ガン。ぼくの両親を奪った病気です。父は40代でたおれ、母は60代で亡くなりました。以来、なぜガンになるのか、なぜ人は病むのか、死ぬのか、なぜ生きるのか…ということを考え続けてきました。鍼灸を志したのも、ガンを治すためでした。

なぜガンになるのか。

ガンは特殊な病気だと考えられています。

しかしぼくは、ガンを特別な病気だと考えていません。むしろ、特別なのは病気という範疇に属するすべてで、ガンもその一つに過ぎないと考えています。言い換えれば、それほどに病気というものは、たとえそれが肩こりであったとしても、治し難いものだということです。

そんなことはない、薬を飲んで病気が治ったよ、とおっしゃる方もおられるでしょう。しかし、それは決して治ったのではありません。

人はなぜ病むのか
人はなぜ病むのか。治療とは何か。その哲学が浅いから、我々はガンを特別扱いするのだ、僕はそう考えています。

徹夜でマージャンをしたとします。それで、頭が痛くなったとします。痛み止めを飲んで、頭痛が止んだとします。だから、今夜もマージャンをするのです。

こういう風に言う人がいます。「病気になったのは、何か自分に誤ったところがあったからだ。胸に手を当てて省みるべきである。それを忘れて、医者よ薬よと騒ぎ立てるのは、順番が間違っている。」

病気の原因は証明できない
病気とは、人間として成長するためにあるのです。社会組織にもそういうものがありますね。警察です。社会として成熟した「大人」になるために、道を外れたことをする人を取り締まるのです。

人体も組織です。細胞が一つ一つ集まり、統合体を形成します。だから警察と同じような機能を持っている。それが病気です。社会組織が成熟する必要性を、科学は説明し証明しうるでしょうか。生物学では共食いは否定されません。人間として成長する必要性を、科学は証明できません。だから病気は治らない、治せないのです。

「組織」の意味するところをよく考えてみましょう。これはなかなか難しい概念です。お医者さんは人体組織を可視化できると思っているかもしれませんが、社会組織を可視化できるでしょうか? 一部はできますが、一部はできません。社会組織を構成する根幹は、一人一人の「こころ」です。

これだけ進歩した西洋医学において、じつは病気の原因が分かっていないものかほとんどです。たとえば口内炎すら原因不明です。薬の注意書きに「この薬は症状を抑えるためのものであり、原因を取り除くものではありません」とあるのを見たことはありませんか? 

話がそれました。

病気は、何かに気づかせるために存在する。その何かとは、人間性の成長を阻み、病気の治癒を邪魔するもの…。それは、病んでみて、自分を見つめなおしてみて、初めて見えてくるものです。


病気は、むしろ味方?
まず、簡単な例え話から入っていきます。病気の代表的なもの、痛み…。単純に骨折で考えてみましょう。当然、激痛があります。この激痛という取締り (警察) がなかったらどうでしょう。足が折れていても歩いてしまいますね。結果、骨がくっつくことはありません。痛みは、組織を修復するために必要なのです。

頭に痛みがあるからこそ、「今夜はマージャンは控えよう」…そう思えるのです。それは明日からの健全な生活につながる考え方です。

痛み止めを飲んで頭痛が治ったとしても、それは病気が治ったわけではない。後日に禍根を残すのです。頭が痛くなるほどに連日連夜マージャンをやりたいと思う「欲」こそが病気の本当の素顔です。「欲」を改めない限り、病気が治ることはあり得ないのです。

「欲」が原因
マージャンは遊びたい欲です。その他にも、欲にはいろんなものがあります。食欲・性欲・怠惰欲・物質欲・支配欲・我欲からくる怒り・旅行に行きたい欲・ゴルフをしたい欲・ゲームやパソコンがしたい欲・自分さえ良ければよいという欲・仕事をたくさんしたい欲…数え上げれば切りがありません。その欲すべてにおいて、過剰がよくありません。ただし適度な欲は良いのです。ぎゃくに欲がまったく無くなれば、人間は命をつなぐことができなくなります。

頭痛薬を飲み続け、痛みが消えたとしても、「欲」は消えません。いやむしろ、その炎はますます勢いをまし、生命を焼こうとするのです。すると、生命は自らを守ろうという反応を起こします。頭痛が薬で出せなくなった。ならば、もっと他の部分に、そのシグナルは発現します。中年以降に出る様々な病気をイメージするといいでしょう。めまい・膝痛・糖尿・胸痛・胃痛・耳鳴り・不眠・疲労感・腰痛・痔・うつ・むくみ…など、その表現は多彩です。

