筋肉が攣(つ)る、痙攣(けいれん)する。よく知られるのが「こむらがえり」です。「こむら」とは、ふくらはぎ(腓腹筋)のことです。最下段にその原因と治療について詳しく説明しましたのでご覧ください。

ふくらはぎだけでなく、痙攣は人体のあらゆる筋肉で起こり得ます。軽くピクピクするものから、つって痛みを感じるもの、激しいものは背筋が弓なりになって痙攣する「ひきつけ」もここに含めます。頬やまぶたの痙攣もありますね。

学生のころ、教室で居眠りして机の底を膝で蹴り上げたことはありませんか? 僕はあります。子供を寝かしつけるとき手をピクピクさせますね。あれも痙攣の一種です。しかしこれらは生理的なもので病気ではありません。東洋医学での分析はこれらを包括して説明します。

機能と物質
痙攣を説明する前に、東洋医学の人体の捉え方を知る必要があります。東洋医学的に説明するからです。

まず東洋医学では、人体を「物質」とは見ずに、「機能」として見ます。簡単に言うと、砂糖を「白い粉」として見ずに、「甘さ」として見る、ということです。次元の異なる見方であることが分かるでしょうか。

しかし、機能は非常に捉えにくい概念です。機能を説明する最も分かりやすい手法は、陰陽論を用いることですが、陰陽論を学んだ人は一様に、「難解だ」というでしょう。それはそのはずです。例えば「こころ」は脳という物質にそなわる機能です。奥さんから、「私の気持ちなんか全然わからないのね!」と言われたことがあるのは僕だけでしょうか(笑)。それほど機能というのは難解だということです。僕も含めて、読者の皆さんも謙虚な気持ちで「機能」というものを学びましょう。

ちなみに、古代中国では機能という言葉がないので、「気」という言葉を使いました。気を説明する方法が陰陽論です。これらを用いて病気を説明し治療するのが東洋医学です。

病むのは「筋脈」
明代の「景岳全書」には、痙攣は「不能養営筋脈」が原因とあります。痙攣は「筋脈を栄養できない」のが原因だ、というのです。では、この「筋脈」とは何でしょう。注意しなければならないのは、これが東洋医学の言葉、つまり機能を表す言葉であるということです。西洋医学でいう「筋肉」「脈管」という物質のことではありません。

筋脈とは、「筋」と「脈」のことです。まず、脈についてです。

陰陽とは
まず、前提は生命を地球のような球形として見た場合です。
けいれん 五体図 球形
図をご覧いただくと分かるように、生命には浅部と深部があり、浅部は陽の領域、深部は陰の領域となっています。陰陽を端的にいうと、陰は静、陽は動です。静は物質であり水であり休息です。動は機能であり火であり活動です。水は実体のシンボルです。火は実体はないが熱という機能をそなえた実用のシンボルです。

陰と陽には、それを分ける境界というものが必ずあります。例えば、上(陽)と下(陰)という陰陽では、それを決定づける基準がいりますね。ここから見たらあそこは上、でも「ここ」という場所がずれると、「あそこ」は下になることもあり得ます。「ここ」という場所は絶対的なものではありませんが、「ここ」を確定しておかないと「上下」を論じることはできません。この「ここ」を境界といいます。こんな初歩的な例えでも、ややこしくなりますね。陰陽…つまり機能とは難解なのです。上下という概念は物質ではないから説明が複雑になるのです。

脈とは
生命の浅部・深部を分ける境界を「脈」といいます。もっと詳しく言うと、生命の深浅・上下・左右・前後という陰陽の境界が脈です。脈があってこそ気(陰陽)のダイナミックな運動(昇降出入)は行われるのです。
※「境界」という概念は、北辰会代表・藤本蓮風先生が達観による発案です。 詳細は、藤本蓮風著「東洋医学の宇宙」緑書房をご覧になってください。本ブログでの、「脈=境界」という考え方は、そのお考えをもとに創案したものです。

