その1(339968)の続き

『「贈与経済」論(再録)』リンク より
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法外なお金持ちがたくさんいるにもかかわらず、贈与経済がなかなかうまく機能しない理由がそれでわかりますね。贈与がうまくゆかないのは、贈与経済そのものが荒唐無稽な制度だからではありません。そうではなくて、贈れるだけの資産をもっている人たちが、それにもかかわらず贈与を行うだけの市民的成熟に達していないからです。適切なる「贈る相手」をきちんとリストアップできていないからです。パスを送ったときに、「ありがとう」とにっこり笑って言ってくれて、気まずさも、こだわりも残らないような人間的なネットワークをあらかじめ自分の周囲に構築できていないからです。貧乏なとき、困っているとき、落ち込んでいるときに、相互支援のネットワークの中で、助けたり、助けられたりということを繰り返し経験してきた人間だけがそのようなネットワークを持つことができる。その日まで、自己利益だけ追求して、孤立して生きてきた『クリスマス・キャロル』のスクルージ爺さんみたいな強欲な人が、ある日株で儲けたから、宝くじで当たったからと言って、このお金を貧しい人たちにあげようと思い立っても、どうしていいかわからない。贈りますと言っても、たぶんみんな気味悪がって、受け取ってくれない。

そういうものなんです。今、ぽんと大金が入ってきたら、「どんなふうに使えばみんなが喜ぶだろう」という想像をいつもしている人間だけが効果的な贈与を果たすことが出来る。そういう想像をしたことがない人は「ぽんと大金」が入ってきても、飲んで騒いでラーメン食った後は定期預金にするくらいしか思いつかない。そんな人に「ぽんと大金」を渡しても意味ないから、そもそもそんな人には誰も贈与しない。その人がエンドユーザーであるような人間には誰からも贈与が届かない。贈り物を受け取ったときに、目にも止まらぬ速さで次の贈り先にそれがパスされるような人のところにしか贈り物は届かない。そういうものなのです。

贈与経済が成り立つための要件は、ですからある意味きわめてシンプルです。市民的に成熟していること。それだけです。自分より立場の弱い人たちを含む相互扶助的なネットワークをすでに作り上げており、その中で自分が「もっぱら持ち出し」役であることを愉しむようなマインドをもつ人であること。そういう人のところに選択的にリソースが集中するシステムが贈与経済システムです。
かつて青島幸男は「ぜにのないやつぁ俺んとこへこい 俺もないけど心配すんな 見ろよ 青い空 白い雲 そのうちなんとかなるだろう」というすばらしいフレーズを植木等のために書きましたが、こういうセリフがさらっと言える人間が「ぐるぐる回る」活動のハブになる。そういうのが理想の社会だと僕は思っています。

今は夢物語に聞こえるかも知れませんけれど、僕は「交換から贈与へ」という経済活動の大きな流れそのものはもう変わりようがないと思っています。そのうちに、ビジネス実用書のコーナーに「どうすればともだちができるか」「後味のよい贈り物のしかた」というような本が並ぶようになっても、僕は怪しみません。
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以上




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