欲は人間の証し
ここて、前提として確認しておきたいことがあります。欲というと、倫理的な響きがありますが、決してそうではありません。人間という種の特徴ともいえる、極めて生物学的なものです。

たとえばライオンは、腹が満たされていれば、シマウマがそばを歩いていても、見向きもせず寝そべっています。しかし人間は、ライオンとは違います。どこが違うかというと、大脳です。大脳が非常に発達した人間は、いくら腹が満たされていても、シマウマがそばを歩いたいたならば、それを今のうちに捉えて、どうにかして保存し、困ったときに食べることはできないものか…と考えます。頭が良いということは両刃の剣です。過剰な欲にもつながるし、高い人格としての普遍愛にもたどり着くことが可能です。

これが人間という種の特徴です。

もう、あとがない
さて、外堀・中堀・内堀の構えを備えた城郭を人体生命と考えると、「欲」は敵軍です。敵軍はまず、外堀を攻めます。城は外堀に最前線を敷き、せめぎ合います。外堀が陥落すると次は中堀に最前線を敷き、中堀が陥落すると次は内堀に、内堀が陥落すると…。本丸が戦場になってしまうと、もう次がありません。実は、これがガンなのです。

外堀が頭痛だとしましょう。もし今夜のマージャンを止めて、頭痛が治ったならば、これは敵軍を追い散らせたということで、完治です。マージャンを止めることなく、頭痛薬で頭痛が消えたならば、中堀に敵が入ったということです。もう外堀に敵はいないので、頭痛はありません。中堀でめまいが起こったとしましょう。また薬で消す。内堀に入る。疲労感が起こる。薬で消す。この間、マージャンは相変わらず続いています。

最後に本丸に入る。薬で消す…これができない! なぜなら、本丸よりも奥がないからです。だから、ガンは薬では治らないのです。もし、ガンを治す薬が発明されたならば、ガンに変わる不治の病が生まれるでしょう。

その場しのぎの恐ろしさ
敵を落ち散らすことなく、外堀だけを守ろう、中堀だけを安全に、内堀さえ敵がいなければいい。本丸や他の堀がどうなっても俺の知るところではない。そんなうわべだけを取り繕うような浅い考え方をしているから、深い部分が侵されてしまうのです。粉飾決済とか、文書改ざんとか、カンニングとか、そういうものと同じ雰囲気なのが見て取れるでしょうか。

なぜこんな簡単なことが、いならぶ先生方をもってして分からないのか。

もう一つ、例えで考えてみましょう。人体は組織です。これは社会組織と何ら変わりはありません。人体は37兆個もの細胞から組織されています。地球上の人口が77億人であることを考えると、人体がいかにメガ組織であるかが分かります。各細胞は、心臓・腎臓・胃などの小組織をつくり、その小組織同志が協力し合って、人体組織という大組織が出来上がるのです。

さて、そのような人体組織を我々はどう扱っているのでしょうか。消化器科・呼吸器科・循環器科・腎臓科・泌尿器科・耳鼻咽喉科・眼科など、病院はいろんな科に分かれています。それぞれの科にはスペシャリストの先生がいて、消化器が悪いと言ったなら消化器専門医がこれを治すべく担当者となり、心臓が悪いと言ったなら心臓専門医が担当者となります。

会社という組織で考えましょう。組織を構成するのは一人一人の社員です。人事課・経理課・営業課・商品開発課・製造課などに分かれていて、これは小組織です。会社全体が大組織となります。いま、営業課に人不足というトラブルが起こったとします。そうした場合、会社組織はどのような対応を取るでしょうか。人事課が新規の雇用に動くかもしれないし、他の課が犠牲的な一時的応援をするかもしれません。あるいは営業課がこのまま辛抱することも考えられます。その決定を下すのは社長さんで、社長がそうさせるのです。

もし、これが人体組織なら? 営業課にトラブルが起こったら、営業課専門の特別コンサルタントが営業課に入り、営業課を益するような方法を講ずる。もちろん、社長には無断です。ゆえに、営業課「のみ」を益するような結果となってもおかしくありません。

病院は…。いくつもの科に分かれて、それぞれの科の先生が、それぞれ最善の方法をもちい、それぞれの小組織にテコ入れする。しかも、A科の先生は、B科の先生のなさることに口出ししにくい。当たり前です。Aクリニックが科の違うBクリニックに指図ができるでしょうか? 指図できるのは社長さんだけなのです。しかし、現代西洋医学の医療体制には、その社長さんがいない!

