こんにちは
今日から5夜連続のシリーズ投稿が始まります。

シリーズのテーマは、7月3日のなんでや劇場 で扱われた『民主主義』『市民運動』という騙しとその犯罪性』について紹介していきます。

第1日目の今回は、『市民運動という騙し。それも、すべての可能性の芽を摘みとる破滅的な騙し。』と題し、劇場のテーマと問題意識から、今までの市民運動についての状況分析と総括をしていきます。

                       木光


続きを読む前にポチッとお願いします。
人気ブログランキングへにほんブログ村 ニュースブログへ

◆劇場のテーマと問題意識

原発事故の後、「事実はどうなってるの?」という情報収束が高まっている。どうやら、人々の意識が大きく動き出したようで、私権社会から共認社会への大転換の時が近づいているように感じる。
とすれば、『共認社会をどう実現するか』、その具体的な運動論を考える段階に来たようである。

私は40年前、チンケな運動を総括し、より現実に密着した運動として自主管理・共同体企業の建設を提起し、今も実現中である。

そして社会運動については、その実現基盤を探るべく、専ら人類史や生物史に遡って、社会構造の解明に取り組んできた。まだまだ解明しきれていない部分も多いが、もはや時間がない。やや見切り発車となるが、そろそろ具体的な実現過程に浮上する時がきたようである。

◆運動論を考えるにあたって、まず過去の市民運動を簡単に総括しておこう。

過去、’60年安保闘争にせよ、’69年全共闘運動にせよ、大衆の願いは実現された例がない。さらに遡れば、明治維新やフランス革命も同様であって、実現されたのは、金貸し(金融勢力)支配の体制だけであり、それらの革命に身を投じた若者たちは、金貸しに乗せられ踊らされてきただけであった。

つまり、近代の市民運動は、実現された例がない。従って、「市民運動」という言葉は、幻想と断じざるを得ない。
しかも、この幻想を信じた結果、多くの有為の若者が出口のない袋小路に追い詰められ、自滅していった。これは騙し、それも、社会変革のすべての可能性の芽を摘み取る、破滅的な騙しである。


               UNNDOU


◆何故、近代は実現しない運動しか成立しないのか?

その後、市民運動は、’70年、貧困の消滅(豊かさの実現)を契機に急速に衰弱していった。つまり、市民運動は、貧困の圧力→私権圧力が強いときにはそれなりに盛り上がり、私権圧力が衰弱するや否や衰退していったわけで、これは、市民運動が私権欠乏をエネルギー源にしていたという証である。

私権欠乏に立脚している限り、どれだけ市民運動を続けても、私権社会が永久に続くだけであって、私権社会から共認社会への転換など、実現するわけがない。

◆何故、金貸しは市民運動の黒幕になったのか?

同じことは、それらの運動を導いてきた思想についても言える。
近代思想を生み出したのは、金貸し(金融勢力)である。ところが、市民運動の活動家たちも、同じ近代思想に立脚している。

同じ思想に立脚しながら、社会を変革することなど出来るわけがない。

あるいは、こうも言える。市民運動の活動家たちは、もっぱら大衆の意識の上昇に期待してきた。逆に云えば、彼らは「大衆の意識」以外に何の実現基盤も持ち合わせていなかった。

しかし大衆は、金貸しが支配する検定教科書とマスコミによって、ほぼ完全に染脳されてしまっており、新たな思想なしに大衆の意識が変革されることなどありえない。
本当に社会変革を実現するには、歴史を遡って、運動の実現基盤を発掘し、実現基盤を備えた新理論を構築しなければならない。


金貸し


☆まとめると

【1】近代の大衆運動(市民運動)は実現された例がない。全て幻想である。
【2】それだけでなく、有為な若者たちを潰してきた悪質な騙しである。
【3】運動家たちの意識では、「市民が主人公の社会を作る」という目的は共通している。そして彼らはひたすら大衆の意識が上昇することを期待している。ところが、大衆の意識は近代思想に染脳されており、この点では運動家も同じである。

これは、市場社会を導いてきたのが近代思想であるが、市場社会の在り様に反対する運動家たちもそれに染まっているということであって、これでは近代思想以外の新しい思想や認識が登場するはずがない。だからこそ市民運動は近代思想の範疇に止まって何も実現しなかったのである。そもそも、市場社会を作ってきた近代思想は、ルネサンスから始まって金貸したちが作ってきた思想である。それに反対を唱える運動家も近代思想に立脚しているのだとしたら、何も変わらないのは当然ではないか。

◆近代思想に代わる新理論の構築は、不可能に近いほどの超難課題であった

私は45年前、活動家たちに対して、マルクス主義に代わる新理論の必要を提起した。しかし、新理論の構築に取り組もうとした者は、(ごく少数を除いて)殆ど誰もいなかった。そして、次々と、大企業に就職し、あるいは学者になっていった。その後、彼らに残されたのは、社会変革に対する深い不可能視だけである。

それだけを見ると、彼らは本気で社会変革を実現する気などなかったようにも見えるが、むしろ、近代思想に代わる新理論の構築は、不可能に近いほどの超難課題であったということだろう。

続きは、7/3なんでや劇場レポート(2)へ