地域を守る人たち(旧:なんで屋)

人々の意識の中に、「どうしたら社会・地域を守れるの?」という意識が芽生えてきています。そのヒントとなる情報を紹介していきます。

民主主義国家だから戦争を行なってきた

民が主である民主主義は疑うことなく正しいもの、と私たちは教えられ信じ続けてきました。
しかし、民主主義国家が行なってきた事実を歴史的に見てみれば、私権獲得に走る自我を正当化するためにこそ、民主主義があったことが分かります。

よもぎねこさんのブログから、
「民主主義国家は戦争が大好き」リンク
を引用します。


(以下引用)
「民主主義国家は平和を愛する」「民主主義国家は侵略をしない」と言う人がいます。 アメリカなどの国家的見解もそのようです。

 しかしそんな事は嘘です。

 第二次世界大戦前の地図を見れば一目でわかります。 民主主義国家、イギリスやフランスがどれ程広大な植民地を持っていたか。
 この広大な植民地はこれらの国々が、市民革命以降侵略戦争を続けた結果得たものです。
 アメリカ合衆国の領土は、元々東部13州でした。 これを現在の領土まで拡張するのに、メキシコやハワイ王朝まで侵略したのです。  

 別に近代に限ったことではありません。
 高校の歴史を知っていればわかるでしょう?
 古代アテネは民主主義化してから、覇権主義を剥き出しにして、ペロポネソス戦争に突入して破滅しました。
 古代ローマが戦争を繰り返して領土拡大を続けたのは、共和制時代です。 帝政に移行してからは殆ど領土は増えていません。

 民主主義国家は戦争が大好きなのです。 そして侵略戦争も盛んにするのです。
 しかも戦争は滅法強いのです。
 なぜ強いかは古代のアテネ人が「ペルシャ人への手紙」で書いたように、自由な人々が自分の意思で愛国心に燃えて戦うからです。
 君主の命令で無理やり徴兵されたり、或いは金目当てに戦う庸兵は、このような士気の高い軍隊に適わないのです。
 それは近代ではフランス革命のときにも証明されました。 
 ナポレオンの軍隊がヨーロッパを征服したのは、ナポレオンの軍事的才能以上に、この兵士達の資質の高さによるのです。
 これと戦ったプロイセンの有能な軍人達はこの真理を見抜き、強力な軍隊を持つには国民国家の形成が不可欠と考えたのです。

 そして日本が明治維新を行ったのも、国民国家にしなければ、他の国民国家からの防衛が不能だと悟ったからです。

 また第二次世界大戦で日本やドイツやイタリアにファシズム政権ができたのは、これらの国が民主主義国家だったからです。
 ドイツが典型ですね。 当時世界で最も民主的と言われたワイマール憲法でなければ、ヒトラーのように門地も学歴もない男、美術学校に合格できなくて浪人を続けた挙句に、歩兵伍長になったオーストリア人がドイツの支配者になれるわけは無いのです。

 尤もこれだって古代からの習いで、ソクラテスはその2300年も前に「民主制は僭主制になる」と言っています。
 民主主義が独裁者を生み、これが戦争に走るのです。 
 これも古代ギリシャから現代まで同じ事を繰り返しているのです。

 でも第二次世界大戦で、枢軸国が負け、連合国が勝つと、彼らは戦争が起きたのは反民主主義国家が好戦的であるからで、自分達は民主主義国家は平和的であると言ったのです。
 どの口で言うか?と言いたいですけどね。
 しかしアホ臭い事に、今でも日本人の多くがこれを信じているのです。

 歴史に学べば、民主主義国家が好戦的で、また戦争に強いのです。 

 良く中国の将来に付いて「中国もいずれ民主化されたら覇権主義は止めるだろう」と言う事を言います。
 しかしワタシは上記の理由から、中国が民主化されたら、平和的になるなどとは、全然思っていません。 むしろ今の共産党支配化の中国より更に好戦的になる可能性のほうが大きいと思っています。
 なぜなら中国の領土は13億の中国人が、彼らの望む豊かな生活を送るには狭すぎます。
 それで今も共産党は覇権主義に走って居るのですが、民主化されたらこれを今度は国民の総意でやろうとするでしょう。
 だって民主化されてもそれだけでは、中国の領土が増えるわけではありません。
 中国人達の欲しがる土地を得るには、覇権主義を続けて領土拡張を図るしかないのです。 
 それは嘗てイギリスやフランスがしてきたことですから、中国もするだろうと言うだけの事です。 
(以上引用終わり)






新川啓一

民主主義とは何なのか−2−虚心坦懐に森羅万象の声を聞くとき、事理は自づからに通う

『民主主義とは何なのか』長谷川三千子著 文春新書
〈結語〉−理性の復権− 紹介のつづき。
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このような態度は、明らかに「理性的態度」とは正反対のものである。実は、理性とは大声で語ることの内にあるのではない。本当の理性は「よく聞く」ことの内にある。自己を無にし、空にして、他者の声を聞き、森羅万象の声を聞くこと――それこそが理性のはたらきの基本なのである。そして、そのようにして虚心坦懐に事柄そのものの語る声を聞くことができるとき、正しい判断は、いわば事柄の方からやって来る。それは政治的判断においてであれ、何であれ、およそすべての正しく理性的な判断に共通した構造なのである。

そのような理性のはたらきにとって、もっとも妨げになるのは、宗教でも慣習でもなく、不和と敵対である。不和と敵対のあるところでは、人々は、ものごとの声を聞こうとするかわりに自らの耳にぴたりと栓をしてしまう。そして、ただ自己の意思のみを導き手として、大声で「意見」を叫びながらつき進む。しかし、その結果として正しい結論にたどりつく確率は、ちょうど、試験問題を解くのに、問題をまるで見ずにただいきなり答案用紙に○や×をつけていったときの正解率のようなものなのである。

人間はもともと感情の動物であり、また「つぎからつぎへと力をもとめ、死によってのみ消滅する、永久不断の意欲」につき動かされている生き物である。だからこそ、人間のもつもっとも玄妙な機能である理性をはたらかせるためには、意欲や感情による波立ちを抑えて、最良のコンディションを整えておかなければならないのである。

たとえば、あの有名な聖徳太子の十七条窓法の第一条に語られているのも、正しく理性をはたらかせるためにはどうしたらよいのか、という教えである。
「和ぐを以て貴しとし、忤ふること無きを宗とせよ」

多くの人は、この出だしだけを見て、これを単なる「従順に生きよ」という道徳の教えだと思い込んでいる。人によっては、このような「和の伝統」のせいで、日本人は理を通して議論をすることが苦手なのだ、とすら言う。そういう人は、この第一条の後半を一度も読んだことがないのに相違ない。そこには次のように語られているのである――「人皆党有り。亦達る者少し。是を以て、或いは君父に順はず。乍隣里に違ふ。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論ふに諧ふときは、事理自づからに通ふ。何事か成らざらむ」。

これはまさに理を通して議論をすることができるためのアドヴァイスそのものである。すなわち、人間は誰しも党派、利害というものがあり、それを超越して達観しうる者は少い。したがって、上の人々にたてついたり、よその集団と対立したりしがちである。しかし、そういう不和、争いを抑制して、上も下もそれぞれむつまじく平静に仲良く論議するならば、「事理自づからに通ふ」というかたちで正しい結論が得られる。そして、このような仕方で正しい結論が得られたときには、何をやっても必らずうまくゆく――この第一条が語っているのは、そういうことなのである。




