※基礎弁証による証と、傷寒論というストーリーで表現される証とは、次元を異にします。前者が画像だとすると、後者は動画です。生きた証を学ぶことの重要さは、鍼灸家・漢方家の別を問いません。

22 太陽病、下之後、脈促、胸満者、桂枝去芍薬湯主之、若微悪寒者、去芍薬中加附子湯主之、
【私見】桂枝去芍薬湯証と桂枝去芍薬加附子湯についてです。ここでいう太陽病とは「傷寒論私見…桂枝湯の壊病〔15~17〕」で説明したように、桂枝湯証のことです。これを誤って下してしまった。

まず、桂枝去芍薬湯からです。成書では、胸に邪が陥下して胸陽が伸びない状態であると説明されます。しかし、ここでは違う私見を展開します。

桂枝去芍薬湯方
於桂枝湯方内、去芍薬、余依前法
【私見】桂枝湯から芍薬を除く、その他は桂枝湯と同じようにする。そういう意味です。粥をすすり、布団で温かくし、じわっとした汗が出たら、服用を止める。明らかに表証です。邪が内陥していたら、汗法は禁忌のはずです。ですから、本証はあくまでも太陽病であるという前提で考えるべきです。

では、なぜ胸満という裏証があるのでしょうか。桂枝湯証に下剤をかけたのならば、もちろん誤治なのですが、これは胃の気を弱らせ、営陰と衛気を弱らせるので、内陥しても全くおかしくありません。しかし、そういう反応は起こらなかった。下されても衛気は内陥を許すほどには弱らず、まだ肌表という徳俵で踏ん張っているのです。

15「太陽病、下之後、其気上衝者、可与桂枝湯、方用前法、若不上衝者、不可与之、」を思い出しましょう。本条では気の上衝があるので、桂枝湯類を与えてよいのです。では、気の上衝とは具体的にどういう証候でしょうか。

胸満と脈促により、気の上衝をうかがうことができます。下すことにより下焦が急性に弱り、その反動として気が上に集まった。下虚から上実を起こしたのです。もともと胸陽 (肺の宣発による衛気の拡散) は、太陽病を追い出すために非常に頑張っていた、風寒と戦いつつあって郁滞も起こしていた。そこに上実が追加され、余計に渋滞した。胸中で一時的な激しい渋滞が起こったので、脈が促 (歇で数) になったと思われます。

促脈は、気血痰食の郁滞です。本条の場合は気血の郁滞です。気 (衛陽) だけでなく、血 (営陰) まで郁滞した、これが上実の内訳です。

下焦が弱ったと言っても、相対的に上焦が強くなったので、上においては陰陽 (衛陽・営陰) を弱らせていません。風邪は陽邪なので、上から入ります。戦場は上にあり、上で持ちこたえられるレベルの正邪の抗争だったと言えます。

しかし、上焦は気血ともに郁滞…つまり緊張が激しい。緊張とは求心力 (収縮) です。遠心力 (拡散) にもっていかないと、外邪が散りません。だから酸収の芍薬を抜くのです。とくに芍薬は血を補う作用があります。気郁だけなら血を補うと気郁が取れる…体を益し用を制す…という働きが期待できるのですが、血も郁滞しているとなると、これを補うわけにはいきません。

分かりやすく例えてみましょう。最前線で、先鋒隊 (衛陽) は、互角に敵 (外邪) と戦っていた。互角ゆえに、後退もせず、前進もできずにいた。そこに采配ミス (下剤) があり、急に次鋒 (営陰) の隊列が後ろから押し寄せてきて、板挟みにあって身動きが取れなくなった (胸満・促脈) 。次鋒を手助けする中堅隊 (芍薬) も出撃の準備をしていたがそれを見合わせ、そのかわりに先鋒隊に、優れた武器 (桂枝) と兵糧 (生姜・甘草・大棗) を支給すると、先鋒は敵を次々となぎ倒して一気に前に進み、次鋒もそれに続いて前進し、敵を追い散らした。

表証があるので、この下虚上実の胸満は自然に戻りにくいかもしれません。いっぽう、下すということは急な変化でなので、そういう胸満なら形状記憶シャツのように元に戻りやすいかもしれません。

その2つの側面から、桂枝湯でも少し時間はかかるが治癒するかもしれません。表証さえとれば、胸満は自然と治癒するかもしれません。とにかく、成書にあるような、風寒の邪が胸中に内陥するという恐い印象ではありません。

しかし、血の郁滞が除かれないとなると、もし瘀血化すればややこしくなります。だから芍薬は抜いたほうがいい。芍薬さえ抜けば、あとは桂枝が衛気を外に発散してくれ、衛気が発散されつつあれば、渋滞していた営陰も衛気に転化でき、衛気・営陰ともに渋滞が解消する。そんな証だと思います。

そもそも芍薬は補法です。補法で悪化するというのは、陰陽の振り子が振れていないからです。補瀉は陰陽ですので、補が補らしくなればなるほど、瀉として効き出します。つまり、正気が補われれば、邪気を排出する力 (瀉) が強くなるのです。陰陽の振り子が大きく振れていれば、少々虚実を間違ったところで効いてくれるのです。下痢すると陰陽の幅が小さくなります。補瀉という陰陽の振れ幅も小さくなり、そうすると大きく補えば大きく瀉に効くという陰陽のメリハリが弱くなる。そのため、きちんとした治療をしないと、もう大目には見てくれない。そういう側面もあります。

もし、桂枝湯証に下剤をかけたのではなくて、自然と下痢したとしても、15条の原則は通用します。下が弱れば上がそれをカバーする…という陰陽の関係が生きているということは、外邪を内陥させずにこらえることのできる素体だと言えます。それから、上焦の気郁の強い人に桂枝湯を与えるなら、芍薬の量を減らすという工夫がいるのかもしれません。

鍼灸で行くなら、外関で行けると思います。桂枝湯桂枝加葛根湯桂枝加附子湯も外関でした。同じところばっかりだ、と思われるかもしれませんが、鍼灸はめぐらせる力が強いので、郁滞を起こすことがありません。この器用さが鍼灸の強みですが、同時に基本をおろそかにすることにもつながります。なんでもそうですね。器用さ・才能をいいことに、基礎をおろそかにすると大成しません。むしろ、不器用であっても、コツコツと繰り返し基礎を積んできた人の方が手本になります。鍼灸家が漢方薬を学ぶ重要さはここにあります。

外関は手少陽三焦経に属し、陽維脈を支配します。奇経が関わるので広範な応用が可能です。興味のある方はこちらをどうぞ。

桂枝去芍薬加附子湯方
於桂枝湯方内、去芍薬、加附子一枚、余依前法、
【私見】つぎに桂枝去芍薬加附子湯です。
22条は「太陽病、下之後、脈促、胸満者、桂枝去芍薬湯主之、若微悪寒者、去芍薬中加附子湯主之、」
という条文でしたね。

基本は桂枝去芍薬湯と同じです。ただし、下剤で下した際に、一時的に下焦の陽気を少し消耗しています。桂枝加附子湯で汗を出した際に陽気を消耗しているのと原理は同じです。寒がっているのが気になるなら、下法で陽気を漏らしたのだろうから、附子を足しておけ、と言っているのです。

鍼灸で行くならやはり外関などです。陽池の反応も同時に改善するよう意識します。陽池は寒邪や水邪、陽虚があるときに必ず反応が見られます。



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