するどい鼻

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日記

オズの魔法使いと、仕事上の雑感と

映画「オズの魔法使い」は、ただの白黒ミュージカル映画だと思って、
なんとなく部屋を掃除しながら流しておいた。
そしたら。

白黒でもないし、面白くて、結局3回見た。

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なんか映画は「オズの魔法使」が正しい表記らしい。
なんで送り仮名が消えたかは知らない。


話自体は有名なので解説しない。

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ライオン。

なんですが、次にこれを見ていただきたい。

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高田純次。


え?似てません?
映画で見ると似てるんですよね、立ち振る舞いというか、役回りというか、
キャラクターが。
映画でライオンはギャグ担当なので、僕は高田純次だと思って見てましたよ。


この映画、「〇〇に似てるな!」
というところがたくさんある。
1930年くらいの映画だから、こっちが元なんでしょうが。
特にティムバートン監督作品。
マンチキン。市長。オブジェクト。カメラワーク。細かく画像対比するとやりきれないくらいある。

あとはディズニー映画くらいでしか見たことないミュージカル部分。
ヒロインが歌うときは周りに動物がいて、もたれかかって憂いだり、視線を仰いだりしないとダメなルールでもあんの?


作品の見所は「飽きない」という、昔の映画とは思えないテンポの良さ。
あと現実⇄異世界の演出。あと歌。あと台詞回し。あと世界観の奇妙さ。

そうそう、
映像作品で、かつアマゾンプライムで観れる
フィリップkディックの原作をドラマにした作品、その中の「auto fac
って作品があるんだけど。
物語に引き込むチカラがハンパない。


「物語に引き込むチカラ?おいおい、なんだそりゃ?」
と、思うかも知れない。説明しましょう。

上に挙げたオズの魔法使いの場面で言えば。


「この黄色いレンガ道をずーっと行けば、オズの魔法使いに会えるよ」
「わかった!黄色いレンガ道を行くわ!」

 ⬇︎

次の場面。
 黄色いレンガ道が三方向に分岐
「どの道を進めばいいかわからないじゃない!」

のような、
登場キャラはもちろん、見ているこっちが。
「え?この後どーなんの?」
という、物語の上の仕掛けのことだ。
それが「auto fac」がめちゃくちゃ優れていた。




ここに、オズの魔法使いのライオンのセリフで感心したものをメモっとく。

 奴隷と王様を区別するものは…… 勇気だ(顔芸)
マストに旗をたなびかせるものは……勇気だ(顔芸)
   以下、同様のセリフ繰り返し。
   徐々に内容が勇気と関係なくなっていく。
そして、いま私に1番必要なのが……
「勇気だ!」(ドロシー&カカシ&ブリキ木こりのツッコミ)




で。
急に関係ないけど、最近仕事上で思ったことをメモっとく。

僕の職場はアルバイトやパートが多く、春に人がガラッと入れ替わる。
することの時期、残業時間が増え、なかなか定時に終わらない。

「なんで定時に終わらなかったんですか?」
という質問に、ベテランは
「新人が多くて、効率が悪いんです」
と答える。

 「じゃあ、例え話をしましょう。
 あなたは高校2年生の運動部です。3年生が引退して、チームに1年が入ってきました。
 そして、以前まで勝っていた他校との試合で負けてしまいます。

     なんで試合に負けたと思いますか?
 という、監督の質問に
     新しく入ってきた1年が弱かったから
 と、答える2年生をどう思う?

   自分だったら、そんな事を言う2年生の下で頑張りたくはない
   引退した3年生の枠を埋めるのは、新しく入ってきた1年ではなく
   2年生の役目だ」

  的な事を話したんですけど。
 どうなんですかね。要は「新人じゃなくてお前らがもっと頑張れよ」
 という意味の話をしたんですが。
 給料が時給で大して変わらない(最大でも50円程度)のなら、同一の労働をさせるべきだ。
 とも思うので、失言だったようにも思う。


最近、空気を読みすぎて、世間の一般を気にしすぎて、自分の主観がなくなっているような気がする。
いや、厳密には「自分が客観だと思っている主観」みたいな、
上の例のような「これこそが公平だ」みたいなものに対する考え。

同一労働同一賃金という知識というか、一般論、ただの情報と。
部活の例え話にあるような、人間の関係性の中での感情の問題と。


自分が正しいと思うものと、世間が正しいと思うものがずれている場合。
なんか。最近は世間を優先してしまいがちで、嫌だなあとか思う。

和敬清寂とハッカー

茶道の教科書を古本屋で見かけて、びっくりした。
巻数がめっちゃある、入門の基礎だけで5巻もある、お茶の入れ方だけでそんなに何を書く必要があるのかと読んでみると、
千利休の思想とかが載っててそれがまた驚いた。

