努力って何か?という話で、「自分もすごく努力してるのに」なんていう嘆きに近い話を聞くと、「その努力はちゃんと目的に向かってるのか?」というのが頭を横切る。
努力ってのは正しい目標に対するプロセスの話ですからね。プロセスが目標にマッチしてないとあまり意味がないのです。多くは目標設定の誤りから始まって、更に目標とプロセスの乖離が発生し、明後日の方向に努力するという事が起こってる気がする。例えば、本当は英語で日常会話が出来るようになりたいと思っているのにも関わらず、「英語が出来るようになりたいからTOEICで700点取るぞ!」という謎の目標設定をしてしまい、更には「頻出単語を毎日10個覚える」という面白い行動をとってしまったりする。
これは、富士山でサバイバルをしたいと思っている人が、「7号目まで登れるようになる」という目標設定をしてしまい、更には「毎日腕立て腹筋を20回ずつやろう」と決めるぐらいぶっ飛んでいる話に見えてしまう。
TOEICで700点とって、英語が出来るようになっているかどうか全くわからないので、そもそも目標設定が不適当。更に、英単語の積み重ねてもTOEICで700点を取る事にも繋がらないので努力の方向性が不適当。それでも、本人たちからすると「頑張ってはいる」訳で、「同じ努力をしてるはずなのに、なぜかあいつの方が出来る」という事になってしまう。
何かを努力するときの一番最初の問いは、常に「要件は何か?」ということ。漠然と「英語が出来るようになりたいです」と言ったところで努力のしようが無いです。単純に「強くなりたいです!」なんて言われたってわからないじゃないですか。「ヤンキーが喧嘩で負けないようになりたい」というのと、「いやー、クマに勝てるようになりたいんですよ」というのではやるべきことが随分と違うんです。まずは「日常会話が出来るようになりたい」という風に要件を定義してやる必要がある。まだこれでも漠然としているので、「旅する時に出会った人と英語で会話を楽しむ事ができるようになりたい」ぐらいハッキリすると良い。
次にすることは「どうやったら要件を達成できるか?」について悩む必要がある。こんなの家でウンウン唸っていてもわからないので、実際に旅してみる必要がある。実際にやってみて、自分が今どういう状態で、何が足りないのかがハッキリする。「言いたいことは何とかジェスチャーででも伝えられるけど、相手が何を言ってるのかわからなくて会話にならない」というような事がわかるようになる。他にも「二人で喋ってる内は相手が合わせてくれて会話になるけど、3人になると早くて聞き取れない」という課題が見つかる。
何も考えないと「聞き取りが苦手だからリスニングを頑張る!」になってしまうかもしれない。重要なのは考えるということ。例えば「日本語だったら早くても聞き取れるのに何故英語だと聞き取れないのか?」と考える必要がある。単純に耳が慣れてないから聞き取れないのかも知れないし、「言い回し」のパターンを知らないから補完が出来ないのかもしれない。耳が慣れてないといと一言で言ったって、ニュースキャスターが喋ってるような丁寧な喋り方で聞き取れても、普通の人はクセがあって聞き取れないかもしれない。もしそうなら、いくら丁寧な発音のリスニング教材で勉強しても問題は解消しないかもしれない。また、日本語だったら、煩い場所で相手が喋ってる単語が幾つか聞き取れなくても理解できたりする。それは言い回しの引き出しが多いからだ、となれば言い回しを色々覚えれば聞き取れるようになるかもしれない。それがわかれば目標が立つ。
目標がたったら、次は教材を探す必要がある。単純に英会話学校に通えば良いという話になるかもしれないし、クセがある発音を聞き取るならば「映画を英語で見る」ことが良いかもしれない。難易度とか目標にあったモノを探してくる必要がある。何度も繰り返して映画を見ることで、「この映画だけは字幕無しで理解できるようになろう」とかそういうプチ目標もたつかもしれない。
ある程度頑張ったら、テストをする必要がある。テストと言っても何処かで試験を受けてくるわけではないです。もう一回旅をして、前回と比べてどれだけ前に進んでいるか?を確認してくるのです。前と大して変わってなければやり方が間違っていた可能性が高いので、再度目標設定をやり直す。あるいは、前に進んだけど違う問題点が見えた場合には新しい目標設定を行う。
そういうPDCAを回していくことで要件を満たす事が「努力」だと思う。
「なんかよく分からないけど、とりあえず英単語を覚える!」なんて言ってる人が「努力してる」なんて言っても、それは私からすると「努力」ではなく「作業」にしか見えない。
