共同体社会の実現

人々の意識の中に、「どうしたら社会・地域を守れるの?」という意識が芽生えてきています。そのヒントとなる情報を紹介していきます。

10月に入り情勢はスピードを増す〜市場崩壊は間近?/半島情勢/トランプと新共和国〜

◆中国とアメリカ。市場大暴落のカウントダウンか
10月18日に政府の資金が尽きれば債務不履行になる。イエレン財務長官は、国債の発行を拡大するための議会の対応が進んでいないことを受けて、このままでは10月18日以降に政府資金が底をつき、債務不履行に陥るおそれもあるとして、議会に警告。
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10月1日、米議会が暫定予算案を可決 政府閉鎖は回避、債務上限問題は先送りされたが、まだ懸念はつづく。リンク

中国の恒大集団の経営難は、香港株暴落→世界中の株価下落へ。これに連動するようにドルも暴落。世界市場の崩壊が始まる。


◆トランプとバイデン不正選挙と新共和国
英タイムズ紙が「トランプは正しかった。不正選挙が行われていた」と報道。
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またアメリカのマスコミは黙っているが、先日のトランプラリーでは、この不正選挙が具体的な数字でもって公表されている。
投票用紙の複製【34,448票】、2回投票、3回投票、4回投票による【17,322票】の重複。

さらに、9月30日、アメリカの40州の州知事が署名し、アメリカ新共和国を宣言したとの情報もある。

◆日本でも大量逮捕か?
9月の下旬から、日本には巨大な監獄船が停泊していると言われている。
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都内でも護送車がここ数日、多く見られていることや、数か月前から創価学会の各会館が閉鎖(名目はコロナだが)されている。


◆政府が日本郵政株を1兆円規模で売却へ、10月中に−関係者
政府は29日、保有している日本郵政株式の第3次売却を10月中にも実施する方針を固めた。複数の関係者が明らかにした。売り出し規模は1兆円程度を想定しており、同日説明会を開いて引き受けシンジケート団に売却の計画を説明した。
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江戸幕府にはなかった定年制度。年はとっても、死ぬまで集団のための役割があった。

定年後何をしよう?年を重ねてそう考えている会社員の方。趣味や今までできなかったことをやる!という方もいると思いますが、仕事を辞めて人付き合いがなくなった。家でテレビを見ているだけ。なんてなると寂しいですね。

古く日本では年を重ねたあと、どのように過ごしていたのでしょうか?地域共同体があったころは「隠居組(いまの老人会)」があって、地域の祭りごとや、物事の最終判断は経験の豊富な年配の方々のお仕事でした。そして、その仕事は大抵死ぬまで続いたそうです。

年を重ねても役割があり、子供も大人も老人も一緒になって暮らしていた日々。


以下『企業実務ONLINE(リンク』から引用
〇意外に知られていない「定年」の語源
もともと「定年」は「停年」と書いた。江戸幕府の役付けの旗本など「停年」はなく、90歳や80歳で役付きのお城通いが何人もいた。そうかと思えば、無役の旗本などは40歳で「隠居願い」を出して、隠居したものである。

大名の場合は、幕府に睨まれると、「茶壺」を老中から贈られて、隠居して茶でも嗜めと暗に「停年」を強制された。もちろん無視すれば、御家断絶が待っている。不行跡の証拠を幕府は握って隠居を勧めたからだ。不行跡さえなければ、老人だからといって出仕を止めることはなかった。事実上、江戸時代は能力主義で、停年はなかったといえる。

奈良時代の律令(法律)では、『およそ官人、70歳をもって致仕え(退職)を許す』とあって、現在の定年制よりはるかに緩やかだった。知識と経験豊富な老人の能力が重視されていたのだろう。

もともと「停年」なる言葉を最初に使ったのは明治政府だ。その意味は「現役停限年齢」の略で、陸海軍の軍人に用いられた。それが明治の末には「定年」の文字に変わるが、意味は同じで、『少将が中将に進むには実役停年3年』と、進級するのに必要な「停まる」年齢のことだった。

ただし、すでに退職する年齢も決められていた。たとえば陸軍軍人は大将65歳、中将62歳、少将58歳、大佐55歳で「退隠」と、事実上の「定年」制度であった。同時に「恩給制度」が作られたことも見逃せない。軍人が退隠した後は、終身恩給が支払われることになったのだ。

