前回の記事では、日本の公共事業の基礎を築いた田中角栄とその事業システムを背景に 政・官・財(自治体、学会、マスコミなども含む)の利権のトライアングル、天下り、談合などの日本社会が形成されていったことを扱いました。

今回は、それらの事業システムの肥大を許す三つのメカニズムについて詳しく見ていきたいと思います。

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今回扱うテーマ

 「全国総合開発計画」で大枠を決定 国民監視の目届かず

 大甘の需要予測にお手盛りの費用対効果

 野放図な支出を許す特別会計の闇

 

 崛換饒躪膤発計画」で大枠を決定 国民監視の目届かず
日本の公共事業の大枠が決まるのは「全国総合開発計画(全総)」であった。1950年に成立した国土総合開発法に基づくもので、だいたい10年ごとに開発の青写真が描かれており、2008年までに、現行の「国土形成計画」に衣替えするまで計5回つくられた。 

壮大な計画がズラリ

 

 

 

 

 

 

 

注目して欲しいのが、全総の投資規模だ。時を追うごとにふくれ上がり、「四全総」では、1000兆円程度、「五全総」では「事業が膨大過ぎて、金額を盛り込むことができなかった」 (五十嵐敬喜・法政大学教授)という逸話があるほどだ。

問題は、全総を審議するのは、総理大臣の諮問機関である「国土審議会」であるという点である。国民の生活に関係するにもかかわらず、計画は閣議決定されて成立し、国会で巨額投資の是非を問う場は設けられなかったのである。

 もちろん青写真だけでは事業は動かない。そこで道路や治水、空港などの分野別におおむね5年の中期計画が立てられることになる。事業別の予算の総額はここで固まるが、これも、担当省庁の大臣などの諮問機関が審議し、閣議決定されるという手順を踏むため、国会の審議にかけられることはないつまり、国民のチェックはないがしろにされることになる。

 やっと最後に、年度ごとの具体的な予算配分が明らかになるのが、いわゆる「個所付け」がされてからだ。予算は国会で審議されるものの、予算案そのものが政争の具にされることが多かったため、個々の公共事業の是非まで焦点が当たることはほとんどない。「時すでに遅し」というわけだ。とりわけ景気対策として補正予算が組まれる場合は、どさくさに紛れて公共事業がテンコ盛りとなる。

社会が成熟し、財政が逼迫するなかで、明らかに公共事業の優先順位は落ちている。だが地元経済を含めた政官業の利権構造がガチガチに築きあげられたため、外部から歯止めをかけようにもかけられず、それが暴走を許した要員になったことは否定できない。

過去に盛り込まれたメニューはまだ動き続けている。

 

大甘の需要予測にお手盛りの費用対効果
いったん動き出した公共事業を止める手続きが、まったくないわけではない。「費用対効果」が見込めないと判断されれば、事業は続けられない。だが、客観的であるはずのこの判断基準が曲者なのだ。

今年三月、国土交通省は建設中の国道のうち18事業を凍結し、再評価すると発表、対象地域に衝撃が走った。建設によってもたらされる効果と費用を金額に換算して検証した結果、効果のほうが小さいとはじき出されたのだ。

詳しくは「費用便益分析(B/C)」の計算式を参照してほしいが、ざっくりいうと、工事費や維持管理費といった費用のほうが、走行時間短縮、走行経費短縮、交通事故減少といった便益を上回ったという。

目に余る弾力引用

 

 

 

 

ところが、それからわずか四ヶ月以内に、17事業の国道の建設再開が次々と決まっていく。事業費の見直しなどを重ねた結果、効果のほうが費用を上回るようになったなどというのがその理由だ。かくして、異例ともいえる、建設凍結の決断は茶番に終わる。


下の表を見てもらいたいが、建設再開の国道をあらためて検証してみると、そもそも継続ありきで再評価したのではないかという疑問がぬぐい切れない。

壮大な計画がズラリ

 

 

 

 

 

 


というのも、「見直し後」の評価で、事業の全体のB/Cが1より大きい「合格点」はかろうじて3事業だけ。休日の交通などを考慮した「その他」も含めた評価ではさらに一事業しか該当していない。


