占い鑑定所「南師古」

占いのこと、世間の出来事、その他自分が思うことを書いて行こうと思っています。

自分の先祖探し「稲森家源流は伊賀の服部家?」

butuzou_05我が家系には、父方の祖母に「稲森家」の血筋が入っている。この稲森家のルーツを探るためネット検索していると、「ルーツの秘密」というブログにぶつかった。

私が知りうる限りでは、稲森甚三郎を分家の祖として、その長男は船の船長をしていたという。住所は横浜の尾上町にあったと、除籍謄本には記されている。

その稲森家も祖母の弟、弘の代で横浜空襲により絶家となってしまった。色々と私の苗字の直系先祖と祖父母の結婚で確執があったようだが、現在絶家になった稲森家の祭祀は私が執り行っている。

祖父の代、我が家は「海」に関係する仕事や居住地であった。祖父は神戸の多聞通に住まいしていた。川崎造船所で勤務しており、当時珍しかった潜水艦の製造に携わっていたと父親から聞いたことがある。

傍系先祖の曽祖父が航海中よく停泊していたのが神戸で、祖母の母親の実家もここにあった。上司の紹介で祖父母は知り合ったんだが、結婚に際しては「うちは士族で百姓家とは釣り合わん」とか言われて、稲森家から凄い反対があったそうだ。

我が直系家系は確かに百姓家ではあるが、それなりの家だったらしく一族も誇り高かったようだ。両家の確執とはこのことである。今から考えれば他愛もないことだが、昔は家柄とか血筋が喧しかったようだ。

稲森家は幕臣だったようで、一族の殆どが東京に住まいしていた。その親戚も戦後の混乱期から、我が家とは音信不通の状態である。その稲森家であるが、どうも三重県は伊賀地方をその源とするようだ。

これは除籍謄本からも伺える。甚三郎の妻、稲森ていは現在の伊賀上野市に住まいしていた寺嶋重蔵の娘である。幕臣の家系でありながらも、先祖伝来の地である伊賀地方から嫁をもらっているのである。

また、調べてみて分かったんだが、この地域には稲森という苗字が非常に多い。その頃ネットで見つけたのが先に挙げたブログである。このブログはよく調べ上げていると感心した。特に稲守氏の支流が静岡方面に住まいしたなんて、中々分からないはずなのに。・・・ 

我が直系先祖のお墓を移転するに際しても不思議なことがあった。当時、父親は椎間板ヘルニアで休職していたんだが、何を思ったのか急に墓所移転を思い立ち、移転させたのが三重県は伊賀地方のとある寺院だった。

一番吃驚したのは稲森家の除籍謄本を横浜市から取り寄せた時で、稲森ていさんの本籍地やこの家の源流が伊賀にあることを知ってからである。稲森家はルーツを辿ると忍者だったようだ。

そこで思うんだが、現在の私の職業や趣味なんかは、まさに忍者が学習していた内容そっくりだ。(笑)伊賀には霊山という山がある。ここなんか修験道場として栄えていたと聞く。陰陽道や薬というキーワードも当てはまっている。

私の嫁に云わせると「あんたは、ご先祖さんを世に出し、ちゃんと供養するために生まれてきた人やで」という。しきりに小さい時から稲森家のことを伯母から聞かされたりしたんだが、人間にはそういうお役ってものがあるんでしょうね。(笑)

稲森家に関係することで、何か知っている方がいらっしゃいましたら、メールとかでご一報頂けませんか?

「ルーツの秘密」
 http://blogs.yahoo.co.jp/asita_kurutarou23/38327975.html

運命学の極意は「捨てること」にあり!

butuzou_01節目、節目で「捨てる」ことが運命転換でとても大切なことだと思う。変革するためには「捨てる」ってことがとても重要だ。

自分も含めてだが、如何に世間の人が捨てることが出来なくてドボンしているか、テレビ・新聞で見ない日がないくらいだ。

くだらない喧嘩も捨て去ることが出来ないからであり、愛憎からもたらされる凶悪事件も捨てることが出来ないためである。

「仏法を習うということは、自己を習うということである。自己を習うということは、自己を忘れるということである」と道元禅師が正法眼蔵で述べているが、忘れるという意味は「捨て去ること」と置き換えることが出来るのではないだろうか?

人間が仏になる最初の道程には必ず「捨てる」ことを要求する。まあ、今の坊さんで一遍上人が着ていたぼろ袈裟をつけろといっても無理な話なんだけどね。執着を捨てることが仏法者の原点であることは確かだ。

登竜門という言葉があるが、執着という煩悩を捨てて人は仏の道程を歩む。要は「捨てる」という関門を潜らないと龍になれないわけだ。人の運命もそうで、変革するためにはどこかで何かを捨て去らなくてはならない。 

「捨てる」ことでより大きなものを掴むことができる。そして、運命学の極意は「捨てる」ことにあるのである。 

とっておきの極意「捨てる」ことの意味について

%E9%87%91%E9%81%8B%E3%81%AE%E8%B5%A4%E5%AF%8C%E5%A3%ABred-fuji3「勝つと思えば、思えば負けよ」。美空ひばりさんの歌「柔」の有名なフレーズである。スポーツではイメージ・トレーニングが主流なのに、全然真逆のことを言っている。

しかし、この歌詞は柔道の達人に直接勝つ極意を教授してもらった内容なのだ。結局何を示しているかというと、「捨て去れ!」っていうことを言ってるのである。

捨てるとある種独特の「気」が出るといわれている。変な思念が反って勝負の勘を狂わすようだ。上杉謙信公が「生きようと思うものは死に・・・」とか言ったのも同じことである。

坊さんも大変な行に望む時、行の前に葬式のようなことをする。墓をつくったり、生き葬式の食事会を開いたりする。捨てさせることで、本当の覚悟を呼び起こそうとするんだな。

「捨てる」と「諦める」は違う。「厭世」と「解脱」も違うのである。「捨てる」ということは、仏教的な表現でいえば「解脱」という言葉に置き換えることが出来る。

私たちもここぞと云う時は、必勝の「気」を発散するために、変なしがらみや雑念を捨てたいものだ。「捨てる」ということは、非常に奥深いものなのである。
 
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