…中略…
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職人の父vs仕組みの息子。社運をかけた親子喧嘩5年。売上は9倍に

大手企業も倒産する時代にあって、会社が生き残るためには何が必要か。人と人の繋がりは欠かせない。

以下、リンクから引用。


創業55年。小さな町のクリーニング店を20代で承継した東田伸哉社長。はじめて決算書に目を通した瞬間、あまりのひどさに怒りを覚えたといいます。過去の経営を非難し、家族と衝突する日々。そんな中、「自分の正しさを証明する」ために始めたネット宅配クリーニング事業「リナビス」は紆余曲折の末、大ヒット。2014年からの5年間で、売上・社員数ともに約9倍に成長しました。その過程で、東田社長が痛感した自身の思い違いや、職人仕事の効率化について話を聞きました。

●「これは何なんや!」。決算書を父親(前社長)に投げつけた
――入社の経緯や、お父様(先代社長)との関わりについて教えてください。

東田伸哉さん(以下、東田):転機となったのは2013年。結婚をし、将来のことをいよいよ真剣に考えはじめたとき、初めて会社の決算書を見たんです。すると、経営状態が想像以上に悪かった……。売上も利益も右肩下がりで、多額の長期借入金がある。当時の社長である父に決算書を投げつけ「 これは何なんや! 」と迫りました。「結婚もしたし、これからしっかり生活していかなければいけない…… 今までの20年30年、何をしてたんや! 」と。父が発したのは「仕方ない」という言葉。「業界全体が斜陽なんやから、仕方ないやないか!」と。その日はとことん口論しましたね。その後、仕事は父と相談しながら進めるものの、スピード感などが噛み合わず、毎日のように衝突を繰り返していました。

●いつもの「おせっかい」が最大の強みだったとは
――「おせっかいなクリーニング店」というコンセプトはどのように生まれたのでしょうか?

東田: 転機となった出来事がありました。夜の9時くらいにお客様から一本の電話がかかってきたのです。「明日始業式なんだけど、学生服を受け取りに行くのを忘れてしまった……。何とかならないか?」と。父や母はその電話を受け「お客様が困るから」と届けに行ったんです。父と母の行動を見て、売上や利益に直接つながるわけではないが、絶対にお客様が喜ぶ行動だろうな、ということは腹落ちしました。しかし、「なぜそんなことをするのか?」「なぜできるのか?」と考えているうちに、そういった行動は父や母に限らず、会社のスタッフやパートのおばさんにとても多いことに気がついたんです。いわば、当社にとっては当たり前の行動なのではないか?と。「困っているであろう人を想像して、勝手にお世話してあげる」 。小さな町で、まがりなりにも50年クリーニング店が続いてきた理由は「おばさんのおせっかい」なのではないか、と。そこに思い至り「おせっかいなクリーニング店」というコンセプトを確立しました。2015年ごろですね。続きを読む

集団を作っていくためにはどうする?⇒「縄文時代には、どんな人間関係が築かれていたのか」から学ぶ

現代における集団(自治体、企業、家族)は私権の圧力下で作られた集団であり、類的価値=人と人の関係の中で生まれる価値が求められる時代にはおいては可能性がない。

企業であれば上司と部下、家族であれば親と子など、序列によって集団が統合されている(ようにも見える)。

母親が他の集団には可能性がないから子どもに執着し、親という序列を使って管理圧力を高める時代においては、自然の摂理に則って作られた、歴史的な集団に学ぶことが不可欠である。

江戸時代においては、序列は存在しなかったようである。
現代の狂った集団に対して、自然の摂理を元に形成された集団がどのように作られたのかを下記記事を参照して紹介します。

いかに序列で統合しようとしている集団がおかしいのかと気付かされます。

以下、引用です。

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引用元:「縄文時代には、どんな人間関係が築かれていたのか?」 リンク

◆縄文時代に集団が形成されたことがわかる遺跡
<前略>

集落の中心に墓地が置かれたことから、共同体の精神的な拠り所が霊的な存在だったと推察できる一方で、集団を形成した村のような集落の中に、中心となるリーダーや指導者的なものをおかず、偶像も置かれていません。