民主主義とは何なのか−1−われとわれとが戦う病、理性を使わせないシステム

『民主主義とは何なのか』長谷川三千子著 文春新書
〈結語〉−理性の復権− を紹介します。
長谷川氏の言う「理性」とは、自然の摂理に学び、歴史に学び、先人の知恵に学ぶこと、そのことを示しているのではないかと思います。
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結局のところ、民主主義(デモクラシー)とは何なのかと言えば、それはその名の通りのもの――民衆(デーモス)が力(クラトス)によって支配権を得る体制――である。それは「われとわれとが戦う病い」から生まれ出て、しかも、その病いをどこまでも引きずり続けるイデオロギーである。近代民主主義の理論として世の中に受け入れられている「国民主権」「人権尊重」といったものも、実はすべて、「われとわれとが戦う病い」を正当化するために拵え上げられた理窟にすきないのであって、その中身がいかにインチキで無理無体のものであるかということは、いま見てきたとおりなのである。

しかし、だからどうだと言うのだ、と反論する人もあろう。民主主義が革命によって生まれ、革命を引きずり続けているというのは、糾弾すべきことであるどころか、民主主義が「反体制」「権力批判」の原理であることの証しであって、むしろ大変結構なことではないか――そんな風に言う人も少なくないであろう。

実際、ひとたび「反体制」「権力批判」といった言葉を自明の大前提として据えてしまうと、そこには一種の「革命礼讃の思考回路」といったものが出来上って、その回路を抜け出してものを考えるということが不可能となってしまうのである。たとえば、かつて日本の多くの大学で全共闘運動というものが嵐のように吹き荒れたとき、多くの学生たちがはまり込んだのも、その「反体制」という閉じた思考回路なのであった。彼らは自らを「ラディカル」と称して、その回路の中をどれだけ早く、どれだけ激しく走れるかを競い合ったのであるが、そこで唯一つ、彼らが決してしようとしなかったのは、その「反体制」がなぜよいのかを根源的(ラディカル)に問いかける、ということであった。むしろ、それを問いかけずにすませるために、彼らはますます早く、ますます激しく、こまねずみのようにその閉じた回路の中を走り回ったのである。やがてその運動が消滅したあとも、彼ら一人一人の内に、その「思考回路」――もう少し正確に言えば、その思考停止の回路――だけは残った。そして、実はまさに、「思考停止」ということこそ、民主主義が自らの最上の武器、最上の従者として従えてきたものなのである。

一口に言えば、民主主義とは「人間に理性を使わせないシステム」である。そして、そのことが、革命から生まれ出てきた民主主義の持つ最大の欠陥であり問題点なのである。

こんな風に言うと、意外と思われる方もあろう。たしかに、よく知られているとおり、フランス革命を支えた思潮の一つは「啓蒙思想」であって、そこでは「理性」が何よりも重んじられたはずなのであった。たとえばバークが当時のフランス人たちの啓蒙主義を評して「偏見の上衣を投げ捨てて裸の理性の他は何も残らなくする」と語ったとおり、そこでは、人間の「理性」は、神を疑い、すべての慣習を無意味な偏見として投げ捨てるための強力な武器として、大いに活躍したのであった。それを見ると、民主主義はむしろ「理性しか使わせないシステム」とも言うべきものであり、そこが民主主義の問題点であると言わねばならないもののようにも思われる。

けれども、フランス革命当時の啓蒙主義者たちがふり回していた、このような「理性」は、実は本当の意味での理性ではない。少くとも、古今東西の人間たちが真の知を求めるときに用いてきたものを理性と呼ぶのだとすれば、彼らがふり回したのは理性ではない別の何かである。そのことは、バークの次のような描写からはっきりとうかがい知ることができる。
「彼らは他者の智恵にまったく敬意を払いません。他方、自分自身のそれには、満腔の自信を以て(敬意を)捧げます」





政治家は公務員みこしの上のサル

前阿久根市長の竹原氏が自身の体験から役人支配の内実を語っています。
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リンク
<阿久根で起きたこと>

竹原信一氏 理不尽な阿久根市政に対する憤りが私を突き動かしてきました。激しい憤りが私を市長にしたと言っても良い、「政治家と役人は住民のために仕事をしていない」確信がありました。私は市長として、持てる限りの権限を使って改革を進めました。議員の多数は反発しました。議会は私が提案した市長自身の給与半減、市長ボーナスゼロに反対したのをはじめ、手数料値下げ、減税などあらゆる住民のための政策を妨害しました。法治国家では違法でなければ合法、これが基本です。にもかかわらず記者クラブ報道を先頭に、総務大臣や鹿児島県知事までが、やったことにはほとんど触れず、「やり方には"イホウセイ"がある」などと法治国家にあるまじきセリフを掲げてキャンペーンを展開しました。そもそも阿久根市民はやり方ではなく、住民のための自治がないことで不遇な暮らしを強いられているのです。

<公務員と政治家>

 "イホウセイ"キャンペーンなどが奏功して市長が変わりました。新市長はたちまち増税して、市長、議員、職員の給与アップをしました。わずか半年で成果をあげた学力向上策も劣化させました。公約では竹原改革を継続すると言っていた、公約違反には伊藤知事のご指導があったようです。この様に、当選したらほとんどが住民を裏切ることをやりだす。できることをしない。公約違反はあたりまえです。
 私は市議会議員としての2年半、それから市長としての2年半の戦いを通じてこの国の仕組みを体感しました。政治家に裏切りをさせているのは公務員です。ほとんどの政治家は公務員なしには何もできない。職員を縛る法律を作れる議員も市長もいない。そこで公務員たちが連携して政治家を掌で転がす事になります。政治家は公務員みこしの上のサルとでも呼ぶべきでしょう。

<憲法違反の身分制度>

 公務員は、地方公務員から事務次官、裁判官まで、全体がひとつの仲間、互助会のようなものです。住民の個人情報など公務員間で共有します。公務員相互の配慮は当然と考えていて、民間人とは扱いが違います。公務員から見れば政治家はしょせん臨時であり使い捨てです。公務員は政治家に政治をさせるつもりはありません。公務員全体が連携して巧みに政治家を利用する。そしてより多くの税金を公務員の間で使うように画策します。
 ノリの悪い政治家は公務員が引きずりおろします。選挙工作は脱法規則(組合犠牲者救援規則)を持つ自治労の得意技、選挙事務まで担当する公務員が政治家を決めると言っても良いほどです。
 公務員の退職金は2,500万円以上、年金は月額20万円を超える。地方では民間の3〜4倍もある。死ぬまで違う。今の公務員制度は紛れもなく法の下の不平等、憲法違反の身分制度です。






きっちょむ

次代の社会統合の場を考える8〜外向収束⇒認識収束に応える『認識形成の場』

これまでのシリーズでは、国家と市場の成立とその統合限界の構造を紹介して来ました。現在国家は私権闘争という最大の圧力源=活力源を失って迷走し、市場は拡大限界を迎えており、これまでの私権闘争の圧力に替わる新たな圧力源=活力源を作り出す事が次代の社会に可能性を開く鍵になります。
 そこで、前回は「人類の新たな活力源とは?」というテーマで、次代の社会は、「人類的課題に対する期待と応望を主活力源にして創造活動を営み、評価収束による創造競争(=新たな同類闘争)によって圧力=活力を高め、その同類闘争を同じ評価収束⇒評価共認によって統合する社会」(詳しくは前回投稿を参照ください)である事を紹介しました。
■これまでの記事
次代の社会統合の場を考える1〜国家はどう統合されているのか?〜
次代の社会統合の場を考える2〜国家と(力の序列共認)とその統合限界〜
次代の社会統合の場を考える3〜私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である〜
次代の社会統合の場を考える4〜何をするにもお金がかかる社会〜
次代の社会統合の場を考える5〜市場は社会を統合する機能を持たない〜
次代の社会統合の場を考える6〜市場の拡大限界は国家の統合限界でもある〜
次代の社会統合の場を考える7〜人類の新たな活力源とは?〜
同類闘争を同じ評価収束⇒評価共認によって統合する次代の社会統合の場とはどのような場なのか?
シリーズ最終回となる今回は、
・人々を収束させる最先端価値とは?
・社会を統合する最先端機能とは?
という視点で、るいネットから「超国家超市場論14」を紹介していきます。


■人々を収束させる最先端価値とは?

