ストレスの成り立ち
トラウマとは「強すぎるストレス」と表現できます。逆説的に言えば、そもそもストレスは人生にとって必要なもので、いわば食べ物と同じです。よく咀嚼し吸収することで、人間的に成長するための食料になります。成長すれば、より大きいストレスも口にすることができるようになり、ますます深い人間性を形成して行きます。このように、適度な量でその人に見合ったものならば身に付くのです。しかし、過度になると消化不良を起こし、成長を妨げる要因になってしまいます。

その人にとって、乗り越えられるはずのないような過度なストレス…つまり大きな壁が立ちはだかると、2つのパターンが起こり得ます。①その壁から逃げる ②その壁の前で立ち尽くし続ける。①と②は複合して起こることが多いと思います。ある時は①のパターン、またある時は②のパターン、これを繰り返すという風です。

①のパターンではストレスを感じず、自覚症状はでません。しかし①はいずれ必ず②に移行します。①が長期間続くと、②に移行したときの症状が強くなります。自覚がない時期が長いと、正気に戻ったときの衝撃が大きくなるのです。たとえば双極性障害でもそうですが、躁の時期が長いと、鬱になったときの苦しみがその分強くなるようなものです。ガンや脳梗塞も同じで、これらは燥の時期が非常に長かった結果です。ストレスを常に自覚する場合、①の状態にはならず、②の状態がずっと続いていると思われます。

ストレスの分類…虚と実
東洋医学では、すべての病態を虚実に分けます。虚とは足し算が必要な病態、実とは引き算が可能な病態です。

実は体力の低下がありません。だからストレスそのものを取り去ることができます。治療すると気持ちがスッとして体が軽くなります。いっぽう、虚は体力(正気)を増やすということが必要です。引き算ではなく足し算です。会社経営でも、リストラは比較的容易だが、資本を増やすのは難しいですね。収支の明確な経営でもそうなのです。体力は視覚化できません。体力を増すことは、いわば奇跡的なことで、だから体質は変わりにくいのです。

このような分析から、ストレスによる病態は、実のストレスと虚のストレスに分類できます。実のストレスのことを肝鬱気滞、虚のストレスのことを胆気虚といいます。取れにくいストレスは、肝鬱気滞と胆気虚が絡み合うもので、虚実が錯雑になっています。

虚実が錯雑になる原因は、実としてのストレスが強すぎること、虚としての体力の衰えが激しいこと、この2方面から考える必要があります。さきほど実のストレスは取りやすいと言いましたが、強すぎるストレスに見舞われると、同時に体力を弱らせて虚の状態が併存することになります。強すぎるストレスは純粋な実のストレスたりえないのです。

ストレスと一言に行っても、重症度のステージは様々で、東洋医学では虚と実の比率と、虚実それぞれの絶対値によって認識します。

これはどんな病態でも言えることです。たとえば、カゼ引きでもそうです。カゼを引いて一晩寝て治ってしまうものもあれば、脳症や敗血症を併発して命に係わる場合だってありますね。もしカゼのウィルスが強いと重症化しやすく、ウィルスが弱くとも体力が衰えていれば、やはり重症化します。

ストレスと「五神」「五志」
東洋医学には五臓という概念があります。心・肝・脾・肺・腎です。この五臓は、それぞれに意識(理性)を内蔵しています。それが五神と呼ばれるもので、神・魂・意・魄・志です。五臓が家だとするならば、五神は家主です。家主は多彩な精神活動つまり感情を持っています。これは五志と呼ばれます。喜・怒・思・悲・恐です。心は神を内蔵し喜として現れる。肝は魂を内蔵し怒として現れる。脾は意を内蔵し思として現れる。肺は魄を内蔵し悲として現れる。腎は志を内蔵し恐として現れる。

五志のそれぞれは、過不足なく中庸を得ていなければなりません。中庸を得た喜・怒・思・悲・恐は、ただしい感情として発露します。しかしそれらが足りなかったり多すぎたりするとよくありません。そして、現代人に特に多いのは、五志が過度となる病態です。これは疏泄不利と疏泄太過の二つの病態として現れます。