リーダーや指導者がいない集団を形成していたと想像される縄文時代の人間関係は、構成する人が等距離にある関係といえ、上下関係もなかったと推察されます。


◆等距離の人間関係が可能だった縄文時代の背景と考え方には?
縄文時代に作られた集落の集団には、個人それぞれの能力差や得意分野の違いはあっても、狩猟の成果物を左右する階級は存在しなかったと想像できます。

発見された集落の遺跡からは、特別な場所を占有した住居跡がなく、身分の差が考えられる副葬品の差も無く、墓地にもそれほどの違いがみられないなどがその理由です。

こうした等距離の人間関係が成立したのは、現在のような成果主義や物質的対価といった発想がなく、自然の摂理の中で狩猟によって得られる成果が、努力だけでどうなるものでもないという理解が共有されていたためと考えられます。

しかも、現在の会社や町内会といった組織にあたる社長や役職などの関係性がなく、雇用関係や権力に従うといった人間関係がないため、集団の中で自分ができることをできる範囲で行なっていたと想像されます。

細分化された現代の社会よりもフレキシブルな人間関係が集団の中に構築されていたとも考えられます。


◆縄文時代の人間関係には上下関係も権力支配もない?
自然の摂理の中で、狩猟と植物の採集や栽培で生活していた縄文時代の人々が定住を始めて集落を作り、集団の中には、権力や指導者、偶像が置かれず、等距離の人間関係が構築されています。


現代社会にみられる組織の階級や権力による支配などがない縄文時代の人間関係は、集団内での個人の能力や得意分野を相互に認知しながら、それぞれが集団に役立つことを可能な範囲でこなし共存をはかっています。

縄文時代の人間関係には、成果主義や物質的対価、経済的対価といった思想も発想もなかったため、ある意味では理想の人間関係だったかもしれません。

(引用、以上。) 
 


黒湯温泉 ( 30 宮城 会社員 )  
 

トランプ・チームからの7つの大統領メッセージ〜これから21日間の間に世界革命がおこる!?〜

 いよいよ始まるのか!?世界革命!
トランプ大統領が21日間の祈りの日を呼びかけています

GCRを介して復元された共和国:2021年9月14日
リンク
からの転載です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
時が来た。審判の日がやってきました お待たせしました。
彼らは今すぐ支払う。機密情報を掲載します。Q

トランプ大統領は、アメリカに21日間の祈りの日を呼びかけています。

歴史的なことになりそうです。ずっと前から計画されていました。これからの21日間のうちに、大きな、大きな、大きな出来事が起こります。Q

(中略)

Q:9月13日(月)に未確認ですが、以下の内容が届きました。

トランプ・チームからの7つの大統領メッセージが、まもなく世界中のすべての電話機に送られ、その後、サービスが停止される。

1. 遮断されるまでに、世界中の携帯電話に社長から7通のメッセージが届くことになる。これは長くは続かない。必要なのは、緊急事態を放送するためのテレビシステムへの接続だ。緊急放送システムは、10カ国から放送され、世界中をカバーすることになる。

2. 遮断される電力供給。世界規模での停電は、テスラの電力に切り替えることで構成されます。メディアを破壊するために、QFSはサイバー攻撃を行い、34のビルやダムを破壊します。1月には10カ国の電力供給が宇宙プラントによって中断された。その少し前、30分以内にイスラエルでもそうなりました。10カ国に同時にできるのであれば、すべての国にもできるはずです。

3. 飛行機や列車が着陸してしまう。世界中で行われている軍事演習のことも忘れてはならない。すべてが私たちの目の前で起こっていた。これは、地球の歴史上、最大の軍事作戦だった。

4. 中国の三峡ダムは壁に亀裂が入っていて、いつでも水位を下げることができるため、ユニークな「水のイベント」が発生します。その下には、宇宙からのサイバー攻撃で停止する24基の原子炉がありました。また、アンドレア・クロムを製造する大きな実験室もありました。ダムの水は武漢の街に落ちる。ここ数カ月、この地域の住民は避難していた。三峡ダムは、ビッグイベントの中でも最も重要な要素の一つだった。

5. ホワイトハットは、ブラックスワン・イベントを引き起こす。ブラックスワン・イベントとは、通常想定される状況を逸脱し、予測することが極めて困難な出来事のことである。それは、世界的な「戦争状態」を引き起こすことになる。これは21世紀の最も重要な夏となるだろう。