そういう意味から、脈は循環の大本であるという見方ができ、これを物質的・肉体的に置き換えると「脈管」における血液循環が最も近い概念となります。だから西洋医学は、「脈」という東洋医学の言葉を、「脈管」として使用しているのです。西洋医学でいう脈と、東洋医学でいう脈とは、「白い粉」と「甘さ」ほどの違いがあります。この混同は東洋医学内においてもあると思います。そもそも脈は、奇恒の腑としての脈と、経絡としての脈とに分けて考えるべきです。奇恒の腑としての脈は実体を指し、西洋医学でいうところの脈管と同意義です。経絡とは実用を指し、臓腑経絡という機能を貫くところの脈です。本ブログでは、経絡を脈と表現して進めていこうと思います。

浅部は皮毛・肌肉に分けられます。深部は筋・骨に分けられます。
皮毛は生命を浅部において守るもの。
肌肉と筋は生命を動かすもの。
骨は生命を深部において支えるものです。
脈(機能)を脈管(物質)に置き換えるなら、皮毛は皮膚に、肌肉&筋は筋肉に、骨は骨格に、それぞれ置き換えることが出来ます。ややこしいですね。それもこれも西洋医学が東洋医学の言葉を誤用転用したことによるものです。ちなみに現代中国語では筋肉のことを「肌肉」といいます。

杉田玄白が活躍した江戸時代後期、西洋医学が日本で萌芽しますが、当時の学者は、物質と機能を分けて考えることが出来ませんでした。西洋医学で使われている基本的な言葉は、すべてと言っていいほど東洋医学の言葉、つまり機能を表す言葉です。西洋医学の言葉はご存知のように物質を表す言葉です。たとえば、体と心を同じ言葉で表したらややこしいですね? 体と命は似て非なる概念であり、「こころ」は命の一部です。体の一部ではありません。

余談が長くなりました。が、これを踏まえると、「筋脈を栄養できないと痙攣が起こる」という言葉、何か意味深に聞こえてきますね。

筋とは
そもそも筋は肝臓という機能の一部です。肝臓には風雷に例えられるような機能があり、動的生命力の源です。陰(深部)中の陽(動力)ということもできます。静か(陰)な中に激動の力(陽)を深く秘めている。まさに風神・雷神です。嵐の前の静けさ、一朝ことあらば大地をとどろかし万象を薙ぎ払う力です。筋にはそういう力が具現化されています。短距離アスリートが目をギラギラさせて身構え、号砲とともに地を蹴り飛び出す。これはまさしく肝臓‐筋の働きです。その筋が養われなくなる…。秘めていた本性はあらわとなり、その力を制御できず、筋肉が激しく痙攣します。この現象を「生風」といいます。健康な肝臓とは「能ある風神は爪を隠す」状態をいいます。

肌肉と筋はどちらも動かす力であると言いましたが、肌肉が陽(陽中の陽)で筋が陰(陰中の陽)です。静から動を生み出す力が筋であり、肌肉は動そのものです。筋は将軍のようなもので、肌肉は兵隊と考えると分かりやすいでしょうか。

陰の領域は本来簡単には侵されないようになっています。陰は深部で、城でいえば本丸に相当します。陽は外の守りで城壁です。その本丸が養われなくなるのは、境界である脈がやられているからです。城壁と本丸の区別がなくなる…境界がやられるということは、陰が陰らしくあり得ず、陽が陽らしくあり得ないということで、境界がハッキリしなくなるのです。この原因は二つ考えられます。一つは陰陽の幅が小さくなる、つまり生命力が弱くなったことによるもの。もう一つは強い邪気が襲って、陽の病として処理しきれず、陰陽ともに病む場合です。邪気とは、気候の変動・ストレスなどのことを指します。

つまり、脈が病むからこそ、本来侵されることのない筋が病む、と考えられます。まとめて「筋脈が病む」。筋脈にはこういう深い意味が内在します。

ちなみに痙攣は、栄養されなくなった筋が自ら動くことで潤いを取り戻そうとする側面もあります。乾いたスポンジに水を浸み込ませたいとき、手でモミモミすると浸み込みやすくなりますね。そういう自己修正的な面もあります。しかし、それが激しく働きすぎると筋肉を傷めるなどの副作用も出てしまう…そういう見方もできます。

体液とは
筋脈とは何か、機能的な見方でご説明しました。では、それを栄養するところのものとは何か、これは体液です。つまり栄養分を含んだ水のことで、血液を含めてイメージするといいと思います。これも機能的な説明を試みましょう。
けいれんブログ図 経絡