テキトーにメモる。

和み なごみ、
敬い うやまい、
清め  心の掃除、
寂しい 心の準備、

お茶のいれ方をみると、めっちゃ洗う。しかも静かに。
柄杓を音を立てずに茶釜に置く技術とか載ってる。

和、なごみ、緊張を解く、というところが仲良くするという所に繋がったんだろう。お茶のイメージとよくつながる。
敬い、うやまい、おもてなしの心に通じる、リスペクトの精神。
清、静かという字と混同されるらしい。服の汚れは目に見えて、洗濯すれば綺麗になる、顔や髪の汚れは他人に指摘されないと気がつかないし、そもそも服より汚れが目立たない、しかし、拭き取ることはできる。心の汚れは他人の目にも見えず、かつ、形もないし、わからない。どうやったら綺麗になるのだろうか。だから自分自身で清めよう、自分の力で、自分の心にゆとりを持とう。それが清。
寂。これが意味わからん。利休が言うには「刻限は早めに」「雨が降らずとも傘の用意」らしいが、突発的な出来事に対処する的な心の持ち方のように思える。でも、お茶と関係あるように思えない。

和敬の部分はよくわかるが、清寂の部分が、マジで仏教的。というかzen。動作、というか作法に落とし込んでいるところが実践的で驚く。

花は野にあるように
夏は涼しく、冬は暖かく


以上。立ち読みした茶道の本の話。
以下、ネットで見たハッカーの三大美徳について。

怠惰、短気、傲慢
がハッカーの美徳って出てきて笑った。

めんどくさがり屋は「楽をする努力」を惜しまないから優秀ってのは理解できるな。
専門性の高い創造的な部門は、過剰な自信が大事ってのもわかる。
短気は知らん。ピンとこない。妥協ができない奴のこととは別だよなーって思う。決断力の問題か?悠長、気長を考えると。







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最近はラジオをよく聞く
有吉のラジオと
オリラジ中田の番組が面白い。

で、中田はラジオで自分の服のブランド「幸福洗脳」について語る

幸福洗脳のシャツ見たけど、デザインがだせえ。
もっとクソでかく漢字がプリントしてあるのかと思った。
そして、ラインナップが今のところ、サブカルというか
オタク寄り。
値段的にも、ちょっとおしゃれなやつをいってほしい。



こんぐらいのギリギリのいかれデザインして
幸福洗脳つけてくれよ。

そしたら俺は買う。

てか、だったら自分で作れって話だよな。


最近のメモ。
日常的幸福はゆっくりとした死のようだ。怠惰に、貪るように、なにかに飢え、求めているのに、ぐうたらと1日が終わる。ある意味幸福でこれを求めていたような気もするし、なんだか、死に向かっているような、生きてはいない感覚にもなる。
ぎゅうぎゅうに予定を詰めて休日に時間管理をし、仕事の時はのびのびと時間を忘れて仕事したいもんだ。







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最近TEDばかり見ている。・・・風呂場で、の話だけど。

どうもよくわからなかったが、興味深いと思ったのでメモしとく。理解してないから忘れそう。

これ。
ライト兄弟や、Apple社、それらがライバルとの競争に勝ったのには共通点がある。
それはほか全ての相手と「順序が逆」だから。みたいな内容

説明自体はすごく世俗じみて、題名もビジネス本みたいで嫌だけど、内容は共感できるところがある。

要するに。気持ち、意志、思想、といった根幹の部分が大事で、それが見えないと心は動かない。という事だ。
多分。

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 先日、友人と遊んだら、聞きなれない単語を聞いた。
 「地方創生」←そもそも、この漢字でいいのか調べて、Wikipediaみた。
 

興味がないわけではなので、僕も少しは勉強しようと思い、手軽に動画を見た。
メモがわりに、ここに貼る。

 ようするに、地域活性化。
だと思う。概念として捉えにくく、要素が複雑多様すぎて、考える糸口すらつかめない。

でも、最寄り駅前の商店街がシャッター&シャッターで過疎りまくっている田舎者としては、
考えるべき事柄だと思う。

 自分が関われるかどうかは別として、
「おもしれーから一緒にやろうぜ!」
と、ふつーに言ってくれる友人は貴重だと思った。

心霊


出口がない、ずっと同じ道が続いており、何度も同じ道を歩かされている。


想像力を掻き立てるものが
最も怖く
最も楽しく
最も悲しい

空は曇天で風は強く、枯葉の渇いた擦れ合う音がおち葉にも影はなかった。

くらい空だった。霧がかかり、太陽はさえぎられ、家も、車も、影はなかった。

こっちを見てくる顔
追いかけてくる背後のなにか
田んぼ道をさまよう。
住宅地を、山を、さまよう。
トンネルを見つけ、高速道路へあがる。
高速道路を歩く。標識を探して。