6. 恐ろしい出来事が起こる。人々を目覚めさせることを目的とした架空の第三次世界大戦のシナリオである。全米の軍司令部のサイレンが核戦争を警告する。

7. イベントは、確実に株式市場の崩壊と世界的な軍事協定につながるでしょう。それはとても壮大なものになるだろう。

8. 株式市場は何ヶ月も前から崩壊寸前の人工的なもので、暗号通貨の価値の95%を失っており、必然的に崩壊するだろうと言われています。

9. 緊急事態の引き金となった災害イベントは、軍隊が世界中に食料や重要な製品を届けていることを示すものである。

10. GESARA:GESARA、本格始動。9月11日。9月のテレグラムの記事をご覧ください。このプログラムは、ニューヨークのツインタワーが爆発した9月11日に公開される予定だったが、理由は不明だが延期された。

11. ビルやダムが取り壊される。ホワイトハウス、ロサンゼルスのゲッティ美術館、バチカン宮殿、バッキンガム宮殿、フランスとスイスの国境にあるCERN、中国の三峡ダムなどである。メディア衛星「MOSSAD」も破壊されるだろう。

12. これにより、世界中のメディアがブロックされ、人々は量子システムへと導かれることになる。イスラエルのシークレットサービスは、量子スターリンク・プロジェクトの一環として、アメリカのワールドメディアであるMOSSADをチェックしていた。

13. 言語での放送。ブルガリア語、中国語、チェコ語、デンマーク語、英語(アメリカ)英語(イギリス)、エストニア語、フランス語、ギリシャ語、ハンガリー語、イタリア語、リトアニア語、ポルトガル語、ルーマニア語、ロシア語スロベニア語、スペイン語、スウェーデン語。

14. これで中国共産党と世界のメディアは終わりです。

15. この「暗黒の10日間」には、軍事裁判の様子が放送される。

(後略)



蒔田一雪 ( 壮年 )  
 

一人の人間がいくつもの共同体に属している

父・母・子2人といった「標準家族」「伝統的家族」像が非現実的となる世の中(370444)にあって、かつての日本に存在していた共同体社会(村落共同体)のような人間関係のあり方が注目されつつあります。

今回紹介するのは、共同体社会の本質は、多層的共同体にあるという考察。

つまり、共同体社会とは「一人の人間がいくつもの共同体に属し、それが多層的に積み重なっている社会」であるという認識ですが、確かに現在の日本で顕在化している「(古い)私権集団からの離脱」(42777)や「つながり収束」「一体化」(リンク)の流れも、「新しい共同体」づくりという大きな流れの中に再統合できそうです。

以下、「新しい共同体の思想とは」(内山節著・2021年・農文協)より。
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 いま「共同体」という言葉を使ったのですが、この言葉は翻訳言語だろうと思うのです。というのは、江戸期までの文献に「共同体」はないのですから。おそらく、明治になって「コミュニティ」の訳語として生まれたのが「共同体」です。英語から訳したのか、ドイツ語から訳したのが先だったのかはわかりませんけど。江戸期までの日本ではただ町とか村とか、それから講という組織が数多くあって、お葬式も講でやるし、庚申信仰が広まると庚申講が活発になったり、山岳信仰と結んでいる富士講とか伊勢講とかそういう講もたくさんあったし、とにかく○○講がいっぱいありました。そういうものもひとつの共同体と言えます。そんな感じで呼ばれていたものがもともとの共同体で、共同体というのはひとつの組織ではなくて、講のようなある意味で任意団体に近いようなものもあるし、それから「わが町」とか「わが村」とかいうようなものもある。

 「わが町」「わが村」という共同体もじつはひとつではありません。たとえば僕が暮らしているのは、上野村のなかでも江戸時代の楢原村、そのなかの須郷集落というところです。須郷でひとつの共同体でもあるし、楢原村ぐらいでもちょっと広域の共同体という言い方もできるし、最終的には上野村としてひとつの共同体でもある。ひとつではなく多層的。明治に上野村ができてから一度も合併していないので、本当に上野村はひとつの共同体みたいな雰囲気もあります。それ以外に檀家さんの共同体もあるし、氏子さんのもあるし、伝統芸能を守っている共同体もあるし、職業別のものもあるし、つまりいろんな共同体がある。いまでは、講としての共同体はだいぶ衰弱して減ってはいますけど。