城には城主がいます。これを無視して、外堀担当者が外堀さえ良ければよいと考えていたら、城はどうなりますか? 

疏泄太過という考え方
堀ちえみさんがリウマチからガンになった、名倉潤さんが椎間板ヘルニアからうつになった…。城と敵との関係に当てはめてみると、分かりやすいかもしれません。

しかし、いつもこんな風にA病からB病にすぐ移行するわけではありません、移行するまでの間、無症状であることがよくあります。だから因果関係が見えづらいのです。この無症状こそが問題で、敵が城内に入っているのに、城側が反応できず、せめぎあいが起こらなければ、無症状となります。無症状は健康とは限らないのです。

不健康な無症状を、疏泄太過といいます。初期ガンはすべてこれです。ガンがあるのに自分でガンが分からない。病気なのに自分で病気が分からない。疲れがあるのに自分で疲れが分からない。

たとえばストレスがあるとします。ストレスは病気の原因です。ストレスの原因には、様々な葛藤、欲があるものです。そういった原因に向き合い、自分の至らなさを省み、悟る。そうやって、まっすぐ壁を乗り越えていくのが正しい道です。ところが、その壁からそれて斜めや横に、誤った道に進む。それは、その場はその方が楽なのです。しかし、その方向には、やがてもっと分厚く高い壁が現れます。

こんな風に言う人がいます。「広くて整備された新道は途中で途切れている。細い旧道は険しいがどこまでも続いている」…正しい道は険しいが希望がある。誤った道は最初は楽だが希望がない。だから、結果としては、誤った道にそれるのは、しんどいことなのです。その場、すこししんどくても、正しく真っすぐ壁を乗り越えた方が、結果として楽なのです。アリとキリギリスですね。

壁を乗り越えるのではなく、どうやってそれるか。我々はいろんな方法を使います。たとえば、ストレス食い。酒色におぼれる。趣味にのめりこむ。あるいは怒りで乗り切る、仕事にのめりこむ…。これらはすべて逃げです。その場しのぎです。誤った道に舵をきっており、正しい疏泄ではなく、誤った疏泄なので、疏泄太過といいます。つらさ (ストレス) から逃げている、逃げ場所があるので、症状は出ません。

やがて、もっと高い壁がはだかる…それが病気です。病気は我々に何か大切なことを教えようとしてくれている。しかし、それでもなお「薬」という逃げ方があります。すると再び疏泄太過になる。壁にぶつかる。次なる病気となる。薬で逃げる…。それを繰り返した結果、逃げ場所がなくなった状態が、ガンである。もうお分かりですね。

疏泄太過の原因
疏泄太過を起こす代表的なアイテムは、西洋医学の薬です。

しかしそれだけではありません。気を付けなければならないのは興奮です。怒り過ぎ・喜びすぎは、薬と同じように症状を消します。

その他、鍼灸・漢方薬・整体・マッサージ・ヨガ・サプリ・栄養ドリンク・カフェイン・白内障の手術にいたるまで、「症状さえ取れたらよい」という意図をもって用いられる (対症療法) ならば、すべて疏泄太過に舵を切ることとなり、問題が解決するどころか、かえって高じさせてしまうのです。国民の2人に1人がガンになるという異常事態と照らし合わせてみてください。

疏泄太過の治療
このように考えると、原因となる過剰な欲を、正常値内の欲に安定させることが重要であることが分かります。それは、ガンであろうが、他の病気であろうが、同じことです。難しいことに何ら変わりはないし、ガンだから難しいということもありません。ただ、ガンの特殊性は、もうごまかしがきかないという一事なのです。これは、脳梗塞・認知症でも同じことが言えます。

薬を飲むのが悪いというのではありません。人間的に成長せぬままに病気は治らないということなのです。警察の活躍する場のない社会組織こそ求められるのです。

東洋医学のガンにおける病因病理を見ていきましょう。ストレス (怒り過ぎ) ・食べ過ぎ・運動不足 (怠惰の行き過ぎ) ・無理のし過ぎ…。こうした病因から、様々な病理的産物…すなわち気滞・邪熱・湿痰・瘀血を生じ、ガンが形成されます。そうした病理的産物が、生命力・回復力・体力といった正気を傷つけ弱らせ、そして生命力がついえて死に至るのです。

