※基礎弁証による証と、傷寒論というストーリーで表現される証とは、次元を異にします。前者が画像だとすると、後者は動画です。生きた証を学ぶことの重要さは、鍼灸家・漢方家の別を問いません。

15 太陽病、下之後、其気上衝者、可与桂枝湯、方用前法、若不上衝者、不可与之、
【私見】太陽病 (脈浮、頭項強痛、而悪寒) は下してはいけないのですが、下剤をかけてしまった。ここで気の上衝があれば桂枝湯を与えてもよい、といっています。気の上衝とは何でしょうか。

ひとつは、表面に気が集まるということです。人体生命を球形と見た時、上下はありませんので、表面が上になります。地球で考えると分かりやすいと思います。このとき、たとえば脈が浮になります。生命全体も、皮膚に気が集まっています。脈と生命は相似関係として見るべきです。
もうひとつは、上に気が集まるということ。人体生命を頭部と足部を具備する上下あるものとして考えるときです。
東洋医学の空間って何だろうをご参考に。

「気上衝」という言葉を探すと、
67「傷寒、若吐、若下後、心下逆満、気上衝胸、起則頭眩、脈沈緊、発汗則動経、身為振振揺者、茯苓桂枝白朮甘草湯主之、」
173「病、如桂枝証、頭不痛、項不強、脈微浮、胸中痞鞕、気上衝咽喉、不得息者、当吐之、宜瓜蒂散、」
とあります。具体例として参考になります。

下した後なので、営陰の不足があります。営陰の不足がありながらも、浮脈で耐えられているわけですから、桂枝湯しかありません。

もし気の上衝がなければ内陥しているので、桂枝湯では効果がありません。この条文は、太陽病で下剤をかけたり、偶然下痢したりしたとき、桂枝湯を与えてよいのか、つまり純粋な表証としてとらえてよいのかどうかの判断基準を提示しています。

以下に述べようとする桂枝湯の壊病を解くうえでの前提です。

16 太陽病、三日、已発汗、若吐、若下、若温針、仍不解者、此為壊病、桂枝不中与也、観其脈証、知犯何逆、随証治之、
【私見】壊病についてです。壊病は誤治によって起こった病証のことであると、一般的に言います。本当なのか読み直してみます。
「太陽病、三日、已発汗、」なお不解 →壊病①
「若吐、若下、」なお不解      →壊病②
「若温針、仍不解者、」       →壊病③
これらには「桂枝不中与也、」

太陽病が長引いている。もうすでに桂枝湯で発汗させたのに治らない。これは壊病だから桂枝湯ではもう効かない。
太陽病でないのだろうから、それらなら…と、吐法・下法をやってみた。それによってできた病証も壊病だから、太陽病に似ていたとしても桂枝湯ではもう効かない。
温補の針もやったが治らない。これも壊病だから桂枝湯でも効かない。

脈・証を鑑み、どんな矛盾があるのかを知り、これから示す証に従ってこれを治するのである。

これから以下、壊病の解説をするぞ、難しいぞ、という宣言です。

壊病①は桂枝湯証なのに桂枝湯では効かないものです。
壊病②は桂枝湯証を吐法・下法で誤治したものです。
壊病③は桂枝湯証なのに温補の鍼では効かないものです。

これから壊病がドンドン出てきます。桂枝湯証によく似た証なのに桂枝湯では効かない、このような桂枝湯証もどきには、桂枝湯にアレンジを加えて対応したり、白虎加人参湯や甘草乾姜湯のように、まったく違う薬を出したりして対応します。誤治によって起こった壊病は、桂枝湯証を誤って治療したという仮定で読みたいと思います。つまり、太陽病といえば、桂枝湯証を踏まえるのです。
「太陽病、発汗、…」
「太陽病、下之、…」
という表現は、桂枝湯証を…と読んでみるということです。

ちなみにここで出てくるのは「温針」です。焼鍼ではありません。焼鍼は29条以降に何度か登場しますので付記しておきます。

温鍼は脈を温める鍼なので温補に効きます。脈をめぐる宗気は、衛気に温められることによって、機能することができます。その宗気の推動によって営血は動くのです。温鍼は気の昇降出入を活発にし、臓腑機能を全からしめ精を守ります。焼鍼は脈を焼く鍼なので害があります。脈は臓腑に通じ、臓腑は精に通じます。それを焼くのですから、陰陽ともに傷つけます。焼鍼は29条以降に何度か登場しますが、焼鍼によって発汗が止まらなくなるのは、陰と陽がもれだしているからです。

       〇

壊病という言葉は、276条にも出てきます。小柴胡湯の壊病です。桂枝湯と小柴胡湯は、傷寒論において特別の位置づけにあるのでしょうか。275条を比較のために見ておきましょう。
275「本太陽病、不解、転入少陽者、脇下鞕満、乾嘔、不能食、往来寒熱、尚未吐下、脈沈緊者、与小柴胡湯、若已 吐下、発汗、温針、譫語、柴胡湯証罷、此為壊病、知犯何逆、以法治之、」

