毎日新聞 平成30年9月26日
「第二の人生は「共同体」で」から引用
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「CCRC」。定年退職などで第一線を退いた中高年たちが第二の人生を楽しむ共同体を意味する米国発の言葉で、近年は国内でも浸透しつつある。独自に構想を進めてきた茨城県笠間市を訪ねた。

笠間市内には、救急患者の受け入れも可能な急性期型の県立中央病院や、医療、福祉、保健の総合拠点である地域医療センターかさま、精神科医療を担う県立こころの医療センターがある。中略 そんなところを補ってくれたのが、自然豊かな環境を生かして2001年に開設された宿泊型市民農園「笠間クラインガルテン」(市農業公社運営)だった。

●茨城・笠間に農園 
 菜園付きのログハウス風宿泊施設が約50棟並ぶガルテンを訪ねると、石塚和子さん(59)が出迎えてくれた。中略 
 石塚さんは、東京・浅草で夫と2人暮らし。家庭菜園が趣味だった母親の影響で、もともと農作業に興味はあった。勤めていた大手百貨店を退職後、自宅でテレビばかり見る日々に「これでいいのかと思うようになった」のが、今年で5年目になるガルテンとの縁のきっかけだ。


 インターネットで探し当てたガルテンが気に入り、今は週7日のうち3日はここで過ごす。中略 畑作業を通じて他のガルテン利用者や地域住民と交流が深まり、笠間市内を自由に移動するために長年のペーパードライバーを卒業して中古車も買った。「今、『青春』をしている」と実感する日々だ。 

●体験を機に移住も 
 近年はガルテンでの体験を機に、笠間市や近隣市町村に移住したり、「別宅」を構えたりする人もいる。中略 笠間市の東隣、水戸市で菜園付きの別宅を借り、東京都足立区の自宅との「2地域居住」を続ける三宅正高さん(71)、真純さん(68)夫妻は、その一例だ。 

 サラリーマンだった正高さんの定年退職を控えた05年、ガルテンに入会。「退職後に『毎日できること』を探していた。旅行やゴルフはたまにはいいけど、毎日は無理。畑作業ならと思った」と正高さんは振り返る。ともに神戸市で育った夫妻にとって、「野菜の種をまいたら翌週や翌々週には芽が出ているとか、地元住民に教わりながら手作りみそに挑戦するといったささやかなことも、初めて味わう感動だった」。 

 中略 「都会暮らしを完全に捨てる自信はまだないけど、田舎暮らしがない生活も考えられない。しばらくは両方を楽しみたい」と真純さんは声を弾ませる。 

●地元シニアも奮起 
 一方、笠間市で生まれ育った高齢者も負けていない。地元のシニアでつくるNPO法人「グラウンドワーク笠間」理事長の塙茂さん(75)は、半世紀にわたる会社員生活を終えた後、「しばらくはゴルフと酒と旅行ざんまいだった」。だが次第に、そんな毎日に疑問が募り始めた。 

 「額の多少はあれ、高齢者は皆、年金生活者。年金というのは自分が払ってきたからだけじゃなく、若い人が支えてくれているからもらえるもの。だったら高齢者だって、元気なうちは自分以外の人のために汗を流すことで、もらった年金の1%でも5%でも世の中に役立てなきゃいけないんじゃないかな」 

 12年に同法人を設立し、市中心部の観光施設「笠間民芸の里」の中に、地元食材を使った家庭料理を楽しめる飲食店「グランパとグランマのお店」をオープン。店員はみんな60歳以上だ。来春には、同施設内で学童保育と子ども食堂の両方の役割を担う取り組みも新たに始めるという。「夢や目標に年齢は関係ないですよ」と話す塙さんの表情は誇らしげだ。 
  
>CCRC とは?
 「Continuing Care Retirement Community」の略で、「継続的なケア付きの高齢者たちの共同体」を意味する米国で生まれた言葉。高齢化しても医療や介護のケアを受けられる所へ元気なうちに移り住み、第二の人生を楽しむのを目的にしている点が、有料老人ホームなど従来の高齢者施設と異なる。

引用終わり 

 記事を読んで感じたのは、都会育ちも笠間育ちも共通に、定年した後の生活感が、ただ遊んで暮らすだけでは充足しないということです。

 次に、都会育ちは都市生活を捨てられないに対して、笠間育ちの人は「高齢者は皆、年金生活者。中略 高齢者だって、元気なうちは自分以外の人のために汗を流すことで、もらった年金の1%でも5%でも世の中に役立てなきゃいけないんじゃないかな」 と皆のために活きることを活力している。更に、食堂の営業対象を広げることで更に活力を大きくしている。

面白いのは、都会暮らしの人は個人を維持し(=捨てられず)、地元の人は気心がしれた地元の人とどんどんと繋がることでより元気になっている。楽しみ方(共認充足)の深さが個人の域か、仲間の域かで異なる感じだ。

この違いは、以下の人類の心の4層構造のどこに依拠しているのか?
仝斥奸粉冉亜法↓探求・追求、6ηА↓に槐

生きるための「安心感」はどこから生起するのか?仮説だが、生存本能を直撃する「食の本能」ではないか?この充足度の違いではないか。

地元の人々は地産地消で生きられる「共同の生産の安心基盤」の実感があるが、都会人はそこまで新しい場を信じられない。だからお金がかかっても逃げ場(都会)を担保しているのだろう。

市によれば、移住はまだ20組程度とのことだが、この地産地消の場の一員に認められれば、食の本能が充足する。言い換えれば、地元の人々と仲間になる=共認充足がある。仲間は常に工夫を喜んでくれる。ならば追求充足も得られて全て満たされる。

よく考えれば、共同体の原点は自給自足。ならば、病院や福祉施設等の箱物よりも自給自足するばを自らが参加できる役割とその評価があれば良いと思う。お金ではない価値が一番大切だと感じた。


あっ、都会は自給自足を他人任せにしたシステムなのだ。
そこには安心基盤はなく、個人の利便性の向上(サービス)に高い対価を払い続けさせる歪な場なのだ。


酒井俊弘