例えは心の神の喜。喜が足りなければ陰鬱で元気がなく、喜が多すぎると興奮状態となって他を顧みません。肝の魂の怒。怒が足りなければ、やる気のない無関心な状態となり、怒が多すぎると熱血に過ぎ少しのことで怒り出します。思が足りないと肝心なことまで忘れてしまい、思が多すぎると些細なことで悩み苦しみます。悲が足りないと無味乾燥な感情のない状態となり、多すぎると些細なことで悲しんだり絶望したりします。恐が少ないと無鉄砲で慢心しやすくなり、多すぎると怖がりになります。

喜が中庸を得ていれば明るく朗らかに感謝や好意に満ち、怒が中庸を得ていれば前向きでやる気や勇気に満ちており、意が中庸を得ていれば思慮深く賢く、悲が中庸を得ていれば慈悲深く敬愛心が強く感性が豊かで、恐が中庸を得ていれば内省心が強く油断せず節度を重んずる…そんな高い人間性を形成します。人生に壁(ストレス)は付き物ですが、我々は喜・怒・思・悲・恐を用いてこの壁を乗り越えていくのです。その結果喜・怒・思・悲・恐はますます高レベルなものとなり、こうして壁を乗り越え続けるならば、人間性は死ぬまで成長し続けます。体が20歳前後をピークとしてだんだん衰えていくのとは対照的です。

トラウマは深さ
五臓のうちで、生命の最も土台となるのは腎です。例えばストレスがかかったとして、それは必ず腎に負担をかけます。しかしこの時点では腎は弱りはしていません。土台としての強さがあれば、ストレスの重さに耐え、生命を支えようとします。この状態は実のストレスと言えます。一方、ストレスがかかったとして、それに耐えきれず腎が弱ってしまったとします。これは虚のストレスです。ストレスが重すぎて支えきれなかったという場合もあるし、ストレスは軽くとも腎がもともと弱すぎて耐えきれなかったという場合もあります。

そして、虚のストレスの状態から抜け出られなくなった、つまり実のストレスに移行できなくなった状態…、これがトラウマの解剖と言えると思います。

土台というのは一番下ですね。たとえば建造物でも一階部分に弱りが出ると、かなり問題です。これはストレスの強弱ではなく、ストレスがどれだけ深い下の部分を脅かしているかが重要となります。この下が腎であり、そこに強い重さ・圧力がかかると過度の「恐」を形成します。

アダルトチルドレン
取れにくいストレスは、必ず「恐」という感情が絡みます。取れにくいストレスを形成しやすいバターンとして、アダルトチルドレンという概念は非常に重要です。ぼくは今までアダルトチルドレンをたくさん診てきましたが、その特徴として

◉父・母・夫・妻など(以下「共依存に陥った相手」という)に対して「恐い」という感情がある。
◉共依存に陥った相手に対して「怒り」の感情がある。
◉共依存に陥った相手の支配を受けたい・支配したいという感情がある。
◉共依存に陥った相手に甘えたい、愛情を受けたいという感情がある。
◉共依存に陥った相手の顔色を見て機嫌を取ってしまう。
◉成人しても親離れができない。おふくろ・おやじとして愛せない。

これらはステージによって何が中心かは変化します。例えば 恐怖>憤怒 ならば重度、憤怒>恐怖ならば軽度になります。

結果として
◉他人の顔色を見てしまう。
◉自分がない。
◉伝えなければならないことが言えない。
◉関係の密な他人に依存してしまう。依頼心が強い。
◉関係の密な他人を支配してしまう。
◉関係の密な他人に対しての怒りが一触即発の状態にある。
◉客観的な立場に立てず、自分を正当化してしまう。

これらを全て兼ね備えた場合、重度のアダルトチルドレンとなります。このような思考パターンが感情を支配すると、困難な壁にぶつかったとき、それを解決することなく
◉逃げる
という方向に舵を切ってしまいます。これは、子供時代から解決不能な乗り越えられるはずのない高い高い壁があったからで、逃げざるを得なかったからです。具体的には以下のようなパーンが例として挙げられます。
◉物事が継続できない。
◉何のためにするのか、目的や意味を考えずに行動する。
◉素直に他の意見を聞き入れることができない。
この行動パターンは子供時代に刷り込まれたものなので、大人になっても容易には変えることができません。このような高い壁を作ったのは主に親です。その親もまた、子供時代に同様の壁に立ちはだかられたアダルトチルドレンである場合がほとんどです。アダルトチルドレンはアダルトチルドレンを育ててしまうという悪循環があります。