 そういうものの集積体が、全体としてはひとつの共同体社会を形成している。一人の人間がいくつもの共同体に属している。そういうものが積み重なっている社会こそが共同体社会。そんなふうにみていかなければいけないのです。
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(P47〜48)



竹村誠一 ( 50代 長野 営業 )

縄文時代の生々しい外圧〜必ずしも、食料に困らない、豊かなだけな時代ではない〜

映画「縄文にハマる人々」リンクなど、縄文への注目度が非常に高まっている昨今。
特に、縄文時代はなぜ1万年も平和が続いたのか、なぜ縄文土器や土偶を生み出した創造性はどう培われたのか、あたりに関心が非常に高い。
それらを解明していくためには、縄文時代、人類にかかっていた外圧状況(環境⇒生活状況)を生々しく掴む必要がある。

・まず、寒い「氷期」が終わりに向かい、寒暖繰り返しながらも、暖かくなっていった時代。
・暖かくなるにつれて、針葉樹は減り、森林は食べられる木の実をつける広葉樹・照葉樹が増えた。
・(原因が特定されていないが)大型動物が絶滅し、動きの素早い小型動物が増えた。

⇒実りが多く、飢餓の圧力が弱まったことで、「定住生活」を営む。
⇒一方で、イノシシやシカを狩るのは難しく(マンモスを乱獲説などあるが、当時の防具等の技術では信ぴょう性は低い)、食料は植物性に依存(6〜8割は木の実)し、栄養状態がたびたび悪化するなど、厳しい生活であったことが推測されている。
⇒少しでも木の実を効率よく食すため、火にかける道具として「土器」が誕生(決してヒマだったからではない。縄文も縄を用いた製作過程でできるものであり、純粋な装飾ではない)。

⇒(日々新しい認識が塗り重なっているが)縄文人は、平均寿命30歳前後と短命。
⇒埋葬方法も、環状集落の中心に設置した貝塚に埋葬。一定数になると、再葬により、一か所に集約するなど、死を非常に身近に感じる生活にあった。(再葬は祖先を含めた集団のきずなを確認する、強固にするための儀式とも考えられている)

参考:「縄文世界の一万年」

★縄文時代を扱う、バラエティ番組等では縄文時代の裕福さが過大に評価されているが、過酷な外圧はあり、その中で生み出された技術・価値観。継続して、正確に外圧を掴んでいく必要がある。


柴田英明 ( 31 会社員 )

老舗大国日本の特徴から、「本源的」企業・集団の在り方を探求

■「本源的」集団(企業)とは何なのか?
明治時代以降、市場拡大の下、私権原理に基づく企業群が大多数で成立している日本。
1970年頃、豊かさが実現した事により、私権の衰弱加速、企業も今の社会に適応した在り方が求められる。
今、集団≒企業に求められる本来の在り方、本源的企業を探索していく。

歴史を振り返り、明治以前から生き残っている「老舗企業」の特徴とは何なのか?
この切り口から、今の企業に求められるコトモノを探索していく。

■老舗企業大国日本
創業200年を超える企業は、日本に何と「1,340社」で、世界の65%を占める(※)。
要は、日本ならではの特徴があるはず。
世界と日本の企業の違い、老舗企業の特徴について整理する。
※出典=帝国データバンク、ビューロー・ヴァン・ダイク社のorbisの企業情報(2019年10月調査)

■老舗企業の特徴(参考リンク:リンク
老舗大国の秘密は「家督相続制」
世界の大半の国では、会社は一世一代のもので、長年にわたって継承するものではない。

その一つの答えが、日本独自の習慣である家督相続だと言われている。
基本的な考え方は、戸主が亡くなった場合、長男がその権利、義務を一人で継承・相続するというもの。
権利だけでなく義務がセットになっている点がポイントで、家督継承者は原則家族の生活をその財産で保障しならければならなかった。
長男は経済的基盤である家業を継承し、父母を扶養するとともに、先祖代々の墓や仏壇を守り、最終的に自分がされたのと同じように、長男にその地位と権利義務を引き継がさせる責務を負っていた。
そして家督を継承する限り、相続税なども極めて優遇され、国を挙げてこの仕組みを応援していた。

