出血のメカニズムを学ぶ点で、引っかかっている部分があります。肝不蔵血証で述べられるところの疏泄太過です。肝不蔵血証とは、出血を主症状とする肝の病態の一つです。この病態の中に疏泄太過があり、これは出血の原因となるとされますが、概念がイメージしにくいと感じました。文献を調べても説明が断片的です。疏泄太過は疏泄しすぎという意味なのに、なぜ病証に頭痛などといった「不通」の要素が含まれるのでしょうか。

成書による肝不蔵血証
まず、肝不蔵血証について、「中医弁証学」(東洋学術出版社)を見ていきます。

【主な症状】
口・鼻・子宮からの出血。目の充血。易怒。

【他の症状】
急躁。顔面紅潮。頭痛。便秘。胸肋痛とともに出血する。急激に出血する。紅舌。弦脈。症状は肝鬱・肝火・肝陽・気逆によるもの。

【解析】
肝気が疏泄太過となり、血随気逆によって出血する。喀血・吐血・鼻血・子宮不正出血。
肝火上逆犯肺すると喀血。
肝気横逆犯胃すると吐血。
気が上逆し血がそれに随うと鼻血・子宮不正出血。

中医学基礎の内容と合わせてみていきます。

基礎用語のおさらい
疏泄とは
①気・血を流暢にめぐらせる。
②精神を流暢にさわやかに働かせる。
③飲食による消化・吸収・栄養の流通また水分代謝、胃腸の蠕動運動を流暢に働かせる。
④月経・射精を流暢に機能させる。
以上が正常な疏泄である。肝の疏泄機能は、肝の作用である主昇・主動として現れる。このような働きは蔵血という機能に支えられている。

蔵血とは
休息時に肝に血をしまい込み、活動時に筋肉などに血を到達させる機能が蔵血である。これは肝の血の量に余裕があるからできることで、血の潤いにより肝は柔軟になり疏泄もスムーズで爽やかなものとなる。疏泄が正常だと、血の出入りも滑らかとなり、蔵血が正常に行われる。疏泄と蔵血は持ちつ持たれつの関係にある。

疏泄の異常
●疏泄異常は、疏泄不及と疏泄太過に分けられる。
●肝気鬱結は肝の疏泄不及であり、肝気抑鬱である。
●怒り過ぎると肝を傷り、疏泄太過となる。
●肝気上逆(肺を犯す)・肝気横逆(脾を犯す)は疏泄太過であり、肝気過旺である。
●疏泄不及
 メンタル…精神抑うつ・喜ばない・憂愁にとざされる・思い悩む。
 フィジカル…記載なし。
 セクシャル…性欲低下・勃起力減弱・精液量減少・不妊。
●疏泄太過
 メンタル…怒りやすい。性急。
 フィジカル…頭痛・顔色や目が赤い・出血・月経過多。
 セクシャル…性欲亢進・勃起力増強・夢精。

蔵血の異常

●肝の蔵血作用は、肝気が上逆しないように肝血で引き留める作用も兼ねている。不蔵血になると肝血が不足し、肝気有余となり疏泄太過となり、肝陽が昇る。結果として肝気上逆・肝陽上亢・肝風内動・出血がおこる。
●肝の蔵血機能に障害が出ると、①血液虧虚、②血液妄行 が起こる。

だいたい、以上です。このようにまとめてみて、気づいた点があります。

肝不蔵血証の考察
肝不蔵血と疏泄太過は、原因と結果…つまり標本関係にあって、診断や治療は標を中心とするか本を中心とするかによってスコープされる部分が異なってくる。陰虚陽亢で本である陰虚を治療するか標である陽亢を治療するかという問題にかなり近いです。

また、不蔵血は肝気・肝火・肝陽によって起こることが分かります。

血は、気の推動機能と温煦機能によって動いています。推動は文字通り動かす力。温煦は推動をサポートします。

この推動とタッグを組むのが肝です。肝は「けいれん…東洋医学から見た6つの原因と治療法」で詳しくご説明した通り、陽動的な強い力を深く秘める機能です。陽の本質は動です。また陽は熱を帯びやすく、熱は上に昇る力があります。ゆえに肝は生理的に「動く力」あるいは「上に昇る力」を持ち、それを制御しつつ必要なパワーを考慮して出します。