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 神様、僕は気づいてしまった

 というバンドが最近気にいって、よく聞いている。
 ある日、youtubeで再生していたら、関連動画で「まふまふ」というニコニコの歌い手の動画が再生された。

 完全に同一人物だろ。

 こんな特徴的な声ほかにないもんなー。そもそもボーカロイドの曲が好きじゃないから、歌ってみた動画見てなかったけど。夜九時からニコラジパーク(ラジオ放送)のMCしてる人たちなら知ってるんだけどね。
 まふまふの動画もいくつか再生したけど、なんか歌詞のせいかな?楽曲かな?聴ける曲と聴けない曲があった。
 ボーカルの声は一緒なのに。

 なんでだろうなと思って。何回か聞いてたら、「神様、僕は気づいてしまった」の曲調が「凛として時雨」の曲と似ているから好きなのかもしれない。
 あーでも、うん。
 正直「神様、僕は気づいてしまった」の評価が自分の中で下がったよね。そして、ボカロ曲の評価が上がることはなかった。公正に聞こうと思っているんだけど、どこかで差別しているのかも。


 別の話。

 「イキリオタク」
 という言葉を最近知った。

 俺オタクだけど普通に彼女いたよ?

 のように、自分がオタクっていう要素をあえて公言しているものを指すらしい。イキリオタク構文なんてものもあって、なんか面白い。
 こういうのってオタクに限らず、わざわざ言わなくていい情報を言う奴すべてに当てはまる。
 「俺中卒だけど年収600万超えてます」
 「あたしブスだけど結婚して子供もいて幸せだよ」
 とか、自分を低く見せてからの顕示パターンと、その逆。
 「アリストテレスからミッシェル・フーコーまでの著名書作は全て読んだが、この本はつまらないな」
 「中国の四川省で実際に麻婆豆腐食べた俺の感想は、この料理は偽物」
 主要な内容は一切言わず、その前後の言葉だけ言いたい奴。
 「こう思われたい自己像」が強すぎて、周囲の人に嫌われるマウンティング。自己顕示欲の塊。できる限りの表面的描写と、2ch以外でも多用されるネットスラング。というか最近は、アニメやドラマ・漫画・小説なんかの「作品」でも見るから終わっている。
 まあいいや、そのクソさを批判すると、長文になる。


 別の話。

 コナカ理論

 ってものがあって、「恐怖の作法」って本が出ているらしい。これをつくったのは小中って人で、昔の「ほんとにあった怖い話」の脚本をしていた人らしい。らしいってのは、かるくネットで調べた知識しかないから。
 ホラー、特に日本のホラー映画の手法とかについての理論なんだけど、おもしろいことに、映画「呪怨」は、コナカ理論とまったくそぐわない手法で作られている!!
 (幽霊がしゃべったり、幽霊視点のカメラワークだったり、急に幽霊出てきてびっくりしたり)

 で、そのコナカ理論の説明の中に、HPラグクラフトの「狂気の山脈にて」って小説が、いまのネットの怖い話とかの構成にも活かされてますよーって書かれているみたいなんだけど。
 ちょうど「狂気の山脈にて」の自動音声の動画を聞き終わったところだったので、へー、と思った。
 小説「狂気の山脈にて」のすごいところは、いきなり、掘削機の話から始まる。南極の氷を削る掘削のドリルがいかに素晴らしいかの話から始まって、怪物の鳴き声テケリリでおわる。情緒・技巧的というより、論理・理知的、非常に硬い文章で進んでいくから、日本昔話とか、内田百閒みたいな怖い話しか知らない自分としては新鮮だった。

 日本のホラー映画は、画面暗くて登場人物の声小さくて、そのくせ効果音でかいから嫌い。あと、幽霊が出てくる以外の場面が退屈。オチもしっくりこないものが多い。

 呪怨は好き。
 
 あー。そいえばPS4のP.Tってゲーム。友達の家でやったとき怖すぎてコントローラー落としたな。

1008 認識と行動


認識と行動をつなぐものは訓練だよ。それは兵隊さんのやっていることだ。

寺山修司 対談選 『思想への望郷』より、三島由紀夫 抵抗論 の抜粋

ここ数日、この言葉の意味を考えていた。認識という言葉にはいくつか段階が存在し、単に「知っている」という状態なのか「思想として定着している」のかによっても解釈が変わってきてしまう面倒な言葉だ。
まあでも、ビジネス書とか啓発本でよく見るテーマだと思う。やろうと思ってもできないのは何故か。思い立ったらすぐに行動にうつせ、的な。