『新しい潮流1〜14』(1011121314)で明らかにした様に、現在すでに人々は、社会不全⇒人(ひと)収束を伴いつつ、外向収束から認識収束へと向かっている。この認識欠乏が顕在化するのは、もはや時間の問題である。それが顕在化すれば、人々が求める『新しい認識』は、人々の最先端の統合価値となり、従ってまた最強の活力源となる。

%E5%85%88%E7%AB%AF%E4%BE%A1%E5%80%A4%E2%87%92%E5%85%89%E3%81%A8%E6%89%8B%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F.jpg バブル崩壊以降、社会不全→外向欠乏(事実収集や社会活動etcの増大=潜在的な社会探索の意識潮流)が強まり続けてきました。社会への関心が高まるにつれ、勉強会等で身近な場を超えた人と答えとを求める動きも目立つようになりました。外向欠乏は、突き詰めれば次代の社会の答えとなる認識の欠乏なのです。
 その後の世界経済危機や311の震災以降は、誰もこのままの社会がもつとは思えず、先を見通したい、「今後どうなる?」という意識が高まり、それがネット上の事実探索(ブログやツイッター)の興隆としても現れています。国家がガタガタである以上、数年の内にも「自分達で何とかするしかない」という意識が高まり、認識欠乏が顕在化するはずです。
 続けて、新しい認識は何故最強の活力源になるのかを見ていきましょう。

なぜなら、人類の最先端機能は観念機能であり、従って答え(に近い認識)こそが、人々の意識を統合すると共に、その答えが人々に活力を生み出し、その認識が人々の全ゆる行動の指標(モノサシ)となるからである。従って、答え(となる認識)は、まぎれもなく最先端価値であり、その下に全てを収束させる統合価値ともなり、全ゆる行動を導く指標価値ともなる。
そして『認識』は、それが当り前のものと成れば成るほど、絶対的な共認圧力と成って末端まで貫通した統合機能を獲得する。
しかし、普通の言葉がそうである様に、当り前になるほどその圧力は意識されなくなり、従って活力源としての機能が弱くなってゆく。逆に、新しい認識は、(最先端の外圧に対応する)最強の活力源となるが、末端にまで共認されない限り、万人の統合機能たり得ない。従って、『認識』は各人の日常的な最先端価値(=統合価値=評価指標)であり、また基礎的に社会を統合する機能をも果たしているが、それ自体は社会を統合する最先端機能たり得ない。社会を統合する最先端機能は別に要る。 

 外圧は刻一刻と移り変わります。最先端の外圧に応じて常に最新の認識を作り出し、新たな期待とそれに応える認識への評価で日常的な圧力=活力を加圧する仕組み、それも誰もがその評価競争の圧力の中に身を置いているような仕組みが必要だということです。それは、どのようなものになるのでしょうか?
■社会を統合する最先端機能とは?

既に『超国家・超市場論3 置かれた環境を貫く闘争圧力を把握せよ』で触れたように、人類の最先端機能は、最末端まで貫く同類闘争の圧力を大前提にしており、それなしには成立しない。では、大前提となる次代の同類闘争圧力とは何か?それは既に、前稿で明らかにされている。即ち、人々の認識欠乏に応える認識競争の圧力こそ、まぎれもなく新たな同類闘争の圧力である。この認識闘争の圧力が最末端をも貫く圧力にまで成長すれば、それに応える『認識闘争の場』は人類の最先端機能となり、全てをその下に収束させた社会統合機能となる。
つまり、私権闘争・掠奪闘争を止揚した次代の人類の最先端機能とは、最先端の認識闘争=評価競争の場となる『認識形成の場』そのものに他ならない。

ruinet.JPG 現状でも、ネットを中心に情報発信の場は無数に有ります。しかし、人気という一定の評価圧力はあっても、評価軸は人それぞれで、社会的な評価共認が形成されることは無く、同類闘争の圧力が最末端まで貫くまでには至っていません。
信頼度は低下したとはいえ、社会的な情報発信と共認形成には未だマスコミが力を持っている事が大きく影響しています。マスコミの発信によって、事実に基づいた状況認識は阻害されています。また、殆どの人がマスコミによって近代思想に染められている為、問題意識が生じるそばから近代思想に絡めとられ、既存の価値観を超えた判断や評価には至りません。
 旧い外圧に応じた社会が統合不全に陥ったならば、まず最先端の外圧を捉えなおす必要があります。また、新たな社会を作るには、自然の摂理や人や社会の歴史的事実の構造といった、新理論を構築する足がかりとなる認識を学ぶことも不可欠です。
 震災を契機に事実を求める意識が急速に高まり、社会を作り直すチャンスです。まずはマスコミの発信を超え、より多くの人が外圧状況や普遍構造といった事実を知り、新たな共認形成の土壌を作ることが急務です。対面やネット(例えば伝播力のあるツイッター)を通じて、皆の役に立つ事実を無心に伝播・共有し合い、既存のメディアによる共認支配を超えていきましょう




BLOG:日本を守るのに右も左もない http://blog.nihon-syakai.net/blog/2011/07/002025.html

イデオロギーとは無縁な普通の人々が舵取りをする社会に。

なんであれ、イデオロギーに絡めとられると思考も活動も膠着してしまう。「現実」に即応できなくなる。

一握りの特権階級に集団(国家)を委ねる(支配される)と、彼らを覆うイデオロギーによって、その集団は「新しい現実」に適応できなくなってしまう。近代社会はこの宿命を負っている。豊かさを実現して新しい現実が登場した日本ではたった40年で社会がガタガタになった。

30年前にそのことに気づき、警鐘を鳴らした人はほとんどいない。しかし、次々と露になるガタガタ現象を目の当たりにして、現在では多くの人々が「新しい現実」に気づいている。

「現実」に即応して変異(進化)する、柔軟な社会をみんなが期待している。選ばれた人々でも試験に勝ち抜いたのでもなく、イデオロギーとは無縁な、事実に謙虚になれる、普通の人々による社会の舵取りを実現する。

今(現在)はその最大の好機である。





太刀川省治

『今こそパラダイム転換が求められる時』シリーズ〜新しい認識だけが、現実を変えてゆく〜

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このシリーズも、今回が最終回となりました。
過去のシリーズはこちら
シリーズ-1〜「必要意識⇒課題意識には、不全発と可能性発の二通りある!」〜
シリーズ-2〜不全発の『変革の必要』から、実現発の『認識の必要』への大転換」〜
シリーズ-3〜社会運動の総括1 現実否定の自己欺瞞」〜
シリーズ-4〜社会運動の総括2 社会運動の自己欺瞞〜
シリーズ-5〜現実捨象の倒錯観念から、観念捨象の現実直視へ〜
シリーズ-6〜現実否定の倒錯思考〜
シリーズ-7〜現実とは、人々の意識である〜
シリーズ-8〜実現基盤を摘出できない、現実否定の「構造認識」〜
シリーズ-9- 糎充臓△修硫蕊意識と上部意識〜
シリーズ-9-◆糎充臓△修硫蕊意識と上部意識〜
シリーズ10 残る観念は、頭で塗り替えたら終い
 