ほかの13事業はなぜ再開に至ったのか。その秘密は、B/Cの“運用”にある。事業全体ではなく、残りの事業部分だけを評価したところB/Cが1より大きいと判断されたのだ。それだけでなく、救急医療アクセスやCO2排出量削減なども金額換算し、「総合的に勘案した」(国土交通省)としている。


こう見ると、B/C自体がお手盛り運用されているのではないかという疑念も浮かぶ。当初、600近くあった事業からわずか、18事業しか再評価の対象になっていないことも不透明さを増す。

そもそも、事業計画の大前提ともいえる需要予測は確信犯的に過大に見積もられている


たとえば、立ち木の伐採問題で今年6月に開港がずれ込んだ静岡空港。静岡県は95年時点で開港後の国内の年間乗客数を178万人と見ていたが、2000年には121万に下方修正。03年には106万人に引き下げたが、現実はそんな数字には届かない。


06年に開港した北九州空港も同様。03年時点での283万人が、フタを開けてみれば、119万人(08年度)に落ち込んでいる。こうした、“水増し空港”には廃港の危機すら漂う。


なにもこれは静岡空港や北九州空港だけの話ではない。新幹線や道路、その他の公共事業の誘致、建設に当たっては、大甘の数字を使ってバラ色のシナリオを描くのは常套手段である。


ところがいざ工事に入ると、期間が延び延びになって工事費がふくらみ、完成しても利用が見込めないため地域のお荷物になってしまう。かくして、事業主体や自治体は支援や維持のため際限なくカネをつぎ込まざるをえなくなる。

 

L酳図な支出を許す特別会計の闇
ただ、いくら地元が公共事業をやりたくても、カネがなければ「ない袖は振れない」はずだ。そこで、もう一つの“財布”として機能してきた特別会計の存在に注目してみよう。

 03年に、塩爺こと塩川正十郎財務相(当時)が「母屋(一般会計)でおかゆ、離れ(特別会計)ですき焼き」と発言したことがあったが、日本の財政の醜悪なまでのいびつさを如実に示している。下の図にもあるように、歳入の規模で見ると特会は一般会計のなんと4.2倍370兆円にも上っている。しかも、一般会計の半分以上が特会に回っており、こう見ると一般会計はトンネル役でしかないのではと疑われるほどだ。

独自財源が野放図の源

 

 

 

 

 

 


 もっとも、一般会計や特会内で繰り入れなどをしているため、特会の歳入は純計ベースでは200兆円あまりとしても、目を引くのは独自財源の豊富さである。税収、その他収入の会計が一般会計で約50兆円しかないのに対し、特会は100兆円あまりに上っている。


 ムダづかいだけではなく、埋蔵金論争でもクローズアップされたように、カネをしっかりと貯め込んでいるケースも少なくない。にもかかわらず、各省庁の予算には口うるさい財務省主計局もここだけは見過ごしてきた


 それはなぜか。多くの関係者が口を揃えるのは「特会は省庁の財布であり、財務省といえども手を突っ込むことはできなかったからだ」。別の関係者は、「財務省もここに自分の財布がある。厳しくやるとやぶへびになる」と指摘する。


 現時点では特会は21あり、その下の勘定ごとに、所管省庁の政策と結び付き、侵されざる“聖域”を築いている。


 『特別会計への道案内』(創芸出版)の著者で、特会の問題に詳しい松浦武志氏は「特会は公共事業膨張メカニズムを支えるために使い勝手のいい『装置』として機能してきた。景気対策など政治的に膨張する事業計画を実行するために、資金調達ルートを確保をしやすくて都合がよかったと喝破する。


 特に問題の根が深いのは、意図的ともいえるわかりにくい仕組みにある。情報量は圧倒的に少なく、国民への説明不足は否めない。


 マスコミもルーチンワークで国家予算を報道してきたため、一般会計の当初予算額ばかり騒ぎ立て、特会の予算はおろか、決算でいくらどこに使われたかという検証は皆無といっても過言ではない。
 

かつてほどではないが、離れの“すき焼き”は、まだ続いている。
(週刊ダイアモンド12/12〜ゼネコン消滅列島〜より作成)

〜続く〜