「本太陽病、不解、転入少陽者、」
「尚未吐下、脈沈緊者、」  →「与小柴胡湯」
「若已吐下、」       →壊病  
もし「発汗、温針、譫語、」 →壊病

もともと太陽病だったが解表できなかった。
少陽に転入したものは、脇・嘔・食・寒熱がでる。まだ吐下しておらず沈緊なら、小柴胡湯で和法の治療するのが法則で、吐下汗を用いてはならない。
少陽病に+αで、もしすでに、吐下汗をしていたら、壊病なので小柴胡湯ではもう効かない。少陽病に+αで、温補の鍼をしていたら、少陽病は虚実錯雑なので温補で悪化する。これも壊病になっているから小柴胡等ではもう効かない。
少陽病に+αで、譫語があるなら、これも壊病になっているから小柴胡等ではもう効かない。

17 桂枝本為解肌、若其人脈浮緊、発熱、汗不出者、不可与也、常須識此、勿令誤也、
【私見】まず、「不可与」という表現に注目します。後述しますが、「為逆」という強い口調が38条にあって、この前後の条文は非常に難解ですが、「不可与」と「為逆」に注目すると切り込めます。本条では、同じ表証でも、麻黄湯証に桂枝湯を使うのは不可ですよ、と言っていますが「逆」とは言っていません。効かない、という程度の表現です。もし、桂枝湯証に麻黄湯を使うと、やばい「逆」になる。38条で説明します。この意味からも、太陽病といえば桂枝湯であり、これを軸にして変に応ずるのです。語句が省かれていても、桂枝湯を軸にして読んでいくべきだと思います。

さて、素問・刺要論によると毫毛→皮膚→肌肉→ 脈→筋→骨→髄 の順に、浅部→深部 となります。これについては「けいれん…東洋医学から見たつの原因と治療法」で詳しく説明していますのでご参考にしてください。桂枝湯は表を治療する薬、肌を解く薬、ということは、肌が表であるということを示しています。これを肌表と言います。肌表~皮毛~皮毛の外 が表を守るための衛気の守備範囲と言えます。ちなみに衛気は裏にも流入して体内を温めます。

桂枝湯証では肌表のレベルで解かないと治りません。麻黄東証では皮毛のレベルを解きます。つまり、桂枝湯証は邪気の侵入が肌表に及ぶ、麻黄湯証では邪気の侵入が皮毛にとどまる、ということです。どうしてこんな違いが出るのでしょうか。これは、素体が虚証か否かの違いによります。

桂枝湯証そのものは虚証です。営陰が弱く、結果として衛気も弱い体質の人が罹患する表証です。この体質の人は、もともと衛気は完全な力をもっていません。だから肌表まで侵入を許すのです。肌表で食い止められるものを桂枝湯証と言います。

もし、肌表で食い止めながらも、陽邪である風邪が温邪に変化したら衛分証になるでしょうし、肌表で食い止められず、肉に侵入を許すと、邪熱に変化して陽明病 (気分証) と名が変わるのです。

ちなみに、純粋な傷寒 (表寒実) は実証なので、ほぼ100%の衛気の力をもっていると考えます。衛気は充実しているのですが、寒邪が強烈すぎるので負けてしまうのです。だから、侵されるのは皮毛どまりで、衛気が跳ね返すので、肌表まで侵されることはありません。桂枝湯証は衛気が希薄だから肌表まで侵されるのですが、寒がりで寒邪を避けるので寒邪にはやられにくいのです。もし桂枝湯証レベルの人が特別な理由で強い寒邪にやられたら、寒邪直中となります。

衛気というお相撲さんと、風邪というお相撲さんが、表 (衛分) という土俵で組み合っているとイメージしてください。土俵の上は衛気と風邪の2人分の重みがかかっています (衛強) 。衛気も風邪も組み合っている間は、お互いが力を相殺し合っています (悪風) 。しかし、風邪の方がやや強いので、ゆっくりと衛気を俵まで押し込みます。風邪は疏泄するので、スルスルと前に出てくるのです。衛気は肌表という俵に足がかかって、そこで踏みとどまる…という構図です。相撲巧者の風邪に対して、土俵際が強い衛気とも言えます。

桂枝湯証と麻黄湯証は、表という陰陽で考えたときに、桂枝湯証は陰、麻黄湯証は陽となります。陰陽の間には境界があります。境界のことを少陽といいます。桂麻各半湯などで、往来寒熱のような病証が見られるのは、境界に邪が入ったからです。いずれまた詳しく展開したいと思います。

以下、21~29では、桂枝湯証に似た壊病 (桂枝湯証もどき) について述べています。中風とか桂枝湯とかいう言葉が出ていなくても、ここまで桂枝湯証の治療について述べられ、16「桂枝不中与也」や17「桂枝本為解肌」などの文脈から、桂枝湯の類似証であることがいえます。61条以下にも壊病が続きます。「傷寒」と明記がなければ、桂枝湯証を誤治したと考え、読んでみます。

本条文は、傷寒論では珍しく、「解肌」という言葉に生理・病理の重要性を説いています。これを踏まえておかないと、壊病に対応できないのでしょう。


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