このシリーズを通じて、今回の大震災、原発事故を受けて、人々の意識のレベルでは、観念パラダイムの転換の可能性が大きく高まってきたことがわかりました。
そして、マスコミに登場する学者が「ウソをつく!」ということから、旧観念に対する不信が顕在化し、それを、観念パラダイムの転換の好機と捉えました。また、原発事故という未曽有の不全から、その不全をみんなで共有して初めて、課題化され得ることが分かってきました。
その課題を突破するために必要なのは「現実を直視する」ということであり、そこから目を背けた現実否定の意識では、何も実現しないし、社会は変わっていかないことを、明らかにしてきました。
いつも応援ありがとうございます。



以下、観念パラダイムの逆転7 新しい認識だけが、現実を変えてゆくの本文を紹介しながら進めていきます。

原始人も現代人も、専ら現実に立脚すると同時に、ひたすら現実を対象化して生きてきた。つまり、潜在思念に導かれて現実を直視することによって、新たな可能性を探り当て、新たな意識(新たな状況認識に導かれた実現回路)を形成し続けてきた。
換言すれば、一個の生も、その塗り重ねたる歴史も、常に現実から出発して新しい認識を紡ぎ出し、それに応じて現実を変えてゆく(現実が変わってゆく)過程である。
現実を社会と言い換えても同じである。社会は人々の共認によって統合され、その意識=共認内容が変化してゆくことによって変わってゆく。現実が変わる=社会が変わるとは、ただそれだけの事である。
その共認内容は徐々にしか変わらず、例えそれが30年ほどの間に猛スピードで変わったとしても、その共認内容の変化に応じて一つずつ規範や制度が改革されてゆくことによってしか、社会は変えられない。

 
 
●新しい認識の創出と共認形成がすべて。そのための残る課題とは?!
 
これまでこのシリーズでも、ひたすら「現実を直視」し、社会の諸事における問題点や原因構造を明らかにしてきました。
そして、これらの問題=現実に立ち塞がる壁を突破しうる可能性を追求し、13の可能性を導き出してきました。
可能性1.支配観念を成立させていた序列原理の崩壊→同類圧力へ
可能性2.日本人は支配観念へのなじみが薄い
可能性3.人々は「社会の対象化」に向かい始めた
可能性4.庶民が特権階級(中間支配層)を信用しなくなった。
可能性5.庶民は下部意識(潜在思念)を対象化し始めた。
可能性6.反米の世界共認の拡がり
可能性7.金融監視体制強化の世界共認の拡がり
可能性8.門外不出の情報が白日の下に晒される
可能性9.時代は既に実現思考の観念パラダイムに転換した!・・・これが実現基盤
可能性10.女原理(女発の充足、安心期待)によって社会は変わる!
可能性11.マスコミの騙し構造をどんどん発信していく。観念的に固定化すれば騙しを見抜く事ができる。
可能性12.大衆発の社会共認期待を受けた政治家が変化を後押しする!
可能性13.マスコミに変わる認識形成サイト(社会統合サイト)によって最終宣告を下す!

 

そこで、最も重要なのは、絶えず新しい認識を紡ぎ出し、人々の共認内容(意識)を変えてゆくことである(新しい認識さえ共認されてゆけば、それに応じて制度etcを変えてゆくのは簡単である)。
原始人がそうであったように、現代人のこれからの現実の生においても、新しい認識の創出とその共認形成が全てであり、そこでは抽象的な「社会変革」という意識は生じない。社会変革という言葉は、倒錯した現実否定の意識からのみ生じる。また、現実否定の意識に基づいているからこそ、「社会変革」という言葉それ自体が欺瞞観念となるのである。

  
   
これらの可能性を実現していくためには「新しい認識の創出とその共認形成が不可欠」で、最後に立ち塞がる、マスコミの壁を突破していくためにも、それを庶民の手で実現していくしか、他に方法はありません。
新しい認識の創出は、既に『実現論』という形で一旦まとめられています。そして今やこれまで見てきたように、旧観念パラダイムはもはや風前の灯火状態となっており、残る課題は、我々日本人ひとり一人が、それら認識を駆使してモノを考え、それを共認していくことにあります!
つまり、日本人はモノを考えはじめるのか?!という課題です。

何かを実現しようとすれば、思考の対象はとことん具象化されてゆく。実現思考で生きていた原始人の精霊はとことん具象的だし、自然科学もそうだし、実現論もそうである。(例えば、原始人には「自然」という概念は存在しない。)
それに対して、「自然」や「社会」は、問題を直ちに解決できない(むしろ、実現可能性がない)ので、問題世界を一括りにしただけの概念である。直ちに解決できないので、現実否定の倒錯思考という観念パラダイムに陥って終い、問題世界を一括りにしただけの「自然」「社会」「変革」etcの概念しか作れなかった訳だが、そうである以上、それらの言葉(自然、社会、変革etc)は単なるお題目にすぎない。

 
 
●思考の対象を、とことん具象化へ
 
旧観念パラダイム、その中でも個人主義思想は、明治期以降に悉く共同体を解体し、人々をバラバラの存在にしてきました。それにより、今や日常の生活では、なかなか共認充足が得られないという非充足社会となってしまいました。(ex:人それぞれ、権利だけを主張)
 
その非充足状況を補うために、現在、人々はツイッターやフェイスブックなどそれまでの人つながりのSNSとは異なるネット媒体へと収束し始めました。
 
そこでの会話は、とことん具象的で、違和感や同じ想いを共有する、或いは相手の課題や期待に応えようとする新しい意識潮流が芽生えてきています。
 
さらには対面の場(朝会や女子会、また様々な勉強会に参加する社会人や学生など)に課題や情報の共有を求め、集まる動きも増えてきました。
  
 

従って、「社会」や「変革」という言葉を使えば使うほど、現実否定の倒錯思考を正当化し、その観念パラダイムに陥ってゆくことになる。従って、この様な倒錯観念はできるだけ使わない方が良い。
例えば、「答え探し」「その為の場作り」etcもっと具体的に実現可能性を示す言葉を使う方が良い。

 
●一人ではなく、みんなで考える:新しい観念パラダイムの転換
このように、ネットでも対面でも人々は常に意識のすり合わせを求めるようになってきています。すり合わせることで、共認充足が得られ、すり合わせの回数が多ければ多いほど、課題の答えや方針が明確に具体化され、情報もより鮮明になっていくことを、人々は分かり出してきたからです。
これは、人々が考えは始めたということではないでしょうか?
考えるという行為は、ついつい「一人で考え込む」と思ってしまいますが、これは旧観念の思考方法が、もともと一人で考えるという思考方法に基づいているためでした。実際、古代宗教や近代思想は、この「一人で考える」行為を山や研究室に篭って行われた結果、生み出されたものです。しかし、これらが現実否定の倒錯観念であったことは、すでに述べました。倒錯観念では、現実に何も生み出せないし、何も実現しないことも、すでに述べました。
ならば、本来「考える」とは、『みんなで考える』ということではないでしょうか。
その根拠は、
仝什澆凌諭垢瞭阿(ツイッターや○○会など)
∋聾胸代を見ればわかるように、もともと観念はみんなで対象を共有するために生まれた
実現論の形成過程
じ充造篌匆颪状況の変化に応じて変わっていくには、新しい認識の共認が不可欠

