2020年09月21日

私の桜草栽培

               
私は三十歳前半から三十五年ほど桜草を程栽培して来ました。以前の会誌に書きましたが始めは品種の数も少なく多くは高鴨神社や故田中事務局・故柴田副会長から頂いたり、頒布会で購入して増やしてきました。栽培は鈴鹿氏の本や栽培されている高鴨神社・柴田邸などを見て教えて頂きました。ただ桜草の栽培は難しく、始めは四芽揃った花はなかなかできなかったです。自宅と柴田宅が近いこともあり栽培が上手い氏の花をよく見に行き目標にしました。
栽培の先輩たちからセンチュウ対策に温湯消毒が良いといわればやってみました。鉢の底にモミ殻を入れると用土が少なくて済むなどと言われるとすぐに飛びついて実行しましたが尽く失敗して枯らす芽が多かったです。また芽の植え付けでも失敗もしています。芽を巴の形に植え付けるはいいのですが芽を寝かせて植え付けました。それで深植えになり、芽が上がってこない鉢が多いので鉢開けすると腐っていて落胆したことがあります。それではと今度は芽を立て浅植えすると、二月の霜柱に押し上げられ、外に飛び出されてしまい枯れた失敗もしました。このような数多くの失敗を重ねようやくここ五ヶ年ほどは栽培が安定しています。

現在の芽の植え付けは芽を上向きにして1僂ら1.5僂曚品づ擇垢譴仭土をしなくても済みます。それでも芽が飛び出してくるようであれば少し土をかけるようにしています。
ただここ数年、植え替えを一度にせず。十二月までに一度鉢開けして良い芽を四芽仮植えし、二月に本植え付けを行う仕方をしました。なぜそのような二度手間をしたかと言うと、一度に植え付けると花の咲く時期が揃うからです。ただ仮植え中に乾燥や腐敗菌混入のために枯れる芽が出て来たのでこれも止め、鉢開してすぐに良い芽を植え付けるやり方に戻しました。
今私の使う用土は腐葉土の割合が以前より少なくなりました。私は目分量で図るので正確な割合は分かりませんが赤玉土に一割か二割内でモミ殻燻炭・パーライト・バーミキュライト・バーク堆肥を混ぜて使っています。昨年使った古土も二个凌兇襪い砲けて用土の半分使っています。
今では人が良いと勧める栽培方法には飛びつかないようになりました。桜草はきめ細やかな監理ができれば用土や植え方を選びません。ただ私のようにたくさんの数を栽培するとつい目のいかないポットが出て枯れてしまう物が出ます。それでも同じ品種の物が数鉢ありますので、なんとか品種を失わずにやっています。このように栽培が安定してくるまで随分遠回りをしてきました。皆さんも新しいことをする場合、極端なことを避け、全部の鉢を実験するのではなく一部で行う慎重さが大切だと思います。

現在桜草栽培で一番大事なのは水やりと夏の日除けが一番大事だと思います。花が咲くまでは水やりを辛い目にして花が咲き出すと水は何度も与えます。夏には葉が無くなりますが水やりは欠かせません。また七月から十月までは日除けのネットやよしずをかけています。肥料は花時期に効くように緩行性肥料を少し入れます。花後はハイポネックス水肥料を数回与えます。文章にすると簡単なようですが一年を通して桜草を観察して監理をしっかりするのはなかなかたいへんです。  
Posted by naniwasakurasoukai at 20:30

2020年09月11日

山原さんも伝説の人になった

また暫くBlogを書いていなかった。もし山原氏が存命なら私にどうしたのと聞いてくるだろう。
経緯は記念の会誌50号を山原氏の追悼を兼ねて編集を行い、2019年2月に完成させた。その後はボチボチ書いて行こうと思っていたが一度休むと楽なことに慣れつい疎かになってしまった。桜草の方は山原氏が作出した品種と未発表の実生花を引き継ぎ今も多くの花を栽培している。長居公園花と緑と自然の情報センターでの展示は同氏が亡くなった2018年の春から会としての展示を取り止めることにした。これは私の体力が落ちてきたことが原因である。
会誌50号に私が書いた追悼文を掲載したい。
山原さんも伝説の人になった
              
平成三十年七月十日、山原会長の夫人より午後、電話があり「昨日夫が倒れ、救急車で病院に運びましたが今朝亡くなりました。死因は突発性の心室細動です。」と聞かされた時は、「えっ。」と言ったきり呆然自失言葉が詰まりどうしてとの思いで話しも旨くできませんでした。近くに居られた夫人のショックを思い計るとどれほどばかりと心が痛みます。
約一ヶ月前、六月三日の役員会では何事もない様子でしたので今でもこの世からいなくなってしまったとは信じられない気持ちで一杯です。