図にある通り、脈という境界を突き詰めると、水穀の精微となります。水穀の精微とは、わかりやすく物質的にいうと、飲食物を消化吸収して得られた「栄養分+水」つまり体液のことです。後天の精ということもあります。命を養うための水と言っていいと思います。水は物質のシンボルであるとは前に述べたとおりです。

機能的に言うとどうなるでしょう。この水は精微と表現されていますが、精とは静です。ただし、この静は純粋な静ではなく、動に変化する直前の静です。だから静でありながら動も持ち合わせている。この精の、動の部分が宗気や衛気となって、暖かくて動く生命に変化します。また静の部分が営気や血となって宗気・衛気を支えます。その水の本体はあくまでも物質的なもので、栄養分+水です。

この大切な水は皮毛・肌肉・筋骨を潤しています。これが足りなくなってしまい、筋を潤せなくなると痙攣が起こります。

境界は主観に支えられた物質
さて、水穀の精微は体液とつながり、体液は境界であり、物質的側面があります。栄養や水といった実体のあるものに生命は支えられているのは当然のことです。そもそも境界は物質的側面の色濃い概念です。陰陽が相対概念であり機能であるのとはすこし趣を異にします。

たとえば、左と右は物質ではなく機能(実用)ですね。しかし、それらを決定づける境界は、「ここ」という実体のある場所 (物質)です。「ここ」が確定しなければ左右は存在しません。しかも、「ここ」は左右のもとに絶対的に確定した位置であるが、「ここ」をどこにするかは無限の選択枝があり、これは主観によってなされます。このように境界は、ただの物質ではなく、機能を生むための物質です。機能は主観によって価値づけられます。生命誕生の神秘を解くには、このような概念を理解することが方法の一つとなると思います。

「ここ」とはなにかというと、宇宙空間という物質の一部と、「われ」という主観(機能)がここと定めた部分が重なる点です。つまり、「ここ」とは主観によって命(機能)を吹き込まれた物質と言えます。その物質(精)が実用(機能)を生み、機能が実体をより高度なものにし、またその実体が実用を生む。受精卵が細胞分裂するさまは、この過程をたどります。精を解く難しさは生命誕生の謎を解く難しさにつながっています。

主観がなければ機能は生じません。例えば甘さ。これは甘さを好しとする主観があってこその機能(実用)ですね。

機能の「誕生」
もう一つ例を挙げて考えましょう。河原に大きな石が転がっているとします。そのままでは何の意味もない石ころですが、「漬物石にちょうどいいな」という主観が入ると、その時点で実用が生まれ、命が吹き込まれ、使命が生じます。ただの石ころのときは「物質」であったが、漬物石にちょうどよいという主観が入った瞬間に「精」が生じたのです。そして実際に漬物石として使われたとき、物質に「機能」がそなわるのです。この場合、石(物質=陰)と漬物の重し(機能=陽)という陰陽の境界は「使おう」という主観と言えます。ただし、「使おう」はまだ使ってはいません。動に変化する寸前の静といえます。精は陰陽ともに生み出しはしますが、精そのものは陰静的で物質的と言われるのは、この部分だと思います。

ところで、機能の最も高度なものは「こころ」つまり意識です。もし漬物石の機能が高度化して意識となり、「自分は自分の力で漬物を漬けているのだ」と勘違いしたらどうでしょう。人体を、東洋医学では小宇宙と見ます。大自然と人は相似関係にあるのです。ツボが365個あり、天・地・海・雲・山・沢・谷などの文字を付した名称が多いのも、そういう哲学を反映しています。となれば、人に命があり意識があると同様、大自然にも命があり意識があると考えるのが当然です。東洋医学的な生命観です。精という命の根源について、かなり踏み込んだ説明を試みました。

このように考えると、命や機能・実用などというのは、自然発生的にできるものではなくして、誰かから与えられるものだと言えます。自分の力で生きていると考えるとそのうち行き詰まるが、生かされていると考えるとうまくいく…と言われるのも、それが真実を突いているからなのかもしれませんね。

易学では、天地開闢(かいびゃく)前の河図をみると、万物は水から生ずることになっています。しかも、この水は陽であるとされます。水とは本来は陰であり物質を象徴するものなのに、です。精は動を生む直前の静だと言いましたが、通じるものがあると思います。また、鍼灸で境界を動かすという意図で用いる督脈・任脈は、いずれも奇経です。奇経は生命を空間という実体と考えたときの輪郭となるもので、漬物石にしようと決めたときの石と同様の意味があると思います。