そして「考える」とは、単なる空想ではなくて、何かを実現するためであり、そのためには歴史に学び、自然の摂理に学び、先人に学び、そこから事実構造を抽出し、その上でどうするべきか、具体的な方法・可能性を提示していくことが重要になります。
つまり、現実を直視し、その中から不全対象や充足可能性(これら思考の対象)をとことん具象化し、そこから常に新しい認識を紡ぎ出し、そして、それらをみんなで摺り合わせていくことこそ「みんなで考えていく」ことであり、新しい観念パラダイムの真髄なのです。
 
 
●共同体の再生へ・・・女の安心⇒充足期待が鍵となる
これらの新しい観念パラダイムへの転換が成し遂げられるためには、現代の個人主義によるバラバラの社会の中では不可能で、また、今現在可能性収束先として人々が向かっているツィッターというネットの世界でも不十分です。
「みんなで考えていく」ということの前提には、自分達が生きているこの社会の中での安定基盤の確保があり、安定基盤とは、自分達が生存課題や生産課題などを共有できる本源集団、つまり共同体の再生が必要不可欠になるのです。これがサル・人類という共認動物を貫く「自然の摂理」なのです。
そこに照準を当てられる鍵となるのが「女の安心・安定⇒充足期待」です。
現代の社会不全は、これから先の「安心・安定」に立ち塞がる大きな壁です。また、この間の福島原発事故による放射能汚染は、子孫繁栄に対する危機的状況です。
これらの危機意識を直感し、「充足期待」として発信できるのは、実は女が最も可能性が高いのです。これらの期待が社会的に大きくなればなるほど、男達は立ち上がり、考えざるをえなくなります。
  
今現在、「共同体の再生」そして「観念パラダイムの転換」の契機として、最も可能性が高いのは、この「女の安心⇒充足期待」であると確信します。
私達は、今後、今まで挙げた13の可能性と、この「女の充足期待」の発信の可能性について注視していく必要があります。この可能性を広げていくことこそ、新しい観念パラダイム、そして新しい本源社会の実現へと繋がる道になると想います。
 
以上、これまで長らくご覧いただき、ありがとうございました。
 
 
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BLOG:日本を守るのに右も左もない http://blog.nihon-syakai.net/blog/2011/07/002024.html

玄海原発の茶番劇、出演者は国、佐賀県県知事、玄海町長

記事を引用、紹介します。今回の問題を仮説も交えて本質を語る子気味の良い内容です。

「仕組まれたハードル」〜原発再稼動〜玄海町と県の判断資格を問う
リンク

以下引用です。
------------------------------------------------------------------

立地自治体と県の「同意」というハードル設定自体が仕組まれたものではないか?取材を進めるにつれ、そうした疑問がふくらんできた。

玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)2号機・3号機の運転再開にあたっては、地元玄海町と佐賀県の同意を最低条件としてきた九州電力だが、そもそもこの条件自体、国や原発事業者が勝手に設定したものだ。

原発からの距離と福島第一原発の事故によって生じた放射性物質の拡散状況を考えれば、玄海原発が長崎や福岡の県民に無縁であるはずがない。
玄海町に隣接する唐津市はもちろん、原発から10キロ、20キロという位置にある自治体の意向が何も反映されないまま、原発容認の方向性を決めるのは早計だ。
 
万が一、玄海原発に事故が起きた場合は、玄海町だけでなく、多くの市町村を放射能の恐怖が襲うことになるにもかかわらず、玄海町と佐賀県だけに原発再稼動の是非を判断させるという。

私たちは、"いつ"こうした方向性を容認したのだろう。

・奪われた発言権
玄海原発の再稼動問題では、国や九電の発表する内容が新聞やテレビを通じて読者・視聴者に垂れ流されてきた。
福島第一原発の事故が、原発の「安全神話」を崩壊させ、思いもよらぬ広い範囲に被害を及ぼすことが明らかになるなか、どのメディアも「運転再開への条件」に異議を唱えていない。

玄海原発の運転再開が全国の原発行政を左右する展開となっているにもかかわらず、玄海町や佐賀県だけにその判断を委ねることの危険性にはほとんど触れられていないのだ。
これこそ国や九電が狙った"議論の矮小化"であり、まんまと乗せられたメディアの不作為は責められるべきだろう。
原発再稼動への意思表示権者を、玄海町長と佐賀県知事に限定されたことで、「将来の被害者」は知らぬ間に発言の舞台を奪われていたのである。

・報じられない玄海町の実態
にわかに注目された佐賀県玄海町に、原発や国民の未来を決する資格がないことは、これまでHUNTERが報じてきたとおりだ。もう一度、玄海町の現状を整理してみた。

1、町政トップの岸本英雄町長は、原発利権で潤ってきた地場ゼネコン
  「岸本組」と表裏一体の関係であるうえ、選挙で自派町議に現金
  を支払ったり、自身の資産管理に疑義が生じるなど、政治家として
  の資質に疑問符がついている。

2、玄海町には、原発関連の雇用や電源3法交付金に依拠した過剰とも
  言える公共事業がもたらされてきた。

3、玄海町は情報公開の請求権を町民にしか認めておらず、事実上の鎖
  国状態。玄海原発や町政に関する詳しい情報が開示されていない。
 
大半のメディアは、こうした背景を取材することもなく、玄海町長や議会側の発言を追いかけ回してきただけで、九電や国の思う壺となっていることに気づいてさえいない。
メディアの果すべき役割は、福島第一原発の事故がもたらした現実を踏まえ、玄海原発について、より広範な議論を巻き起こすための材料を提供することのはずだ。

例えば、疑惑まみれの町長とわずか12名しかいない町議会の関係、原発関連の雇用や交付金によってがんじがらめとなった町の実態などを知れば、この町に原発容認の可否を問うことの意味を多くの国民が考えるだろう。
しかし、大半のメディアは玄海町長のコメントを取ることだけに血道を上げ、報ずべき同町の実態については満足な取材さえしていない。

・報道への疑問 
電力の需給状況についての報道も大切だが、電力会社の言い分をそのまま報じるのではなく、しっかりとした検証が必要であることは言うまでもない。玄海原発の運転再開にからんで、九電は当初、火力発電用燃料の不足を言い立てたが、石油連盟会長が「燃料は十分確保されている」と発言したことで沈黙。大規模な節電要請まで引っ込めてしまった。

玄海原発の運転再開を急ぐ九電の話に信頼が寄せられないという現状は、九電自体が招いたものと言えよう。
同様に、根拠が示されないまま「原発は安全」とする国や電力会社の姿勢にも同意する国民は少ない。

全国的にエネルギー政策を見直す意識が形成されたのは、福島第一原発の事故と、その詳細な内容を隠蔽する国や東電の姿勢が報じられたからこそ。玄海原発の運転再開問題についても、玄海を取り巻く状況や方針決定に連なる人たちの背景を、丹念に取材し、報じる必要があるはずだ。

しかし、現実には運転再開の鍵を握る玄海町長や古川佐賀県知事の発言だけが注目され、議論は矮小化される一方。「何故、玄海町長と佐賀県知事だけに原発運転再開の判断を委ねるのか」という素朴な疑問さえ呈されていない。

・仮説
仮説ではあるが、経済産業省や九電は、玄海町や佐賀県が最終的には運転再開に同意することを見越して、「立地自治体と県」という"高そうなハードル"を設定して見せた可能性が否定できない。
 