この制御する力は陰であり、肝血です。肝血が弱ると肝気を制御できず、肝気が暴発します。また、怒りなどで肝気が強くなりすぎるても肝血が弱くなり、肝気が暴発します。暴発するのは、動く力と上に昇る力です。

動く力が過度になると、血を動うごかす力が過度になり、動く力が過度となった血は血管の中でおとなしくできず外に飛び出し出血となります。上に昇る力が過度になると、人体の上部の竅(あな)から出血します。しかし、子宮からの出血は下部ですね。赤ちゃんは子宮の中で頭を下にして生まれてきます。つまり、東洋医学的空間論では、子宮は子宮口の方向が上と考えることができます。

肝気が強くなりすぎて暴発する際、肝気が鬱結して熱を帯びることがあります。肝不蔵血証の特徴は熱が強いことです。熱が強いと出血につながります。そもそも血は程よい熱(温煦機能)によって動くものであり、血は熱の通り道をたどるように動く性質があります。もし激しい熱が脈管の周囲や内部にあると、血が脈管を越えて動き、外に出てしまう…これを動血といったり妄行といったりします。

例えば、怒気によって肝鬱気滞が起こったとします。この時点で疏泄不及、疏泄できないとスムーズな蔵血ができなくなり、肝血不足が起こります。今度はその気滞が高じて化火し肝火上炎となったとします。このとき、熱によってますます肝陰や肝血を損ないます。肝陰を損なうと熱を制御できず、肝血を損なうと肝気上逆を制御できません。こうして肝気・肝陽が暴発して疏泄太過となり、激しく上に昇ります。上に昇ると肝に血が戻れなくなり、肝の血はますます枯れ、ますます血が肝に戻れなくなり、上部で出血します。このように血の状況次第で疏泄不及が太過に転化することが分かります。

かなり勉強になりました。しかし矛盾点もあると思います。

疏泄太過の矛盾点
疏泄太過の特徴は怒りやすいことです。疏泄太過の典型例である肝火上炎の特徴も怒りやすいことです。では疏泄不及で起こる肝気鬱滞は? これもご存知のようにイライラがあります。たしかに怒気の程度は肝火>肝鬱 かもしれませんが、抑うつされたイライラはむしろ肝鬱>肝火 です。太過不及という陰陽の分類で、上記のように太過はイライラ、不及はクヨクヨになっています。陰陽なので当然なのですが、不及の代表選手であるはずの肝鬱の病証とはなじみません。そもそもクヨクヨは心の病証もしくは肝気虚です。当然、疏泄不及のなかに肝気虚も含まれはするでしょうが、はるかにオーソドックスであるはずの肝鬱気滞の位置づけが適当ではありません。

もっとも混乱させるのが、疏泄太過であるはずの肝不蔵血証の症状に痛みがあることです。痛みは不通則痛であるはずで、普通は疏泄太過ではなく疏泄不及です。疏泄太過…つまり疏泄が出来過ぎているのであれば通則不痛のはずです。肝という機能の立体的な理解の難しさを感じないでしょうか。

この疑問を僕流に解いてみたいと思います。

前に進むのが人生
掘り下げて考えます。疏泄という言葉の根本は、気です。前に進む力、これが気の本質であり、同時に疏泄も含まれます。両足で立って歩いたり行動したりする、フィジカルの側面から見た前に進む力です。また、積極的に前向きに考える、メンタルの側面から見た前に進む力です。こう考えると、人間は生まれた瞬間から前に進もうとしていて、それは最期の瞬間まで続くと言えます。

完璧な人間などどこにもいません。というより、完璧な人間はこの世に用がないので生まれてこない…なんていう人もいます。不完全で生まれてきた人間が、この世で苦労辛酸を味わい、そこから色んなことを学び悟り、より完全に近づこうとする姿こそ人生のあるべき姿であり、それが自然であり、健康であると言えます。

気の力によって前に進む。その道が常に正しければ、つまずくことなく、まっすぐに何の苦労もなしに生きることができるでしょう。しかし、それは先ほど言うように本来の人生の姿ではありません。人が生きている限り、必ず壁に突き当たります。