余談…水滞の場所
余談になりますが、さきほど体液は境界だと言いましたね。では、それが滞ったときの水滞や湿痰はどこにあるのでしょうか。これにはまず、口から肛門までの管のなかにある水滞と、体に吸収されて後の水滞とに分けて考える必要があります。腸管にある水滞は陽明病の範疇でしょう。邪は陽分にあり、肌肉(気分)にあると思います。これは瀉法で比較的簡単に取ることが出来ます。問題は、吸収された方の水滞で、これは脈にあると思います。つまり境界が侵されていることになります。考えてみれば、腎臓が病んでも脾臓が病んでも水滞が起こります。腎臓は地球でいうところのコアに当たるので境界と言えます。脾臓は中焦にあって、上下の境界となります。どちらを病んでも境界を病むことになります。湿は留恋してしつこいと言われるのは、境界を病んでいるからなのかもしれません。

さまざまな痙攣とその原因
痙攣の程度の軽重は様々ですが、太い脈が侵されると激しい痙攣…つまり、エビぞりになって白目をむくような状態となります。微細な脈が侵されると、どこか一ケ所のみがピクピクする程度のものとなります。

以上を踏まえたうえで痙攣の原因を見ていきましょう。

1. 外邪が経絡をふさぐ
外邪とは気候の変動のことです。急に寒くなる・熱くなる・湿気が増える・風が吹く…などです。体にはそれらから身を守るバリアのような働きがありますが、気候の変動があまりにも激しすぎると、バリアを破って生命に侵入します。カゼをひいて筋肉がピクつくとイメージしてください。

このバリアのことを衛気と言います。外邪は衛気を阻遏します。衛気のもつ温める力は機能不全に陥ります。宗気の動かす力は、衛気の温める力によって助けられていますので、衛気が弱ると宗気も弱ります。宗気は脈の一部なので、結果として「脈が養われない」状態となります。脈は陰陽の境界ですので、陰であるところの筋にも影響が出て、軽い痙攣・背筋の強ばりがおこります。

ここで疑問がわきます。脈は陰陽の境界で、これが病むということは生命のコアが病むということでもあり、陰陽ともに病むということです。カゼを引いたくらいでそんな状態になるものなのでしょうか。

そもそも、脈、つまり経絡(境界)を病むと言っても色々なステージがあります。経絡はちょうど毛細血管のように体のあらゆる場所に張りめぐらされています。そのうちの、浮絡と呼ばれる体表に分布する絡脈があり、その絡脈の脈外をめぐる衛気が阻遏され、脈が動かなくなるのですから、全体の脈からみると、ごく一部の脈が動かなくなっているにすぎません。

例えば胃に問題が起こったとします。臓腑経絡は一体であると考えると、胃が病むということは脈という境界を病んだということになります。しかしそれは、胃+足の陽明胃経という脈のみが病んでいるのであり、他の十一臓腑経絡は病んでいないのならば、生命全体としては境界を病んでいるというほどのものではありません。この状態で痙攣をおこすなら、足の陽明胃経上のみに起こるはずで、痙攣としては重度のものではありません。

生命全体としての境界を病むとはどういうことでしょうか。陰陽ともに病む…気血両虚・気陰両虚などです。これらは非常に体が弱った状態です。経絡そのものが弱るとか、臓腑や経絡に邪が入るとか表現されますが、これは脈という陰陽の境界がすべて機能不全に陥った状態をいいます。つまり、十二臓腑経絡すべてが弱っているということです。この状態で邪気が侵入し痙攣が起こるならば、体全体の重篤な痙攣がおこります。特に陽(動)を統べるところの督脈に集中し、反り返って白目をむくような状態となります。

こういう立体的な理解が必要だと思います。

外邪によって痙攣がするのは、十二臓腑経絡それぞれの浮絡という脈の一部が侵されるということで、十二経絡という脈すべてが病んではいますが、それは軽い状態です。だから背筋(督脈)が強ばる程度のものとなります。太陽病の頭項強痛は、太陽膀胱経という脈の浮絡のみが病んだ、微細な痙攣という言い方もできると思います。