僕が考えたところ、そもそも認識と行動は一致しない。まったく別物。というのが結論で、一致させるためには、認識か行動のどちらかを一方へ寄せていく必要がある。

「認識」という言葉は「外の世界の知覚」なわけだから、客体を指し、行動は自分自身すなわち主体を指す。行動には意志が必要で、一般に意志の逆側にあると言われる本能的なものには(食欲や性欲)意志が弱い、という言葉が使われたりする。

でも、英語で意志ってWILLじゃね?って思うんだけど。したい、しようと思う
、とかってI WILL でしょ。欲望と意志って分けられて考えられてるのは日本だけなのかな?

関係ないけど、強欲な人は意志が強い気がするよ。本能の対義語は悟性か、そう考えると本能と意志はむしろ類語だね。

ああそう。で、要するに、インプットとアウトプットが一致してないとおかしいって騒ぐ人種がいるわけだ。
指示を実行に移さない場合、指示の方を変えるか、実行の意志(欲望・モチベーション)を高めるしかない訳で、あるいは、より実行をたやすくするために訓練によって習慣化させてしまうしかない。

ああ、習慣はでかいな。僕自身が殺人を犯さないのも習慣のせいだろう。きっと名古屋に住んだら運転が荒くなるという確信がある。習慣だ。法律があるからではなく
周囲の環境に合わせてるだけ。
認識より先に、習慣だ。いや、習慣という行動を伴った認識が、言葉や概念より先に定着する。

あ、やっぱり意志よりも習慣は強いね。

冷たい熱帯魚 はあんま冷たくない。

amazonプライムビデオの何本かが今月で終了する。これは観ておきたいなー、という映画「冷たい熱帯魚」を見た。

あー思ったより、脚本が面白い。この作品は脚本と監督がおんなじなのか。演出も構成も勉強になる。

グロいのは苦手だ…ウワサに聞くほどのじゃなくて助かった。

ストーリーは、貧乏気弱クソ主人公の家族の前に、強引金持ち殺人者が現れて、弱者の弱者たる所以がハッキリする話。

感情移入としては、殺人者側としても、主人公側としても、共感できる箇所が多かった。が、メッセージ性、テーマを絞ったために(おそらく、表現したかった方向へと持っていくために)強引に感じた部分があった。特に最後。

ラスト手前で、主人公が「強引さ」「Sっけ」「暴力」みたいなものを手に入れて
、殺人者を殺すんだけど、それでも結局、理想の家族は手に入らなくて、主人公は
妻も殺すし、娘の前で自殺して、そんで娘は笑って終わり。
「は?」
いやいや、本当にそうなんだよ。 せっかくの弱者と強者の図式が入れ替わって、面白く終わるのかと思ったら、マジでクソみたいな終わり方した。

コロコロコミックのギャグ漫画よりクソなオチ消化不良。エヴァ並。2017-09-17-16-14-41


なんだろうな、例えば今、SNSとかあって、モテるやつはますますモテて、モテないやつはますますモテない。っていう図式、よくわかるんだよ。
で、モテない方の人間は、もし自分より格上だと思った相手を1人見つけたとしたら、そりゃあ、すがるでしょ。浮気されても愛して欲しいと食い下がるはずだ。なぜなら弱者だから。
すがる、って言葉は、積極性に欠けた、Mっけ、というか、受け身というか、してもらう側の人間。つまり、自分は選ばれる側の人間だと思ってしまっている。だからモテないし、続かない。

でもそれがなんかのはずみで、Sに変わったとしたら?自分主体に変わったのなら
、1人で生きることもできるはず。なんかSMを性癖じゃなくて世界の捉え方の違いみたいに言っているけど、そんなに間違っていないと思う。

まあとにかく、観ていて面白かったけど、日本映画独自の、じめっとした気持ち悪い、主題を捉えきれていないような、あやふやで意味深な最後がクソでした。

もっとスカッといけよ。
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 自分のブログを読みかえすと、なんかに似ている。と思った。
 そうだ、有吉のラジオ「サンデーナイトドリーマー」ダウンロード (14)

