追いやった。これ伴い人民元安が加速したり、米国に上場しているアリババの株価が急落したりしている。
また、中国の景気減速は短期的には「ゼロコロナ政策」の影響を受けているが、長期では人口減のほうが強く作用する。一人っ子政策の反動で人口減が日本よりも加速するとの予想が出ているが、一人っ子政策を撤廃しても人口は簡単には増えない。
その一つの足枷が教育費の高騰だと言われており、これに対すべく塾の廃止など教育産業の過熱に歯止めをかけようとしている。しかしながら国が長期的発展をしていくにあたって、教育に金をかけないというのは時代に逆行しないだろうか。
小平が唱えた「先富論」から習近平の「共同富裕」に舵を切ったわけだが、学習塾の非営利化など教育産業への規制強化は「公平性の維持」にも繋がるという。教育格差が貧富の格差を生むという理屈であり、その側面だけを捉えれば間違っているとは言えないのだが。。。
同じような動きがIT業界でも起こっている。アリババのジャック・マー氏の拘束は有名な話だが、ここにも共同富裕の思想が透けて見える。もっと言うと、習近平よりも影響力を持つものが民間に現れてはいけないというシグナルでもある。
結果としてIT業界に対してかなりの規制がなされることになったわけだが、これによってこれまで富を得ることを一つの目的としていた中国の起業家たちの意欲は大きく削がれることになるだろう。
教育とITという、将来の経済に必要な牽引力を同時に規制して抑えつけてしまう。さらには人口減、高齢化による労働力の減が迫っており、中国は本当に国力を保っていけるのかという疑問が去来する。
現実問題として、大規模ロックダウンの影響もあり、中国の経済にはブレーキがかかっている。党大会前に発表されるはずだったGDPの実績は、発表が延期された。(それでもちゃんと延期したところはえらい、昔の中国だったら平気で数字を捏造しただろうという識者のコメントには笑ってしまった)
これまでの中国は、毛沢東時代の文化大革命の轍を踏まぬよう、集団指導体制を維持してきた。しかしながら習近平に権力が一極集中することで、誰も習に逆らえない、物申すことができない状況に陥ってしまう。
今回の規約改正の焦点となっていたのが、習氏の権威を高め党員に忠誠を事実上義務付ける「二つの確立」だ。習氏の党の核心としての地位と、習氏の政治思想の指導的地位を確固たるものにする意味が込められている。党規約に明記されることが有力視されていたが見送られた。
「二つの確立」と対をなすスローガン「二つの擁護」は明記された。習氏の党の核心としての地位と、習氏を中心とする党中央の権威を守るものだ。双方の意味は近いが、習氏の政治思想に触れていない点が異なる。
習氏の政治思想を示す「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」を「習近平思想」に縮めて「毛沢東思想」と同格にする案も取り沙汰されたが、実現しなかった。
毛沢東に使われた「領袖」の呼称や、毛が死去するまで手放さなかった当時の党の最高位のポスト「党主席」の復活も見送られた。共通するのは、個人崇拝の復活につながりかねないと党内で懸念がくすぶっていた点だ。
これらは前述の胡錦濤氏ほか、長老たちが反対した結果だとも言われている。個人崇拝の復活を阻止する代わりに、人事では習近平の意見を通したというのが一般的な見方だ。
若い人たちの間では「中国の西朝鮮化」という言葉が流行っているらしい。一党独裁ではなく、一人の個人による独裁。その弊害がいかに大きいかは歴史を見れば明らかである。