●症状…頭痛・項背が強直する・悪寒発熱・肢体が重く力が入らない・ひどい場合は口をつぐんでしゃべらない・四肢の筋肉の痙攣。
●治療方針…祛風散寒・燥湿和営。
●鍼灸…外関・身柱など。
●漢方薬…羌活勝湿湯・葛根湯・瓜蒌桂枝湯など。

2.外邪が陽明に伝経する
バリアを破って侵入した外邪を、皮毛から肌肉の表面(肌表)までの間で始末することが出来なかった場合、外邪は火熱の邪と変化し、肌肉の中に侵入します。肌肉(陽)に激しい熱が居座ると、熱は体液(陰)を乾かし、陰陽ともに病むという形になります。邪気が激しすぎて境界(脈)がぼやけた状態です。肌肉の熱は筋に放射し、筋は乾いて栄養されなくなります。高熱でひきつけを起こすのはこの状態です。

このとき、生命はその熱を皮毛から追い出すことが、もうすでにできなくなっているので、腸管から大便とともに追い出そうとします。これが陽明病です。この時、体液とともに腸管内にある大便までが乾いてしまうと、熱を追い出そうにも便通が付かないのでできなくなります。これが承気湯証です。もし糞便が乾いていなければ白虎湯証となります。

浮絡が病んでいただけの「1.外邪が経絡をふさぐ」の段階から、臓腑からの本管である経脈に邪気が迫っています。経脈まで迫らずとも、主要な支管である絡脈に迫っているばあいもあります。ステージによって様々ですが、強い痙攣となります。

承気湯証
●症状…発熱胸悶・煩躁・口をつぐむ・歯ぎしり・項背が激しく強ばる・ひどい場合はエビぞりになる・手足が痙攣する・腹が張り便秘する・黄膩苔。
●治療方針…泄熱存陰・増液柔筋。
●鍼灸…上巨虚など。
●漢方薬…増液承気湯など。

白虎湯証
●症状…高熱・頭痛・嘔吐・自汗・口噤・痙攣・角弓反張・甚则神昏・うわごと・口渇・紅舌黄苔乾燥,弦数または洪数。
●治療方針…清熱透絡,鎮痉止抽。
●鍼灸…霊台・手の十井穴・後渓など。
●漢方薬…羚麻白虎湯

3.ストレス・飲食による熱
ストレスによる邪熱が肌肉を犯すこともあります。ストレス性の痙攣…例えば顔面など…はこれに相当します。熱は上に昇りやすい性質があるので顔面に出やすくなります。
もし皮毛から肌表の浮絡の気分にこもった熱ならば、運動によって取ることが出来ますが、これはかなり軽い段階です。肌肉のなかの絡脈の気分にこもった熱ならば大便とともに排出する必要があります。
熱が肌肉にとどまり体液を乾かすのは、「2.外邪が陽明に伝播する」と同じです。

食べ過ぎ・飲みすぎによる熱が肌肉を犯す場合もあります。ストレスがあると食べ過ぎてしまいますね。「3.ストレスによる熱」と「4.飲食による熱」はタッグを組んで肌肉の熱を取れにくくすることがよくあります。

●症状・治療方針・鍼灸・漢方薬…2.外邪が陽明に伝経する に準じる。

4.体液(陰)の不足
体液が不足して痙攣するという点では、熱中症によるこむら返りを連想すると分かりやすいかもしれません。汗が出て体液が不足して痙攣する…というイメージです。もちろん、熱中症は1.2.の外邪の影響も考えて治療しなければなりませんので、体液の不足=熱中症ではありませんが。

体液が足りなくなる原因は、①汗のかき過ぎ、②吐きすぎ、③下痢のし過ぎ、④出血過多、⑤久しく病んで体力がなくなった場合、⑥もともと体が虚弱の場合…などです。①②③は体液を失った場合です。④も体液を失ったものと言えますが、血を失うとそれを補充するために精を消耗する(精血同源)とも言えます。ここでいう精とは水穀の精微のことで、この精は水でもありますので、結果として体液を失うことになります。⑤と⑥は腎精そのものを損傷しているので、結果として水穀の精微も不足します。