ではでは
努力ってのは正しい目標に対するプロセスの話ですからね。プロセスが目標にマッチしてないとあまり意味がないのです。多くは目標設定の誤りから始まって、更に目標とプロセスの乖離が発生し、明後日の方向に努力するという事が起こってる気がする。例えば、本当は英語で日常会話が出来るようになりたいと思っているのにも関わらず、「英語が出来るようになりたいからTOEICで700点取るぞ!」という謎の目標設定をしてしまい、更には「頻出単語を毎日10個覚える」という面白い行動をとってしまったりする。
これは、富士山でサバイバルをしたいと思っている人が、「7号目まで登れるようになる」という目標設定をしてしまい、更には「毎日腕立て腹筋を20回ずつやろう」と決めるぐらいぶっ飛んでいる話に見えてしまう。
TOEICで700点とって、英語が出来るようになっているかどうか全くわからないので、そもそも目標設定が不適当。更に、英単語の積み重ねてもTOEICで700点を取る事にも繋がらないので努力の方向性が不適当。それでも、本人たちからすると「頑張ってはいる」訳で、「同じ努力をしてるはずなのに、なぜかあいつの方が出来る」という事になってしまう。
何かを努力するときの一番最初の問いは、常に「要件は何か?」ということ。漠然と「英語が出来るようになりたいです」と言ったところで努力のしようが無いです。単純に「強くなりたいです!」なんて言われたってわからないじゃないですか。「ヤンキーが喧嘩で負けないようになりたい」というのと、「いやー、クマに勝てるようになりたいんですよ」というのではやるべきことが随分と違うんです。まずは「日常会話が出来るようになりたい」という風に要件を定義してやる必要がある。まだこれでも漠然としているので、「旅する時に出会った人と英語で会話を楽しむ事ができるようになりたい」ぐらいハッキリすると良い。
次にすることは「どうやったら要件を達成できるか?」について悩む必要がある。こんなの家でウンウン唸っていてもわからないので、実際に旅してみる必要がある。実際にやってみて、自分が今どういう状態で、何が足りないのかがハッキリする。「言いたいことは何とかジェスチャーででも伝えられるけど、相手が何を言ってるのかわからなくて会話にならない」というような事がわかるようになる。他にも「二人で喋ってる内は相手が合わせてくれて会話になるけど、3人になると早くて聞き取れない」という課題が見つかる。
何も考えないと「聞き取りが苦手だからリスニングを頑張る!」になってしまうかもしれない。重要なのは考えるということ。例えば「日本語だったら早くても聞き取れるのに何故英語だと聞き取れないのか?」と考える必要がある。単純に耳が慣れてないから聞き取れないのかも知れないし、「言い回し」のパターンを知らないから補完が出来ないのかもしれない。耳が慣れてないといと一言で言ったって、ニュースキャスターが喋ってるような丁寧な喋り方で聞き取れても、普通の人はクセがあって聞き取れないかもしれない。もしそうなら、いくら丁寧な発音のリスニング教材で勉強しても問題は解消しないかもしれない。また、日本語だったら、煩い場所で相手が喋ってる単語が幾つか聞き取れなくても理解できたりする。それは言い回しの引き出しが多いからだ、となれば言い回しを色々覚えれば聞き取れるようになるかもしれない。それがわかれば目標が立つ。
目標がたったら、次は教材を探す必要がある。単純に英会話学校に通えば良いという話になるかもしれないし、クセがある発音を聞き取るならば「映画を英語で見る」ことが良いかもしれない。難易度とか目標にあったモノを探してくる必要がある。何度も繰り返して映画を見ることで、「この映画だけは字幕無しで理解できるようになろう」とかそういうプチ目標もたつかもしれない。
ある程度頑張ったら、テストをする必要がある。テストと言っても何処かで試験を受けてくるわけではないです。もう一回旅をして、前回と比べてどれだけ前に進んでいるか?を確認してくるのです。前と大して変わってなければやり方が間違っていた可能性が高いので、再度目標設定をやり直す。あるいは、前に進んだけど違う問題点が見えた場合には新しい目標設定を行う。
そういうPDCAを回していくことで要件を満たす事が「努力」だと思う。
「なんかよく分からないけど、とりあえず英単語を覚える!」なんて言ってる人が「努力してる」なんて言っても、それは私からすると「努力」ではなく「作業」にしか見えない。
ではでは