亡くなる直前の七月五日には左記のメールをもらいました。
廣田さんへ          山原茂より
 台風に吸い寄せられた梅雨前線によって雨が続きます。近畿各地で大雨の災害が起こっているようです。
 さて「五渡亭国貞」の浮世絵の教示有難うございます。窓際の置かれたひと鉢の桜草、庭に置かれていないところがミソですね。一時楽しまれたあとは打ち捨てられる運命にあります。
 私のところの実生は今のところ順調です。ブログに載せてある通り、双葉が出そろいつつあります。出来るだけ早く成長させたいと思っています。仕立鉢の葉は枯れつつありますが、2次葉が残っているものもおおく、かつ増土のおかげ土の水持ちがよく、水やりに追われることはありません。ものによってはもう一度増土をしようと思っています。
 なお七月十四日から佐川美術館で「田中一村展」が開かれます。これは一見の価値があります。遠いですが是非見に来て下さい。
 それではまた、八重子さんによろしく。

私は教えて頂いた「田中一村展」を見に行き、その足で山原宅に寄らせてもらい歓談をしたいと返事をしようと思っていた矢先でした。
氏とはこの頃、この様なメールでのやり取りが殆どでした。

山原氏と私は一九九七年(平成九年)から会長・事務局としてコンビを組み、今年で二十一年を迎えます、そろそろ私たちも次世代に役を譲って行かなければと以前から思っていました。ただ若手の人が現れず苦慮していた所でした。

会務の話しではありませんが、氏も私も近年終活を始め、晩年をどう過ごすかを考えていました。最期についても会長は愛犬チョラを看取った中で自分はどのような形で往生するのか想像が付かないがチョラのようになるのかと少し心配しているようなので私は「莫妄想」の言葉ように死は必ず訪れるので過剰に心配しなくてもいいのではと言いました。
このように私たちも終焉が近づいているとは言え、今回のように命の終止符が突然打たれるとは夢にも思いませんでした。長きに亘ってお付き合いをしてきましたので、いろいろな場面、場面が走馬燈のようにまぶたに浮かびます。もっといろいろ桜草の話しをしたかったしご教示をしてもらいたかったです。

山原会長の実績と言えば一番目はなんといっても素晴らしい実生新花を数多く作出されたことです。桃園蜃気楼 流れ星 金田の夕 竜晴 手牡丹 光る雪 白手毬 豊旗雲 風の音 白鈴 雪野山 紫狩 空穂猿 名残雪 群千鳥 雅 徐名燦 未央宮 標野行 菅丞相 綿津見 これらの花はかなり普及しています。またこれ以外にも未発表の品種が残りました。氏の作出花はどれも作りやすく丈夫な品種が多いです。近年発表された標野行はたいへん丈夫で良く育ち茎もしっかりして背丈もそろいます。私はみんなに栽培してほしいと思っています。

実生は毎年一度しか行うことができず、千、二千と種を蒔いても良い物はほんのわずかしか残りません。また何年も継続しなければならずたいへん根気のいる地味な作業です。これを氏はおそらく四十年近く行ってこられました。私も実生暦は約三十年あまりですがこれぞと言う新花をまだ作出していません。これを見ても氏の選別がいかに優れていたかがわかります。
氏は審美眼を研ぎ澄ますために時間があれば美術館・博物館巡りをしていました。これらの観賞批評は氏のBlogに書かれて
います。このように瑞々しい感覚を保つため絶え間なく努力をしていたのには頭が下がります。

氏は自分が亡くなっても自分の作出した花を多くの愛好家が育て咲かせてくれるのは実に痛快なことだと生前何度も言っていました。ある意味永遠に続く生命の再生を信じていたのかも知れません。私たちは山原氏の思いを引き継ぎ、まさに氏の子、作出花を栽培し広めて行きたいと思っています。

二番目は日本桜草総銘鑑を一九九六年に会誌別冊として発行し、その改訂版を二〇〇五年に会誌四〇号として出しました。また一九九九年に日本桜草実生新花銘鑑稿を会誌三十四号として纏められています。桜草の銘鑑稿として知られているのは昭和六十年会誌二十号で中村理行氏が梅花百合芍薬桜草種類銘鑑と牽牛花附内外草花銘鑑について 明治期の植木商による銘鑑を紹介しています。昭和六十二年会誌二十二号に中村長次郎氏が 復刻版について 昭和十二年六〜八号の雑誌「実際園芸」を転載し「日本櫻草の品種解説」を紹介しています。
しかしこれらはかなり古く、新しい桜草の品種名が記載された名鑑が望まれていました。その為、氏の纏められた名鑑は随分役にたっています。ただ改訂版から十三年〜十九年が経ち、その後かなり多くの新花が発表されて来ています。品種名に詳しい氏に更なる改訂版を作って頂きたかったので残念でなりません。