いずれにしても、①~⑥すべてに言えることは、体液(陰)を激しく消耗すると、気(陽)を消耗してしんどくなるということです。弱りが原因で境界である水穀の精微が不足しているのですから、陰・陽ともに補う必要があり、実際の治療としては気(陽)と血(陰)がともに弱った状態、つまり気血不足として治療します。

純粋な気血不足なら痙攣すら起こす力がないと思いますが、動の力が出るということは、やはり肝気が相対的にシッカリしているのでしょう。ただし、ここでいう肝気は誤った肝気です。肝気には正しい肝気と誤った肝気があります。このような荒ぶる肝気を気血のオブラートで包んであげるのです。

●症状…もともと体が弱い・出血や汗下過多の病歴がある。項肩が強ばる・四肢がつる・めまい・ 自汗・ハアハアいう・精神疲労・舌が乾燥し苔が少ないなど。
●治療方針…益気補血・缓急止痙。
●鍼灸…足三里‐三陰交・公孫など。
●漢方薬…圣愈湯(四物湯+人参・黄耆)

5.瘀血による血の不足
瘀血とは血の滞りのことです。流れている血は生命の一部ですが、滞っている血は生命を邪魔するもの…つまり邪気となります。瘀血がある分だけ、まともな血が減りますので、精血同源の理により水穀の精微の不足、つまり体液の不足となり、筋を潤せなくなります。
簡単に言うと上記のようになるのですが、もう少し深く考えましょう。そもそも瘀血は気滞・邪熱・気虚などによって起こります。気滞と気虚は陽分の推動機能の停滞をもたらして陰分の血を動かなくし、邪熱は陽分にあって陰分の血を煎じ詰めます。共通するのは陽分も陰分もともに病んでいる状態で、これは境界を病んでいるということになります。境界である脈が病むと筋を潤せなくなり、痙攣となります。

●症状…針で刺すような頭痛がある・項背が強直する・るい痩・精神疲労・四肢がつる・舌が紫がかる
●治療方針…益気化瘀・活络止痉
●鍼灸…臨泣・三陰交・血海・神門など
●漢方薬…通竅活血湯

6.陽気の衰え
例えば手術後から痙攣するようになったとか、急に寒くなったとか、急激な陽気の衰え…つまり冷えが起こって痙攣が始まったとします。こうした陽気の衰えは徐々に全体に及んだ陽気の衰えではなく、急激であるために、筋の陰中の陽はまだシッカリしていることがあります。
陽気の衰えは精を作る働きを鈍らせたり、精を血に変える働きを鈍らせたりして、結果として体液の不足をもたらします。筋は栄養されなくなり、痙攣をおこします。

ちなみに、手術は陽気を急激に損なうとは私見です。大建中湯が手術後の腸閉塞を予防できるというエビデンスが西洋医学にあるのをご存知でしょうか。東洋医学を信じている、信じていないにかかわらず、術後の腸閉塞を予防するために、外科医はこの漢方薬を無条件で処方するそうです。大建中湯は乾姜・山椒という温める力の強い生薬でできています。これをすべての患者に処方して悪化がほぼないということは、手術はかなり陽気を損なうということが一般論として言えると思います。

●鍼灸…腎兪・気海・復溜など

眠りにつく時のビクビク
眠りに落ちるときに手足や顔がピクピクするのはなぜでしょう。その前に、入眠を東洋医学的に説明してみましょう。前述のように、生命は陽と陰とで成り立っています。陽とは活動、陰とは休息(睡眠)です。昼間の活動期は、陽が外に張り出し、陰は内で陽を支える形を取ります。生命を一つの球体と考えると分かりやすいかもしれません。球の外側の表面には陽が、内側の中心部分には陰が、という配置になります。陽が外に張り出すということは、活動が盛んということです。

眠りにつくとき、その陽は内に入っていきます。中心部分には陰があり、陰は陽を中和して、生命は陰そのものとなります。これが睡眠(休息)の状態です。
※これは教科書的な説明で、実際は陰そのものではなく、精の状態になると思われます。動のための静の状態です。いったん受精卵のような精の状態に戻ることで、翌朝からまた活動することが出来ます。しかし、ここは陰になると考えて、分かりやすく話を進めます。

