2016年10月01日
妄想のフェミナチブートキャンプ
引き続きこの話題です。
映画広報を擁護する人の意見を見てると、「女性観」の問題ってほんとに根深いなーと思って。
あ、この記事はこのブログのいつものノリで書きます。
前回の記事で「「フェミ」寄り映画を「ゆるふわピンク」で広報すること」と「その広報を擁護すること」を批判したわけだけれど、あたし自身は「作品のテーマ性を殺さない程度ならマイルドにするのはなしじゃない」くらいには思ってる。前の記事でもちらっと書いたけどね。
…現実的には、「もうちょっとなんかあるだろ」感ある広報に溢れているわけだけど。
「フェミ」的メッセージの上にそこまで「ゆるふわピンク」のペンキ厚塗りしなくていいだろ、ってことになってるわけだけど!
前回の記事で書いたように、「一般的な女性」だって、「フェミ」的な気持ちというか、性差別に腹を立てたり、げんなりしたり、傷ついたりっていうことは大なり小なり経験してるはずなんだよね。
だから、フェミ的なメッセージが全部拒否反応、ってことはないはずなんだ。
でも、「フェミ」対象の広告はもちろん、「一般的な女性」の性差別に対する怒りや傷つきに対する訴えかけの広告も、商業ラインのはほとんどない。あったら、「messy」が苦労してない。
そういう流れの中でふと思ったんだけど…「フェミ」は、消費社会の中にはいないと思われてるんだろうか?
何かこう、昔の「山岳ベース」よろしく社会から隔絶して、妄想上の「原始共産制」よろしく自給自足で色んなものを賄って、「ポルポト」よろしく「笑っても泣いてもいけない」みたいな規律で自らを縛っている存在だと思われてない?
現実的には、フェミニズムはあちこちの人文・社会科学分野に影響を与えてるし、その分野で曲がりなりにも職を得ている高学歴女性もいるし、そこまでいかなくても「フェミ」になれる人って文化資本厚めの女性が多いよね。
そして、そういう文化の影響は、資本主義の高度化と相まって「一般的な女性」にも影響を与えてる。
現実の女性は、「非フェミ」と「フェミナチ」に二分出来るほど単純な存在じゃない。
女性向け文化にしたって、「ピンク」か「非ピンクか」じゃ雑過ぎるし、その上後者を切り捨てたらパイなんて小さくなるに決まってる。
映画業界、もっと言えばその広報担当の皆さん、自分達で自分の首締めてませんかね。
映画広報を擁護する人の意見を見てると、「女性観」の問題ってほんとに根深いなーと思って。
あ、この記事はこのブログのいつものノリで書きます。
前回の記事で「「フェミ」寄り映画を「ゆるふわピンク」で広報すること」と「その広報を擁護すること」を批判したわけだけれど、あたし自身は「作品のテーマ性を殺さない程度ならマイルドにするのはなしじゃない」くらいには思ってる。前の記事でもちらっと書いたけどね。
…現実的には、「もうちょっとなんかあるだろ」感ある広報に溢れているわけだけど。
「フェミ」的メッセージの上にそこまで「ゆるふわピンク」のペンキ厚塗りしなくていいだろ、ってことになってるわけだけど!
前回の記事で書いたように、「一般的な女性」だって、「フェミ」的な気持ちというか、性差別に腹を立てたり、げんなりしたり、傷ついたりっていうことは大なり小なり経験してるはずなんだよね。
だから、フェミ的なメッセージが全部拒否反応、ってことはないはずなんだ。
でも、「フェミ」対象の広告はもちろん、「一般的な女性」の性差別に対する怒りや傷つきに対する訴えかけの広告も、商業ラインのはほとんどない。あったら、「messy」が苦労してない。
そういう流れの中でふと思ったんだけど…「フェミ」は、消費社会の中にはいないと思われてるんだろうか?
何かこう、昔の「山岳ベース」よろしく社会から隔絶して、妄想上の「原始共産制」よろしく自給自足で色んなものを賄って、「ポルポト」よろしく「笑っても泣いてもいけない」みたいな規律で自らを縛っている存在だと思われてない?
現実的には、フェミニズムはあちこちの人文・社会科学分野に影響を与えてるし、その分野で曲がりなりにも職を得ている高学歴女性もいるし、そこまでいかなくても「フェミ」になれる人って文化資本厚めの女性が多いよね。
そして、そういう文化の影響は、資本主義の高度化と相まって「一般的な女性」にも影響を与えてる。
現実の女性は、「非フェミ」と「フェミナチ」に二分出来るほど単純な存在じゃない。
女性向け文化にしたって、「ピンク」か「非ピンクか」じゃ雑過ぎるし、その上後者を切り捨てたらパイなんて小さくなるに決まってる。
映画業界、もっと言えばその広報担当の皆さん、自分達で自分の首締めてませんかね。