人生の壁
その壁を前に、どう考えるか。「ああ、自分は進むべき方向をいつしか誤った。もう一度やり直し、正しい道をさがそう」と考える人。また、「なぜこんなところに壁があるんだろう。ああ、いやだ、ああ、苦しい。」と立ち止まる人。「自分の進む道は間違っていない。だが壁が邪魔なので、これから逃げて脇道にそれよう。」と考える人。いろいろあります。

人生の壁は、より良い道に進むためのキッカケともなります。だから「若いときの苦労は買ってでもしろ」とか「かわいい子には旅をさせよ」とか言われるのです。ただし壁は、より誤った道に進むきっかけともなります。より正しく、より成長することが人生の目的です。正しい道が「陽」とするならば、誤った道は「陰」となり、苦しむ姿は「境界」と言えます。

疏泄太過の図


壁にぶつかり動けないでいると滞りが生まれます。滞りが久しく続くと摩擦で熱を帯びることもあります。これが気滞(肝鬱気滞)や邪熱(肝火上炎)と言われるものです。疏泄ができないことによるものです。

正しい肝気・誤った肝気
疏泄についてもう少し踏み込みましょう。正しい道は正しい疏泄(正しい肝気)となります。誤った道は誤った疏泄(誤った肝気)となります。どちらも壁がないので疏泄し進むことができるのです。

ご存知の通り、肝は将軍に例えられます。この将軍は、あくまでも心優しく民のことを思いやり、忠義に厚く君主を尊敬する将軍です。これが正常な肝気です。この将軍が狂気となるとどうでしょう。自らが持つ風雷にもたとえられるようなパワーを、謀慮(深謀熟慮)なく乱射することになります。これが誤った肝気です。

疏泄太過と不及は同時に存在
誤った道を歩んでしまうのは壁があったからで、誤った道には壁はありません。つまり、疏泄太過となるのは気滞(邪熱)があるからで、疏泄太過となれば気滞(疏泄不及)はありません。これが基本ですが、厳密には完ぺきな誤った道などありません。

誤った道を歩んでいると、いずれそこが境界となって壁が生まれ、より誤った道とより正しい道が生まれます。そこでより誤った道を選択してもまたそこが境界となり壁が生まれます。もしそれを繰り返せば、誤った道にありながらも壁にぶつかっては気滞化火をおこし、あらぬ方向に邪熱を導いてしまう…これが肝火上炎で出血するパターンだと思います。

つまり、疏泄太過はありながらも疏泄不利(気滞)もある状態もあるということです。これが肝気上逆や肝火上炎が疏泄太過だと言われながらも気滞を示す症状を伴う理由となります。邪熱は気滞から生じるので、純粋な疏泄太過は邪熱でも気滞でもありません。ただし、陽的な状態ということは言えます。

進むべき道
さきほど完璧な敬った道はないと言いました。その逆もまた然りです。完璧な正しい道などありません。でもより正しい道ならあります。正しい道は境界にと変化し、新たな正しい道と新たな誤った道ができます。そのたびに正しい道を選択する…それが進歩です。だから我々は、最善を尽くしながらも、何度も何度も壁にぶつかっては反省し悟る。これを繰り返すことこそがが人生の歩むべき道なのです。

壁にぶつかっては、正しい道を行ったり、誤った道に来たり、行ったり来たりする。これが「迷い」です。人間は必ず正しい道に引き寄せられる。だから迷いがあるのです。人生を歩むということは、壁にぶつかるということです。これが肝鬱気滞であり疏泄不及です。そこから学び悟り、正道に行くと疏泄が機能し、毎日が幸せで爽やかで有難く、何をやっても箱さすようにうまくいく。孔子の「心の欲する所に従いて矩を踰えず」という域で、正しい肝気が旺盛な状態と言えます。こんな風にありたいものですね。

興奮は疏泄太過
さて、疏泄太過とは何か、具体的に考えたいと思います。壁にぶつかり肝気が誤った道にそれた場合、どんな状態となるのでしょうか。よく見られるのは、興奮状態にある人です。一見、元気で明るくよく遊びよく働きますが、興奮状態になると疲労を感じず、壁にぶち当たれば当たるほどエスカレートしていきます。ともすると自己本位に陥りやすく、人が心配してくれても意に止めません。その先にゴールはなく、道がなくなれば戻れなくなります。疏泄太過とはこの過程を言うと思います。