報じてきたとおり、玄海町には反対にまわる要素がない。佐賀県に関しては、これまで県側が九電側から多額の寄附を受けたこと、古川知事が九電役員から献金を受けてきたことなどの事実があり、どこまで運転再開に待ったをかけ通せるかわからない。

古川知事の動向を見てきたが、国や九電に批判的な発言を繰り返しながら、節目ごとに態度を軟化させている。
2011年6月26日に行なわれた経産省の県民向け原発説明番組のあと、これを評価する発言をしたが、批判の嵐に方向転換を余儀なくされ、より多くの県民を対象とした説明会の開催に言及している。しかし、知事が目指しているのは運転再開を県民に納得させる状況をどう作り上げるかという一点のようだ。結論は出ていると見るがどうだろう。
 
玄海原発の運転再開問題では、反対することのない玄海町長と佐賀県知事に判断を委ねる状況を作り、紆余曲折を経て最終的に同意を取り付けるというシナリオが用意されていたのではないか。疑念は深まるばかりだ。
 
一部の利害関係者が原発の是非を判断することに胡散臭さが漂うのは事実。国や電力会社が超えるべきハードルは、より多くの国民の意見を以って設定されねばならない。

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引用、以上





宮本昇

ブログ『(新)日本の黒い霧』の紹介−それは新たな日米戦争の勃発だった

ブログ『日本の黒い霧』を紹介する第13回。
◆過去の記事
第1回 (1)戦争の実像
第2回 (2)圧力隔壁説も自衛隊撃墜説も真実ではない
第3回 (3)墜落を知りながら意図的に発表を遅らせた米軍・自衛隊
第4回 (4)「事故直後に墜落機を発見」アントヌッチ証言の真偽は?
第5回 (5)墜落現場周辺で発見された驚愕の物的証拠とは?
第6回 (6)救助開始前に現場に現れた謎の部隊
第7回 (7)日航機事故生存者の命を奪った集団の正体とは?
第8回 (8)JAL123便が運んでいた積荷の正体とは?
第9回 (9)日本は事実上の核保有国?
第10回(10)御巣鷹山に潜む国営テロ集団の秘密基地とは?
第11回(11)日本を代表する企業の工場群と基地が一体化?
第12回(12)なぜ墜落現場にVXガスがあったのか?
 
 
VXガスが使用された痕跡、123便を撃ち落したと思われる黒い戦闘機の正体を示す破片、JAL123便墜落事故が「軍事物資を輸送していた123便を巡る、日米ソの軍事衝突」であった疑いが濃厚になる中、ブログ管理人が次に提示した物証は・・・
 
 

以下、(新)日本の黒い霧 JAL123便墜落事故−真相を追う−そしてミサイルは発射された(12)より引用します(赤字は引用者による)。

〜前略〜
1985年8月12日、大阪伊丹空港行、日本航空123便を撃墜させた原因について考察する「そしてミサイルは発射された」シリーズの続編です。このブログを初めて読まれた方は、「ミサイル説って本当なの?」と思うかもしれません。本ブログにおいては、現場で採取した数多くの物証を示すことで、ミサイル発射の有無の議論は既に終了しており、今や、どの軍事勢力がどのミサイルで同機を撃墜したのかに論点が移っています。
 
ちょっと着いていけないと思われる方は、まず「そしてミサイルは発射された」シリーズ、および「オバマ大統領訪日によせて」をお読みください。できれば、全記事を読んでいただくとありがたいです。日航機事故の全容を簡単に説明すれば、「軍事物資を輸送していた123便を巡る、日米ソの軍事衝突」となります。こんなのでいいのか!?と思うくらい、事の表層については明瞭なのです。この’事故’、というより’事変’のもう一つ重要な側面は、日本国政府(あるいは裏政府・軍産複合体)がとった以下の行動です。
 
 ・多くの生存者を見殺し、惨殺、あるいは拉致連行したこと
 ・虚偽の事故報告を行い、全国民を欺いたこと
 
以上は、犠牲者及びそのご家族だけでなく、政府を信任する全ての日本国民に対する重大な裏切り行為です。政府がとったこの歴史的とも言える背信行為に対して、私たち国民は次の点を明らかにしなければなりません
 
 ・日航機に積載した軍事物資(BF4=毒ガス原料・核弾頭)の行き先・輸送目的
 ・なぜ民間機で軍事物資を輸送したのか
 ・なぜ生存者を殺害してまで秘密を守ろうとしたのか
 ・官庁・大学・マスコミをねじ伏せた権力の正体は何か(裏政府、軍産複合体?)
 ・なぜ米国政府、ソ連(現ロシア)政府はこの件で沈黙しているのか

 
この他、S氏や私の取材を執拗に妨害し、時に殺害行為を仕掛けてくる国営テロ集団(国賊)と上記権力機構との関連、彼らの関与が強く疑われる、一連のオウム事件、グリコ・森永事件、また古くは三鷹事件、下山事件、松川事件など日本の怪事件(*1)とこれら権力機構の関連についても、日航機事故の真相解明を機に、国民に広く真実が知らされるべきです。
 
[*1]日本の怪事件:これを言い出すと、「福知山線脱線事故」、「神戸連続児童殺傷事件」、「和歌山毒物カレー事件」など、キリがありません。関連があるにせよ、ないにせよ、これら疑わしい事件については再検証するくらいの取り組みが求められます。
 
■現場に散乱する核弾頭
 
まず、現場で発見された機体破片から、これまで国際軍事評論家のB氏が判定した機体のリストを以下に提示します。
 
・RC-130
・RC-135
・F-106(黒い機体)
・F-117
・CH-46
・UH-1H
・F-4EJ
・Mig-25
・その他判定不明の航空機、戦闘機類(複数)
 
以上が発見されたことから、この地(御巣鷹の尾根一帯)でたいへんな空中戦、地上戦が勃発しただろうことは以前お伝えした通りです。B氏はこれにさらに分析を加えます。
 
(1)「これを戦術作戦として考えれば、ヘリに関しては1機、2機というレベルではないでしょう。人員を乗せたヘリが何機もここに飛来し、撃ち落とされているはずです。私の見立てでは、軍機乗員、米海兵隊、陸上自衛隊の地上部隊を含めて、少なくとも500人以上がここで死んでいるはずです。」
 
(2)「日本は非核三原則(*2)を掲げる国ですから、表向きは、米軍機、自衛隊機共に核兵器は搭載してないはずです。しかし、そんなのは建前であって、米軍が日常核兵器を搭載しているのはもはや公然の秘密です。しかも、この件に関しては自衛隊の核武装すら疑われている。実際に核が使われていないとしても、これだけの軍機が落ちていれば、核ミサイル・核爆弾が数個〜10数個程度は現場にゴロゴロと転がっているとみなければなりません。」
 
B氏の分析(1)によると、民間犠牲者の他に、500名程度の兵士がここで命を落としているだろうとのことです。戦乱に関わった軍人と、民間機の犠牲者を一緒にしてはいけませんが、もしもB氏の見立て通りだとすると、この地で1000人以上の命が失われたということになります。以前の記事で、昇魂の碑の前で悲痛な表情を浮かべる白人男性についてお伝えしたことがありましたが、このお方の表情の意味は、果たしてここで失われた兵士のためのものだったのでしょうか。
 
人の死を悼むのは当然の感情ですが、(2)の核兵器に関する情報はいただけません。下手をすると、現在に至るまで人を死に追いやる危険な状況が残されていることを暗示しています。そして、B氏の指摘を待つまでもなく、現場調査を始めてから既に5年の年月を費やしたS氏が、既にその断片に遭遇していたのです。
 