たとえば戦争孤児の方、これは団塊の世代の中に大勢おられます。子供時代に立ちはだかった壁は途方もなく高く、アダルトチルドレンの特徴を備えた方も見受けられます。その子供、団塊ジュニアは50台にさしかかろうとしています。そろそろ体の弱りが目立ち出す年代で、根本の問題がアダルトチルドレンの状態が原因であることがあります。戦争孤児でなくとも、高度経済成長の環境下での核家族化やストレス社会は多くのアダルトチルドレンを生み出したと推測ができます。

子供にとって、親は初めて出会った他人であり、家庭は初めて所属する社会です。大人になったときに、どのようなコミュニティーに属することになっても、それぞれに適応するための基礎トレーニングとして、家庭は重要な役割を果たします。親とともにする三度の食事などは、社会生活の基礎といってもいいでしょう。社会の最小単位ともいえる家庭において無理を強いられた子供は、成長しても無理のある社会生活から抜け出られなく、ストレスを消化できない日々を送ることになるのです。

アダルトチルドレンを克服するために不可欠な要素があります。例えば共依存の相手が母親ならば、「ママ・おかあちゃん」ではなく「おふくろ」として愛することです。母親の長所も短所も抱擁して一人の人間として愛することです。非常に難しいことに違いありません。ですからこれはできなくてもいいのです。ただ、そうありたいと願うことです。願いはかなう。願わないことはかなわない。その方向の先にある場所、それが本当の私の居場所なのだ。そういう正しい知識をもって、そうなればいいなと願うこと、祈ること。これが不可欠な要素です。ここでいう祈りとは、願い(メンタル)に何らかの行動(フィジカル)を付加させることです。たとえば僕に、「先生、親を愛したいけどそれができない。鍼で何とかして!」と口にすること、これは立派なフィジカルを伴う行動です。これが祈りだと思います。これは相当強い願いなので、かないやすくなります。

素体としてアダルトチルドレンの要素を持っている人は、常にストレスを抱えているかストレスから逃げているか、どちらかの状態です。ストレスを消化吸収して人間性(生命力)に変えることができません。ゆえに、常にストレスによって土台である腎が弱められているということができます。そこに想定外の巨大なストレスがかかると、トラウマを形成しやすくなります。


パニック障害
トラウマが原因として起こる病的症状の代表的なものといえば、パニック障害が挙げられます。パニック障害の最大の特徴と問題は、ご存知のように「恐怖」です。パニックを起こすと、その症状とともに、ひどい場合は死ぬのではないかという恐怖が感情を支配します。パニックを一度経験すると、そのパニックを起こしたシチュエーションが再現されるだけで恐怖が起こります。例えば電車の中でパニックを起こすと、電車に乗れなくなるなどです。密室や会議・高速道路など、逃げられない環境がパニックを起こしやすくなります。

先ほどもご説明するように、「恐」は必ず弱りを伴います。その弱りは強度のストレスによるものもありますし、アダルトチルドレンの病態を兼ね備えている人も少なくありません。が、それだけではありません。

どんな行動が弱りを生むのしょうか。夜更かし。間食・食べ過ぎ。運動不足。スマホの見過ぎ。仕事のやりすぎ。プライドの高すぎ。心配しすぎ。好きなアイドルのチケットが入って興奮しすぎ。

…いろいろありますが、生まれつき弱りをもった状態で生まれてきている場合もあります。たとえば乳幼児期に喘息だった・アトピーだった・よく熱を出した・便秘だった・胃腸が弱かった・先天性股関節脱臼があった・鼠経ヘルニアがあった…などです。子供時代というのは無症状が普通で、持病があるというのは生まれつき下の土台が弱い状態で生まれてきているということです。

これらはすべて弱りで、ここに強度のストレスが加わると「恐」が過度となり、パニックを起こす原因となります。

トラウマ(恐怖)の治療
さて、このような状態の時、体はどのような反応を表現してくるでしょうか。
①大巨に沈んだ実の反応が出ます。
②左胆兪に虚の反応が出ます。
③そこに表証が加わると恐怖が倍増する場合があります。表証は天突・大椎を望診して判断します。
以上3項目の反応がなくなるところまで治療ができれば、恐怖がなくなります。ただし、しつこい恐怖ほど反応がしつこくなります。