この過程で、水面下で疲労は蓄積し、それが表面化したとき、もう元に戻れないほどの場所まで行きついてしまっていることがあります。これがガン・脳梗塞などの不可逆的な疾患として具現化します。疏泄太過は出血や夢精が代表ですが、最も身近なのは、万病の温床である「興奮状態」であると言えます。≫「躁と鬱の観点から見えるもの」をご参考に。

日常に潜む疏泄太過
この状態は非常に表現しにくいものなので、東洋医学でも具体的に語られてきませんでした。しかし、これを見抜く力さえあれば、ふだんの臨床でも多く診ることができます。いくつか紹介します。

たとえば女性であれば、生理痛がないというのが疏泄太過の特徴になることがあります。子宮は生命の根源的なものであり、そこに生理痛が全くないということは生命そのものに気滞がないということなので、健康な人(正しい疏泄ができている人)か疏泄太過の人(誤った疏泄になっている人)かどちらかとなります。

たとえばつらかった症状は完全に落ち着いたとしても、すでに次の症状を作り出す準備、つまり無理をする生活が始まっていることは少なくありません。これが興奮です。生き方が変わらなければ、病気は病名を変えて再び現れるものです。

ストレス食いは疏泄太過
ストレス食いも疏泄太過です。ストレスを感じているときは、壁にぶつかっているときです。しかし、その壁から学び省み正しい道を見つけて歩みなおす、という取るべき道を取らず、壁から逃げて誤った道を進む姿がこれです。ストレスによる気滞があるなら食べ物はノドを通らず、摂食も滞るはずです。ドンドン食べるというのは明らかに疏泄が行き過ぎた状態です。

ストレス食いは東洋医学の証候鑑別診断で位置づけできるでしょうか。

たとえば肝気犯胃・肝火犯肺で考えてみます。軽症だと、ストレスによる咳、ストレスによる胃痛なんかが挙げられます。しかし肺ガンや胃ガンで見られる喀血や吐血を考えればわかるように、これらも肝火犯肺や肝気犯胃がありえるのですが、これは重症ですね。軽症と重症の違いは何かというと、症状が早く出たのか、それとも潜伏期が長くなかなか症状が出なかったか、の違いとなります。誤った肝気を早く修復しようと体が反応すると軽症になりますし、誤った肝気に体が反応できずに放置すると重症となります。木乗土はセオリーですが、これが即座に出ない人は水面下で事が進んでいるかもしれません。

「基礎用語のおさらい」で学んだように、肝気犯胃・肝火犯肺は、疏泄太過と言われます。しかし実際は、症状が出た時点では、肝気が行く道を誤って行きどまりになった姿なので、気滞(疏泄不及)をおこしています。要は、疏泄太過から疏泄不及に変化するまでの時間がどれくらいかかるかです。すぐに変化するならば、病態は軽症となります。何年も時間を要した場合、重症となります。

真の病気の原因は疏泄太過
ちなみに、そもそも疏泄太過を起こさずに肝気犯胃となるものもあります。一般的に言う肝脾不和はこれで、ストレスを感じるとともに食欲がなくなるので過食しません。だから因果関係が本人によく分かります。こういう場合、本人はストレスが体に良くないと自覚し、これに対処する方法に注目し、心の持ち方を反省したり生活環境を改善したりして、根本的な解決を講じる方向に目を向けることが可能になります。しかし、ストレスがあっても飲食に逃げる形を取ると、そのような発想になりません。

このように考えると、ストレスがあるのに症状に出ない人は、水面下で重い病気を作りつつある…ということになります。これは何もストレス食いに限りません。肝火犯肺を起こしている人も、肝陽上亢を起こしている人も、無症状で過ごしている人がたくさんいるのです。そしてある日、突然倒れる…あるいは余命の宣告を受ける…。これが疏泄太過の恐ろしい真の姿です。

ガンと疏泄太過
ガンの治療をするとき、よく言われるのが、みだりに正気を補ってはならないということです。これは疏泄太過という切り口から見るとシックリきます。間違った方向に進んだことが後戻りできなくなった理由だとするならば、正気を補うということは間違った方向に疏泄する力を後押しすることになります。元気にはなるかもしれませんが、進行を早めるだけになります。瀉法その他の工夫で、ホッとさせるような鍼なり漢方薬なりを用い、まず興奮状態を解除することが大切です。

