映画好きのフルタイムFXトレーダーのブログ

なんば(Twitter @nanbashigeru)です。引っ越してきました

いまさら鬼滅みてきました!





とにかく「泣ける」という評価をいっぱい聞いてたもので、こんな感じかなと予想したまさにその通りの内容でした。



たとえば「もっとも多く売れる外食フードはなに」と言われたら、マックのハンバーガーか牛丼になると思います。

誰が食べてもおいしいように調味料いっぱいでコストも抑えて、、、



鬼滅というIPを使って誰が見ても面白いヒット作を作れと言われたらまあそりゃこうなるよねっていうまさにその通りの映画でした。


共感性羞恥という言葉がありますけど、映画内でキャラクターが悲しんだらなんとなくこっちもつられちゃいますよね?

あの共感性の演出を如何なくつかって、クライマックスは感動的なBGMをバックにもう主要キャラ全員泣いてましたから


エンドクレジット直前に「どんだけ泣かせたいねん」っていう別キャラの突込みでも入ればあのクドさも中和したかもね笑



ただそれ以外の内容は、少年ジャンプ系の「受けてみろ俺の必殺技!!うおおおお」という王道ノリもあります。

ハンバーガーも牛丼もすごくおいしいのと同じで、ザ・ジェネリック感動2021と割り切れば楽しめると思います。別に皮肉じゃなくて





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説明不要の社会現象を起こしたアニメです。





私はエヴァは劇場版の「Q」以外は全部見てます。特別好きというわけでもなく、かといって否定的というわけではありません。

物見遊山はんぶん、「これだけ引っ張んたんだから何かすごいモノが出てくるかも」という大穴期待はんぶん



まあ、、、開始30分くらいで「早く終わんねえかなー」と思いながら見ることになりましたが笑



キャラクター達が「これはまさか〇〇が××になっているのか!?」「ということはあいつの狙いは△△だったのか!?」という風にしっかり説明口調で今起こっていることを解説してくれるんですけど、さっぱりわかりませんでした。

これは私がQを見てないから??いやいや、、全員わかってないやろw



最後の方には黒幕が「俺はこうこう思っていた。だからこうやってこうやろうとした」と勝手に自白していきます。どっかの映画評論家が「日本の映画は犯人が心情を事細かく説明しますけど、あれ下品ですよね」って言ってましたけど、これかあと思いました。



良かったところとしては、バトルの演出はすごいかっこよかったです
あと何かすごい映像表現をしようとしてたのもチャレンジングで良かったかなと思います


前衛的な現代アートみたいになってましたけど、まあアリなんじゃないでしょうか。


ただ前衛的といえば、地上波の時のエレベーターの無言の間とか、有名なおめでとうのエンディングとか、あっちの方がよほど前衛的だったかなと思いますが。





地上波の時のエヴァンゲリオンって、何か難しい背景がありつつも「サービスサービスぅぅ」っていうポップとディープの共存が良かったのに、劇場版からはそれがすっかりなくなりましたよね。


もう陰鬱な劇場版を何年も続けてきたんだから、今また「サービスサービスぅぅ」のノリに極振りすれば、陰 陰 陰 陰 陰    陽!!となって今までの劇場版もフリとして一気に回収できたんじゃないのって思うんですけどね




※二人がいたから楽しかった


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2,3年前に話題になった本です。





めっっっちゃ面白かったです。別にエンタメというわけでもないのに、事実を事実として紹介していくだけなのに。 これは売れるのも納得です。


私は映画でも本でも、体験したものを右から左に受け流さないために配信で話したりブログにしたりして何とか血肉にしていきたいなと思っているんですが、この本はページ数も多いのに濃淡があまりない、、、つまり全部面白いという感じなので、それらを心地よく読める量に要約する術はありません。

だから印象的な箇所だけを箇条書きでお茶を濁そうと思います。いぇい




1  人類について

「人類」というのは実は何種類もいた。我々はホモ・サピエンス。他にもホモ・ハビリスとか、ホモ・ネアンデルターレンスとかたくさんの種類がいた。


これは犬でいえば「柴犬」とか「ゴールデンレトリバー」とか「チワワ」とかの違いをイメージしてくれれば良い。体格や知能なんかはかなり違う。交配で子供が出来るギリギリくらいの範囲


ホモ・サピエンスは他のホモたちと比較すると知能も体格もかなり劣っている種族だった。
しかし、ホモ・サピエンス以外のホモたちは、ホモ・サピエンスがその地や大陸にやってくると次々に滅んでいった。その理由はわかっていない。


ヨーロッパや一部の人たちには、今でもホモ・サピエンス以外のDNAが数%残っている。




2   人類とその他生物の違いについて


ホモは他の動物に比べれば脳が大きいため、早くに出産する必要があった。
いわば未熟児として生まれてくるようなもの。

例えば、アリやクモや像は生まれた瞬間から立って歩きだすし、教わらずともその生物らしく振舞うことを知っている。


一方で、人間は生まれて数年は親の世話にならなければ生きていけず、また教わらなければ人間らしく振舞うこともない。人間が社会的なのはこのためである。これらは全て「頭が大きく出産が早い」ことが遠因。




3  狩猟から農耕について


人間は狩猟生活をしていたが、食物連鎖の頂点にいたわけではない。真ん中くらい。虫や木の実を主に食べていた。集団でマンモスを狩っているいるイメージがあるが、あんなことはめったにない


そして農耕という概念が人類に広まったが、これによって人類は知能も体力も退化している。(←衝撃) これにはかなり明確なデータがある。


なぜなら、狩猟生活では知能も体力も優れた者しか生き残れなかったが、農耕生活なら単純作業をできれば誰でも生存できる。これによってかつては狩猟ができずに飢えて生き残れなかったものでも生存して子孫を残すようになったからだ。(狩猟生活で生き残っているのはエリートのみ)


4  農耕生活が起こした変化


狩猟生活では、食料の絶対量が決まっているので人口を増やすことは悪いことだった。

一方で、農耕生活では人が増えてもその分農地を開墾すれば良い。また体力や知能に劣る子供が生まれても働き手になるので、人口を増やすことが良いことだというパラダイムシフトが起こった。

それは同時に増えた人口を養う必要があることでもあり、一たび土地を開墾したらおいそれとそこを離れられないということでもあった。


つまり、狩猟生活では人口は増えずらく、子供も死にやすいが、ある程度成長してしまえば平穏な生活を送る可能性が高かった。また生存している者たちは皆がエリートで全員の幸福度はおそらく高かった。

一方農耕生活は、知能や体力に劣っても生存できるため人口は増えやすいが、成人してもその30~50%は病気や農地をめぐる争いで死んでいく社会であった。





※エントリ 01




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