だだし、これはかなり急激な変化です。それまで覚醒していた状態(陽)から、意識のない状態(陰)になるのですから、陽が内に入る時に、変化が激しすぎて、陰によって中和されるのに時間がかかります。中和されきるまでの時間は、内(陰)に中和されない陽が存在する状態となり、一時的に熱が非常に盛んになり、体液を乾かして、ピクピクします。

内に入った陽が暴れても、全身的な重度の痙攣とならないのは、おそらく浮絡を境界とする陽が暴れるにすぎないからです。大きな脈…例えば督脈を境界とする陽が陰に入って暴れたとしたら、エビぞりになって激しく痙攣するはずです。督脈ほどの大きな脈になると、その陽は皮毛・肌肉だけではなく、筋骨・臓腑などの深いところまで温めます。それが制御できないのですから激しくなります。

人体で最も陽の強い場所は、頭部も陽気が強いですが、手足も引けを取りません。陽を動とみなすと、確かに手足は最たる実働部隊です。そういう場所に限定した浮絡を境界とした陽と陰では、つねに陽が優位であると考えられます。だから、眠りにつく時は手足や顔がピクピクしやすいと考えられます。とくに二十歳ぐらいまでは陽が特に盛んなので、若い人ほどハッキリ出るということです。

応用例…夜から明け方のこむら返り
臨床でよく見かけるのが夜中から、とくに明け方の「こむら返り」、ふくらはぎの痙攣です。一口に明け方のこむら返りと言っても、原因は様々です。まず、夜にはどのような特性があり、朝方にはどのような特性があるのかを知る必要があります。

夜中のこむら返りについて。日中、生命の表面に張り出していた陽は、夜になると裏面に入ります。その時、裏面にもともと存在する陰が、入ってきた陽を中和し、落ち着いた睡眠を演出します。ところが、この陰がもともと不足していると、陽を中和しきれず、火熱の邪として生命にダメージを与えます。この部分は2.外邪が陽明に伝経する・4.体液の不足と病理は同じです。3.ストレス・飲食による熱が陰を弱らせて夜間の火熱の邪を増幅しているかもしれません。これら3つを考慮に入れて治療を行います。

また、5.瘀血による血の不足も関与するかもしれません。瘀血は陰邪で、陰の盛んになる夜に増幅します。夜間に4.体液の不足を生む原因になります。

明け方のこむら返りについて。明け方は、肝気が盛んになります。「さあ起きよう!」という力は、寝ている間に水面下で増強するからです。もともと気血の弱りのある人は、肝気が高まる…つまり気が高まると血が弱る、というシーソー現象が起こります。これは4.体液の不足と同じ状態です。そのうえ、明け方は1日の最低気温になる時間帯です。自然界と人体は呼応するので、生命も冷えの状態になりやすくなります。特に気血の弱りがもともとある人は、これがハッキリ出ます。6.陽気の衰えと同じ状態です。もしかすると1.外邪が経絡をふさぐが関与し、表寒の邪の影響が明け方に強く出ているかもしれません。これら3つを考慮に入れて治療を行います。
※静と動は精という境界線をはさんで互いにバランスを取り合う関係にあります。もし精が弱い状態で境界線がぼやけてしまい、かつ動だけが高まったとき、静は動を牽制することができず、動が独り歩きする形となります。これが気実血虚です。精が弱まり動すら生み出しかねる状態となると気血両虚となります。気実血虚になるか気血両虚となるかは、肝気がどの程度シッカリしているかがポイントだと思います。肝気には「正しい肝気」と「誤った肝気」がありますが、どちらの肝気も精のバックアップがないと存在できません。肝気の正誤は心神の光の照らす方向によって決定します。

また、こむら返りと言っても、ふくらはぎの後ろがつるのか、前がつるのか…など、場所の問題もあります。後ろがつるなら腎臓の問題、前がつるなら脾臓の問題となります。つまり先天の元気が弱っているのか、後天の元気が弱っているのかを判断し、スコープする位置を調整して治療にあたります。

こむら返り一つとっても、様々な原因が考えられることがよくわかります。あらゆる痙攣は、このような知識を材料として、その人その人の特性に沿いながら組み立てて診断します。生命は分割できないので、原因は一つではありません。時処位に応じて主要となる原因は変化します。その変化の大本は何かを見定めたうえで、臨機応変の治療が行われます。