病理的産物を治療で除去する。除去と同時に、そのソースを断つべく疏泄太過の治療をする。すると病因が減ってくる。そして、その病因のむこうにある「欲」も程よく削れる。病気が改善し人間的に成長した姿がそこにはあります。

抗がん剤の是非
抗がん剤・手術などが、なぜガンにある程度効くのか。以上の視点から見たとき、その副作用に理由があることがわかります。

ガンの西洋医学的な治療は、楽になるということはありません。こういう薬は、ガンの薬以外には見当たりませんね。ふつう、薬というのは、楽にするために用いるものです。ところが、疲労感が出て、食事がとれなくなり、動き回ることができなくなります。なにも苦痛がなかった生活から、苦痛に耐えざるを得ない生活に変わってしまいます。

実は、強制的に疏泄太過を押さえつけることに、結果としてなっているのです。副作用によるつらい症状が、実はブレーキに効いているのです。体力がもてばという条件付きで、ガンに効きます。ただし、ガンは弱くなりますが、体力がどこまで持つかが勝負で、体力がもたなくて寿命を縮める場合も少なくないと思います。

ガンになる前は症状を消す薬を用い、ガンになってからは症状を出す薬を用いる。皮肉です。

ガンの数値の捉え方
疏泄太過のときは自覚症状がないので、本人は調子よく感じます。しかしガンは進行速度を増しているときなので数値は上がる可能性が高くなります。自覚症状が出ているときは逆のことが言えます。

それとは別の視点で、数値はあくまでも数字であるという見方も必要です。たとえばテストの点数。…点数だけで判断してはいけない部分と、点数から類推される部分とがありますね。大切なのは、子供がやる気になって勉強しているかということ。楽しんで勉強できているなら、いま少々点数は悪くとも、次第に良くなっていくでしょう。いま点数がよくても、油断をしていればそのうち悪くなるはずです。

中学校の定期テスト、高校受験のための模擬テスト、大学受験のための模擬テスト…これらテストの種類によっても点数の出方は異なります。定期テストなら一夜漬けでもそこそこの点にはなります。しかし大学受験なら、少しやったくらいでは点数に反映されません。いや、中学にさかのぼって基礎からやりなおす必要のあるときは、点数はむしろ悪くなることさえあります。

リウマチの炎症の数値や糖尿病のA1cは、治療をやっただけ下がる傾向にあります。腎不全のクレアチニンは食養生が必要で、やっただけは下がりますが、無理やりやらされているようだとリバウンドが来ますので、疏泄太過を治療で収め、無理なく食養生できることが不可決です。

以上が中学のテストだとすると、ガンは大学受験のテストのような数値の出方をします。

真実の治療
なぜガンになったのか。それが分かれば、その逆をやればいい。治療においては、疏泄太過をどこまで食い止められるか、正常化できるかがポイントです。

たとえばガン患者さんで、食欲旺盛となる場合があります。これは疏泄太過で起こるのですが、特徴は白いご飯を食べないということで、おかずやお菓子ばかりを食べます。いくらダメだといっても無駄です。食べたいから食べているからです。

「ガンが食べるんです」…西洋医学の現場でもこんな風に説明される場合があります。こうなったものを食い止めるのは至難の業であることもあります。助かるガンもあれば、助からないガンもあるのです。

疏泄太過を食い止めるのがポイント…というのは、どんな病気でも、僕の治療の場合は同じことです。軽度の病気でも、言うことを聞かない患者さんはいます。そこをどうやって正しい道に軌道修正していくか、それに心を砕いて常に治療に当たっています。そのなかで、数々の奇跡が起こっています。一方で途中下車される患者さんもたくさんおられます。難しさはガンも同じことです。

人の心を動かすというのは、並大抵のことでできるものではありません。治療家は、常にそういうトレーニングを積んでいることが大切で、ガンだから特別なことをやろうとしても、普段からやっていなければ、できるものではありません。

どんな病気であっても、真実の治療を行う。眞鍼堂の考え方です。

「先生のところに来るようになってから、考え方が変わった」…そういう声が聞かれなければなりません。表情が変わり、発想が変わり、価値観が変わる。そして習慣が変わり、体質が変わる。奇跡はこうして起こるのです。


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