命名での思い出は、氏が作出した実生花(雅)の兄弟花に妻と一緒に徐名燦と名付けました。イギリス人の大学生ジョナサンは私の家に六ヶ月ホームステイしていました。二〇〇五年四月彼を連れて近江八幡市の会長宅に花を見に行ったことがあります。この時の記念に彼の名が「おもむろに名がきらめくであろう」ことを願って名付けたことも懐かしい思い出です。

未発表の実生花がまだ残されています。その中の一つに氏にちなんだ名前を付け会誌五十号の表紙を飾りました。これらの花がこれから多くの人達に栽培されて行くことを願っています。

また近年氏は主にBlog(日本桜草と美術)で桜草の歴史の論考をかなり多く書かれています。氏は中国史を勉強されてきましたので史料批判の手法取り入れ、史料が作られた時期や歴史的背景を吟味し信憑性・適切性を氏なりにしっかり判断されていました。そのような姿勢で論じられた事柄は今までの通説に対してかなり辛辣に批評されています。私は歴史学のことは門外漢で分かりませんが氏の指摘は鋭く桜草に関してはおそらく当たっているのではと思っています。
ある時、理系の人達の中には演繹はできるが帰納法は苦手な人が多すぎると私に感想を漏らしていました。また私に「私の会誌記事やブログを真剣に受け止めている人はほとんどいないようで残念です。あなたは私の説に真剣に向き合って反論を用意しませんか。」と何度か言われていましたが忙しさにかまけて感想を伝えられなかったのが今は心残りです。
これら多くのことを評論されていますのでいつか纏めて本にしてくれればありがたいと思っていましたが、これも叶わぬこととなってしまいました。会誌バックナンバーとBlogを合わせて見て頂ければ氏の主張したかった歴史的な全体像が浮かんでくると思います。

もう一つ氏の行った仕事で評価されるのは浪華さくらそう会誌第二十五号で「櫻草作傳法」の影印・翻刻・現代語訳を成し遂げた事です。以前にも加藤亮太郎『日本桜草』大山玲瓏『古書解説桜草作伝法』(さくらそう会誌八号)がありますが、両方とも現在入手が難しく、全体を通して読めるものが無かったのでたいへん重要な仕事をしてくれました。「櫻草作傳法」は桜草に関して一級の史料です。現在その分かりやすい解説を読むことができるのは氏の大きな功績と言えるでしょう。

六月三日の役員会では「櫻草作傳法」はあの時代の晩花であった。集大成して終わったと言っておられたのが印象的に覚えています。また会の行く末を晩花に例え、「私がいずれ纏めて会を閉めざるを得ないのか」と発言をされました。私はもう一花咲かして欲しいと言いました。その時はあまり気にかけずにいましたが今思い起こせば自らの宿命を自覚していたのかも知れません。

会務としては一九八六年から今まで二十九年間も一人で会誌の編集をしてくれました。今思えばたいへんな苦労をかけていました。もっと早く文書の提出などして協力すれば良かったと悔やみます。図らずも会誌五十号の編集をやってみて氏の苦労がよく分かりました。
天国でなにをもたついているのかと少し恐い顔で見られているようです。それでもなんとか仕上げたことを天国の氏にご報告いたします。
このように浪華さくらそう会に多くの貢献をされてきました。長いお付き合いでしたが、お酒を酌み交わし歓談したことか一度もありません。アルコールが入った氏を一度は見たかったと思います。氏のイメージは人とは群れない落ち着いた孤高の姿が印象として残ります。

山原茂の魂よ安らかなれ、あなたが作出した桜草はこれからも皆の心を魅了し、長く栽培され続けられて行くでしょう。
お通夜の祭壇に飾られていたお孫さんの描いたヒゲの「じいじ」に栄光あれ。

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2014年2月23日 サンスクエア堺に於ける総会 在りし日の山原茂氏  
Posted by naniwasakurasoukai at 12:13

2019年04月19日

大竜晴

先週から桜草の水やりや草抜きに追われている。花のピークは毎年4月20日前後になるが今年はピッタリになりそうだ。毎朝、実生苗の選別で1パットほど捨てている、屈んでの作業でこれが結構たいへん、腰が痛くなる。

