自然食品宅配の店 菜の花村スタッフブログ

無農薬野菜、自然食品、オーガニック・マクロビオティック商品を仙台市中心に宮城県内に宅配している自然食品店(有)菜の花村。菜の花村にまつわるエピソードやレシピ…etc旬な話題をスタッフがお届けします。

2011年08月

米農家の心配

ももです。
 
私の家は、代々続く米農家です。
 
今回の震災による、原発事故の影響を、心配しています。
 
稲達は、今年もたわわに実り、こうべ(頭)を垂れて、刈り取りの時を待っているようです。
宮城は米の大産地。
ササニシキ、ひとめぼれ。本当においしい!宮城に生まれてよかったと思うのは、おいしいお米が食べられる事。
でも今年は…土壌汚染が心配。何とか基準値を下回って下さいと、祈るばかりです。起こってしまった出来事に、なすすべのない虚しさ…
 
今の所は、大丈夫ではないかと聞いてはいますが…。
 
御先祖様達は何と思っているのでしょうか?伊達2万石、北上川の流れを変え、中田沼を田んぼに変え、米の大産地とした先人達の苦労に思いを馳せます。
江戸時代には、江戸で出た肥やしを、こちらで稲の肥料に使ったと、聞いた事もあります。そしてこちらで収穫された米を江戸へ出荷していたそうで、エコですね。

逝く夏や・・・魚の目は泪

トマトです。

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  仙台文庫から、6月に同時出版された、「市民のネットワーキング 市民の仕事術Ⅰ」 「市民のマネジメント 市民の仕事術Ⅱ」 この2冊の本の著者である、みやぎNPOセンター代表理事の加藤哲夫さんが、8月26日に亡くなられました。61歳。膵臓ガンでした。
 2冊の本は、加藤さんが生前に出版された、最後の本になりました。

 私が加藤さんを初めて知ったのは、確か週刊朝日だったか、見開き2ページの記事に、「宮城自然食研究会」代表として取材されていたことだったと思います。

 その頃の私はふるさと宮城を離れて暮らしていて、自然食に関心を持ち始めていて、「宮城にこんな人がいるんだ」と、心強く思ったものでした。

 その後、菜の花村を通して、立町にあったエコロジーショップ「ぐりん・ぴいす」の社長さんだった生加藤さんとおつきあいできるようになるとは、思ってもいませんでした。

 NPOセンターに活動の拠点を移してからは、ほとんどお目にかかることはなくなってしまいましたが、私たちの行動範囲の中には、いつも、加藤さんの影響を受けた人たちがいました。

 貴金属を売る営業マン、エコロジーショップの社長、出版社の社長、NPOセンター代表理事・・・
 加藤さんはいろいろなことをやってきましたが、政治家にもならず、権力におもねらず、暴力に訴えず、他者を責めず、それでいて多大なる影響力を持つ、一貫した「市民活動家」だったと思います。

 加藤さんに言われた忘れられない一言。
 「お宅の社長(つまり菜の花村の社長)、変わってるよね」

 私が充分変わり者だと思っていた加藤さんに、変わり者と言われる社長って、まともなのか、真の変わり者なのか、しばらく悩んでしまったのでした。

 さようなら、加藤さん。

ごぼうです。

6a15f4ce.jpg 写っているのは、亀です。
親戚の家にいったら、亀が5~6匹水槽(古い風呂桶)で泳いでいました。

亀は、育つ環境が広ければ、どんどん大きくなるそうで、元々は、お祭りで買った500円玉くらいの大きさのミドリガメが、今は大人の手のひらくらいの亀になったそうです。
卵を産むのですが、まだふ化させたことはないそうです。

夏のおもいで。

こんばんは、ゆずです。

夏休みも遠い昔に感じるほど私働いてました。

お盆中は、お墓参りに行ったり、兄弟が集まりバーベキューをしたり、誕生日もあったり、④連休あっという間でした。

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私は菜の花の休み中は、畑にいました。

亀久夫さんのハウスそろそろ、2回目のきゅうり収穫となります。

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春、初めて行った時はきゅうりの収穫が始まっていました。

でもそれを倒して、2回目のきゅうり、私たちが植えたんですよ。

段階を踏んで、ここまでたどり着きました。

きゅうりのやり方、前より良く理解できました。

やっぱり、農業はやってみて、なんぼです。

また亀久夫さんのきゅうり、食べるのが楽しみです。

鉄砲玉のすすめ

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ご無沙汰しております
ズッキーニことズッキーニです
 
私が中.高校生の頃は一ノ関の高専から世に飛び出た「NSP」というフォークグループが大人気でした
 
初めてコンサートに行ったのもNSPでした
 
中学から一緒の高校に進んだ四人組でドンコウ列車に揺られて仙台まで行ったものです
 
四人全員がオーバーオールをはいて写真におさまっているのを見る度に当時の流行りを思い出します(笑)
 
 
 
NSPの曲に「ぼくの夏休み」という歌があります
今の時代から考えると、なんと純粋だったんだろうか
 
 
―*―*―*―*―*―*―
遊園地
ローラースケート
二人でゆくはずだったのに
フォークコンサート
同伴喫茶
二人でゆくはずだったのに
 
バイトしてお金を貯めて
二人で遊ぶはずだったのに
そんな夢見られただけで
幸せだったのかしら
―*―*―*―*―*―*―
 
 
 
おばさん達が乙女だった頃は、こんな事が若者達の素敵な過ごし方でした
 
 
私の場合はこの頃から出かけるとなかなか帰らなかったので親には「鉄砲玉」と呼ばれてました
 
 
家にビデオデッキがある子がひとりしかいない時代です
 
その子の茶の間に6人ぐらい集まって深夜番組の録画を見るわけです
 
今度は
ベイ・シティ・ローラーズ!
ベイ・シティ・ローラーズ!
ベイ・シティ・ローラーズ!
何回も見るわけです
 
それで帰りが遅くなった位で鉄砲玉扱いは如何なものかと。
 
 
 
おばさんになった今
お金と自由を持つと鉄砲玉になるのは変わりません
それに運転免許証という物を与えられたので鬼に金棒です
 
鉄砲玉の自覚はあります(笑)
 
その鉄砲玉、夏休みは計画も予約も何もない「みちのくひとり旅」に出掛けました
 
たまにジョージ山本を歌ったりして、途中でタイヤもパンクしたりして、二日目からはずっと嵐だったりして、ホテルに泊まれば8階で「夜景が綺麗」とか思ったのも束の間で地震なんか来たりして…
 
 
 
十和田市現代美術館
 
 
 
青森県立美術館
 
 
 
 
一番印象に残るのは風力発電
大きいと分かってはいましたが、思っていたよりはるかに大きかった
 
龍飛崎に立つと風力発電のプロペラがすぐそこに見えます
 
ホーミーの様な音でした
 
 
旅っていいです
ずっと嵐だったけどいいです
家に帰って来てから二日間寝ましたが、いいです
恐山があまりにも恐ろしかったので家に帰ってから二日間ずっと恐山に居る夢でうなされましたが、いいです
いや、良くないです
 
 
ちゃんと計画をたて予約もして、年相応のチャレンジをしようとも思いますが、私はずっとこうなんでしょう
 
外でお酒を飲むとなかなか帰らず、家路の途中で限界を迎え畑で寝ていた父親の血が入ってますから。
 
 
 
長くて短い夏休みは終わりましたが、また週に一度皆さんにお会いできる事も私は楽しみなのですよ
 
 
 
   ズッキーニ
 

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