 のコーナー「にわかは語る」で読まれる文章と、このブログ文章が似てしまっている。
 リスナーが知ったかして上から目線でものをいうコーナー。
 なんてこった。

 いやでもめっちゃ面白いんだよ、このラジオ。
 だから、まぁいいか。

 話は変わって、本屋での話。
 ブライアン・リトルという人の本が売っていた。ハーバード大学の心理学講義、みたいな題名だけで手に取って、パラパラめくる。ん、なんか怪しいぞ。なになに、自分の価値を最大にする??
 いったん本を戻して、YouTubeで検索すると、TEDというスピーチ番組の映像があった、ちょっと見てみた。
 「私はねー、ほんと超内向的なんですよ」
 あ、そうすか。本買わなくてよかったー。1ミリも為にならないTEDだった。
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 あったあった。これだ。
 ほんと「ハーバード大学」って名のつく本は倫理の内容のベストセラー本もそうだけど、マジでクソだな。特に副題が。ビジネス書っぽいわ。


 また別の話。

 仕事ができない奴を教育しないと、自分が有給取れないことが分かり、あれこれ試している。しかし、教えてもその通りにできない。三か月たっても進歩がないので、別のアプローチが必要だと思った。
 まず、「こんなに進歩がないってのはやる気がないのかな」ということで思いついたのが「学習性無力感」という概念。なんか調べても「小さな目標をコツコツこなすことで解決」「大きな課題を小さく分割」みたいな、よく耳にする言葉しか出てこないので困っていると、「Google scholar」という学術論文だけ検索表示してくれるクソ便利なサービスを見つけた。 

 さっそく「学業達成場面における自己効力感, 原因帰属, 学習方略の関係」という面白そうな論文を読む。「原因帰属」以外の単語が不明だったのでさらに検索をかけると、「自己効力感」という語だけで相当数の教育に関する研究が行われていることが分かった。
 自己効力感とは簡単に言うと「課題ができるという信念」で、似ている概念に「結果期待」というのがあり、それは「この行動が結果を導くだろうという目算」だという事。結果期待を意識している状態が自己効力感で、その間に差があり、行動を遂行できるか疑念があると、動機付け(やる気)の低下につながる。というわけだ。
 原因帰属は、原因の帰属だから、失敗や成功の理由が、能力・課題・努力・環境なんかの、どこにあるのかって話。子供は能力に帰属するフィードバックの方がその後成績が伸びるって話とか、努力に帰属する人が多いのは日本の努力至上主義がいけないとか、けっこうおもしろい話が多い。
 学習方略は、学習の効果を高めることをめざして意図的に行う心的操作あるいは活動。と検索すれば一番上に出てくる。
 この三つの概念は、わりと「学習」の動機とかの研究ではよく目にするから、かなり勉強になった。それらどのような研究が行われ、結果がどうだったかというのが書かれているが、わりと真逆な結果になった研究もあるみたいで、この理論じゃ信憑性がないねって話。

 次に「人間の学習性無力感 (Learned Helplessness) に関する研究」というのを読む、すると、衝撃の事実。
 そもそも犬の実験からスタートしてんのに、人間に当てはめてんじゃねーよ。的な内容で始まる。犬の痛覚の閾値が低下したのかもしれないし、無反応が強化されたのかもしれないし。ということで検証内容が掲載されている。
 で、学習性無力感の妥当性を支持する論拠は少ないけど、オペラント条件付けでは中核概念だし、興味深いよね。という内容だった。



 「やる気」と「学習能力」の関係は、その個人の仕事に対する自己効力感、失敗に対する原因帰属で詳細に分析出る糸口は見つかった。あとはそれらが「行動」とどう結びつくのか、失敗や成功をどうフィードバックするか、あたりで大きな収穫があったように思う。
 あと、心理学ってやっぱ学問として雑だな。と思ってしまった。社会学や経済学も相当だけど。

 つまり、「仕事ができない奴に教育をしよう」という場合、すべてに共通する特効薬の解決法なんてものは存在せず、個人の性格や気質や価値によって変わる。それを知る糸口が上のような心理学の概念で、方法論はまた別に無数に存在する。軍隊のように強制的に、厳しくあたるのも手法の一つだけど、ダメな奴ははじかれていくだけなので、かわいそうでできない。カウンセリングに近い形で対処するのが一番のように思う。

 まあでも、教育は治療じゃないから、こっち側だけが「変えたい」とおもっても無理なんですけど。無意識の声を聴く技術が磨かれればいいかなって。最近は仕事をしに行くというよりも、仮説を検証するというか、観察→仮説→実験→考察的な毎日で楽しくやってます。


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