[*2]非核三原則:折りしも、佐藤栄作元首相(ノーベル平和賞受賞)と米国との密約が今になって騒がれています。しかし、国民の誰しもが米軍が「核を持ち込んでない」とは思っていないでしょう。それどころか、旧「動燃」で国産核弾頭を密かに製造していたことの方がはるかに問題です。もういいかげん嘘(うそ)はやめにして、国民の前でに正々堂々と是非を問うべきです。
 
 
■S氏が目撃した「核」の断片
 
昨年(2009年)、私がS氏と知り合って間もない頃、現地に落ちていたものについて、彼にこんなことを質問されました。
 
「各々1cm 径くらいの、6角形のハニカム構造体なんですが、この構造の中に黄色い固形物が充填されている。固形物はまるでモルタルのような薄い黄色でザラザラした表面をしていました。何か核関係のものじゃないかと思うのですが。というのも、これが落ちている付近にいるとクラクラして、動けなることがあるんです。本当に、今日はもう下山できないんじゃないかと思うくらいです。また、その辺りには死んだ動物の骨も多いし。それから、ここに入った後、傷の治りがすごく悪いんですよ。これ(写真1)は切ってから3週間経過した傷なんですが、カサブタがなかなかできないんです。」
photo-1.jpg
写真1:3週間経ってもカサブタができない傷跡
最初にこれを尋ねられた時、わたしもさっぱり分からなかったのですが、その後、S氏が同現場近くで撮った一枚の写真(写真2)をB氏に鑑定してもらった時、それが何か判明したのです。以下その時の様子を会話形式でお知らせします。
 
——————————- (ここから) ———————————–
 
管理者:S氏が撮った以下の写真、何だと思われますか?まるでレンガの破片のようですが。
 
photo-2.jpg
写真2:レンガ状の物質
 
B氏:これは、アレだな。俗に言うイエローケーキというやつですよ。
 
管理者:すみません、不勉強でよくわからないのですが。
 
B氏:ウランを精錬して濃度をあげたものです。
 
管理者:ええっ、でも、黄色じゃないですよね。
 
B氏:核兵器に使用される軍用のイエローケーキは錬度が高く、レンガ色をしています。
 
管理者:それじゃあ、核兵器に関連する何かであると。そういえば、S氏によるとこの写真を撮った近くで、ハニカム状の・・(説明略、上記をご参照ください)・・があると言ってましたが、何か思い当たりますか?
 
B氏:核兵器に関連するとなれば、爆縮レンズの構造そのものですね。充填されているのが核爆薬になります。
 
管理者:核爆薬、それはもしかして、プルトニウム・・・
 
B氏:基本的にそうです。ただし、詳細な爆薬原料の組成や爆縮レンズの構造は、各国における最重要軍事機密扱いとなります。
 
——————————- (ここまで) ———————————–
 
この後すぐにS氏に電話を入れ、「絶対に触るな!絶対に持ち帰るな!」と伝えたのは言うまでもありません。また、写真1の傷の状態についても、知り合いの医療専門家に尋ねてみたところ、「血中のフィブリンが減少している、典型的な放射線症の一つですね」と回答をいただきました。
 
■核ミサイルの弾頭構造
 
以下の図1は、B氏のガイダンスを受けて作成した、核ミサイル弾頭の概略図です。レンガ状のウランは弾殻を構成します。ハニカム構造の核弾薬については、S氏が見つけた後、直ぐに回収されてしまったということで写真がありません。よって想像図でのご紹介になります。これに関しては写真が撮れなくて残念というより、回収していった方のお命が気がかりです。はっきりと形になったものはあらかた回収されてしまったのかもしれませんが、その時の破断状態について聞く限り、粉々になった断片がその周囲に飛散しているのはほぼ間違いありません。S氏によると、このような立ちくらみを覚えるスポットが、事故現場付近に数箇所あるとのこと。なお、写真3は、放射線によりデジタルカメラのCCDセルが励起し、青い発光が表れたと思われる写真です(断定するにはもう少し追試が必要です)。やはり、この危険スポット近くで撮られたものです。
 
fig-1.jpg
図1:核ミサイルの弾頭構造 概略図
 
photo-3.jpg
写真3:放射線により青い発光が写り込む?(赤丸部分)
 
■回収された核弾頭の行方
 
核爆発があった場合、上記のような断片は燃焼し残りませんから、これらの断片を以って事故当日に核攻撃がなされたとは断定できません。しかし、少なくとも不発核弾頭がゴロゴロしているというB氏の予想は間違いなかったようです。前述したように、形が残った断片については回収部隊によってかなり運び出されてしまったようです。また、我々の方も危険がいっぱいの核物質を積極的に探し出そうとは思っていません。しかし、これについては「目に見えないから、運び出されたから、もう見つかりません」で済むような甘い問題ではありません。微細な断片は確実に現場に残留しているだろうし、回収された断片、あるいは丸のママの核弾頭についても、どのように処理されたのか不明です。
 
核弾頭の回収処理についてB氏は次のように語ります。
 
「世界中で確かな核兵器処理技術と専属チームを持っているのは、米国軍とフランス軍くらいのものでしょう。日本では政府系の原子力機関がそれに該当することになりますが、ノウハウと言う点ではとても及ぶものではありません。事実上、米軍、フランス軍に依頼するしか核兵器の処理はできないはずです。」
 
B氏の発言が真実だとすれば、回収された核弾頭は密かにどこかに集められ、そのまま放置されているということになります。それが、国内なのか、国外なのかわかりません。あるいはこっそりと、米国、フランスに話をつけているのかもしれません。いずれにせよ、回収した核弾頭がどのように処理されたのか、あるいは未処理なのか、それをはっきりさせないうちは、この日本で安心して夜を迎えることはできません。日航機事故の真相解明が叶った暁には、これら核弾頭の行く末についても必ずや明らかにされなくてはなりません。
 
 
■尾根に残る放射能
 
次に、参考までに今回の記事に関連する映像を公開します。写真4は事故現場へ登山者、森林整備の職員を装いやってくる一団が、破片回収をしながら時折口に入れる錠剤の包装です。これだけでは薬の種類まで判別できませんが、この集団全員がこれを携行し常飲していることから、おそらく放射線症対策のヨウ素剤であると推定されます。
 
photo-4.jpg
写真4:回収部隊が現地に残していった錠剤の包装
 
動画1は、S氏が今年の2月、現場の尾根で破片の調査に入った時のものです。拾っている物だけではなく、S氏の手に注目してください。手の甲から腕にかけて紫色の発疹が浮かび上っています。説明するまでもなく、急性放射線症の症状です。本人いわく、立ち寄る場所によってはこの症状が現れるそうで、現場から何日か離れていれば腫れは引くそうです。
 