それらとは別に、神道・左右の心兪に実の反応が出る場合もあります。これはものすごく強度のストレスが持続している場合です。そもそも左右ともに反応が出るということは背候診ではほとんどありません。左右どちらかの反応だと、振り子のように動くことが可能となり、治癒しやすくなります。しかし左右ともの反応だと、釣り合うために振り子は動かず、結果として体もいい方向に動きません。だからつらい状態が持続するのです。神道・左右心兪の場合、肝兪などのストレスの反応を示す穴処には逆に反応が出なくなります。うまく治療すると、これらの反応が取れ、本来の肝兪に実の反応が出るようになります。トラウマがある場合、もし神道・心兪に反応があれば、まずこれを取らなければなりません。

当然のことですが、これら穴処に直接鍼を打つことはありません。実をもっと沈めてしまったり、虚を大きくしたりすると、悪化してしまう恐れがあるので、触らない方が無難だと思います。もっと生きた穴処を弁証に基づいて探し、邪実を去り正気を補うことができれば、これら穴処の反応はその場で消失します。日が立つとまた反応が戻ろうとするので、治療で何度も消していくうちに反応が出なくなり、症状の改善となります。

どんな病気の治療でもそうですが、時間を診断し支配することが非常に大切です。

例えば患者さんが来院してベッドに寝ます。すぐ治療に入ってはいけません。スタンバイになっていないからです。これが何分でスタンバイになるかは患者さん個々で異なります。次に、どのツボに鍼を打つか。鍼の太さは。角度は。深さは。補法か、瀉法か。補瀉ともに行う場合、何段階に刺入しどの深さで補瀉を行うか、邪実は何を狙うのか。これらをクリアして、それらから何分置鍼するかが非常に重要です。置鍼が終われば、抜鍼時に瀉法を行うか行わないか、行う場合はどの深さで行うのか。抜鍼後に鍼穴を指で閉じるのか閉じないのか。これら一つ一つの作業のうち、一つでもおろそかになると、鍼は効かなくなります。

そういう一連の作業をこなして、初めて鍼を抜き去るところまでたどり着くのですが、抜鍼すれば治療は終わりではありません。ここから何分休憩させるか。これが最終的に治療がよく効くか、効かないのかを決定づけます。

特に、神道と左右心兪に実の反応が出ているものは、気をつけなければなりません。これを治療して抜鍼直後にどのように変化するかというと、左心兪と神道の反応が取れて、右大杼から右関元兪までの実の反応に転化します。そのまましばらく休ませると、多くは右肝兪・右胆兪・右脾兪の実の反応のみになります。またそのまま休ませると、すべての実の反応が消失します。このケースでもし、すべての反応が消失する前に治療を終了し帰してしまうと、悪化することがあります。逆に反応がすべて消失したことを確認して治療を終えると、必ずと言っていいほど患者さんは、「あの治療以来、胸のあたりが楽になって気が楽になった」と言います。

このようなことを決定づけるのは、抜鍼後何分以上休ませるか、という診断項目です。

この、神道と左右心兪の実の反応は、アダルトチルドレンで苦しみを抱える人は必ず反応してくるということを経験しています。

まとめ
例えば痛みは写真に撮れませんね。だから痛みを人に伝えるのは難しい。アトピーは写真に撮れるかもしれませんが、そのつらさ・苦しさは写真では表現できません。がんでもMRIには映るでしょうが、その不安・苦しみは写真で表現できるものではありません。

トラウマも写真には撮れません。このようなものを治すということは、その苦しみに寄り添える医者でなければなりません。患者さんが口で表現する苦しみ。患者さんの体が表現する苦しみ。それらを感じ取ることができたならば、その苦しみを解きほぐすことができるはずです。もつれた糸の糸口を握ったことになるのです。

そもそも苦しみとは、物質ではありません。物質は写真に撮れる。つまり目に見えるし触ることもできる。物質は視覚化できるので分かりやすいのです。それに対して、視覚化できないものを我々は理解することが苦手です。このような視覚化できないものを「機能」と言います。体(物質)と心(機能)の関係、砂糖(物質)と甘さ(機能)の関係など、ありとあらゆるものに物質と機能が備わります。西洋医学は視覚化できないと立証できないと考えるので、物質に偏った学問と言えます。

機能のことを東洋医学では「気」と言い慣わしてきました。気を基礎にして発展してきた東洋医学は、この視覚化できないものに寄り添うすべを持っているのでしょう。人の心が分かれば分かるほど、人の体が何を表現しようしているのか分かれば分かるほどに、三千年の重みをもつこの一本の鍼が、驚くようなポテンシャルを秘めていることに今さらながら気づかされるのです。


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