面白いのは、関西の商家では女系が家業を継ぐ、という習慣も存在した。
最も優秀な人材を番頭にして娘婿として家業を継承してもらう商売が盛んだった上方らしい考え方。
戦後、家督相続制は、法律上も、又社会通念上からも消滅した。

そして家督相続の消滅により、兄弟は均等に相続を受けられるようになり、長男は家督継承者という生まれ持った箍から解放され、自由に自分の生き方を決めることができるようになったのです。
しかし、その一方当然の結果、家業を継ぐものがないまま、後継者難で消え去っていく老舗企業を多数生み出すことになった。

■女系が家業を継ぐという習慣
家督相続性の廃止に伴い、老舗企業が減少傾向にある事に変わらないが、「女系」による集団維持については、人類生物史の生命原理とも繋がりがありそう。ヒントが無いか継続追求を行ってみる。



森敏幸

間接互恵のシステム

”余剰がギフトエコノミーの基盤である”という私論は、それだけでは不完全である。なぜなら、”余剰は争いの原因”にもなり得るからだ。<余剰>がもたらす効果に関しては、もう少し熟慮しておくことが必要である。
リンク
■定住革命から考える<余剰>
<余剰>が大きく課題として顕在化したのは、おそらく定住革命によってであろう。遊動生活においては食べ物を常に追い求めなくてはならないのに対し、定住は食料の貯蔵を可能にし、また重い土器や石器の所有を可能とした。「定住が確立してくると、集落は大きくなって人口も増え、集団内に軋轢や矛盾が生じやすくなった。余剰生産物が生まれて、それを独占したり直接生産に従事しない人々が出てくる可能性が生じ、固定した上下の人間関係が生まれる危険性をはらむようになった」

<余剰>は分配の問題や、階層化の問題が生ずる元であった。そこで集落は、祭りを執り行って大量消費をしたり、集団としての意思統一をしたりして、集団の結束を図るようになったのである。また、こうした人間関係の平穏を重んじる知恵は、集落の形状にも表れた。
「円滑な人間関係を保ちたいときや集会をスムーズに運営したいとき、また居住地を設定する際、中心を空にしておくと平等を保ちやすく、”環”は最も安定した構造と言われている.このように、初期の定住文化には、<余剰>から生まれる集権を嫌い、定期的に個の力を崩す精神的な行為が文化として備わっていた。

■狩猟採集社会で準備されていたモラル
余剰の分配の問題を考えるとき、鍵となるのは道徳・良心・利他行動である。このようなモラルは、定住社会の中で初めて生み出されたものではない。すでに狩猟採集社会で準備されていたのである。生物学者リチャード・D・アレクサンダーによると、狩猟採集民にはすでに間接互恵のシステム「今日だれかに寛大に接すれば、自分が必要とするときに誰かが寛大に接してくれるであろう」という、一般的には損を生みえる仕組みが存在していたと指摘している。

また、間接互恵の前提には社会に対する信頼と共感、余剰がベースにあったと考えられる。「自分が助けている人との間に社会的な絆を感じる限り、コストが大きすぎない限り、そして長い目でみてシステムがひどい不運に備えた保険になると感じる限り、人間には生まれつき人助けとなる協力に前向きの反応を示す傾向がある、と私は思う」

とりわけ、共感(empathy)は重要である。共感は他人がどう感じて何を必要としているのかを感じ取る能力であり、人に与えたり分配したりすることに喜びを感じる感情である。この感情がなければ、間接互恵は存在しなかったかもしれない。狩猟採集民は血縁者以外も助ける傾向にあった。血縁者でない受益者から同等の見返りが得られるという社会契約がなくても概ねそうしたのである。これは生物としての進化を考える上では特異なことであった。

短絡的に外側から見れば受益者側に有利なこうした仕組みも、逆にこうした利他的な間接互恵のシステムが長い進化の過程で残されてきたことから考えると、先時代に我々の種を作り上げる際に有利に働いた結果である可能性が高いと考えられる。いずれにせよ、間接互恵のシステムは、狩猟採取民の社会を下支えする仕組みとして、古くから存在していた。