http://www.youtube.com/watch?v=B9sTUaQ29AA
動画1:現場調査中のS氏、手の紫色の発疹に注意
 
この他に、「闇夜に蠢く物(4)」でご証言いただいたM氏は、2000年頃より肺癌を発病。数年に渡る治療の甲斐あり、現在は健康を取り戻しております。事故当日に現場へ入ったことが発病の原因とは断定できませんが、疑いは残ります。M氏自身の証言[17]に注目してください。
「山で遭難して遺体になると、狐や狸など、山の動物にひどく食い荒らされるのですが、現場で見た遺体には、奴らが手をつけた痕跡がまるでない、それは山を知る者としてはたいへん不思議な事です。」
一般に、野生の生き物は電磁波や放射線に対して敏感だと言われます。そこまで言わずとも、粉々になった不発核弾頭、風に巻き上げられた放射性物質がその時現場に漂っていたとしたら、残酷な殺戮行為を働いた軍関係者はもちろん、後から現場に駆けつけた、救助関係者、報道関係者、遺族関係者の全員が、もしかしたら被爆していた可能性があります。事故発生からの一定期間内に現場に入った全ての人員の健康状態について、追跡調査を行うこと、日航機事故の真相究明とはそこまでやり通さなければ終わりにできない、日本国民が背負った大きな負の遺産なのです。
S氏についても、現場調査に行くのはそろそろストップさせなくてはなりません。と言うのも、先ほどの医療専門家に血液検査をしてもらったところ、「かなり放射線の影響を受けているようだ。このまま放っておけば確実に癌になるだろう」と宣告されているからです。現在30代前半、事故当時はまだ小学校低学年だったS氏。当時すでに成人だった私や同世代人を差し置いて、真相究明の最大の功労者をこんな形で先に逝かせる訳にはいきません。
最後に、国営テロ集団(国賊)側に付く、自衛官、公安警察官、下請け民間企業の従業員の方々にも呼びかけます。
「あなたたちは、権力者のモルモットにされているだけなのです。早くそれに気が付いて、神から授かった命を世のため人のために役立ててください。」
* * *
123便の墜落原因の解明、および事故調査報告書・ボイスレコーダー・フライトレコーダーの虚偽性の解明については、その作業がそろそろ終盤に差しかかってきました。この先、このブログが取り組むべき大きなテーマは、知られざる日本国政府の正体に移っていきます。戦後65年、この国が本当に、私たちが自ら選んだ国会議員とその政府によって運営される民主主義体制の下にあったのか、あるいは、黒い霧の中に潜む、一部の権力者の掌中で動かされていただけなのか、日航機犠牲者の無念に応えるためにも、それについて今こそ明らかにしなくてはなりません。

その後もブログ管理人は調査を続け、事故当日、御巣鷹山の上空1万mを、米国政府の国家的戦略判断によって出動する戦略偵察機U−2(通称ドラゴンレディ)が飛んでいたらしいことを示し、この事件が突発的な軍事衝突ではなく、日米関係史の再考が必要な闇の歴史の一端であると考えます。
 

私は、「この時以来、日米は戦争状況に陥ったのだ」と理解しています。つまり少なくともこの25年間の「日米同盟」は幻想であったということです。日米関係については、別のシリーズで詳しく論考する予定ですが、「戦争状況」を示す具体例として、1985年9月、日航機事故の1ヶ月後に電撃的に成立するプラザ合意を思い出していただくとわかりやすいかと思います。前にも書いたかも知れませんが、同じような合意は同年1月に取り決められたのに、ほとんど効果はなかった。それなのに、急に開催が決まった9月の合意では、あっという間にその成果が結果になって現れ始める。日本の民間資本が一斉に動いたからです。
その後、「Japan As No.1」呼ばれた日本の経済は
 急激な円高 >(人工)バブル崩壊 >日米構造協議 >失われた10年 >郵政民営化
と、米国に主導されながら巨大な財政赤字を抱える、経済衰退国に変わっていくのです。
戦争とは「軍事」だけではない。1985年当時、世界No1の経済力を付けた日本。核兵器開発など、日本の軍事的暴走の源泉をその「経済力」と判断したのならば、「経済力」を根こそぎ叩き潰すというのも、米国の大きな国家戦略であったとは考えられないでしょうか?
 
『JAL123便墜落事故−真相を追う−そしてミサイルは発射された(13)』より

そして、この“新たな日米戦争”の勃発を巡り、(1) 国民に隠れて軍事的暴走を主導したグループとは何か? (2) 国民に隠れて米国と経済取引(手打ち)したグループとは何か? 第二次大戦以来、裏の戦後史で暗躍してきた日本の闇勢力の正体に迫っていきます。
(つづく)





BLOG:金貸しは、国家を相手に金を貸す http://www.kanekashi.com/blog/2011/07/001649.html

全原発を廃止せよ!〜1990年を境に原発推進世論を強め庶民は貧困化していった

原発推進の世論作りの歴史とそれによる庶民の貧困化の実態について説明されています。

『全原発を廃止せよ!(4):闘う労働運動を甦らせよう! 』(たみとや日誌)リンクより転載します。
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●原発「世論」は、1990年を境に原発推進

・1978年の米スリーマイル島原発事故や1979年の敦賀原発放射能漏れ事故以降、原発反対の「世論」は高まったが、1990年を境に、原発賛成の「世論」が増加し、原発反対は、1995年の「もんじゅ事故」や1999年「東海村事故」が続いても低下し続けて、今回大震災直後の3月19日世論調査でも、原発賛成は56%!?

・1980年代、日立・東芝等原発メーカーを要する電機連合・原発推進の電力総連は、原発反対の総評社会党ブロックの国労・全逓・自治労・日教組に原発容認を飲まなければ労線統一はできないと主張。江田五月・菅直人らの社民連が社会党から離脱し原発容認政策を展開。

・そもそも1954年、アメリカの後押しを受けて、原子力予算を確保した中曽根は、1982年、首相になると、レーガン政権の後押しを受けて、「新日米原子力協定」を締結。日本の核武装を心配する米議会の反発で協定批准は難航したが、1987年に発効。原発と核燃料サイクル開発の体制を整え、これ以降、原発建設は加速。

・一方、1970年代以来、行き詰まりを見せた資本主義の生き残り策として、米レーガン、英サッチャーが、“民営化が唯一の武器”の「新自由主義政策」。それにならい、中曽根政権は、原発反対の旗頭の「国労をつぶすため」と明言し、国鉄分割民営化を実施。

・ 国労、引き続いて総評、社会党が解体。動労千葉などが闘い続ける中、一方で、「原発推進賛成」の「連合」が発足。

●「原発推進」とともに、1990年以降、「食えない労働者」が増え、「国の言うことに黙って従え」戦争への体制づくり

1994年以降「就職氷河期」、
1995年日経連「労働者の9割は非正規」を提言、ワーキングプア1千万人超。
1996年「日本はアメリカと世界で戦争しろ」日米安保新ガイドライン、1999年「日の丸を敬え、君が代を歌え」国歌・国旗法、
2003年イラク戦争開始・有事7法、
2004年「市民も人を裁け」裁判員制度、
2006年「国を愛せ」新教育基本法、2007年「戦争できるように憲法変えるぞ」国民投票法、
2010年「結局辺野古に造るぞ」辺野古新基地建設問題

●原発は、資本の利益低下の延命策

・戦後日本の資本の利益率は1980年以降ずっと減少している(下の図)。そのなかで、原発については、1990年代、欧米資本が「なんだ、軽水炉はすごく儲かるんじゃないか」と見直し、原発耐用年数を長期化。それを受け、昨年、福島原発も稼働延長を決定。

・そして、「地球温暖化対策としての原発推進」の“うそ”が進められた。2008年洞爺湖サミットでは、唯一の成果として「地球温暖化対策として原子力エネルギーの活用」と宣言。昨年は、「新成長戦略」の柱として、インドへ日本の“原発技術”を官民一体で売り込み。

・一方、賃金は1998年がピークだが、労働分配率は1975年にピークをうっていた(下の図)。そして、1985年に国鉄分割民営化と派遣労働者法成立。JALの民営化は1987年。今はそこから始まっている。

・アメリカでも、1976年にカーター大統領が非痛な表情で「成長の行き詰まり」をテレビで国民に訴え、1981年にレーガン大統領が就任し、民営化を開始。

 〜後略〜
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*図はリンク元参照リンク






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