それでも今年はじっくり一人で楽しんでいて私の実生花に「大竜晴」と名付ける。

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Posted by naniwasakurasoukai at 13:16

2019年04月16日

久しぶりにBlogを投稿

本当に久しぶりに投稿する気になった。休んでいた事由はいろいろである。昨年浪華さくらそう会の会長、山原さんが突然亡くなられて、一緒に20年も会長・事務局としてコンビを組んできたこともあり、呆然自失、その後追悼会誌作成に全力投球したこともあり、Blogを書く気になれなかった。会誌50号を仕上げてから、今年2月3日の総会で22年やってきた事務局を辞任、一挙に肩の荷が下りてボーとした状態が続いていた。一種の燃え尽き症候群だろうと思っていた。

ただ花が咲いてきたのでボーとしている訳にもいかず、昨日、3年ぶりに小屋掛け華奢作り古典花壇を組み建て今日桜草を飾ってみた。飾るのには時間がかかったがやはり見栄えが良く今年はじっくり楽しんでみようと思っている。

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Posted by naniwasakurasoukai at 21:07

2019年04月15日

開花率約6割

知り合いのYさんが朝から古典花壇の組み立てを手伝いにきてくれた。二人で何とか昼前に組あげた。暫く組み建てていなかったので段取りが悪く時間がかかる。それでも組あげるといいなあと思う。明日、桜草を飾ることにする。

桜草の開花率約6割、一挙に咲き出してきた。

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Posted by naniwasakurasoukai at 13:41

2018年12月14日

近況報告

ここ暫くBlogを書いていない、なぜ書かなくなったと言うと浪華さくらそう会の会長山原さんが亡くなった7月以降、追悼会誌作成の編集をしたり桜草の植え替えを毎日やったり忙しく、つい書かない日が続くとサボり癖が出てしまった。山原さんがいた時は私が暫くBlog書かないと、どうしたのかとメールで聞きいてくれた。いつも優しく気にかけてくれていたことを今は感謝している。

Blogを長く続けていた効用は、文章を作るのがそんなに苦にしなくても書けるようになった。今回、会誌50号作成で実感した。会誌50号は追悼も兼ねている、会員に8月に追悼文の募集をして10月半ばに締め切り、11月始めに編集会議を行い、現在最終の校正をしている。ほぼ出来上がっているので来年1月始めに印刷に出し、2月3日の総会にはみんなに手渡せる予定である。

簡単に経緯を書いていたが、コンピューターの打ち込み作業に手間取ったり、追悼文がなかなか集まらない時期に心配したり、いろいろ悩むことが多くけっこうストレスがかかった。それらも乗り越えることができ現在は平常心に戻っている。

桜草の植え替えも9月の後半から始め、現在残りは3割となった。今回は同じ品種が6鉢以上の場合、多い物は配布用にしたので全体の栽培数は約1割ほど減らすことになった。芽のでき具合は平年並みだが、良い芽を残したので来春の花は今年より良い花が咲きそうである。植え替えはこの12月いっぱいと1月半ばまでまだかかりそうだが、ほぼ見通しが付きホットしているところである。  
Posted by naniwasakurasoukai at 06:59

2018年10月14日

朝はひんやりとして気持ちがいい

朝方は気温が低く過ごし安い、7・8月の暑さとはえらい違いである。昨日に引き続き桜草仕立て鉢の植え替えを行う、ただサツマイモを収穫したり畑の片付けを途中でしたのであまり進まない、来年2月までにやればいいので焦らずにやって行きたい。

午後、緩効性の肥料を買いに行く。  
Posted by naniwasakurasoukai at 18:08

2018年10月13日

今日からいよいよ仕立て鉢の植え替えを行う

今日から桜草仕立て鉢の植え替えを行うことにする。10月に入ってすぐに取りかかるつもりだったが雨が多かったことや庭木の剪定などに時間を取られ遅れてしまった。少し鉢を開けたところだが芽の出来は平年並みの感じである。  
Posted by naniwasakurasoukai at 18:08

2018年10月12日

キュウイの木を剪定する

朝、キュウイの木を剪定する。切った後の片付けもあり昼までかかる、午後、少し桜草の植え替えを行う。

午後3時から西成体育館でテニスを行う。  
Posted by naniwasakurasoukai at 18:11

2018年10月11日

畑の苗も順調に生長している

朝、庭のミカンの木を剪定する。午後、カリンの木も剪定、秋は剪定する木が多い。畑のダイコンやキャベツの苗が少し大きくなってきた。これで例年並みに収穫できそうである。  
Posted by naniwasakurasoukai at 18:13