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庭に白い萩が植えてあって、立秋(8月初旬)を迎えるころ咲き始めます。
例年はそうなのですが、今年は白い花弁を7月初めに見つけました。
6月下旬に熱帯夜が3日連続であったことは、前回に述べましたが、7月に入ってからも計2日の熱帯夜がありました。暑さのせいで咲く時期を間違ったのかな…と。

翌日から雨が降り続き、ニュースで豪雨による広範に渡った各地域での現状を伝え聞き、被害の甚大さと気象の異常さに驚くばかりです。

萩の花が咲き始めた…こういう指標を物候といます。物候とは、気候の対比語で、桜の開花や初雪など、目に見える物のことで、季節の進み具合を示します。逆に気候は温度の移ろいで目には見えません。一般に気候よりも物候の方が季節を示す指標になります。気候は変化に富んでおり、急に暑くなった日があったとしても、すぐに平年並みに戻ったりするので、指標とはなりにくいものです。

気候が不順だと言いながらも、なんやかんや言って物候は平年通りの時期に現れるものです。我が家の白萩は立秋…つまり暑さのピークに開花することになっています。その時期が1か月も早まったというのは、ただ事ではありません。物候とは物質です。気候とは機能です。体でも、肝機能が狂っているという程度ならまだ元に戻る可能性も大きいですが、肝がんや肝硬変のような肝臓そのものが物質的に変化してしまうと、より重症ということが言えます。変化が機能ではなく物質的に証しとして現れてしまうと、元に戻るということは極めて困難です。ゆで卵を生卵に戻すようなものです。今回の萩は、季節の進み過ぎが、具体的な形体として表現されてしまったのです。もう元に戻れないような…。

こういう萩の花は美しくはなく、不気味です。

災害状況をしきりに伝えるニュースを見ていると、全国の河川マップが映し出され、その中で危険な河川区域が赤で示されていました。全国に張りめぐらされた河川は、まるで人体の毛細血管のようで、あらためて自然環境というものは人体の縮図なのだと感じました。

人間が生活している場所ならば、世界各地にもこの毛細血管の図があるのでしょう。もちろんこれがない場所では人間は生きられないし、生活していません。砂漠や極寒の地域ではこの毛細血管はないはずです。そう考えると、北海道から沖縄まで毛細血管が張りめぐらされ、どこでも生活ができる日本という国は、なんと豊かで恵まれた国なのだろうかと思います。

この血管から血があふれ出す…大河川の氾濫です。大切な恵みがあふれ出すと人命にかかわります。
氾濫は大河川だけではありません。
河川の最小単位は、雨の時のみ水が流れるような小さな沢でしょう。降り過ぎると沢から水が溢れ、土の保水能力を上回る水量となると土が泥水化し、堰(せき)を切ったように一気に崩れます。

この雨はどこから来たのでしょうか。
これはご存知のように、南の海上、はるか赤道付近の海水、つまり太平洋から来たものです。太平洋の海水温が高くなってるために、あるいは太平洋の気温が高く空気に含まれる水蒸気量が多くなっているために、大量の湿った空気が日本に流れ込んだのです。豪雨に襲われるまでの急激な暑さが、南の湿った空気を呼び込む形で流れ込んだとも言えます。

つまり、日本の川の上流の上限は、太平洋にあるということになります。そのように考えると、太平洋は日本の河川にとって巨大なダム湖のようなものです。このダム湖に温暖化という問題があるために、日本にも災害が降りかかってしまうのです。このようなことはあまり意識しないことですね。

意識しないのは無意識の世界です。無意識の世界から、我々がハッキリと認識できる自意識の世界に流れ込んできたもの。無意識につかう電気・ガス・照明。製造に火力を必要とする様々な機器。…その積み重ねが物質化して現れたのが、庭の白い萩と今回の惨事であるとは言えないでしょうか。


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ここからは専門的な考察です。現在の治療で特徴として感じているのは、疏泄太過を起こして、体は良くないのに自覚症状が出ていない人が多いことです。疏泄太過とは本人に自覚できない興奮がある状態を言います。あと、鍼の番数が太いものを使うようになりました。

先ほどの、海がダム湖であるという考え方、海が無意識(魂)で河川が自意識(神)という考え方。これを人体にあてはめると、正経が河川で奇経が海というふうになります。そのように考えると、正経は心神が支配し、奇経は肝魂が支配する、とは考えられないでしょうか。

海に蓄積された温暖化という負のエネルギーがこの夏は特に多く、この不穏な力は我々が自覚できるものではありません。それが梅雨前線の迷走につながっていて、我々にも意識できる豪雨となって、これは痛苦という自覚を伴います。

人体でいうならば、奇経に邪気をためやすく、しかしそれを自覚できていない。その邪気が正経に流れ込んだ時、急激な悪化となって自覚される…こう対比して考えることができます。

奇経にためる邪気とはどういう性質のものでしょう。これは赤道にためる邪気の生成要因を考えると良いと思います。温暖化の原因は、決して苦しみ・悲しみではありません。産業革命に端を発した効率化…つまり大量の火を蒸気に変え上下運動を回転運動に変えるという発想、人間が体を動かさずにすむ便利さ…これを我々は手に入れました。ここから生まれたものは「喜び」です。もっと便利に、もっと快適に、どんどん技術が進歩する中で生まれた感情は、喜びを通り越した「興奮」でした。この興奮は僕の中にもあります。いやあるはずです。でも自覚ができていないのです。人間として、今の生活は不自然なのです。だから温暖化という不自然さが生じるのです。

そもそも、苦しみ・悲しみなどのストレスは、体の中でどのような過程をたどるのでしょうか。これらはまず肝の疏泄を妨げ、気滞は心神によって自覚されて痛苦となります。心神はそれを何とかしようとし、重症化しない段階でフィードバックが可能です。心神の自覚があってこその治癒と言えます。

過度の喜びは、疏泄太過という特殊な邪気を生み、それは苦しみ・悲しみのように正経ですぐに自覚されず、奇経という言わば水面下に入ってしまう。奇経という無意識を支配する肝魂はその邪気を受け入れ、もうこれ以上持ちこたえられないというとき、一気に堰を切ったように正経に流れ込み、心神によって自覚されて痛苦となる。この痛苦はすでに重症化した痛苦です。ちなみに火事場の馬鹿力は肝の作用ですね。その場では疲労は感じない、落ち着いたときにどっと疲れが来る。奇経から正経へ邪気が流れたということでしょうか。

無意識の中に入った邪気は、現在の太平洋に蓄積された邪気同様、ものすごい規模とパワーを持っているのでしょう。この邪気が表面化する前に、我々はまず、火の使い過ぎを控えなければなりません。電気をつけなくてもよいように早く休み、ガソリンを使わなくてもいいように自分の足で歩く。効率的とは真逆で、要領は悪いかもしれないが、つつましい気持ちから発した生活です。脚下照顧という言葉が見合うでしょうか。魂(無意識)をそういう方向に持っていけるような治療が求められます。現時点では百会が重要だと考えています。

疏泄太過という邪気は、心神の治療では難しいかもしれません。疏泄太過は本人が自覚できないものだからです。かなり気が昇っているはずなのに自覚ができていない。番数の太いものが必要となっているのは、奇経に蓄積された邪気が強いからでしょうか。どちらにしても、地球規模での大気や気象の特徴が人体に反映して、疏泄太過になっている側面が大きいのではないかと思います。


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