抗がん剤はほとんどが投与後に副作用の苦痛を伴いますが、疏泄太過で興奮した状態から、壁にぶち当たる苦痛の状態に、早く転化させることにより、ガンの進行を食い止めるという考え方ができます。

見抜く方法
さて、ガンや脳梗塞が自覚される前夜、本人は至って元気な場合がほとんどです。卑近なものだとギックリ腰をおこす前段階もそうです。本人が自覚していないとしても重症であるこの状態…見破る方法はいろいろあると思いますが、僕は腹診の中脘と関元の比較で診ることが方法の一つだと思っています。

関元にはほとんどの場合、虚の反応があります。虚の反応は円形で面積が変化します。正気の弱りが大きい場合は面積が広くなります。中脘はほとんどが実の反応です。邪実の量が多ければ、中脘の実を示す面積は大きくなります。関元の虚が大きければ、それに応じて中脘の実が大きくなるのが順です。

疲れて正気が損なわれると、それに応じで邪実が強くなり、邪実は必ず気滞をもたらしますので、滞りが疲労として自覚されます。疲労が自覚されれば、体を休めたり適度な運動を試みたりします。これにより正気が回復すると、邪実も縮小され、元の状態にフィードバックします。自然治癒です。治療においても、邪実を取れば虚が補え、虚を補えば邪実が取れます。

仮に、中脘の邪実は小さいのに、関元の虚が大きいとなると、これは逆です。この場合、本人に自覚症状はありません。ただし何となく落ち着きがなく、睡眠がうまく取れないとしても元気があります。食べ過ぎる傾向もあります。しかし、本人は問題ないと感じています。家族は何かおかしいと直感している場合が多いです。興奮状態であり、疏泄太過を意味します。関元が示す正気の虚が大きくても、中脘が示す邪実は大したことがないので疲労が自覚されないのです。

治療方法
興奮状態を見抜き、疏泄太過であると診断できても、これを治療するのは本当に難しいことです。血気にはやる興奮状態の人は、落ち着けと言ったらますます興奮します。これを鍼で落ち着かせるということですから、普通の治療では無理です。今、注目しているのが百会です。気滞でも邪熱でもない疏泄太過になぜ百会が有効なのか、以下のように考察します。

図に示したように、誤った道(疏泄太過)は、壁のある道を境界として、正しい道とは陰陽関係にあります。この境界を使えば陰陽が動く、ということを前提とします。人体における境界とはどこか考えると、当然浮かぶのが任脈と督脈と伏衝脈です。この3つが最も関わる場所は百会と会陰です。また、疏泄太過は興奮状態なので、上に気の遍在が出やすい。また、誤った道にそれたのは気滞(壁)があったからです。これらを勘案すると、百会が候補として挙がります。実際いままでの経験では、疏泄太過の場合、この百会が最も強く反応してきます。百会は奇経も入っているのでいろいろな使い方ができます。

漢方薬で止血薬を調べてみると、「収斂止血」という言葉が多く出てきます。この収斂というのは、疏泄太過を治す方法だろうと思います。しかし、このように陰陽と境界を用いて疏泄太過を分析すると、だだの収斂ではなく、誤った疏泄(誤った発散)を正しい疏泄(正しい発散)に転化させる過程での収斂と言えないでしょうか。

最後に
例えば気虚でも、軽い気虚もあれば、命の危険を伴う気虚もありますね。疏泄太過にも軽い段階から命に関わる段階まであるのが当然です。今述べたのは軽い段階の疏泄太過です。ただし例えば未発見で進行ガンになっている場合も含まれますので、無症状が一概に軽いとは言い切れません。しかし、日々の臨床では無症状で健康維持のために来院される場合も多いですから、一応これを軽い病気と表現します。症状的に重い段階となると、命に関わるような、止まらない出血ということになります。

軽い病気を常に的確に治療する訓練が、重篤な病気に対応する方法です。そのためには、病気の軽重に関わらない、あるいは自覚症状の軽重に関わらない、一貫した病気の認識方法(診察方法)が必要です。東洋医学の病態認識方法である陰陽は、まさにそれそのものと言えると思います。

以上の発想は、藤本蓮風先生著「鍼灸医学における実践から理論へパート4」中の「出血メカニズム」を拝読し、難しい部分を僕なりに考察し直したものであることを申し添えいたします。