■近代哲学における自然状態の意味
ルソーは言う。「牧人は、活動することが少なく、平穏であることが多い。(中略)ここには余暇と怠慢な情念の誕生がある。(中略)新たな利害と欲求は定住の開始と切り離せない」(驚くことに、ルソーも<定住>と<余剰>を関係づけて考えていた)ルソーの考えを簡単に咀嚼すると、<定住>から余暇が生まれ、そのことが自分のために動きたいというエゴを生み出したと言う。
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農的暮らしの体系

農的暮らしとは何だろうか。農的暮らしの体系は、”Permaculture”としてまとめられているが、そこでベースに謳われていることは、自然と共に暮らしてきた民族であれば誰もが理解できる自然の摂理とも言える。

伝統的な生活(農業)の知恵を学ぶこと。それは単に作物を効率よく育てるための技術ということではない。隣人との関わり、土地との関わり、そして農と暮らしが複雑に絡み合って、一つのシステムを成していたことを知ることから始まる。伝統的な日本の農山村の暮らしがどのようなものであったのか、またそうした農山村の暮らしを崩壊させた<近代化>とはいかなる暴力であったのか。

<a href="https://note.com/tatsuya0911/n/n5b1138c1f226" target="_blank" title="">リンク</a>
<近代化>批判はさておき、土地の環境容量を最大化させて使っていた日本の「ふるさと」が、いかなる知恵を持っていたのか、いかにシステムをなしていたのかを”Permaculture”の文脈に引き直して捉えていきたい。

■People Care 人への配慮
”農民が作物を作るのは、自分たちの地域の食糧を確保し、その経済を維持するためだけではない。働くことができるためでもあった。土地と人間集団が絡み合った生産活動は、手間がかかるものである。そのためには多くの手が必要であり、それは同時に意味ある仕事がたくさん残されていることを意味している。

農業の近代化は、安定した農家のみに焦点を当て、老人や子どもといった弱い担い手たちが農業に参加できる余地をなくしてきたのではないだろうか。土地を<共有>し、ベーシックインカムならぬ、ベーシックワークがあり、誰もが生き甲斐を感じながら生きていけるのが農的な暮らしであった。

■Fair share 資源の分かち合い
最近ではギフトエコノミー(贈与経済)を都市部でも実践していきたいという声があるが、元々は農的な暮らしの中で当たり前になされていたものである。というのも、農というのは、〆酳というものは貨幣のように価値を保存できず、多くの手が必要なものであるから手伝ってもらうとお返ししたくなるものであり、生産量をコントロールしきれないから、余剰が出るものである。

そうすると、農的な暮らしでは自然とギフトエコノミーに”なる”のだ。小値賀島では、おすそ分けや、お返しといった習慣が今でも盛んである。移住した若者の話によれば、いつも野菜や果物を貰いすぎなので現金ではないものでお返しするのが大変、なのだそうだ。ヒトは基本的にはギフトが好きなのである。自然に出てしまう余剰を分け合うことが、ギフトエコノミーの中核にある。

■Earth Care 地球への配慮
農的な暮らしとは、土地本位な生き方である。その土地が持っているポテンシャルを最大限に引き出そうとした結果、多くの仕事が発生し、子供から老人まで総動員の意味ある活動が始まるのである。そして、土地本位の生き方とは地球への配慮を欠かさない。

長崎のある部落では、ユドネと呼ばれる浄水設備付きのレンコン畑がそれぞれの民家に備わっていたという。台所の流しと風呂場からの排水が流れ込むようにしてあり、有機物を多量に含んだ生活排水は、ユドネの浅い水槽のところで日光と空気に触れながら泥水中の好気性菌の活発な作用で無機質に分解される。そうしてゆっくり時間をかけて流れていく過程で、水は浄化され、水田へとつながっていくのである。

自分たちが食べる作物に良くないものが混ざっていては、困るのは自分である。そういう意味では、繰り返し目の前で経験される暮らしの出来事が、暮らし手を地球への配慮へと向かわせるのだ。また、白砂剛二氏は”空き缶や空き瓶が捨てられるのは、部落の人の共同意識が弱まったからだ、とは言い切れない”と指摘している。

今まで農村でめったに使われなかったビニール・ガラス・鉄・コンクリートが急激に入り込んだおかげで、農家がそれまで持っていた浄化システムが機能しなくなったからだというのだ。地球への配慮もまた<システム>であることから、ゴミ捨ての意識を変える、といった<部分>では本質的な解決にならないのである。


姜ヨセフ




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